2023年03月31日

雑詠(025)

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起き抜けの朝の大気の冷たさに今日一段と視力よくなる
とうめいな赤いシートを重ね読む高校生あり令和の世にも
真ん中のサイズですねと聞かれたり大中小にすればいいのに
木造のふるき家屋の庭先に赤の下着を干しているひと
あいにくと常に言われてかなしきを雨あざやかに桜を濡らす
暇つぶしに環状線に乗っている人に気づきぬ一回りして
曲り道のガードレールのまっさらな白さただちに崖へと続く

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2023年03月30日

さいたさいた

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昨年、カルチャー講座の生徒さんからチューリップの球根を一袋(5個)いただいた。春になってベランダにきれいな花を咲かせている。


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富山県産のチューリップ。
このところ少し花の美しさがわかるようになってきた気がする。

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2023年03月29日

映画「メグレと若い女の死」

監督・脚本:パトリス・ルコント
原作:ジョルジュ・シムノン
出演:ジェラール・ドパルデュー、ジャド・ラベスト、メラニー・ベルニエ、オーロール・クレマンほか

舞台は1953年のパリ。ドレスを着た身元不明の若い女性の死体が発見され、メグレ警視が事件の謎を追う。

憧れの都市を目指して地方から若者が集まってくるのは、どこの国でも同じことなのだろう。そんな若者たちに老年を迎えたメグレがやさしく寄り添う姿が印象的だ。

京都シネマ、89分。

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2023年03月28日

オンライントライアル講座

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4月7日(金)19:30〜20:30、小島なおさんと一緒にNHK学園のオンライントライアル講座(無料!)を行います。現在、参加申込み受付中です。

https://college.coeteco.jp/live/5j0ycdww

Zoomを使うのは初めてという方や、オンライン講座の雰囲気を体験したい方など、ぜひご参加いただければと思います。質疑応答の時間も設けますので、何でもお気軽にお尋ねください。

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2023年03月27日

紀伊風土記の丘

和歌山市にある「紀伊風土記の丘」に行ってきた。


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JR和歌山駅からバスで約20分。
ただし、バスの本数は少ない。


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月曜日だということをすっかり忘れていて、肝心の資料館は休館。
何をやっているんだか。

でも、園内の桜が見事で、子どもからお年寄りまで大勢の人が花見に訪れていた。天気もよく、絶好の花見日和。


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園内には移築された建造物もある。
これは、重要文化財の「旧柳川家住宅・同前蔵」。


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こちらは復元された古墳時代の竪穴式住居。


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圧巻なのは「岩橋千塚古墳群」。
5~7世紀の古墳が園内に約500基、園外も含めると約900基も集まっている。見応えあり。


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「万葉植物園」もあって、見どころの多い場所だ。
広い園内を歩き回るだけでけっこうな運動になる。

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2023年03月26日

永田淳歌集『光の鱗』

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2015年から2021年までの作品445首を収めた第4歌集。
https://saku-pub.com/books/hikarinouroko.html

保育園は卒園式後も行くところ十八人が休まずに来る
わが髪に指かきいれてくちづけき 日本海溝葉桜の頃
水張田のおもてわずかにめくりつつ濃尾平野に黒南風は吹く
両脇にふたつ旋風(つむじ)をうみながら暁方(あけがた)の空を高くゆく鳥
夜ごと夜ごとシマフクロウの巡りいむ鼠径部の辺の喬木の梢
紅しとも蒼しとも見ゆ 高瀬川の桜は夜に侵されてゆく
噴水を万年と訳したる功の万年筆の黒き手触り
桟橋を離れてゆかぬ懐かしさターナーの水面に小舟の浮かぶ
雨脚のふときに支えられながら雲くろぐろと盆地を覆う
春の夜を震えて咲(ひら)くマグノリア 祈りは常に形をなさず

1首目、卒園式が済んでも親の仕事が休みになるわけではないから。
2首目、上句から下句への飛躍がいい。深い海の底の暗さと季節感。
3首目、「めくりつつ」という動詞の選びが印象的。風景が大きい。
4首目、羽ばたきが空気の渦を生むメカニズムを思いつつ見上げる。
5首目、性的なイメージだろう。夜行性で鼠を食べるシマフクロウ。
6首目、京都の繁華街。照明やネオンに照らされた妖しげな美しさ。
7首目、英語ではfountain pen。「万年」は永遠のような感じか。
8首目、絵の中の水辺の風景が、今にも動き出しそうに感じられる。
9首目、雲から雨と見るのでなく雨から雲と反転させて捉え直した。
10首目、強い祈りを感じる。両手を合わせた形のようなモクレン。

2023年2月4日、朔出版、3000円。

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佐々木央『ルポ動物園』


2008年から共同通信で「生きもの大好き」の連載を750回にわたって続けている著者が、動物園や水族館について記した本。全国各地を訪れて飼育担当者の話を聞き、歴史や現状、今後の課題について考察している。

アニマルウェルフェア(動物の福祉)、アニマルライツ(動物の権利)、環境エンリッチメント、生息環境展示、野生動物保護など、近年さまざまな観点から動物園の問題が指摘されるようになっている。

たとえば、ゾウは群れで暮らす動物だから、単独のオスメスのペアだけで飼うことは許されない。いま一頭か二頭だけで飼育している動物園は、それらの個体が死んだらゾウの飼育を諦めるか、現状よりはるかに広い土地と屋内施設を用意しなくてはならない。

動物園はこれからどのような道を進むべきなのか。人間と動物はどのような関係を結ぶことができるのか。いつかまた動物園に行って、ゆっくりと考えてみたい。

2022年11月10日、ちくま新書、940円。

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2023年03月24日

結社をめぐって

結社に関する文章を2つ、BOOTHで公開しました。

2013年と2014年に書いたものなので少し古いですが、基本的な考えは変わりません。

・エッセイ「タテからヨコへ」
https://masanao-m.booth.pm/items/4639410
・評論「高齢社会と結社」
https://masanao-m.booth.pm/items/4639401

私は結社を退会しましたが、今でも結社が好きです。近代以降、結社というシステムの果たしてきた役割はとても大きかったと思いますし、今後も新たな可能性を持っていると考えています。

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2023年03月23日

連想

短歌を読んでいると、別の歌や句が思い浮かぶことがある。
別に影響うんぬんではなく、「似ている」ことはそれだけで面白い。

入れものが無い両手で受ける
          尾崎放哉『大空』

手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る
          山崎方代『右左口』
新しきからだを欲しと思ひけり、
 手術の傷の
 痕を撫でつつ。
          石川啄木『悲しき玩具』

病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ
          河野裕子『母系』

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2023年03月22日

『ことば事始め』(その2)

今年に入って、池内紀が高校時代に短歌をやっていたことを知った。『ことば事始め』にも、その話が出てくる。高校の司書が歌人であったらしい。

あとで知ったのだが、その人は当地で歌人として知られた人だった。短歌雑誌を主宰している。戦争で夫を亡くして、高校の司書になった。

最初に読んだのは、石川啄木の歌集である。

とはいえ高校生には、歌人には何の関心もなかった。ただ啄木が気に入った。暗記するほど読んだ。チンプンカンプンの数学の時間は、啄木短歌を思い出していた。

そして「読むだけでなくつくってみたら」と司書にすすめられて、短歌を詠み始める。

一年あまりして短歌の腕はかなり上がっていたのだろう。短歌雑誌にチラホラ掲載されるようになった。同人誌から誘いを受けた。

けれども、その後、大学入試が迫ってきたこともあり池内は短歌から離れる。「気がつくと歌稿ノートは満パイだったが、つくる気持ちはうすれていた」というのが大きな理由だったようだ。

posted by 松村正直 at 12:27| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月21日

映画「四畳半タイムマシンブルース」

原作:森見登美彦、上田誠(原案)
監督:夏目真悟
脚本:上田誠
キャラクター原案:中村佑介

森見登美彦の小説『四畳半神話大系』の上田誠の戯曲『サマータイムマシーン・ブルース』のコラボ作品のアニメ化。成り立ちは少し複雑だが、別に何の知識も前提も必要とせずに楽しめる作品に仕上がっている。

京都の出町柳周辺が舞台になっている映画を「出町座」で観るのは、味わい深いことだ。昨年12月からロングランが続いていて、大学生らしい若者を中心に多くの客で賑わっていた。

出町座、92分。
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2023年03月20日

池内紀『ことば事始め』(その1)


「せせる」「ピンはね」「三角乗り」「おためごかし」「やにさがる」など、俗な言葉や懐かしい言葉、不思議な言い回しを取り上げ、辞書で意味を再確認しつつ軽妙に論じるエッセイ集。

亜紀書房のウェブマガジン「あき地」に2017年2月〜2018年8月にかけて連載した文章に、書き下ろしなどを加えてまとめている。

教師をつづけるうちにわかってきたが、はしっこいのは二十代、三十代の前半あたりまでは活躍する。気の利いた論文を書く。だが、そのうち音沙汰なくなって、どこにいるのかもわからない。
米ぬかは江戸時代には、いたって高価なものだった。米そのものが日常の食として、そうそう口にできないし、ぬかは精米でしかとれない。玄米食がふつうであったことを考えると、想像のつかないほど米ぬかは貴重なものだった。
酒好きの方は、これまたご承知だろうが、酒は少し過ぎるころあいがいちばんうまい。身体と酒が一体となり、両者の区別がつかないといった感じ。やや飲み過ぎはわかっているのに、まさにその峠を越したあたりが、とくに味わい深く、楽しくてしかたがない。

以前にも書いたが、池内さんは私の大学時代の先生である。アーチェリーばかりやっていて真面目にドイツ文学には取り組まなかったけれど、もともと池内さん目当てに大学を選んだのだった。

私は手書きである。紙にペンで書く。編集者によると、もはや圧倒的少数派であって、百人に一人もいないらしい。(…)パソコンでは直し、入れ替え、自由自在だというが、別にどうとも思わない。直さないのが、もっとも自由だろうと考えている。

ほんとうに自由な人だったなと思う。それは「百人に一人もいない」ことを意に介さない姿勢ともつながっている。

2019年6月21日、亜紀書房、1600円。

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2023年03月19日

松本典子歌集『せかいの影絵』

著者 : 松本典子
短歌研究社
発売日 : 2023-02-01

2017年から2022年までの作品387首を収めた第4歌集。

コロナ禍やウクライナ侵攻などの社会詠と、2020年に亡くなった俳優の三浦春馬や癌で亡くなった妹の挽歌など重いテーマの歌が多い。

秋はいつも直滑降でやつて来るゆびのさき朝の水がつめたい
  難民としてドイツへ
床に皿をならべ片膝を立てながらヤズディは食むドイツへ来ても
スケボーで跳べば影さへ地をはなれ逆光にきみの黒きシルエット
髪を洗ひ背なかを流してもらふため〈要支援2〉を母はよろこぶ
桜丸に来る日も来る日も詰め腹を切らせて千秋楽のにぎはひ
STAY HOMEの呼びかけに取り残されつ春雷に家を持たぬ人たち
だってほらshowとsnowは綴りまで似ててはかなく消えてしまふの
紙おむつの背なかに名前と電話番号書いて祈れりウクライナの母たち
あらがひがたく声は流れ去るものだつた蓄音機が世にあらはれるまで
いもうとの死を見つめそこにある眼鏡ついさつきまで掛けてゐたふうで

1首目、「直滑降」という比喩が印象的。唐突に訪れる秋の涼しさ。
2首目、故郷を追われても、身体に根差した生活習慣は変わらない。
3首目、光と影の対比が鮮やか。スケボーする人の躍動感が伝わる。
4首目、介護認定が下りると訪問入浴などのサービスが受けられる。
5首目、文楽「菅原伝授手習鑑」。実人生では一度しか死ねないが。
6首目、ネット難民やホームレスなど、家を持たない人も多くいる。
7首目、ショーの世界で生き雪のようにはかなく逝った人への思い。
8首目、万が一生き別れになった時のために書く。赤子は一番弱い。
9首目、声の本質は消えてしまうところにある。だからこそ美しい。
10首目、病室に残る眼鏡。妹の目や視線がまだあるように感じる。

2023年2月5日、短歌研究社、2200円。

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2023年03月18日

御礼

今日は朝日カルチャーセンターくずは教室で、「多様化する短歌の「今」」と題する90分の講座を行った。

教室とオンラインあわせて40名以上の参加があり、与謝野晶子や石川啄木を取り上げた時よりも多かった。ありがとうございます。

*短歌の世界に限らず、暮らしや社会のさまざまな場において変化が起きている。短歌における変化もそうした大きな流れの一つと捉えることができる。
*「わからない」歌を読むと、自分の読解力に不安を持ったり作品を否定したくなったりすることがあるが、他人の歌なのだからわからなくてむしろ当り前。
*自分の詠む歌については、あまり方向性を迷わずに信じた道を進むのがいい。でも、人の歌については、できるだけ幅広く受け入れて味わえた方が楽しい。

結論的な部分は、ざっとこんな感じ。

当り前の話だけれど、いろいろな短歌があっていい。ラーメンの好きな人もいれば、蕎麦が好きな人も、パスタが好きな人もいる。自分がラーメンが好きだからと言って、別に蕎麦やパスタを悪く言う必要はない。
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2023年03月17日

『温泉めぐり』(その3)

田山花袋は短歌(旧派和歌)もやっていた人で、紀行文のところどころに歌が出てくる。全部で二十数首ある。

玉くしけ箱根の山の朝日影雪はつもれど春めきにけり
この紙につきて行きませ戸隠(とがくし)の山に通へる路(みち)はこの路
紀の海の波よりも猶けはしきは熊野の奥の山路なりけり
はるばると二荒(ふたら)高原那須がねにふりつもりたる雪ぞさやけき
つてあらば都の人につげてまし今日白河の関は越えぬと

以前、「続・文学者の短歌」で柳田国男の短歌を取り上げたことがあるが、田山と柳田は同じ先生から和歌を教わる同門であった。柳田も紀行文に自作の短歌をよく載せている。

私の歌の師匠は、性は松浦、名は辰男、桂園派の直系で、景恒の門下、松波遊山翁はその友であった。

松浦辰男(1844‐1909)は「最後の桂園派歌人」とも呼ばれる人。「景恒」は香川景恒(1823‐1866)のことで、桂園派の祖香川景樹(1768‐1843)の子である。松波遊山(資之、1831‐1906)は香川景樹の弟子。柳田国男の兄の井上通泰は、この松波の門下であった。

旧派歌人の系譜について調べるといろいろ面白そうなのだけれど、残念ながら今ではあまり手軽に読むことができない。

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2023年03月16日

近作2点

「文藝春秋」4月号に「ラーメンと白鳥」7首を発表しました。文藝春秋電子版で読むことができます。
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h5674

また、日本現代詩歌文学館の「賢治に献ずる詩歌」にも短歌1首を寄せました。こちらも同館HPのウェブ展示室で読め、私の朗読を聞くこともできます。
https://www.shiikabun.jp/web_exhibition/1386.html

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2023年03月15日

講座「多様化する短歌の「今」」

今週の土曜日18日に朝日カルチャーくずは教室で、「多様化する短歌の「今」」という講座を行います。時間は13:00〜14:30。

この10年くらいの作品を読み解きながら、短歌の現状や今後について考えたいと思います。

教室(京阪「樟葉」駅すぐ)とオンライン、どちらでも受講できます。ご興味のある方はどうぞご参加ください。お待ちしております!

教室受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/67c99f87-f86e-4b10-d0c1-634df2cedadb

オンライン受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/248b082f-80a0-cf0e-6135-634df3ea2331

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2023年03月14日

『温泉めぐり』(その2)

母が山梨の身延町に住んでいた頃、鰍沢(かじかざわ)の町を何度か通ったことがある。北斎の富岳三十六景にも出てくる場所だが、今は寂れた雰囲気になっている。

https://matsutanka.seesaa.net/article/478452138.html

そもそも、どうして昔の鰍沢は栄えていたのだろうと思っていたのだが、『温泉めぐり』を読んでよくわかった。

この町(鰍沢)は特色ある町として挙げることが出来た。かつて甲府盆地の交通の中心であったところ、誰れも彼も東京に行くものは、この山裾の河港に来て、そこから富士川の川舟で、半日にして東海道の岩淵へ出て行ったところ、その時分は此処は賑やかであった。いろいろな色彩がそこにも此処にも巴渦(うず)を巻いていた。車馬の往来も絶える間もなかった。

要するに、富士川の河港として賑わった町であったのだ。それが舟運の衰退に伴って寂れていったのである。

従って昔は賑やかで、どんな時でも、あの瓜の皮のような舟が十艘や十五、六艘岸につないでないことはなかった河岸も、いまはすっかりさびれて、一軒残った茶店もあわれに、川はただ徒らに白く流れた。

まさに栄枯盛衰という感じである。舟や鉄道や自動車などの交通体系の変化は、全国各地の町を大きく変えてきたのだろう。

posted by 松村正直 at 21:13| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月13日

田山花袋『温泉めぐり』(その1)


底本は1926(大正15)年刊行の『改訂増補 温泉めぐり』。

北は青森から南は鹿児島まで、全国各地の温泉を訪れた紀行文。徒歩や汽車を中心とした明治・大正期の旅の様子や温泉宿の雰囲気が感じられて、すこぶる楽しい。

(箱根の姥子温泉)私は必要に応じて段々増築されたような浴舎を見た。また一つの卓、一つの寝台すら此処には不似合いに思われるような古い色の褪めた室を見た。湯殿に通う長い廊下の途中では、田舎家らしい囲炉裏、大きな黒猫のような鉄瓶、長く吊された自在鍵、折りくべて燃す度に火のぱっと燃上る榾、広い古びた台所には家族の人たちの大勢並んで飯を食っているさまを見た。
(日本アルプスの白骨温泉、中房温泉)こうした温泉では、食うものの贅沢は言うことは出来ない。また立派な居心地の好い室を望むことは出来ない。絹布の夜具も得ることは出来ない。まして脂粉の気に於てをやである。そこにいては、川でとれるかじか、岩魚に満足し、堅い豆腐に満足し、山独活、山百合、自然薯に満足し、時には馬鈴薯ばかりの菜で一日忍ばなければならないようなことがおりおりはあった。
それにつけても、急流を下る舟の舵の次第に少なくなったことを私は思わずにはいられない。天龍も、阿賀も、球磨も、最上も、すべてこの川(富士川)と同じように汽車が出来たために、その水路はすたれてしまった。朝早く残月を帯びて下って行く興味、途中に夕立に逢って慌てて苫をふくというような詩趣、忽ち船は急瀬にかかって、飛沫衣を湿すというようなシインは、もう容易に見ることが出来なくなった。

作者と一緒に旅しているような気分になり、旅情をそそられる。岩魚や自然薯の食事なんて、今ではむしろ最高の贅沢ではないか。観光用ではない舟運も、今では体験できないものだ。

今年の7月と8月に短歌の仕事で遠方に行く予定があるのだが、早速、温泉宿に泊まることにして予約を取った。

2007年6月15日、岩波文庫、800円。

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2023年03月12日

連作勉強会

フレンテ歌会の有志7名で、連作の勉強会。
12:30〜15:30、西宮市立中央公民館にて。

15首、30首、30首、50首、30首の連作について検討した。今回は勉強会ということで、作者にも「連作で表現したかったこと」「そのために工夫したこと、意識したこと」「連作のなかで特に自信のある歌」「自分で感じている問題点」を話してもらった。

作品から読み取れることと、作者の意図したことの間には、けっこうズレや距離があるのをあらためて感じた。そこに、連作の難しさも面白さもあるのだろう。連作の批評には、1首単位の歌会とはまた違った楽しさがある。

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2023年03月11日

月ヶ瀬梅林

暖かくなってきたので、思い立って奈良県の月ヶ瀬梅林へ出掛けた。
JR関西本線の月ヶ瀬口駅から臨時バスで15分ほど。


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梅林入口に立つ石碑。
このあたりは昔ながらの立派な構えの店がならぶ。


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マンホールも梅の図柄。
店で売られているのも、梅干や盆梅や梅ソフトクリームなど。


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その昔、梅干を作るのに使われていたという巨大な桶。
先日読んだ『巨大おけを絶やすな!』を思い出す。
https://matsutanka.seesaa.net/article/498271496.html


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名勝「一目八景」。
眼下に月ヶ瀬湖(名張川)が見え、斜面に梅が咲いている。


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少し別の角度から。
思っていたよりも谷が深い。


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梅の品種園。
いろいろな種類の梅が植えられている。何とものどかな光景だ。


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立派なしだれ梅。


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真福寺の境内に咲く梅。

同じ花見でも梅と桜ではだいぶ雰囲気が違う。華やかな桜に対して、梅は地味だけれど、その分ゆったりと散策を楽しむことができる。

散策路や茶店も昭和の頃の雰囲気を色濃く残していて、何とも良い味わいだった。

posted by 松村正直 at 20:43| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月10日

ヤマザキマリ『壁とともに生きる』


副題は「わたしと「安部公房」」。

「安部公房の文学に出会っていなかったら、私は今と違う考え方や生き方をしていたかもしれない」という著者が、安部公房体験や安倍作品の魅力を記した本。

多くの作品を引いて解説をしながら、パンデミックと戦争を経た今こそ読まれるべき文学として、強く安部公房を推している。

安部公房の作品は、フィクションという体裁をとった、人間社会の生態観察だと私は考えている。
コロナ禍は今の我々にとって、明らかに目に見えない「壁」だ。「壁」は、安部公房の一貫したテーマであり、安部文学とはすなわち「壁文学」である、と言ってしまってもいいくらいだ。
この作品(『けものたちは故郷をめざす』)は映像的な描写が多いので、映画化したらきっと面白いだろうと思うが、一方では、これだけ映像的だと、むしろあえて映像ではなく文学のままにしておいたほうがいいのかもしれない。荒野や砂漠という光景は、特定の景色で限定しないほうが、ずっと過酷さを増すように思う。
安部公房文学は、日本人という、個人主義よりも協調性や調和に圧倒的に比重を置く国民の性質に着眼することによって、世界全体におけるデモクラシーの矛盾や「弱者」が生み出される構造を、俯瞰で考察し続けた記録でもあるのだ。

あらためて、安部公房の作品を読み直してみたくなる。

私は中学生〜高校生の頃に安部公房にはまって、『安部公房全作品』15巻を買った。個人の全集を買ったのは、それが初めてのこと。Z会のペンネームを「ユープケッチャ」にしていたくらいである。

個人的に影響を受けた文学の流れで言えば、安部公房→カフカ(池内紀訳)→モルゲンシュテル(卒論)→石川啄木となるだろう。それにしても、1993年に安部公房が亡くなってもう30年が経つのか。

2022年5月10日、NHK出版新書、930円。

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2023年03月09日

無料オンライン講座

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4月7日(金)19:30〜20:30、小島なおさんと一緒にNHK学園のオンライントライアル講座(無料)を行います。

Zoomを使うのは初めてという方や、オンライン講座の雰囲気を知りたい方など、ぜひお気軽にご参加ください。

質疑応答の時間も設ける予定です。楽しくて、ためになる60分にしたいと思います。

https://college.coeteco.jp/live/5j0ycdww

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2023年03月08日

佐々木ランディ『水中考古学』


副題は「地球最後のフロンティア」。
洋書のようなシャレた装幀に引かれて手に取り購入した本。

水中考古学の概要や実際の調査の方法などが、わかりやすく書かれている。以前、九州国立博物館で元寇で使われた「てつはう」を見て以来、この分野には少し興味を持っている。

井上たかひこ『水中考古学』
https://matsutanka.seesaa.net/article/432451230.html

沈没船というとタイタニック号のように深海に沈んでいる船をイメージする人も多いかもしれないが、ほとんどの沈没船は海岸線近くに沈んでいる。早い話が陸地近くは座礁しやすいのだ。
水中遺跡の調査には地元民の協力が不可欠だ。多くの人は水中遺跡なんて自分とは縁がないと思っているが、実は漁業関係者やダイバーこそ遺跡を発見する最前線にいる。彼らの話こそ最も有益な情報源となる。
水中遺跡の調査は、日程調整も陸とはちょっぴり違う。先ほども書いたが、雨が降ってから海水が濁りだすまでタイムラグがあるため、たとえ晴れていても調査ができないことがある。海底遺跡の調査は、空の天気と海のコンディションの両方を把握する必要がある。
ケニアのンゴメリ沈没船やこのオラニエムント沈没船を見ると、ポルトガルの大航海時代の船は、アフリカ西海岸で交易をしながらアジアを目指して航海をしていた様子がわかる。我々のイメージでは、ポルトガルから出た船が一直線に喜望峰を回り、インド・アジアを目指したような印象を受けるが、実際は多かれ少なかれ港を転々としながら交易や食糧の補給を行ない進んでいた。

何とも面白そうな話ばかりだ。

国内にも水中遺跡は数多くあり、先日吟行で訪れた琵琶湖北部にも葛籠尾崎(つづらおざき)湖底遺跡資料館があるそうなので、またいつか行ってみたい。

2022年2月28日、エクスナレッジ、2200円。

posted by 松村正直 at 09:15| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月07日

藤島秀憲『山崎方代の百首』


「歌人入門」シリーズの6冊目。

山崎方代の歌集から100首を取り上げて、鑑賞を付している。右ページに短歌、左ページに鑑賞という形になっていて読みやすい。

単なる一首評×100ではなく、全体として山崎方代の人生や歌の特徴が見えてくる内容となっている。さらに、巻末には解説「「自分」を求めて」がある。

方代は小道具の使い方が絶妙である。小道具によって心境をくっきりと浮かび上がらせることができる。
ユーモアと切なさ、ぬくもりと冷たさ、美しさと醜さ、聖と俗、生と死、愛と失望といったように、方代の歌は相反するものに片足ずつ突っ込んでいる。
方代の歌の素材はそう多くない。身の回りにあるもの(その最たるものは自分自身なのだが)が素材の中心。一つのものを何度も繰り返し歌う。
完全に消化しきった自分の言葉で表現することの大切さを方代は身をもって示したと思う。借りて来た言葉や着飾った言葉を方代は一切使わなかった。
方代というと口語のイメージが強いが、いやいや実は文語の人で、文語と口語の匙加減に四苦八苦した人。数限りない推敲が行われたことだろう。

他にも、「「石」は方代短歌の重要なキーワード」「字足らずはしばしば使われたテクニック」「リフレインを方代は多用した」といった大事な指摘が数多くある。

方代の歌の魅力がよく伝わってくる一冊だ。その背後には、「山崎方代は常に私の隣に居てくれた」と記す著者の愛情が詰まっている。

2023年2月19日、ふらんす堂、1700円。

posted by 松村正直 at 08:54| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月06日

人麿の里全国万葉短歌大会

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「柿本人麿没後1300年祭記念事業 人麿の里全国万葉短歌大会」の選者を務めることになりました。ご応募をお待ちしております。

【日時】2023年8月27日(日)13:30〜
【場 所】島根県立文化芸術センターグラントワ(小ホール)
【主催】柿本人麿没後1300年祭実行委員会
【共催】石西歌人クラブ・島根県立万葉公園
 
・出詠要項
【一般部】
 賞:特選5首(大賞、市長賞、教育長賞ほか)
  大賞の副賞は萩・石見空港往復航空券
  入選18首(選者各6首)
 選者:秋葉四郎氏(「歩道」発行人)
    松村正直氏(現代歌人集会理事、「NHK短歌」元選者)
    寺井淳氏(県短歌連盟理事長、短歌誌「かりん」会員)
 出詠料:1,000円
    郵便小為替か現金書留にて作品とあわせて封書で送付

【ジュニアの部】(高校生までの方または18歳以下の方)
 賞:特選6首 賞状及び副賞
 選者:田村穂隆氏(「塔」所属、現代歌人集会賞受賞)
 出詠料:無料

【一般の部・ジュニアの部共有】
 自作未発表とし、自由題1人1首
 締め切り:令和5年6月9日(金)必着

・送付先及び問い合わせ先
 〒698-0041 
 島根県益田市高津四丁目25-13
 石西歌人クラブ事務局
 長谷川義剛(0856-22-7274)

詳しくは→人麿の里全国万葉大会
(投稿用紙もダウンロードできます)

posted by 松村正直 at 09:01| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月05日

「八雁」2023年1月号

八雁創刊十周年記念大会のディスカッション「近代短歌から継承したいもの」が読み応えがある。発言者は内山晶太、今井恵子、花山多佳子、島田幸典(司会)の4名。

「短歌革新によって生まれ、その後も多くの力量ある歌人の実作の蓄積を通じて築かれてきた、そしてそれらを手本にしながら歌を作り発展してきた短歌の在り方そのものが大きな変化を迎えているんじゃないだろうか」(島田)という問題意識に立って企画されたディスカッションである。

内山の写生に関する指摘や分析が非常に鋭い。

言葉というのは細かい単位での調節ができないので、物事を写すには不適な道具なんではないかなと思います。言葉は物事を写生するにはサイズがでかすぎるというのが一応私の今考えている所です。
写生ってやっぱり前面特化型の表現様式だと私は思っていて、基本的に背後がないんですよ。後ろ側がない。あるとすれば気配とか、その触覚ですか。そういうものでは捉えられますけれども、基本的に、写生というのは前のものをどう写し取るか。
(吉川宏志『石蓮花』の〈自販機のなかに汁粉のむらさきの缶あり僧侶が混じれるごとく〉について)
前面特化型でありながら、こういう比喩を使うことによってそこに立体感っていうものを生み出している。これ、写生の進化のひとつではないかなと思います。

この「前面特化型」というのは、たぶん視覚重視、視覚偏重ということなんだろうと思う。五感のうち嗅覚や聴覚も背後のものを捉えることができるけれど、視覚は前のものしか見ることができない。

他の3人の印象的な発言を引く。

(花山)日露戦争後の若い歌人は、短歌というものに対して、他の文学ジャンルの中でとても限定的なかすかな詩型にすぎないと思っていて、そこに容れるものもささやかというか。啄木は短歌を「一瞬の切れ切れの感想」と言ってるし、白秋は「一箇の小さい緑の宝玉」と言う。対極に見えて、限定論というんですか、その認識と内容が釣り合った完成度がある時期といいますか。
(島田)短歌が文語による優れた歌、時には調べを伴って美しく、また時には散文的な伝達も可能な文語を作った、ということが文語が生き延びた理由だと思います。短歌があったために、文語が世の中の一部ですけど、残り、もっと言うと近代文語がこれによって生まれたと思っています。
(今井)比喩的にいうと、写生・写実っていうのは近代短歌の中の標準語みたいな感じでとらえています。けれど、その標準語の外側には、無数の方言とか、それぞれの日常語とかがあるわけ。それが短歌の現場ではやっぱり時々、ふっ、ふっと、吹き出す。それがわたしには面白い。ペロンと平板な短歌史ではなく厚みが感じられます。

「近代短歌の特質がよく表れている作品」5首を各自が挙げているのだが、4名ともに選ばれているのは啄木ただ一人。

内山選 佐藤佐太郎、木俣修、斎藤茂吉、北原白秋、石川啄木
今井選 正岡子規、窪田空穂、石川啄木、前田夕暮、岡本かの子
花山選 若山牧水、石川啄木、北原白秋、斎藤茂吉、前田夕暮
島田選 与謝野寛、石川啄木、三ヶ島葭子、古泉千樫、佐藤佐太郎

啄木ファンとしてはもちろん嬉しい。それにしても、この啄木の強さっていったい何なんだろう。

posted by 松村正直 at 10:08| Comment(2) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月04日

森清治『ドイツ兵捕虜の足跡 板東俘虜収容所』


シリーズ「遺跡を学ぶ」139。

徳島県鳴門市にあった「板東俘虜収容所」の歴史や実態について記した本。1917年から1920年にかけて、第1次世界大戦で捕虜となったドイツ兵約1000名を収容した施設である。

現在も残っているドイツ兵の慰霊碑やドイツ兵捕虜が建設したドイツ橋などのほか、発掘調査によって判明した遺構のについても詳しく記されている。

この収容所では音楽、演劇、美術、スポーツなどの文化活動も盛んで、1918年にはベートーヴェンの交響曲「第九番」の日本初の全楽章演奏が行われている。

収容所の所長は旧会津藩出身の松江豊壽。

松江は徳島・板東での所長時代、「捕虜に甘い」という警告や非難を軍部から受けていたが、つねに敗者をいたわるという信念を貫いた。「敵をも敬う」ことを信念とした行動は、松江の父が会津藩士であったことが大きく影響していたと考えられる。

副官は高木繁。彼は陸軍を退役後に大陸に渡り、7か国語を操る語学能力を生かしてハルビン特務機関で働いていたようだ。

第二次世界大戦後にソ連軍の捕虜となり、一九五三年四月三〇日にソビエト連邦スヤンドロフスク州アザンの病院で六八歳で死去したと伝えられている。

何とも数奇な運命だと思う。
板東俘虜収容所跡と鳴門市ドイツ館には、ぜひいつか行ってみたい。

2019年10月1日、新泉社、1600円。

posted by 松村正直 at 10:18| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月03日

母、そして父

昨日は兄夫婦と一緒に、母が山梨から東京に転院するのに同行した。母と会うのは実に1年3か月ぶり。衰えは著しかったけれど、一緒に車に乗ったり話をしたりすることができて良かった。

夕方からは川崎に住む父を連れ出して、兄と三人で食事。ひとり暮らしを続けている父に、運動系のデイサービスに通うように勧めた。食欲も十分あり元気な様子なので、少し安心する。

幸いなことに、母の病院と父の住む家は比較的近い。コロナ禍も落ち着いてきたので、今後はもっと会う機会を増やしていきたい。

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2023年03月02日

『波止場日記』のつづき

印象に残った文章の続き。

知識人は人間の操作に熱中する。ソヴィエト・ロシアの卓越したインテリゲンチャは、自然を手馴づけ支配するために巨大な計画を実施するが、この計画を人間を手馴づけ統制する手段として利用する。知識人は人々を放っておこうとはしない。
今朝思ったのだが、私がくつろげるのは波止場にいるときだけだ。私はこれまでどこに行ってもアウトサイダーと感じていた。波止場では強い帰属感を持つ。もちろん、ここに根がおりるほど長くとどまっているのも一つの理由である。しかし、ここでは一日目からくつろいでいたように思う。
二億のアメリカ人は、ほとんどがヨーロッパの余計者や落伍者の子孫なのに、アメリカで、この惑星上で、もっとも重要な物質力を創り出したことが、私には奇跡に思える。(…)アメリカで起った先例のないできごとは、大衆に起ったものである。歴史上大衆が自分の力だけで何ができるかを示す機会を持ったことはなかったのである。
自由という大気に中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する。
絶対的な権力はその所有者を、神のごときものにではなく神に反するものに変えてしまう。神は粘土を人間に作り変えたが、絶対的な暴君は人間を粘土に変えるからである。

日記の記述はだいたい、その日の仕事のことから始まる。「第二十六埠頭、ドイツ船ドルトハイム号、九時間」「第十九埠頭、オランダ船ロンボック号、八時間」など。

「第四十埠頭、ハコネサン丸、八時間」とあるのは、日本船「箱根山丸」だろう。1954年に竣工した大阪商船三井船舶の定期貨物船だ。
https://ameblo.jp/italymaru/entry-12654562563.html

沖仲士としての肉体労働と読書や著述。ホッファーにはそれが心身の良いバランスを生んでいたようである。

2014年9月10日第1刷、2020年1月10日第4刷。
みすず書房、3600円。

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2023年03月01日

エリック・ホッファー『波止場日記』


副題は「労働と思索」。
1971年に刊行された『波止場日記』(新装版は2002年)をもとに新たに編集したもの。

沖仲士(港湾労働者)として働きながら思索と著述を続けた「波止場の哲学者」エリック・ホッファー(1902‐1983)が、1958年6月1日から翌年5月21日まで付けていた日記。

主な内容は、日々の仕事のことや政治や社会についての考察、知り合いの妻子との付き合いなど。東西冷戦下のソ連に対する嫌悪や官僚などの知識人に対する批判がしばしば出てくる。その一方で、移民の国であるアメリカの大衆に対しては強い信頼を置く。

無知は極端に走りがちである。これはおそらくあたっているだろう。自分の知らないことについての意見はどうもバランスのとれた穏健なものではなさそうだ。
ある社会の活力を判断するには維持能力をみるのがもっともよい。どんな社会でもなにかの建設のためにしばらくのあいだ活気づくことがある。しかし毎日よく手入れする意欲と技術はまれにしかみられない。
うんざりした日になるのは、きまって仕事のせいではなく、ときどき仕事に伴って生ずる不愉快なことのためである。性急さ、争論、あつれきなどで、疲労し、また気落ちするのである。五分間口論するよりも五時間働いた方がいい。
私が満足するのに必要なものはごくわずかである。一日二回のおいしい食事、タバコ、私の関心をひく本、少々の著述を毎日。これが、私にとっては生活のすべてである。
偶然というものがなかったら、人生はどんなに味気ないものになるだろう。祈りや希望は皆偶然を求めているのである。現実にどこかに向っているとの感をわれわれに与えるのは、ほとんどの場合、時機を得た偶然のできごとである。私の知るかぎりでは、人生は偶然の十字路であるがゆえにすばらしい。

引用したい箇所が他にもたくさんある。
続きは、また次回に。

2014年9月10日第1刷、2020年1月10日第4刷。
みすず書房、3600円。

posted by 松村正直 at 08:24| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする