2024年05月31日

村山壽春のこと(その3)

村山の作品は戦中に編まれたいくつかの傷痍軍人の短歌アンソロジーに収められている。例えば由利貞三編『白衣勇士誠忠歌集』(1942年)には42首が掲載されている。

手をとりて鳥居に触れさせみとり女は今参道へ入ると教へぬ
股肱われこの手この眼は捧げたり残る命も君に捧げん
見えざれば母上の顔撫でゝ見ぬ頰柔かく笑みていませる
友軍の戦況告ぐる放送に残る拳をにぎりしめけり
鳳仙花咲いたときゝて探り見ぬ実が二つ三つ手に弾けたり

1首目は看護師に連れられて明治神宮に参拝した時の様子。目の見えない村山にとって、触れることは生活の基本となっている。2首目の「この手」、4首目の「残る拳」からは手も負傷したことがわかる。

誌面には目に包帯を巻いた写真と、次のような作者紹介がある。

(戦盲)村山壽春(ムラヤマトシハル)京都府 中尉(篠原誠部隊志摩部隊)

揚子江岸安慶附近戦闘に於て地雷爆破の為両眼失明、右腕切除。左手指損傷、鼓膜破裂、全身破片創。外に肋骨重傷切断。

何とも凄まじい重傷だ。両目が見えないだけでなく、右腕も失っている。

村山が負傷したのは1939(昭和14)年の南昌作戦においてであり、当時彼は第116師団(師団長:篠原誠一郎中将)の歩兵第120連隊(連隊長:志摩源吉中佐)に所属する陸軍中尉だったようだ。

佐佐木信綱、伊藤嘉夫共編『戦盲:大東亜戦争失明軍人歌集』(1943年)には、「療養練成編」に30首、「再起更生編」に20首の計50首が掲載され、退院後の京都での暮らしも詠まれている。

母が手に白衣をぬぎて紺絣黒の羽織と重ね着るかも
己が身は涼しき風に吹かれつつ南(みんなみ)の戦地思ふ夜半かな
鴨川の堤の柳手にふれてものやはらかき芽をふけりみゆ
たはむれに牛の鳴くまねわがすれば皆が笑ひて我家あかるし
梅が枝の蕾静かに香を秘めて我が運命を暗示する如し

その後の村山の消息については何もわからない。

戦争を生き延びることができたのか、戦後の暮らしはどうだったのか。もしご存知の方がいらっしゃったらご教示ください。

posted by 松村正直 at 19:35| Comment(0) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

村山壽春のこと(その2)

この歌は、中河幹子編『臨時東京第三陸軍病院傷兵 傷兵歌集 第1輯』(1943年)というアンソロジーに載っている。

臨時東京第三陸軍病院は昭和13年に創設された東日本最大の陸軍病院で、数千名の患者を収容していたという。現在の独立行政法人国立病院機構相模原病院である。

中河の序文には「昭和十六年秋以来、月二回日曜日に相模原の第三陸軍病院へまゐり傷兵の方々と御一緒に和歌の勉強をしてまゐりました」とある。中河の指導のもとに、傷兵たちは短歌を詠んでいたのだろう。

村山は傷痍軍人だったのだ。彼の歌は全部で8首収められている。

起き出でて東に向ひわが立てばああ太陽が太陽が見ゆ
故郷にひとりわびゐの母の上に思ひぞ勝る春雨の音
夕ぐれになりにけらしな文机の鉢のサフラン花とぢにけり
懐しき故郷人は母上の元気なたより持ちて来ませり
庭に出でて指にまさぐる藤の秀(ほ)のふくらむみれば夏遠からじ
野中なるこの病院にひねもすをひばりの鳴けば故郷思ほゆ
雨樋の水音しげくなりて来ぬ寝つつし思ふ大灘の波
うつそ身はめしひてあれど国の為死なしめ給へ天地の神

1首目に「ああ太陽が太陽が見ゆ」とあって、もしかしてと思ったのだが、8首目を読むと村山が戦傷により失明していたことがわかる。「太陽が見ゆ」は明るさが感じられるということなのだろう。

「春雨の音」「ひばりの鳴けば」「雨樋の水音」など聴覚に関する歌が多いのも、視覚が失われているからだ。

夕ぐれになりにけらしな文机の鉢のサフラン花とぢにけり

この歌のサフランは春に咲くクロッカスのこと。花は日が当たると開き夕方になると閉じる。「けらし」という推量が用いられているのは、目が見えないからだ。

5首目では藤の花房に指で触れて膨らみを感じている。おそらくクロッカスにも指で触れてみて、花が閉じていたので夕方になったと知ったのだろう。

posted by 松村正直 at 06:33| Comment(0) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月30日

村山壽春のこと(その1)

近年の国会図書館デジタルコレクションの充実ぶりには目を見張るものがある。昔だったら調べようのなかったことが、実に簡単に調べられるようになった。

以前、「角川短歌」1996年6月号に河野裕子さんが書いた文章をブログで引いたことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387139218.html

短歌好きの母は、折りにつけて、娘時代に覚えた歌を口遊んでいた。聞くともなしに聞いていて、すっかり覚えてしまった歌が何首もある。

  ゆふぐれになりにけらしな文机(ふづくえ)の鉢のサフラン花閉ぢにけり

という歌は、作者名もわからないまま母から私に伝えられた歌であり、早春の光りが射す頃になると、決まって思い出す歌である。

11年前のブログの最後には「一体だれの歌なのだろう」と書いたのだが、今ならこうしたことも調べればわかってしまう。

作者は村山壽春(むらやまとしはる)という方である。

posted by 松村正直 at 20:25| Comment(0) | 河野裕子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

早坂隆『ペリリュー玉砕』


副題は「南洋のサムライ・中川州男の戦い」。

1944年9月15日から11月27日まで74日間にわたって激しい戦闘が繰り広げられた南洋のペリリュー島(現パラオ共和国)。その戦いの様子を日本軍の指揮官だった中川州男の生涯を軸に描いている。

「日本側のペリリュー島の戦いに関する認識には、日本軍の戦闘力に対する過大評価とある種の思い入れがある」(吉田裕『日本軍兵士』)という点には注意が必要だが、本書は概ね客観的な記述に徹しているように感じた。

文献の中には「州男に弟がいた」とする記録があるが、これは誤りである。
幾つかの文献の中には「現地ペリリュー島に赴いた中川が、その地形を見て地下陣地を構築する作戦を発案した」などと書かれたものが散見されるが、それらの記述は史実とは言い難い。

軍隊に関する興味深い記述もある。

ミツエの兄である平野助九郎少佐(後の陸軍少将)が、中川の上官にあたるという間柄であった。「上官の妹を娶る」という構図は、当時の陸軍では珍しくない光景だった。
同制度(=学校配属将校制度)には、軍縮の影響を被った軍人への失業対策という側面もあった。

一番驚いたのは、米軍が日本兵にビラやマイクで投降を呼びかけたのに対して、日本軍も米兵に投降勧告のビラを撒いていたという話。戦死者10022名、生存者わずか34名という玉砕戦の様子がなまなましく伝わってくる。

パラオには、いつかぜひ行ってみたい。

2019年6月20日、文春新書、880円。

posted by 松村正直 at 03:26| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月29日

石田比呂志『片雲の風』

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「シリーズ・私を語る」の一冊。1996年11月25日から翌年1月23日まで、熊本日日新聞の夕刊に45回にわたって連載された文章をまとめたもの。誕生から67歳に至る自らの半生を振り返っている。

石田比呂志の短歌もおもしろいが、文章も実に味わい深い。山崎方代のエッセイにちょっと似ている。時おり自虐を織り交ぜつつも、その裏に自らの信念を貫く強い自負が感じられる。

それ(啄木の『一握の砂』)を開いて読んだ時の感動をどう言い表せばよいのであろうか。言うに言葉を持たないが、あえて言えば、地獄で仏に出会ったというか、とにかく救世主に出会った気分で(…)
そこから投稿した歌が新聞歌壇に載った。たかが新聞歌壇というなかれ、自分の歌が生まれて初めて活字になった感動は本人でなければ分からない。

このあたり、私にも同じ覚えがあるので強く共感する。

以前、石田比呂志と松下竜一の関係についてブログに書いたことがあるのだが、そのあたりの事情もよくわかった。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138409.html

この時期私は仕事らしい仕事もせずに(いつもそうだが)昼間から焼酎に酔い喰らっていたが、その私の部屋の裏に『豆腐屋の四季』で有名になる松下竜一氏が住んでいて、後には奇縁を結ぶことになる。

石田と松下の貴重なツーショットも載っている。

最後に真面目な短歌についての話も引いておこう。

「牙」も結社だから、選歌、添削という教育的側面、歌会という指導的側面のあることは否定できない。が、それはあくまでも側面であって根本は一人一人が自得、独創してゆく世界だ。つまり芸は先達から恩恵を受けることはあっても、授受という形での継承はあり得ない。

生前にお会いできなかったのが何とも残念だ。

1997年4月21日、熊本日日新聞社、1238円。

posted by 松村正直 at 09:16| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月28日

東京から

東京から帰ってきました。
京都は雨。

posted by 松村正直 at 05:53| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月27日

横浜 vs 広島

83歳の父を連れて横浜スタジアムに行き、横浜DeNEベイスターズ vs 広島東洋カープの試合を観る。球場で野球観戦をするのは多分25年ぶりくらい。


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12:00前に球場に着いたので試合開始の14:00まで余裕がある。


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グラウンドでは広島の打撃練習と守備練習が行われている。


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天気は上々。日差しは暑いくらい。でも、吹き抜ける風は涼しい。


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席は三塁側のDB応援内野席で、まわりは横浜ファンがいっぱい。

試合は広島が4対2で横浜に勝った。

蝦名の先頭打者初球ホームランとか、筒香の3安打とか、田中広輔の見事なダイビングキャッチとか、見どころの多い内容だった。

テレビと違って実況中継はないけれど、観客の声援や拍手や掛け声で、今どんな状況なのかを体感できるのがいい。

posted by 松村正直 at 08:23| Comment(0) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月26日

吉田裕『日本軍兵士』


副題は「アジア・太平洋戦争の現実」。

軍人・軍属230万人、民間人80万人、計310万人の日本人が亡くなったアジア・太平洋戦争。その実態を次の3つの問題意識から描き出している。

・戦後歴史学を問い直すこと
・「兵士の目線」で「兵士の立ち位置」から戦場をとらえ直してみること
・「帝国陸海軍」の軍事的特性との関連を明らかにすること

戦病死、餓死、海没死、特攻、自殺、兵士の体格の低下、栄養不良、戦争神経症、装備の劣悪化など、読んでいて気が重くなる話が次々と出てくる。でも、それが戦争の現実なのだ。

日本人に関していえば、この三一〇万人の戦没者の大部分がサイパン島陥落後の絶望的抗戦期の死没者だと考えられる。

戦没者の約9割が1944年以降に亡くなったと推定されている。終戦の決断の遅れが多大な犠牲をもたらす結果となった。

戦争が長期化するにしたがって戦病死者数が増大し、一九四一年の時点で、戦死者数は一万二四九八人、戦病死者数は一万二七一三人、この年の全戦没者のなかに占める戦病死者の割合は、五〇・四%である。

戦場の死者の2人に1人は敵と戦って死んだのではなく、マラリアや栄養失調などで死んだのであった。

海没死者の概数は、海軍軍人・軍属=一八万二〇〇〇人、陸軍軍人・軍属=一七万六〇〇〇人、合計で三五万八〇〇〇人に達するという。

艦船の沈没に伴って主に溺死した人の数である。今も多くの命が太平洋の各地に眠っている。

精神的にも肉体的にも消耗しきった兵士たちの存在を制度の問題としてとらえ直してみたとき、日本軍の場合、総力戦・長期戦に対応できるだけの休暇制度が整備されていなかったことが大きな問題だった。

このあたりの話は、現代の過労死やうつ病などの問題にもつながっているように感じる。

2017年12月25日初版、2022年8月30日第17版。
中公新書、820円。
posted by 松村正直 at 22:00| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月25日

東京へ

東京へ行ってきます。

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2024年05月24日

ダンス演劇「ラストエンターティンメント」

京都駅の東側のあたりを散策する。


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柳原銀行記念資料館(京都市人権資料展示施設)。

明治40年竣工の建物が移築・保存され、部落差別や人権問題に関する展示を行っている。建物の背後は昨年から京都市立芸術大学のキャンパスとなっている。


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かたぱん屋(亀井商店)。

家族経営の昔ながらのお店。注文が入るたびに鉄板の上に生地を垂らして焼いてくれる。

「まるパン」は両面を焼いたホットケーキみたいな食べもの。「さんかく」を片面を焼いて三角形に折り畳んだもので、中はとろりとしている。「かたパン」はまるパンを一晩乾燥させたもので、かなり硬い。前歯で嚙まないようにと注意される。


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今月オープンした「鴨葱書店」。歌集もけっこう置かれていた。

その後、「THEATRE E9 KYOTO」でダンス演劇「ラストエンターティンメント」を観る。

作・演出・映像・舞台監督:窪木亨
出演:大柴タクマ(バレエダンサー)、KATSU(ブレイクダンサー)

2人のダンスを生かしつつ、ストーリーあり笑いありの楽しい作品に仕上げている。


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劇場の前を流れる鴨川。
気候も爽やかで楽しい一日だった。

posted by 松村正直 at 17:48| Comment(0) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

別邸歌会のご案内

 「別邸歌会」チラシ 2024.05.20.jpg


2か月に1回、関西2府4県を順にめぐって歌会を開催しています。

どなたでも参加できますので、初心者の方もベテランの方もどうぞお気軽にお申込みください。

posted by 松村正直 at 08:02| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月23日

ファブリ歌集『リモーネ、リモーネ』


イタリア生まれで「未来」所属の作者の第1歌集。

カン・ハンナ『まだまだです』(2019)などと同じく、日本語を母語としない作者の歌集だ。

頭から食べ始めればたい焼きの笑顔が消えてさびしい昼は
数学の長い講義に比べたら静かなトイレは天国である
味気ないひとりの白いキッチンでゆでたうどんは夜中の食事
食堂のアクリル板に囲まれて僕らはまるで囚人のよう
駅前でチラシ一枚もらっても選挙権なき僕はどうする
夕やけの喫茶店まだ残ってる紅茶のカップに秋のみずうみ
リモーネはレモンレモンはリモーネで今日はすっぱいものが食べたい
雨音でぐっすり眠る人もいる頭痛がひどくなる僕もいる
ラーメンの優しい湯気が食卓を囲んで今夜は喜多方にいる
わが故郷サルデーニャ島に渡ろうとして赤べこはリュックに入る

1首目、笑顔という捉え方が面白い。顔がなくなると無惨な感じだ。
2首目、大勢の人がいる教室とトイレの個室という違いでもあろう。
3首目、素うどんに違いない。「白い」がうまくて、うどんも白い。
4首目、「囲」「囚」「人」の漢字が視覚的にも内容を伝えている。
5首目、日本に住む外国人の参政権について考えさせられる内容だ。
6首目、カップの底に残った紅茶を夕焼けに染まる湖面に見立てた。
7首目、イタリア語のレモン。呼び方を変えると別のものに感じる。
8首目、夜に降る雨の音。人によって好き嫌いが違うことに気づく。
9首目、音の響きの心地よい一首。「喜多方」がうまう効いている。
10首目、土産に買った赤べこ。青い海を渡る赤い牛が目に浮かぶ。

2023年10月18日、喜怒哀楽書房、1000円。

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2024年05月22日

講座「短歌―歌集の編み方、作り方」

7月27日(土)に朝日カルチャーセンター(くずは教室)で、「短歌―歌集の編み方、作り方」という講座を行います。時間は13:00〜14:30の90分。

なぜ私たちは歌集を出すのか? 歌集を編む意味とは何か? そんな出発点から、歌の選び方や並べ方、タイトルの付け方、出版社の決め方、費用や寄贈に関することまで、経験をもとに具体的にお話しします。

歌集作りというのは自分自身と出会い直す機会でもあります。そろそろ歌集をまとめようと思っている方、いつか歌集を出せたらと考えている方、ぜひこの機会にご参加ください。

【オンライン受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=7208162

【教室受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=7208161

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2024年05月21日

「富岡鉄斎 知の巨人の足跡」

大和文華館で開催されている特別企画展「没後一〇〇年 富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡―」へ。近鉄「学園前」駅より徒歩7分。


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先日の京都国立近代美術館に続いての富岡鉄斎(1836‐1924)の展覧会だ。

愛媛県松山市三津浜の近藤家から贈られた海産物を描いた「車海老図」「伊勢海老図」「鮮魚図」などが印象に残った。


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大和文華館は池に面して立っていて、周囲は庭園になっている。紫陽花にはまだ早かったが、季節ごとに散策するのも楽しそうだ。

posted by 松村正直 at 18:39| Comment(0) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月20日

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖W』


副題は「扉子たちと継がれる道」。

ビブリア古書堂のシリーズは、何だかんだ言いながら2011年刊行の1冊目から全部読んでいる。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138686.html

今回は「令和編『鶉籠』」「昭和編『道草』」「平成編『吾輩ハ猫デアル』」の3話。智恵子、栞子、扉子の女性三代の話をうまく絡めて展開している。

「本も、人間も、完全な存在ではなくて……人間が書いたものだから、本にも欠点はあります……最後は、欠点を許せなくても受け入れられるか……欠点や問題があったとしても、愛せるかどうかで、決まる気がするんです」

栞子さんの言葉が胸に響く。

2024年3月25日、メディアワークス文庫、730円。

posted by 松村正直 at 06:28| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月19日

第14回別邸歌会

大庄南生涯学習プラザ(兵庫県尼崎市)で第14回別邸歌会を行う。

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1937(昭和12)年に村野藤吾設計で建てられた旧大庄村役場で、現在は国の登録有形文化財に指定されている。1階ロビーに建物に関する展示がある。


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外壁は茶褐色のタイル貼り。


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階段の手すりの曲線などにも味わいがある。


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歌会を行った2階の第1会議室は、かつての貴賓室。大庄村の歴代の村長の肖像が飾られている。

13:00から17:00まで、参加者12名の計24首について議論する。

いろいろな読みが飛び交って、だんだん歌の魅力が深まっていくのが歌会の醍醐味だと思う。


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部屋に据え付けられた、かつての暖房設備か?


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部屋の四隅にある照明もオシャレだ。

歌会終了後、駅近くにあるガストに寄ってさらに2時間以上おしゃべり。楽しい一日だった。

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2024年05月18日

佐久田繁編著『琉球王国の歴史』

長らく積読になっていた本を読んだ。
どこで買った本だったかな。

副題は「大貿易時代から首里城明け渡しまで」。沖縄の古代から、三山分立、第一尚氏王統、第二尚氏王統、薩摩藩の侵攻、ペリー来航、廃藩置県までの歴史を記している。

「東洋のジブラルタル」ともいわれる戦略的要衝にある沖縄は、世界や日本の潮流の変わり目ごとにほんろうされ「地理は歴史の母」であることを痛感させられています。

編者が巻末にこのように書いている通り、中国や日本との関わりの中で独自の体制や文化を育んできた沖縄の苦闘の歴史がよくわかる。

中山が1372年初入貢して11年後の1383年、明朝は沖縄を『琉球』と命名、和名の「沖縄」より唐名の「琉球」が国際的通称になった。
幕府が開国を断るなら琉球を占領するつもりだったペリーは、入港10日後の6月6日、大砲2門と210人の海兵隊をひきいて首里城に向かい、開港を強要(…)
琉球藩内では日清両属の現状維持に固執する多数派の頑固党と、百年の大計のためには日本に専属すべしと主張する少数派の対立が激化するが、諸藩と同様に、『琉球藩存続』では一致していた。

本書は1879年の沖縄県設置(首里城明け渡し)で終っているのだが、その後の沖縄戦やアメリカによる占領、本土復帰などを考える上でも、沖縄の歴史をよく知っておく必要があると感じた。

1999年9月、月刊沖縄社、1000円。

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2024年05月17日

藤原明『日本の偽書』


2004年に文春新書から出た本を文庫化したもの。

『上記(うえつふみ)』『竹内文献』『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』『秀真伝(ほつまつたえ)』『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』『先代旧事本紀大成経』という6つの偽書を取り上げて、その内容や成立過程について論じている。

著者の狙いは真贋論争をすることではなく、偽書を学問として捉えることだ。

真に必要なことは、偽書というものが存在するのも一つの歴史的事実であることをうけとめ、それがどういう意味を持つのかを醒めた目で分析し、学問の上に位置づけることにあると考える。

その上で「言説のキャッチボール」などを通じて偽書が生み出される経緯を検証している。特に面白かったのは中世の注釈に関する話で、単に本文に付随する説明ではなかったらしい。

古典の本文を深読みすることも含め、本文を遊離した新たな伝承ともいえる言説が創造されるという性質がみられ、現代の注釈が「つける」ものであるのに対して、中世の注釈は「つくる」ものという関係にあるという。

短歌に関わる話も出てくる。

『秀真伝』は近世にはすでに存在していたが、明治以降、小笠原通当の一族の子孫、小笠原長城・長武父子が、歌人佐佐木信綱のもとに宮中への献上文を付けた『秀真伝』を送り、信綱を通じて目的を果たそうとしたが、信綱に偽書として一蹴されてしまった。

さすが信綱!

院政期の文化に関して、「文狂い」という現象が注目されている。(…)この「文狂い」という現象は、歌学の世界にもみられた。歌合の場で『万葉集』に存在しない架空の万葉歌を捏造する等の行為として現れる。

自分の詠んだ歌の本歌として万葉歌を捏造したというのだ。何とも面白い話で、詳しく調べてみたくなる。

2019年5月20日、河出文庫、760円。

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2024年05月16日

オンライン講座「『ラジオと戦争』今、戦時下メディアの責任に向き合う」

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5月25日(土)にオンライン講座「『ラジオと戦争』今、戦時下メディアの責任に向き合う」を行います。

毎日出版文化賞を受賞した『ラジオと戦争』の著者、大森淳郎さんにお話を聞きつつ、メディアがどのように戦争に加担していったのかを考えます。

ラジオと戦争に関する当時の短歌も取り上げますので、ご興味のある方はどうぞお申込み下さい。講座終了後、1週間限定のアーカイブ配信もあります。

https://college.coeteco.jp/live/5ynjce7k

ラヂオにて伝ふる戦死者の名を聞けばあはれにて国を思ふ心おこらず
/佐藤佐太郎「アララギ」1932年4月号
アスフアルトの照り返しあつき巷ゆき戦死者告ぐるラヂオはきこゆ
/長田とよ子「アララギ」1937年11月号
とぎれもなく戦死者の名と郷国(くに)を呼ぶラヂオの前に涙をぬぐふ
/森本治吉「アララギ」1938年7月号

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2024年05月15日

葵祭と国学

カルチャー教室で、「今朝は地下鉄がすごく混んでました。何かあるんですかね?」と言ったら、生徒さんに一斉に「葵祭ですよ!」と返された。あっ、そうか、5月15日か。何年京都に住んでいても、京都人にはなれないな。

葵祭は平安時代から続く祭だが、古くは賀茂祭と呼ばれていて、葵祭の名前になったのは江戸時代に再興されてからのことらしい。

この再興にも国学者らが深く関わっている。

江戸時代中期になって世の中が落ち着いてくると、戦国時代の動乱で焼滅したり廃絶したものを再び興そうとする気運が出てきました。これは国学の復古の精神と同じもので、当時の技術を尽くし、さらに古い時代のものを復元しようとするのです。そして、それに国学者の研究成果が反映されるようになっていきます。(…)公家の野宮定基や滋野井公澄らの考証により、元禄七年(一六九四)には京都の賀茂神社の葵祭が再興されています。(『やさしく読む国学』)

なるほど。大昔から続いているように見える行事や祭も、実際にはこういう形で甦ったものが多いのだろう。

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2024年05月14日

中澤伸弘『やさしく読む国学』


国学に関する初心者向けの概説書。一つのトピックにつき見開き2ページで書かれていて読みやすく、理解が進む。

最近、和歌・短歌史や近代日本の成り立ちを考える際に「国学」がキーワードの一つになることに気づいて、少しずつ学んでいるところ。

一言で「国学」と言い表される学問は、このように広い範囲を含みます。今日言うところの歴史、文学、文法、語彙、考証、法律、思想など、実に広い土台がある「学際的」な学問でした。
明治十五年には(…)伊勢に皇學館、東京には東京大学古典講習科、また後の國學院の経営母体となる皇典講究所が設立されました。偶然にもこの三校がこの年に創設されています。これらの学校には、国学の伝統を身をもって受けついでいる人々が教師となり、国学の伝統が伝えられることになりました。
国学の興る原因の一つに、和歌の改革があった事は先に述べましたが、歌を詠むということは国学において重要なものだったのです。宣長はその国学の入門書である『うひ山ぶみ』で、歌を詠むことの重要性を説きます。
国学者と狂歌師は、実は密接な関係があるようで、狂歌の歌会なども月に数度開かれたり、添削などの通信教育を受けていたようです。

知れば知るほど面白い世界だと思う。先日展覧会で見た富岡鉄斎も国学を学んでいたらしい。彼が全国を旅したのも、単に美しい風景を見るためだけではなく、各地の陵墓の探索という目的があったようで、まさに国学の世界である。

2006年11月20日第1刷、2017年11月20日第4刷。
戎光祥出版株式会社、1800円。

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2024年05月13日

渡英子歌集『しづかな街』

著者 : 渡英子
本阿弥書店
発売日 : 2024-03-01

2015年から2022年までの作品を収めた第5歌集。
旅の歌、沖縄の歌、近代短歌に関する歌が目に付く。

もうこんなに大きくなつて姪や甥は銀のやんまを追ふこともせず
階段で本読む吾にこゑをあぐ春夜トイレに起きたる夫は
水行して日本に近づく人あらむ漁船をしづかに操りながら
那覇におかず台北に置きし帝大を大王椰子の並木に仰ぐ
夕道のどこかで淋しくなつてしまふ子を抱き上げてしばらく揺らす
ひとり鍋をあをきガス火に煮る夕べ君の嫌ひな春菊刻む
腰に巻くサルーンを選ぶヒンドゥーの寺に詣でるたびびとわれは
粥炊いて土鍋の罅を糊塗すれば湯気曇りして玻璃は息づく
肉太(ししぶと)の左千夫をはさみ歩(あり)く日の千樫と茂吉は右に左に
〈大東亜〉と〈太平洋〉ではちがふと思(も)ふ三文字なれど戦争のうへ

1首目、甥や姪が小さな子どもだった頃の姿が下句から髣髴とする。
2首目、さぞかし驚いたことだろう。階段にも本が積んであるのだ。
3首目、北朝鮮の不審船。「水行」は魏志倭人伝の記述を思わせる。
4首目、台湾と朝鮮には帝国大学が存在した。沖縄との扱いの違い。
5首目、いわゆる黄昏泣き。幼児を抱いてあやす様子が目に浮かぶ。
6首目、君と一緒の時に春菊は入れられないから、ちょっと嬉しい。
7首目、自分が外国人の観光客であることを、あらためて意識する。
8首目、糊を塗るという意味で「糊塗」を使っているのが印象的だ。
9首目、アララギの盟友であった二人。その後を思うと味わい深い。
10首目、どのように名付けるかで戦争の性格や構図が違ってくる。

2024年3月1日、本阿弥書店、2800円。

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2024年05月12日

岡真理『ガザとは何か』


副題は「パレスチナを知るための緊急講義」。

2023年10月20日に京都大学で行われた「緊急学習会 ガザとは何か」と10月23日に早稲田大学で行われた「ガザを知る緊急セミナー 人間の恥としての」における講演をもとに編集、再構成したもの。

現在ガザで起きていることの背景や原因を明らかにするとともに、私たち一人一人が何をなすべきか問い掛けている。

パレスチナとイスラエルの間で起きていることは、「暴力の連鎖」でも「憎しみの連鎖」でもありません。これらの言葉を使うかどうかで、それが信頼できるメディアか、信頼できる人物かどうか、その試金石になります。
イスラエルは、パレスチナに対して行使するありとあらゆる暴力を、自分たちがユダヤ人であること、ホロコーストの犠牲者であることをもって正当化し、自分たちに対する批判の一切合切を「反ユダヤ主義」だと主張してきました。日本のマスメディアはあたかも、イスラエル=ユダヤ人であるかのように報道しています。
もちろん、今生きていくためにはそうした人道支援は不可欠です。でも、封鎖や占領という政治問題に取り組まずに、パレスチナ人が違法な占領や封鎖のもとでなんとか死なずに生きていけるように人道支援をするというのは、これは、封鎖や占領と共犯することです。だから、政治的な解決をしなければいけないんです。

イスラエルという国家やシオニズムの問題とユダヤ人に対する差別や迫害の問題を、まずは冷静に区別して考える必要があるのだろう。

その上で、昨年10月7日のハマスの攻撃を起点に考えるのではなく、2007年のイスラエルによるガザ封鎖、さらには1948年のイスラエル建国まで遡って、争いの原因や解決策を考える必要がある。

2023年12月31日、大和書房、1400円。

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2024年05月11日

「塔」2024年4月号

創刊70周年記念号。全356ページという分厚さだ。

「没後四十年 高安国世再発見」という特集が組まれ、「高安を直接には知らない世代」の6名がそれぞれ「子育て」「海外留学」「地方と東京」「日常の発見」「自然」「前衛」のテーマで評論を書いている。

北奥宗佑「非日常の輪郭」は、1957年の高安の西ドイツ滞在について次のように書く。

これを「留学」と捉えるかどうかは微妙なところであり、高安自身も『北極飛行』や先行する『砂の上の卓』のあとがきでは自らの滞独を指して「留学」の語を使わず、「滞在」や「外遊」の語を用いている。同じ大学教員の視点から見れば、高安のドイツ滞在は実質的にはいわゆるサバティカル、つまり大学教員がキャリアの途中で一年程度外国で過ごす研究休暇と捉えるのが正確に思われる。

とても大事な指摘だと思う。これまで高安の「ドイツ留学」と言われることが多く、私も『高安国世の手紙』の中でそのように書いているが、実際には北奥の記すように研究休暇という性格のものだったと見て間違いない。

千葉優作「前衛、暁を覚えず ―高安国世の夜明け―」は、「アララギ」出身の高安が「塔」を創刊するに至る経緯を記した上で、

『塔』創刊の頃の彼は、自らを育みくれし『アララギ』に対する愛着を、捨てきれなかったのではあるまいか。
高安は、激しく変化してゆく時代にあって、『塔』と『アララギ』という二つの結社に引き裂かれる苦しみの中にいたのである。

と書いている。高安作品の傾向や変化について言えば、この指摘は当っているし、その通りだと思う。ただし、「塔」と「アララギ」は結社として対立する関係にあったわけではない。それは、高安が「塔」創刊後も「アララギ」の会員であり続けたことからも明らかだろう。

以前、高安は1984年に亡くなるまで「アララギ」の会員のままだったのではないかと、このブログに書いたことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387139186.html

今回思い付いて高安の亡くなった頃の「アララギ」を調べてみると、1984年9月号の編集所便(吉田正俊)に、

△高安国世氏は七月三十日、京都第二日赤病院にて死去されました。謹んで哀悼の意を表します。

と書かれている。また、翌10月号の編集所便にも、

△故高安国世氏歌集「光の春」が昭和五十六年夏から五十九年二月迄の作品四百首を収載氏、短歌新聞社より発行になりました。著者の第十四歌集。定価二三〇〇円。
△高安国世氏御遺族和子氏より三十万円、(…)発行費に御寄附いただきました。厚く御礼申します。

とある。

これらは高安が終生「アララギ」の会員であった証拠となるだろう。

posted by 松村正直 at 06:15| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月10日

「没後100年 富岡鉄斎」展

京都国立近代美術館で開かれている「Tessai 没後100年 富岡鉄斎」展を見てきた。

富岡鉄斎(1836‐1924)の書画や遺愛の品など約350点が展示されている。中でも100点あまりの印章のコレクションがずらりと並んでいるのが壮観だった。

美術館に来てよく思うのは、キャプションの英語訳が役に立つこと。作品名が難しい場合など英語を見た方がわかりやすいことが多い。

今回も「磤馭盧洲図誌」と題する絵があり、最初は読み方すらわからなかったのだが、英訳に「Awaji」とあって「おのころ島」のことだと気が付いた。他にも「残墨」が「inkstick used」だったり、なるほどと思うことが多い。

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2024年05月09日

「作歌の現場から」のアーカイブ

NHK学園のオンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」は、過去の回のアーカイブ配信による受講も受け付けております。興味のあるテーマやゲストの回がありましたら、ぜひご視聴ください。

第1回「意味を詰め込みすぎない」小池光さん
https://college.coeteco.jp/live/5vxlc4y2

第2回「過去形と現在形」小島ゆかりさん
https://college.coeteco.jp/live/809gce7v

第3回「社会詠をどう詠むか」栗木京子さん
https://college.coeteco.jp/live/5vxlc437

第4回「情と景の取り合わせ」三枝ミ之さん
https://college.coeteco.jp/live/5ynjc6g4

第5回「てにをはの使い方」大辻隆弘さん
https://college.coeteco.jp/live/mk1dc2y6

よろしくお願いします。

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2024年05月08日

前川佐美雄『秀歌十二月』


1971年に筑摩書房から刊行された単行本を文庫化したもの。

もともと1964年に大阪読売新聞に連載した文章をまとめて、1965年に筑摩書房の「グリーンベルト」シリーズの1冊として刊行された本である。


万葉集から古今、新古今、近世和歌、近代短歌までの計154首を取り上げて、鑑賞文を記している。磐姫皇后、柿本人麿、大伯皇女、大伴家持、西行法師、式子内親王、源実朝、藤原定家、伏見院、田安宗武、橘曙覧、落合直文、正岡子規、与謝野晶子、会津八一など。

1月から12月まで時期ごとに分けて、一人につき2首のペースで鑑賞していて読みやすい。近代歌人については、著者との関わりなどのエピソードも交えている。

この歌の発表されたころだったろう。落ちぶれた茂吉の姿が新聞か雑誌に載ったことがある。(…)私は胸のつまる思いをした。たちまちそれを十五首の歌に作り「斎藤茂吉氏におくる」と題して、書き下し歌集『紅梅』に収めた。
吉井勇がある時、突然私に晶子の「白桜」はいいよと話し出したことがある。晶子の歌は初期だけだ、あとはしようがないといつもいう勇であっただけに、私は不思議な思いをしたが(…)
千亦は昭和十七年七十四歳で亡くなるまで、一生を水難救済会のためにつくした。(…)誠実、また任侠の人で多くの歌人が恩に浴した。古泉千樫、新井洸しかり、若き日の私もその一人である。

また、歌の背後にあるものを必要以上に推測し過ぎないように注意している点も印象に残った。

けれどもそれは考える必要がない。背後に考えるのはさしつかえないとしても、それを表に出していうと、歌をそこなうことになるだろう。ことばにあらわされただけを、その調べだけを感じとればよいのだ。
これは憶測で、憶測はなるたけしない方がよいが、(…)けれどもそれを口にしてはいけないのだ。ことばに出していうと歌を傷つける。感じとっておくだけでよいのである。

口にしてはいけないと自ら戒めつつ、それでも結局書いているのが面白い。そのあたりのせめぎ合いも、歌の鑑賞の見どころと言っていいだろう。

2023年5月11日、講談社学術文庫、1050円。

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2024年05月07日

森田良行『時間をあらわす「基礎日本語辞典」』


1989年に刊行された『基礎日本語辞典』から時間に関する項目を選んで再編集・文庫化したもの。

細かな言葉のニュアンスの違いや日本語文法に関する分析など、興味深い記述がたくさん出てくる。

遠い過去をさす「以前」は「将来」と対応し、「以後」とは対応していない。
気が進まないながら不承不承におこなう場合には「さっそく」は使わない。逆に言えば「さっそく」と言うからには、やりたい気持ちがあるから行う≠ニ考えてよい。
一般に、時間の流れに対して「過去/現在/未来」の区切り方をし、ことばの表現においても、過去は「……した」、現在は「……する」、未来は「……するだろう」と使い分けるものと思われている。しかし、日本語の時の表現≠ヘ必ずしも現実の時間の区分「過去/現在/未来」に対応して語の使い分けがなされているわけではない。
「あの選手は毎試合同じ手を使ってくる」これを、「‐ごとに」に変えたら「あの選手は試合ごとに違う手を使ってくる」とした方が自然である。

「過去/現在/未来」に関する誤解には、英語の文法を学ぶ影響が作用している気がする。実際の日本語では「……するだろう」は、推量に使っても未来に使うことはない。「明日買物に行く」であって「明日買物に行くだろう」とは言わない。

2018年2月25日、角川ソフィア文庫、720円。

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2024年05月06日

丸地卓也歌集『フイルム』


「かりん」所属の作者の第1歌集。2017年から2023年までの作品を収めている。仕事や社会問題に関する歌が多い。

永遠に上りつづける階段のだまし絵のなかの勤め人たち
舗装路に大穴のあくニュースあり洞の上行くスーツのひとら
からだ中ひかる警備の男いて闇に溶けないこともかなしい
七割が再現部分の土器ありきその三割を縄文と呼ぶ
春の水からだを通って抜けていく鯉の肉わずか甘くしながら
枝先の蟻や蛞蝓てらてらの四十五リットル袋に入れられ
病窓の灯り灯りにいのちあり冬の夜ことに明るくみえる
五百羅漢のようにぽつぽつ立っている通学区域のおじいさんたち
おむつからおむつに終わる人生よボクサーパンツが風に揺れてる
弟の挽歌を毎年つくるべしわが黒き森の枯れないように

1首目、エッシャーの絵の中にいるように繰り返される日々が続く。
2首目、思いがけぬ落とし穴は道路の下だけでなくあちこちにある。
3首目、暗闇の中に一人だけ光って仕事している警備員の孤独な姿。
4首目、修復が目立っていて縄文土器と呼ぶのを少しためらう感じ。
5首目、下句がいい。季節によって池の鯉の体も変化するのだろう。
6首目、剪定された枝とともにゴミ袋へと入った虫がなまなましい。
7首目、夜に灯る部屋の明かりは入院患者一人一人の命の証である。
8首目、登下校の時間帯の見守り。「五百羅漢」の比喩が印象的だ。
9首目、ボクサーパンツを穿いたまま一生を終えられる人は少ない。
10首目、弟の死の意味を問い続ける覚悟でもあり苦しさでもある。

2024年3月26日、角川書店、2200円。

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2024年05月05日

笑亭

よく晴れて暑いくらいの一日。

大手筋のカフェで本を読んで、中書島までぶらぶら歩いていたら商店街に「笑亭」という寄席を見つけた。昨年11月にオープンしたとのこと。せっかくなので、13:00からの昼の部を聴く。

笑福亭喬明「動物園」
笑福亭喬介「時うどん」
 ―仲入―
笑福亭喬介「ねずみ」

という演目。どれも面白かった。
最初と最後の2人のトークも含めて90分。14:30終了。

15席ほどの小さな小屋で居心地が良かったが、残念ながら今月いっぱいで休業になるそうだ。

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2024年05月04日

映画「フィシスの波文」

監督・撮影・編集:茂木綾子

タイトルにある「フィシス」とは、古代ギリシャ語で「あるがままの自然」を意味する言葉。日本や世界に伝わる「文様」を手掛かりに、古くから自然との関わりの中で営まれてきた文化の姿を描いたドキュメンタリー。

登場するのは、千田堅吉(唐長十一代目 唐紙屋長右衛門)、千田郁子(唐長)、鶴岡真弓(芸術人類学者)、ピエール=アレクシィ・デュマ(エルメス アーティスティック・ディレクター)、戸村 浩(美術家)、皆川 明(ミナ ペルホネン デザイナー)、門別徳司(アイヌ猟師)、貝澤貢男(アイヌ伝統工芸師)など。

京都シネマ、85分。

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2024年05月03日

オンライン講座「作歌の現場から」

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オンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」、次回は6月19日(水)19:30〜21:00の開催です。

ゲストは奥村晃作さん、テーマは「モノの見方の新しさ、発見の歌」です。

昨年、第19歌集『蜘蛛の歌』を刊行された奥村さんをお迎えして、短歌における発見についてじっくりと語り合います。

どうぞお楽しみに!

https://college.coeteco.jp/live/5zzwcoye

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2024年05月02日

徳島(その3)

徳島の2日目は晴れ。


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両国橋の親柱に立つ阿波踊りの像。


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徳島駅からJR牟岐線で南へ約1時間10分。阿波福井駅に着く。他に降りる客はいない。この駅から国道55号を北に向かって歩いて行く。


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約1時間で目的の建物に到着!


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喫茶店「大菩薩峠」。


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別の角度から見た全景。

セルフビルド建築として有名なお店。店主が自ら10数万個の煉瓦を焼いて積み上げて造ったらしい。1971年の開業から50年が経ち、煉瓦に蔦の緑が鮮やかだ。


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入口へ向かう階段。


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お店の入口。

11:40頃に着いたのだが、ほぼ満席だった。運よく座ることができて、チキンカツ定食850円をいただく。料理はボリュームがあって、家族連れや運転手たちで賑わっていた。テーブルや椅子などの備品や内装も味わいがある。


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食後に店の上の方を探索。


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迷路のようになっている。


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こちらは自宅か作業場なのだろう。


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スロープもあって、車で上までのぼれるようになっている。


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「大菩薩峠」からさらに北に歩いて海へ。

堤防に座って本を読むのは最高に気持ちがいい。

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2024年05月01日

徳島(その2)

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ロープウェイ乗り場で見かけた阿波踊りのポスター。
萌えキャラのイラストになっているのでびっくり。


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四国キャラバン歌会に初めて参加した。

大橋春人さん主催で四国の各地で行われている歌会。題詠「惑う」あるいは「迷う」と題詠「地名」の2首。参加者は12名。

詠草一覧は事前にブログで公開されるので、評の苦手な人でも参加しやすいと思う。選歌は行わずに1番の歌から順に批評していく。
http://blog.livedoor.jp/shikokucaravan/


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会場の「徳島市内町公民館」からは、眉山がよく見える。


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参加者がお菓子を持ち寄るのが定番になっているようで、食べきれないくらいの量が並ぶ。歌会も和気藹々としていて、発言しやすい雰囲気であった。

13:00に始まって、途中休憩を挟んで17:00終了。その後は近くの居酒屋で20:00まで懇親会。

posted by 松村正直 at 11:31| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする