2024年08月31日

オンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」

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次回のオンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」は、10月16日(水)19:30〜21:00の開催です。

ゲストは吉川宏志さん(「塔」主宰)、テーマは「直喩と暗喩、比喩のさまざま」です。

比喩の巧さに定評のある吉川さんをお迎えして、短歌で用いられる直喩や暗喩についてじっくりと語り合います。

どうぞお楽しみに!

https://college.coeteco.jp/live/8qz4clrq

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2024年08月30日

田中康二『本居宣長』


副題は「文学と思想の巨人」。

国学の大成者、本居宣長の生涯と業績を記した本。コンパクトな分量にわかりやすくまとめられていて、入門書として最適な一冊だ。

第一章「国学の脚本」は古道学(思想)と歌学(文学)という宣長の二本の柱の概説で、第二章〜第七章はそれぞれ宣長の二十歳代〜七十歳代を、「学問の出発」「人生の転機」「自省の歳月」「論争の季節」「学問の完成」「鈴屋の行方」として描いている。

この構成がとても巧みで、読みやすい。

もともと「大和魂」の対概念は「漢才(からざえ)」であった。それを宣長は「漢意(からごころ)」と読み替えた。
芳賀はドイツに行って国学を再発見したということである。芳賀が国学を日本文献学と名付けたのは、そのような経緯からであった。近代の国文学研究は、ドイツ文献学と近世国学を基盤として始まったのである。
真淵は万葉研究は存分にしたが、古事記研究にまでは手が回らないという忸怩たる思いを抱いていた。(…)宣長にとっての真淵も、真淵にとっての宣長も、お互いの欠を埋めるベター・ハーフであった。
物語は儒教や仏教による戒めのためにあるという考え方は、当時においては前提や常識であって、これを疑う者はいなかった。それゆえ宣長がそれらを真っ向から批判したのは画期的なことであったといえる。

なるほど。確かに同じ「物語」の中にも、今昔物語集のようにもともと仏教の教えや戒めを伝えるために書かれたものもあれば、源氏物語のようなものもあって、読み方次第で意味合いが変ってくる。

宣長は論争を好んだ。持論と異なる説に対して容赦なく反論し、結論が同じでも論理的手続きに疑義がある場合には、これを批判し、批正した。

このあたり、何だか茂吉にも似ていて、ひたすら論争している。

還暦の年に詠んだ「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の歌は、散る桜を詠んだ歌として、戦争で命を落とす(散華)歌に読み替えられた。どこをどう読んでも朝日に映えて咲きほこる桜なのに、である。

これは確かにその通りで、宣長はかなり曲解されて利用されたと言っていいだろう。一方で、宣長の思想の中に自国中心主義や排外主義があることも事実で、そのあたりは十分に気を付けなければならない点だと思う。

2014年7月25日初版、2020年12月25日再版。
中公新書、840円。

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2024年08月29日

早川晃央歌集『こいつら』


「コスモス」「COCOON」所属の作者の第1歌集。

デパートの屋上になお一プレイ三十円のゲーム作動す
平日の昼間の安売りスーパーに男性客は意外と多い
ローソンとナチュラルローソン向かい合い利益を競う新宿の夜
メシを食うときも辺りを気にかけるカラスのような生き方は嫌だ
飛行機の翼が塵で黒くなり空はきれいでないことを知る
見上げれば綿菓子であり見下ろせば流氷らしく雲は見えたり
松屋では機械が飯を入れておりしゃもじは飯を整えている
銭湯の男子トイレのウォシュレット無数の男の尻を洗えり
食べられるために食べさせられているフィードロットの牛の静けさ
立ち食いの蕎麦すする人を後ろから見ればお辞儀をしているようだ

1首目、かなりレトロな雰囲気の屋上遊園地。「三十円」がいい。
2首目、平日の昼間=仕事というのも一つの固定観念でしかない。
3首目、微妙に客層が違う。客単価や利益率の比較など面白そう。
4首目、他者や世間に怯えずに、安心して生きていきたいものだ。
5首目、発見の歌。澄んだ青空に見えても大気中には汚れがある。
6首目「綿菓子」はよく聞くが、「流氷」は個性的な見方だろう。
7首目、ご飯をよそうはずの「しゃもじ」が整え役になっている。
8首目、どのトイレでも同じことなのだが「銭湯」だと生々しい。
9首目、もうすぐ殺されるとは知らず肥育場で餌を食べている牛。
10首目、蕎麦を啜るたびに上下する頭に会社員の悲哀を見るか。

2024年7月11日、六花書林、2300円。

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2024年08月28日

映画「箱男」

監督:石井岳龍
原作:安部公房
出演:永瀬正敏、浅野忠信、白本彩奈、佐藤浩市ほか

安部公房は中学・高校時代に大好きだった作家で、ほとんどの作品を読んでいる。箱男になってみたいと思ったこともあるくらい。

見る/見られる、書く/書かれる、といった問題が幾度となく繰り広げられる。箱男同士のバトルも迫力があった。

MOVIX京都、120分。

posted by 松村正直 at 09:06| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月27日

総力戦というもの

『稲の大東亜共栄圏』を読んで印象に残った言葉がある。

大東亜戦とは米と小麦、水田と畑との文化戦である。稲を作り米を食ふ民衆が、麺麭を食ひ、小麦を作る民族に決して劣らない、否彼の為し得ざる処を成し遂げることを事実に示す秋が到来した。

永井威三郎『随筆水陰草』(1942年)に記されたものだ。永井はまた少年少女向けの『日本の米』(1943年)の中で、ドイツが食糧難により第一次世界大戦で敗北した事実をもとに、

あの大戦争は、つまりはたべ物のあるなしで、勝ち負けがきまつたとも考へられます。

と書いている。

ドイツの敗北から得たこの教訓は、大日本帝国陸軍にも広く共有されたものであった。そこから生まれるのが「総力戦」という考えである。先日読んだ『東條英機』から引く。

東條は、第一次世界大戦を経た今日においては「武力、経済、思想攻略等各種作戦を、一元的に統制する国家が、近代戦争の勝利者たることができる」と言い切り、ロシアなどの対日思想戦、プロパガンダ戦の脅威を指摘して(…)

つまり、戦争は武力だけでなく、経済戦であり、思想戦であり、情報戦であり、文化戦でもあるというわけだ。こうした思考は、いわゆる戦争協力の問題を考える際に欠かせないものだろう。

先日観た映画「アナウンサーたちの戦争」にも「電波戦」という言葉が出てきた。ナチスのプロパガンダ戦にならってラジオ放送で戦意高揚を図るとともに、戦場では偽の情報を流して敵を混乱させるというものだ。

もちろん、歌人も例外ではない。斎藤瀏『わが悲懐』(1942年)には、次のような認識が示されている。

新体制は従つて、国民各自に国防観念と国防力を充実するを要求する。高度国防は国家の総力を綜合することによつて、達せらるゝ故に、政治、外交、産業、経済、教育、文化、思想総てが国防を負担するを要する。(…)このことを歌人についていへば、歌人も国防人であるべく、その行動する短歌も消極的には国防を傷けず、積極的には国防を強化しなければならぬ。

この文章を現在の目で見て批判するのは簡単なことだが、その前にこうした認識がどのようにして生まれたのかを理解しておく必要もあるだろう。

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2024年08月26日

藤原辰史『稲の大東亜共栄圏』


歴史文化ライブラリー352。
副題は「帝国日本の〈緑の革命〉」。

戦前・戦中のイネの品種改良が、大日本帝国の植民地支配にどのように関わったのかを解き明かした本。〈富国〉〈陸羽一三二号〉〈農林一号〉〈台中六五号〉といった品種が取り上げられている。

品種の改良は収量の増加につながる一方で、化学肥料への依存や在来種の淘汰といったマイナス面ももたらした。それは、戦後の開発途上国における「緑の革命」や現代の多国籍バイオ企業による遺伝子資源の独占といったエコロジカル・インペリアリズム(生態学的帝国主義)につながる問題を孕んでいる。

一連の植民地産米増殖計画のさきがけが、「北海道産米増殖計画」であったことは決して偶然ではない。朝鮮が良質米のフロンティアであり、台湾がジャポニカ米の南のフロンティアであったように、北海道はその冷涼な気候から、稲作一般の北のフロンティアであった。
一方で緑の革命は、新種子に必要な肥料・農薬・水への依存を高めた。この依存構造から抜け出すことは、薬物依存と同じほど困難である。肥料や農薬は多国籍企業が販売した。
〈台中六五号〉をはじめとする蓬莱米は、台湾や八重山列島の稲の品種地図を完全に塗り替えた。しかも、この品種改良技術は、従来、インディカ米が主流だった台湾や八重山列島を、言わば「ジャポニカ米の大東亜共栄圏」のなかに編成しなおすことに成功した。

山口謙三、寺尾博、石黒岩次郎、並河成資、磯永吉など、多くの育種技師たちのエピソードも載っている。永井荷風の弟で朝鮮農事試験場に勤めた永井威三郎や、夢野久作の子でインドの砂漠の緑化を推進して「グリーン・ファーザー」と呼ばれた杉山龍丸も登場する。

科学者たちが生涯をかけて取り組んだ品種改良が、結果的には大日本帝国の植民地支配に加担することになった。そのあたりをどう評価すべきかは、非常に難しい問題だと思う。

2012年9月1日第1刷、2021年4月1日第2刷。
吉川弘文館、1700円。

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2024年08月25日

オンライン講座「作歌の現場から」

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NHK学園のオンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」、いよいよ今週28日(水)19:30〜21:00 の開催です。

ゲストは松村由利子さん、テーマは「文語と口語」。松村さんと永田和宏さんと私の 3人で、口語短歌の歴史や文語・口語まじりの歌のことなど、90分間たっぷりと語り合います。

どうぞお楽しみに!

https://college.coeteco.jp/live/m331c69e

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2024年08月24日

菅野久美子『超孤独死社会』


副題は「特殊清掃の現場をたどる」
2019年に毎日新聞社より刊行された単行本の文庫化。

年々増加する孤独死の現場と、そこで働く特殊清掃の人々を描いたノンフィクション。孤独死予備軍が1000万人にのぼると言われる現代社会の姿がリアルに浮かび上がってくる。

近年、孤独死はもはや特殊な出来事ではなくなってきている。年間約3万人と言われる孤独死だが、現実はその数倍は起こっていると言う業者もいるほどだ。
ゴミを溜めこんだり、必要な食事を摂らなかったり、医療を拒否するなどして、自身の健康を悪化させる行為をセルフネグレクトと呼ぶ。ニッセイ基礎研究所によると、孤独死の8割がこのセルフネグレクト状態にあるとされている。
孤独死の4件中3件が男性なんです。単身、離婚で孤独になるんです。女の人って、何かと人間関係を作るのがうまいけど、男の人って何かで躓くと、閉ざしちゃうんですよね

とても他人事とは思えない。

「孤独死を防ぐためには、人と人との繋がりを取り戻すこと」という提言もあるが、それはなかなか難しい。孤独死を減らすよりも、むしろ安心して孤独死できる社会を目指す方が現実的かもしれない。

沢瀉(おもだか)は夏の水面の白き花 孤独死をなぜ人はあはれむ/雨宮雅子『水の花』

2024年7月30日、毎日文庫、900円。

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2024年08月23日

井口可奈歌集『わるく思わないで』

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第11回現代短歌社賞を受賞した作者の第1歌集。

わたしたち、って主語をおおきくつかってることわかってて梔子の花
なんでこんなに暑いんだっけドトールの気をゆるしたらやられる感じ
そばかすをコンシーラーで隠さずにドリンクバーでたまに触って
ぶかぶかのTシャツを着るひとのではなくじぶんので過去はたまねぎ
テーブルががたついていてレシートをたくさん挟んできたまま帰る
それからは専門学校生としてひとのからだを曲げて暮らした
車から降りてくるひとおおすぎて、乗りなおすことができなさそうだ
夕暮れに鳩とんできて空欄に自由記述をながく書いてる
ゆっくりと値札を剥がす家族には言えないことを思い浮かべて
イベントの後のけだるさたこ焼きのために切られたぶつぎりの蛸

1首目、若干の後ろめたさを感じながら話す。結句の収め方がいい。
2首目、くらくらするような暑さ。下句の軽快な言い回しが楽しい。
3首目、隠さないことで前向きに捉えることができ、愛着も覚える。
4首目、伸び切ったのか、体形が変化したのか。結句がおもしろい。
5首目、一度挟んだら帰る時にわざわざ取り外したりしないものだ。
6首目、整体師や理学療法士になる学校か。散文のような文体の妙。
7首目、バスなどでも相当たくさんの人が一台に乗っていたりする。
8首目「はい・いいえ」や番号ではとても答えられない思いがある。
9首目、上下の取り合わせに実感がある。わずか数秒の話だけれど。
10首目、たこ焼きになれなかった蛸はこの後どうなるのだろうか。

2024年4月29日、現代短歌社、2500円。

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2024年08月22日

ヴァージニア・ウルフ『青と緑』


西崎憲編訳。副題は「ヴァージニア・ウルフ短篇集」。
19篇の短篇小説と3篇のスケッチを収めている。

「ラピンとラピノヴァ」「乳母ラグトンのカーテン」「サーチライト」「キュー植物園」「徴」が、特におもしろかった。

次々と思い浮かぶ連想を書き連ねる手法に特徴があって、どこまでが現実でどこからが幻想かわからない味わいがある。

フェミニズム的な観点がはっきりと記されている点も見逃せない。

現実のその種のさまざまなものや標準的なものにいま取って代わっているのははたして何だろうか? それはたぶん男性だ。もしあなたが女性だとしたら。男性の視点、それがわたしたちの生活を統治している。それが標準を決めている。(「壁の染み」)

巻末に編訳者による解説「ヴァージニア・ウルフについて」(45ページ分)があり、ウルフの生涯や作品の特徴を丁寧に記している。

2022年2月5日、亜紀書房、1800円。

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2024年08月21日

映画「劇場版 アナウンサーたちの戦争」

演出:一木正恵
脚本:倉光泰子
出演:森田剛、橋本愛、高良健吾、安田顕、浜野謙太、大東駿介ほか

昨年NHKスペシャルで放送されたドラマを映画化したもの。
大森淳郎『ラジオと戦争』を思い出しながら観た。

主人公の和田信賢は玉音放送のアナウンスをした人物として有名だが、戦後40歳という若さで亡くなっていたことを初めて知った。

京都シネマ、113分。

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2024年08月20日

一ノ瀬俊也『東條英機』


副題は「「独裁者」を演じた男」。

旧日本軍関連の本は多く出ているが思想的に偏っているものもあるので、まずは信頼できる書き手のものを選ぶ必要がある。本書の著者も私にとってその一人だ。

太平洋戦争開戦時の首相であり戦後A級戦犯として処刑される東條英機の生涯について、数々の資料をもとに客観的に描いている。頑迷な精神主義者のように言われることも多い東條だが、実際には総力戦体制作りを含め相当に物量を重視していた。

昭和初年の日本陸軍の課題は、工業生産力や技術力に劣る日本が、欧米の総力戦体制にどう追いつくかにあった。東條は、中堅軍事官僚としてその実務を担っていたのである。
この対立はいわゆる統制派と皇道派の対立と呼ばれる。両派の違いは、精神主義的で対ソ戦志向の皇道派と、部内の統制を重視して対ソ戦より総力戦体制整備を進めようとする統制派、というように説明される。
東條の「思想戦」や「経済戦」そして「国民の給養」に気を遣う態度は、彼の個人的なものというよりは、第一次世界大戦後の陸軍が組織として主に敗戦国の独国より得た教訓≠ノ根ざしたものとみた方がよい。
航空戦の「総帥」たらんとして結果的に失敗し、敵の空襲で国を焦土と化させた東條を批判するのは簡単だが、彼のやり方を戦時下の国民がどうみていたのか、という観点もあってよいはずである。

空襲による惨禍について、東條はかなり早い段階から十分な認識をしていた。1933(昭和8)年の講演会「都市の防空」の中で、

都市に対する空襲の効果を具体的に知るには、かの関東大震災当時を想起するのが最も早道である。
震災は一個の自然力であったが、今日では、簡単な人力をもって、この程度の惨害なら一瞬にして実現し得る。

と述べている。

何とも皮肉な話だが、いわばこの予言通りの結末に向かってその後の歴史は進んで行ったのであった。

2020年7月20日第1刷、2020年12月5日第5刷。
文春新書、1200円。

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2024年08月19日

内藤明歌集『三年有半』

著者 : 内藤明
砂子屋書房
発売日 : 2024-02-27

2019年から2023年までの約3年半の作品494首を収めた第7歌集。

入間川(いるまがは)高麗川(こまがは)毛呂川(もろがは)越辺川(をつぺがは)越えて逢ひたり都幾川(ときがは)の辺に
親四人送りおほせて卓上に桃と蜻蛉(あきつ)の猪口を置きたり
感染(うつ)るのは怖くはないが伝染(うつ)すのを恐れて今日も人に逢はざる
右へ切る形のままに三輪車路上にありてだあれもゐない
無防備に四肢投げ出して畳には猫のひらきが時々動く
底知れぬキャピタリズムの渦潮に朱塗りの椀はくるくる廻る
zoom会議の〈退出〉に触れもどりゆく冬の小部屋に西日が射せり
行きがけに投函せんとポケットに入れた葉書が食卓に在り
雨音の濃くまた淡く息づくを聴いてゐるなり人のかたへに
磨かれて板目艶めくカウンター仕切られてありアクリル板に

1首目、埼玉県西部。五本の川の名前が歴史や風土をを感じさせる。
2首目、夫婦で晩酌している場面と読んだ。しみじみとした味わい。
3首目「感染(うつ)る」と「伝染(うつ)す」の使い分けに納得。
4首目、上句の描写に三輪車から降りる子どもの姿が浮かび上がる。
5首目、アジのひらきではなく「猫のひらき」。警戒心ゼロである。
6首目、一寸法師の椀をイメージしたがjapan(漆器)の意味かも。
7首目、画面の中の世界から現実の部屋に戻ってきた感覚が鮮やか。
8首目、入れたはずが入れてなかったし、すっかり忘れていたのだ。
9首目、相聞歌。雨音と人の気配や息遣いが入り混じるような感覚。
10首目、立派な分厚い木の板に対して何とも安っぽいアクリル板。

2024年3月13日、砂子屋書房、3000円。

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2024年08月18日

神戸須磨シーワールド吟行

フレンテ歌会のメンバー10名で、今年6月二リニューアルオープンしたばかりの神戸須磨シーワールド(旧神戸市立須磨海浜水族園)へ吟行に出かけた。


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9:30頃到着して午前中は各自、園内を自由に見学する。さまざまな魚を展示する「アクアライブ」、イルカショーが行われる「ドルフィンスタディアム」、シャチのショーが行われる「オルカスタディアム」に分かれていて、けっこう広い。


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建物は海岸のすぐ近くで、海水浴をしている人の姿も見える。


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今回注目したのはタコ。
じっくりと動きを見ているだけで楽しい。


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オルカ(シャチ)のショー。
とにかく大きくて、ダイナミックな動きを見せてくれる。

午後からは三宮駅近くのレンタルスペースに移動して、昼食&歌会。一人2首の計20首について、13:30〜16:00過ぎまで議論する。

エイ、ナマコ、クラゲ、チンアナゴ、タコ、イルカ、オルカなど、いろいろな生きものの歌がならんで賑やかな歌会になった。

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2024年08月17日

台風一過

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台風一過の東京は晴れ。
和やかで充実した時間を過ごした。

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2024年08月16日

オンライン講座「作歌の現場から」

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NHK学園のオンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」、いよいよ今月28日(水)19:30〜21:00 の開催です。

ゲストは松村由利子さん、テーマは「文語と口語」。松村さんと永田和宏さんと私の 3人で、口語短歌の歴史や文語・口語まじりの歌のことなど、90分間たっぷりと語り合います。

どうぞお楽しみに!

https://college.coeteco.jp/live/m331c69e

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2024年08月15日

東京へ

今日は父の誕生日。
1940年生まれの84歳。

というわけで、東京(厳密には神奈川)にいます。

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2024年08月14日

山崎雅弘『太平洋戦争秘史』


副題は「周辺国・植民地から見た「日本の戦争」」。

太平洋戦争は、日本対アメリカ(対中国、あるいは対ソ連)といった観点で語られることがほとんどだが、本書は違う。太平洋戦争において、当時の周辺国や植民地ではどのようなことが起き、人々がどのように行動したかが詳しく記されている。

取り上げられているのは、「インドシナ(フランス領)」「マラヤ・シンガポール(イギリス領)」「香港(イギリス領)」「フィリピン(アメリカ領)」「東インド(オランダ領)」「タイ」「ビルマ(イギリス領)」「インド(イギリス領)」「モンゴル」「オーストラリア・ニュージーランド・カナダ」「中南米諸国」である。

蘭印最大の都市であるジャワのバタヴィアは、オランダ人の別名である「バタヴィー」が語源だったが、日本の軍政当局は、一九四二年十二月九日付でバタヴィアを現地インドネシア呼称の「ジャカルタ」に変更した。
現地では十一世紀の王朝時代から、書き言葉の「ミャンマー」と話し言葉の「バマー」が併用されており、日本語のビルマは後者のオランダ語表記(Birma)が明治期に伝わったもので、漢字では「緬甸(めんでん)」と表記される。
日本人の視点では、日本とソ連の二つの「大国」の軍隊が草原で激突した国境紛争と思われがちなノモンハン事件だが、モンゴル側から見れば、日ソの二大国による戦闘の傍らで、異なる部族のモンゴル人が敵味方に分かれて戦った「ハルハ川戦争(モンゴル側の呼称)」という側面も存在したのである。

急速に勢力圏を拡大した大日本帝国に対して、あくまで抵抗を続けた人々もいれば、服従を余儀なくされた人々、念願の独立を果たそうと積極的に協力した人々もいる。各勢力のさまざまな思惑が入り乱れ、敵対や協力を繰り返し、やがて戦後の歴史へとつながっていく。

そうした展開が非常にダイナミックに描かれていて、ぐいぐいと引き込まれる。

大国中心の第二次世界大戦観あるいは太平洋戦争観では、望まずして戦争に巻き込まれた周辺国および植民地とその国民・住民を無視したり、周辺国や植民地を「大国の争奪対象」と見なす視点に陥る危険性があるように思います。

「まえがき」と「あとがき」に示された、こうした歴史観はとても大事なものだと思う。おススメの一冊です!

2022年8月30日、朝日新書、1200円。

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2024年08月13日

花山多佳子歌集『三本のやまぼふし』

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それぞれにかくも異なる犬つれて人びとあるく夜明けの道を
年とりて気がつきやすくこのごろは手袋おとせばかならず拾ふ
電線をコイルのやうに巻く蔓は夢みるごとし根つこ断たれて
一メートルほど上空にひらひらと凧連れて児はむやみに走る
大声で「カメ」と言ふ子は亀ゐるを告ぐるにあらず亀を呼ぶなり
低気圧近づきたれば頭(づ)のなかをうしろへうしろへ魚が泳ぐ
冬の陽はただあたたかくテーブルの胡桃の影に凹凸のなし
えんぺらを抜き墨袋ぬき軟骨をぬきてなめらかな空洞とせり
数日を置きても固きアボカドのクレヨンのやうな食感をはむ
伝染病はいつしか感染症となり自己責任の気配濃くなる

2015年から2020年までの作品494首を収めた第12歌集。
読み終えると付箋だらけになってしまう面白さ。

1首目、一口に犬と言ってもチワワも柴犬もシベリアンハスキーも。
2首目、以前はよく紛失したのだろう。話の展開にユーモアがある。
3首目、結句で光景がはっきりする。もう生きてはいない蔓なのだ。
4首目「連れて」という動詞が絶妙。高々と空に上がることはない。
5首目、大人と違って亀に向かって「カメ」と呼び掛けているのだ。
6首目、気圧の変化の影響を独特な身体感覚で表現していて面白い。
7首目、発見の歌。実物の胡桃には細かな凹凸があるが影にはない。
8首目、イカを調理する時の様子。「なめらかな空洞」が印象的だ。
9首目、下句の比喩がいい。食感とともに色合いもクレヨンっぽい。
10首目「うつす」と「うつる」、どちらに重点を置くのかが違う。

2024年7月11日、砂子屋書房、3000円。

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2024年08月12日

村山司『イルカと心は通じるか』


副題は「海獣学者の孤軍奮闘記」。

「イルカと話したい」という夢を抱いて海獣学者となった著者が、手探りでイルカの知覚や認知に関する実験を続けてきた半生を振り返って記した本。

「フィン→⊥」はできるのに、その逆の「⊥→フィン」ができない。(…)おそらく、動物の生態においては何かを逆に考えるということは少ないのかもしれない。
日本で最も飼育されているのはバンドウイルカという種で、水族館のショーでもおなじみのイルカである。このイルカには別名「ハンドウイルカ」という呼び名もあり、現在、日本では両方の名前が存在している。

「バンドウ」と「ハンドウ」、実にまぎらわしい。

好きなことに挑むというのはそれなりの負荷もあるわけで、やりたいことがそのままできる人は多くない。皆、何かしらの紆余曲折を経由する。その一つが失業である。
水族館人にとっては誰でも知っている当たり前のことが研究者には初耳だったということはよくある。

このあたりの研究者の苦労や喜びは、おそらく他のさまざまなジャンルにも当てはまることだろう。

2021年9月20日、新潮新書、780円。

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2024年08月11日

浦河奈々歌集『硝子のあひる』


「かりん」所属の作者の第3歌集。

スワロフスキーの硝子のあひる口あけてなにか訴ふ飾り棚の中
「ゆるされない」と誰かいひけり喪服なる人々のなか靴脱ぎをれば
ブルーベリー小鉢一杯摘んできて昼寝の夫の腹の上(へ)に置く
育ちゆくいのちの濃さに圧されつつ水平に差し出すお年玉
ただそこにゐることですら戦ひで椿は舐めるやうに見られる
ダックスフントは濡れた黒目の頭(づ)を捩りひとを見ながら曳かれてゆきぬ
麻雀は四人家族の遊びにて遥かな昭和の正月あはれ
こぶのやうに夫のとなりにゐるわれは夫に出さるる茶を享けて置く
車椅子押し始めればわれの胃のあたり漂ふ父のあたまは
隣室に吊せるみちのく風鈴がしづかに鳴る日、岸にゐるわれ

1首目、巻頭歌でタイトルとなった一首。作者自身の姿でもあろう。
2首目、強い口調に思わず手が止まる。濃密な人間関係の表れる場。
3首目、ユーモラスだが少しくらい手伝ってくれてもと思うのかも。
4首目、子を持たない作者の複雑な思いが滲む。「水平に」がいい。
5首目、上句が印象的な言い回しだ。椿は女性の喩でもあるだろう。
6首目、まだ行きたくないのに無理やり連れていかれる犬の哀しさ。
7首目、四人が標準家庭と言われていた頃にぴったりの遊びだった。
8首目、添えもののような存在にされていることへの鬱屈した心情。
9首目、「胃のあたり漂ふ」がいい。父への労わりと寂しさが深い。
10首目、風鈴の音を聞きながら、川岸あるいは此岸を感じている。

2024年6月12日、短歌研究社、2200円。

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2024年08月10日

講座「没後35年 上田三四二の短歌を読む」

10月6日(日)14:00〜15:30、毎日文化センター(大阪)&オンラインで、「没後35年 上田三四二の短歌を読む」という講座を行います。昭和を代表する歌人である上田三四二の歌を、今あらためて読み直します。みなさん、ぜひご参加ください!

https://www.maibun.co.jp/course-detail?kouzainfo_id=272

兵庫県に生まれ京都帝国大学を卒業した上田三四二(1923-1989)は、昭和を代表する歌人として知られるほか、医師、小説家、文芸評論家としても活躍しました。二度の大病を経て命を見つめる深いまなざしを持ち、

 ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
 つくられし尿管に湧く水のおとさやけきあきの水音ひびく

など、平明で奥深い数々の歌を残しました。没後35年を迎える今年、上田作品をあらためて読みながら、短歌のあり方について考えてみたいと思います。

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2024年08月09日

映画「アイアム・ア・コメディアン」

監督:日向史有
出演:村本大輔、中川パラダイスほか

副題は「テレビから消えた男」。

原発批判や政権批判、在日朝鮮人問題、沖縄米軍基地問題などを笑いのネタにしてきた「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔に密着したドキュメンタリー。

テレビ番組から干された後、ライブや講演会を精力的に行い、さらにはニューヨークでスタンダップコメディに挑戦する姿を、2019年から3年間追い続けている。

その間、コロナ禍のためにライブが次々と中止に追い込まれたり、思い通りにいかない展開も多く、時に弱音を漏らすこともある。

ふるさとの母親や父親とのやり取りに、ジーンと来るものがあった。

出町座、108分。

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2024年08月08日

『放浪記』のつづき

『放浪記』は作者の自伝としてだけでなく、シスターフッドの物語としても読むことができる。暴力を振るったり経済力で支配しようとする男性に対して、女給仲間や文芸仲間と支え合い、励まし合い、時には立ち向かっていく。

時ちゃんが帰らなくなって今日で五日である。ひたすら時ちゃんのたよりを待っている。彼女はあんな指輪や紫のコートに負けてしまっているのだ。
飯田さんがたい子さんにおこっている。飯田さんは、たい子さんの額にインキ壺を投げつけた。唾が飛ぶ。私は男への反感がむらむらと燃えた。
私は生きていたい。死にそくないの私を、いたわってくれるのは男や友人なんかではなかった。この十子一人だけが、私の額をなでていてくれる。

もう一つ、先日読んだ頭上運搬の話も出てくる。

線路添いの細い路地に出ると、「ばんよりはいりゃせんかア」と魚屋が、平べったいたらいを頭に乗せて呼売りして歩いている。夜釣りの魚を晩選(ばんよ)りといって漁師町から女衆が売りに来るのだ。

尾道の小学校に通っていた1916〜17年頃の思い出である。まさに、三砂ちづる『頭上運搬を追って』に描かれていた通りの光景だ。

posted by 松村正直 at 20:39| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月07日

林芙美子『放浪記』


第1次世界大戦後の東京で生きる一人の女性を描いた自伝的作品。経済的に困窮して職を転々としながらも、たくましく生き抜く姿が印象的だ。

文章に勢いがあって、引用したくなる箇所がたくさんある。ところどころ啄木の短歌も出てくる。

お茶をたらふく呑んで、朝のあいさつを交わして、十二銭なのだ。どんづまりの世界は、光明と紙一重で、ほんとに朗らかだと思う。
地球よバンバンとまっぷたつに割れてしまえと、呶鳴(どな)ったところで、私は一匹の烏猫(からすねこ)だ。
夜は御飯を炊くのが面倒だったので、町の八百屋で一山十銭のバナナを買って来てたべた。女一人は気楽だとおもうなり。
私は本当に詩人なのであろうか? 詩は印刷機械のようにいくつでも書ける。ただ、むやみに書けるというだけだ。一文にもならない。活字にもならない。そのくせ、何かをモウレツに書きたい。心がそのためにはじける。

今度東京へ行く機会があれば、新宿区にある林芙美子記念館を訪ねようと思う。

2014年3月14日第1刷、2023年7月5日第6刷。
岩波文庫、1150円。
posted by 松村正直 at 23:50| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月06日

御礼

野兎舎主催のオンラインイベント「戦争で負傷した軍人は何を詠んだのか? ― 村山壽春の短歌」、無事に終了しました。「戦争の歌」シリーズも今年で5回目ですが、過去最多の方々にご視聴いただけたようで、たいへん嬉しいです。

65年前に亡くなった村山さんとはもちろん会ったこともないですし、2か月前に偶然知っただけの関係に過ぎません。それでも、残された歌を通じて、その苦悩や喜びをありありと感じてきました。

そんな村山さんの思いと生涯について今回多くの方にお伝えすることができ、無事に約束を果たせたような気分でホッとしております。ありがとうございました。

村山壽春についてはまだまだわからないことが多く、道半ばです。これからも取材を続け、さらに一歩でも二歩でもその心に近づくことができればと思います。

posted by 松村正直 at 22:21| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月04日

三砂ちづる『頭上運搬を追って』


副題は「失われゆく身体技法」。

水や芋や魚などを頭に載せて運ぶ頭上運搬。今も世界各地で行われ、かつては日本でも見られたこの運搬方法は、どのようにして可能になり、どうして失われていったのかを追究した本。

非常におもしろい。

頭上運搬ができる人たちは、絶対に頭上にのせた荷物を落とさない、落としたことがない、落とした人も見たことがない、という。
今や、自動車もあるし、頭にのせてものを運ばなくてもよくなってはいるのだが、頭にものをのせて運べたころの、自分の身体への理解と直感の力、意識の力がなくなってくることが、私たちの人間としてのあり方になんの影響もない、とどうしていえようか。
彼女たちの言う「何の練習もしていないけれど、やろうと思えばできた」という言葉には、人間本来の身体づかい、というものについての、大いなる示唆が隠されている。

生活環境の変化に伴って失われた身体技法を取り戻すのは容易ではない。生活が便利になる一方で、私たちは身体がもともと持っていた力を失いつつあるのかもしれない。

著者紹介を見ると、「ロンドン大学PhD(疫学)」「ブラジルで約十年間暮らした」「国立公衆衛生院疫学部に勤務」「津田塾大学学芸学部教授」「八重山で女性民俗文化研究所主宰」と、一人の人物とは思えないほど多彩な経歴を積んでいる。

でも、それらすべてが別々のものではなく、この人の中ではゆるやかにつながっているのだろう。

2024年3月30日、光文社新書、860円。

posted by 松村正直 at 23:48| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月02日

住吉カルチャー&フレンテ歌会

相変わらず暑い一日。

10:30から神戸市東灘区文化センターで住吉カルチャー。参加者は8名。今日はいつもと趣向を変えて上田三四二の歌について話をした。平明さと奥深さを兼ね備えた三四二の歌は、短歌を考える際の一つの目標になると思う。12:30終了。

昼食を挟んで同じ場所で13:00からは第82回フレンテ歌会。参加者10名。自由詠1首と題詠1首、計30首について意見交換する。

同じ一首をめぐってセミの歌と読む人もいれば人間の歌と読む人もいる。自分の思いもよらない読みが次々と出てくる。これだから歌会はやめられない。17:00終了。

その後、近くのロイヤルホストで食事をしながら2時間ほどお喋り。

今月16日には須磨シーワールドに吟行へ。今から楽しみだ。

posted by 松村正直 at 21:40| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする