2023年05月31日

雑詠(027)

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びわの実をひとつ食べればらんらんと一つ減りゆくわたしの命
どん底の時にはそこがどん底かわからないから桐の木を見る
減るたびに水を注ぎ足す店員の親切さえも今日はうとまし
ほんとうは用があったんじゃないのかと老いたる父に聞かれてしまう
ここもまた道真公の生誕地 産湯を使いし井戸が残るも
なにゆえに投票率が高ければ違ったはずと人は思うか
宇治川を渡る十二両編成の端から端までいちどきに見ゆ

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2023年05月30日

吉川宏志歌集『雪の偶然』

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2015年〜2022年の作品555首を収めた第9歌集。

出張などの旅の歌を随所に挟みつつ、母の死や自らの退職といった大きなできごと、また安保法案やコロナ禍、ウクライナ戦争などの社会問題を詠んでいる。比較的長い期間を収めた一冊だが、途中にある「平成じぶん歌」がうまく流れをつないでいるように感じた。

ゆうぐれはどくだみの香の濃くなりて蛇腹のような石段のぼる
海見ゆる前から青が滲みゆく家のあわいに木々のすきまに
一日眠らば治らむ風邪とおもえどもその一日が手帳には無し
呑みこみし餌が口より漏れ出(い)でてまた吸いこめり黒き寒鯉
倒れたる墓は直角をむきだしに雨に濡れおり朝の山道
東京に殺されるなよ 東京を知らざる我は息子に言わず
布張りの白きが母に似合うらむ明後日(あさって)焼かるる棺を選ぶ
韓国を蔑(なみ)して盛り上がる男たち 黒き磁石にむらがるように
雲の裏に心臓ほどの陽がありて川のほとりの桜を歩く
葉にとまり眼状紋(がんじょうもん)をひらきしが飛び去りにけり夕暮れの葉を
夕山の落葉踏み分けナウシカのいまだ来たらず国は病みゆく
支線から冬に入りゆく駅ならむ七味の赤がかき揚げに散る
古着屋に人のからだを失いし服吊られおり釦つやめく
ひがんばなの先へ先へと歩きゆく最も赤い花に遭うまで
治りそうな負傷ばかりが映されて横たわる人にぼかしのかかる

1首目、「蛇腹のような」がいい。本物の蛇がいてもおかしくない。
2首目、ちらちらと海の気配が近づいていることを感じるのだろう。
3首目、休みをとれないばかりにぐずぐずと風邪が長引いてしまう。
4首目、口元にズームした映像のように鯉の動きがよく見えてくる。
5首目、横倒しになったことで直方体の石という感じが強くなった。
6首目、就職で東京へ行く子を案じつつも先入観を与えたくはない。
7首目、様々な素材や形状の中から選ぶ。下句に深い悲しみが滲む。
8首目、下句の比喩が絶妙だ。何が男たちを引き付けるのだろうか。
9首目、薄雲の奥にうっすら透けている太陽。「心臓ほど」がいい。
10首目、蛾と言わずに表している。模様だけが飛んでいるみたい。
11首目、猿丸太夫の歌とナウシカを踏まえ世相を詠んだ巧みな技。
12首目、上句の発見・把握の鮮やかさと下句の写生・描写の鋭さ。
13首目、新品と違ってかつて服の中には人間の身体が入っていた。
14首目、どこまでも続く彼岸花から永遠に出られなくなりそうだ。
15首目、自主規制により日本のテレビ報道は死体を映しはしない。

2023年3月25日、現代短歌社、2700円。

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2023年05月29日

千葉俊二編『新美南吉童話集』


新美南吉が読みたくなって岩波文庫の童話集を買った。

「ごん狐」「手袋を買いに」「赤い蝋燭」「最後の胡弓弾き」「久助君の話」「屁」「うた時計」「ごんごろ鐘」「おじいさんのランプ」「牛をつないだ椿の木」「百姓の足、坊さんの足」「和太郎さんと牛」「花のき村と盗人たち」「狐」の14篇と評論「童話における物語性の喪失」を収めている。

童話はたぶん子どもの頃にほとんど読んだことがある。ストーリーを思い出すものが多かった。でも、当然ながら読み方は昔と違う。時代の移り変わりによって失われるものへの眼差しが印象に残った。

これだけ世の中が開けて来たのだと人々はいう。人間が悧口になったので、胡弓や鼓などの、間のびのした馬鹿らしい歌には耳を籍(か)さなくなったのだと人々はいう。もしそうなら、世の中が開けるということはどういうつまらぬことだろう、と木之助は思ったのである。/「最後の胡弓弾き」
どこの家のどこの店にも、甘酒屋のと同じように明かるい電燈がともっていた。光は家の中にあまって、道の上にまでこぼれ出ていた。ランプを見なれていた巳之助にはまぶしすぎるほどのあかりだった。巳之助は、くやしさに肩でいきをしながら、これも長い間ながめていた。/「おじいさんのランプ」

こうした出来事は今ではさらに頻繁に、短いスパンで、当り前のように繰り返されている。もう童話に書かれることさえないままに。

1996年7月16日第1刷、2019年6月14日第28刷。
岩波文庫、740円。

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2023年05月28日

講演「小池光の歌のあれこれ」

今日は和歌山県歌人クラブ春季大会にて、講演「小池光の歌のあれこれ」を行った。

小池光の歌が読者を惹きつける理由について、いろいろと例を挙げて話をした。だいぶポイントを絞って話をしたのだけれど、それでも70分という時間では話し切れないなあという感じ。小池さんの歌については、多くの人と語り合ってみたいものだ。

大会は出詠111首、出席者約80名という盛況ぶりで、良い歌も多かった。いわゆる「短歌ブーム」と古くからあるこうした場が交わるようになると面白いと思うのだけれど。

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2023年05月27日

高安やす子の温泉の歌

せっかくなので、高安やす子(1883‐1969)の短歌を少し紹介しておこう。

やす子は初め与謝野晶子・寛の指導を受けて「明星」風の短歌を詠んでいたが、後に斎藤茂吉に師事し昭和以降は「アララギ」の数少ない女性歌人として活躍した。戦後はアララギの地方誌「高槻」にも歌を発表している。

歌集は1921(大正10)年刊行の『内に聴く』と1941(昭和16)年刊行の『樹下』の2冊がある。前者には与謝野寛、後者には斎藤茂吉の序文が付いている。

大正期のやす子は関西の社交界でも知られた存在で、短歌だけでなく絵画や音楽、手芸など多くの趣味を持っていた。『内に聴く』には短歌以外に、やす子の写真1葉、油絵4点、素描4点、木版2点が載っている。

この歌集に温泉を詠んだ歌がある。「夜の泉」と題する6首だ。

浴室へ長き廊下を降(お)りゆきぬ星美しき深夜にひとり
ゆたかなる思ひに満ちて春の夜の山の湯殿に衣(ころも)をば脱ぐ
よろこべりわが魂は夜の湯に人魚の如く女王(ぢよわう)の如く
湯の泉をどるが如く光つゝ白き腕に口づけぞする
春の日の山の湯槽に現(うつ)し身の光れる我を愛でにけるかな
美くしく葡萄色する夜の空湯槽にありてわが仰ぐ空

ややナルシシズムが強いけれど、「明星」の系譜らしい美しい歌である。「女王の如く」という比喩やお湯が「口づけ」するという表現、夜空の「葡萄色」という形容など、なかなか印象深い。

舞台がどこの温泉かはわからないが、最後の歌を読むかぎり露天風呂もあったようだ。

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2023年05月26日

『宝塚少女歌劇、はじまりの夢』の続き

短歌関連で印象に残ったことを書いておこう。

まずは、初期の団員たちの芸名である。高峰妙子、雲井浪子、篠原浅茅、瀧川末子など、みんな百人一首にちなんだ名前になっている。

田子の浦にうち出でて見れば白の富士の高嶺に雪はふりつつ
わたの原こぎ出でてみれば久方の雲ゐにまがふ冲つ白
浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれてもにあはむとぞ思ふ

当時はこういう名前が美しさを感じさせたのだろう。

続いて、高安やす子(高安国世の母)のことである。この本には2か所、やす子の名前が出てくるのだが、「歌劇」大正8年1月号に掲載された短歌「湯気のかく絵」について見てみたい。

いつとなく湯気のかく絵をながめ居ぬうつとりとして湯ぶねの中に
大理石(ナメイシ)の温泉(イデユ)の中に浪子はもギリシヤの女(ヒト)に似したちすがた

(…)高安は雲井浪子の立ち姿がギリシャ女性を思わせると詠んでいるが、一緒に入浴する機会があったのか、それとも想像の中での吟詠なのか。

宝塚新温泉の大理石の浴場を詠んだ歌である。やす子は関西の社交界では有名な女性で、与謝野寛・晶子の指導を受けて「紫絃社」という短歌グループを作っていた。

引用歌から思い出したのは、大正14年に高安やす子の書いた「日本の温泉と浴槽」というエッセイ(『一日一文』所収)である。日本の温泉設備が貧弱なことを指摘した後に、ローレンス・アルマ=タデマ(1836‐1912)の古代ギリシア・ローマの浴場を描いた絵画に言及している。

私はアルマタデマの好んで描くあの浴槽に多大の憧憬を持つ。美しい丸柱の並んだ柱廊や広間の中の大理石の階段をもつた浴槽、しきりのカーテンの上からわづかにのぞく蒼穹、美しい彫刻の口からおちる水晶の透明をもつた湯の泉、海の見えるベランダには丸柱にからむ薔薇の花が淡紅の雪とくづれる。洗練された美のかぎりなきしなやかさと、調和と明快と言語に絶した光と蔭と匂と豊潤な詩とこれ等最高な美をそなへた希臘の女がそこに浴みをする。

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例えば、こんな絵である。「お気に入りの習慣」(1909)。

先に引いた歌の「ギリシヤの女」という表現の背景には、やす子のこうした理想があったと見ていいだろう。

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2023年05月25日

小池光の歌作り歌

小池光の歌集を読んでいると、時おり歌作りに関する歌が出てくる。

空隙に「あはれ」を嵌めて了(をは)りたるちやぶ台のうへの推敲あはれ/『日々の思い出』

「あはれ」で終わる短歌は近代短歌でもよく見かける。自嘲気味に詠みつつ、最後に「あはれ」を使っているのが面白い。

傘立てに傘立てにけり靴箆(べら)に靴はきにけり「に」のはたらきよ/『草の庭』

「傘立てに」は場所を示し、「靴箆に」は手段を表している。広辞苑で調べると格助詞の「に」だけでも18通りの意味がある。

とりあへず叙景をしたり網膜に焦点むすぶ柿を感じて/『静物』

まずは叙景が大事。

てにをはが出たり入つたりで山竜胆(やまりんだう)が歌になつたりならなかつたり/『滴滴集』

「てにをは」によって歌が完成する。

イカの一片つるつるとして挟みがたし歌つくるときのはじめに似たる/『山鳩集』

最初の取っ掛かりが難しいということだろう。そこを越えれば、後は何とかなっていく。

わが希(ねが)ひすなはち言へば小津安の映画のやうな歌つくりたし/『梨の花』

目標は小津安二郎!

歌つくるは魚(うを)釣るごとし虚空よりをどる一尾の鯉を釣り上ぐ/『サーベルと燕』

魚が掛かるまでじっと待つ。しかも、海や池ではなく「虚空」から釣るのだ。

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2023年05月24日

小竹哲『宝塚少女歌劇、はじまりの夢』

著者 : 小竹哲
集英社インターナショナル
発売日 : 2023-03-24

1914(大正3)年に誕生した宝塚歌劇の大正期の歴史やエピソードなどを記した本。「一九八三年春より大劇場公演はほぼ全公演観劇」という宝塚ファンの著者の熱意が、全篇に満ち溢れている。

1918(大正7)年創刊のPR誌「歌劇」を丹念に読み込んで、そこから多くの情報を引き出している。主要な記事だけでなく読者投稿欄にも目を配り、公的な資料には残らないような観客の本音や団員の日常、そして時代の雰囲気などを描き出しているのが特徴的だ。

当初の小林の構想では〈花組〉と〈月組〉ではなく、〈雪組〉と〈月組〉だったのである。
当時は男役もソプラノで歌っていたのである。
こうして創生期の宝塚にあってその礎を築いた高砂だが、不思議なことに歌劇団の公式の年史には殆んど出てこない。
つまり劇場には履き物を脱いで入場するのが、当時は当り前だったのだ。

新しい娯楽や文化を生み出そうとした宝塚の熱気と苦闘の跡が生々しく甦ってくる。作家たちの試行錯誤やニセモノの少女歌劇団の出現などのエピソードも楽しく、またスペイン風邪や関東大震災といった歴史上のできごととの関わりも印象に残る。

一つ一つの細部を積み上げていくことで、大正時代の人々の姿や暮らしがよく見えてくる。また、宝塚や関西といった地域の特徴も出ており、結果的に東京を中心とした歴史の見方や描き方を相対化する役割を果たしている。

宝塚少女歌劇に関する本なのだが、それだけではない。宝塚を通して見えてくる大正時代の歴史や文化を描いた一冊にもなっているのだ。

雑誌「歌劇」からの引用に対して、ところどころ著者が、「了見違いも甚だしい」「だめだこりゃ」「チケットを買う前に誰か教えたりぃや」などとツッコミを入れているのも面白かった。

2023年3月29日、集英社インターナショナル、1800円。

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2023年05月23日

菅大臣天満宮

京都市下京区にある菅大臣天満宮(菅大臣神社)へ行く。


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入口は北、西、南と3か所あって、これは南側(高辻通)。


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こちらは北側(仏光寺通)の入口に立つ「菅家邸址」の碑。

かつて菅原道真の紅梅殿・白梅殿と呼ばれる屋敷があり、有名な飛梅もあった場所らしい。現在、このあたりの住所は「菅大臣町」となっている。


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同じく北側入口に立つ「天満宮降誕之地」の碑。
道真は何人いるのかと思うくらい、生誕地が何か所もある。


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拝殿。
今はマンションや住宅に囲まれて境内はだいぶ狭くなっている。


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目当ての菅公聖蹟二十五拝の碑。
今回もすぐに見つけることができた。

「聖跡廿五拝」「第三番」「菅大臣天満宮寶前」と刻まれている。
中ほどで一度折れたのを修復した跡が残る。


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側面には発起人2名の名前が記されている。
「東京 松浦武四郎」「西京 畑増尾」。


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松浦武四郎のアップ。
これで京都に現存する3つの石碑はすべて見たことになる。

楽しくなってきたので、他の府県にも足を延ばしてみようかな。

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2023年05月22日

今後の予定

下記のイベント、歌会、カルチャー講座に参加します。
多くの方々とお会いできますように!

・ 5月28日(日)和歌山県歌人クラブ春季大会(和歌山)
          講演「小池光の歌のあれこれ」

・ 6月25日(日)第7回別邸歌会(神戸)
 https://matsutanka.seesaa.net/article/499372912.html

・ 7月 2日(日)講座「こんな短歌があるなんて!」(大阪)
 https://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/43916

・ 7月17日(月・祝)現代歌人集会春季大会 in 富山(富山)
 https://matsutanka.seesaa.net/article/499174176.html

・ 8月11日(金・祝)第8回別邸歌会(宇治)
 https://matsutanka.seesaa.net/article/499372912.html

・ 8月27日(日)人麿の里全国万葉短歌大会(益田)
 https://note.com/marumaruhaohao/n/n7abf91c7e0f7

・ 9月16日(土)講座「2023年上半期、注目の歌集はこれだ!」(くずは)

・10月21日(土)第9回別邸歌会(八日市)
 https://matsutanka.seesaa.net/article/499372912.html

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2023年05月21日

藤原龍一郎『寺山修司の百首』


「歌人入門」シリーズの5冊目。

寺山修司の短歌100首の鑑賞に加えて、解説「歌人・寺山修司―超新星の輝き」を収めている。鑑賞文は1首あたり250字と短いが、寺山短歌の魅力や特徴がよく伝わってくる。

短歌表現を一人称のみならず、三人称に解放したところにも寺山修司の大きな功績がある。
悪霊はドストエフスキーを、外套はゴーゴリを連想させる。こういう用語を使って、一つのイメージを醸しだす技法は寺山の得意とするところ。
作中人物に現実の事件を投影してリアリティを獲得する方法も、寺山の多彩な技法の一つである。

印象に残った歌を引いておく。

わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして
/初期歌篇
小走りにガードを抜けてきし靴をビラもて拭う夜の女は
/『空には本』
きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えんとする
/『血と麦』
外套掛けに吊られし男しばらくは羽ばたきゐしが事務執りはじむ
/『テーブルの上の荒野』
父といて父はるかなり春の夜のテレビに映る無人飛行機
/『月蝕書簡』
わが息もて花粉どこまでとばすとも青森県を越ゆる由なし
/『田園に死す』

2022年6月23日、ふらんす堂、1700円。

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2023年05月20日

ポップサーカス西宮公演

フレンテ歌会のメンバー8名+1名で、西宮にポップサーカスの公演を見に行く。


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会場は国道2号線沿いの特設テント。
10:20から約2時間、最前列のとても良い席で見ることができた。


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すべての演目が終了した後のフィナーレ。
この時だけは撮影OKだった。

公演は7月2日(日)まで。
大人も子どもも楽しめる内容でおススメです。

http://www.pop-circus.co.jp/schedule-nishinomiya.html

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2023年05月19日

外岡秀俊『北帰行』


昨年12月に亡くなった作者が、学生時代の1976年に書いて第13回文藝賞を受賞したデビュー作。

北海道出身で東京に暮らす20歳の主人公が、盛岡、渋民、函館、札幌、小樽、釧路と啄木の足跡をたどって故郷へ向かう物語。旅をしながら彼は、過去の出来事を振り返り、啄木について考え、自らの人生について思いをめぐらす。

啄木の短歌は、その簡素なことばの流れによって、深い想いをこめた風景の表情を甦らせてくれるのだった。それは彼の短歌が、固有の風景を歌っているのではなく、その中で異質の体験が触れ合う一つのひろがりとして、誰にも開かれている匿名の風景を歌っているためであるように、私には思われた。
北海道の標準語は、人工的に造られた中性語ではない。その言葉の重さは雪国特有の重さであり、同時に、アイヌ民族の叫びと流民の呟きと囚人の嘆きとが、濃霧に鳴り渡る鐘の響きのように重たげな調子となってこめられているからに他ならない。
歌はただ形式だけを持っており、内容はその形式に融け込むことによってのみ存在を許されていると言ってよいだろう。厳密に言って、それは内容ではない。歌は瞬間の白刃に截り取られたこころの形であり、一語一語にあらわれる心の動きは、ただ、かたちを析出するためにだけ三十一文字を流れていく。
もしかすると啄木は、いつもデエモンを凝視めながら生きていたのかもしれない。私たちは啄木という媒体を通して、その見えない貌を見、語られない言葉を聞いているのだろう。(…)彼はデエモンを祓うために歌うのであり、その容貌を見せるためにではなく、むしろ見せないために歌う。

ひたすら重たくて暗い小説である。そこがいい。

内容は全く違うけれど、同じく青春小説である柴田翔『されどわれらが日々―』を思い出した。

2022年9月20日、河出文庫、990円。

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2023年05月18日

永田紅歌集『いま二センチ』


2012年から2015年までの作品488首を収めた第5歌集。
タイトルからもわかるように、妊娠・出産・子育てに関する歌が中心となっている。

重ねれば重ねるほどに白くなる光は春に体積をもつ
くしゃみしてそれまで食べていたことを忘れた猫のおばあさんなり
こないだのことよと言えばこないだは十年昔となりて離(か)れゆく
隣家の屋根わたりゆくわが猫の仕事の量をわたしは知らず
横向きに鏡に映す 身籠りし女たれもが見つめし形
ムーニーはパンパースより柔らかくメリーズより可愛くグーンより安し
一年にひとつずつしか大きくはなれぬ子どもと鴨を見ており
乳くさき子と乳くさき我は見る日射しのなかの鳩の食欲
半券を取り置く人と捨つる人記憶はいずれに濃きものならむ
早春の松山城のお堀の木おそろしきまでヤドリギ宿る

1首目、光の三原色は混ぜると白くなる。春は光が満ち溢れている。
2首目、だいぶ年老いて動きも鈍くなった猫。人間のようでもある。
3首目、年を重ねると「こないだ」の時間が次第に長くなっていく。
4首目、一歩家から外へ出れば、猫には猫の生活や社会があるのだ。
5首目、お腹の膨らみを確認する。子を産んだ無数の母たちを思う。
6首目、紙おむつを使うようになって、メーカーごとの違いを知る。
7首目、早送りで成長したりはしない。成人まででも18年かかる。
8首目、母乳でつながる母子。乳くささは動物的な命の実感である。
9首目、何も残さない人の方がかえって深く覚えている場合もある。
10首目、「おそろしきまで」がポイント。結句もユーモアがある。

2023年3月1日、砂子屋書房、3000円。

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2023年05月17日

永井荷風『濹東綺譚』


舞台はかつて私娼窟のあった玉の井。題名の通り、隅田川の東側、現在の墨田区東向島のあたりである。

小説の構造が変っていて、主人公の小説家大江匡が取材で玉の井を訪れ、元英語教師の種田順平が主人公の小説『失踪』を書く。つまり、永井荷風―大江匡―種田順平という三重構造になっているのだ。

しかも、巻末には荷風の「作後贅言」という32ページの長さの後記が付いている。小説と後記をあわせて、どこまでが実体験で、どこからが小説なのか、迷宮のようにわからなくなってくる。

小説をつくる場合、わたくしの最も興を催すのは、作中人物の生活及び事件が開展する場所の選択と、その描写とである。

とあるように(この「わたくし」は荷風ではなく大江匡であるが)、小説の中心は玉の井という場所と、そこに暮らすお雪という女性の暮らしである。舞台は私娼窟であるが、品の良い作品となっている。

最後に、「作後贅言」からアイスコーヒーに関する話を引こう。

銀座通のカフェーで夏になって熱い茶と珈琲とをつくる店は殆どない。西洋料理店の中でも熱い珈琲をつくらない店さえある。紅茶と珈琲とはその味(あじわい)の半は香気にあるので、もし氷で冷却すれば香気は全く消失せてしまう。しかるに現代の東京人は冷却して香気のないものでなければこれを口にしない。

なるほど、荷風は夏でもホットを飲んでいたのか。

1947年12月25日第1刷、2020年11月16日第86刷。
岩波文庫、540円。

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2023年05月16日

別邸歌会のご案内

関西各地のレトロな建物で、2か月に1回、歌会を開いています。
初心者からベテランまで、どなたでも参加できる歌会です。


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・6月25日(日) 結水荘(兵庫県神戸市)
・8月11日(祝) 中宇治BASE(京都府宇治市)
・10月21日(土) SATSUKI-RO さつき楼(滋賀県八日市市)

ご興味のある方は、ぜひ一度お越しください。

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2023年05月15日

半田へ(その4)

新美南吉を探して雁宿(かりやど)公園へ。


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「貝殻」詩碑。

1961(昭和36)年建立。数多くある南吉の文学碑のうち、最も古いものである。貝殻とアーク灯を組み合わせた形になっている。


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モニュメントには詩の一節「かなしいときは貝殻鳴らそ…」が刻まれている。


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明治天皇半田大本営。

1890年(明治23)年に陸海軍大演習を統監するため、明治天皇が半田に来た時に宿泊した建物。元は「國盛 酒の文化館」の場所にあったのを移築している。


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明治天皇駐蹕碑。

「駐蹕」(ちゅうひつ)は天皇専用の言葉で、「天子の行幸中、一時のりものをとどめること」。標高約40メートルのこの地で、明治天皇は演習をご覧になったらしい。

それを記念して、没後の1913(大正2)年に雁宿公園が整備され、この碑も建てられた。だから、この碑が公園の中心になっている。


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展望台から見た雁宿公園の中心部。


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同じく展望台から見た半田の町並み。遠くに海も見える。


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JR半田駅前にある蒸気機関車C11形265号機。

周辺は現在高架工事中だが、将来的には駅前に明治期の跨線橋や油庫などの鉄道産業遺産を保存する公園ができるらしい。

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2023年05月14日

半田へ(その3)


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半田市のキャッチフレーズは「山車・蔵・南吉・赤レンガの街」。
「ごんぎつね」などで知られる新美南吉(1913‐1943)は、ここ半田に生まれ育った。


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「ひよめのうた」碑。
宿泊したホテル近くの宮池という池のほとりに立っていた。


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南吉の生家(復元)。

通りに面した部分は平屋に見えるが、奥は二階建。父の畳屋と継母の下駄屋も兼ねている。


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矢勝川(やかちがわ)。

兵十がうなぎを捕った舞台になった川。秋になると堤に300万本の彼岸花が咲くらしい。


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新美南吉記念館。

芝生に覆われた曲線が印象的な半地下式の建物が素晴らしい。展示にも工夫があり、直筆の原稿、書簡、ミニチュア、映像などが充実している。


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「権狐草稿」碑。

記念館に隣接する「童話の森」の中にある。南吉の書いた「権狐」は、かなりの改変を経て「ごんぎつね」になった。


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北谷墓地にある南吉の墓。
29歳の若さで亡くなった新美南吉は、今年で生誕110年を迎える。

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繁延あづさ『ニワトリと卵と、息子の思春期』


「婦人之友」2018年7月号、2020年3月号、6月号に掲載された記事をまとめたエッセイ&ノンフィクション。

3人の子を育てる著者は、ニワトリを飼う計画を実行に移す長男に戸惑いつつも、次第にニワトリのいる生活になじんでいく。子育てや家族をめぐる問題に悩み、食べることや肉について考える日々。

子どもたちそれぞれに、大事なこと、必要なことがあって、彼らの生きている時間は彼らのもので、親といえども侵してはならない一線があること。わかっていたつもりだった。けれど、その一線は目に見えるわけじゃない。互いに違うところに線をひいている。
スーパーで買う卵ならあまり気にならないのに、うちのニワトリには無農薬の飼料を与えたいと思う。この心境の違いは何だろう。そもそもスーパーで見えるのは、現物としての卵と値段という数字だけ。
養う≠ニいうことには、お金≠ニ権限≠ェ付随する。お金≠ニ権限=Bどちらも子どもが太刀打ちできない力であり、親元で彼らを自由にさせない力である。だから、長男はそうした空気が家の中でまかり通るのを許さないとばかりに、猛然と立ち向かってくる。〈言葉〉を武器に。

親子の協力する姿とともに、激しい相克の様子もありのままに描かれている。ニワトリを飼ったことはないけれど、親子関係については思い当たることや教えられることがとても多かった。

2021年11月30日、婦人之友社、1450円。

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2023年05月13日

講座「こんな短歌があるなんて!」

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7月2日(日)に大阪の毎日文化センターで「こんな短歌があるなんて!」と題する講座を行います。時間は14:00〜15:30の90分。

昭和から令和までの歌の歴史を振り返りつつ、大幅な字余りや字足らず、破調、自由律などの「異形の歌」の数々をご紹介します。その上で、短歌とは何か、定型とは何かについて、皆さんと一緒に考えたいと思います。

https://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/43916

教室受講とオンライン受講の併用講座です。
ご興味のある方は、ぜひご参加ください!

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2023年05月12日

半田へ(その2)


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重要文化財の旧中埜家住宅。

1911(明治44)年に別荘として建てられたもの。木造2階建て、スレート葺き。今回は外観を見ただけだが、年に数回、内部も公開されている。


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歩いている途中に見かけた「唐子組」の山車の収蔵庫。
半田には市内10地区に計31輌の山車がある。

春に地区ごとの祭りが開かれるほか、5年に一度の「はんだ山車まつり」では31輌が勢揃いするとのこと。次回は今年の10月28、29日。
https://handa-dashimatsuri.jp/


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半田赤レンガ建物。

1898(明治31)年に「カブトビール」の製造工場として建てられたもの。設計は妻木頼黄。サッポロ(札幌)、ヱビス(東京)、キリン(横浜)、アサヒ(大阪)の4大ビールに割って入ろうとした意気込みが伝わる。


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常設展示の入場料(200円)を払うと、スタッフの方がガイドをしてくださった。とても行き届いた説明で、一人では見逃していたポイントをいくつも教えていただいた。


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夕暮れの赤レンガ建物。

戦後は外壁を白く塗られた状態で食品工場として使われていた。平成になって解体される途中で半田市に買い上げられ、耐震工事や復元整備を経て、現在このように公開されている。

建物が残って、ほんとうに良かった。

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2023年05月11日

半田へ(その1)

愛知県半田市は、以前から一度訪れたいと思っていた町。
https://matsutanka.seesaa.net/article/483908963.html
ようやく都合がついて行くことができた。

最寄りのJR藤森駅を5:37に出る始発に乗って、京都、米原、大府で乗り換え、9:19半田駅に到着。新幹線を使わなかったので、片道3時間40分ほどかかった。


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10:00に予約していたMIZKAN MUSEUM(ミツカンミュージアム)を見学する。ミツカングループが運営する醸造酢に関する博物館。コロナ禍で長く休館が続いていたので、再開が嬉しい。

江戸時代に高価な米酢の代わりに酒粕を用いた酢を作って儲けたらしい。それが江戸の寿司の流行につながったのだとか。なるほど。

半田から江戸まで酢の樽を運んだ弁才船も館内に復元されていて、迫力がある。もちろん、酢の歴史だけでなく、ミツカンの酢や味ぽん、「おむすび山」「金のつぶ」などの商品の展示もあり、まさに現代的な企業ミュージアムという感じだ。


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ミュージアムの脇を通る半田運河。
右手に数百メートル行くと、もう海である。
対岸にもミツカングループの建物がならんでいる。


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続いて「國盛 酒の文化館」へ。
中埜酒造株式会社の運営するお酒の博物館。


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酒造りの道具などの他に、河東碧梧桐の書が展示されていた。

書家としても人気なだけあって、独特な存在感のある文字だ。日本酒「國盛」(くにざかり)のラベルにも、この字が使われている。
https://www.nakanoshuzou.jp/product/detail/00132/


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昨年重要文化財に指定された小栗家住宅(萬三商店)。
今も現役の住宅として使われていて、内部は非公開となっている。

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2023年05月10日

田上孝一『はじめての動物倫理学』


動物倫理学の立場から、動物福祉、肉食、動物実験、動物園や水族館、狩猟、ペットの飼育、動物性愛といったさまざまな問題について考察した本。

倫理学の初歩から始まって、応用倫理学としての動物倫理学の歴史や考え方、人間中心主義の問題点など、順序立ててわかりやすく解説している。

現代において倫理的な問題となる動物としては、馬の重要度は低い。(…)ところがかつては馬こそが最も身近にあり、かつその扱いに深刻な倫理的問題があると広く意識されていた動物だった。
ルイス・ゴンぺルツの名は今日、動物擁護者や元祖ビーガンというよりも、一般には発明家として知られている。しかし彼が自転車を発明したのは、それによって動物を救うためだったという真相はほとんど知られていない。
(…)人種差別批判自体が悠久の歴史を持つ人類史に普遍的な価値ではなく、最近までの歴史過程によって勝ち取ってきた成果だということである。ならば種差別批判がおかしいという感覚も、それは今現在の遅れた権利意識であり、すぐには無理でもやがては常識化する可能性がないとはいえないだろう。
現在のブロイラーは極限的な品種改良によって驚くべき速度で急激に肥大化し、信じられないほど早く出荷できるようになっている。孵化から実に二月と経たずに成長のピークに達し、食肉加工されてゆくのである。

私は肉食もするし動物園も好きで、本書の主張に沿った生活はほとんどしていない。それでも、動物倫理学の考え方を知っておくのは大切なことだと感じた。今後、避けては通れない問題だろう。

2021年3月22日、集英社新書、880円。

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2023年05月09日

『歴史で読む国学』の続き

備忘のために印象に残った箇所を引いておく。

十七世紀には武家や町人など、公家ではない人々が歌人となり、独自の歌壇を形成していった。いわゆる地下歌人による地下歌壇の確立である。地下歌人にはいくつかの流れがあったが、そのなかでも大きな勢力となったのが、細川幽斎から歌学の教えを受け、古今伝授を授けられた松永貞徳(一五七一〜一六五四)の門流であり、貞徳門流を中心に、地下歌人のあいだでも地下伝授と呼ばれる古今伝授が行われた。
近世は身分階層社会であり、女中も当時の男社会と同様であった。上級の女中は多くは武家、一部は京都の公家や社家などの出身であり、炊事、掃除、風呂焚きなどは絶対にせず、それらは町人・農民階層出身の女中の仕事であった。上級女中の主たる仕事は、大名・旗本の妻女の、いわゆるお相手、お世話をするのがその任であった。
真淵没後、県門は歌論・歌学上の観点から、晩年の真淵の理想を継承して『万葉集』を重んじた万葉派、『新古今和歌集』を理想としつつ今体と古体との詠み分けの立場をとる伊勢派(本居派)、過度な尚古主義とは一定の距離を置いたうえで『古今和歌集』を含む三代集を規範とし、詠者の作為を排した真情と詠歌の雅趣とを追求した江戸派とに分岐したとされる。
天皇と国学の関係を示すものとして御歌所がある。明治四(一八七一)年一月、福羽美静が歌道御用掛に任ぜられ、以降、八田知紀や本居豊頴、近藤芳樹、高崎正風等が宮中へと登用される。歌道御用掛は、一八七六(明治九)年に「皇学」と「歌道」を担当する文学御用掛へと改称され(一八八六年に廃止)、一八八八(明治二十一)年の御歌所設置へとつながっていった。
義象らによる『国学和歌改良論』を皮切りに、明治二十年代以降、国学やその周辺領域がさまざまな展開を見せていった。(…)古典講習科で学んだ落合直文(一八六一〜一九〇三)は平田派が軽視した歌会を重視すべきなどと述べ歌学革新を志し、佐佐木信綱は『万葉集』の研究と普及に尽力した。

他にも引きたい箇所がたくさんあるのだけれど、とりあえずこれくらいにしておこう。和歌・短歌の歴史を考えるには、まず国学を知らないと始まらないようだ。

2022年3月20日、ぺりかん社、2200円。

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2023年05月08日

國學院大學日本文化研究所編『歴史で読む国学』

著者 :
ぺりかん社
発売日 : 2022-03-11

「第一章 元禄期」から始まって「第十三章 明治後期〜現在」まで、国学の展開を通史的に記した概説書。一般向けに理解しやすく書かれていて、ありがたい。

短歌をやるなら国学を知らないと、というわけで、これから少し国学関連の本を読んでいきたいと思う。知らないことがたくさんある。

国学とは近世中期に発生した、後世の文献や外国の思想に依拠することなく、日本古典の文献実証を行い、それを通じて古代の文化を解明しようとする新たな研究方法による学問である。

「国学」と一口に言っても実に幅広い。言語、文学、和歌、歴史、宗教、神道、法律、有職故実、政治、天文、暦学、地理、民俗など、多くの分野に及んでいる。今で言うJapanology(日本学)のようなものだ。

彼ら(国学四大人)はいずれも、自らの学問に「和学」や「古学」「皇国学」「本教学」などの名称を用いており、近世期には一定した名称はない。国学の語が定着するのは近代の一八八〇年代以降のこととなる。

「国学」の始まりは近世であるが、「国学」という名前は近代のもの。つまり、国学は純粋な学問であるとともに、明治の近代国家形成とも密接不可分な関わりを持っている。そのあたりが、少し近寄りにくい点でもあるのだろう。

契沖、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤をはじめ、おそらく200〜300名くらいの人物の名前が登場する。その昔、古典や日本史、倫理などで習ったかすかな記憶が甦ってきて、何だか懐かしい気分になった。

2022年3月20日、ぺりかん社、2200円。

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2023年05月07日

尾崎左永子『自伝的短歌論』

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雑誌「星座―歌とことば」67号(2013年秋)から82号(2017年夏)まで連載された文章をまとめたもの。毎回添えられている本人の自筆イラストが、かわいくて良い味を出している。

タイトルの通り、著者の自伝であり、また歌論である。生い立ち、戦時中の暮らし、放送業界での仕事、青年歌人会議の活動、アメリカでの生活といった話と、短歌の型や声調、息遣いなどに関する論が含まれている。

なにしろ大人数、大家族の時代で、少し関わりのある縁戚、紹介されて来た人、そういう人たちを抱えて、家族同然に暮らすのが、当時の東京山手の邸の、当り前の生活だった。
(『さるびあ街』について)この命名はしかし、佐藤先生の激怒を買った。「何だ、この『モルグ街の殺人』みたいな題は」そうでなくても無口で、一語一語に重量感のある佐太郎の一喝。首を縮めたが、私はひるまなかった。
良い歌なら、つっかえないで読み下せるはずなのである。もし言いにくいところがあれば、それを眼で読む読者側の頭や心には、完全な形で映すことは不可能、ということになる。
現代では、「歌」は目で読む、つまり黙読するものと思い込んでいる人がかなり多いが、歌が生まれたら、小声でもよいから「音声」に出してみると、歌作の良否がはっきり判るもの、という事実を、一度はっきり認識するべきであろう。

佐藤佐太郎、中井英夫、木俣修、寺山修司、大西民子、北沢郁子、富小路禎子、馬場あき子たちとの交流も書かれていて、戦後短歌史の貴重な記録になっている。

2019年6月3日、砂子屋書房、2500円。

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2023年05月06日

菅原院天満宮

京都市上京区にある菅原院天満宮神社へ行く。


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地下鉄の丸太町駅から北へ徒歩数分のところ。
通称「烏丸の天神さん」。


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入口の門の提灯には「菅原道真公御生誕地」とある。

かつて菅原清公(きよきみ)・是善(これよし)・道真の三代の邸宅「菅原院」のあった場所とのこと。


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「菅公御初湯の井」の石碑。
右の奥の方に見えるのが、その井戸である。


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特に説明がなければ、ただの井戸という感じだ。


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詳しい説明版も立っている。
この井戸から汲まれた水が産湯に使われたというわけだ。


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「うつくしや紅の色なる梅の花 阿呼が顔にもつけたくぞある」

道真が5歳の時に詠んだと伝えられる和歌。
「阿呼」(あこ)というのは道真の幼名らしい。


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いよいよ目当ての石碑へ。
境内が広くないので、今回はすぐに見つかった。

正面には「聖跡廿五拝」「第壹番」「菅原院天満宮寶前」とある。


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側面は「願主 松浦武四郎」「世話人 畑増尾」。

松浦武四郎! 会えて嬉しい。

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2023年05月05日

森達也『集団に流されず個人として生きるには』


従来の新聞やテレビに加えて、ネットやSNSという圧倒的なメディアが生まれた今、私たちは溢れる情報から何を選び取ればいいのか。

誰もがメディア・リテラシーを身につけるとともに、個人として主体的に生きていくことがますます大切になってきている。

メディア関係者の多くは、内心は明確な規制がないことを怖れている。規制が欲しくなる。だって規制の内側にいれば安全なのだ。
なぜ日本人は集団と相性がいいのか。規律正しいのか。マスゲームなど団体行動が得意なのか。世間とは何なのか。試合終了後にみんなでゴミを拾うのか。こうした考察は、日本人とは何かを考えることときっと重複する。
もしもあなたが、サッカーが大好きならば、ネットやSNSを見ながら、世界中の人はサッカーが大好きなのだと、いつのまにか思ってしまう。だからサッカーにまったく興味がないという人に会ってびっくりする。こんな人がいるのかと。いるよ。たくさんいる。SNSをフィルターにしてあなたの視界に入っていなかっただけだ。
容疑者はメディアが使う言葉だ。司法の場では容疑者ではなく被疑者という言葉を使う。どちらも同じ意味だ。正式には被疑者だが、言葉で発音したときに被疑者と被害者は混同しやすいとの理由で、メディアは容疑者とアナウンスする。
「我々」や集団の名称を主語にせず、「私」や「僕」などの主語を意識的に使うこと。たったこれだけでも述語は変わる。変わった述語は自分にフィードバックする。

青少年向けにわかりやすく書かれた本だが、著者の主張や危機意識は十分に伝わってくる。現代の日本社会において集団に流されず個人として生きるのは、とても難しい。

2023年3月10日、ちくまプリマ―新書、840円。

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2023年05月04日

やまだ紫『しんきらり』


初出は「ガロ」1981年2・3月合併号〜1984年10月号。

青林堂から刊行された単行本『しんきらり』(1982年)と『続しんきらり』(1984年)をあわせて文庫化したもの。

会社勤めの夫と二人の娘を持つ主婦の日常を描いたマンガ。40年前の作品であるが、時代を超える力を持った名作だ。

巻頭に河野裕子の自選歌集『燦』(1980年)から「菜の花」9首が引かれている。

しんきらりと鬼は見たりし紫の花の間(あはひ)に蒼きにんげんの耳
夕闇はげんげ畑より拡がりて鬼ゐる菜畑なかなか昏れぬ
菜の花に首まで隠れて鬼はひとり 菜の花に跼みて待ちゐてひとり

元は第2歌集『ひるがほ』(1976年)収録の連作「菜の花」15首より。タイトルの「しんきらり」もこの1首目から取られている。

2023年4月20日、光文社文庫、800円。

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2023年05月03日

映画「午前4時にパリの夜は明ける」

監督:ミカエル・アース
出演:シャルロット・ゲンズブール、キト・レイヨン=リシュテル、ノエ・アビタ、メーガン・ノーサム、エマニュエル・べアールほか

舞台は1980年代のパリ。深夜のラジオ番組に人気があった時代だ。

主演のシャルロット・ゲンズブールは51歳で私と同世代。円熟味の増した演技が良かった。学生の頃に「なまいきシャルロット」を見たのが懐かしい。

111分、アップリンク京都。

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菅原百合絵歌集『たましひの薄衣』


「心の花」の作者の第1歌集。333首。

文語旧かなの伝統的な言葉遣いと知的なモチーフの組み合わせが美しく、修辞的な完成度が高い。

山わたる風を恋ほしみevianのボトルは夜の卓を澄みゆく
午前から午後へとわたす幻の橋ありて日に一度踏み越す
〈先生〉と胸に呼ぶ時ただひとり思ふ人ゐて長く会はざる
スプーンの横にフォークを並べやり銀のしづかなつがひとなせり
一生は長き風葬 夕光(ゆふかげ)を曳きてあかるき樹下帰りきぬ
寡黙なるひとと歩めば川音はかすかなり日傘透かして届く
聖堂の扉重たくあへぐまで体軀を寄せて押しひらきたり
モネの描く池に小舟はすてられて水面に影を落としゐるのみ
ツリーなりし樅の木あまた捨てられてほそき枝葉を天へ尖らす
眠りから醒まさぬやうに爪立ちて稀覯書匿(かく)す森へ踏み入る

1首目、フランス産のミネラルウォーター。水源地を懐かしむのか。
2首目、何もない正午の区切りを「幻の橋」と捉えたのが印象的だ。
3首目、肩書きや敬称としての先生ではなく、師としての〈先生〉。
4首目、別に生き物でもないのに、並ぶと何だか番いみたいになる。
5首目、初二句が箴言のようだ。長い時間かけて自然に還っていく。
6首目、相手の寡黙さが強く感じられる。二人の間にある心の距離。
7首目、昔ながらの聖堂の重く頑丈な扉。「体軀を寄せて」がいい。
8首目、捨てられたまま朽ちることなく、いつまでも絵の中にある。
9首目、残骸となったクリスマスツリー。届かなかった願いみたい。
10首目、薄暗くひっそりした雰囲気の書庫。「森」の比喩がいい。

作者はフランス文学の研究者。歌集の冒頭や連作の初めに、シラー、モーリス・ブランショ、ミラン・クンデラ、ボードレール、シェイクスピアなど、多くの海外作品がエピグラフとして引かれている。

2023年2月20日、書肆侃侃房、2000円。

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2023年05月02日

近江八幡(その2)

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旧伴家住宅のある新町通り。
古い町並みが続いている。


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白雲館。

明治10年に八幡東小学校として建てられ、現在は観光案内所や市民ギャラリーとして使われている。玄関の上に唐破風があり、屋根には太鼓楼が載る擬洋風建築。


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時代劇の撮影などでも使われる八幡堀。
時おり堀めぐりの舟が通っていく。


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ロープウェーで八幡山(272m)にのぼると、眼下に琵琶湖が広がっている。何とも気持ちのいい風景だ。

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2023年05月01日

近江八幡(その1)

先日、フレンテ歌会のメンバー6名で近江八幡へ吟行に行った。


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旧伴家住宅。

江戸時代の豪商「伴庄右衛門」の本家として、1827年から1840年にかけて建てられた商家。三階建ての大きな建物で、明治以降は役場や小学校、図書館などに使われ、2004年から一般公開されている。


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入口の土間の奥にある吹き抜け。

3階の屋根裏まで続いていて、煙出し部分の明かりが見える。


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2階の45畳の大広間。

蚊帳の縫製などが行われていたらしい。窓の上には長さ14メートルの赤松の梁がある。


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3月に行われる左義長まつりの山車。

毎年干支にちなんだ飾りが、食べ物を使って作られる。兎の毛は「春雨」、法被は「寒天」、鯉は「スルメ」、波は「玉ねぎの皮」でできている。手の込んだ力作だ。

posted by 松村正直 at 20:27| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする