*******************************
あの戦争は間違いだったと言うたびに胸に正しい戦争ゆれる
立ったまま斜め上へと運ばれてゆく人間の長きつらなり
慎重に死因のことは伏せられてきれいに冬の星座がならぶ
夕焼けがわたしに声をかけてくるもう柿の木はそこにないのに
十時半までは頼めるモーニングたのめば春の町のあかるさ
マスコットひとつかならずぶら下げて女生徒ら歩く駅までの道
人間はひとり暮らしが基本にて時にふたりや四人にもなる
*******************************
2024年03月31日
2024年03月30日
2024年03月28日
現代短歌評論賞
今年から新たに現代短歌評論賞(短歌研究社)の選考委員を務めることになりました。川野里子さん、土井礼一郎さん、寺井龍哉さんと私の4名で担当します。
現代短歌評論賞は歌壇で唯一の公募の評論賞として長い歴史を持ち、多くの優れた書き手を輩出してきました。短歌評論を書いたことのある人もない人も、どしどしご応募ください。
応募要項は「短歌研究」4月号の47ページ、または下記の短歌研究社HPにてご確認ください。
第42回 現代短歌評論賞 - 短歌研究社 (tankakenkyu.co.jp)
2024年03月27日
オーディオドラマ「風がやむまでは」
FMシアター「風がやむまでは」(3月23日放送)の中で、私の短歌を使っていただきました。
主人公の再出発の場面でこの歌が出てきます。
3月30日の22:50まで配信中ですので、お時間のある方はどうぞお聴きください。
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0058_01
抜かれても雲は車を追いかけない雲には雲のやり方がある
『駅へ』
主人公の再出発の場面でこの歌が出てきます。
3月30日の22:50まで配信中ですので、お時間のある方はどうぞお聴きください。
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0058_01
2024年03月26日
アオサギ
昨年7月に映画「君たちはどう生きるか」を観た。面白かったけれど何だかとりとめのない感じもあって、正直なところ評価には迷った。
その後、ネットでたまたま英語版の予告編を目にした。
https://www.youtube.com/watch?v=fPa6iL_gQRQ
自分が観た映画なのに、まるで違うもののような感じがして驚いた。何よりタイトルが「The Boy and the Heron」(少年とアオサギ)なのだ。それがとても新鮮に感じられた。
刺激を受けて12月にもう一度映画館で「君たちはどう生きるか」を観たところ、いろいろな場面がすんなりと胸に入ってきて、とてもいい作品だと感じた。映画は何も変っていないのに、観る私の何かが変化したのだろう。
先日批評会が行われた笠木拓歌集『はるかカーテンコールまで』にも、アオサギが登場する。
そうか、この歌集も「君たちはどう生きるか」だったのか。再読しながら、そんなふうに思ったことだった。
その後、ネットでたまたま英語版の予告編を目にした。
https://www.youtube.com/watch?v=fPa6iL_gQRQ
自分が観た映画なのに、まるで違うもののような感じがして驚いた。何よりタイトルが「The Boy and the Heron」(少年とアオサギ)なのだ。それがとても新鮮に感じられた。
刺激を受けて12月にもう一度映画館で「君たちはどう生きるか」を観たところ、いろいろな場面がすんなりと胸に入ってきて、とてもいい作品だと感じた。映画は何も変っていないのに、観る私の何かが変化したのだろう。
先日批評会が行われた笠木拓歌集『はるかカーテンコールまで』にも、アオサギが登場する。
青鷺、とあなたが指してくれた日の川のひかりを覚えていたい
ぶらんこが軋むみたいな声で鳴きいま青鷺がよぎりぬ春を
そうか、この歌集も「君たちはどう生きるか」だったのか。再読しながら、そんなふうに思ったことだった。
2024年03月24日
息子の引っ越し
息子が大学を卒業して引っ越すので、昨日は千里山の部屋を片付ける手伝いに行った。ごみを捨てたり業者の手配をしたりして、一日かけてようやく目途が付いた感じ。引っ越しってやっぱり大変だな。
2024年03月23日
笠木拓『はるかカーテンコールまで』歌集批評会
明日、3月24日(日)に京都で笠木拓『はるかカーテンコールまで』歌集批評会が行われます。参加申込みは下記のフォームまで。
笠木拓『はるかカーテンコールまで』批評会 (google.com)
多くの方とお会いするのを楽しみにしております。
2024年03月22日
「現代短歌」2024年5月号
「Anthology of 40 Tanka Poets selected & mixed by Haruka INUI」と題して40名の作品10首が載っている。それを受けて乾遥香(責任編集)と瀬戸夏子が対談しているのだが、これが面白い。
こんな発言がポンポン出てくる。短歌の現状に対する分析が鋭いし、それを言語化できる力もあって、読ませる対談になっている。
もちろん、内容的には賛同できる部分だけではない。特に乾さんの見ている短歌の世界は自分の知り合いの範囲にとどまっているような、内輪な視野の狭さを感じた。
作者を「○○くん」「○○ちゃん」と呼んだり、「先輩」「後輩」といった言い方をするところにも、学生短歌会出身の歌人の良くない点が出ていると思う。歌人として世に出たら、もう先輩も後輩もないでしょうと思うのだけど。
昔はよく「結社の弊害」が問題になったけれど、今は「学生短歌会の弊害」とでも言うべき状況があるように感じる。
そんなふうに、頷いたり反発したりしながら全38ページを一気に読み終えた。読み終えても何だか胸がざわざわする。それこそが二人の放つ言葉の力なのだろう。
http://gendaitanka.jp/magazine/2024/05/
乾 まず、私はこれから先、名歌とか秀歌とかってあんまり増えない気がしてて。
乾 まわりのみんなが、自分の歌を後世に残すことを目指して短歌をやってるとは思わないし、そもそも何が秀でてるかを判断する力が分散しているので。協力しないと名歌は生まれないけど、みんな協力しないので、もう無理だと思う。
瀬戸 私がいちばん世代の違いを感じるのは歌集に対して売れる売れないっていうものさしが入ってきたところ。資本主義競争が入ってきたのが一番でかいと思う、変化として。だから新人賞の価値も目減りしたと感じるかな。
乾 アイドルの表情を、素でやってることじゃなくて、技術によるパフォーマンスとしてほめるときの言葉が「表情管理」で、この言葉自体が、提供されているものが技術でもいいよっていう最近の価値観の現れだと思います。
瀬戸 今の総合誌や結社誌にたくさん載ってる中途半端な自己満政治詠は日本人同士が慰めあって気持ちよくなってるようにしか思えない。
こんな発言がポンポン出てくる。短歌の現状に対する分析が鋭いし、それを言語化できる力もあって、読ませる対談になっている。
もちろん、内容的には賛同できる部分だけではない。特に乾さんの見ている短歌の世界は自分の知り合いの範囲にとどまっているような、内輪な視野の狭さを感じた。
作者を「○○くん」「○○ちゃん」と呼んだり、「先輩」「後輩」といった言い方をするところにも、学生短歌会出身の歌人の良くない点が出ていると思う。歌人として世に出たら、もう先輩も後輩もないでしょうと思うのだけど。
昔はよく「結社の弊害」が問題になったけれど、今は「学生短歌会の弊害」とでも言うべき状況があるように感じる。
そんなふうに、頷いたり反発したりしながら全38ページを一気に読み終えた。読み終えても何だか胸がざわざわする。それこそが二人の放つ言葉の力なのだろう。
http://gendaitanka.jp/magazine/2024/05/
2024年03月20日
大松達知歌集『ばんじろう』
2017年から2022年の作品597首を収めた第6歌集。
そこはかとなく冬は来てこんにゃくをパパの匂いと言うむすめあり
生まれたる日は水曜日ゆびさきを五センチ四方すべらせて知る
十二年生きたるという岩牡蠣を食いて穏やかならずこころは
アルタイル見つつ思えり地球ではない方にゆく光のゆくえ
鶏ももの三百グラム買うときの、ちょっと出ちゃっていいですか? 好き
いつか訊かんとして訊かざりき「教師なんて馬鹿のしごと」と言いし父のこころ
〈選べる〉は〈選ばなくてはならない〉でコーヒーブラック、ホットで先で
ヘアピンをしている男子なぜだめかだれもわからず会議が長い
この店のウエットティッシュしょぼくなるこうして日本しょぼくなりゆく
耐熱、の表示を信じ、信じない、注ぎながらにそっと念じる
1首目、娘とのやり取りがユーモラスに詠まれ、微苦笑を誘われる。
2首目、スマホで検索するだけでいろいろなことがわかってしまう。
3首目、1年1年少しずつ成長した命だが、食べるのは一瞬のこと。
4首目、光は全方向に放たれているのだが誰に見られることもない。
5首目、昔ながらの対面販売の肉屋さん。温かみのある会話がいい。
6首目、亡き父の言葉。仕事に関しては互いに譲れないものがある。
7首目、自分の意志で選択するのは自由なようでいて強制でもある。
8首目、これまでダメだったからダメといった考え方は今も根強い。
9首目、経費削減のためなのだろう。昔はおしぼりが一般的だった。
10首目、信じつつ信じてないという心のありように気付かされる。
2024年1月25日、六花書林、2500円。
2024年03月19日
現代短歌セミナー 作歌の現場からU
「現代短歌セミナー 作歌の現場から」は4月から水曜日の開催に変わります。次回は4月17日(水)19:30〜21:00。ゲストは大辻隆弘さんで、テーマは「てにをはの使い方」です。
https://college.coeteco.jp/live/8dqlc4q9 (4/17のみ)
https://college.coeteco.jp/live/mlj6cow9 (全3回)
毎回一つのテーマについて永田和宏さんと私とゲストの方の3人で語り合いながら、歌作りのヒントになることもお伝えしていますので、どうぞお気軽にお申込みください。
また、過去の回のアーカイブ配信も受講できます。
・第1回「意味を詰め込みすぎない」 小池光
https://college.coeteco.jp/live/5vxlc4y2
・第2回「過去形と現在形」 小島ゆかり
https://college.coeteco.jp/live/809gce7v
・第3回「社会詠をどう詠むか」 栗木京子
https://college.coeteco.jp/live/5vxlc437
よろしくお願いします。
2024年03月18日
三枝ミ之『佐佐木信綱と短歌の百年』
佐佐木信綱の作品や歌論を中心に、近代以降の短歌の歴史を追った評論集。370ページという厚さだが、論旨がすっきりしていて文章も読みやすい。おススメの一冊。
佐佐木信綱(1862-1973)に着目することで、和歌・短歌史の見え方が従来とは違ってくる。また、満91歳まで生きた信綱の人生をたどることで、明治・大正・昭和(戦前・戦後)という時代の変遷がひとつの流れとして浮かび上がってくる。
正岡子規や与謝野鉄幹の和歌革新と信綱のそれは大きく違う。わかりやすく言えば、革新のために遺産を切るか、逆に担い直すか、そこが違う。
佐佐木信綱は、和歌短歌の千三百年を視野に収めながら、短歌百年の革新を貫いた歌人である。
近代以降の短歌百年を〈自我の詩〉や〈写生〉という自己表現の尺度で括っていいのか、それだけでは落ち着かないのではないか。そんな思いが私の中で徐々に大きくなったことが信綱へ向かわせた。
これは、近代以降の「短歌」を1300年の歴史の中で新たに捉え直す試みと言っていいだろう。国文学者として『日本歌学史』や『校本万葉集』を刊行し、『梁塵秘抄』や大隈言道『草径集』などを発掘した信綱は、和歌と短歌をつなぐ最大のキーパーソンである。
題詠をめぐる旧派と新派の違いの話もおもしろい。
「燕」は「毎年春来り秋去りて、雁とゆきかはる意をよむ」ものだった。「燕」という題を受けて、若燕の飛翔の初々しさを詠むのはダメということになる。大切なのは旧派和歌の題詠には題を詠み込むための作法が必須だったという点である。
題詠から折々の歌へ。これが和歌革新のポイントだが、題による歌作を子規や鉄幹たちもさかんに試みており、『思草』にも題詠の場による歌は少なくなく、例の観潮楼歌会も題詠歌会と見ることができる。ただ、彼等は旧派和歌の題詠が守っていた厳密なルールからは自由で、題は自由な発想のための刺激材だった。
現在よく行われている「題詠」も、要するにこの流れにあるわけだ。
そして、信綱の歌の特徴について。
信綱は細やかな描写よりも風景の大づかみな把握を得意とする歌人である。
短歌には「晴(はれ)の歌」と「褻(け)の歌」がある。公の場を意識した晴の歌、プライベートな日常性が褻の歌。近代以降は「明星」の「自我の詩」に表れるように褻の歌、生活の歌の時代となった。(…)それも大切な領域だが、しかし信綱は歌によってもろもろを愛でる領域を大切にした。
「晴の歌」というのは、現代短歌がもっとも失ってしまったものと言っていいかもしれない。私もそうした歌はほとんど詠んだことがない。今後の短歌を考える上で重要な指摘だと思う。
最後になるが、信綱の「おのがじしに」というスタンスが前川佐美雄という個性的な歌人を生んだという話も印象的だった。歌柄が違っても歌人の系譜はやはり大きな影響力を持っているのだ。
2023年9月1日、角川書店、3000円。
2024年03月16日
原稿依頼
原稿依頼は重なる時は重なって、身動きが取れなくなる。
今抱えているのは下記の6本。
さて、どれから手を付けたらいいものか。
今抱えているのは下記の6本。
・角川短歌 連載
・短歌研究 作品10首
・歌壇 評論
・短歌往来 書評
・現代短歌新聞 書評
・NHK短歌 連載
さて、どれから手を付けたらいいものか。
2024年03月14日
公職追放と教職追放
中村正爾が公職追放を受けていたことを知って少し意外な気がした。それは、
という有名な歌があり、歌人で公職追放を受けたのは小泉苳三だけと思っていたからである。「ポトナム」主宰で立命館大学教授であった小泉は、1946年に教職不適格と審査され大学を追われた。
公職追放者約20万人の氏名を掲載した総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』(1949年)を見ると、中村正爾(アルス編集部長)以外にも、
といった歌人の名前を見つけることができる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1276156
ちなみに、この名簿は「安部」から始まって「ア」の名前がしばらく続いた後に「馬場」になる。あれっ?と思ってよく見ると、アイウエオ順ではなくABC順に並んでいるのだった。まさに、戦後という時代を感じさせる名簿と言っていいだろう。
そして、これが大事な点なのだが、小泉苳三(小泉藤造)の名前はこの名簿には見当たらない。つまり、小泉は公職追放を受けてはいないのだ。
小泉が受けたのは「教職追放」であって「公職追放」ではない。まず、この二つを明確に区別しておく必要がある。
教職追放の該当者は大学教授など約7000人であったが、公職追放は国会議員をはじめ約20万人という大規模なものであった。そこには、先に記したように何名かの歌人も含まれている。
歌作による被追放者は一人のみその一人ぞと吾はつぶやく
小泉苳三『くさふぢ以後』
という有名な歌があり、歌人で公職追放を受けたのは小泉苳三だけと思っていたからである。「ポトナム」主宰で立命館大学教授であった小泉は、1946年に教職不適格と審査され大学を追われた。
公職追放者約20万人の氏名を掲載した総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』(1949年)を見ると、中村正爾(アルス編集部長)以外にも、
・斎藤瀏(言論報国会理事 明倫会理事)
・吉植庄亮(推薦議員)
・大熊信行(大日本言論報国会理事)
・三井甲之(著書)
・保田與重郎(著書)
といった歌人の名前を見つけることができる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1276156
ちなみに、この名簿は「安部」から始まって「ア」の名前がしばらく続いた後に「馬場」になる。あれっ?と思ってよく見ると、アイウエオ順ではなくABC順に並んでいるのだった。まさに、戦後という時代を感じさせる名簿と言っていいだろう。
そして、これが大事な点なのだが、小泉苳三(小泉藤造)の名前はこの名簿には見当たらない。つまり、小泉は公職追放を受けてはいないのだ。
小泉が受けたのは「教職追放」であって「公職追放」ではない。まず、この二つを明確に区別しておく必要がある。
・教職追放(1946年5月7日の勅令「教職員の除去,就職禁止及復職等の件」)
・公職追放(1946年2月28日の勅令「就職禁止、退官、退職等ニ関スル件」、1947年1月4日の「公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令」)
教職追放の該当者は大学教授など約7000人であったが、公職追放は国会議員をはじめ約20万人という大規模なものであった。そこには、先に記したように何名かの歌人も含まれている。
2024年03月13日
中村正爾の歌をめぐって
奥村晃作さんがXで中村正爾(1897‐1964)の歌を紹介して、歌についての疑問点をお書きになっていた。
調べてみると、これは1950(昭和25)年の歌で、10月13日に10,090名の公職追放が解除(第一次)された出来事を詠んだものであった。
小高賢編『近代短歌の鑑賞77』の中で「ゆるさし」となっているのは誤植で、正しくは「ゆるされし」。アンソロジーには時々こういうことがあるので注意が必要だ。
初出は「多磨」1950年12月号。「解除」という題で9首載っているうちの最初の歌である。ちなみに2首目は、
というもの。不当な公職追放だったという無念の思いが滲む。
そもそも、なぜ中村は公職追放を受けたのか。
昭和23年6月7日の官報の「公職資格訴願審査結果広告第十九号」に、中村正爾は「アルス編集部長」として載っている。
(「中村政爾」となっているが、翌8日の官報に訂正が掲載)
同じく北原鉄雄(白秋の弟)も「アルス社店主」として載っており、出版社での活動が公職追放の原因となったようだ。
この時点で北原の追放は「解除」となったが中村は「不解除」で、中村の追放解除は1950年10月13日まで待たなければならなかった。
アルスは昭和15年から16年にかけて、『日本とナチス独逸』『日独伊枢軸論』『ナチスのユダヤ政策』『ヒットラー伝』など「ナチス叢書」25冊を刊行しており、そのあたりがおそらく追放の原因になったのだろう。
神無し月十三日けふ金曜日ゆるさし一万九十名の中の一人なり我は
(「ゆるさし」って何?「一万九十名」って何?)
調べてみると、これは1950(昭和25)年の歌で、10月13日に10,090名の公職追放が解除(第一次)された出来事を詠んだものであった。
小高賢編『近代短歌の鑑賞77』の中で「ゆるさし」となっているのは誤植で、正しくは「ゆるされし」。アンソロジーには時々こういうことがあるので注意が必要だ。
初出は「多磨」1950年12月号。「解除」という題で9首載っているうちの最初の歌である。ちなみに2首目は、
いまさらの解除なにぞとおもほえど我が反証よつひに徹りし
というもの。不当な公職追放だったという無念の思いが滲む。
そもそも、なぜ中村は公職追放を受けたのか。
昭和23年6月7日の官報の「公職資格訴願審査結果広告第十九号」に、中村正爾は「アルス編集部長」として載っている。
(「中村政爾」となっているが、翌8日の官報に訂正が掲載)
同じく北原鉄雄(白秋の弟)も「アルス社店主」として載っており、出版社での活動が公職追放の原因となったようだ。
この時点で北原の追放は「解除」となったが中村は「不解除」で、中村の追放解除は1950年10月13日まで待たなければならなかった。
アルスは昭和15年から16年にかけて、『日本とナチス独逸』『日独伊枢軸論』『ナチスのユダヤ政策』『ヒットラー伝』など「ナチス叢書」25冊を刊行しており、そのあたりがおそらく追放の原因になったのだろう。
2024年03月12日
講座「2023年下半期、注目の歌集はこれだ!」
3月16日(土)13:00〜14:30、朝日カルチャーセンターくずは教室で、講座「2023年下半期、注目の歌集はこれだ!」を行います。
下記の6冊をご紹介しながら、歌作りのヒントや歌集の読み方についてもお話しします。教室でもオンラインでも受講できますし、見逃し配信(1週間限定)もありますので、ぜひお気軽にご受講ください。
お申込み、お待ちしております。
【教室受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4624585
【オンライン受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4624621
下記の6冊をご紹介しながら、歌作りのヒントや歌集の読み方についてもお話しします。教室でもオンラインでも受講できますし、見逃し配信(1週間限定)もありますので、ぜひお気軽にご受講ください。
お申込み、お待ちしております。
・川野里子『ウォーターリリー』
・坂井修一『塗中騒騒』
・染野太朗『初恋』
・長谷川麟『延長戦』
・福士りか『大空のコントラバス』
・睦月都『Dance with the invisibles』
【教室受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4624585
【オンライン受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4624621
山舩晃太郎『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』
2021年に新潮社から出た単行本に、巻末の丸山ゴンザレスとの対談を追加して文庫化したもの。
「アメリカで水中考古学を学んでみたい!」という夢を持って渡米した著者が、自らの経歴や水中考古学の発掘の様子などを記している。
留学当初は英語がわからずタクシー料金をぼったくられたり、食べ物を買うこともできない日々が続く。
実は、アメリカのマクドナルドではハンバーガー単品のことを「サンドウィッチ」、セットメニューのことを「ミール」という。そんなことは全く知らない私は「バーガーセットプリーズ」と完全な日本人発音の英語で懇願していたのである。
それでも諦めることなく、ついにはテキサスA&M大学で船舶考古学の博士号を取得し、ギリシャ、クロアチア、イタリア、バハマ、コスタリカ、ミクロネシア連邦など世界各地の海で発掘調査をするまでに至る。
ユネスコは少なく見積もっても、世界中には「100年以上前に沈没し」、「水中文化遺産となる沈没船」が300万隻は沈んでいるとの指標を出している。
300万隻という数字からは、まだまだ調査されていない船が無数に海底に眠っていることがわかる。
19世紀の終わりに飛行機が発明されるまでは唯一、人が海を越えるための乗り物が船だった。そのため、常にその時代の最先端の技術がつぎ込まれている。
これは現代人が意外と気づかない観点かもしれない。船は最先端のテクノロジーの産物であり、沈没船や積荷を調べることで、当時の技術水準や交易の様子が明らかになるのだ。
では、どのようなタイミングで帆船は海難事故に遭うのであろか? 圧倒的に多いのは、「港を出てすぐ」と「港に帰ってくる時」なのだ。船は基本的には水深の浅い海岸線から距離を取って移動をする。しかし、出港と帰港のタイミングはどうしても陸に近づかなければならない。この時、暗礁や浅瀬に船の底が接触したり、乗り上げたりして座礁する危険性が圧倒的に高くなるのである。
これも言われてみれば当り前の話ではあるが、盲点だった。飛行機は離陸と着陸の時が事故の危険性が高いが、船も同じなのであった。
2024年2月1日、新潮文庫、590円。
2024年03月11日
黒江(その2)
2024年03月10日
黒江(その1)
今月末に行う別邸歌会の下見を兼ねて、和歌山県海南市の黒江に行ってきた。
黒江は紀州漆器の産地として栄えた町で、今も古い町並みが残り漆器店や古民家カフェなどが点在する。JR黒江駅から15分ほど歩いて黒江の中心部へ。
まず目に入ったのが万葉歌碑。1866年創業の老舗「名手酒造」直営の「黒牛茶屋」の駐車場にある。
「黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉ネ君須蘇延 往者誰妻」(巻9-1672)
(黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻)
町を歩いていると、家の前に大きな桶を置いて花などを飾っている家が何軒もある。
「紀州漆器伝統産業会館 うるわし館」の前にある説明を見ると、これは「くろめ桶」というものらしい。かつて漆を精製する際に使われていたものを、今は町おこしのオブジェとして再利用しているということだ。
黒江は紀州漆器の産地として栄えた町で、今も古い町並みが残り漆器店や古民家カフェなどが点在する。JR黒江駅から15分ほど歩いて黒江の中心部へ。
まず目に入ったのが万葉歌碑。1866年創業の老舗「名手酒造」直営の「黒牛茶屋」の駐車場にある。
「黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉ネ君須蘇延 往者誰妻」(巻9-1672)
(黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻)
町を歩いていると、家の前に大きな桶を置いて花などを飾っている家が何軒もある。
「紀州漆器伝統産業会館 うるわし館」の前にある説明を見ると、これは「くろめ桶」というものらしい。かつて漆を精製する際に使われていたものを、今は町おこしのオブジェとして再利用しているということだ。
2024年03月09日
平野雄吾『ルポ入管』
副題は「絶望の外国人収容施設」。
日本の入管制度の問題点や非正規滞在(不法滞在)の外国人の現状を描いたルポルタージュ。2018年から19年にかけて共同通信に配信された数十本の記事が基になっている。
これまであまり関心を持たずに過ごしてきてしまったので、学ぶことが非常に多かった。2007年から2019年の間に入管施設内では自殺や病気により15名もが亡くなっている。病院に運ばれず亡くなった方もあり、何とも痛ましい。
解体、建設の現場に加え、農業や工場、飲食業……。人手不足が続く産業で、非正規滞在者が働き、日本経済の一翼を担う現実は間違いなく存在する。
元実習生らの例を見ればわかるように、根本には「移民政策は採らない」「単純労働者は受け入れない」と掲げながら、「技能実習」や「留学」という歪んだ制度で外国人の労働力を確保する政府全体の問題がある。
入管施設の収容を経験した外国人の多くは「あそこは無法地帯だった」と話す。一方で、入管庁は「法に従い適切に運営している」と強調する。
外国人労働者や移民に対する日本(政府)の建前と本音の乖離が、日本に来る外国人や現場の入管職員に大きな負担を強いる結果となっているのだ。さらに、そこには外国人に対する差別の問題も複雑に絡んでいる。
この問題については、今後も引き続き関心を向けていきたい。
2020年10月10日、ちくま新書、940円。
2024年03月08日
今後の別邸歌会
2024年03月07日
「心の花」2023年10月号
創刊1500号記念号。全262ページ。
1898(明治31)年の創刊から125年という長い歴史の重みをずっしりと感じる内容だ。
谷岡亜紀の評論「短歌と国語」は、短歌と言葉や国語の関わりを論じたもので、私も関心を持っているテーマなのでとても面白かった。全15ページという長さであるが、このテーマで一冊の本が書けるくらい、多くの論点を含んでいる。
文法の話になるとちょっと苦手という人は歌人にも多いが、「短歌に関わる人間は、いわば言葉(日本語)の実践における最前線にいると言える」という著者の言葉は心強い。土岐善麿や俵万智が国語審議会の委員であったことなども思い出す。
加古陽の評論「太平洋戦争と『鶯』の時代」は、1940年から44年まで佐佐木治綱が中心となって刊行された短歌誌『鶯』を取り上げて論じたもの。これまで『鶯』については全く知らなかったので、興味深く読んだ。
中でも宇野栄三(1916‐1942)という歌人が印象に残った。信綱の助手を務めていた人物で『鶯』創刊に参加、東部ニューギニアの戦いで戦死した。
せっかく詠んだ歌が届かなかった無念を思う。同じくニューギニアで戦死した米川稔(1897‐1944)が戦地から「陣中詠定稿」210首を内地に届けることができたのとは対照的だ。そこには米川が「兵卒」ではなく士官だったことも関係しているのだろう。
もう一つ興味を引かれたのは、竹山広の戦中の歌が紹介されていることである。
現在『定本竹山広全歌集』は1981年刊行の第1歌集『とこしへの川』から始まっている。でも、竹山は『鶯』にも参加していて、戦時中も多くの歌を詠んでいた。
アメリカの空母「サラトガ」は第二次ソロモン海戦の後に日本の潜水艦の攻撃を受けて航行不能に陥った。詞書には「撃沈」とあるが実際は沈んでいない。3か月に及ぶ修理を経て実戦復帰している。
加古は「こうした歌の提出は、戦後の竹山広なら許さなかっただろう」と記している。その通りではあるが、一方で「蛙のごとき」「海面にいまだ届かぬ」といった表現には、冷徹な竹山らしさが既に感じられるようにも思う。
原爆詠をはじめとした竹山の戦後の歌を真に理解するには、戦中の歌も含めて読んでいく必要があるのかもしれない。
1898(明治31)年の創刊から125年という長い歴史の重みをずっしりと感じる内容だ。
谷岡亜紀の評論「短歌と国語」は、短歌と言葉や国語の関わりを論じたもので、私も関心を持っているテーマなのでとても面白かった。全15ページという長さであるが、このテーマで一冊の本が書けるくらい、多くの論点を含んでいる。
特にその大胆な変革が、明治維新後と敗戦後の「新時代」の機運の中で断行されたことは特筆される。「国語」を大きく変更するという荒業は、変革期のどさくさ(というと言葉は悪いが)の中でしかできない。
現代短歌に用いられているのは、実はごく限られた「文語文法」であり、それはもはや(過去の遺物などではなく)「現代短歌用語」の範疇と考えるべきである。
文法の話になるとちょっと苦手という人は歌人にも多いが、「短歌に関わる人間は、いわば言葉(日本語)の実践における最前線にいると言える」という著者の言葉は心強い。土岐善麿や俵万智が国語審議会の委員であったことなども思い出す。
加古陽の評論「太平洋戦争と『鶯』の時代」は、1940年から44年まで佐佐木治綱が中心となって刊行された短歌誌『鶯』を取り上げて論じたもの。これまで『鶯』については全く知らなかったので、興味深く読んだ。
中でも宇野栄三(1916‐1942)という歌人が印象に残った。信綱の助手を務めていた人物で『鶯』創刊に参加、東部ニューギニアの戦いで戦死した。
ニューギニアに向かう戦中から信綱に寄せたはがきに戦地での詠草が「三百首に達し清書はしたが、紙数が多く兵卒ゆゑおくることが出来ぬ」(信綱『明治大正昭和の人々』)とあったが、ついに死後も届かなかった。
せっかく詠んだ歌が届かなかった無念を思う。同じくニューギニアで戦死した米川稔(1897‐1944)が戦地から「陣中詠定稿」210首を内地に届けることができたのとは対照的だ。そこには米川が「兵卒」ではなく士官だったことも関係しているのだろう。
もう一つ興味を引かれたのは、竹山広の戦中の歌が紹介されていることである。
現在『定本竹山広全歌集』は1981年刊行の第1歌集『とこしへの川』から始まっている。でも、竹山は『鶯』にも参加していて、戦時中も多くの歌を詠んでいた。
サラトガ撃沈の写真を見て二首
母艦より海に飛び込む敵兵の蛙のごとき落ちざまあはれ
海面にいまだ届かぬ幾たりが燃ゆる母艦とともに撮られぬ
/『鶯』1942年9月号
アメリカの空母「サラトガ」は第二次ソロモン海戦の後に日本の潜水艦の攻撃を受けて航行不能に陥った。詞書には「撃沈」とあるが実際は沈んでいない。3か月に及ぶ修理を経て実戦復帰している。
加古は「こうした歌の提出は、戦後の竹山広なら許さなかっただろう」と記している。その通りではあるが、一方で「蛙のごとき」「海面にいまだ届かぬ」といった表現には、冷徹な竹山らしさが既に感じられるようにも思う。
原爆詠をはじめとした竹山の戦後の歌を真に理解するには、戦中の歌も含めて読んでいく必要があるのかもしれない。
2024年03月06日
「○○の××」
「○○の××」みたいな言い回しがけっこう好き。
探せばこんなふうにいくらでも見つかる。
いずれも「…と呼ばれている」という言い回しで使われる。誰が呼んでいるのかは謎のまま。
「すごいんだよ!」という誇りと「本家や本場とは違うけど…」という謙遜が微妙に入り混じって、しかも伝聞の形で使われる。何だか奥ゆかしい。
「○○富士」や「○○の小京都」という言い方もあるから、昔からこういうのはあるんだろうな。
「建築界のノーベル賞」はプリツカー賞
「数学界のノーベル賞」はフィールズ賞
「歌壇の芥川賞」は現代歌人協会賞
「俳壇の芥川賞」は角川俳句賞
「東洋のマンチェスター」は大阪
「東洋のナポリ」は鹿児島
「日本のエーゲ海」は牛窓
「日本のマチュピチュ」は竹田城跡
探せばこんなふうにいくらでも見つかる。
いずれも「…と呼ばれている」という言い回しで使われる。誰が呼んでいるのかは謎のまま。
「すごいんだよ!」という誇りと「本家や本場とは違うけど…」という謙遜が微妙に入り混じって、しかも伝聞の形で使われる。何だか奥ゆかしい。
「○○富士」や「○○の小京都」という言い方もあるから、昔からこういうのはあるんだろうな。
2024年03月05日
中貝宗治『なぜ豊岡は世界に注目されるのか』
2001年から2021年まで20年にわたって兵庫県豊岡市長を務めた著者が、「小さな世界都市」を目指した取り組みについて記した本。
コウノトリの野生復帰や演劇によるまちづくりなど、ユニークな施策を次々と行ってきた経緯やそのもととなる考え方などが詳しく述べられている。
地方創生とは、「より大きく、より高く、より速いものこそが偉い」とする一元的な価値観との闘いであるとも言えます。豊岡は、「深さ」と「広がり」を極めていこうと努力を重ねてきました。
ある建物が壊されてなくなると、そこに何があったのか思い出せない、ということがしばしばあります。古くなったものが絶えず壊されていくまちづくりは、記憶喪失のまちを作るようなものだと、私は思います。
印象に残ったのは、いろいろな面で言葉を大切にしていること。「コウノトリも住める環境を創ろう」というスローガンは「コウノトリが」ではなく「コウノトリも」であるところが大事だと著者は言う。
こうした言葉へのこだわりや言葉の持つ力への信頼は、本書のいたるところから感じられる。
まちづくりは、手紙を書いているようなものだと思います。その宛先は、子どもたちです。
豊岡にまた行ってみたくなってきた。
2023年6月21日、集英社新書、1000円。
2024年03月04日
講座「2023年下半期、注目の歌集はこれだ!」
3月16日(土)13:00〜14:30、朝日カルチャーセンターくずは教室で、講座「2023年下半期、注目の歌集はこれだ!」を行います。
下記の6冊をご紹介しながら、歌作りのヒントや歌集の読み方についてお話しします。教室でもオンラインでも受講できますので、お気軽にご参加ください。
・川野里子『ウォーターリリー』
・坂井修一『塗中騒騒』
・染野太朗『初恋』
・長谷川麟『延長戦』
・福士りか『大空のコントラバス』
・睦月都『Dance with the invisibles』
【教室受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4624585
【オンライン受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4624621
2024年03月03日
渡辺松男歌集『時間の神の蝸牛』
626首を収めた第11歌集。
〈ゆふやけをひきずるやうにゆつくりとじかんのかみのまひまひつぶり〉という歌があるので、タイトルの蝸牛は「かたつむり」ではなく「まいまいつぶり」と読むのかな。
きみ逝きてきみの見しものみな消えき日光の鹿も尾根ゆくわれも
距離おきて認めあひをり赤城神社榛名神社の大杉同士
放し飼ひのごときにあれど柵ありぬ柵までゆかず豚ねむりをり
いまだれもきてをらざればわれはゐて乙見湖畔のきくざきいちげ
白い火を地につきさしてゐるごとし遠くにならぶ白木蓮(はくもくれん)は
親不知けふぬかれたり吾とともにやがて焼かるることまぬかれて
花といひ散りたるといひ悲しむに一連のながれにゐるともおもふ
簡易宿泊所におもへらく天井の染みもここまで旅してきたる
人体を余分と思(も)へば駅伝に襷が宙を移動しつづく
労働の消えたるごとしうつとりと鏝(こて)から壁のうまれたるとき
待つといふまぶしきことをしてをりぬをんなの子朱の傘をまはして
立葵バスケット部とバレー部の姉妹ならべるごときに高き
待たされてゐるあひだにて鉄道とこの道出会ふところ雨おつ
鍵盤をきれいといふ子ゆびさきを渓流の魚のやうにうごかす
みづみづとはだかをまとふ柿わかばはだかみられてうれしきわかば
1首目、きみの死によってともに過ごした自分の一部も消えるのだ。
2首目、どちらも立派な杉なのだろう。何百年も前からのライバル。
3首目、柵に囲まれていることを知らないで豚は生きているのかも。
4首目、肉体のない魂や幽霊みたいな「われ」が湖畔に立っている。
5首目、上を向いて咲く白木蓮を「白い火」と見立てたのが印象的。
6首目、三句以下に驚く。自分が死後に焼かれる姿を想像している。
7首目、咲いて散るまでが一つの出来事。人生も同じかもしれない。
8首目、布団だけがあるような安宿。流れ流れてやってきた感じだ。
9首目、確かに大事なのは人体ではなく襷。利己的な遺伝子みたい。
10首目、作業中は塗り跡が見えるけれど仕上がると跡が残らない。
11首目、待つというのは未来があること。下句の描写が鮮やかだ。
12首目、23音も使った長い比喩。漫画のようで抜群におもしろい。
13首目、踏切と言わないのが巧み。別に何でもない場面だけれど。
14首目、白と黒の鍵盤がまるで渓流のながれのように見えてくる。
15首目、つやつやと明るい柿若葉。生命力の溢れる様子が伝わる。
あとがきに「ほとんど記憶と想像で詠んでゐるため、歌はあちこちへ飛びます」とある。肉体の不如意が心の自由を生み出しているのかもしれない。
2023年12月20日、書肆侃侃房、2600円。
2024年03月02日
安田浩一『団地と移民』
副題は「課題最先端「空間」の闘い」。
戦後の住宅難を解消するために全国各地に建てられた団地。その歴史と現在を描いたルポルタージュである。
著者は、公団団地第一号の金岡団地(堺市)、孤独死問題に取り組む常盤平団地(松戸市)、日活ロマンポルノの舞台となった神代団地(調布市、狛江市)、中国人が多く住む芝園団地(川口市)、移民が多く住むブランメニル団地(パリ)、中国残留孤児の多く住む基町団地(広島市)、日系ブラジル人が多く住む保見団地(豊田市)など、各地の団地を取材して回る。
団地はなにもかもが新しかった。銭湯通いが当たり前だった時代に、夢の「風呂付き住宅」である。しかも食卓と寝室が分かれていることも、庶民にとっては珍しかった。そのころは食事を負えたら座卓を片づけ、夜具を整えるのが当たり前だったのだ。
かつてはこのように生活スタイルの最先端であった団地は、現在では住民の高齢化と外国人入居者の増加によって、日本の未来を占う最先端の場所となっている。
ただでさえ交わることの少ない高齢者と若年層の間に、人種や国籍といった材料が加わり、余計に溝を深くする。敵か味方か。人を判断する材料がその二つしかなくなる。/団地はときに、排外主義の最前線となる。
団地ではいま、高齢者住民と外国人の間に深刻な軋轢が生まれている。異なった生活習慣と文化を持った人々への嫌悪(ゼノフォビア)は、まだまだ日本では根強い。/そこに加えて、日本社会の一部で吹き荒れる排外主義の嵐が、団地を襲う。
一方で、こうした課題にうまく対応することができれば、多文化共生の絶好のお手本になる場所でもある。そうした取り組みも既に各地で始まっている。
政府の思惑が何であれ、少子化と急激な高齢化が進行する以上、好むと好まざるとにかかわらず、移民は増え続ける。/その際、文字通りの受け皿として機能するのは団地であろう。/そう、団地という存在こそが、移民のゲートウェイとなる。
今、団地がおもしろい。これからも注目していきたい。
2022年4月10日、角川新書、920円。
2024年03月01日
住吉カルチャー&フレンテ歌会
10:30から神戸市東灘区文化センターで住吉カルチャー。参加者11名。香川ヒサ『The quiet light on my journey』について話をする。12:30終了。
昼食を挟んで同じ場所で13:00からフレンテ歌会。参加者13名。自由詠と題詠の計28首について、ひたすら議論する。議論を通じて、自分にとっての当り前が人にとっては当り前でないことに気付くのが、歌会の面白いところ。いろいろな読みが出る歌会は楽しい。17:00終了。
その後、近くのカフェで食事をしながら、さらに2時間以上お喋り。来月には同人誌「パンの耳」第8号も出るし、4月にはまた吟行もある。今年もどんどん活動の場を広げていきたい。
昼食を挟んで同じ場所で13:00からフレンテ歌会。参加者13名。自由詠と題詠の計28首について、ひたすら議論する。議論を通じて、自分にとっての当り前が人にとっては当り前でないことに気付くのが、歌会の面白いところ。いろいろな読みが出る歌会は楽しい。17:00終了。
その後、近くのカフェで食事をしながら、さらに2時間以上お喋り。来月には同人誌「パンの耳」第8号も出るし、4月にはまた吟行もある。今年もどんどん活動の場を広げていきたい。