2025年03月12日

滝本賢太郎歌集『月の裏側』


「まひる野」所属の作者の第1歌集。

近代と呼ばれて冷ゆる美術史の空より鮭が吊るされている
帰らなくていいのかと問えばいいと言う死にたるひとの娘の声が
両岸にはしゃぐ男女をちりばめてネッカー川はひと房の夏
鯉の吐く泥より重く眠ってた旅の終わりの特急のなか
秋深き動く歩道で動かずに駅の終わりに着くまで話す
黒瑪瑙(オニキス)のカフスを通し冬立てば清しきまでに冷たしシャツは
フラミンゴの首をゆっくり締め上げる心でほうれん草絞るべし
殉国の碑をたちまちに黒く染め首都のはずれを驟雨は駆ける
触れたれば感電死してしまうだろう白梅は花あんなにつけて
川魚ひっそりと売る商店を見つけたり、きっと買うことはないが

1首目、高橋由一の「鮭」だろう。近代の洋画の出発となった作品。
2首目、留学中に祖母が亡くなった場面。母である以上に娘なのだ。
3首目、葡萄の房を思い浮かべた。短い夏を楽しむドイツの人たち。
4首目、もう家に帰るだけとなってどっと疲労感が押し寄せてくる。
5首目、少しでも長く相手と話をしていたいという心境なのだろう。
6首目、初句の表記が秀逸。季節感と身の引き締まる感じが伝わる。
7首目、茹でたほうれん草の絞り加減。上句の嗜虐性が印象に残る。
8首目、三句の「黒く染め」が戦争や殉国者のイメージとつながる。
9首目、語順に工夫がある。梅の枝ぶりや花の付き方のバチバチ感。
10首目、四句の途中で句割れして文語から口語に転ずるのがいい。

2025年2月26日、六花書林、2500円。

posted by 松村正直 at 21:15| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする