寒き夜の宝石店に飾らるる黒き首黒き手のうつくしきかな
つらさうに生き物たちの歩みをり雨の動物園、否(いな)新宿駅前
むき出しの右腕ぬッと湯に入るるごとく乗り出しダライ・ラマ語る
昼寝より覚むれば世界黄ばみをりカナカナの声ひとすぢ垂れて
燃えさかる炎は不意に掌(て)となりてつかみぬ焚火の中の手紙を
グラスへと氷入れたり氷には音符がひとつづつ隠れゐて
ダンボール箱にて軍法会議などありしや月夜のみかんの甘し
錦糸卵ふはりと寿司に散らしたり老後を託すべき娘なく
巨いなる鍵盤の上ゆくごとし月夜の並木道をあゆめば
昨夜(よべ)書きしこころの重さ測られてをり旅先の郵便局に
いずれの歌も比喩や上句・下句の取り合わせなど鮮やかで印象に残る。こうした特徴は栗木さんの持ち味であるが、もう少し何でもない歌があってもいいように思う。
歌集には「ここは戦場でなし」「戦争はあらぬに」「軍装の天皇在らぬ国」「「捧げ銃(つつ)」の体験あらぬ若者」「徴兵のなき世」など、戦争をイメージさせることによって、平和な日常を問い直す作品が数多くある。自分自身も日本の社会もこのままで良いのだろうかといった、作者の漠然とした不安や焦りのようなものを強く感じた。
2010年6月3日、本阿弥書店、2500円。