2025年04月24日

「与謝野寛・晶子を偲ぶ会」のご案内

 第19回 与謝野寛・晶子を偲ぶ会 案内チラシ 2025 05 17_QR_地図付き -1.jpg


5月17日(土)に第19回明星研究会「与謝野寛・晶子を偲ぶ会」が開催されます。テーマは「Beyond Meiji ―平出修・山川登美子・石川啄木」。

私も「評論・詩・短歌から読み解く啄木晩年の思想」という題で講演します。啄木の晩年におけるクロポトキンからの影響について主に話す予定です。

参加費は2000円。会場(武蔵野商工会議所「市民会議室」)とZoomの両方あります。ご興味のある方は、ぜひご参加ください!

https://www.myojo-k.net/

posted by 松村正直 at 22:39| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月23日

中野重治『歌のわかれ・五勺の酒』


詩「歌」、小説8篇、自作に関する随筆4篇を収めた作品集。

金沢の旧制高校時代を描いた自伝的小説「歌のわかれ」は、かつて金沢に住んでいたことがあって印象深かった。歌会の場面も出てくる。

金之助の「暮れよどむ街の細辻に……」が最高点の一つにはいった。彼はそのほかに、「苦しきことをこの上はわれ思はざらむ犀川の水はやけにせせらぐに」というのを出していてやはり問題になったが、「やけに」がどうかという評に対して、「いや、『やけに』なんだ!」と大声を出して一座を笑わせたりした。
安吉たちが今までやってきた歌会では、採点の最高点を得た作品から順に批評をするのが常だった。最高点のものについては、ほめるものも反対するものも総じてムキになった。そうしてそのムキになった批評のレベルが、そのまま点のあまりよくない作品にも及ぼされて行った。

中野の小説は話があちこち飛んだり回想と現在が入り混じったりして、あまり読みやすくない。その点は本人も自覚していたようで、随筆に次のように書いている。

まして私は上手な小説書きではない。批評家もそう言っていて私も認めている。ただ私は、上手下手ということを基本的なことだとは思うものの、上手でも下手でも自分のものを書きたいと思っている。(…)上手ということはこれからも学びたい。しかし下手にしろ自分のものを書きたい。

これは、どんなジャンルにおいても大切な心掛けだろうと思う。

2021年12月25日、中公文庫、1000円。

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2025年04月22日

神戸短歌祭のご案内

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4月29日(祝・火)に開催される「神戸短歌祭」で講演をします。
題は「見えないものの詠い方」。

参加費は1000円で、事前申込みは不要。どなたでも参加できます。

時間は13:00〜16:30。講演は14:10頃からの予定です。
みなさんのご来場をお待ちしております!

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2025年04月20日

伏見と仁丹看板

私の住んでいる伏見(京都市伏見区)は、もともと城下町・宿場町・港町として発展した場所で、京都とは別の町であった。

先日読んだ『京都を歩けば「仁丹」にあたる』を手掛かりに、その名残を探して歩く。


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民家の2階に設置された仁丹看板。

よく見ると「伏見区」ではなく「伏見市」新町三丁目と書いてある。


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こちらも同じく「伏見市」京町大黒町。

『京都を歩けば「仁丹」にあたる』では次のように説明されている。

 昭和になって京都市は「大京都市」をうたって周辺町村の編入を進めていく。当然のことながら伏見町も対象になった。しかし、伏見町は吸収合併ではなく、あくまで対等合併にこだわった。伏見市への昇格はそのためで、昇格からわずか700日後の1931(昭和6)年4月に伏見市は周辺の深草町や下鳥羽村などとともに編入され、広大な伏見区が誕生した。

つまり、これらの看板が設置されたのは、1929年5月(伏見市への昇格)から1931年4月(京都市への編入)までの間ということになる。

なんとも貴重な歴史の証人ではないか。

一方で、仁丹看板は年々その数を減らしているらしい。もともと古い家屋に設置されているものが多いので、建物の解体に伴って取り外されたり廃棄されたりしているのだ。

今回も本をもとに探した3枚のうちの1枚は見つからなかった。新しい家が建っていたので、おそらく取り外されてしまったのだろう。


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代わりに(?)見つけたのがこの石柱。

「桝形町」「皇紀二千六百年記念」とある。伏見を歩いていて見つかる記念碑は御大典記念(1928年)と皇紀二千六百年記念(1940年)のものが圧倒的に多い。

駐車場の角に傾いて立っているけれど、いつもまでもお元気で!

posted by 松村正直 at 17:56| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月19日

大辻隆弘『短歌の「てにをは」を読む』

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「うた新聞」2020年4月号から2024年5月号まで計50回にわたって連載された文章をまとめた本。短歌の助詞・助動詞を愛する著者が、具体的な例歌を引きながら「てにをは」の精妙な働きについて記している。

高校の国語教師として古文の文法なども教える著者であるが、そうした学校での公式的な説明を超えて、自らの経験をもとにさらに突っ込んだ話を展開している。

柊二にとって「たたかひ」は自分に関わりのない他人事ではない。同時に、その帰趨を主体的に決められる現象でもない。彼の身体は「たたかひの終りたる身」でもなく「たたかひを終へたるわが身」でもない。宙ぶらりんで、置き所のない「たたかひを終りたる身」だったのである。
「信頼」のような、「信じる」(他動詞)と「頼る」(自動詞)が混合した漢語の場合、「信」に重きを置いて助詞「を」を入れるか、「頼」に重きを置いて助詞「に」とするか、悩ましい。
現在、目の前で進行してゆく事態をどう捉えるべきなのか。現在進行形という西欧語伝来の時制表現を、従来の文語体系のなかでどう表現したらいいのか。圧倒的な西欧語の流入に際会して、近代の歌人たちは、そのような悩みのなかにいたのだろう。

50項目それぞれの題もおもしろい。

・やる気のない「て」
・憧れの「らむ」
・いまいましさの「など」
・不安の滲む「む」
・勢いの「も」
・一回性の「と」
・自己志向的な「の」

など、無味乾燥な文法の説明とは違って、実感に即した記述がなされている。長年にわたって短歌を読み、詠み続けてきた著者ならではの一冊と言っていいだろう。おススメです。

2025年3月15日、いりの舎、1800円。

posted by 松村正直 at 14:30| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月18日

別邸歌会のご案内

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関西各地のレトロな建物をめぐって、2か月に1回どなたでも参加できる歌会をしています。次回、5月31日(土)の会場は神戸市にある「ふたば学舎」。


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昭和29年に建てられた旧二葉小学校の校舎を再利用したコミュニティ施設です。


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廊下や階段など、小学校時代の雰囲気を色濃く残しています。


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歌会を行うのは2階にある「2ー4」の教室。小学校時代のままの机や椅子を使って歌会をします。懐かしい!


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場所はJR・地下鉄「新長田駅」から徒歩約13分。駅の近くには高さ約15メートルの「鉄人28号」が立ち、何ともすごい迫力です。

posted by 松村正直 at 20:56| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月17日

佐藤春夫『佐藤春夫台湾小説集 女誡扇奇譚』


1920年7月から10月にかけて三か月あまり台湾を旅した作者の書いた8篇の小説を収めた本。タイトルは「じょかいせんきたん」。

大正時代の台湾の町や原住民の姿が描かれているだけでなく、植民地政策に対する懐疑や居心地の悪さなども率直に記されていて興味深い内容となっている。

日月潭は海抜約二千二三百尺だから、一たん日月潭におびきよせた水を、そこから一度に下へきって落す。即ち落差が二千二三百尺。その人工の滝を動力にして電力を起す。世界でも珍しい工事で、たった一つスイスの山中に適例がある。
惜しいことに、晴れの蕃衣の下にメリヤスを――しかも最新の奴を着込んでいる。メリヤスなど着ているのは老区長とこの若者だけだ。ここではメリヤスは宝に違いない。しかし、このメリヤスを着込んでなきゃ、私はこの若者を怖ろしく思ったろう。
胡蘆屯とは言わば瓠(ひさご)が丘とでも訳すべき面白い地名なのだが近く役人共の猿智恵で豊原と改称される筈になっているという。車室に落ちつく間もなくA君はもう議論すきを発揮して駅名改称可否論を論題に持ち出したものである。

新宮出身の佐藤春夫が大逆事件で処刑された大石誠之助を悼んで「愚者の死」という詩を発表したことは有名だが、この本にも大逆事件を思わせる記述がある。

私は或る文明国の政府が、当時の一般国民の常識とややその趣を異にした思想――それによって一般人類がもっと幸福に成り得るという或る思想を抱いていた人々を引捉えて、それを危険なる思想と認めて、屢々その種の思想家を牢屋に入れ、時にはどんどん死刑にしたのを見聞したこともある。

昨年今年と2回新宮へ行ったこともあり、急に佐藤春夫に興味が湧いてきた。現在移転のため休館中の佐藤春夫記念館がリニューアルオープンしたら、また新宮に行ってみよう。

2020年8月25日、中公文庫、1000円。

posted by 松村正直 at 23:25| Comment(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月15日

樺山聡『京都を歩けば「仁丹」にあたる』


副題は「町名看板の迷宮案内」。

2009年に「仁丹のある風景」という評論(『短歌は記憶する』所収)を書いて以来、仁丹の広告が気になっている。

京都の町には仁丹の広告入りの町名看板が今も数多く残っていて、それに関心を持つ人々が「京都仁丹樂會」を結成して調査・研究を続けている。

京都仁丹樂會がこれまでに存在を確認した琺瑯約1550枚のうち、95%以上が「上京區」と「下京區」の表記だった。これは何を物語っているのか。琺瑯「仁丹」のほとんどは京都市が上京区と下京区の2区しかなかった時代に設置された。
現在の地図と昭和4年の地図を見比べるとよく分かる。戦後、堀川通が「建物疎開」の跡地を利用して整備された際、段階的に拡幅する中で、並んで南北に走る醒ヶ井通や西中筋通を、広い歩道として飲み込んでいた。つまり「仁丹」は。大通りに吸収されて、その名が消えてしまった小通りの記憶をしっかりと刻み込んでいるのだった。
現在の町名は「北区紫野十二坊町」だが、かつて「鷹野」と呼ばれていた時期があることも示す。興味深い異色の1枚になっている。消えた地名を今に伝えるのも「仁丹」の魅力の一つと言える。

「仁丹」の町名看板から、明治・大正・昭和の京都の町のさまざまな歴史が見えてくる。区名・町名の変更や道路の拡幅・移動などを伝える証拠にもなっているのだ。

2023年12月1日、青幻舎、1800円。

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2025年04月14日

川野里子対話集『短歌って何?と訊いてみた』


川野里子と15名のゲストとの対話を収めた一冊。

登場するゲストは、納富信留(哲学・西洋古典学者)、サンキュー・タツオ(日本語学者・芸人)、岩川ありさ(現代日本文学研究者)、伊藤比呂美(詩人)、井上弘美(俳人)、堀田季何(歌人・俳人)、村田喜代子(小説家)、三浦しをん(小説家)、宮下規久朗(美術史家)、新見隆(キュレーター)、三浦佑之(日本文学者)、品田悦一(万葉学者)、木村朗子(日本文学研究者)、赤坂憲雄(民俗学者)、高野ムツオ(俳人)。

「歌壇」5月号に書評を書いたので、ここでは印象に残った発言を備忘のために記しておくだけにする。

我々は普通、韻文は人工的で散文が自然だと思ってる。だけど歴史的には逆で、他の文化圏もだいたい同じですが、最初文学が生まれるのは韻文なんですね。(納富信留)
いいネタだけど、この人じゃなくても成り立つと思われたらそれはよくなくて、多少雑でもその人でなきゃいけないもののほうがずっと面白い。(サンキュータツオ)
身体や感情を消すことが戦争への言葉の参加だったんだと思います。だから戦争が終わったときにまず言葉がやったことが身体を取り戻すということ。(川野里子)
伝統派は比喩としては使わないんですよ。比喩的に用いた時には季語として働かないからです。(井上弘美)
私は、近代以降の俳句も短歌も純粋な伝統詩だとは考えていないのです。欧米の詩と融合したと思っています。(堀田季何)
西洋ではヌード彫刻は外にはない。あれは日本特有の現象で、駅前に裸像があるのを見て西洋人はびっくりするんです。ヌードを西洋文化そのものだと思って愚直に増殖させてしまったのが日本の近代で、これは大きな誤解です。(宮下規久朗)
山陰道は京都山城から丹後を通って西へ行く。山陰と北陸は直接はつながっていないんです。近代の鉄道ができても北陸本線と山陰本線を乗り換えようとしたら一旦、京都に出ないといけない。(三浦佑之)
言葉は人間が生んだものだけれども、その人間をも全て制してしまう力がある。特に文字に書かれた言葉の力ですね。スペインがかつての大帝国時代を築き上げることができたのもスペイン語という言葉の力です。(高野ムツオ)

どの対話も刺激的で面白い。おススメです。

2025年1月23日、本阿弥書店、2500円。

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2025年04月13日

旧前田家本邸

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旧前田家本邸の洋館。

旧加賀藩主前田家の居宅として1929年に建てられたもの。重要文化財。玄関前には車寄せがある。現在の駒場公園は戦前はすべて前田家の敷地であった。


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1階の「第一応接室」。


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階段下にある「イングルヌック」(炉隅の小スペース)。


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2階へのぼる「大階段」。


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2階の「寝室」。


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2階の「書斎」。


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南側の芝庭から見るとこんな感じ。
桜がまだ咲いていた。

この洋館と渡り廊下でつながって和館もある。どちらも見学は無料なのでおススメです。

posted by 松村正直 at 18:32| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月12日

駒場

東京の「駒場」周辺は10代から20代にかけて約10年間、通ったり住んだりしたことがあるので懐かしい場所である。


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岡本太郎の壁画「明日の神話」。
渋谷駅の連絡通路にある。

渋谷から駒場へは井の頭線に乗ってもいいのだけれど、せっかくなので歩くことにする。距離にして2キロくらいか。


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駒場池(通称、一二郎池)。

大学のキャンパスの外れにひっそりとたたずむ池。有名な本郷の「三四郎池」をもじって「一二郎池」と呼ばれている。1・2年生は駒場、3・4年生は本郷に通うので、ぴったりのネーミングだ。

昔はもっと鬱蒼とした感じで人の寄りつかない場所だったけれど、今は遊歩道も整備されて少しきれいになっている。でも、人通りはほとんどない。


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日本近代文学館。

ここが今回の目的地。近代文学関係の資料を収集・保存するため1967年に開館した施設で、駒場公園の中にある。


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2階の展示室では「北原白秋生誕140年 白秋万華鏡」展が開催されていた。

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2025年04月11日

東京から

東京から帰ってきました。

行きは夜行バスで帰りは新幹線。
夜行バスは新幹線の3分の1の値段だ。

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2025年04月10日

東京へ

東京と神奈川に行ってきます。

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2025年04月09日

啄木の「半日」評

啄木が「スバル」で鷗外の「半日」を読んだときの感想が1909(明治42)年の日記に残されている。一昨日「半日」について書いたときに記し忘れたので書いておく。

三月八日 月曜
 スバル三号とゞいた。森先生の(半日)を読む。予は思つた、大した作では無論ないかも知れぬ。然し恐ろしい作だ――先生がその家庭を、その奥さんをかう書かれたその態度!

啄木は作品の出来よりも、家庭生活を克明に描いた鷗外の態度に感銘を受けている。それは、どこまで赤裸々に描けるかという問題が啄木にとっての関心事であったからだ。

この約1か月後の4月7日から、啄木の「ローマ字日記」が始まる。啄木のもっとも赤裸々な作品と言っていいだろう。

posted by 松村正直 at 14:20| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月08日

赤嶺淳『鯨を生きる』


副題は「鯨人の個人史・鯨食の同時代史」。

捕鯨や鯨肉販売、鯨料理店などクジラに関する仕事に携わってきた6名の方々への聞き書きを中心に、日本における捕鯨や鯨食の歴史を記した本。クジラに関してさまざまな角度から理解を深めることのできる内容になっている。

北洋におけるサケ・マス漁、カニ漁や南洋におけるカツオ漁同様に、捕鯨は日本の水産業の近代化を語るうえで無視できない産業である。北洋にしろ、南洋にしろ、南氷洋にしろ、それらはいわゆる手つかずの「フロンティア」漁場だったのであり、そこに経済的要因と軍事的動機がかさなり、国策的に大資本が投入され、開拓が促進された。
わたしは鯨で育ったようなものです。鮎川では、タンパク源といえば、鯨でした。カレーライスも、鯨肉と鯨の皮でした。(和泉諄子)
昭和四一(一九六六)年のソーセージの場合です。原料は、鯨が三五%、鮪が五%、カジキが五%、鱶が一〇%、それから底引きのものが二〇%で、アジが二五%でした。(常岡梅男)
一般に「家庭用マーガリン」の原料が動物性油脂から植物性油脂に切りかえられるようになったのは一九六〇年代半ばとされている。(…)わざわざ「純植物性」を強調するあたりは、暗にそうではないマーガリン――鯨油入りマーガリン――の存在を想起させる。

戦後の鯨食と言うと、給食で出た鯨の竜田揚げの話ばかりが取り上げられるが、実はマーガリン(鯨油)や魚肉ハム・ソーセージ(鯨肉)の形でも、大量のクジラが消費されていたのであった。

2017年3月1日、吉川弘文館、1900円。

posted by 松村正直 at 19:16| Comment(0) | 鯨・イルカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月07日

森鷗外「半日」

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森茉莉『父の帽子』や朝井まかて『類』を読んで、森鷗外の短篇「半日」が読みたくなった。

私達は、父の小説の中の一つによって永遠に、「狂人染みた女から生れた系族」という感じを受け、永遠にそれに纏わられて生きて行かなくてはならない。
/森茉莉『父の帽子』
「あれだけは全集に収めないでおくれ。どうか、私の遺言だと思って」
「わかってるよ」
 そう言えど母はこだわり続ける。(…)
「お母さん、約束する。『半日』は載せさせない」
/朝井まかて『類』

「半日」は青空文庫にも入っているが、やはり紙で読みたい。全集を借りるのも面倒だなと考えていたら、初出の「スバル」1909年3月号の復刻版が家にあることに気づいた。早速、読む。

おもしろい。

「半日」は嫁姑の不仲とそれに端を発する夫婦喧嘩を描いた作品である。鷗外と妻の志げ、母峰子がモデルになっている。

或る冬の午前の家の中の様子が丁寧に細かく記されている。小説としての出来はいいと思う。

もちろん、志げにとっては愉快でなかっただろう。小説は小説であって、現実そのままではない。でも、「半日」の奥さんの描写は印象的で、それが志げのイメージを決定づけてしまったのだ。

posted by 松村正直 at 21:55| Comment(0) | 森鷗外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月06日

川原繁人『日本語の秘密』


言語学者の著者と「ことばのプロ」である四人との対談集。対談相手は、俵万智(歌人)、Mummy-D(ラッパー)、山寺宏一(声優)、川添愛(言語学者・小説家)。

言語学も「人間とは何か」の解明を究極的な目標としてかかげています。言語の分析を通して、「ヒト」という生物学的な種について洞察を得る――これは、現代言語学に通底する信念です。
 今、短歌は目で読むことに重心が傾いている。でも短歌は本来的には声に出して、耳で聞かれていたものです。「歌」というくらいですから。文字もない時代から人々は聴覚を頼りに歌を詠み、聴いてきました。
M たとえば「半端ないぜ」と「have a nice day」という言葉を揃えてみる。日本語の「はん」を圧縮して一音節とし、「ない」も1音節に押し込める。すると、「はん」「ぱ」「ない」「ぜ」の4音節にまで密度を高められる。「have a nice day」と同じ音節数です。
山寺 声作りをする上で大事なのはキャラクターのビジュアルと声の一体感です。「このきゃらならばこの声しかありえない」とうくらいまで登場人物と声のマッチングを考え抜きます。
川添 「タピる」という言葉には、「私は『タピる』という表現を使う側の人間なんですよ、つまり若い世代の人間なんですよ」というニュアンスが含まれていますよね。(…)自分のアイデンティティの表明や他人との関係性の匂わせをしている。

いろいろな角度から日本語が論じられていて面白い。

川原 子音も母音も駆使して独特の響きをもたらすという手法は、短歌もラップも同じです。先入観なく日本語ラップと短歌を客観的に比較したら、このふたつはそこまでかけ離れた表現方法ではない。

これを読んで思い出したのは、川村有史の歌集『ブンバップ』。韻をかなり重視した歌集であった。
https://matsutanka.seesaa.net/article/503860696.html

2024年2月20日、講談社現代新書、900円。

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2025年04月05日

明星研究会「与謝野寛・晶子を偲ぶ会」

5月17日(土)に第19回明星研究会「与謝野寛・晶子を偲ぶ会」が行われます。今回のテーマは「Beyond Meiji ―平出修・山川登美子・石川啄木」。若くして亡くなった3名の文学者について考えます。

私も「評論・詩・短歌から読み解く啄木晩年の思想」という題で講演します。啄木の晩年におけるクロポトキンからの影響について主に話す予定です。

参加費は2000円。会場(武蔵野商工会議所「市民会議室」)とZoomの両方あります。ご興味のある方はぜひ!

https://www.myojo-k.net/

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2025年04月04日

住吉カルチャー&フレンテ歌会

10:30〜12:30、神戸市東灘区文化センターで「住吉カルチャー」。参加者は14名。前半は小原奈実歌集『声影記』を取り上げて話をして、後半は1人一首の歌の批評・添削など。

昼食を挟んで13:00から同じ場所で第89回「フレンテ歌会」。参加者は14名。自由詠+題詠「接続詞の入った歌」の計36首について議論した。17:00に終了。

その後、近くの「かごの屋」に行き、食事&お喋りをして19:00過ぎに解散。

「住吉カルチャー」は参加者募集中。「フレンテ歌会」についても、興味のある方はご連絡ください。会場はJR住吉駅のすぐ近くです。

posted by 松村正直 at 23:06| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月03日

今井恵子『短歌渉猟 和文脈を追いかけて』


「短歌研究」2017年1月号から2019年6月号まで計28回連載された文章と評論「短歌における日本語としての「われ」の問題」を収めた評論集。

短歌の話だけでなく、音楽や美術、時事的な話題なども取り込みながら、幅広く短歌や日本語について論じている。短歌を通して考える日本語論、日本文化論といった内容だ。

鳥の目の司会者と蟻の目の司会者がいる。鳥の目の司会者は時間配分が上手く、公平で軽快、バランスがいい。蟻の目の司会者は、重要な問題に立ち止まって深めることに長けている。(…)優れた進行は、適宜往き来して両方を使い分けている。
近代文学史を考えるとき、わたしたちは新しく加わったもの、前代になかったものに注目し、その輝きを時代のものとして称賛するのが一般的である。(…)明治三十年前後の短歌潮流の変動の中で、一葉の歌が「旧派」のそれとして、ほとんど顧みられなかったのも頷ける。
読者は、並べられた言葉の順番から逃れられない。短歌一首でいえば、初句を読むときに結句に目を走らせるということは出来なくなる。否が応でも、作者が指定した順番通りに言葉を辿る。
洋服と着物の大きな違いは何か。端的に言えば、洋服はクローゼットにぶら下げておき、着物は畳んで箪笥にしまうことだろう。(…)洋服は、着る人の体形に合わせて服地を立体的に縫い合わせてあるから、平面に還元するのが難しく、着物はもともと平面でできているものを人体に纏って使うからである。
アンコールワットの回廊を、外側から内側へと数えることは、国内の神社を参拝するときに潜る鳥居を、神殿に遠いところから、つまり参拝者からみて手前から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と数える私たち日本人にとって、自然なことである。しかし、西洋では、数える順番が逆転するらしい。

読んでいて楽しい評論集である。示唆に富む話が次々と出てくる。話題はあれこれ移ったり、ぐるぐる廻ったりするのだが、読者も著者の思考に寄り添って一緒に迷路を歩んでいるような気がしてくる。

タイトルに使われている「和文脈」について、著者は「日本語が内包する生理と、短歌形式が生み出す時空を指し示す用語」と定義したうえで、

作歌するとき、モノやコト、また対立や違和や異物、訳の分からない不気味というような夾雑物を排し収斂してゆくと、どこかの時点で、ドアがぱたりと閉まるように、外界・他者・社会・抵抗・疑問などの摩擦のない自己閉塞世界へ入ってしまう。

と記している。そうした閉塞した世界に入らないためにも、考えながら書き、書きながら考える、行きつ戻りつするようなスタイルがこの本には必要だったのだろう。

2024年10月10日、短歌研究社、3000円。

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2025年04月02日

雑詠(048)

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石垣に立て掛けられて三組の大中小の上履きならぶ
ですますを崩すことなく話すひと見えない傷のほうが深くて
かき小屋に行こうっていう約束はもう光らない冬空のそこ
たそがれの町に死体を売りにゆく三体七百円の安さで
トイレへとだれか立つたび席順が奥へ奥へとうつる居酒屋
双子だから何でもわかると言うけれど春には白いゆうぐれもある
百五十八段。息を整えてわたしは祈るわたしのことを

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2025年04月01日

小原奈実歌集『声影記』

著者 : 小原奈実
港の人
発売日 : 2025-01-30

「本郷短歌」「穀物」などに参加していた作者の第1歌集。

剝かれたる梨のあかるさ身のうちに蜜をとどむるちから満ちつつ
読み終へし手紙ふたたび畳む夜ひとの折りたる折り目のままに
犬飼ふを勧められたる夕べよりしづけさはしなやかに尾を振る
鳥去りて花粉散りたる花の芯ながく呼吸をととのへてゐる
触るるなく見てゐしもののひとつにて海は合掌のごとく暮れゆく
魚跳ねてうをちひさきを また跳ねてみづのふかきを港におもふ
鉄橋とすすきまじはる川辺より四肢冷えきつて立ち上がりたり
風みえて欅散りをり木版のごとくかするる西陽のうちを
窓鎖して朴の花より位置高く眠れり都市に月わたる夜を
くちなしの香るあたりが少し重く押しわけて夜のうちを歩めり
日暮れにはまだ時ありて蜂は音、蝶は影とぶあざみのめぐり
胸骨を手放す時刻 頭(づ)を垂れて生への門を閉ざせる時刻
揚雲雀喉ひらくとき体内にひとすぢ初夏の陽は至りゐむ
はるかに曳かれゆきたるごとく雪の上(へ)に累々と人の跡つらなりぬ
みづからの顔をおほかた裂きながら青鷺は大き魚のみくだす

1首目、果汁をたっぷり含む梨のみずみずしさ。後半タ行音が響く。
2首目、相手の人が紙を折ったときの手の動きが見えてくるようだ。
3首目、まぼろしの犬の尾の動きだけが部屋に存在しているみたい。
4首目、乱暴者(?)の鳥が去った後に花が平常心を取り戻すまで。
5首目、「合掌のごとく」が印象的。海の存在感の大きさと祈りと。
6首目、最初は魚にだけ目が行ったが次は海の深さが思われたのだ。
7首目、「四肢冷えきつて」に長い時間しゃがんでいた実感がある。
8首目、葉が散ることで風の筋が見える。ざらっとした西陽の感じ。
9首目、マンションの部屋だろう。人工物と自然との対比的な構図。
10首目、三句を字余りにしたことでリズムも「少し重く」なった。
11首目、「蜂は音」「蝶は影」の対句が鮮やか。本体でないもの。
12首目、医療現場を詠んだ一連から。心臓マッサージを終える時。
13首目、雲雀の体に差す一筋の光。レントゲン写真を見るみたい。
14首目、ただの足跡なのにまるで囚人の列が過ぎて行ったようだ。
15首目、語順がいい。餌を捕る動きが迫力をもって伝わってくる。

2025年2月3日、港の人、2200円。

posted by 松村正直 at 17:04| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする