2023年11月30日

久々湊盈子歌集『非在の星』


第11歌集。

百目柿日にけに熟れゆく今年から無人となりし町会長の家
仮定法過去に遊びてうつらうつら正月三日風花が散る
ここまでは積りますから、雪染みの壁を指差す新潟のひと
先頭集団を脱落してゆくランナーのほっと力を抜くが見えたり
読むべき本は読みたき本にあらずして秋の夜長はつくづく長い
通り雨に追われて入りし古書店に買いたる『らいてう自伝』百円
不定愁訴と腰痛を嘆く友のメール返信はせず歩きに出でつ
くじら雲しだいにほどけ子くじらをいくつも産みぬ午後のいっとき
奈良岡朋子死してサリバン先生もワーニャもニーナも共に死にたり
川の面に触るるばかりに枝垂れてさくらはおのれの艶(えん)を見ており

1首目、施設に入ったのか亡くなったのか。柿が収穫されずに残る。
2首目、いろいろな空想を楽しみながらのんびりと家で過ごす正月。
3首目、冬の大変さを嘆きつつもどこか自慢しているようでもある。
4首目、気持ちの切れた瞬間が画面越しにはっきりとわかったのだ。
5首目、義務で読まなくてはならない本。なかなか読み終わらない。
6首目、雨宿りだけでは悪いので購入。100円がかわいそうな安さ。
7首目、頻繁にメールが来るのだろう。時には放っておくのも必要。
8首目、雲のほどける様子をくじらの出産に喩えたのがおもしろい。
9首目、役者の死はその人が舞台で演じた数多くの役の死でもある。
10首目、水面に映る自分の姿を見ようとしているとの発想がいい。

2023年10月15日、典々堂、3000円。

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2023年11月29日

納骨など

1泊2日で東京へ行ってきた。

浅草(啄木取材)→茗荷谷(啄木取材)→新百合ヶ丘(父と映画鑑賞)→父の家(1泊)→母の墓(納骨)

以前、浅草観音(浅草寺)についてブログに書いたことがあったので、啄木関連の取材のついでに寄ってみた。

浅草観音(その1〜その4)
https://matsutanka.seesaa.net/article/500016205.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/500025235.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/500039920.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/500045641.html


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雷門。


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五重塔。


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本堂(観音堂)。

話には聞いていたけれど観光客が非常に多い。
令和の世にも「観音力」は健在だ。


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母の墓のある霊園は眺めがいい。
納骨も無事に終わって、ひと安心。

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2023年11月28日

東京へ

1泊2日で東京へ行ってきます。
帰りは明日の夜になります。

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2023年11月27日

光嶋裕介『これからの建築』


副題は「スケッチしながら考えた」。

住宅、美術館、学校、駅、塔、高層ビル、橋、競技場などの様々な建築について、建築家としての考えを記した本。書き(描き)ながら考え、考えながら書く(描く)。その行為の積み重ねの先に、著者の考える「これからの建築」の姿が浮かび上がってくる。

変わる建築と変わらぬ風景が街に違った時間を同居させていく。「ローマは一日にして成らず」、とは言い得て妙である。魅力ある街の景観は、建築の継承と更新を適度に続けながら、保たれる。
モダニズムの原理の前提として想定された「人間」とは、マジョリティーの健康な人間、それも西洋人であることを忘れてはならない。
教室のなかにみんなと一緒に座っていたひとが教壇に上がって、彼らと同じ方向を向くのではなく、彼らと対面し、語りかけることで、ひとはだれでも文字通り「先生」になる。
スケッチには視覚情報以上に、建築体験そのものの記憶がしっかりと定着されていく。私にとってスケッチは、なにより大切な旅の記録装置となる。だからスケッチを終えると必ずサインを入れる。

3年近く書き続けた末に著者のたどり着いた結論は、「生命力のある建築」というものだ。その実践は「森の生活」(2018年)や「桃沢野外活動センター」(2020年)に見ることができる。

https://www.ykas.jp/works/detail.html?id=167
https://www.ykas.jp/works/detail.html?id=269

2016年9月28日、ミシマ社、1800円。

posted by 松村正直 at 20:49| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月26日

国際啄木学会2023年度秋の大会

国際啄木学会2023年度秋の大会にオンラインで参加した。
13:00〜17:00の4時間。

〇開会挨拶 池田功(国際啄木学会会長)
〇研究発表 工藤菜々子「石川啄木『漂白』論」
      廣瀬航也「啄木短歌における都市歩行」
〇研究情報 森義真「石川啄木記念館の今後」
〇研究交流 中川康子×平山陽
      細川光洋×松平盟子
      ルート・リンハルト×池田功
〇閉会挨拶 河野有時(国際啄木学会副会長)

刺激的な話をたくさん聴くことができて楽しかった。

来年の春の大会は与謝野晶子倶楽部と共催で堺にて開催されるとのこと。ぜひ現地に足を運びたいと思う。

posted by 松村正直 at 20:13| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月25日

円成寺吟行

フレンテ歌会の仲間9名で、奈良県の忍辱山(にんにくせん)円成寺(えんじょうじ)に行く。


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近鉄奈良駅からバスで約40分。


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好天に恵まれて、紅葉も鮮やかだった。


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2時間ほど境内をめぐって歌を詠む。

運慶作の大日如来坐像(国宝)や阿弥陀如来坐像を祀る本堂、多宝塔など、見どころが多い。


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平安時代に築いたと伝えられる庭園も見事だ。

その後、昼食を取ってから町中に戻り、古民家を改装した飲食店「ロジウラパーク」の2階で歌会。今日はみなさん好調で、良い歌が多かった。

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2023年11月24日

『渾沌と革新の明治文化』のつづき

文学・美術のさまざまなジャンルの論考が載っている本書の中で、歌人に最も関わりの深いのは、松澤俊二「「折衷」考 ― 落合直文のつなぐ思考と実践」だ。

従来、和歌革新運動を論じる際に「折衷派」としてあまり評価の高くなかった落合直文を取り上げ、彼の果たした役割や立ち位置の重要性を指摘している。

つまり、「折衷」は当時の社会におけるあらゆる領域で試みられた普遍的な方法だった。人々は既存の価値や習慣、文物等を新たに出来したそれらとの間で突き合わせ、切磋してより良いものに加工し、身辺に取り込もうとした。明治開化期に人となった落合がその方法に親和性を示すのは当然だった。
総じて言えば、彼の「折衷」の基底には、つなぐ発想が見いだされるように思う。意見の異なる歌人や流派をつなぐ、和歌に他の文学や芸術ジャンルのエッセンスをつなぐ、地方と中央をアソシエーションや雑誌メディアでつなぐ、若者を良師に出会わせ、和歌につなぐ、伝統と現在をつなぐ、古い題詠を、〈創意〉やオリジナリティといった新しい文学上の規範とつなぐ…。こうした発想を土台として落合の「折衷」は様々に思考・実践されていたのではないか。

私たちはどうしても目に付きやすい派手な言挙げや行動に目を向けがちだ。しかし、こうした地道な実践こそが和歌革新の流れを生んだ点を見逃してはならないのだろう。

「新」か「旧」かの二項対立ではなく、双方の良い点を生かしてつなぐという考え方は、さまざまな分断の広がる現代において、ますます大事になってくるものだと思う。

梶原さい子は今年刊行された『落合直文の百首』の解説に、

直文の本当の手柄は、このように、いろいろなものを結びつけることにあったのではなだろうか。新派と旧派。ベテランと若手。都会と地方。江戸から明治の、激しい過渡期に本当に必要だったのは、このような存在だったのではないか。

と書いている。松澤の論考は多くの資料をもとにこの意見を実証したものと言っていいだろう。

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2023年11月23日

濱田美枝子『女人短歌』


副題は「小さなるものの芽生えを、奪うことなかれ」。

男性中心の社会や歌壇にあって、女性歌人が結集して1949年に創刊した「女人短歌」。その創刊に至る経緯や女性歌人たちの活躍、そして1997年の終刊までの歴史を豊富な資料に当たって描き出した力作である。

登場するのは、五島美代子、長沢美津、阿部静枝、北見志保子、山田あき、生方たつゑ、葛原妙子、森岡貞香、真鍋美恵子など。中でも、五島と長沢が「女人短歌」において果たした役割を、著者は高く評価している。

これまで特に着目して論じられることはなかったが、筆者自身が長年研究してきた歌人五島美代子の存在が大きく関わっていることが確認できた。また、歌人長沢美津は、創立から終刊に至るまで、欠くことのできない大きな存在であることも意義深いものであった。

この二人がともに子を自死で亡くしていることも印象深い。

五島美代子は長女ひとみを一九五〇(昭和二五)年に亡くした。長沢の三男弘夫の死は、その四年後の出来事である。『女人短歌』の思想。実務の両輪となって活躍してきた五島と長沢に、図らずも同じ不幸が襲ったのである。

「女人短歌」が192号の雑誌を発行しただけでなく、「女人短歌叢書」として624冊もの歌集を刊行していたことを初めて知った。そこには葛原妙子『橙黄』、森岡貞香『白蛾』、真鍋美恵子『玻璃』、雨宮雅子『鶴の夜明けぬ』などの名歌集も多く含まれている。

「女人短歌」の終刊は1997年12月。「アララギ」の終刊と同じ時であった。「アララギ」が近代から戦後にかけて一貫して男性中心の歌壇の象徴的存在であったことを思えば、それは偶然の一致ではないのかもしれない。

「女人短歌」は国会図書館の個人向け送信サービスで全号読むことができる。今後、さらに研究が進んでいくのではないだろうか。

2023年6月26日、書肆侃侃房、2200円。

posted by 松村正直 at 10:03| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月22日

映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」

監督:マーティン・スコセッシ
出演:レオナルド・ディカプリオ、リリー・グラッドストーン、ロバート・デ・二―ロ、ジェシー・プレモンスほか

監督や俳優の名前に惹かれて見たのだが、内容はアメリカ先住民(オセージ族)をめぐるかなり重いものであった。

舞台は1920年代のアメリカ、オクラホマ州。原作はデイヴィッド・グランのノンフィクション『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』。
https://honto.jp/netstore/pd-book_28996536.html

アメリカ史の闇をまざまざと感じさせる話であった。日本におけるアイヌの歴史などを想起したが、オセージ族の場合はさらに石油の利権の問題が絡んでくるのでいっそう悲劇的だ。

今年80歳になったロバート・デ・二―ロが健在ぶりを見せている。

MOVIX京都、206分。

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2023年11月21日

別邸歌会のご案内

「別邸歌会」チラシ 2023.11.21.jpg


今後の別邸歌会の予定は、

・12月17日(日) 奈良カエデの郷ひらら(奈良県宇陀市)
・ 2月24日(土) 昭和の隠れ家(大阪市住之江区)
・ 3月30日(土) 和歌山県内(予定)

となっています。

これまで偶数月の開催でしたが、来年3月からは奇数月に変更の予定です。お気軽にご参加ください。

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2023年11月20日

井上泰至編『渾沌(カオス)と革新の明治文化』


副題は「文学・美術における新旧対立と連続性」。

日本近代の「文学」の特性を考える場合、旧来の漢詩・和歌・俳句・演劇・美術の近代化への対応を見逃すことはできない。一見独立しているかに見えるこれら諸ジャンルの近代化への対応は、「旧派」と「新派」の相克・通底という点で、相互に関連している。

という問題意識をもとに行われた領域横断的な研究の成果を、15名の執筆者が「絵画」「和歌・俳句」「小説」「戦争とメディア」の4部門で記している。和歌から短歌への流れを考える上でも興味のある話ばかりだ。

日本絵画史において日本画というものは、はじめから存在したのではなく、洋画が生まれたことによって日本画という概念が誕生したという整理になる。
/古田亮「明治絵画における新旧の問題」
後の近代短歌の流れから逆算して短歌史を語る危険性を忘れてはならない。『明星』一派の動きは、歌壇全体からすれば局所的なものに過ぎず、むしろ佐佐木や金子薫園ら落合直文門下の、国語教育における和歌鑑賞と創作指導が、新たな波を下支えしていく面を忘れてはならない。
/井上泰至「子規旧派攻撃前後」
俳諧の場合は、明治中頃に正岡子規が登場して以降にいわゆる「新派」が形成されても、少なくとも昭和戦中期までは江戸時代的な「旧派」俳諧が「日本」の各地域で嗜まれていた。
/伴野文亮「「旧派」俳諧と教化」

歴史的な流れを捉えるには、現在の目で見るのではなく過去の時点に立ち返って考えなければならないこと、他のジャンルの動向にも視野を広げる必要があることなど、大事な指摘がいくつも出てくる。

2023年7月18日、勉誠出版、2800円。

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2023年11月19日

働く三十六歌仙『うたわない女はいない』


「働くこと」をテーマにした36名の歌人の作品8首+エッセイを集めたアンソロジー。巻末に「おしごと小町短歌大賞」の選考対談(俵万智×吉澤嘉代子)と大賞を受賞した遠藤翠さんの記念寄稿8首+エッセイも載っている。

事務職をやっていますと言うときの事務は広場のようなあかるさ
/佐伯紺
切れ味の鈍いはさみを入れられて紙はつかの間身悶えをする
/道券はな
今朝も今宵もみな揺れながら運ばれる秘宝のようにかばんを抱いて
/井上法子
保育園からの電話を取り次ぐと同僚がお母さんの顔に
/谷じゃこ
残業は罪かそれとも快楽か母でも妻でもないわが時間
/奥村知世
育ったままの形が自分の姿になる。樹木ってそういう存在なんだと改めて感じた。上手く言えないが、自然に手足を伸ばせずとも、身体や心を歪めてしまっても、そうして生きた時間そのものが自分の形になるのは人間も一緒なんだろう。
/竹中優子「樹木のように」

私は常に誰かを傷つけているということを忘れない。病名告知で泣かせてしまった相手を、再発を告げた部屋の静けさを、お見送りのために外の扉をあけ吹き込んでくる真冬の夜の冷気を。
/塚田千束「あなたのことを考えている」

短歌のために両手を空けて生きてきた。ちゃんと「働く」をやったことがない。
/平岡直子「両手」

シンガー・ソングライターの吉澤嘉代子さんの選歌や歌の読みがとても良かった。短歌は読むだけで作ってはいないとのことだけれど。

2023年7月10日、中央公論新社、1800円。

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2023年11月18日

「作歌の現場から」アーカイブ配信

NHK学園の「現代短歌セミナー 作歌の現場から」の過去の講座がアーカイブ配信されています。受講できなかった方や興味のある方は、この機会にぜひお申込み下さい。


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第1回 ゲスト:小池光 テーマ「意味を詰め込みすぎない」
https://college.coeteco.jp/live/87wpc20y


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第2回 ゲスト:小島ゆかり テーマ「過去形と現在形」
https://college.coeteco.jp/live/523wcd06

よろしくお願いします。


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2023年11月17日

釈徹宗『異教の隣人』


2015年4月から2年間にわたって毎日新聞大阪本社版に連載された「異教の隣人」をもとに加筆・再構成したもの。関西各地にある様々な宗教の施設を訪れ話を聞く内容だ。

取り上げられているのは「イスラム教」「ジャイナ教」「ユダヤ教」「台湾仏教」「シク教」「ベトナム仏教」「ヒンドゥー教」「韓国キリスト教」「ブラジル教会」「正教会」「コプト正教会」など。宗教だけでなく民間信仰や祭事の話も出てくる。

もともと、日本の地域コミュニティは「お寺」や「神社」を核として構築されてきました。でも、そのカタチは都市部を中心に大きく変化しています。
宗教は「死者とどう向き合うか」という人類独自の課題を担っています。この世界はけっして生者だけのものではありません。生者は死者と共に暮らしています。
同じ信仰、生活様式、言語、食習慣を持つ人が集う場があるから暮らしていける。特有の行動様式や価値体系の蓄積が宗教だと考えるなら、異文化の中で暮らしている人にとって、自分たちの宗教的土壌を感じられる場は必要となってきます。

宗教について考えることは、狭い意味での「宗教」だけでなく、文化や社会、生活様式、生き方、コミュニティ、相互理解、マイノリティなどについて考えることでもあるのだった。

2018年10月30日、晶文社、1650円。

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2023年11月16日

宮脇俊三編『日本の名随筆(93)駅』


巻頭に金子光晴の詩「駅」を置き、続いて駅に関する随筆32篇を収めている。宮脇俊三の選びだけあって、どれも鉄道愛に溢れた味わい深い文章ばかり。

自動車をドライヴすると同じ気持で、省線山手線をドライヴすることは一層快適なことにちがひない。うちに居て退屈して仕方のないとき、心の鬱して仕方のないとき或は心が逞しくてぢつとしてゐられないときなど、必ず一度は試むべきものではないだらうか。
/上林暁「省線電車」
「ガード下」というのは町のなかの裏通りではあるのだが、それは決してさびれたところではない。むしろ町で暮らしているさまざまな人間の喜怒哀楽が、まるで焼き鳥の煮込みのようになってぐつぐつとたぎっている人間臭い場所である。
/川本三郎「「ガード下」の町、有楽町」
ある日小瀬温泉口駅まで行くと、草津の方から来る電車が二、三時間延着すると駅長が言った。ということは、それが来るまでこっちの電車も動かないということなのだ。ワケを訊くと、上州方面から油虫の大群が飛んで出てレールに密集したため、それをいまガソリンで焼きつつあるのですという。
/北條秀司「幻の草軽電車」
旭川空港―旭川駅前間の旭川電気軌道バスといい、鉄道がなくなっても往時の社名を名のっている会社は全国に数多い。社名変更は経費がかかって大変だから、そのままになっているのだろうが、先人の歴史をしのぶ気持ちもはたらいているのではなかろうか。
/種村直樹「三菱石炭鉱業南大夕張駅」
中国の列車食堂というのは、車輛に鍋釜を持ち込んで、竈に勇ましく火を起し、一つ一つ料理にあの炎と油の祭典を繰りひろげるのだ。日本の列車食堂では電子レンジ出身の去勢された料理ばかりだが、ここではいきのいい素朴な惣菜にありつける。
/桐島洋子「莫斯料(モスクワ)行れっしゃはやおら黙念と北京駅を離れた」

どれもいいなあ。駅もいいし、文章もいい。
読んでいると、鉄道の旅に出たくなってくる。

1990年7月25日、作品社、1300円。

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2023年11月15日

郡司和斗歌集『遠い感』

著者 : 郡司和斗
短歌研究社
発売日 : 2023-09-30

2019年に第62回短歌研究新人賞を受賞した作者の第1歌集。
2017年〜2023年の作品333首を収めている。

表紙にKOURYOUさんのアート作品が使われていて、カバーのそでに作品解説が載っている。こういうのは初めて見た気がする。

春日さす父の机の引き出しをあければ歴代の携帯電話
引っ越しの準備の手伝いを終えて床にひろげるオリジン弁当
寝室と居間と仏間と台所にテレビが置いてあるばあちゃんち
ベーコンの厚みのようなよろこびがベーコンを齧るとやってくる
まあ親子で死んで良かったねと煎餅齧りながらニュースに母は
からあげの下に敷かれた味のないパスタのように眠っています
座布団が頭に乗っているようなねむみ 新宿行きにゆられる
芸人が笑顔で食べる赤ちゃんと同じ重さのカレーライスを
オフサイドをなんど説明すりゃわかる夜のこころは蜜柑のこころ
定食屋のテレビに映る定食屋 こっちでは生姜焼きを食べてるよ

1首目、処分されないで残る古い機種。「歴代の」に存在感がある。
2首目、テーブルや食器は荷造りされて部屋が空っぽになっている。
3首目、どこにいてもテレビが見られるように。「仏間」が印象的。
4首目、ベーコンの厚切りには幸福感がある。何とも美味しそうだ。
5首目、不謹慎だけれどよくわかる話。どちらが生き残っても大変。
6首目、弁当でよく見かける謎のパスタ。無力感と脱力感が伝わる。
7首目、比喩が面白い。電車の中で次第に頭が重くなっていく感じ。
8首目、重さの話なのだがまるで赤ちゃんを食べているようで怖い。
9首目、毎回のように聞かれるのだろう。下句に諦めの気分が滲む。
10首目、まるでパラレルワールドみたいな不思議な感覚を覚える。

本歌取りのような歌が随所に出てくるのも楽しい。

1円玉二枚をずっとポケットのなかでいじっている 朧月
冬の日の光の痛い道にきて精巣を吊るしながら歩いた
じゃんけんにあいこで人に生まれたわ 握れば水になる牡丹雪
大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円
/永井祐『日本の中でたのしく暮らす』
卵巣を吊りて歩めるおんならよ風に竹群の竹は声あぐ
/阿木津英『紫木蓮まで・風舌』
じゃんけんで負けて螢に生まれたの
/池田澄子『空の庭』

2023年9月30日、短歌研究社、2000円。

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2023年11月14日

奈良カエデの郷ひらら(その2)

来月の別邸歌会で使うのは、木造校舎2階の「5年1組」の教室。


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係の方に案内していただいて、部屋の中を見せてもらう。
昔ながらの小学校の教室である。全部で20席。


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中庭(駐車場)側から見た木造校舎はこんな感じ。


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別棟にある「Cafeカエデ」(11:00〜16:00)で昼食をとる。
この日は多くの人が訪れていて、11:30には満席になっていた。


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ハンバーグや海老フライといった通常のメニューもあるのだが、私の目当ては土日限定30食の「給食ランチ」。


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皿うどん、中華スープ、春雨サラダ、クリーミーコロッケ、あげパン、牛乳。1200円。基本は給食なのだけれど、パンは揚げ立てだしスープも熱々で、どれも美味しい。


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ゆるキャラの「カエデくん」と「もみじちゃん」。
来月また会いましょう!

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2023年11月13日

奈良カエデの郷ひらら(その1)

来月の別邸歌会の会場となる、奈良県宇陀市の「奈良カエデの郷ひらら」へ下見に行く。JR榛原駅からバスで15分の「古市水分神社」から徒歩3分。


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2006年に閉校した旧宇太小学校をリノベーションした複合施設。
この地域の観光の拠点になっているようだ。


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門柱には「宇太小學校」と旧字で彫られている。
1874年開校という古い歴史を持つ小学校だった。


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現在、敷地には1200種、3000本のカエデが植えられている。
紅葉のピークは過ぎたようだが、見応え十分。


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1935年に建てられた木造二階建の校舎。
遠くから見ても圧倒的な存在感を放っている。


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廊下はこんな感じ。写真撮影などにも使われているようだ。


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廊下に飾られた卒業制作のパネル。
1970年の大阪万博が描かれている。

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2023年11月12日

最東対地『この場所、何かがおかしい』


全国各地の廃墟、戦争遺跡、B級スポット、パワースポットなど15か所を訪れた旅エッセイ。

登場するのは、大久野島(広島)、案山子畑(滋賀)、沖島(滋賀)、雄島(福井)、世界平和大観音(兵庫)、貝殻公園(愛知)、小池遊郭跡(愛知)、まぼろし博覧会(静岡)、江ノ島(神奈川)、友ヶ島(和歌山)、鬼怒川温泉街(栃木)、清里駅前(山梨)、小網神社(東京)、東京トンネル怪紀行(東京)、エクスナレッジ本社(東京)。

今から遡ること三〇うん年、清里高原にあるJR清里駅は若者でごった返していた。黒山の人だかりを作り、道行く車は渋滞で動かない。(…)そこにかわいらしいポップな外見のお店、メルヘンチックでカラフルなお店が軒を連ね、若者……特に若い女性がひっきりなしに店内へと吸い込まれていく。

そんな店の多くが今は廃墟化しているとは、まったく知らなかった。歳月やブームというのは何とも残酷なものだ。

2022年8月3日、エクスナレッジ、1400円。

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2023年11月11日

オンライン講座「作歌の現場から」

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永田和宏さんと私が毎回ゲストの方を招いて語り合うNHK学園のオンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」。次回は12月15日(金)の開催です。

ゲストは栗木京子さん、テーマは「社会詠をどう詠むか」です。時間は19:30〜21:00 の90分間。どうぞお気軽にお申込み下さい。

https://college.coeteco.jp/live/84kyc7le (2回分)
https://college.coeteco.jp/live/5zzwcyj0 (12月15日のみ)

その次は、来年2月16日(金)の開催でゲストは三枝ミ之さん。テーマは「情と景の取り合わせ」となります。

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2023年11月10日

山梨あれこれ

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JR身延線の下部温泉駅。
母の家の最寄り駅。天気は快晴。


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母の家は庭木や草が伸びて、外から見ると廃屋状態。
人が住まなくなると、あっという間に荒れてしまう。


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夜の下部温泉駅。
しばらく前に無人駅になってしまった。

駅の裏手に新しく「ヘルシースパサンロード しもべの湯」という日帰り入浴施設ができていた。次回行く時は入ってみようかな。

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2023年11月09日

帰宅

山梨の母の家より帰宅。

2日間、兄夫婦と一緒にひたすら片付けをした。
車に不要品を満載にしてごみ処理場へ8回運び、
ようやく空家らしくなった。

posted by 松村正直 at 21:55| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月08日

山梨へ

母の住んでいた家を片付けに、山梨へ行ってきます。
最後は東京の病院で亡くなったので、山梨の家へ行くのは久しぶり。

posted by 松村正直 at 04:44| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月07日

尾形希莉子・長谷川直子『地理女子が教えるご当地グルメの地理学』


全国47都道府県の地理的な特徴と関係の深いご当地グルメを解説・紹介した本。

環境によって育つ作物、採れる食材が違い、また保存方法・調理方法が異なります。つまり、その土地ならではの料理には、その土地の特徴が詰まっているといえるのです。

「地理」×「グルメ」という組み合わせは意外なようでいて、きちんとした根拠があるのだ。

取り上げられているのは、石狩鍋(北海道)、フカヒレ(宮城県)、かんぴょう(栃木県)、ぶり大根(富山県)、ふなずし(滋賀県)、しじみ汁(島根県)、室戸キンメ丼(高知県)、地獄蒸しプリン(大分県)など。

笹団子に性別があるのはご存知でしたか? 一般に知られている餡入りの笹団子は、じつは女団子と呼ばれています。逆に男団子は、団子の中に野菜きんぴらが入っているものを指すのです。
静岡県にある浜名湖地域では、うなぎの養殖が盛んです。浜名湖で養殖しているわけではなく、湖周辺に人工池を造り、養殖をしています。
大阪以外でも、北前船の寄港地には昆布料理が多く見られます。たとえば、富山の昆布締め・昆布かまぼこや、沖縄のクーブイリチーという昆布の炒めものなどです。北前船の航路は、このような昆布文化をもたらしたことから「昆布ロード」と呼ばれています。

カラー写真も数多く載っていて、どれも実に美味しそうだ。

2018年6月25日、ベレ出版、1600円。

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2023年11月06日

啄木の「かな」問題

先日、大阪歌人クラブの秋の大会で「啄木短歌の超絶技巧」という講演を行ったところ、参加者の方から「啄木の歌には「かな」が多く使われているが、どう思うか?」というご質問をいただいた。

その問題について、少し考えてみたい。

会の終了後に安田純生さんから、桂園派の歌には「かな」が多く使われていると教えていただいた。

大空のみどりになびく白雲のまがはぬ夏になりにけるかな
一むらの氷魚かと見えて網代木の浪にいざよふ月の影かな
/香川景樹

桂園派の歌人に「けるかな」が多いことについては、当時から批判や揶揄があったらしい。「けるかなと香川の流れ汲む人のまたけるかなになりにけるかな」という狂歌が詠まれたりもしている。

気の変る人に仕へて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな

子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな

/石川啄木『一握の砂』

啄木の歌には「けるかな」も「名詞+かな」も多い。
桂園派の歌からの影響という線については、今後調べてみたい。

もう一つ思ったのは、蕪村との関連である。
啄木は一時期、蕪村の句集を愛読していた。

楠の根を静にぬらすしぐれ哉
山は暮て野は黄昏の薄哉
狩衣の袖のうち這ふほたる哉
/蕪村

蕪村に「けるかな」は見当たらないが「名詞+かな(哉)」は頻出する。こちらも、今後の検討課題としよう。

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2023年11月05日

村上春樹『猫を棄てる』


副題は「父親について語るとき」。
絵・高妍(ガオ・イェン)。

2020年に文藝春秋社より刊行された単行本を文庫化したもの。亡き父との思い出を記しつつ、父の戦争体験の意味を問い直している。

当時はまだ海は埋め立てられてはおらず、香櫨園の浜は賑やかな海水浴場になっていた。海はきれいで、夏休みにはほとんど毎日のように、僕は友だちと一緒にその浜に泳ぎに行った。
生まれはいちおう京都になっているのだが、僕自身の実感としては、そしてまたメンタリティーからすれば、阪神間の出身ということになる。同じ関西といっても、京都と大阪と神戸(阪神間)とでは、言葉も微妙に違うし、ものの見方や考え方もそれぞれに違っている。

このあたり、関西に住んでいるとなるほどと思うことが多い。
高安国世も阪神間育ちの人。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138714.html

読書というのは流れが大切だと思っていて、小堀杏奴『晩年の父』→『猫を棄てる』は父の思い出つながり、乃南アサ『美麗島プリズム紀行』→映画「エドワード・ヤンの恋愛時代」→『猫を棄てる』は台湾つながり(イラストの高妍は台湾出身)。

こんなふうに別の文脈が交差するところには、何か大事なものが潜んでいると思っている。

2022年11月10日、新潮文庫、660円。

posted by 松村正直 at 21:37| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月04日

谷村新司と啄木

昨日のフレンテ歌会に、先月亡くなった歌手の谷村新司を悼む歌が出た。その時にも少し話したのだが、谷村の代表作「昴」の歌詞は石川啄木『悲しき玩具』の冒頭2首を踏まえている。

目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
(略)
呼吸(いき)をすれば胸の中 凩は吠(な)き続ける
されどわが胸は熱く 夢を追い続けるなり
(略)
/谷村新司「昴」
呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
 凩よりもさびしきその音!

眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
 さびしくも、また、眼をあけるかな。
/石川啄木『悲しき玩具』

この2首は実は啄木の自筆ノート(192首)には入っていない。没後に歌集を編んだ土岐善麿が「最初の二首は、その後帋(紙)片に書いてあつたのを発見したから、それを入れたのである」と記している。この2首を加えて『悲しき玩具』は最終的に194首となった。

谷村新司が本歌取り(?)したのは、そんな特別な2首なのだ。

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2023年11月03日

映画「エドワード・ヤンの恋愛時代」

監督・脚本:エドワード・ヤン
出演:倪淑君、陳湘h、王維明、王柏森ほか

1994年公開作品の4Kレストア版。
原題は「獨立時代」。

台北を舞台に繰り広げられる3日間の青春群像劇。モーリー、チチ、アキン、ミン、バーディ、ラリー、フォン、リーレン、姉、義兄の10名が、入れ代わり立ち代わり現れる。

テレビドラマ「男女七人夏物語」(1986年)みたいな感じかな。

出町座、129分。
posted by 松村正直 at 07:53| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月02日

小堀杏奴『晩年の父』


このところ鷗外が気になって仕方がない。
著者の小堀杏奴は鷗外の次女(1909−1998)。

父は何時も静かであった。葉巻をふかしながら本を読んでばかりいる。子供の時、私はときどき元気な若い父を望んだ。自分の細かいどんな感情をも無言の中に理解してくれる父を無条件で好きではあったが、父はいつでも静かだったし、一緒に泳ぐとか走るとかいう事は全然なかった。
父は物事を整然(きちん)と整理する事が好きだった。私たちが何か失くしたというと、
「まず」
といってから、そのものには全然関係のない抽出からはじめて、一つ一つゆっくり整頓して行った。/すっかり整然と片付けてゆくと、また不思議になくなったと思うものも出て来た。
不律が死に、残った姉までが既(も)う後廿四時間と宣告された時、父は姉の枕許に坐ったまま後から後から涙の零れるのを膝の上に懐紙をひろげてうつむいていると、その紙の上にぼとぼとと涙が落ちる。/廿年近い結婚生活の中で、父の涙を見たのはこの時が初めてでそしてまた終りであったと母は言っているが、その時は吃驚して父の顏ばかり見ていたそうである。

どの文章からも鷗外の姿がなまなましく浮かび上がる。回想の甘やかさと懐かしさと不確かさ、そして父に対する愛情が混然一体となって、独特な味わいを醸し出している。初出は与謝野寛・晶子の雑誌「冬柏」で、与謝野夫妻のプロデュース力はさすがなものだ。

この本は、1936年刊行の『晩年の父』に1979年発表の文章を「あとがきにかえて」として追加して一冊にまとめている。

・「晩年の父」(1934年執筆)
・「思出」(1935年執筆)
・「母から聞いた話」(1935年執筆)
   以上は『晩年の父』(1936年)収録
・「あとがきにかえて」(1978年執筆)
   (原題は「はじめて理解できた「父・鷗外」」)

つまり、25〜26歳の頃に書かれた文章と69歳の時の文章が一緒に収められていることになる。そこに年齢的な変化があるのはもちろんだが、それ以上にキリスト教への入信が大きな影響を与えたことが見て取れる。

鷗外47歳の時に生まれ13歳で父と死に別れたこと、鷗外と後妻の志げとは18歳の年の差があったこと、嫁姑の仲が良くなかったことなど、家族というものについてあれこれ考えさせられる内容であった。

他の子どもたちの書いた本も読んでみようと思う。

1981年9月16日第1刷、2022年7月27日第18刷。
岩波文庫、600円。

posted by 松村正直 at 10:39| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年11月01日

睦月都歌集『Dance with the invisibles』


2016年から2023年の作品332首を収めた第1歌集。
修辞の味わいを存分に堪能できる一冊。

灯油売りの車のこゑは薄れゆく花の芽しづむ夕暮れ時を
冬のひかり路地にまばゆし 人らみな郵便局に吸はれゆくなり
木のスプーン銀のスプーンぬぐひをへ四月の午後は裸足でねむる
天文台の昼しづかなるをめぐりをりひとり幽体離脱のやうに
円周率がピザをきれいに切り分けて初夏ふかぶかと暮るる樫の木
サンペレグリノの緑の瓶をつたひゆく汗・ねむくなる・ひとりでゐると
猫といふさすらふ湖(うみ)がけさはわが枕辺に来て沿ひてひろがる
歩むこと知らずひた立つ橋脚が彼岸に渡すわれの自転車
まだ青いどんぐりの実が落ちてゐる ふざけてゐて落下した子供
寝込んでゐて見逃した皆既月食のひと口食べて残す麦粥
散るといふよりも壊れてゆきながら体力で立つ桜みてゐる
御影石みがきてをればわが生(いき)の手もそちらへと映りこむなり

1首目、聴覚も視覚も薄れて遠ざかってゆくような静謐さを感じる。
2首目、サイレント映画のシーンのようだ。「吸はれゆく」がいい。
3首目、スプーンの柄の長さや匙の丸さが「裸足」とよく響き合う。
4首目、日常生活を離れた空間。でも夜ではないので星は見えない。
5首目、上句が鮮やか。ピザの円周を直径によって切り分けていく。
6首目、下句のひらがなや「・」の生み出すリズムが呪文のようだ。
7首目、気まぐれな猫の様子。ロプノールのように変幻自在である。
8首目、上句に発見がある。「脚」という名前だが歩くことはない。
9首目、下句は人間に喩えたらということか。もう枝には戻れない。
10首目、丸い器に入った麦粥のイメージが皆既月食と重なり合う。
11首目、最後の力を振り絞るような姿。「壊れて」に迫力がある。
12首目、つややかな墓石の表面が、生と死を隔てる境界線なのだ。

2023年10月2日、角川文化振興財団、2500円。

posted by 松村正直 at 22:24| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする