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父に会うためにだけ来るあざみ野に橋ありそば屋あり幼稚園あり
年老いた警備員ふたりぶらんことベンチに座り昼のめし食う
ひろばには迷子の声が泣くばかりからくり時計は調整中で
台風の逸れた団地の父の部屋 弁当のふたに小蠅がとまる
おしぼりで濡れたグラスの跡をふく心がひらき過ぎないように
のぼり坂は近くに見えて歩いても歩いても着かず給水塔に
待ち合わせのため停車するたそがれの丹波橋駅に住むおばあさん
*******************************
2024年09月30日
2024年09月29日
上田三四二の歌碑(その2)
続いて、JR宇治駅から徒歩10分ほど、宇治橋の近くにある放生院(通称:橋寺)へ。京阪宇治駅からだと徒歩2分くらい。

門の前の通りは大勢の観光客で賑わっているが、境内にはほとんど人がいない。ひっそりと静まり返っている。

1982年の歌会始の題「橋」に応じて詠まれた歌で、第5歌集『照徑』に収められている。碑を見ると濁点は省かれ、結句の「かねき」は万葉仮名で「賀祢吉」と刻まれている。
この歌碑の近くに、宇治橋の由来を記した「宇治橋断碑」(重要文化財)が立っている。東屋のようなものの中に入っているが、見学料500円を納めると鍵を開けて中を見せてもらえる。
写真撮影は不可だが、住職さんがとても詳しく解説してくださるのでおススメです。
大化2年(646年)に宇治橋が架けられた由来を記した石碑で、よく見ると2つに割れている。上側の約3分の1が建立当初のもので、下側の約3分の2は江戸時代に補われたものとのこと。
に始まる96文字が刻まれ、宇治川の流れの速さと人々の渡る苦労、そして橋の完成を喜ぶ思いが記されている。
上田三四二もこの碑を見て、かつての宇治川の光景に思いを馳せたのであった。
門の前の通りは大勢の観光客で賑わっているが、境内にはほとんど人がいない。ひっそりと静まり返っている。
橋寺にいしぶみ見れば宇治川や大きいにしへは河越えかねき
1982年の歌会始の題「橋」に応じて詠まれた歌で、第5歌集『照徑』に収められている。碑を見ると濁点は省かれ、結句の「かねき」は万葉仮名で「賀祢吉」と刻まれている。
この歌碑の近くに、宇治橋の由来を記した「宇治橋断碑」(重要文化財)が立っている。東屋のようなものの中に入っているが、見学料500円を納めると鍵を開けて中を見せてもらえる。
写真撮影は不可だが、住職さんがとても詳しく解説してくださるのでおススメです。
大化2年(646年)に宇治橋が架けられた由来を記した石碑で、よく見ると2つに割れている。上側の約3分の1が建立当初のもので、下側の約3分の2は江戸時代に補われたものとのこと。
浼浼横流 其疾如箭
(べんべんたるおうりゅう そのはやきことやのごとし)
に始まる96文字が刻まれ、宇治川の流れの速さと人々の渡る苦労、そして橋の完成を喜ぶ思いが記されている。
上田三四二もこの碑を見て、かつての宇治川の光景に思いを馳せたのであった。
2024年09月28日
上田三四二の歌碑(その1)
上田三四二の歌碑めぐり。
まずは、JR奈良線の山城青谷駅(京都府城陽市)へ。自宅の最寄駅から普通電車で約30分。
駅の東口を出てすぐの所に歌碑があるはずなのだが、新たに周辺が整備されたようで見当たらない。駅近くの公民館で尋ねると、西口に移されたということであった。

というわけで、閑散とした西口の方に現在は設置されています。

第1歌集『黙契』の歌で、当時三四二は青谷梅林近くの旧国立京都療養所(現・国立病院機構 南京都病院)で働いていた。
梅林や病院は駅の東口方面にあり、そちらの方が商店もあって賑わっているので、歌碑も本当は東口にある方が良いのだけれど。
結句の「つ」が左下の「三四二のうた」の近くにあって、最初は何か汚れが付いているのかと思ってしまった。
まずは、JR奈良線の山城青谷駅(京都府城陽市)へ。自宅の最寄駅から普通電車で約30分。
駅の東口を出てすぐの所に歌碑があるはずなのだが、新たに周辺が整備されたようで見当たらない。駅近くの公民館で尋ねると、西口に移されたということであった。
というわけで、閑散とした西口の方に現在は設置されています。
満ちみちて梅咲ける野の見えわたる高丘は吹く風が匂ひつ
第1歌集『黙契』の歌で、当時三四二は青谷梅林近くの旧国立京都療養所(現・国立病院機構 南京都病院)で働いていた。
梅林や病院は駅の東口方面にあり、そちらの方が商店もあって賑わっているので、歌碑も本当は東口にある方が良いのだけれど。
結句の「つ」が左下の「三四二のうた」の近くにあって、最初は何か汚れが付いているのかと思ってしまった。
2024年09月27日
「短歌往来」2024年10月号
近年の短歌雑誌は残念なことに、自由なテーマの評論を書く場がどんどん減っている。その中にあって「短歌往来」には「評論シリーズ 21世紀の視座」というコーナーがあり、7ページという分量の評論が毎号のように載っている。これは特筆に値することだと思う。
今月号掲載の白川ユウコの評論「「少女の友」というSNS」も面白かった。
1908年創刊の雑誌「少女の友」(実業之日本社)の昭和10年代の投稿欄の短歌を取り上げ、投稿者同士の交流が盛んだったことや戦前にも口語を用いた印象的な作品があることを指摘している。また、三國玲子や田辺聖子の投稿歌も紹介されていて興味深い。
以前、評伝『高安国世の手紙』を書いた時に、同じ実業之日本社の「日本少年」の投稿欄を調べたことがあった。高安も熱心な投稿者だったのである。そして、高安もまた投稿仲間と親しい関係を持つようになるのであった。
今月号掲載の白川ユウコの評論「「少女の友」というSNS」も面白かった。
1908年創刊の雑誌「少女の友」(実業之日本社)の昭和10年代の投稿欄の短歌を取り上げ、投稿者同士の交流が盛んだったことや戦前にも口語を用いた印象的な作品があることを指摘している。また、三國玲子や田辺聖子の投稿歌も紹介されていて興味深い。
以前、評伝『高安国世の手紙』を書いた時に、同じ実業之日本社の「日本少年」の投稿欄を調べたことがあった。高安も熱心な投稿者だったのである。そして、高安もまた投稿仲間と親しい関係を持つようになるのであった。
2024年09月25日
講座「没後35年 上田三四二の短歌を読む」
10月6日(日)14:00〜15:30、毎日文化センター(大阪)&オンラインで、講座「没後35年 上田三四二の短歌を読む」を行います。
昭和を代表する歌人である上田三四二の歌を、今あらためて読み直します。みなさん、ぜひご参加ください!
https://www.maibun.co.jp/course-detail?kouzainfo_id=272
昭和を代表する歌人である上田三四二の歌を、今あらためて読み直します。みなさん、ぜひご参加ください!
https://www.maibun.co.jp/course-detail?kouzainfo_id=272
兵庫県に生まれ京都帝国大学を卒業した上田三四二(1923-1989)は、昭和を代表する歌人として知られるほか、医師、小説家、文芸評論家としても活躍しました。二度の大病を経て命を見つめる深いまなざしを持ち、
ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
つくられし尿管に湧く水のおとさやけきあきの水音ひびく
など、平明で奥深い数々の歌を残しました。没後35年を迎える今年、上田作品をあらためて読みながら、短歌のあり方について考えてみたいと思います。
2024年09月24日
実作と評論
歌人には歌を詠むだけの人と、実作と評論の両方をする人がいる。「実作と評論は車の両輪」という考えがある一方で、評論が注目を浴びることは少ない。
ユーモアのある歌だが、多くの歌論を書き評論集を出してきた奥村さんの歌だけに、胸を打つものがある。評論は書いても書いても報われなかったという思いがあるのではないだろうか。(オンライン講座で直接ご本人に尋ねたところ、実作の奥深さを言っただけとおっしゃっていたけれど)
先日読んだ本居宣長『うひ山ぶみ』にも、この問題が記されていた。
このように書きながら、宣長もまた『排蘆小船』『石上私淑言』など歌論を多く著した人なのであった。
論作両輪を努めてきたが結局は歌だな歌だ歌人は歌だ
奥村晃作『蜘蛛の歌』
ユーモアのある歌だが、多くの歌論を書き評論集を出してきた奥村さんの歌だけに、胸を打つものがある。評論は書いても書いても報われなかったという思いがあるのではないだろうか。(オンライン講座で直接ご本人に尋ねたところ、実作の奥深さを言っただけとおっしゃっていたけれど)
先日読んだ本居宣長『うひ山ぶみ』にも、この問題が記されていた。
歌学のかたよろしき人は、大抵いづれも、歌よむかたつたなくて、歌は、歌学のなき人に上手がおほきもの也。こは専一にすると然らざるとによりて、さるどうりも有るにや。
歌学の方は大概にても有るべし。歌よむかたをこそ、むねとはせまほしけれ。歌学のかたに深くかかづらひては、仏書・からぶみなどにも広くわたらでは事たらはぬわざなれば、其中に無益の書(ふみ)に功(てま)をつひやすこともおほきぞかし。
このように書きながら、宣長もまた『排蘆小船』『石上私淑言』など歌論を多く著した人なのであった。
2024年09月23日
御香宮神能
18:30から御香宮神社の能舞台で開催された「御香宮神能 ―蠟燭能−」を観た。
20:45に終了。外国人の方も含め、200席ほどの会場が満席だった。
狂言のやり取りはドリフのコントに似ていて面白い。話している言葉の意味もほとんどわかる。
能を観ていて思い出したのは「男はつらいよ」。諸国をめぐる寅さんは、能のワキのような存在なのかもしれない。
・仕舞 葵上 (浦田保浩)
須磨源氏 (大江信行)
・狂言 察化 (茂山千五郎ほか)
・能 半蔀 (杉浦豊彦ほか)
20:45に終了。外国人の方も含め、200席ほどの会場が満席だった。
狂言のやり取りはドリフのコントに似ていて面白い。話している言葉の意味もほとんどわかる。
能を観ていて思い出したのは「男はつらいよ」。諸国をめぐる寅さんは、能のワキのような存在なのかもしれない。
2024年09月22日
父と過ごす時間
84歳の父は神奈川県でひとり暮らしをしている。
父の家に泊まったついでに、父の生い立ちや親族や仕事のことなど1時間ばかり話を聞いてみた。最初はぽつりぽつりという感じだったが、だんだんと記憶が甦ってきたのか、自分から積極的に話をしてくれた。
父と母は私が高校2年の時に離婚した。それ以前も父とは仲が悪かったので、父については知らないことが多い。今回はじめて知ったこともいくつかあった。
父の生い立ちは複雑だ。父の生母は昭和20年、父が5歳の時に結核性の腹膜炎で亡くなった。ほとんど記憶にないらしい。その後、消防士だった祖父は2人の後妻を迎えた(1人目はすぐに離婚)。
父はもともと兄・姉・弟がいて4人きょうだいだったが、それ以外に義母の連れ子が2人と、新たに生まれた異母きょうだいが2人、全部で8人の子がいた。(後に祖父は2人目の後妻とも離婚する)
「オレみたいに複雑な生まれの人もあまりいないでしょ」
中学卒業後、父は集団就職で東京に出てきて、業務用冷蔵庫の製造・販売・修理の会社で働き始める。二十数年働いたところで会社が倒産(私が小学生の頃)、関連会社に勤めたものの、そこも業務縮小により解雇された。
その後、企業のメール便配送の仕事をして、最後は養護学校の送迎の運転手を80歳まで勤めた。15歳から80歳まで実に65年間も働いてきた人生だったわけだ。
「だから、働き過ぎたんだよね」
父は体調がよくなったら、もう何年も行っていない両親の墓参りに行きたいらしい。また、施設に入っている姉にも会いに行きたいようだ。何とかしてあげたいと思うけれど、現状ではなかなか難しい。
父の家に泊まったついでに、父の生い立ちや親族や仕事のことなど1時間ばかり話を聞いてみた。最初はぽつりぽつりという感じだったが、だんだんと記憶が甦ってきたのか、自分から積極的に話をしてくれた。
父と母は私が高校2年の時に離婚した。それ以前も父とは仲が悪かったので、父については知らないことが多い。今回はじめて知ったこともいくつかあった。
父の生い立ちは複雑だ。父の生母は昭和20年、父が5歳の時に結核性の腹膜炎で亡くなった。ほとんど記憶にないらしい。その後、消防士だった祖父は2人の後妻を迎えた(1人目はすぐに離婚)。
父はもともと兄・姉・弟がいて4人きょうだいだったが、それ以外に義母の連れ子が2人と、新たに生まれた異母きょうだいが2人、全部で8人の子がいた。(後に祖父は2人目の後妻とも離婚する)
「オレみたいに複雑な生まれの人もあまりいないでしょ」
中学卒業後、父は集団就職で東京に出てきて、業務用冷蔵庫の製造・販売・修理の会社で働き始める。二十数年働いたところで会社が倒産(私が小学生の頃)、関連会社に勤めたものの、そこも業務縮小により解雇された。
その後、企業のメール便配送の仕事をして、最後は養護学校の送迎の運転手を80歳まで勤めた。15歳から80歳まで実に65年間も働いてきた人生だったわけだ。
「だから、働き過ぎたんだよね」
父は体調がよくなったら、もう何年も行っていない両親の墓参りに行きたいらしい。また、施設に入っている姉にも会いに行きたいようだ。何とかしてあげたいと思うけれど、現状ではなかなか難しい。
2024年09月21日
短歌研究三賞授賞式
2024年09月20日
本居宣長『うひ山ぶみ』
白石良夫の全訳注と解説付。
「詮ずるところ学問は、ただ年月長く…」の部分を高校の古典で習って以来の『うひ山ぶみ』を手に取ったのには、2つの理由がある。
一つは国学や本居宣長に関心を持つようになったこと。もう一つは、阿木津英『短歌講座キャラバン』ですすめられていたからである。そこには、
ああ生きていてよかったと思うような書物に、まれに出会うことがある。(…)本居宣長の『うひ山ふみ』は、そんな書物の一冊だった。
とあった。
実際に読んでみて(本文自体は短く、解説や注や訳文の方が多い)、確かに良い本であった。宣長が柔軟な考えの持ち主であることもよくわかった。原文も読みやすい。
才のともしきや、学ぶことの晩(おそ)きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて止(や)むことなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば出来るものと心得べし。
文義の心得がたきところを、はじめより一々解せんとしては、とどこほりてすすまぬことあれば、聞えぬところは、まづそのままにて過すぞよき。
歌仙といへども、歌ごとに勝れたる物にもあらざれば、たとひ人まろ・貫之の歌なりとも、実(まこと)によき歟(か)あしき歟を考へ見て、及ばぬまでも、いろいろと評論をつけて見るべき也。
解説や注も丁寧で、宣長のことをいろいろと知ることができる。
『古事記』『日本書紀』の評価が逆転し、神話、国の始まりといえば『古事記』、という今日のイメージが定着するのは、じつに宣長の業績によってである。
古学は、古典の実証的研究であると同時に、和歌をはじめとする創作活動における、古典主義文学運動でもあったのである。
だんだんと宣長が身近な人になってきた気がする。
2009年4月13日第1刷、2023年6月5日第12刷。
講談社学術文庫、930円。
2024年09月19日
オンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」

次回のオンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」は、10月16日(水)19:30〜21:00の開催です。
ゲストは吉川宏志さん(「塔」主宰)、テーマは「直喩と暗喩、比喩のさまざま」です。
今年歌集『叡電のほとり』を刊行し、比喩の巧さに定評のある吉川さんをお迎えして、直喩や暗喩についてじっくりと語り合います。
どうぞお楽しみに!
https://college.coeteco.jp/live/8qz4clrq
2024年09月18日
「ぬえ的」をめぐって
以前、土屋文明が短歌の言葉は文語でも口語でもなく、新旧取りまぜで「ぬえ的」なものだと論じた話をブログに書いたことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/425594195.html
今日、江戸後期の国学者石原正明の『年々随筆』巻二 にこれとほとんど同じ話が載っていることを知った。
「頼政の卿の射たりけむ怪鳥」=ぬえ、である。
古い言葉と新しい言葉の混在について、文明が「悪くいえばぬえ的、よくいえば両者の長を取った新しい一つの領域というもの」と肯定的に捉えているのに対して、石原は「みぐるしきわざならずや」と否定的だ。
そうした違いはあるけれど、ぬえに喩える点では約150年の時を隔てて共通しているのが面白い。
https://matsutanka.seesaa.net/article/425594195.html
今日、江戸後期の国学者石原正明の『年々随筆』巻二 にこれとほとんど同じ話が載っていることを知った。
すべて世の事と詞と打ちあいたる物にしあれば、今時の雑事を、古言にいいとらん事、難きわざなり。されば俗語も入りまじりて、頼政の卿の射たりけむ怪鳥のごとく、かしらは猿、尾はくちなはにて、みぐるしきわざならずや。
「頼政の卿の射たりけむ怪鳥」=ぬえ、である。
古い言葉と新しい言葉の混在について、文明が「悪くいえばぬえ的、よくいえば両者の長を取った新しい一つの領域というもの」と肯定的に捉えているのに対して、石原は「みぐるしきわざならずや」と否定的だ。
そうした違いはあるけれど、ぬえに喩える点では約150年の時を隔てて共通しているのが面白い。
2024年09月16日
上明戸聡『改訂版 日本ボロ宿紀行』
全国各地の歴史ある古い宿を紹介する旅行記。
登場するのは、新むつ旅館(青森県八戸市)、飯塚旅館(青森県黒石市)、福山荘(岩手県遠野市)、山崎屋旅館(埼玉県寄居町)、山光荘(静岡県松崎町)、薫楽荘(三重県伊賀市)、星出館(三重県伊勢市)、あけぼの旅館(岡山県津山市)、河内屋旅館(鳥取県智頭町)、新湯旅館(熊本県八代市)など。
確かに今の高性能船にとっては風待ちの港など不要だし、なにより海運自体が陸上輸送にほぼ取って代わられています。
旅をしていると、大河ドラマの影響力の大きさを感じます。地元側も、この機会に観光客を呼ぼうと必死の努力をしているようでした。
古い木造の旅館は年々減って、現代的なホテルになっていく。元の本は2011年の出版なので、この改訂版が出た時点で既に廃業した旅館も少なくない。
「貴重な温泉文化を守ってきた宿。どうかこれからも長く繁盛してほしいと思います」という文章の後に「*現在閉業」という注があるのを見ると、何ともさびしい気分になる。
2023年1月26日、鉄人社、1980円。
2024年09月15日
第15回別邸歌会
2024年09月14日
「塔」2024年9月号
本文明(熊本日日新聞文化部、編集専門委員)「新たな人生への出発の力」が良かった。
河野裕子が学生時代に所属していた熊本の歌誌「人間的」(人間的短歌会)に掲載された初期作品85首について書いている。この作品の存在は知っていたが、「人間的」の現物は見たことがなかったので、甲斐雍人や会員の河野作品に対する評などを興味深く読んだ。
河野裕子の初期作品については、「塔」2011年8月号(河野裕子追悼号)にまとめたことがある。それ以降に新たに見つけた歌もあるのだが、今のところ発表する機会がない。
河野裕子が学生時代に所属していた熊本の歌誌「人間的」(人間的短歌会)に掲載された初期作品85首について書いている。この作品の存在は知っていたが、「人間的」の現物は見たことがなかったので、甲斐雍人や会員の河野作品に対する評などを興味深く読んだ。
致死量をあほりて失敗せしといふ話聞きつつ林檎むきおり
(昭和41年6月号)
白きコップ吾が残し来し病院の鉄のベッドに誰が眠りゐむ
(昭和41年8月号)
落日にあかく染るものみなかなし野に落つる鳩も汚れし山羊も
(昭和42年4月号)
はかられつつ試されてゐる愛ならむか楕円の形に月のぼり来ぬ
(昭和42年12月号)
河野裕子の初期作品については、「塔」2011年8月号(河野裕子追悼号)にまとめたことがある。それ以降に新たに見つけた歌もあるのだが、今のところ発表する機会がない。
2024年09月13日
『生きて帰ってきた男』のつづき
引用したい箇所がたくさんある。
あとがきの最後に著者は、「願わくば、読者の方々もまた、本書を通じてその営みに参加してくれることを望みたい」と、近親者への聞き取りを呼び掛けている。
私の父は1940(昭和15)年に秋田県の農家の二男として生まれた人だが、5歳で母を亡くし、中学卒業後に集団就職で東京に出てきた。そこで東京生まれの母と出会って結婚することになるのだが、あまり詳しいことは知らない。
今度、父のところに泊まる時は、そういう話を聞いてみようと思う。
日中戦争以前は、二年在籍すれば軍隊から除隊できた。しかし戦争の拡大とともにそれが困難となり、「三年兵」や「四年兵」が多くなった。当然ながら、除隊の望みを失い、内務班に閉じ込められた古参兵はすさんでいった。
ペニシリンを嚆矢とする抗生物質は、第二次世界大戦において初めて本格的に使用された。これは当時、レーダーとならぶ連合諸国の新技術で、負傷兵の治療に絶大な効果を発揮した。
高度成長期の経済循環の名称が「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」だったこと、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが「三首の神器」とよばれたことは、この時代のマジョリティが戦前教育世代だったことを物語っている。
一九七〇年代は、各地で公害や乱開発に反対する住民運動が台頭した時期であった。それ以前の反対運動では、開発で生活基盤が破壊される農民や漁民が中心的な担い手だった。だが七〇年代以降は、戦後教育をうけ人権意識が向上した、新世代の若い都市住民が担い手になっていった。
あとがきの最後に著者は、「願わくば、読者の方々もまた、本書を通じてその営みに参加してくれることを望みたい」と、近親者への聞き取りを呼び掛けている。
私の父は1940(昭和15)年に秋田県の農家の二男として生まれた人だが、5歳で母を亡くし、中学卒業後に集団就職で東京に出てきた。そこで東京生まれの母と出会って結婚することになるのだが、あまり詳しいことは知らない。
今度、父のところに泊まる時は、そういう話を聞いてみようと思う。
2024年09月12日
小熊英二『生きて帰ってきた男』
副題は「ある日本兵の戦争と戦後」。
著者の父である小熊謙二(1925年生まれ)への聞き取りをもとに、その人生の軌跡を描いたオーラルヒストリー。
個人的なライフヒストリーに社会学の視点を加味することで、戦前・戦後の日本社会の状況や人々の暮らしの様子が鮮やかに浮き彫りになっている。
シベリア抑留の本として読み始めたのだが、それは全9章のうちの3章分で、それ以外の戦前や帰国後の暮らしに関する記述の方が多い。昭和の歴史の流れがとてもよく見えてくる。
日本の庶民が下着の着替えを毎日するようになったのは、洗濯機が普及した高度成長期以後である。風呂も四〜五日に一回で、近所の銭湯に通った。
当時の東京では、百貨店などに対抗するため、零細商店が資金を出しあい、アーケードを設置した商店街を作る事例が出てきていたのである。
一九三九年秋には、「外米」が食卓にのぼるようになった。戦前はコメの自給が達成されておらず、都市部の下層民にとって、台湾・朝鮮・中国などからの輸入米を食べるのは普通のことだった。
それにしても、このお父さんは記憶力が抜群にいい。昔の話を実によく覚えている。もちろん、それは話を引き出す聞き手の力にもよるのだろう。
2015年6月19日、岩波新書、940円。
2024年09月11日
残りすくなきいのち
花山多佳子『三本のやまぼふし』にこんな歌があった。
この歌の元になっているのは次の歌。
牧水が1921(大正10)年に上高地を訪れた時の歌で、「わが伴へる老案内者に酒を与ふれば生来の好物なりとてよろこぶこと限りなし」という詞書が付いている。牧水も酒好きだったので、ガイドの喜びようが胸に沁みたのだろう。
牧水はこの旅から7年後、1928(昭和3)年に43歳という若さで亡くなる。「残りすくなきいのち」であったのは、むしろ牧水の方だったのかもしれない。
残りすくなきいのちと詠まれし老人は牧水よりも長く生きけむ
この歌の元になっているのは次の歌。
老人(としより)のよろこぶ顔はありがたし残りすくなきいのちをもちて
/若山牧水『山桜の歌』
牧水が1921(大正10)年に上高地を訪れた時の歌で、「わが伴へる老案内者に酒を与ふれば生来の好物なりとてよろこぶこと限りなし」という詞書が付いている。牧水も酒好きだったので、ガイドの喜びようが胸に沁みたのだろう。
牧水はこの旅から7年後、1928(昭和3)年に43歳という若さで亡くなる。「残りすくなきいのち」であったのは、むしろ牧水の方だったのかもしれない。
2024年09月10日
小田桐夕歌集『ドッグイヤー』
「塔」所属の作者の第1歌集。
輪郭のぱりりとかるい鯛焼きに口をあてつつ熱を食(は)みゆく
沸点がたぶんことなるひととゐる紅さるすべり白さるすべり
駅と駅をつなぐ通路の側面のひとつにて買ふ志津屋あんぱん
アイスからホットにかへて珈琲のカップを朝の両手につつむ
串刺しにまはりつづける馬たちのつやの瞳に映るひとびと
借りるね、といひあふ距離を家と呼びひるすぎの窓わづかに開ける
真冬にはしろく固まるはちみつの、やさしさはなぜあとからわかる
猪とナイロンともに植ゑられて手にかろやかな楕円のブラシ
このあたり霧が深くて。窓の外(と)の白さを見つつ看護師がいふ
あつまればこゑの厚みは増すらしく雀の群れのかたちが分かる
1首目、バリの食感とあんこの熱さ。「熱を食み」が巧みな表現だ。
2首目、自分の沸点だけでなく相手の沸点を知っておくことも大切。
3首目、地下のの通路の側面に埋め込まれたように店が並んでいる。
4首目、季節の変化の描き方が鮮やか。手のひらに温もりを感じる。
5首目、回転木馬を串刺しと捉えると、途端に残酷な世界に見える。
6首目、一緒に暮らす、家族になるとはこういうことかもしれない。
7首目、上句と下句の取り合わせがいい。時間が経って変わるもの。
8首目、上句から下句への展開がおもしろい。猪の毛の話であった。
9首目、映画のワンシーンのような美しさ。日常とは異なる世界だ。
10首目、鳴き声を聴いていると雀らの数や位置が目に浮かぶのだ。
2024年5月27日、六花書林、2500円。
2024年09月09日
佐々涼子『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』
副題は「再生・日本製紙石巻工場」。
2014年に早川書房から刊行された単行本の文庫化。
東日本大震災で浸水し瓦礫や土砂で甚大な被害を受けた製紙工場が、再び稼働するまでを追ったノンフィクション。
長らく積読になっていたのだが、先日著者の佐々涼子さんが亡くなったというニュースを見て読み始めた次第。綿密な取材と確かな筆力の感じられる作品で、他の本もまた読みたくなった。
読書では、ページをめくる指先が物語にリズムを与える。人は無意識のうちに指先でも読書を味わっているのだ。
工場内には、たくさんの高圧電線や、燃料、水などのパイプが走っている。これを地下に埋設すると、交換のたびにいちいち掘り返さなければならないので、手間がかかる。そこで工場では、空中に無数のパイプが渡してあるのだ。
「文庫っていうのはね、みんな色が違うんです。講談社が若干黄色、角川が赤くて、新潮社がめっちゃ赤。普段はざっくり白というイメージしかないかもしれないけど(…)」
昔、図鑑や写真集は重くて持ち運びに不便だった。だが、最近は写真入りの書籍も雑誌も、写真やイラストの色が非常に美しいままで、昔よりも遥かに軽くなっている。これは、紙の進化によるものなのだ。
紙の生産から本の流通に至るまでの話が詳しく載っているのも興味深い。電子書籍に対して「紙の本」と言うことがあるけれど、確かに紙がとても大事なのであった。
2017年2月15日、ハヤカワノンフィクション文庫、740円。
2024年09月08日
文学フリマ大阪12
天満橋のOMMビルで開催された「文学フリマ大阪12」に行ってきた。まだまだ暑い一日。
出店760。来場者数は4899名(うち出店者1141名)で、大阪では過去最高だったとのこと。パンの耳(フレンテ歌会)のブースにも多くの方が来てくださった。ありがとうございます!
終了後にフレンテ歌会の仲間たちと近くの居酒屋で打上げ。4時間ほど飲んで騒いで歌の話をした。21:00解散。
出店760。来場者数は4899名(うち出店者1141名)で、大阪では過去最高だったとのこと。パンの耳(フレンテ歌会)のブースにも多くの方が来てくださった。ありがとうございます!
終了後にフレンテ歌会の仲間たちと近くの居酒屋で打上げ。4時間ほど飲んで騒いで歌の話をした。21:00解散。
2024年09月07日
堀静香歌集『みじかい曲』
「かばん」所属の作者の第1歌集。
夜道ならぐんぐん進む自転車よハイツやハイムがいっとう好きだ
行かなかった祭りのあとの静けさの金木犀のつぼみの震え
ふた粒ならべるコアラのマーチふたつとも少しかなしい顔をしている
笑いながら見せ合っていた歯や歯ぐき一房のえのきをほぐしつつ
ゆうへい、と唇を湿らせてみる ひとの名前と思えばやさしい
きれぎれのこうふくだろうあなたからレーズンパンを受け取る夕べ
トンネルのすべてに名前があることの どこにもいないぼくらの子ども
考えるときに眉毛を抜く癖ははじめはどちらかのものだった
風のない午後にふたりで出かければ気まぐれに手をつないだりする
風邪の名残りのあなたはちょっと遅れて笑う乾いた米粒をひからせて
1首目、音の響きが楽しい。やや古風な「いっとう」が効いている。
2首目、「行かなかった」に滲む寂しさと秋の季節感がうまく合う。
3首目、かなしく見えてしまう心境なのだろう。「ふた粒」がいい。
4首目、「歯や歯ぐき」と「えのき」のイメージがよく重なり合う。
5首目、音だけ聞くと雄平などの名前にも思えるし幽閉にも思える。
6首目、「こうふく」も幸福であると同時に降伏でもあるのだろう。
7首目、上句から下句への展開が印象的だ。産道に似ているのかも。
8首目、今では二人とも同じ癖があってどちらが先だったかは不明。
9首目、ごくごく自然な幸福感が出ていてシンプルだが気持ちいい。
10首目、韻律的にも少し遅れる感じ。米粒は顔に付いているのか。
2024年6月17日、左右社、1800円。
2024年09月06日
飴屋法水『キミは珍獣(ケダモノ)と暮らせるか?』
1997年に筑摩書房から出た単行本を改題、文庫化したもの。
当時、動物商として珍獣ショップ「動物堂」を開いていた著者が、犬猫以外の動物の飼い方について記した本。文体は軽いが内容はいたって真面目である。
登場するのは、キノボリヤマアラシ、トビウサギ、ワオキツネザル、ショウガラゴ、スローロリス、スカンク、ビントロング、ピグミーオポッサム、シマテンレック、ストローオオコウモリなどなど。
もともと、動物というものには値段はない。動物の値段というのは実は全て人件費だと思ってほしい。
人間は、たとえ知らない初めて見る動物でも、それが何の仲間かさえ分かれば意外と驚かないものである。「あらー、珍しいおサルさんねー」それで終わりである。
夜行性の動物、中でも目や耳の大きな動物は、小さな音、かすかな光にも当然敏感なわけだ。まぶしい光は人間の百倍まぶしく、大きな音は人間の百倍うるさいと思っといた方がいい。
動物は全て、ただ生きて、ただ死んでいく、決して肉体を超えようとなどしない。むしろ、肉体に支配され続ける。それが生きるということだ。
動物について考えることは、人間について考えることにもつながる。生きることや他者と関わることについて、思索を深めてくれる内容であった。
2007年10月10日、文春文庫PLUS、524円。
2024年09月05日
講座「没後35年 上田三四二の短歌を読む」
10月6日(日)14:00〜15:30、毎日文化センター(大阪)&オンラインで、「没後35年 上田三四二の短歌を読む」という講座を行います。昭和を代表する歌人である上田三四二の歌を、今あらためて読み直します。みなさん、ぜひご参加ください!
https://www.maibun.co.jp/course-detail?kouzainfo_id=272
https://www.maibun.co.jp/course-detail?kouzainfo_id=272
兵庫県に生まれ京都帝国大学を卒業した上田三四二(1923-1989)は、昭和を代表する歌人として知られるほか、医師、小説家、文芸評論家としても活躍しました。二度の大病を経て命を見つめる深いまなざしを持ち、
ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
つくられし尿管に湧く水のおとさやけきあきの水音ひびく
など、平明で奥深い数々の歌を残しました。没後35年を迎える今年、上田作品をあらためて読みながら、短歌のあり方について考えてみたいと思います。
2024年09月04日
吉川宏志歌集『叡電のほとり』
副題は「短歌日記2023」。
ふらんす堂の短歌日記シリーズの14冊目で、2023年1月1日から12月31日までの365首を収めた第10歌集。
新年のなかに二つの「ん」の音の朝の陽のさす道を踏みゆく
まだ会いしことはなけれど娘(こ)の彼が看病に来ていると聞くのみ
雨のあと登りきたりし寺庭に泥跳ねをつけカタクリが咲く
夜のうちに十センチほど積もりたる偽のメールをつぎつぎに消す
菜の花の収穫をする人ありて軍手のなかの刃物は見えず
梅雨のあめ夜半(よわ)にやみたりチッチッと時計の針の音よみがえる
戦時下もコンビニは開いているだろう氷のすきまに珈琲そそぐ
比叡より落ちくる水のひとつにて梅谷川の暗きを渡る
背表紙を金(きん)に照らせる秋の陽のたちまち消えてうすやみの部屋
青く輝(て)る海に差し出す牲(にえ)のごと灯台は岩のうえに立ちたり
1首目、小さな発見がいい。『青蟬』の「冬」の字の歌を思い出す。
2首目、これだけで離れて暮らす娘が風邪など引いた状況とわかる。
3首目「泥跳ねをつけ」という細かな観察がいい。解像度が上がる。
4首目、雪の話かなと思って読み進めると下句で意外な展開が待つ。
5首目、菜の花と刃物のイメージの対比が「見えず」により際立つ。
6首目、時計の音はずっと変らないのだが静かでないと聞こえない。
7首目「氷のすきま」という表現の工夫が上句の想像を支えている。
8首目、雰囲気と味わいのある歌。「梅谷川」の名前が効いている。
9首目、日暮れの短い時間だけ、窓から射す光が本棚まで届くのだ。
10首目、灯台を「牲」と見たのが印象的。自然の美しさと厳しさ。
短歌に添えられた短文では、うさぎとぬいぐるみの話が2回出てくるのが印象に残った。4月5日と10月11日。「新年」の歌と同じで、人間は一つだと気にならないが二つだと気になるのだろう。
このウサギも先日亡くなったと聞いた。
2024年7月29日、ふらんす堂、2200円。
2024年09月03日
小島ゆかり歌集『はるかなる虹』
2020年末から2024年初めまでの作品468首を収めた第16歌集。
似た顔の全員ちがふ顔が来て飲み食ひをする正月の家
陽のなかを吹く風すこし老犬はながき舌しまひわすれて眠る
三つ目の角に見えつつ歩いても歩いても遠いサルビアの花
深秋の街より帰り姉さんと呼びたき大き柿ひとつ食む
滅びゆく途中のからだ春の日は痛む右手に蝶がまつはる
猛暑日の刃物重たく腫れ物のやうな完熟トマトを切りぬ
ねむりつつかぜに吹かるるあしうらの地図の山河の谿深くなる
手術後の母はさびしい鳥の貌 車椅子ごと母を受け取る
フランスパンをレタスざくつとはみだしてはみだすものが光る三月
近づくとき遠ざかるときこの町のどのバス停にも母が佇む
1首目、血縁関係のある者同士、それぞれ似ていて違うのが面白い。
2首目、舌が出ている姿を「しまひわすれて」と描いたのが印象的。
3首目、赤色がよく目立つ花。遠近感が狂うような夏の暑さを思う。
4首目、「姉さん」がユニーク。どっしりとした頼もしさを感じる。
5首目、私たちの身体はいつでも「滅びゆく途中のからだ」なのだ。
6首目、夏の気怠い感じがよく出ている。刃物と腫れ物が響き合う。
7首目、足裏の凹凸が意識されるのだろう。山河に喩えたのがいい。
8首目、既に車椅子が母の一部になっている。「受け取る」も哀切。
9首目、早春の季節感。内側に縮こまっていたものが広がり始める。
10首目、バスに乗っている間も気が付けば母の姿を探してしまう。
2024年7月7日、短歌研究社、3000円。
2024年09月02日
雑詠(041)
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こきざみに上下左右に揺れながら立ち話する若きママたち
電車とは眠っていても構わないところ真昼をひんやりねむる
埋められて殺処分の鳥かなしいか人に食われるよりかなしいか
踏み石のくぼみに残る雨水をスズメついばむ首かたむけて
歩けなくなるよと父に言う声は三十年後のおのれに向かう
なやみなどなんにもないと思われているアザラシとわれの休日
雨雲のかぶさる駅の裏通り「民泊やめろ」の張り紙ならぶ
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こきざみに上下左右に揺れながら立ち話する若きママたち
電車とは眠っていても構わないところ真昼をひんやりねむる
埋められて殺処分の鳥かなしいか人に食われるよりかなしいか
踏み石のくぼみに残る雨水をスズメついばむ首かたむけて
歩けなくなるよと父に言う声は三十年後のおのれに向かう
なやみなどなんにもないと思われているアザラシとわれの休日
雨雲のかぶさる駅の裏通り「民泊やめろ」の張り紙ならぶ
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2024年09月01日
現代短歌シンポジウム in 京都
塔短歌会主催の「現代短歌シンポジウム in 京都 2024」に行ってきた。会場は京都芸術大学にある「京都芸術劇場 春秋座」。テーマは「現代短歌へのアプローチ」。
とても濃密で刺激を受ける4時間だった。
時おり大阪弁を交えた町田さんの味わい深い語り、より良い翻訳を目指すピーター・マクミランさんの飽くなき姿勢、質問されるたびにマイクを持ってしばらく考える是枝さんの誠実さが心に残った。
何だかやる気が出てきたなあ。
開会挨拶 吉川宏志
13:00〜14:00 講演 町田康「歌と言葉が運ぶもの」
14:10〜15:20 対談 ピーター・マクミラン×吉川宏志
「翻訳を通して見た「歌」の可能性」
15:40〜17:00 対談 是枝裕和×永田和宏
「表現しきえないもの」
閉会挨拶 永田淳
とても濃密で刺激を受ける4時間だった。
時おり大阪弁を交えた町田さんの味わい深い語り、より良い翻訳を目指すピーター・マクミランさんの飽くなき姿勢、質問されるたびにマイクを持ってしばらく考える是枝さんの誠実さが心に残った。
何だかやる気が出てきたなあ。