2023年10月31日

雑詠(032)

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うつくしい耳もみにくい耳もある正面だけが顔ではなくて
ひし形の網目にレンズ差し入れて撮る吽形の上半身を
握りこぶしよりも大きなにぎりめし携え秋の近江路をゆく
時代小説読み進めればあらわれる豆腐とみょうがの古きレシート
ハロウィンの飾りの踊る街にいる季節外れの半袖を着て
廊ながき鉱泉宿の褐色の湯にうす蒼きこころをひたす
ゆっくりと燃やさぬように育てゆくまだ輪郭のあわい憎しみ

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posted by 松村正直 at 11:24| Comment(4) | 雑詠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月30日

乃南アサ『美麗島プリズム紀行』


副題は「きらめく台湾」。
『美麗島紀行』に続く台湾紀行エッセイの第2弾。

観光用のガイドブックとは異なり、台湾の人々の日常生活や考え方などを詳しく描いているのがおもしろい。観光客の訪れないような場所にまで足を運び、また、日本統治時代から残る建物や日本語世代のお年寄りにも精力的に取材している。

同じ漢民族同士であっても、かつては日本人として戦争に加わらなければならなかった台湾本省人と、日本と戦った外省人という、「敵と味方」だったもの同士が、同じ島で顔を突き合わせて生きていかなければならないという、皮肉な構図が出来上がった。
ヒョウタンは中国語では「フール―」と言い、その発音が「福禄」と似ていることから、やはり縁起物として好まれるし、コウモリは「ビアンフー」という発音が「変福」の発音と似ていることから、福に変わる、福をなすという縁起物として扱われるのだそうだ。
今の台湾では、中秋節のお約束は何といってもバーベキュー。名月を味わうはずの日に、どうして煙の出るバーベキュー? と不思議に思ったら、焼肉のたれを売っているメーカーが宣伝し始めたのがきっかけと聞いた。
翌日、台風は台湾南部から上陸して島を北上するルートを通り、全島の地方政府が次々に「颱風假(タイフォンジャ)」と呼ばれる台風休暇の宣言を出した。この宣言が出ると、ほとんどの公共交通機関はストップし、学校、会社なども全部、休みになる。

いつかまた台湾に行ってみたいとしきりに思う。

2022年12月1日、新潮文庫、630円。

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2023年10月29日

エル・おおさか

二日続けて「エル・おおさか」へ。

昨日は5階「研修室2」で、澄田広枝歌集『ゆふさり』批評会。13:00〜16:30。前半はパネルディスカッション(金川宏、田村穂隆、toron*、松村)、後半は会場発言。歌集の多面的な魅力が浮き彫りになる内容だった。

今日は10階「松・竹」で大阪歌人クラブ秋の大会。13:00〜16:00。「啄木短歌の超絶技巧」という題で講演をする。当初60分の予定だったのだが、時間に余裕があるようなので80分喋らせていただいた。

イベントの多かった10月も、これで残り2日。

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2023年10月28日

映画「キリエのうた」

監督・脚本:岩井俊二
出演:アイナ・ジ・エンド、松村北斗、黒木華、広瀬すず他

岩井俊二の新作と聞いて春頃から楽しみにしていた作品。

「音楽映画」と銘打って宣伝されていたので、音楽に興味のない私が楽しめるか少し心配だったのだが、まったく問題なかった。178分という長さも退屈せず、もう2時間くらい見ていられる感じ。

主演のアイナ・ジ・エンドの歌声を聞きながら、「PiCNiC」や「スワロウテイル」に出ていたCHARAを思い出した。

MOVIX京都、178分。

posted by 松村正直 at 08:03| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月27日

榊原紘歌集『koro』

著者 : 榊原紘
書肆侃侃房
発売日 : 2023-08-29

330首を収めた第2歌集。
タイトルは「心臓」を意味するエスペラントとのこと。

黙りこくることも返事で茉莉花が廃都の塔に咲き上るさま
ゆるせないって口に出せたらすこしだけ瞳の奥の天窓が開く
枯れた花折って袋に入れていく袋のうちがわずかに曇る
落ちてからさらに重たくなる椿 ぼくを潰せるのはきみだけで
一生、と僕はあなたに言うけれどまだ見たことのない月の皺
人ならざるものの首のせ湖(うみ)近き卓に白磁の皿を置きたり
音を立て白木蓮が散ってゆく郵便受けを何度も覗く
ボトルシップの底に小さな海がある 語彙がないから恋になるだけ
きみの家にきみを帰してレンタカーをレンタカー屋に返して 夏は
寝た人の息がこの世を深くするそこまで落ちるため眼を閉じる

1首目、初二句に発見がある。その後のイメージも映像的で鮮やか。
2首目、思いを言葉にすることで、心や視界にも風穴が空く感じだ。
3首目、まだ完全には死んでおらず、呼吸などで蒸気を出している。
4首目、地面に落ちた椿のボテッとした感じ。取り合わせも印象的。
5首目、誓いの言葉として使うが、誰も実際に体験したことはない。
6首目、初二句にドキッとさせられる。フローティングフラワーか。
7首目、待ち遠しい郵便。白木蓮の厚い花びらが葉書や封筒みたい。
8首目、人間の関係は多様なのに「恋」として括られてしまいがち。
9首目、「かえして」の繰り返しがいい。楽しかった時間の終わり。
10首目、深い所へ落ちてしまった人と同じ場所へ自分も行きたい。

2023年8月31日、書肆侃侃房、2100円。

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2023年10月26日

山崎方代『増補改訂版 青じその花』


「かまくら春秋」に連載された文章など35篇を収めたエッセイ集。モノクロ写真15点も掲載されている。

短歌と同じくユーモラスで温かみがある一方で、しんとした孤独感も強く滲む。

去年の暮、五年ぶりに二月余り当もない放浪の旅をつづけてきた。道すがら信州の鳥居峠の新しい根雪の上に凍てついている野兎の糞を、手の平にすくって食べた。それは索莫とした放浪の味に似ていた。
歌を作るのにはいろいろな条件がいるが、精神のコンディションを調整することが私にとってまず先決である。歌の秘密というとおこがましいが、結局それに尽きるのではあるまいか。不仕合わせを、少しずつ生活の意識の中に混ぜておくのが精神のバランスである。
江之島から七里ヶ浜は若布と天草の穴場である。由比ヶ浜は昆布とバカ貝、材木座は浅蜊とつぼだ。小坪の岩場は海胆と海鼠である。海鼠は砕いて塩水で洗って目を細めて食べるとよい。海胆は岩に叩きつけてがぶりと噛みつくと実においしい。
新聞の隅にのっていた親子心中の記事を切り集めておいたのが随分溜まった。二日がかりで日記の日付に合わせてはる。このへんてこりんな仕事はこれからも続くだろう。

「親子心中」の新聞記事を切り抜いて集めている方代。こんなところに、この人の抱える闇の深さが垣間見える。

1991年9月7日、かまくら春秋社、1263円。

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2023年10月25日

近江鉄道ミュージアム

先日、別邸歌会の始まる前に八日市駅の2階にある「近江鉄道ミュージアム」を見学した。近江鉄道は1896(明治29)年創立、1898年開業という古い歴史を持ち、現在は

・本線(米原〜貴生川 47.7キロ)
・多賀線(高宮〜多賀大社前 2.5キロ)
・八日市線(近江八幡〜八日市 9.3キロ)

の3路線を運行している。


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ミュージアムには古い駅名標やタブレット(通票)、駅舎の写真などが展示されているほか、運転席からの展望動画も見ることができる。

posted by 松村正直 at 21:47| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画「ミステリと言う勿れ」

監督:松山博昭
原作:田村由美
出演:菅田将暉、松下洸平、町田啓太、原菜乃華、萩原利久、鈴木保奈美、滝藤賢一、松嶋菜々子ほか

漫画、テレビドラマの流れで映画も観た。
パーマ姿の菅田将暉が相変わらず良い味を出している。

内容は別に悪くないのだけれど、まあテレビで十分という感じかな。

MOVIX京都、128分。

posted by 松村正直 at 07:52| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月24日

後藤由紀恵歌集『遠く呼ぶ声』


2013年から2021年までの作品481首を収めた第3歌集。

木の下にラジオ体操するひとを橋の上から今朝は見かけず
うすがみに結びし縁をうすがみに解く冬までを妻なりしわれも
ほろほろとパン屑こぼす窓際に老女のわたし微笑みながら
砂を這う風の強さは写らねど髪なびかせて俯くあなた
あれが穂高、とあなたが指せばどの山も穂高となりてわたしに迫る
窓に雪あかるみているこの部屋にひとりのための湯を沸かしおり
あん肝もポテトフライも頼みたる四十代の胃袋よけれ
途中まで身綺麗でありし祖母なれど惚けしことのみ語られゆくか
家中のいちばん寒き部屋にある二列にならぶ四角い餅が
火ぶくれのひとさし指のゆびさきが心臓となり早鐘を打つ

1首目、木と人と橋の構図が面白い。いつもの人がいなかったのだ。
2首目、結婚届と離婚届。大事な届けなのになぜか紙は薄っぺらい。
3首目、他人ではなく「わたし」。齢を取った自分の姿を想像する。
4首目、写真に残された髪の様子から風の強さがありありと伝わる。
5首目、相手に寄せる信頼感。知らない人にはどれも同じに見える。
6首目、自分ひとり分のお湯。外の明るさが喪失感と孤独を深める。
7首目、年配の人の好みも若者の好みもわかる。健康的で健啖家だ。
8首目、認知症になった晩年の姿で一生を覆われてしまうかなしさ。
9首目、傷まないよう冷暗所で保存する。隊列を組んでいるみたい。
10首目、心臓が指先にあるかのようにズキンズキンと痛みが襲う。

2023年10月9日、典々堂、2700円。

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2023年10月23日

乃南アサ『美麗島紀行』


副題は「つながる台湾」。

2015年に集英社より刊行された本を文庫化したもの。台湾の歴史や文化、日本との関わりに関心を持った著者が、台湾各地を訪ねる紀行エッセイ集。

有名観光地のガイド本などとは違い、あまり知られていない台湾の姿が描かれている。特に、1895年〜1945年の50年間、日本の植民地であった歴史がさまざまな面で影響を残している。

台湾人家庭で家族全員が日本語を話せると認められた家だけが「国語の家」という表札を門柱に掲げられるのだそうだ。(…)当時「国語の家」と認められた家は配給などの面でも日本人と同等の待遇を受けることが出来た。
一つの駅名を「国語(北京語)」「台湾語(閩南語)」「客家語」、そして「英語」という順番でアナウンスしているのだった。中でも三つ目が「客家語」だということは現地の人から教わるまで分からなかった。
台湾では原住民族という表現が正式な呼称になっている。日本人が使う「先住民」という表現の「先」という文字には、祖先、先人、先妻などというように、既に亡くなっている人の意味が含まれるからだそうだ。
「私は、日本時代は木川平録という名前だったんです」
パイワン族としての本来の名前はヴァルワルー。戦後、中華民国政府が入ってきて、呂來謀という名前が与えられた。

台湾には20年以上前に一度だけ行ったことがある。
ぜひまた訪れてみたいものだ。

2021年11月1日、新潮文庫、590円。

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2023年10月22日

NHK学園無料アーカイブ講座

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今年4月に開催されたNHK学園のオンライン講座が無料公開されています。小島なおさんと私が、短歌に関するさまざまな質問に答える内容です。

https://college.coeteco.jp/live/523wc9vn

皆さん、どうぞご視聴ください。

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2023年10月21日

今朝の新聞から

昨夜は永田和宏さん、小島ゆかりさん(ゲスト)と3人でオンライン講座を行った。「過去形と現在形」というテーマで下記のような歌を取り上げて90分話をした。

かつて子が言ひし「自分でできるから」いまは老いたる母が言ふなり
/小島ゆかり『雪麻呂』
熟したる厚き果肉を掘りすすみ核の付近で死んでいる虫
/北辻一展『無限遠点』
五十年も死んだままなるわが母よ茅花穂に立つ穂のなびくまで
/永田和宏『百万遍界隈』

今朝、朝日新聞を読んでいると、ちょうど昨夜の議論に関係するような話が載っている。こういう偶然の一致というのは、何だか嬉しい。

子どもの「自分でやりたい! 出来るようになりたい!」というエネルギーはすごいと子育て中の女性は言う。何かをやり遂げたいときの子どもはほんと一徹で、大人が気をつけないといけないのは、途中で急かせたり邪魔したりしないことだ。
/鷲田清一「折々のことば」
あらゆる生命体は、一瞬たりとも同一状態を保てない。「有る」ということは、刻一刻と「無く」なっていくことと同義だ。一刻一刻を生きている。それは、刻一刻と死につつあるということだ。
/近藤康太郎「多事奏論」

今日は午後から滋賀県東近江市で別邸歌会。

そう言えば、フリースクールをめぐる発言に対して「東近江市長へ批判拡大」という大きな記事も載っていた。

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2023年10月20日

『定本 日本近代文学の起源』のつづき

引用したい箇所がたくさんあるので、もう少し。

子規の短歌は俳句の革新は、結核が強いた現実や生理と無関係ではない。しかし、彼は意味≠ニしての結核とは無縁なままであった。『病牀六尺』は苦痛を苦痛としてみとめ、醜悪さを醜悪さとしてみとめ、「死への憧憬」のかわりに生に対する実践的な姿勢を保持している。
徴兵制についてはしばしば否定的に言及されることはあっても、学制それ自体が問題にされないのは奇妙というほかはない。それらが並んで出てきたことの意味が考えられたことがないのだ。それらが「富国強兵」の基礎として実施されたことはいうまでもないが、そこにはもっとべつの意味がある。
江戸時代の画が「写実」的であったとしても、それはわれわれが考えるような「写実」ではない。なぜなら、彼らはそのような「現実」をもっていないからであり、逆にいえば、われわれのいう「現実」は、一つの遠近法的配置において存在するだけなのである。
ネーション=ステートが成立した後には、それ以前の歴史もネーションの歴史として語られる。すなわち、ネーションの起源が語られる。しかし、ネーションの「起原」は、そのような古い過去にあるのではなく、むしろそのような古い体制を否定した所にこそ存在するのである。ところが、ナショナリズムにおいては、まさにそのことが忘れられ、古い王朝の歴史が国民の歴史と同一化されるのだ。

和歌革新運動と近代短歌の成立について考える際にも、パレスチナとイスラエルの紛争を考える際にも、おそらくこうした角度からの分析が必要になってくるのだと思う。

2008年10月16日、岩波現代文庫、1200円。

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2023年10月19日

柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』


2004年に岩波書店より刊行された単行本の文庫化。
原本は1980年に講談社より刊行された。

「風景」「内面」「告白」「病」「児童」などをキーワードに、明治20年代の日本近代文学の成り立ちを考察する評論集。それはまた、「日本」や「近代」を問い直すことにもつながっている。

かなり難しい内容も含まれていて、全体の4割くらいしか理解できなかったけれど、それでも十分に面白かった。示唆に富む部分が随所にある。たまには、こういう硬い本も読まなくてはと痛感した。

近代に対して中世、古代、あるいは東洋を対置する人達は少なくない。しかし、すでに中世とは近代に対して中世を賛美するロマン主義によって想像的に見出されたものであり、東洋(オリエント)もまた同様に、近代西洋への批判として創造された表象である。
明治以降のロマン派は、たとえば万葉集の歌に古代人の率直な「自己表現」を見た。しかし、古代人が自己を表現したというのは近代から見た想像にすぎない。そこでは、むしろ、人に代わって歌う「代詠」、適当な所与の題にもとづいて作る「題詠」が普通であった。
もともと歌舞伎は人形浄瑠璃にもとづいており、人形のかわりに人間を使ったものである。「古風な誇張的な科白」や「身体を徒に大きく動かす派手な演技」は、舞台で人間が非人間化し「人形」化するために不可欠だったのである。
告白という形式、あるいは告白という制度が、告白さるべき内面、あるいは「真の自己」なるものを産出するのだ。(…)隠すべきことがあって告白するのではない。告白するという義務が、隠すべきことを、あるいは「内面」を作り出す。
結核は現実に病人が多かったからではなく、「文学」によって神話化されたのである。事実としての結核の蔓延とはべつに、蔓延したのは結核という「意味」にほかならなかった。

いずれも、逆説や転倒を含む論理展開が鮮やかで刺激的だ。この本の原書が著者39歳の作であることにも驚きを覚える。やはり、すごい人はすごいものだ。

2008年10月16日、岩波現代文庫、1200円。

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2023年10月18日

牛隆佑歌集『鳥の跡、洞の音』

364首を収めた第1歌集。
読み方は「とりのあと、ほらのおと」。
先月行われた文学フリマ大阪で購入。

雨は降る たとえば傘をひらかせてたとえばあなたに本を読ませて
ややすこしたいせつそうに花束を抱いているならお別れのあと
ファミチキのチキンもましてやファミリーも想わぬ僕を焦がす夕暮れ
ぱりぱりの水菜よ僕はパワハラのパワーではない力が欲しい
同じように、は同じではなく同じように春は訪れ仕事場を去る
あらがわないこともあるいはたくましさだとおもうんだ青椒肉絲
ありがとう水が流れてきてくれて多目的用小さな海に
それが暗い海の底でもピザ屋なら僕を見つけてくれるだろうね
ソーダバー当たりの分がまた当たり今年の夏は終わらないまま
浴室の扉を閉めた瞬間の顔 どうしようもなく一人の

1首目、雨が降ることで街の景色やあなたの過ごし方が変っていく。
2首目、花束を持つ人の雰囲気から送別会などを想像したのだろう。
3首目、鳥や家族を思い浮かべることなくホットスナックを食べる。
4首目、他者を威圧し屈服させるのとは違う力のあり方はあるはず。
5首目、初二句に発見がある。何も変らないようでいて変っていく。
6首目、青椒肉絲の具材はまさにこんな感じでそれぞれ生きている。
7首目、多目的用トイレ。水の流し方がわからずに困ったのだろう。
8首目、友人でも恋人でもなく「ピザ屋」なのが皮肉が効いている。
9首目、永遠に続く青春みたいな時間。現実の夏は終ってしまうが。
10首目、浴室は一人になる空間。岡井隆の私性の定義を思い出す。

他に、連作「戦争で死んだ祖父は広島カープを知らない」が印象に残った。枕詞や広島の野球選手の名をたくさん盛り込みながら、戦争や広島について考えさせる内容になっている。

2023年9月10日、私家版、900円。

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2023年10月17日

吉野俊彦『鷗外百話』


日本銀行に勤めるエコノミストであり、また鷗外研究者として知られる著者の、鷗外に関するエッセイや講演70篇を集めた本。

当初は題名通り100篇を収める予定だったのが、分量の関係で70篇に絞ったとのこと。それでも376ページという厚さである。

文学者であり軍医でもあった鷗外の作品を、著者は「サラリーマンの哀歓」という観点から捉える。二足のわらじを履いた人生の苦悩を読み取るのである。

いままでの鷗外文学の研究は、専門の文学者かお医者さんか、いずれかの見方であったのですね。ところがサラリーマンという眼で、われわれと同じ悩み、喜びを持った、何十年も同じそういう生活をした鷗外の全作品を見直すと、その本質はサラリーマン文学なんだということを痛感せずにはいられない。
彼は大学を出て、軍医中尉格の「陸軍軍医副」に任官し、下級のサラリーマンとして世に出たのです。そしてそれを出発点としてずーッと何年も勤めたあげく、最後に最高の地位に到達したに過ぎない。その間、実に多くの迫害を受け、まさに辞職の一歩手前までいっているので、決して順風満帆の生涯ではなかったのです。
陸軍省医務局長という地位は軍医として最高の地位であったには違いないにしても、陸軍次官、さらに陸軍大臣という上級職の指揮下にあり、また形式的には同格の軍務局長、人事局長などに対しても、事実上劣位にあったことは否定できず、ある意味では中間管理職に似た苦境に立つ可能性を内包するものだったとみるべきである。

こうした観点に立って、著者は鷗外が味わった様々な人生の苦み(小倉への左遷、文芸活動に対する批判、陸軍次官との衝突)を具体的に記している。著者もサラリーマン生活をしながら、鷗外研究を長年続けるという二足のわらじを履いた人であった。鷗外に対する共感と敬愛の深さが滲む。

人間には必ず「興味」というものがある。この興味というのは天の啓示であり、神のおぼしめしである、と私は思っている。それを徹底的にやりなさいということを、天が命じているのだといってもよい。

専門の経済関係の本とは別に鷗外に関する研究書を十数冊刊行した著者の言葉だけに重みがある。

百年のちのベルリンへ人は出発し日が暮れて読む『鷗外百話』
       永井陽子『モーツァルトの電話帳』

1986年11月30日、徳間書店、2000円。

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2023年10月16日

三井ゆき歌集『天蓋天涯』


第7歌集。タイトルの読みは「てんがいてんがい」。
夫を亡くした痛手から少しずつ心を立て直していく時期の歌。

男びな女びな流されてゆくあはれさの藁の粗目が水かぶりゐつ
多摩川の水釣るごとくゆつくりと糸引き寄する春の釣りびと
まひまひは負ふ家さへも涼しげに海鳴りきこゆる石塀をゆく
蟬を追ふ尾長も追はるる蟬も鳴き鋭かりけり八月の空
木造の輪島高校なくなりてプールの位置のみ変はらずにあり
新しき靴をはきたるよろこびは有楽町へと吾(あ)を向かはしむ
草花の虫喰ひさへも描き加ふ加賀友禅の意匠の写実
七人の団欒ありし食卓は川を流れていづこにゆきし
いづくより吸ひあげきたる水ならむ赤き西瓜はただに悲しき
かなかなのかなかなかなのかなしさよ絶ゆることなき詠嘆の助詞

1首目、流し雛は徐々に水に濡れたりしながら川を遠ざかっていく。
2首目、魚ではなく「水釣るごとく」がいい。のどかな春の光景だ。
3首目、何も持たず自分の力だけで堂々と生きている姿の清々しさ。
4首目、夏空に繰り広げられる空中戦。両者とも生きるために必死。
5首目、作者の出身校なのだろう。プールの場所だけが昔のままだ。
6首目、心が明るくなってショッピングや映画を楽しんだのだろう。
7首目、虫喰いを汚いものと捉えずにデザインとして活用している。
8首目、賑やかな食事風景はいつの間にか消えて一人になっている。
9首目、西瓜の果肉の鮮やかな赤さはどこから生まれたものなのか。
10首目、言葉遊びが印象的。ヒグラシの鳴き声がいつまでも続く。

2007年10月29日、角川書店、2667円。

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2023年10月15日

ロートル

今日のマラソングランドチャンピオンシップで4位になった川内優輝選手のインタビュー記事をネットで読むと、新聞社によっていろいろと違いがある。

多分(選手の)半分ぐらいは勇気がなくて、私についていくのが怖かったと思う。もう半分ぐらいナメてたんと思う。ロードみたいな選手はどうせ落ちてくだろうって。(東スポWEB)
半分ぐらいの選手は勇気がなくて私についていくのが怖かったのだと思うし、もう半分はなめていたんですよ。あんな選手はどうせ落ちていくだろうと。(スポニチアネックス)
他の選手は怖かったと思う。半分ぐらいは舐めていたと思う。落ちてくるだろうと。(デイリースポーツ)
若い選手の半分くらいは勇気がなくて、私についていくのが怖かったと思う。半分ぐらいはなめていたんですよ。『ロートルみたいな選手は、どうせ落ちてくるだろう』と。(中日スポーツ)
若い選手だから、多分半分くらいは勇気が無くて、私についていくのが怖かった。もう半分はなめていたんですよ、『なに、あのロートル』みたいな。どうせ落ちていくだろうって。(日刊スポーツ)

最初に東スポの記事を読んで、「ロードみたいな選手」ってどういう意味かなと疑問に思った。トラック競技出身ではないのでスパートが弱いという意味だろうか??

その後、中日スポーツや日刊スポーツの記事を見て、「ロード」は「ロートル」の間違いなのだと気づいた。ロートルなら「旬をすぎた人、役にたたない人」といった意味なので、フルマラソン130回完走の大ベテラン川内選手の自虐的な言い回しとしてよく理解できる。

おそらく東スポの担当者は「ロートル」という言葉を知らなかったのだろう。そう言えば、近年あまり見かけない言葉だ。もう日常生活では死語になっているのかもしれない。

そもそも「ロートル」って何語なのかと思って辞書を引いてみたら、中国語であった。「老頭児」と書いて「老人、としより」の意味とのこと。なるほど。それにしても、一体いつ頃から使われて、いつ頃に使われなくなった言葉なのだろうか。

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2023年10月14日

渥美清『新装版 渥美清わがフーテン人生』


「サンデー毎日」1976年新年号から17回にわたって連載された聞き書きを一冊にまとめたもの。1996年に毎日新聞社より刊行された単行本が、「男はつらいよ」50周年記念に復刊された。

生い立ち、不良少年時代、浅草でのコメディアン時代、結核による療養生活、テレビや映画への出演、アフリカ旅行、「男はつらいよ」の誕生など、自らの半生について率直に話している。

木枯らしの吹く寒い夜なんか、四角い顔(つまりわたくしでございます)と丸い顔(関やん)が、四隅に重しをつけた風呂敷みたいなそんな掛けブトンを掛けて、まるでプロレスやってるような格好で抱き合ったまま寝ます。
わたくし、療養所で二年ぐらい過ごしたことになりますが、その間、ずっと医療保護と生活保護を受けておりました。ですから、わたくし、国からお借りしたその分をいま、せっせとお返ししているつもりなんでございます。
野生の動物といえば、ずいぶんいろんなヤツを見ました。しかし、数いる動物の中で、すばらしい造形の妙をそなえているのは、やっぱり、サイでございますよ。あれは自然の産物ではなくて、たとえば鉄工所なんてとこで人工的に作ったものではないかという気がいたしました。
大体、花火というやつは打ち上げられてみて初めて、夜空に美しく咲いたかどうかわかるように、役者もまた演じてみて初めて、お客がそれをどう受け止めたかがわかるものではないでしょうか。

全篇、寅さん口調でユーモラスに楽しく語っているのだけれど、ところどころにコワさや厳しさが顔を覗かせる。戦後の焼け跡風景と右肺摘出の闘病生活は、渥美清の人生観に大きな影響を与えたようだ。

2019年8月5日、毎日新聞出版、1400円。

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2023年10月12日

映画「658km、陽子の旅」

監督:熊切和嘉
出演:菊地凛子、竹原ピストル、黒沢あすか、風吹ジュン、オダギリジョー

父の死の知らせを受けた主人公が、東京から青森まで向かうロードムービー。途中、ヒッチハイクなどをして多くの人と出会い、都会暮らしの心が少しずつほぐれていく感じが良かった。

私はヒッチハイクをしたことはないけれど、親切な人に車に乗せてもらったことは10回くらいある。旅先の辺鄙な場所でバスに乗り遅れて困って手を挙げたり、車しか通らないような道を歩いていて声を掛けてもらったりした。

あれこれ思い出すと懐かしい。

出町座、113分。

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2023年10月11日

柳川(その3)

柳川藩主立花邸「御花」へ。


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1910(明治43)年に建てられた西洋館。
ちょうど「啄木ごっこ」の連載も1910年の話を書いているところ。


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西洋館2階の広間。
シーリングメダリオンが華やかだ。


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和風建築の部屋に飾られた雛人形と「さげもん」。
さげもんは柳川に伝わる吊るし飾り。


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西洋館と和風建築の屋敷がつながっている。
樹齢400年以上という蘇鉄が力強く鮮やか。


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大広間から見る「松濤園」。
この庭が広々として素晴らしい。


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涼しい風に吹かれながら、30分ほど庭を眺めていた。

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2023年10月10日

柳川(その2)

柳川と言えば北原白秋のふるさと。毎年、白秋の命日の11月2日を挟んで1日から3日まで「白秋祭」が開かれているとのこと。


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北原白秋の生家。

酒造業で栄えた北原家だが、酒蔵などは火事で焼けてしまい、現在は母屋(修復)と蔵、隠居部屋(復元)だけが残る。

三日三夜(みかみよ)さ炎あげつつ焼けたりし酒倉の跡は言ひて見て居り/北原白秋『夢殿』


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母屋の内部。土間、茶の間、食事場など。

コロナ禍などで入館者が減り、生家の維持・存続が大変な状況になっているらしい。
https://www.asahi.com/articles/ASNBG7FVQNBFTGPB003.html


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仏間にある白秋のデスマスク(複製)。

デスマスクって最近はあまり聞かないけれど、今でも作製する人はいるのだろうか。


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敷地内にある汲水場。

鍋二つ汲水場(くみづ)に伏せて明らけき夏真昼なり我家(わがや)なりにし/北原白秋『夢殿』


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生家の奥にある柳川市立歴史民俗資料館(白秋記念館)。

1階は「水郷柳川」「柳川の歴史」「柳川の民俗」に関する展示で2階が白秋関係。「関東大震災から100年」の特別展があり、震災の日の様子をなまなましく描いた自筆原稿「その日のこと」などが展示されていた。

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2023年10月09日

柳川(その1)

現代歌人集会福岡エリア歌会の翌日、初めて柳川を訪れた。
福岡(天神)から西鉄で約1時間。

まずは、有名な川下りを。柳川駅近くの乗船場から観光スポットの集まる付近の下船場まで、約50分、1700円。


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残暑もようやく落ち着いて、秋らしい一日。
船頭さんが周辺の案内をしたり、唄を歌ったりしてくれる。


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家の裏口から堀へと続く石段が、あちこちに見られる。
堀の水が生活用水として使われていた頃の名残だ。

ついかがむ乙(おと)の女童(めわらは)影揺れてまだ寝起らし朝の汲水場(くみづ)に/北原白秋『夢殿』
背戸ごとの汲水場(くみづ)の段(きだ)に桶洗ひ菜を洗ひけむ言(こと)かはしつつ/阿木津英『黄鳥』


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終点に着くまでに12の橋を潜る。
首をすくめなくてはいけないくらい低い橋もある。


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堀に面して白秋の歌碑がいくつか立っている。

「水のべは柳しだるる橋いくつ舟くぐらせて涼しもよ子ら」


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こちらは宮柊二の歌碑。
昭和25年に柳川を訪れた際に詠んだもの。『日本挽歌』所収。

「往還に白き埃の立ちながれあな恋ほしかも白秋先生」

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2023年10月08日

別邸歌会のご案内

 「別邸歌会」チラシ 2023.09.03.jpg


今後の別邸歌会の日程は、下記の通りです。

・10月21日(土)SATSUKI-RO さつき楼(滋賀県八日市市)
・12月17日(日)奈良カエデの郷ひらら(奈良県宇陀市)
・2024年 2月24日(土)昭和の隠れ家(大阪市住之江区)

時間はいずれも13:00〜17:00。

初心者もベテランも、初めての方も常連の方も、老若男女関係なくどなたでも参加できる歌会です。どうぞお気軽にお申込みください。

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2023年10月07日

吉村昭『遠い日の戦争』


以前から関心を持っている西部軍事件(昭和20年6月から8月にかけて福岡市の油山などでアメリカ軍の捕虜30名以上が処刑された事件)をモデルにした小説。

以前読んだ小林弘忠『逃亡―「油山事件」戦犯告白録』と同じく、2年以上にわたって逃亡生活を続けた人物が主人公となっている。
https://matsutanka.seesaa.net/article/484902418.html

捕虜を処刑する生々しい場面、戦犯として追われる身になった心情、戦後の変わりゆく社会、裁判の様子などが丁寧に描き出されている。やはり吉村昭の小説は読ませる。

主人公は姫路のマッチ箱工場で逃亡生活を送る。

橋の上からは、城の全容が望まれた。天守閣や櫓の壁の白さが眼にしみた。工員からきいた話によると、城が戦災にあわず残されたのは、貴重な史蹟である城を惜しんだアメリカ空軍の措置だという声が専らだという。が、琢也は、それは偶然の結果で、大規模な都市への焼夷攻撃を執拗に反復し原子爆弾まで二度にわたって投下したアメリカ空軍が、そのような配慮をしたはずはなく、おそらくそれは、アメリカ占領軍が宣撫工作のためにひそかに流した噂にちがいない、と思った。

こうした噂は戦後も長く残り続けたようだ。でも実際のところは、この主人公の考えたように偶然の結果に過ぎなかったことが明らかになっている。
https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber/201707/0011622977.shtml

1984年7月25日発行、2021年9月30日20刷。
新潮文庫、490円。

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2023年10月06日

オンライン講座「作歌の現場から」

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永田和宏さんと私が毎回ゲストの歌人を招いて語り合うNHK学園のオンライン講座「現代短歌セミナー 作歌の現場から」。次回は10月20日(金)の開催です。

ゲストは小島ゆかりさん、テーマは「過去形と現在形」、時間は19:30〜21:00。連続講座ですが単発の受講も可能です。どうぞお気軽にお申込み下さい。歌作りのヒントが詰まった90分になると思います。 

https://college.coeteco.jp/live/84kyc7le
https://college.coeteco.jp/live/5p0vcqw1

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2023年10月05日

温又柔『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』


日本人の父と台湾人の母を持つ主人公の桃嘉を中心に、台湾と日本にまたがる女三代の生き方を描いた小説。織田作之助賞受賞作。

主人公と母との会話の中で意味の通じない日本語がしばしば出てくる。「上げ膳据え膳」「出願」「本末転倒」などは、元の言葉が難しいから仕方がない。また、「就活」も略語なので難しい。

一方で「おあずけ」は簡単な言葉だが、「預ける」の意味でなく「待たせる」という意味になるので、文脈を理解しないとわからない。こういう言葉こそネイティブでない人には大きな障害になるのだろう。

言葉が理解できないことはコミュニケーションの妨げになる。一方でそれは、言葉が通じるからといって必ずしも心が通じるわけではないことも浮き彫りにする。

祖母が母に言った言葉が心に残る。

「だれといても、どこにいても、自分のいちばん近くにいるのは自分自身なのよ。だからね秀雪、だれよりもあなたがあなた自身のことをいちばん思いやってあげなくては」

昨年エッセイ集『台湾生まれ日本語育ち』を読んだ時に購入してしばらく積ん読になっていた本だが、今回読めてとても良かった。やはり読書はタイミングが大切で、今の私に必要な本だったのだと思う。

2020年8月25日、中央公論新社、1850円。

posted by 松村正直 at 12:28| Comment(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月04日

大塚寅彦歌集『ハビタブルゾーン』


現代歌人シリーズ36。240首を収めた第6歌集。

〈長年「相棒」と内心呼んでいた女性〉の病気と死を詠んだ歌が大半を占めている。

伏見稲荷〈不死身(ふしみ)〉の音に通へれば不安もつ身の人と連れ立つ
看板の〈ゆ〉の赤き字がゆらゆらと手招きしをり古き町の湯
君のゐる病棟の窓をいまいちど仰ぎて帰るゆふづつのとき
片側に見えぬ死を載せ保ちゐる静けさありぬ昼のホスピス
ひとの乗る車椅子押す嬉しさよいまここに在る重み感じて
胸水と腹水を採る管もまた冷えゆくならむ魂(たま)失せし身は
君と来て癒(ゆ)を願ひたる御仏の慈顔や孤りいまはなに祈(ね)ぐ
ビル失せし更地の土に芽吹く草つかのまの生が陽を浴みてをり
迷へるは蟻はた吾(われ)か汝(な)が墓碑の〈南無阿弥陀仏〉の〈無〉の彫りのなか
あづさゆみ春の土筆(つくし)の尽くし得ぬ思ひにぞ生くいのちの苦さ

1首目、語呂合わせにも縋る思いで病気の見つかった人と参拝する。
2首目、懐かしい光景。薄暗くなった町に銭湯の赤い文字が浮かぶ。
3首目、見舞いを終えた帰りに名残を惜しみ祈るような思いで見る。
4首目、生と死のぎりぎりのバランスの上に成り立っている静謐さ。
5首目、車椅子を押す時に感じる肉体の重さは生きている証である。
6首目、身体につながれている管も死の後に同じように冷えていく。
7首目、御仏の姿は以前と変わらないが、もう何も祈ることがない。
8首目、人の一生も長い時間の中ではこの草のようなものなのかも。
9首目、まるで迷路のような「無」の文字から出ることができない。
10首目、初二句は序詞。埋めようのない喪失感を抱えつつ生きる。

2023年4月8日、書肆侃侃房、2000円。

posted by 松村正直 at 18:19| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

太郎坊宮

先日、別邸歌会の下見に八日市へ行ったついでに、太郎坊宮(阿賀神社)にお参りしてきた。


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八日市駅から西に30分ほど歩くと、山の中腹に神社が見えてくる。岩が露出して、いかにも霊山という感じがする。


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祭神は「正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのおおかみ)」。勝利と幸福を授ける神とのこと。

赤神山(350メートル)にある本殿まで、登山口から740段の石段をひたすら登っていく。


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途中にある絵馬殿からの眺め。
ベンチに座ってしばらく休憩する。


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日露戦争の水師営の会見(乃木将軍とステッセル将軍)を描いた絵馬。「大正十五年六月」のもの。


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夫婦岩。

二つの巨岩に挟まれた幅わずか80センチの道が12メートルにわたって続いている。巨石好きなので、こういうのはグッとくる。


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本殿のすぐ下にある展望台(懸造りの舞台)からの眺め。

がんばって登ってきた甲斐があった。

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2023年10月03日

長谷川清美『豆くう人々』


副題は「世界の豆探訪記」。

北海道の老舗豆専門店「べにや長谷川商店」に生まれ、現在「べにやビス」代表を務める著者が、世界各国の豆食事情を取材した本。

2012年から2019年に訪れた66か国の中から29の国・地域を取り上げて、どんな種類の豆が栽培され、どんな豆料理があるのかを記している。一口に豆と言っても、大豆、いんげん豆、ベニバナインゲン、リマ豆、ささげ、小豆、緑豆、そら豆、えんどう豆、ひよこ豆、レンズ豆など、実に多彩だ。

メキシコには伝統的農法「ミルパ」があると以前から聞いていた。別名「スリーシスターズ」といい、窒素固定をして土地を肥やす「豆」、豆のツルが這う支柱となる「トウモロコシ」、葉が日除けとなる「かぼちゃ」を組み合わせて植えることで、お互いの生育が助けられる農法だという。
日本で豆料理が日常から遠ざかった原因は、わたしはガスコンロの普及によるものだと思っている。ストーブにかけておけば煮えているようなほったらかし調理ができないので、いつしか豆料理は「手間がかかるもの」になってしまったのだ。
(コスタリカの豆の消費量は)ほかの中南米諸国と比べるとかなり少ない。おそらくタンパク源を肉に依存しているのだろうが、「経済水準と豆の消費は反比例する(=豊かな国のタンパク源は豆ではなく肉)」というから、この傾向が如実にあらわれている。
地方や農村では、今でも豆板醤は自家製で、手前味噌ならぬ手前豆板醤なのだが、最近は手づくり派が減ってきているので、ザオさんの商売も右肩上がりだという。

それにしても著者の「豆」愛はすごい。知らない豆や豆料理があると聞くと、世界のどこへでも行き、畑や台所を見て、現地の人の話を聞き、実際に料理を食べてみる。その好奇心と探究心に感心する。

2021年12月15日、農山漁村文化協会、2200円。

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2023年10月02日

福岡から

1泊して福岡から帰ってきました。
現代歌人集会の福岡エリア歌会は充実した内容でした。
今後も西日本の各地で開催できるといいなと思います。

今日は柳川を観光してきました。
京都〜福岡は新幹線で約2時間40分。
意外と近いですね。

posted by 松村正直 at 20:27| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月01日

福岡へ

現代歌人集会福岡エリア歌会に参加するため、
福岡へ行ってきます。明日の夜に帰る予定。

posted by 松村正直 at 06:55| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする