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眠れない夜には眠るいつもとは足と頭を逆さまにして
手の先が今もつめたい出がらしの急須にお湯を注いでは飲む
乗った場所に降りるしかない観覧車とてもきれいな空だったけど
つややかなゴムの白さを押し当てて吸い取るように文字ひとつ消す
雨ばかり降る週だった鍋底にロールキャベツを並べて煮込む
憎まないようにするのが難しい透きとおる陽を畳にまねく
天井と床に大きく挟まれて冬のからだは眠りが浅い
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2024年01月31日
2024年01月30日
オンライン講座「作歌の現場から」

永田和宏さんと私が毎回ゲストの方を招いて語り合うNHK学園のオンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」。次回は2月16日(金)の開催です。
ゲストは三枝ミ之さん。テーマは「情と景の取り合わせ」です。時間は19:30〜21:00 の90分間。どうぞお気軽にお申込み下さい。
https://college.coeteco.jp/live/8exkcr7l
また、過去の講座についてもアーカイブ受講ができます。各回とも充実した内容となっていますので、こちらもよろしくお願いします。
・第1回:小池光さん「意味を詰め込みすぎない」
https://college.coeteco.jp/live/5vxlc4y2
・第2回:小島ゆかりさん「過去形と現在形」
https://college.coeteco.jp/live/809gce7v
・第3回:栗木京子さん「社会詠をどう詠むか」
https://college.coeteco.jp/live/5vxlc437
2024年01月29日
金川宏歌集『アステリズム』
第4歌集。
死んでからも木の葉のように吹き溜まる音符よそんなに鳴らされたいか
そのオノで、と言いかけてみずをしたたらせ動かぬ森よ ならばわたしが
水草にくるぶしをゆるくつかまれて人生という金色の午後
ヒトハヒトヲコロシテキタソシテコレカラモ 三月、黄と青やがて漆黒
孤がはらむとおき中心わたくしというまぼろしへ引き絞る弦
くらぐらとひとのかたちをゆるされて虹顕つみずのうえを越えゆく
駅は燃え寺院は沈み思ひ出のやうに風吹く 帰らうかもう
傘ふたつ野に消えゆきて春浅き墓のほとりは薄日射したり
夕闇はふかぶかとして過ぎしものと未だすぎざるもの揺らす橋
溶鉱炉しづまりがたく屹(た)つゆゑに町つらぬきて青ふかき河
1首目、生きている音を残すためには、音符にしなくてはならない。
2首目、斧で切れと森が迫るのか。対峙する緊張感と迫力を感じる。
3首目、しがらみと安らぎがないまぜになったような人生の後半戦。
4首目、ウクライナへの侵攻。止むことなく続く戦禍の歴史を思う。
5首目、孤は弧に通じる。円弧によって中心が浮かび上がってくる。
6首目、水たまりの明るさを越える時に自らの身体の暗さを感じる。
7首目、廃墟のような世界を眺めている。でも帰る場所はあるのか。
8首目、写実の歌として美しい。雨上がりの日差しと野にある墓と。
9首目、夕闇も橋も二つの世界に跨るもの。その境目の揺らぐ感じ。
10首目、火と水のイメージを最大限に生み出す言葉の取り合わせ。
2023年11月13日、書肆侃侃房、2000円。
2024年01月28日
エリック・ホッファー『現代という時代の気質』
1972年に晶文社より刊行された本の文庫化。柄谷行人訳。
「未成年の時代」「オートメーション、余暇、大衆」「黒人革命」「現代をどう名づけるか」「自然の回復」「現在についての考察」の6篇を収めた批評集。
1965〜66年に発表された文章なので時代背景も大きく違い、理解の難しい部分も多かった。
アフォリズム的に印象に残った文章を引いておく。
無為を余儀なくされた有能な人間の集団ほど爆発しやすいものはない。
文字は書物を書くためではなく、帳簿をつけるために発明されたのだ。
権力というものはつねに人間の本性、つまり人間という変数を行動の方程式から消去してしまおうという衝動を帯びている。
アメリカにおける黒人のジレンマは、彼がまず黒人であり、個人であるのは二次的なことにすぎない、ということである。
われわれが権力を満喫するのは、山を動かしたり川の流れの方向を左右したりするときではなく、人間を物体、ロボット、傀儡、自動人形、あるいは本物の動物に変えることができるときなのだ。
こうした文章は、発表から50年以上経った今も十分に通用する内容だと感じる。
2015年6月10日、ちくま学芸文庫、1000円。
2024年01月27日
歌集批評会など
これから開かれる歌集批評会などのイベントのまとめ。
コロナが落ち着いて、短歌界隈もまた活発になってきた。
コロナが落ち着いて、短歌界隈もまた活発になってきた。
2月10日(土)
濱松哲朗歌集『翅ある人の音楽』批評会(東京)
2月11日(日)
野田かおり『風を待つ日の』歌集批評会(京都)
2月24日(土)
川本千栄『キマイラ文語』を読む会(東京)
3月3日(日)
森川多佳子歌集『そこへゆくまで』批評会(東京)
3月10日(日)
現代短歌フェスティバル in 奈良(奈良)
3月24日(日)
笠木拓『はるかカーテンコールまで』歌集批評会(京都)
4月7日(日)
丸山順司歌集『鬼との宴』を読む会(京都)
4月28日(日)
中井スピカ『ネクタリン』批評会(大阪)
5月12日(日)
橋本恵美歌集『Bollard』批評会(大阪)
5月25日(土)
吉澤ゆう子歌集『緑を揺らす』批評会(京都)
2024年01月26日
香川ヒサ歌集『The quiet light on my journey』

2015年から2023年までの作品381首を収めた第9歌集。
アルプスの地下水詰めしボトル買ふ土の匂ひのせぬ地下駅に
讃美歌で始め讃美歌で終へる会今年度予算決める時にも
その中を生きるほかなき今の世のキッチンに洗ふグラスが薄い
喜んで伺ひますと返信す感情は約束できないものを
新聞とテレビに目と耳塞がれてゐたがスマホに手も塞がれる
「はやぶさ2」が小惑星より採り来れば岩のかけらを寿ぎてをり
音もなく光の襞より現れし蝶は入りたり光の襞へ
マスクした人の不安が満杯の十六両編成「のぞみ」発車す
マーケットで買ふ生姜入りビスケットさくさく歳晩過ぎますやうに
肖像画に見る見も知らぬ人の顔セリーナ・シスルウェイトの顔
1首目、現代人の日常だが言葉にすると実に奇妙なことをしている。
2首目、全く縁のなさそうな二つのことが同じ場で行われる不思議。
3首目、一瞬で壊れてしまいそうな危うさの中で日々を生きている。
4首目、実際に伺う段階になって自分が喜んでいるかはわからない。
5首目、メディアの発達に人間の感覚や思考が次々と侵されていく。
6首目、マスコミによる過剰な盛り上げ方を皮肉っぽく詠んでいる。
7首目、明るい日差しの中を飛ぶ蝶。「光の襞」という表現が巧み。
8首目、1300人もの人々が感染を怖れて全員マスクしている空間。
9首目、上句が「さくさく」を導く序詞になっている。楽しそうだ。
10首目、絵に描かれ美術館に展示され死後も長く見られ続ける人。
近代短歌を本歌取りした歌も何首かある。
金色の小さき鳥の形した銀杏か百年散り続けをり
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に
/与謝野晶子『恋衣』(1905)
このくにの空を飛ぶとき悲しみしかりがねをりけむ大震災後も
このくにの空を飛ぶとき悲しめよ南へ向かふ雨夜かりがね
/斎藤茂吉『小園』(1949)
2023年12月24日、ながらみ書房、2200円。
2024年01月25日
連載「秀歌を読もう」
NHK学園の機関誌「短歌春秋」に「秀歌を読もう」という短い鑑賞文を計8回連載した。好きな歌について書くのは楽しい。
・秀歌を読もう「永井陽子」(「短歌春秋」162号)
・秀歌を読もう「石川啄木」(「短歌春秋」163号)
・秀歌を読もう「山崎聡子」(「短歌春秋」164号)
・秀歌を読もう「小池光」 (「短歌春秋」165号)
・秀歌を読もう「河野裕子」(「短歌春秋」166号)
・秀歌を読もう「渡辺松男」(「短歌春秋」167号)
・秀歌を読もう「与謝野晶子」(「短歌春秋」168号)
・秀歌を読もう「田村穂隆」(「短歌春秋」169号)
・秀歌を読もう「永井陽子」(「短歌春秋」162号)
・秀歌を読もう「石川啄木」(「短歌春秋」163号)
・秀歌を読もう「山崎聡子」(「短歌春秋」164号)
・秀歌を読もう「小池光」 (「短歌春秋」165号)
・秀歌を読もう「河野裕子」(「短歌春秋」166号)
・秀歌を読もう「渡辺松男」(「短歌春秋」167号)
・秀歌を読もう「与謝野晶子」(「短歌春秋」168号)
・秀歌を読もう「田村穂隆」(「短歌春秋」169号)
2024年01月24日
吉村昭『海軍乙事件』
1976年に刊行された単行本に1篇を加えて文庫化したもの(1982年)の新装版。
「海軍乙事件」「海軍甲事件」「八人の戦犯」「シンデモラッパヲ」の4篇を収めている。幅広い資料収集と取材を基にした戦記文学で、どれも読み応えがある。
「海軍乙事件」では、ゲリラの捕虜となった連合艦隊参謀長以下9名や救出に当たった部隊について、生存者に話を聞いて詳細を明らかにしている。
また、「海軍甲事件」では、撃墜された山本五十六司令長官機を護衛した六機の戦闘機のパイロットたちのその後をたどっている。
歴史の表舞台には出て来ないこうした人々の姿を丁寧に掘り起こしているところが、大きな特徴と言っていいだろう。
「シンデモラッパヲ」は、日清戦争で戦死したラッパ卒をめぐる軍国美談と騒動を冷静な目で描いている。
源次郎の生地船穂町では、日清戦役で戦死したのは白神源次郎ただ一人であったが、日露戦役では一四名、日華事変・太平洋戦争では実に二二〇名の戦死者数にふくれあがっている。
1名→14名→220名。時代が進むにつれて戦争の規模が拡大していく様子が如実にわかる数字だと思う。
2007年6月10日、文春文庫、524円。
2024年01月23日
北原モコットゥナシ『アイヌもやもや』
漫画:田房永子。
副題は「見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。」
アイヌにルーツを持つ東京の高校生と北海道の市役所に務める男性の二人を主人公にした漫画を織り交ぜながら、アイヌに対する差別や偏見の問題を論じている。
その際に、アイヌのことだけでなく、女性や障がい者、セクシュアルマイノリティー、外国人なども含めて、差別の構造そのものを明らかにしているのが特徴だ。
実は、マジョリティには自称がないことが多いのです。というのも、マジョリティは自分について問われることがありませんから。
差別的言動は、しばしば差別をすることよりも連帯感を強めることを目的としてなされることもあります。
「マイクロアグレッション」「ステレオタイプ」「公正世界信念」「マンスプレイニング」「文化盗用」「アクティブバイスタンダー」といった概念についても丁寧な説明があるのがありがたい。
「お前と俺は違う(排除)」と「お前も俺も同じだ(統合)」の使い分けは、植民地に共通して起こります。
明治期以後、日本の研究者は日本の優越性/アイヌの劣性という予め決まっている結論に向け、人種主義的な研究を進めることで、植民地主義を正当化してきました。
漫画「ゴールデンカムイ」の映画化や知里幸恵を主人公にした映画「カムイのうた」の公開など、このところアイヌに関する話題を見聞きすることも多い。その際に、私たちはどのように考え、行動していけば良いのか。
近代以降の日本の歴史を考える上でも、また現在の差別の構造を変えていくためにも、知っておくべきことが多くあると感じた。
2023年12月12日、303BOOKS、1600円。
2024年01月22日
第三回多磨全日本大会と米川稔
1940(昭和15)年8月11日から13日まで、北原白秋の主宰する「多磨」の全国大会が鎌倉の円覚寺で開かれた。2泊3日の日程である。
大会の詳細については、「多磨」1940年9月号に報告が載っている。大会は第一回の信貴山(1936年)、第二回の高尾山(1937年)に続いて三年ぶりの開催で、参加者は100名を超える盛況だった。
開催地が鎌倉ということで、現地に住む米川稔は世話役を担った。3日目の昼食は鶴岡八幡宮の池の畔にある茶店に入った。
「鎌倉中の寿司屋を試食して歩いた」というのだから、何とも念入りな準備である。また、大会終了後の後始末についても、白秋が次のように絶賛している。
こうして大会は賑やかに幕を閉じた。
その一方で、「皇軍将士への黙禱」が行われるなど、徐々に戦時色も強まっていた。多磨賞の受賞者の一人であった宮柊二も、この時既に戦地に赴いていた。
翌1941(昭和16)年、三崎町の本瑞寺で予定されていた第四回多磨全日本大会は中止となる。第四回大会が開催されるのは、戦中・戦後の混乱期を経た1949(昭和24)年のことであった。
その間、1942(昭和17)年に白秋は病没し、1944(昭和19)年には米川稔が軍医として出征したニューギニアで亡くなった。そうした歴史を振り返ると、「第三回多磨全日本大会」は戦前の最後の輝きだったという印象を受ける。
大会の詳細については、「多磨」1940年9月号に報告が載っている。大会は第一回の信貴山(1936年)、第二回の高尾山(1937年)に続いて三年ぶりの開催で、参加者は100名を超える盛況だった。
1日目:自己紹介、多磨賞授与式、歌会、支部の状況報告
2日目:実作指導、記念撮影、講演(見沼冬男、穂積忠)
3日目:講演(北原白秋)、鎌倉見学、懇親会(日比谷松本楼)
開催地が鎌倉ということで、現地に住む米川稔は世話役を担った。3日目の昼食は鶴岡八幡宮の池の畔にある茶店に入った。
此処で供されたあじの寿司はまた、格別のものだつた。地元の世話役の米川稔氏は鎌倉中の寿司屋を試食して歩いた後漸く此の店に決めたさうだが、今更乍ら、同市の熱心で労を惜しまないことに対して感謝の念が湧いた。(鈴木杏村)
「鎌倉中の寿司屋を試食して歩いた」というのだから、何とも念入りな準備である。また、大会終了後の後始末についても、白秋が次のように絶賛している。
尚地元をはじめ在京の人々の行きとゞいた接待と斡旋とに対してその労をねぎらいたい。その中にも況して讃へておかねばならぬことは、医学博士米川稔ともあらう人が一同の退出を見送つてから、二三の女性と共に不浄場の清掃を虔ましく済ませて一足おくれて日比谷に駈けつけられたことである。而も氏はこの幽かしい陰徳については一言も語らなかつた。これこそ多磨の精神とするところのものである。
こうして大会は賑やかに幕を閉じた。
その一方で、「皇軍将士への黙禱」が行われるなど、徐々に戦時色も強まっていた。多磨賞の受賞者の一人であった宮柊二も、この時既に戦地に赴いていた。
翌1941(昭和16)年、三崎町の本瑞寺で予定されていた第四回多磨全日本大会は中止となる。第四回大会が開催されるのは、戦中・戦後の混乱期を経た1949(昭和24)年のことであった。
その間、1942(昭和17)年に白秋は病没し、1944(昭和19)年には米川稔が軍医として出征したニューギニアで亡くなった。そうした歴史を振り返ると、「第三回多磨全日本大会」は戦前の最後の輝きだったという印象を受ける。
2024年01月21日
河治和香『がいなもん 松浦武四郎一代』
幕末から明治にかけての探検家・古物蒐集家の松浦武四郎(1818‐1888)を主人公にした小説。
晩年の松浦が河鍋暁斎の娘のお豊(河鍋暁翠)に昔の自分を語るというスタイルで展開していく。北海道や樺太を調査した話も、もちろん多く出てくる。
松浦武四郎が生まれた伊勢という土地は、伊勢神宮があることから、〈神都〉と呼ばれていた。江戸を武都といい、京都を皇都というのに対して……神都である。
松浦老人たちは、ただ集めるだけではないのであった。集めたものを分類し、記録し、そして考察する……集められたことで、ひとつひとつのモノは本質を極められて、価値を増し、ますます輝く。
当時、志士たちの間で漢語が流行ったのは、それが彼らの間の唯一の共通言語だったからである。
ちょうど4月から東京の静嘉堂文庫美術館で、「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」という展覧会が開催されるらしい。この本に出てくる「武四郎涅槃図」や「大首飾り」も展示されるので、ぜひ見に行きたいと思う。
2023年7月11日、小学館文庫、780円。
2024年01月20日
「八雁」2024年1月号
特集「第10回八雁短歌会全国大会 in 神戸」の中に、大辻隆弘さんの講演「継承と独創」が質疑応答も含めて計23ページというボリュームで載っている。
短歌を始めたきっかけや大学時代の恩師の言葉、「未来」入会からニュー・ウェーブ流行に対する反応など、40年に及ぶ歌歴を振り返って話をしている。かなり率直な語り口で、とてもおもしろい。
「八雁」主催の阿木津英さんもかつて「未来」に所属していたので、「あのころ阿木津さんは、本当に怖くて(笑)」といった話も出てくる。短歌のことだけでなく、結社の歴史や継承といったことも考えさせられた。
2024年1月1日、八雁短歌会、1100円。
短歌を始めたきっかけや大学時代の恩師の言葉、「未来」入会からニュー・ウェーブ流行に対する反応など、40年に及ぶ歌歴を振り返って話をしている。かなり率直な語り口で、とてもおもしろい。
でもこんなふうに文語で短歌を作っとったら、人気歌人にはなれへんやろうなとか、総合誌から注文が来(け)えへんやろうなとか、正直、そんなさもしい思いもしました。
大体僕の体の三〇%ぐらいは岡井さんでできていて、二九%ぐらいが玉城徹で、二九%ぐらいが佐藤佐太郎。そんなくらい影響は大きいです。
やっぱ、佐太郎はわかりやすいんですよ。茂吉の混沌をもうちょっと浄化して精製して、上澄みを取ったようなところがある。佐太郎から茂吉に入っていくと、逆に茂吉の混沌がよく見えるところがあって、そこからやっぱり茂吉の沼に入っていったって感じですね。
「八雁」主催の阿木津英さんもかつて「未来」に所属していたので、「あのころ阿木津さんは、本当に怖くて(笑)」といった話も出てくる。短歌のことだけでなく、結社の歴史や継承といったことも考えさせられた。
2024年1月1日、八雁短歌会、1100円。
2024年01月19日
福士りか歌集『大空のコントラバス』
2018年から2023年までの作品400首を収めた第5歌集。
雪国の暮らしやコロナ禍における学校の様子が印象に残る。
1首目、毎年欠かさず祝っているのだろう。女三代の系譜を感じる。
2首目、入院中の患者が元気になったらと思って眺めたのだろうか。
3首目、初二句の見立てが面白い。海の方角を指しているみたいだ。
4首目、水深327メートルなので東京タワーがほぼすっぽり収まる。
5首目、町と違って墓参り用の花は買うのではなく畑で育てている。
6首目、友達の少ない子や一人が好きな子には、むしろありがたい。
7首目、冬から春への移り変わりを雪の量の変化で感じ取っている。
8首目、長年勤めた学校の退任式。「兵馬俑」の比喩が実に印象的。
9首目、誰もがいつかは死ぬことをあらためて感じ考えさせられる。
10首目、雪深い土地に暮らす人ならではの歌。扱いに慣れている。
2023年11月20日、柊書房、2300円。
雪国の暮らしやコロナ禍における学校の様子が印象に残る。
花寿司と白酒を母と祖母に供ふささやかなれど雛の家なる
病院の売店に旅の雑誌あり表紙の隅が少しめくれて
矢印のかたちとなりて海恋ふるスルメ炙れば潮の香のたつ
例ふれば東京タワーのてつぺんにゐるらし深き十和田湖の澄む
集落に墓所あれば村の畑には花を植ゑたる一畝のあり
黙食といふ新習慣にほつとする生徒ゐるらむみんながひとり
雪原は真つ白な海 満ち潮の二月去り引き潮の三月
冷え込んだ体育館に整列す生徒ら兵馬俑のたたずまひして
あぶり出せば「メメント・モリ」と浮き出でむ薄墨いろの欠礼はがきは
除雪機の排雪筒に詰まりたる雪を掻き出す摘便のごと
1首目、毎年欠かさず祝っているのだろう。女三代の系譜を感じる。
2首目、入院中の患者が元気になったらと思って眺めたのだろうか。
3首目、初二句の見立てが面白い。海の方角を指しているみたいだ。
4首目、水深327メートルなので東京タワーがほぼすっぽり収まる。
5首目、町と違って墓参り用の花は買うのではなく畑で育てている。
6首目、友達の少ない子や一人が好きな子には、むしろありがたい。
7首目、冬から春への移り変わりを雪の量の変化で感じ取っている。
8首目、長年勤めた学校の退任式。「兵馬俑」の比喩が実に印象的。
9首目、誰もがいつかは死ぬことをあらためて感じ考えさせられる。
10首目、雪深い土地に暮らす人ならではの歌。扱いに慣れている。
2023年11月20日、柊書房、2300円。
2024年01月18日
ねじめ正一『荒地の恋』
同人誌「荒地」のメンバーであった詩人の北村太郎、田村隆一、鮎川信夫らをモデルにした小説。主人公の北村が53歳の時から69歳で亡くなるまでが描かれている。
詩のカルチャースクールの話も出てくる。
その通りだよなあと思う一方で、耳が痛い話でもある。短歌のカルチャー講座では、今でも「添削」を求められることが多い。
2007年9月30日、文藝春秋、1800円。
詩のカルチャースクールの話も出てくる。
北村は、実作の批評ではできるだけ生徒に喋らせるようにしている。詩をつくるにはまず詩を読む力が必要で、詩を読む力は人の解説を聞いただけでは身につかないと思うからである。
実作指導にあたって北村が気をつけているのは、生徒の詩の言葉にはいっさい手を触れないということである。ここをああしたら、こちらをこうしたら、というようなことはいっさい言わない。それで詩が少しよくなったとしても、その詩は厳密には生徒自身のものではなくなってしまうからだ。あるじからはぐれた言葉ほど淋しいものはない、と北村は考えている。
その通りだよなあと思う一方で、耳が痛い話でもある。短歌のカルチャー講座では、今でも「添削」を求められることが多い。
2007年9月30日、文藝春秋、1800円。
2024年01月17日
石原純のシベリア詠(その2)
つち赭(あか)き山脈(さんみやく)みゆる駅にして、
宝石売りの男見にけり。
ウラル山脈に近いスヴェルドロフスク(エカテリンブルク)の光景と思われる。「スヴェルドロフスクで土産物を買う日本人は多い。ウラル山脈で産出する石を、駅で売っているからである。」
冬頭巾あつく被れる農婦らが
卵売るなり。
停車場に来て。
シベリア鉄道には食堂車もあるが、食料品を持ち込む人が多い。途中の駅にも売店があり行商の人がいる。「各駅の線路沿いにあるバラック式の売店では、食料品や土産物を安い価格で売っていた。」
ようろつぱとあじやの境するすと云ふ
塔を見にけり。
遠く我が来て。
蒼ばみて
うらるの峰はたかだかと
我れのゆく手に暫(しま)らくは立ちぬ。
ウラル山脈を越える線路わきにオベリスク(記念碑)が立っている。「四〇分後に左側にオベリスクが現れるから、見逃さないでと彼女は言った。それはウラル山中にある、アジアとヨーロッパの境界の標識のことである。」
鐘鳴れば
停車のひまの遊歩より人帰りくるなり。
遽(あはただ)しげに。
シベリア鉄道の乗客は車内で長時間過ごすので、駅に到着すると運動も兼ねてホームを歩いたりする。「停車駅のプラットホームは数少ない運動場となる。」「発車の約五分前には一点鐘が、発車と同時に二点鐘が鳴る。」
十日駛(は)せて
汽車モスクワの街につきぬ。
空いとさむく朝みぞれせり。
石原は「しべりやの旅」の後に1200字ほどの文章を記している。
「嘗て欧洲への留学の途を私はシベリヤに採つた。ウラジオストツクからモスクワ迄十日の間を広軌の汽車に揺られながら通つた。(…)欧洲は多くの珍しさを私に与へたけれど、シベリヤの広大は私に最も深い印象を残したものの随一である。(…)」
シベリア鉄道に乗ってみたくなってきた。
2024年01月16日
石原純のシベリア詠(その1)
石原純は1916(大正5)年にヨーロッパ留学のためシベリア鉄道に乗った。歌集『靉日』(1922年)には、その様子を詠んだ「しべりやの旅」88首が収められている。『シベリア鉄道紀行史』を参照しながら読んでみたい。
敦賀からウラジオストクに船で到着したところ。「船中で一泊するとウラジオストク。港務官と税関吏が乗船して、パスポート・手荷物の検査を行うので、乗客は甲板に手荷物を並べて検査に立ち会わなければならない。」
シベリア鉄道の車内の様子。「一等はコンパートメント(小さく仕切られた客室)の定員が二人か四人で、二等は四人室である。」
シベリア鉄道は当初バイカル湖を航路でつないでいたが、1904年にバイカル湖の南岸を迂回する路線が開通する。「日露戦争中のバイカル迂回線の難工事はよく知られている。」
石原が食べたのはバイカル湖に生息するオームリという魚のようだ。「バイカル湖で最も有名な魚はオームリ。」「燻製なのにフレッシュで、バイカル湖の恵みが口一杯に広がる。」
税関吏(ぜいくわんり)
厚き外套に軀(み)を纏ひ、
船に入り来るが不気味なりけり。
敦賀からウラジオストクに船で到着したところ。「船中で一泊するとウラジオストク。港務官と税関吏が乗船して、パスポート・手荷物の検査を行うので、乗客は甲板に手荷物を並べて検査に立ち会わなければならない。」
汽車のなかの一区劃(しきり)なるわが室(へや)に、
徒(たゞ)すわり居つつ、
ひろき野をゆく。
不馴(ふな)れなる汽車の寝台(しんだい)におきいでて、
服(ふく)よそほひぬ。
よそびとのまへに。
シベリア鉄道の車内の様子。「一等はコンパートメント(小さく仕切られた客室)の定員が二人か四人で、二等は四人室である。」
天垂るる遠きさかひに、
ばいかるは限りなく白く
浮びいでにけり。
湖べりの崖(がけ)のあひだに、
隧道(とんねる)の数のおほきが
こころうばへり。
シベリア鉄道は当初バイカル湖を航路でつないでいたが、1904年にバイカル湖の南岸を迂回する路線が開通する。「日露戦争中のバイカル迂回線の難工事はよく知られている。」
味淡きばいかるのうみの青魚を
我が食しにけり。
ろしやびとのなかに。
石原が食べたのはバイカル湖に生息するオームリという魚のようだ。「バイカル湖で最も有名な魚はオームリ。」「燻製なのにフレッシュで、バイカル湖の恵みが口一杯に広がる。」
2024年01月15日
和田博文『シベリア鉄道紀行史』
副題は「アジアとヨーロッパを結ぶ旅」。
1874年から1945年までのシベリア鉄道の歴史をたどりつつ、シベリア鉄道に乗った日本人の旅行の様子を描いた本。終章に2012年に著者自身がシベリア鉄道でパリに渡った記録も収めている。
登場するのは、田辺朔郎、徳富蘆花、杉村楚人冠、二葉亭四迷、与謝野晶子、山田耕筰、荒畑寒村、吉屋信子、中條百合子、林芙美子、松岡洋右など。
21世紀の現在、シベリア鉄道でヨーロッパに行く人はほとんどいないが、飛行機が一般的でなかった戦前は、船とならんでシベリア鉄道もよく使われていた。
シベリア鉄道に対する日本人の関心には、もともと二面性がある。一つはヨーロッパとアジアを結ぶ鉄道への夢である。それは日本からロンドン・ベルリン・パリへ短期間で旅をする夢であり、物流によって経済が活性化する夢である。もう一つは、ヨーロッパからアジアに、軍隊が送り込まれてくるという恐怖だった。
日本史や世界史に関する記述も多く、忘れていた知識が頭の中で整理されていく。
一九〇四(明治三七)年二月八日の日本軍の奇襲から始まった日露戦争は、日本の帝国主義の地歩を固める戦争になる。日本の戦費をアメリカとイギリスが、ロシアの戦費をフランスが負担したことが示すように、それは帝国主義観の覇権争いでもある。
一九一七年以前の本に「露都」と出てくるのは、ロシア帝国の首都ペテルブルグである。
二つの世界大戦に挟まれた一九二〇年代と一九三〇年代の前半は、ヨーロッパへの旅行者が増加した時代である。特に一九二九(昭和四)年一〇月の世界恐慌以前は、アメリカを中心に経済が活性化して、大量生産・大量消費の生活様式は確立された。
シベリア鉄道に着目することで、近代日本の歴史や日本とロシアの関係など様々な物語が浮かび上がってくるのであった。
2013年1月15日、筑摩選書、1600円。
2024年01月14日
「蝶は桜にとまるのか」問題
童謡・唱歌「ちょうちょう」の歌詞をめぐって、「蝶は桜にとまるのか」という議論がある。
桜の花の周りを飛び回っている蝶が詠まれているが、こうした光景はあまり目にすることがない、というのだ。確かに菜の花と蝶の取り合わせは一般的だが、桜と蝶の印象は薄い。
この歌詞は戦後の1947年に改作されたもので、もとの歌詞(1881年の『小学唱歌集』初編)では、次のようになっていた。
これを見るとわかる通り、桜は単なる木としてではなく、天皇や日本の象徴という役割を担っていた。そのため、明治の近代国家成立の時期に、やや無理をして桜を歌詞に入れたのだろう。
この歌詞そのものは、古くからあるわらべ歌が元になっているという。それは、はたしてどんな歌であったのか。
小泉八雲『神々の国の首都』には多くのわらべ歌が引かれているが、その中に次の歌があった。
なるほど。「菜の葉」はあるけれど「桜」はどこにもない。子どもたちが呼び掛けるのは何とも素朴な「手にとまれ」であったのだ。
ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ
菜の葉にあいたら 桜にとまれ
桜の花の 花から花へ
とまれよ遊べ 遊べよとまれ
桜の花の周りを飛び回っている蝶が詠まれているが、こうした光景はあまり目にすることがない、というのだ。確かに菜の花と蝶の取り合わせは一般的だが、桜と蝶の印象は薄い。
この歌詞は戦後の1947年に改作されたもので、もとの歌詞(1881年の『小学唱歌集』初編)では、次のようになっていた。
蝶々 蝶々 菜の葉に止れ
菜の葉に飽たら 桜に遊べ
桜の花の 栄ゆる御代に
止れや遊べ 遊べや止れ
これを見るとわかる通り、桜は単なる木としてではなく、天皇や日本の象徴という役割を担っていた。そのため、明治の近代国家成立の時期に、やや無理をして桜を歌詞に入れたのだろう。
この歌詞そのものは、古くからあるわらべ歌が元になっているという。それは、はたしてどんな歌であったのか。
小泉八雲『神々の国の首都』には多くのわらべ歌が引かれているが、その中に次の歌があった。
チョウチョウ チョウチョウ ナノハニトマレ
ナノハガイヤナラ テニトマレ
なるほど。「菜の葉」はあるけれど「桜」はどこにもない。子どもたちが呼び掛けるのは何とも素朴な「手にとまれ」であったのだ。
2024年01月13日
富田睦子歌集『声は霧雨』

2018年から2021年までの作品381首を収めた第3歌集。
中学生の娘やコロナ禍を詠んだ歌が多い。
プリキュアの玩具開ければ乾電池ふるびてしろき結晶を吹く
うずら豆ひよこ豆はた白花豆まめを煮るとき耳はたのしむ
めくるめく、と言うときかすか日めくりは海からきたる風にはためく
流し場のワタより滲む虹色は地中の管を流れゆくなり
夕暮れのイオンのレジは忙しき人らが並び迷子の心地す
無糖紅茶を一気飲みして荷物から体重へ水の重さを移す
リモート授業の動画を二倍速で見て一日の淡し家居のむすめ
九十度机の向きを変えてみるわれへ近づく鳥と半月
予定なき盆の休みの朝寝坊マッコウクジラの家族のように
まだ親に決定権のあるからだ問診表にサインを入れる
1首目、かつて娘が遊んでいた玩具。歳月の経過をあらためて思う。
2首目、豆によって色や形、煮えるまでの時間なども違うのだろう。
3首目「めくるめく」という言葉が引き寄せてくる明るいイメージ。
4首目、暗い下水道の中を流れていく鮮やかな虹色を思い浮かべる。
5首目、自分ひとり周囲からぽつんと取り残されてしまった気分だ。
6首目、総重量は変らないけれど、荷物が軽くなると運ぶのは楽だ。
7首目、学校には授業以外に大切なことがたくさんあったと気付く。
8首目、座る向きを変えるだけで見える世界が変わり気分も変わる。
9首目、ゆったりとした音の響きや韻律が内容とうまく合っている。
10首目、やがてワクチン接種に親の同意の要らない年齢を迎える。
2023年11月30日、砂子屋書房、3000円。
2024年01月12日
映画「枯れ葉」
監督・脚本:アキ・カウリスマキ
出演:アルマ・ポウンスティ、ユッシ・バタネン、ヤンネ・フーティアイネン、ヌップ・コイブほか
ヘルシンキを舞台にした孤独な男女のラブストーリー。「竹田の子守唄」が流れたり、ジム・ジャームッシュの「デッド・ドント・ダイ」が映ったりして驚いた。
そう言えば、「ナイト・オン・ザ・プラネット」のヘルシンキ編に出てくる運転手と酔っ払いの名前はミカとアキだったな。
京都シネマ、81分。
出演:アルマ・ポウンスティ、ユッシ・バタネン、ヤンネ・フーティアイネン、ヌップ・コイブほか
ヘルシンキを舞台にした孤独な男女のラブストーリー。「竹田の子守唄」が流れたり、ジム・ジャームッシュの「デッド・ドント・ダイ」が映ったりして驚いた。
そう言えば、「ナイト・オン・ザ・プラネット」のヘルシンキ編に出てくる運転手と酔っ払いの名前はミカとアキだったな。
京都シネマ、81分。
2024年01月11日
『神々の国の首都』のつづき
日本人が日本のことをよく知っているとは限らない。当り前で見慣れたものであるため、かえって気づかないことがある。
看板や幟や法被の背など、町のいたるところに「文字」がある風景にハーンは驚く。そして、漢字は「一幅の絵」だと感じる。当時は手書きの文字が多かったから、その印象はさらに強かったことだろう。
「馬頭観音」という名前だが、別に馬の頭をしているわけではなく、頭上に馬の頭を載せているだけ。言われてみればなるほど、名前とズレがある。短歌で言うところの「発見」だ。
短歌講座では、まっさらな目で物を見るようにと教えることがある。それは、何も知らない赤ちゃんや初めて日本を訪れたハーンの目のようなもの。「豆腐」を見慣れたものとしてではなく、まっさらな目で描くとどうなるか、ということなのだ。
日本人の頭脳にとって、表意文字は、生命感にあふれる一幅の絵なのだ。それは生きて、物をいい、身ぶりまでする。そして日本の街は、いたるところに、こうした生きた文字を充満させているのだ(…)
看板や幟や法被の背など、町のいたるところに「文字」がある風景にハーンは驚く。そして、漢字は「一幅の絵」だと感じる。当時は手書きの文字が多かったから、その印象はさらに強かったことだろう。
奇妙なその名前が促す想像とはうらはらに、この観音像の頭は馬の形をしているわけではない。御神体がいただく宝冠に馬の頭が彫られているのである。
「馬頭観音」という名前だが、別に馬の頭をしているわけではなく、頭上に馬の頭を載せているだけ。言われてみればなるほど、名前とズレがある。短歌で言うところの「発見」だ。
豆腐屋とは、大豆を凝乳状にして、見た目には良質のカスタードそっくりにしたもの、すなわち豆腐を売る店である。
短歌講座では、まっさらな目で物を見るようにと教えることがある。それは、何も知らない赤ちゃんや初めて日本を訪れたハーンの目のようなもの。「豆腐」を見慣れたものとしてではなく、まっさらな目で描くとどうなるか、ということなのだ。
2024年01月10日
小泉八雲著・平川祐弘編『神々の首都』
ラフカディオ・ハーンが日本について記した最初の著書『知られぬ日本の面影』(1894年)から13篇を選んで収めた本。
流れるような美しい文章で、読んでいて心が落ち着く。最初は翻訳者の腕によるものかと思ったのだが、訳者は7名が別々に担当したものであった。つまり、元になったハーンの文章が美しいのだろう。
ハーンは1890(明治23)年4月に横浜に到着し8月に松江に赴任、翌年11月に熊本へ移るまでを過ごした。そのわずか1年あまりの出雲滞在中に、ハーンは日本の文化や歴史、人々の暮らしに対する深い理解を感じさせる数々の文章を記したのだ。そのことに驚かされる。
仏教には万巻に及ぶ教理と、深遠な哲学と、海のように広大な文学がある。神道には哲学はない。体系的な理論も、抽象的な教理もない。しかし、そのまさしく「ない」ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた。
日本の家屋は、暑い時分には、すっかり開け放して風通しをよくする。窓代りともいえる紙の障子も、部屋と部屋の区分けに用いられる厚い紙で出来た襖も、夏には取り払われてしまう。
そもそも日本の庭園は花の庭ではない。植物の栽培を目的としている訳でもない。十中八九、花壇に類したものはない。緑の小枝らしいものがほとんどない庭もある。緑が全然なく、すべて岩と石と砂から出来ている庭もある。
明治20年代の出雲に残る昔ながらの日本の姿を描きつつ、ハーンはそれが文明開化に伴う西洋化によってやがて失われるだろうことも感じていた。
古風な出雲の町も、長い間の懸案だった鉄道が――たぶんあと十年を待たずして――開通すれば、膨張し、変貌し、月並みの町になって、この地所を工場や製作所の用地に転用せよと言い出すだろう。
日本をいとおしむようなハーンの筆致や眼差しには、失われゆくものに対する愛惜が込められていたのだろう。
名作です。
1990年11月10日第1刷、2010年12月6日第24刷。
講談社学術文庫、1200円。
2024年01月09日
大辻隆弘『岡井隆の百首』
「歌人入門」シリーズの9冊目。
これまでのラインナップは石川啄木、斎藤茂吉、北原白秋、森鷗外、寺山修司、山崎方代、落合直文。どれもコンパクトで読みやすく、歌人の名歌や代表作、歌風の変遷、生涯などを知ることができる。
本書は岡井隆の短歌100首を引いて解釈・鑑賞するだけでなく、解説「調べのうたびと」を含め随所に岡井隆論が展開されるところに読み応えがある。
後年、彼が盛んに用いる理念化や抽象化の萌芽がすでに明確に表れている一首である。
短歌は究極のところ歌であり調べである、という岡井の韻律重視の考え方が垣間見える一首である。
アララギで培ったこのような写生の技術がこの歌の上句にも生かされている。写生はいつの時代も岡井の基底なのだ。
また、初期歌篇「O」から遺歌集『阿婆世』までの全36冊から満遍なく歌を選んでいるのが大きな特徴だ。まだ評価の定まっていない1990年代以降の岡井の歌についても積極的に取り上げている。
以前、角川短歌の座談会で永田和宏が「岡井隆を論じるのなら、最後まで論じなければあかん。だけど岡井隆の意義を論じるなら、『人生の視える場所』で終えたほうがいいと思う」(2020年10月号)と述べたことがある。
それに対して、この本では100首のうち59首が『人生の視える場所』より後の歌集から引かれている。その選びに著者の主張がはっきり表れていると言っていいだろう。
2023年11月20日、ふらんす堂、1700円。
2024年01月08日
講座「短歌 ー 連作の作り方」
2月4日(日)に毎日文化センター(大阪)で講座「短歌 ー 連作の作り方」を行います。時間は14:00〜15:30の90分間。教室でもオンラインでも受講できます。
https://www.maibun.co.jp/course-detail?kouzainfo_id=272
お申込み、お待ちしております。
https://www.maibun.co.jp/course-detail?kouzainfo_id=272
短歌は1首で完結した一つの作品ですが、実際に雑誌や歌集に作品を発表する際には、5首〜30首程度の歌をならべて「連作」にするのが一般的です。単に歌を寄せ集めただけでは連作になりません。全体の構成やテーマ、並び合う歌同士の相乗効果といった多くの要素が連作には含まれます。本講座では優れた連作を紹介しながら、歌の並べ方やテーマの選び方、題の付け方などについて具体的に詳しくお話しします。
お申込み、お待ちしております。
2024年01月07日
暁烏敏の樺太詠
真宗大谷派の僧侶で数多くの著作がある暁烏敏(あけがらすはや)は短歌も詠んでいた。歌集『地球をめぐりて』(1930年)を読むと、国内外のあちこちを旅して歌に詠んでいる。
その中に樺太の歌もあった。暁烏は1928(昭和3)年7月23日から28日にかけて樺太の大泊、豊原、知取、新問、泊岸、敷香などを訪れ、計69首を詠んでいる。
歌集のあとがきには
と記している。『樺太を訪れた歌人たち』では出口王仁三郎の樺太詠を取り上げたが、宗教家と和歌・短歌の結び付きというのは興味深いテーマだと思う。
その中に樺太の歌もあった。暁烏は1928(昭和3)年7月23日から28日にかけて樺太の大泊、豊原、知取、新問、泊岸、敷香などを訪れ、計69首を詠んでいる。
立枯(たちがれ)の林さみしき山焼けのあととしきけばなほもさびしき。
わぎもことかたらふ夢のさめぬれば身は樺太(かばふと)の汽車の中にあり。
ぱんを売るすらぶにものの言ひたさにいらざるぱんを買ひにけるかな。
ところどころ丸木ちらばりうちあげし鱒よこたはる砂浜ゆくも。
おろつこの部落に入れば大いなるむくげの犬のあまたをりけり。
歌集のあとがきには
私は歌人とならうといふやうな志願を起したことはない。だから、私の歌は、ただ好きな道だといふにすぎない。従ひて今の多くの歌人たちの前に出すには、あまりに粗野なものである。しかし、粗野なものでも、私の生活そのものを詠んだものなので、かはい子のやうな気がする。素人の歌だけに、玄人の方の味はれないところも持つてをることを自信してをる。
と記している。『樺太を訪れた歌人たち』では出口王仁三郎の樺太詠を取り上げたが、宗教家と和歌・短歌の結び付きというのは興味深いテーマだと思う。
2024年01月06日
山階基歌集『夜を着こなせたなら』
384首を収めた第2歌集。
頰に雨あたりはじめる風のなか生きているのに慣れるのはいつ
冷えきったあばらにうすく印を烙くように聴診器はいくたびも
皿を置くときみは煙草をやめていた秋にしばらくそのままの皿
荷ほどきと荷造りの間を生きている夜はガムテープが剝がれてひらく
へたなりに卓球台をぴんぽんと跳ねればやたらはだける浴衣
剝げかけた青の針金ハンガーはシャツの気配をのこして揺れる
アーモンドフィッシュを皿にざらざらとおいで心にならない心
番台に小銭ならべてよく冷えた壜にざらりと刷られた牛よ
カラオケのぶあつい本を思い出す膝にかばんを預かるうちに
缶の緑はそのまま味にマウンテンデュー・スプライト・セブンアップよ
1首目、雨の冷たさを頰に感じながら慣れることのない人生を思う。
2首目、聴診器が胸へと当てられる感触を烙印に喩えたのが印象的。
3首目、灰皿を「皿」と言ったのがいい。使われない灰皿の寂しさ。
4首目、引っ越しから次の引っ越しまでの仮初のような生活が続く。
5首目、温泉などに泊まって遊ぶ卓球。ついつい力が入ってしまう。
6首目、上句の細かな描写がいい。剝き出しになったハンガーの姿。
7首目、まだはっきりと形を持たない感情に餌を与えているみたい。
8首目、銭湯や牛乳と言わず表すのが巧み。使い古された壜の感じ。
9首目、電車の席に座って、立っている人の鞄を持つ場面が浮かぶ。
10首目、味覚と視覚の共感覚。缶ジュースの味と色が一体になる。
2023年11月10日、短歌研究社、2000円。
2024年01月05日
映画「うかうかと終焉」
監督・脚本:大田雄史
出演:西岡星汰、渡辺佑太朗、松本妃代、三浦獠太、乃中瑞生、中山翔貴、コウメ太夫、平泉成ほか
廃寮が決まった学生寮の最後の5日間を描いた物語。
5人グループの会話や行動を通じて、一人一人の人物像や関係性が鮮やかに浮かび上がってくる。
出町座、87分。
出演:西岡星汰、渡辺佑太朗、松本妃代、三浦獠太、乃中瑞生、中山翔貴、コウメ太夫、平泉成ほか
廃寮が決まった学生寮の最後の5日間を描いた物語。
5人グループの会話や行動を通じて、一人一人の人物像や関係性が鮮やかに浮かび上がってくる。
出町座、87分。
2024年01月04日
『瀬戸内海モダニズム周遊』のつづき
雑学的な面でも面白い話がたくさん載っている。
広島県物産陳列館は今の原爆ドームのこと。ヤン・レツルが広島に呼ばれたのには、そうした流れがあったのか。
小豆島の名所「寒霞渓」の名前も明治に入ってからの比較的新しいものだったのか。
林立する煙突が公害などのマイナスイメージではなく、工業化や産業の発展というプラスイメージで捉えられていた時代である。
1909年の森田草平の小説「煤煙」にも「煙が好(よ)う御座いますね。私、煤煙の立つのを見てると、真実(ほんたう)に好(よ)い心持なんです。」という台詞が出てくる。
広島に着任した寺田(寺田祐之知事)は、松島と同様に「日本三景」のひとつにうたわれた宮島に着目する。彼は、松島パークホテルを設計したチェコの建築家ヤン・レツルを広島に呼び寄せる。レツルは広島県物産陳列館とともに、宮島ホテルの設計も請け負うことになる。
広島県物産陳列館は今の原爆ドームのこと。ヤン・レツルが広島に呼ばれたのには、そうした流れがあったのか。
寒霞渓のある山は、応神天皇が岩に鉤を掛けて登ったという『日本書紀』の記述から、鉤掛山、あるいは神懸山と呼ばれていた。「神懸(かんかけ)」に「寒霞渓」という雅名を充てたのは、明治八年(一八七五)にこの地を訪問した儒学者・藤沢南岳である。
小豆島の名所「寒霞渓」の名前も明治に入ってからの比較的新しいものだったのか。
鳥観図の描写でも、黒い煙突が特に強調されて描かれていることが判るだろう。裏面の「今治市街」と題する写真も、工場を大きく写す俯瞰景である。天空に向けて煤煙を吐き出す煙突こそ、産業都市の象徴であるというわけだ。
林立する煙突が公害などのマイナスイメージではなく、工業化や産業の発展というプラスイメージで捉えられていた時代である。
1909年の森田草平の小説「煤煙」にも「煙が好(よ)う御座いますね。私、煤煙の立つのを見てると、真実(ほんたう)に好(よ)い心持なんです。」という台詞が出てくる。
2024年01月03日
橋爪伸也『瀬戸内モダニズム周遊』
明治から昭和戦前期の地図や絵葉書、旅行案内などをもとに、瀬戸内海がどのように発展してきたのかを記した本。観光、文化、産業、都市、温泉といった様々な角度から、瀬戸内海の姿を描き出している。
吉田初三郎などが手掛けた鳥観図が数多く載っていて、図版を見るだけでも楽しい。
「瀬戸内海」というイメージが広く流布する大きな契機が、先の述べた瀬戸内海国立公園の制定であり、それに伴う近代的な観光開発の進展である。
「瀬戸内海」という広域の海面を表す概念は、日本を訪問した外国人が発見したものだ。近世の日本人は、和泉灘、播磨灘、備後灘、安芸灘、燧(ひうち)灘、伊予灘、周防灘のように、いくつかの「灘」に分けて海を把握していた。
なるほど、この指摘は目からウロコという感じだ。昔からそこに海はあったけれど、「瀬戸内海」が誕生したのは近代になってからのことだったのだ。
『瀬戸内海名所巡り』の表紙には、大阪商船の顔となった新型船の勇姿を描いたイラストを掲載している。同社がドイツ製ディーゼル客船「紅丸」を購入、大阪と別府を結ぶ航路に就航させたのは明治四十五年(一九一二)の春のことだ。
2000年から2001年にかけて、私は当時住んでいた大分と神戸を往復するフェリーにしばしば乗っていた。関西と大分を結ぶ路線がこんなに長い歴史を持っていたとは!
別府の名物「地獄めぐり」に関する話も出てくる。
明治四十三年(一九一〇)、「海地獄」の管理者が、湧き出る湯をのぞきに訪れた湯治客から二銭を徴収して名所として売り出す。これを嚆矢として、それまでの「厄介者」が温泉郷の名物となる。血の池地獄、坊主地獄、八幡地獄、紺屋地獄がこれに続き、公開を始める。
なるほど、「地獄めぐり」もまた近代になって生まれたものだったのか。古くからの伝統のように思われているものも、ルーツを探ると意外に新しいものなのであった。
血の池地獄の沈殿物から作られる「血ノ池軟膏」をその昔愛用していたのだけれど、今でも売っているだろうか。
2014年5月25日、芸術新聞社、2500円。
2024年01月02日
行ってみたいところ
根室(北海道)、襟裳岬(北海道)、角館(秋田)、長岡(新潟)、八丈島(東京)、三国(福井)、諏訪(長野)、伊勢神宮(三重)、友ヶ島(和歌山)、高野山(和歌山)、宇和島(愛媛)、対馬(長崎)、五島列島(長崎)、大牟田(福岡)、水俣(熊本)、種子島(鹿児島)、石垣島(沖縄)
2024年01月01日
謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
今年の目標!
本年もよろしくお願いします。
今年の目標!
・「啄木ごっこ」をひたすら書く。
・「パンの耳」第8号を発行する。
・ 父にこまめに電話する。
・ 家賃の安い転居先を探す。
・ 第6歌集か『短歌は記憶する』の続編かどちらか出したい。
・ 健康を大切に。