2024年02月29日

雑詠(035)

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ずいぶんと貧しくなった日本の食事広場(フードコート)に焼きそばを食う
厚切りのバタートースト幸せというのは何も願わないこと
立春の音なき部屋のつめたさの心のために飲むロキソニン
午前午後といえど午前は短くてたちまちのうちにうどんを啜る
石仏に墓に夕陽に手を合わせひとりの時のことばはきれい
ししおどしの音澄みわたり意識からしばらく人の気配が消える
電柱に犬はおしっこをかけるもの近代以降の風習として

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映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:ウィノナ・ライダー、ジーナ・ローランズ、ジャンカルロ・エスポジート、イザック・ド・バンコレ、ベアトリス・ダル、ロベルト・ベニーニ、マッティ・ペロンパー

いい映画は何回見てもいい。

1日1回、1週間限定公開ということもあって館内は満席。通路には補助席が並べられた。20代〜30代の若い客が多い。

トム・ウエイツの音楽がしみる。

ミカ役のマッティ・ペロンパーが、映画公開の4年後に44歳の若さで亡くなっていることも、胸にしみる。

出町座、129分。

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2024年02月28日

摩羅とpenis

先日、砂子屋書房の一首鑑賞「日々のクオリア」で前登志夫の歌が紹介されていた。
https://sunagoya.com/tanka/?p=33308

草もえろ、木の芽も萌えろ、すんすんと春あけぼのの摩羅のさやけさ
    前登志夫『樹下集』(1987年)

山野に到来した春の喜びと自身の肉体を重ね合わせた歌。アニミズム的な世界観を背景に、生命感あふれる一首となっている。

アンソロジーにもよく採られる有名な歌だが、もしかすると次の歌を踏まえているのかもしれないと気が付いた。

キシヲタオ……しその後(のち)に来んもの思(も)えば夏曙(あけぼの)のerectio penis
    岡井隆『土地よ、痛みを負え』(1961年)

60年安保闘争の高揚とその後の退潮や挫折への予感を含む歌で、政治と性を重ね合わせるのは岡井の得意な手法である。

両者を比べると

・上句に命令形がある。
  (「キシヲタオ……」は「岸を倒せ」というスローガン)
・「春あけぼの」と「夏曙(あけぼの)」
・「摩羅」と「penis」

と、見事なまでに符合している。

どちらの歌もそれぞれの作者の代表作と言ってもいい名歌だが、背後にはこんな隠された(?)共通点があったのだ。そこに、1926年生まれの前と1928年生まれの岡井という2人の歌人の関わりを読み取ってもいいのかもしれない。

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2024年02月27日

正岡豊歌集『白い箱』

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1990年刊行の『四月の魚』以降の約30年の作品を収めた第2歌集。
https://gendaitanka.thebase.in/items/81329836

みたこともないのにぼくの心臓のいろのゆうべの天の橋立
月光に触れることなく生きるのも愉悦というかシロシタカレイ
愛はときにはさんま定食 むらさきのひかりに浮かぶきみの横顔
洗濯機の上の突っ張り棒にきょう二枚のバスタオルの天の河
湯の中で踊る一枚のだしこぶは明るい独身の叔父さんである
歌は石でも雲でもなくて校庭のすみれの空を刺すのぼり棒
細胞膜はあっても細胞壁はないわたしとあなたでのぼるやまなみ
午後二時のぼくらがおりたあとのバス二人の老婆のしゃべる宇宙だ
タイカレーふたりで食べにいくのです 蘭鋳を闇に泳がせたまま
「午後」と「紅茶」のようにきわどく一ヵ所で繋がっているきわどく深く

1首目、夕焼けに染まる天の橋立。心臓の色に喩えたのが印象的だ。
2首目、大分県日出町の名産。海の底に棲む鰈と月光の取り合わせ。
3首目、初二句に驚かされる。日常の中にある愛の豊かさを感じる。
4首目、一枚でなく二枚なのがポイント。二人の暮らしを思わせる。
5首目、下句の断定に妙に説得力がある。気ままに生きている感じ。
6首目「校庭の隅」かと思うとそうではなく「菫の空」とつながる。
7首目、上句の親密な感じがいい。動物だから当り前なのだけれど。
8首目、まるで別世界のような空間に、二人の声だけが満ちていく。
9首目、部屋の電気を消しただけなのに、下句に深い味わいがある。
10首目「午後の紅茶」の「の」が持っている強引なまでの接続力。

2023年12月13日、現代短歌社、2700円。

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オンライン講座「作歌の現場から」

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永田和宏さんと私が毎回ゲストの方を招いて語り合うNHK学園のオンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」。次回は3月15日(金)の開催です。(2月の予定が変更になりました)

ゲストは三枝ミ之さん。テーマは「情と景の取り合わせ」です。時間は19:30〜21:00 の90分間。どうぞお気軽にお申込み下さい。

https://college.coeteco.jp/live/8exkcr7l

また、過去の講座についてもアーカイブ受講ができます。各回とも充実した内容となっていますので、こちらもよろしくお願いします。

・第1回:小池光さん「意味を詰め込みすぎない」
https://college.coeteco.jp/live/5vxlc4y2

・第2回:小島ゆかりさん「過去形と現在形」
https://college.coeteco.jp/live/809gce7v

・第3回:栗木京子さん「社会詠をどう詠むか」
https://college.coeteco.jp/live/5vxlc437

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2024年02月26日

原武史『最終列車』

著者 : 原武史
講談社
発売日 : 2021-12-10

2020年に休刊した講談社のPR誌「本」に連載した文章を中心に、コロナ後の鉄道についての考察を追加してまとめたエッセイ集。

政治学者でもある著者は、鉄道に関するマニアックな話を記すだけでなく、そこから社会や時代、文化の姿を読み取っていく。鉄道という切り口からの社会批評と言っていいだろう。

政治的には中央集権体制だった明治時代のほうが、現在よりも東京のターミナルは分散していた。東海道本線は新橋、中央本線は飯田町、東北本線や常磐線は上野、総武本線は両国橋がターミナルだったからだ。
駅構内での放送の記憶をたぐり寄せてゆくと、少なくとも七〇年代までの鉄道は、視覚よりも聴覚を通した案内の割合が高かったことがわかる。聴覚と鉄道は、密接なつながりがあったのである。
アウシュヴィッツに送られたユダヤ人と長島に送られたハンセン病患者は、単に貨物列車に乗せられたという点で共通するだけではなかった。その根底に横たわる思想にまで、共通性があったのである。
そこに居合わせる人々との予期せぬ出会いもまた、オンラインにはない鉄道ならではの体験と言ってよい。明治以降のすぐれた小説や童話は、まさにこのテーマを扱ってきた。それは夏目漱石の『三四郎』や、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を見ても明らかだろう。

天皇が鉄道を詠んだ短歌も登場する。鉄道×短歌。

明治以降、日本の鉄道は〈男性〉と結びついてきた。一九八八(昭和六十三)年の歌会始で、昭和天皇は「国鉄の車にのりておほちちの明治のみ世をおもひみにけり」という和歌を詠んでいる。
六五年五月七日、天皇と皇后は初めて東海道新幹線を利用した。9時30分に東京を出た特別列車は、新大阪に13時30分に着いた。天皇は「四時間にてはや大阪に着きにけり新幹線はすべるがごとし」と詠んでいる。

個人的に印象に残ったのが、小田急線の駅名の付け方についての話。

小田急の「前」に対するこだわりは、これで終わったわけではなかった。八七年に大根が東海大学前に、九八年に六会が六会日大前にそれぞれ改称されている。学校に「前」を付ける習慣が開業当初の成城学園前から始まっていることを踏まえれば、一種のお家芸と言ってもよい。

なるほど、そうだったのか! 生家は小田急線の玉川学園前が最寄駅だったので、何とも懐かしい。

2021年12月8日、講談社、1800円。

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2024年02月25日

小林幸子歌集『日暈』

著者 : 小林幸子
本阿弥書店
発売日 : 2023-10-06

2018年から2023年の作品496首を収めた第9歌集。

猫のこと話してをれば猫の耳すこし大きくなりて立ちたる
川こえて倒れたる樹のよろこびは月光の夜にけものを渡す
公園のつつじのはなの生垣をあるくすずめはときどき沈む
山をゆく五人家族でありし日の筑波山にはふたたびゆかず
廃線の橋わたりゆく紅葉の谷間より湧く霧踏みながら
調剤を待つまの窓にカーブスのマシンを走るひと見えてをり
つつつつと歩きて道をわたりゆく喫水線の白きせきれい
橡のはな数へゐるとき風がふき天辺からまたかぞへなほせり
ちりとりの先でみみずを剝がしたり白じろとSの形がのこる
柳川の堀端に咲くくれなゐの椿はみづに散るほかはなき

1首目、自分のことが話題になっていると感づいているのだろうか。
2首目、思いがけない形で橋となり生きものたちの役に立っている。
3首目、見え隠れする様子を「ときどき沈む」と表現したのがいい。
4首目、かつての家族旅行のことを懐かしく寂しく思い出している。
5首目「霧踏みながら」がいい。高所を歩くときの不安感が伝わる。
6首目、薬局で座っている人とフィットネスクラブで走っている人。
7首目、背が黒くて腹が白いセグロセキレイ。「喫水線」が絶妙だ。
8首目、枝葉が揺れてどこまで数えたかわからなくなってしまった。
9首目、乾いてこびり付いていたみみずの死骸。なまなましい描写。
10首目、そこで咲いたからには堀の水に落ちる運命になっている。

2023年10月1日、本阿弥書店、2700円。

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2024年02月24日

第11回別邸歌会

大阪市住之江区の「昭和の隠れ家」で第11回別邸歌会を開催した。

今日は天気も良く、会場近くの住吉公園では河津桜がきれいに咲いていた。もう春も近い。

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20代から70代までの16名が参加して、計32首について4時間かけてじっくり話し合う。幅広い世代が集まると歌も読みもヴァラエティに富んでいておもしろい。


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会場の入口に飾られていた雛人形。

次回は3月30日(土)「黒江tettote」(和歌山県海南市)での開催です。どなたでもお気軽にご参加ください。


 「別邸歌会」チラシ 2024.02.08.jpg

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2024年02月23日

無料アーカイブ講座

昨年4月に行ったNHK学園のオンライントライアル講座(56分)が無料公開されています。
https://college.coeteco.jp/live/523wc9vn

小島なおさんと2人で、オンライン講座や短歌についてあれこれ喋っていますので、どうぞご視聴ください。

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2024年02月22日

野矢茂樹『言語哲学がはじまる』


「ミケは猫だ」という簡単な文をスタートに、意味とは何か、固有名とは何か、言語とは何か、といった問題に深く迫っていく言語哲学の入門書。

二〇世紀の哲学を特徴づける言葉として「言語論的転回」と言われたりもします。哲学の諸問題は言語を巡る問題として捉え直されるべきだとして、言語こそが哲学の主戦場だと見定められたのです。

こうした認識のもとに、主にフレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインの3人の思考の道筋をたどっていく内容となっている。

扱っているのは難しいテーマなのだが、著者は一つ一つ噛み砕くように説明し、ともに考え、読者を導いてくれる。また、時には「考えるマーク」を挟んで、読者に自分の頭で考えるよう促したりもする。

哲学は思考の実験場のようなものですから、ある前提を引き受けたならば、それをいわば純粋培養して、その前提の正体を見きわめようとします。
語の意味は、文以前にその語だけで決まるのではなく、文全体との関係においてのみ決まる。これが文脈原理です。
いま向こうに見えている「あれ」が「富士山」なのではなく、「あれ」を「富士山」と認定させる知識が「富士山」という語の意味なのではないでしょうか。

最後まで読んでくると、ウィトゲンシュタインに対する興味がぐんぐん湧いてくる。いきなり『論理哲学論考』を読むのは無理だろうから、とりあえず野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読む』を読んでみようかな。

最初に野矢さんの名前を知ったのは20代の頃に読んだ『無限論の教室』だった。それ以降、何冊か読んだけれどどれも面白い。

https://matsutanka.seesaa.net/article/387138366.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138617.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/387139293.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/397563094.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/433829507.html

2023年10月20日、岩波新書、1000円。

posted by 松村正直 at 11:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月21日

映画「新根室プロレス物語」

監督:湊寛
プロデューサー:吉岡史幸
語り:安田顕
出演:サムソン宮本、オッサンタイガー、TOMOYA、MCマーシー、ねね様、アンドレザ・ジャイアントパンダほか

2006年に根室市でサムソン宮本を中心に結成された「新根室プロレス」。「無理しない ケガしない 明日も仕事!」をモットーに、プロレスを楽しみ、観客に元気と笑いを届けている。そんな彼らの姿を追ったドキュメンタリー。

かつて函館に住んでいたこともあって、北海道はあちこち行ったことがある。札幌、千歳、小樽、登別、江差、松前、苫小牧、白老、旭川、トマム、三笠、富良野、帯広、釧路、阿寒、網走、知床、稚内、天売島、焼尻島など。でも、根室には行ったことがなくて、一度訪れたいと思い続けている。

そんな理由で見た作品なのだが、けっこう感動的な内容だった。思わず涙が…。最近、涙もろくていけない。

京都シネマ、79分。

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2024年02月20日

二村高史『ようこそシベリア鉄道へ』


副題は「ユーラシア大陸横断9000qの旅」。

2015年にウラジオストクからモスクワまでシベリア鉄道に乗った旅行記。途中、ハバロフスク、イルクーツク、ノヴォシビルスクで宿泊して、計12日間かけて9000キロあまりを乗り通している。

カラー写真が豊富で、現在のシベリア鉄道の様子がよくわかる。いくつかハプニングがあったものの、概ね快適で楽しい旅だったようだ。

今回の旅で私たちが出会ったすべての食堂車の係員、車掌のなかで、英語らしきものが通じたのはこのときが最初で最後だった。
ロシア国内では英語はあまり通じない。ホテルのフロントやツーリスト・インフォメーションくらいだと思っておいたほうがいいだろう。
シベリア鉄道の時刻はすべてモスクワ時間で管理されている。だから、ハバロフスク8時9分発の列車は、駅の時刻表では夜中の1時9分発と表示されていて、慣れないうちはひどく戸惑うことになる。

このあたりは、同じ2015年に私がサハリンを旅行した時にも感じたことだ。また、ロシア語に関する話もおもしろい。

ノヴォシビルスクという名前は、ノヴォが「新しい」、シビルスクが「シベリアの(町)」という意味だ。人口は約150万人で、モスクワ、サンクトペテルブルクに続くロシア第3の大都会である。
ロシア語由来の単語というと、コンビナート、ペチカ、セイウチなどのほかに、ノルマ、アジト、カンパなど、いかにも社会主義時代のソ連から伝わったであろう単語がいくつもある。
ロシア鉄道のターミナル駅(バグザル)は男性名詞のため、同じ場所であってもロシア鉄道の駅は男性形でキエフスキー、地下鉄の駅(スタンツィーヤ)は女性形でキエフスカヤというように、異なる名前になってしまうのだ。

本書が書かれたのは、ロシアがウクライナに侵攻した2022年2月より前のこと。まえがきに「本書を読んでシベリア鉄道に興味を抱いたら、アフターコロナの旅先の候補のひとつに、ぜひ加えていただきたい」とあるのだが、ちょっと難しい情勢になってしまった。

2022年3月24日、天夢人、2100円。

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2024年02月19日

俵万智歌集『アボカドの種』


375首を収めた第7歌集。

ウクライナ今日は曇りというように戦況を聞く霜月の朝
はちみつのような言葉を注がれて深夜わたしは幸せな壺
占領のかさぶたありて牛乳は946ミリリットル
ベランダで見るときよりも窓枠を額縁にした月が明るい
角あわせ夏のおりがみ折るようにスイカを冷やす麦茶を沸かす
一撃でずんと倒れるイノシシのもう動かないガラスの目玉
シトーレンにバター滲みゆく冬の午後 可視化できない子の心あり
「おなしゃす」はお願いしますのことらしいコンビニ振り込み二日以内に
九十の父と八十六の母しーんと暮らす晩翠通り
言葉とは心の翼と思うときことばのこばこのこばとをとばす

1首目、毎日耳にしているうちにだんだん慣れてしまうことの怖さ。
2首目、身体中に嬉しい言葉がたっぷりと満ち溢れていくイメージ。
3首目、沖縄ではアメリカ占領時にガロンを使っていた影響が残る。
4首目、外より室内で見る方が明るく感じるのが面白い。額縁効果。
5首目、夏の定番であるスイカと麦茶が暮らしの様式になっている。
6首目、「ガラスの目玉」が印象的。既に命を宿さない目の感じだ。
7首目、堅いパンとバターの様子が息子の心のありようと呼応する。
8首目、子から届く振込依頼のLINEの言葉。私の息子もよく使う。
9首目、詩人の土井晩翠にちなむ仙台の道路名が晩年を感じさせる。
10首目、こ・と・ばの音をひらがなでリズミカルに用いて鮮やか。

2023年10月30日、角川文化振興財団、1400円。

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2024年02月18日

「万葉の世界へ行こう」吟行

フレンテ歌会のメンバー7名で明日香村へ吟行に。


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朝9時に近鉄「橿原神宮前駅」から出発。

持統天皇の〈春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山〉のレリーフがある。


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甘樫丘に登る。

標高148メートルとそれほど高くないが眺めがいい。大和三山(畝傍山、耳成山、天香具山)もよく見える。


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酒船石。
竹林のなかの坂道を上っていくと現れる。


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奈良県立万葉文化館の入口に立つ「せんとくん」。

館蔵品展「7人の万葉歌人からたどる万葉集」や一般展示室を見学した後、カフェで万葉庭園を眺めながら2時間ほど歌会。

梅やマンサクが咲き、ウグイスやひばりも鳴いて、春を感じる暖かな一日だった。

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2024年02月17日

アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ』


副題は「ル=グウィンの小説教室」。

「ゲド戦記」シリーズなどで知られる著者が、ワークショップで実践していた小説の書き方をまとめた本。テーマごとの解説と実例、そして練習問題といった構成になっている。

小説についての話であるが、短歌とも共通する部分がけっこうある。

技術が身につくとは、やり方がわかるということだ。執筆技術があってこそ、書きたいことが自由にかける。また、書きたいことが自分に見えてくる。
書き上げたばかりの自作に対する自分の判断なんて信用できないというのが、作家における数少ない常識のひとつだ。実際に少なくとも一日二日空けてみないと、その欠点と長所が見えてこない。
良作をものにしたい書き手は、名作を学ぶ必要がある。もし広く読書をしておらず、当代流行の作家ばかり読んでいるのなら、自らの言語でなしえることの全体像にも限界が出てくる。
飛び越えるとは、省くということ。省けるものは、残すものに比して際限なくたくさんある。語のあいだには余白が、声のあいだには沈黙がないといけない。列挙は描写ではないのだ。

合評会についての話も出てくる。こちらも歌会と共通する点が多い。

創作仲間でいい合評ができると、お互いの励ましになる上、仲良く競い合うことも、刺激的な討論も、批評の実践も、難しいところを教え合うこともできる。
何らかの修正案は確かに貴重だが、敬意のある提案を心がけよう。自分には修正すべき方向性がわかっているという確信があっても、その物語はあくまで作者のものであって、自分のものではない。
作者としては自作が批評されると、どうしても弁解しようと、ムッとして言い訳や口答え、反論がしたくなるものだ――「いやでもその、自分の真意としては……」「いや次に書き直すときにそうしようと思ってて」。こういう反応は禁止しておくと、そんなことのために(自分や相手の)時間を無駄にしなくて済む。

面白く読んだ本なのだが、もともと英語の文章の書き方の話なので、言葉のひびきや文法に関する部分などどうしても翻訳では限界がある。丁寧な注釈や解説も付いているが、おそらく原文で読まないと伝わらない部分も多いだろうと感じた。

2021年7月30日、フィルムアート社、2000円。

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2024年02月16日

宮本常一『ふるさとの生活』


民俗学の調査で全国各地を訪れた著者が、村の成り立ちや暮らしの様子を子ども向けにわかりやすく記した本。原著は1950(昭和25)年に朝日新聞社から出ている。

70年以上前の本なので現在では失われた生活や風習の話もでてくるが、その分、貴重な記録にもなっている。また、時代を超えて変わらない部分が多いことにも気付かされる。

歴史は書かれている書物のなかだけにあるのではなく、このような、ほろびた村のあとにも、また私たちのくらしのなかにもひそんでいます。
徳川時代に、村長にあたる役目を、東日本では、名主とよんでいるところが多いのです。西日本では、庄屋というのが一般的です。
神主というのは、今では職業的になっていますが、昔は村の人々がつとめました。村によっては、今でもこのならわしがおこなわれています。
正月と盆は、ちょっと見れば、少しも似ているとは思えませんが、農村でおこなわれていることをしらべてみると、いろいろと似ている点もあり、もとは同じような祭りであったと思います。

日本各地のさまざまな様子も描かれている。

岩手県の三陸海岸は津波の多いところで、海岸にある村が、何十年目かに一度さらわれてゆきます。(…)長いあいだ、津波もないから、もういいだろうなどと思って、海辺に家をたてているとひどい目にあいます。

まさに東日本大震災の津波被害を思わせる記述だと思う。

まずケズリカケとかケズリバナというものをつくります。ヌルデやミズブサの木のようなものをうすくけずって、その端は、木につけたままにして花のようにするのです。それを神様にそなえます。

小正月に供えられていたという削り花。アイヌのイナウ(木弊)によく似ている。

長野県の山中で、多くの人々がおいしいものとして喜んだ「飛騨ブリ」という魚は、もとは富山県の海岸でとれたものですが、馬やボッカの背によって飛騨にはこばれ、さらにそこから、飛騨山脈をこえて長野県へ持ってこられたのです。そのあいだに、塩がちょうどよいかげんにきいてきて、おいしくなっているというわけです。

若狭から京都に鯖を運んだ鯖街道など、全国各地にこうしたルートがあったのだろう。

宮本常一はやっぱりいいな。

1986年11月10日第1刷、2000年3月28日第14刷。
講談社学術文庫、800円。

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2024年02月15日

講座「2023年下半期、注目の歌集はこれだ!」

 2023年下半期、注目の歌集はこれだ!-1.jpg


3月16日(土)に朝日カルチャーセンターくずは教室で、「2023年下半期、注目の歌集はこれだ!」という講座を行います。

時間は13:00〜14:30。教室でもオンラインでも受講できますので、お気軽にご参加ください。

【教室受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4624585

【オンライン受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4624621

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80年前のウクライナ詠

昨日までは大衆の注意を引かざりしウクライナに今戦火は及ぶ
/道久良

ぱっと見たところ2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻を詠んだ歌と思うだろう。ところが、そうではない。出典は「短歌研究」1941年8月号。この年の6月に始まった独ソ戦を詠んだものなのだ。

第二次世界大戦でドイツとソ連は激しい戦いを繰り広げた。当時ソ連領であったウクライナにもドイツ軍が攻め込み、キエフ(キーウ)やハリコフ(ハルキウ)が戦場となった。

当時の短歌雑誌を読むと、独ソ戦の舞台であるウクライナを詠んだ歌がいくつも見つかる。

五百五十のソ聯機がみな火を吐きてウクライナ平原に砕け果てけむ
/藤田富雄「アララギ」1941年8月号
ウクライナの野よ村よ読み親しみしゴーゴリを憶ふ戦の報道(ニユース)に
/前山周「アララギ」1941年9月号
ウクライナの麦枯れそめて陽炎のたつ間潮なしドイツ兵きたる
/高橋絃二「橄欖」1941年8月号
ウクライナ湿地に進む戦車隊の写真に見入る雨の今宵を
/三浦実「ポトナム」1941年9月号
ウクライナ地域に突入せしは独羅聯合機械化部隊としるされありき
/林田寿「ポトナム」1941年9月号
穀倉地ウクライナ今は独軍の包囲の中に麦は刈られぬ
/小山誉美「日本短歌」1941年10月号

2首目の「ゴーゴリ」はロシア帝国時代のロシアの作家だが、その出身地は現在のウクライナである。

5首目の「独羅聯合軍」の「独」はドイツ、「羅」はルーマニア(羅馬尼亜)。ルーマニアも枢軸国の一員であった。

3首目や6首目を読むと、昔も今もウクライナは麦畑の広がる穀倉地帯であることがよくわかる。

現在の戦争を考えるには、歴史的な背景を知る必要がある。その際に、こうした過去の歌を参照するのは一つの有力な方法と言っていいだろう。
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2024年02月14日

映画「映画の朝ごはん」

監督:志子田勇
出演:竹山俊太朗、守田健二、福田智穂、鈴木直樹ほか

映画のロケ弁として絶大な人気を集める弁当屋「ポパイ」で働く人々と、映画の裏方である制作部で働く人々の日々を追ったドキュメンタリー。

宣伝コピーに「映画に写らないもののすべて」とある通り、ふだんあまり見ることのない縁の下の力持ち的な人々の姿が生き生きと描かれている。弁当屋も制作部もどちらも黙々と働いている感じ。その道のプロや職人の矜持がよく伝わってきた。

中でも、「ポパイ」の2代目社長のゆっくりした柔らかな喋り方がとても心地よい。この人柄が店を支えているのだろうな。

アップリンク京都、131分。

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2024年02月13日

「うた新聞」2024年2月号

松澤俊二さんの連載「短歌(ほぼ)百年前」に、矢沢孝子『湯気のかく絵』という歌集が取り上げられている。宝塚歌劇を詠んだもので、「宝塚叢書」の第三篇として歌劇団の出版部から刊行されているとのこと。

美(くは)し少女(をとめ)くもゐしのはら化粧(けはひ)すとけはひおとすと入る温泉(いでゆ)かも
松子てふ名をおぼえたるその日よりわが好む子をきみとさだめぬ

団員の雲井浪子、篠原浅茅、高砂松子を詠んだ歌が引かれている。

このタイトルはどこかで見た覚えがあるなと思ったら、以前『宝塚少女歌劇、はじまりの夢』を読んだ時に目にしたのであった。
https://matsutanka.seesaa.net/article/499484425.html

これによると「歌劇」大正8年1月号に掲載された高安やす子の短歌のタイトルが「湯気のかく絵」なのだった。これは一体どういうことだろう?

矢沢孝子『湯気のかく絵』は国会図書館デジタルコレクションに入っているのでざっと読んでみたけれど、「湯気のかく絵」という言葉は歌には使われていない。タイトルだけ借りたということなのか??

posted by 松村正直 at 18:54| Comment(2) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月12日

パプアニューギニア

今日の朝日新聞の朝刊に「パプアニューギニア 要衝めぐる綱引き」という記事が載っている。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15862108.html

南太平洋のパプアニューギニアをめぐり、米国とオーストラリア(豪州)が中国と綱引きを繰り広げている。中国が警察や安全保障面の支援をパプアニューギニアに提案したことが明らかになると、豪州も支援強化を表明。米高官が中国の提案を拒否するよう忠告までする事態になっている。

地図や写真も添えて、かなり大きく取り上げている。

ニューギニア島の東半分を占めるパプアニューギニアは、1975年にオーストラリアから独立した。第二次世界大戦中は「東部ニューギニア」と呼ばれていた地域である。1944年9月15日に米川稔が亡くなったのがこの地であった。

日本軍が戦っていた相手は「米濠軍」、アメリカとオーストラリアの連合軍である。つまり、80年が経った今も、日本が中国に変っただけで、この地は大国同士の争いの最前線であり続けているのだ。そう考えると暗澹とした思いになる。

近年、地政学という言葉が流行っているけれど、島の位置が変わらない以上、この地が南太平洋の要衝であることに変わりはない。現地の人々の意向とは無関係に、大国同士の争いが繰り返されるのである。

posted by 松村正直 at 11:04| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月10日

津端修一・津端英子『なつかしい未来のライフスタイル』


副題は「続・はなこさんへ、「二人からの手紙」」。
『高蔵寺ニュータウン夫婦物語』の続編である。
https://matsutanka.seesaa.net/article/494647572.html

第T章「私のクラインガルテン12カ月」(津端英子)は、季節ごとの畑の作業や手作りの方法などを記したもの。第U章「拡散する自由時間の旅」(津端修一)は、スペイン・ドイツ・イタリア・ポリネシアなどを旅して世界の今後について考察したもの。

まったく違う内容の夫婦合作となっているのが面白い。文体にもそれぞれの特徴がよく表れている。

あたたかくなると、果樹の下のにらが大きく育ってきます。果樹につく油虫はこれが嫌い。年に五、六回は刈って根元に敷き並べると、消毒の必要がありません。〈果樹とにら〉のような関係をコンパニオン、プランツ、共生植物というのだそうです。(第T章)
年間一兆ドルを上まわる世界の総軍事費支出が、東西の政治的緊張を少しも和らげることができなかったのに、市民たちの自由を求める国際交流は東西の国境を確実に取り払い、それ以上の成果をあげてきた。(第U章)

ちょっと驚いたのが、「日本の本州は、世界第七位」の面積の島だという話。そんなに大きかったのか! 確かに調べてみると、グリーンランド、ニューギニア島、ボルネオ島、マダガスカル島、バフィン島(カナダ)、スマトラ島についで第7位であった。びっくり。

1998年8月10日第1刷、2017年11月10日第2刷。
ミネルヴァ書房、2200円。

posted by 松村正直 at 21:47| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月09日

オンライン講座「短歌のコツ」

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2021年より続けているNHK学園のオンライン講座「短歌のコツ」が今月より新しいクールに入ります。短歌に興味・関心のある方は、ぜひご受講ください。

https://college.coeteco.jp/live/8940cyl2

日程は2/22、3/28、4/25、5/23、6/27の全5回。毎月第4木曜日の開催です。

時間は19:30〜20:45の75分。前半に秀歌鑑賞をして、後半は提出していただいた作品の批評・添削を行います。質問の時間も取りますので、何でもお気軽にお尋ねください。

posted by 松村正直 at 17:47| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月08日

今後の別邸歌会

今後の別邸歌会の日程は、下記の通りです。


 「別邸歌会」チラシ 2024.02.08.jpg

・2月24日(土)昭和の隠れ家(大阪市)*満席になりました。
・3月30日(土)黒江tettote〜旧岩崎邸(和歌山県海南市)
・5月19日(日)大庄南生涯学習プラザ(兵庫県尼崎市)

お申込み、お待ちしております。

posted by 松村正直 at 22:13| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月07日

丸エキさんのインタビュー

米川稔と関わりの深い人物に丸エキさんという方がいる。以前、このブログでも少し触れたことがある。

「丸エキさんという人」
https://matsutanka.seesaa.net/article/490667545.html

この丸エキさんに関する新しい資料を入手した。


DSC01648.JPG


「かまくら図書館だより」第60号(1996年2月)である。

「助産婦として、保母として歩んだ道 丸エキさん、まだ88才! 人生はいつだってこれから」と題して、全8ページにわたるインタビューが掲載されている。

米川稔に関する部分を少し引いてみよう。

――米川先生が出征なさったのは昭和18年ですか。
 ええ、18年の12月に赤紙がきてね。19年の1月4日に入隊だって言うの。暮れもおしせまって、28日に召集がきたんです。軍刀やピストルを用意するのに苦労しました。48歳で召集されたんですよ。私は、もちろん、宇都宮まで送っていきましたけどね。軍医さんだから、どこか陸軍病院のお留守番にさせられるんだろうと気楽に考えて帰ってきたんですよ。そうしたら、そうじゃない。そのまま九州にまわってね、どんどん戦地へ行っちゃったの。ニューギニアへね。そして怪我をして、若い従卒に水を探してくるよう命令した後、ジャングルの中で手榴弾で自決されたんですって。戦争が済んでから伺ったはなしですけどね。お子さんがいなかったから、何も思い残すことがなかったんでしょう。いい人でしたのよ。歌詠みでね。北原白秋先生のお弟子さんだった。でも、北原先生が亡くなって死に水をおとりして、そして自分も逝ってしまいました。
――米川先生のどんなところを尊敬していらしたんですか。
 難しい人だと言われて来たんですけどね。まあ、私はそんなに難しいと思わなかったし、それで、わりあいとかたい方だったのね。歌の勉強をするくらいだから。その頃、私もあまり丈夫でなかったりして、よく具合が悪くなると注射なんかもしてくれましたよ。

これ以外にも初めて知るエピソードがたくさん出てくる。どれも50年以上前の話であるが、細かな日付などもはっきりと覚えている。

この時、丸さんはまだ現役の助産師として働いていた。お産のカルテが助産所に約8500枚あり、それ以前に働いていたところの約1500枚をあわせると、約1万人のお産に立ち会ってきたとのこと。

何ともすごい人なのであった。

posted by 松村正直 at 22:54| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月06日

國分功一郎『中動態の世界』


副題は「意志と責任の考古学」。

かつてインド=ヨーロッパ言語に広く存在していた「中動態」というボイスを手掛かりに、私たちの「意志」「選択」「責任」「自由」といった問題について、哲学的な考察をしている。

小さな疑問や問いを疎かにすることなく、過去の哲学者たちの論考も参照しながら、地道に考えを深めていく。そして、階段を一歩一歩のぼっていくように丁寧に言葉で整理していく。読者はその思考の筋道を著者と伴走することになる。

久しぶりに、じっくりと脳を使う心地よい読書体験だった。

中動態を定義したいのならば、われわれがそのなかに浸かってしまっている能動対受動というパースペクティヴを一度括弧に入れなければならない。
「私」に「一人称」という名称が与えられているからといって、人称が「私」から始まったわけではない。
現代英語においても、受動態で書かれた文の八割は、前置詞byによる行為者の明示を欠いていることが、計量的な研究によってすでに明らかになっている。
「見える」は文語では「見ゆ」である。同じ系統の動詞にはたとえば「聞こゆ」や「覚ゆ」などがある。この語尾の「ゆ」こそが、インド=ヨーロッパ語で言うところの中動態の意味を担っていたと考えられる。
われわれがいま「動詞」と認識している要素が発生するよりも前の時点では、そもそも動詞と名詞の区別がない。単に、そのような区別をもたない言葉があったのである。

アリストテレス、トラクス、バンヴェニスト、デリダ、アレント、ハイデッガー、ドゥルーズ、スピノザといった哲学者や言語学者の話が出てくる。古代ギリシアから現代にいたる人類の長い歴史と脈々と続く思考の流れを感じる内容だ。

中動態という概念は、例えば近年の性的同意の問題や、京アニ放火事件の被告の成育歴と責任の問題を考える上でも有効だと思う。また、仏教の他力本願のことなども思い浮かんだ。

2017年4月1日、医学書院、2000円。

posted by 松村正直 at 21:40| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月05日

奥村晃作歌集『蜘蛛の歌』


353首を収めた第19歌集。
あとがきに「短歌人生の総括としての最終歌集を出したいと思い、出すことにした」とある。

武蔵小杉のタワーマンションに多摩川も入れてスマホの写真に収む
動物園生まれの子象が走りたりそれなりに広い敷き砂の上を
壮年の体の癌はバリリバリリ音立てて増殖するとぞ聞けり
向き合って一言も言葉交わすなく交互に黒石白石を置く
コロナウイルスのお蔭で東京の秋の空とことん澄みて浮かぶ白雲
前線で戦う兵士こそあわれウクライナのまたロシアの若者あわれ
黄の花が咲けば目立ちて線路沿いにセイタカアワダチソウ群れて咲く見ゆ
無尽から帰宅の父はごきげんでラバウル小唄を歌い踊りき
22階の部屋に目覚めて朝食は38階、バイキングとぞ
「五月雨を集めてすずし最上川」芭蕉の詠みし発句ぞこれは

1首目、縦と横、人工物と自然の取り合わせが印象的な一枚になる。
2首目「それなりに」がいい。本来の環境とは比べるべくもないが。
3首目、まさか本当に音がするわけではないだろうが、何とも怖い。
4首目、仲が悪いのかと思ったらそうではなく囲碁をしている場面。
5首目、コロナ禍の弊害は多く歌に詠まれたが、これは良かった点。
6首目、利権とも大義とも関わりのないところで死んでいく兵たち。
7首目、花の咲く時以外はあまり意識して見ていないことに気付く。
8首目、地域の寄り合い的な宴会。戦時歌謡を歌う父のもの悲しさ。
9首目、高層ホテルに泊まるとまるで空中都市に住んでいるみたい。
10首目、大石田に残る芭蕉の直筆。『奥の細道』では「早し」に。

2023年12月19日、六花書林、2600円。
posted by 松村正直 at 12:41| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月03日

講座「2023年下半期、注目の歌集はこれだ!」

3月16日(土)に朝日カルチャーセンターくずは教室で、講座「2023年下半期、注目の歌集はこれだ!」を行います。時間は13:00〜14:30。教室でもオンラインでも受講できます。

近年、短歌ブームの影響もあって書店で歌集を見かける機会が増えてきました。短歌の上達のためには良い歌集を読むことが欠かせません。歌を「詠む」と「読む」は表裏一体の関係になっているからです。では、年間350冊もの歌集が刊行される中で、一体どの歌集を読めばいいのでしょうか。今回は2023年下半期に出た歌集の中から皆さんにぜひとも読んでほしい6冊をご紹介するとともに、歌集の読み方や一首一首の読みについても考えていきます。どうぞお気軽にご参加ください。

【教室受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4624585

【オンライン受講】
https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4624621

posted by 松村正直 at 23:12| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月02日

住吉カルチャー&フレンテ歌会

10:30から神戸市東灘区文化センターで住吉カルチャー。参加者11名。山階基『夜を着こなせたなら』を取り上げる。12:30終了。

昼食を取って13:00からフレンテ歌会。参加者14名。今日は歌会ではなく「パンの耳」第8号に掲載する作品20首×19名についての検討会。一作品あたり10分くらいと慌ただしい進行だったが、いろいろな意見が飛び交って賑やかだった。17:00終了。

その後、近くのインド・ネパール料理店でご飯を食べながら、さらに歌の話をする。19:00解散。「パンの耳」第8号の完成が楽しみになってきた。
posted by 松村正直 at 23:26| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月01日

石原真衣編著『記号化される先住民/女性/子ども』


2021年に北海道大学アイヌ・先住民研究センターにおいて開催されたシンポジウムを書籍化したもの。6篇の論考を収めている。

論じている内容はそれぞれ違うが、全体としてマイノリティーや記号化をめぐる数多くの問題が浮かび上がる構成になっている。

「深い精神性」などという言葉が、アイヌ文化の枕詞としてよく使われるが、言葉の具体的な中身に踏み込んで語られることはなく、とにかく精神性が高いのだ、と繰り返される。これは「聖化」と呼ばれる差別の一類型であり、野蛮・未開視の裏返しでもある。
/北原モコットゥナシ「神秘と癒し」
先住民を記号化する主語は、個々の日本人殖民者であると同時に、それを内面化していく被植民者も含む。それは時代の構造的な認識論であるということだ。
/中村平「記号化される台湾先住民」
研究者は研究資料を先住民族を含むソース・コミュニティから収集し、研究室の分析や考察を経て、研究成果として公にする。しかし必ずしも、この研究成果は本来の資料の保有者である地域社会や先住民族に向かい発信され、共有されてきたとは言えない。
/加藤博文「記号化による文化遺産の植民地化」
オリエンタリズムを背景にもつ帝国の語りは、帝国の主体が男性ジェンダー化される一方で、植民地の側の人種は他者化され、エキゾチックな性的魅力をもった女性ジェンダーを媒介に欲望の対象とされるといった定型をもつ。
/内藤千珠子「フィクションの暴力とジェンダー」
この新しく輸入された概念に特徴的なことは、家族のケアを担っている子どもは歴史的にも現在も多数存在していたのにも関わらず、それとして認知されていなかったということ、そして記号が与えられた途端に突然可視化しようとする強い力が働いていることである。
/村上靖彦「記号が照らすすき間、記号から逃れる本人」
なぜ、疾患を抱える人びとが多いのか、依存症やDVの問題が多いのか、怒りを手放せない人びとが多いのか、という問題について、それらの問題を個人化するのではなく、先住民が経験したコロニアリズムの問題として捉え直すことがいまわれわれに求められている。
/石原真衣「先住民という記号」

こうした論考を読むことで、さまざまな気づきがあった。例えば「ゴールデンカムイ」の主人公である元軍人の杉本とアイヌの少女アシㇼパが男女のジェンダーであることも一つの「定型」と捉えることが可能だろう。

私は以前、短歌雑誌の特集「アイヌと短歌」の中で、与謝野寛の歌を取り上げて「飲酒癖をアイヌの個人的な資質に帰するのではなく、和人社会に取り込まれていく中で、差別や生活苦のためにアルコールに依存してしまうという社会的な問題として把握しているのだ」と評価したことがある。

映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」でもアメリカ先住民の飲酒が描かれていた。「先住民が経験したコロニアリズムの問題」という世界各地に共通する大きな視点で捉えることの重要性を感じた。

2022年8月10日、青土社、2200円。

posted by 松村正直 at 11:12| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする