*******************************
ほどくための大きなリボン結ばれてプレゼントあり誕生日の卓に
南北に町を貫く地下鉄のどこに出たって冬の雨ふる
半開きは悪いこころを誘うから戸もくちびるもきちんと閉じよ
落ち目とて離れてゆきし人たちのことは忘れず年豆を嚙む
峠とはもっとも低きところにて左右の峰を見つつ越えゆく
奈良県のなかにいるとも気づかずに歩いていたな足元を見て
王様の生まれた日だから学校はおやすみ郵便局もおやすみ
*******************************
2023年02月28日
2023年02月27日
犬を飼はむ、犬を飼はう
庭のそとを白き犬ゆけり。
ふりむきて、
犬を飼はむと妻にはかれる。
石川啄木『悲しき玩具』(1912年)
(長い沈黙)
夫 犬でも飼はうか。
妻 小鳥の方がよかない。
(長い沈黙)
岸田國士『紙風船』(1925年)
2023年02月26日
講座「多様化する短歌の「今」」
3月18日(土)に朝日カルチャーくずは教室で、「多様化する短歌の「今」」という講座を行います。時間は13:00〜14:30の90分間。
この10年くらいの作品を読み解きながら、短歌の現状や今後について考えたいと思います。
教室(京阪「樟葉」駅すぐ)とオンライン、どちらでも受講できます。ご興味のある方はどうぞご参加ください。お待ちしております!
教室受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/67c99f87-f86e-4b10-d0c1-634df2cedadb
オンライン受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/248b082f-80a0-cf0e-6135-634df3ea2331
この10年くらいの作品を読み解きながら、短歌の現状や今後について考えたいと思います。
教室(京阪「樟葉」駅すぐ)とオンライン、どちらでも受講できます。ご興味のある方はどうぞご参加ください。お待ちしております!
教室受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/67c99f87-f86e-4b10-d0c1-634df2cedadb
オンライン受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/248b082f-80a0-cf0e-6135-634df3ea2331
2023年02月25日
平田オリザ『名著入門』
副題は「日本近代文学50選」。
明治以降の50人の文学者の50冊の本を取り上げて書いた代日本文学史。朝日新聞に連載された「古典百名山」を元に加筆修正し、さらに第七章「文学は続く」を書き下ろしで追加している。
西洋文学の大きな影響のもと、小説、詩歌、戯曲それぞれのジャンルにおいて、日本語でいかに近代の社会や人間を描くかという苦闘が繰り広げられた。その軌跡が鮮やかに描かれている。
近代社会は個の時代であり、個が自我を持つ時代だということは頭では分かっていたはずの鷗外や北村透谷といったインテリたちは、一葉の文章に衝撃を受けた。そうなのだ。文学が描かなければならないのは、このような人間の内面なのだ。しかもそれを風景描写や人間の行動を通じて描くのだ。悲しい気持ちを「悲しい」と書くのではなく、状況の描写で描くのだ。/樋口一葉『たけくらべ』
そもそも彼がロシア語を学んだのは文学のためではなかった。当時の、極めて平均的な愛国者であった青年長谷川辰之助は、陸軍士官学校を受験するも近眼のために三度、不合格となり、それならばと対露防衛のためにロシア語を学ぼうと決意したのだ。/二葉亭四迷『浮雲』
明治維新から四十数年、四民平等、努力すれば出世できる世の中、身分を超えた恋愛など社会は大きく変化した。そしてやっと言葉はそこに追いついた。漱石たちが発明した文体で私たち日本人は、一つの言葉で政治を語り、裁判を行い大学の授業を受け、喧嘩をしラブレターを書くことができるようになった。/夏目漱石『坊っちゃん』
一九三〇年代中盤以降、多くの作家は戦争とどう向き合うのかを皆問われた。ある者は立ち向かい、ある者は転向し、またある者は最初から無邪気に国粋主義を賛美した。しかし、ここに、その向き合い方を半ば宿命づけられた一群がある。当時の植民地に生まれ育った者たちだ。/中島敦『山月記』
一冊あたり4ページという分量ながら、示唆に富む話が多く、自我、文体、国家、戦争など様々なことを考えさせられる。
ちなみに短歌からは、与謝野晶子『みだれ髪』、石川啄木『一握の砂』、若山牧水『若山牧水歌集』の3冊が選ばれている。
2022年12月30日、朝日新書、850円。
2023年02月24日
「コスモス」2023年3月号
創刊70周年記念号。「コスモス」の創刊は1953年。
「未来」は1951年、「塔」は1954年。
「これからのコスモス、これからの結社」と題する座談会が載っている。出席者は、高野公彦、小島ゆかり、大松達知、水上芙季の4名。
僕は結社を辞めてしまったけれど、結社というものは今でも好きで、結社の功績はとても大きいと思っている。
座談会で驚いたのは高野さんの入会当時の話。宮柊二に「コスモス」の編集分室の住み込みのアルバイトに誘われて入会し、就職も宮柊二の口利きで、結婚相手も宮柊二の紹介とのこと。かつての結社の濃厚な師弟関係が伝わってくる。
4名がそれぞれ自分の体験や結社のあり方について率直に語っていておもしろい。結社の今後についても、「良い答えはないんですけど」(大松)、「名案はないなあ」(高野)など、正直に述べている。確かに、難しいかじ取りを迫られるのは間違いない。
印象に残った高野さんの発言を2つ引く。
こんなふうにはっきり言う人は今では減ってしまったので、貴重だと思う。全面的に賛成するわけではないけれど、胸にしまっておきたい考えだ。
「未来」は1951年、「塔」は1954年。
「これからのコスモス、これからの結社」と題する座談会が載っている。出席者は、高野公彦、小島ゆかり、大松達知、水上芙季の4名。
僕は結社を辞めてしまったけれど、結社というものは今でも好きで、結社の功績はとても大きいと思っている。
座談会で驚いたのは高野さんの入会当時の話。宮柊二に「コスモス」の編集分室の住み込みのアルバイトに誘われて入会し、就職も宮柊二の口利きで、結婚相手も宮柊二の紹介とのこと。かつての結社の濃厚な師弟関係が伝わってくる。
4名がそれぞれ自分の体験や結社のあり方について率直に語っていておもしろい。結社の今後についても、「良い答えはないんですけど」(大松)、「名案はないなあ」(高野)など、正直に述べている。確かに、難しいかじ取りを迫られるのは間違いない。
印象に残った高野さんの発言を2つ引く。
落ちた歌を直してまた出すのは、その人の進歩にはマイナスだと思います。きっぱり諦めて新たな歌を作るほうがいい。
年が離れていて、自分の歌が理解してもらえないとか、見当はずれな批評をされるとか、嫌な気持ちになることってあるじゃない。でも世の中はそういうもので、自分を理解してくれない人が一杯いる。その人たちと接触することで、人間的に鍛えられるわけですよ。理解してくれる人ばかりの中で歌を作っていると〈ひ弱な歌〉になると思う。
こんなふうにはっきり言う人は今では減ってしまったので、貴重だと思う。全面的に賛成するわけではないけれど、胸にしまっておきたい考えだ。
2023年02月23日
歌会と民主主義
少し青臭い話になるけれど、歌会というのは(大袈裟に言えば)民主主義の実践の場ではないかと考えている。
参加者が対等な立場で自分の意見を言い合う。力関係や忖度などなく自由にさまざまな意見を言い合えることが大切。その中から全員で何らかの合意を形成していく。
こうしたプロセスは、まさに民主主義そのものだろう。
自分が発言することも大事だし、人の話を聞くことも大事だ。○○さんが言ったから正しいとか、○○さんの意見は変だとか、そういう先入観や偏見を持たず、誰の意見にもきちんと耳を傾ける。
そして、一首の歌をどう読むか、どう読むのがいいのか、全員で知恵を絞って考えていく。
良い歌会というのは、歌の学びになるだけでなく、参加者ひとりひとりを励まし、勇気づけてくれる場のことだと思う。もちろん、それを実現するのは簡単なことではないけれども。
参加者が対等な立場で自分の意見を言い合う。力関係や忖度などなく自由にさまざまな意見を言い合えることが大切。その中から全員で何らかの合意を形成していく。
こうしたプロセスは、まさに民主主義そのものだろう。
自分が発言することも大事だし、人の話を聞くことも大事だ。○○さんが言ったから正しいとか、○○さんの意見は変だとか、そういう先入観や偏見を持たず、誰の意見にもきちんと耳を傾ける。
そして、一首の歌をどう読むか、どう読むのがいいのか、全員で知恵を絞って考えていく。
良い歌会というのは、歌の学びになるだけでなく、参加者ひとりひとりを励まし、勇気づけてくれる場のことだと思う。もちろん、それを実現するのは簡単なことではないけれども。
2023年02月22日
住吉カルチャー
毎月第1金曜日の10:30〜12:30、神戸市東灘区文化センター(JR住吉駅すぐ)で自主的なカルチャー講座を開催しています。
前半1時間は近刊の歌集の紹介や秀歌鑑賞、後半1時間は受講生の作品(1首)の相互批評という内容です。
参加費は2000円。現在の参加者は12名です。
興味のある方はお気軽に松村までご連絡ください。初心者からベテランの方まで、どなたでも歓迎します。
masanao-m☆m7.dion.ne.jp(@を☆に変えて下さい)
前半1時間は近刊の歌集の紹介や秀歌鑑賞、後半1時間は受講生の作品(1首)の相互批評という内容です。
参加費は2000円。現在の参加者は12名です。
興味のある方はお気軽に松村までご連絡ください。初心者からベテランの方まで、どなたでも歓迎します。
masanao-m☆m7.dion.ne.jp(@を☆に変えて下さい)
2023年02月21日
竹内早希子『巨大おけを絶やすな!』
副題は「日本の食文化を未来へつなぐ」。
かつては酒や醤油の醸造に広く使われていた巨大な木桶も、今では需要が減り桶を作る職人が絶えようとしている。それを何とか継承しようと小豆島のヤマロク醤油が2012年に始めた「木桶職人復活プロジェクト」を描いた本。
https://www.s-shoyu.com/kioke
いま、日本で生産されている醤油のうち、木桶でつくられている醤油の割合はどのくらいだと思いますか?答えは、たったの一パーセント。九九パーセントの醤油は、ステンレス製、あるいはFRP(強化繊維入りプラスチック)やコンクリート、ホーローなどのタンクでつくられています。
蔵独特の微生物は、古くから木桶で醤油や味噌をつくってきた醸造蔵にとってなくてはならない宝物で、その微生物がすみつく木桶も大切な財産です。
現在、国内に残っている木桶は四五〇〇〜四七〇〇本あるといわれていますが、そのうち一一〇〇本が小豆島に集中しています。
高さや長径が2メートルもある大桶を作るには、樹齢100年以上の杉と長さ15メートル以上の真竹が必要になる。単に桶作りの技術を伝えるだけでは継承できないのだ。
もともとは、たが屋というたがを専門につくる職人がいました。しかし、桶がつくられなくなって、たが屋も成り立たなくなり、一九九六年、日本で最後のたが職人が廃業し、いなくなってしまいました。
一〇〇年以上前の人が、後の世代のことを考えて苗木を植え、山の手入れをするところから、木桶づくりは始まっています。
多くの人々が長い時間をかけて生み出してきた「木桶」の文化。それを失うことは、私たちの生活や歴史の一部を失うことでもある。そうした問題に深く気付かせてくれる内容であった。
2023年1月20日、岩波ジュニア新書、860円。
2023年02月19日
湖北吟行
2023年02月18日
藤井青銅『東洋一の本』
著者は子どもの頃から地元にある秋芳洞は「東洋一の鍾乳洞」だと教わって育ったのだが、ある日、別の鍾乳洞も「東洋一」を名乗っていることを知る。そこから「東洋一」をめぐる調査と考察が始まった。
そもそも、東洋の範囲はどこまでか。東洋一は誰がどのように決めるのか。調べるほどに謎が多く、はっきりした定義のない世界に迷い込んでいく。東洋一には「といわれる物件」が多いとの指摘が鋭い。
自らは宣言していないものの、「東洋一といわれる」と他から称された形をとるもの。東洋一の中では最大のジャンルとなっているようだ。ただし、いったい誰に「いわれた」のかハッキリしないのが特徴。もうほとんど民間伝承のようになているものもある。
こんなふうに文章も軽快で面白くクスクス笑いながら読めるのだが、その奥は深い。「東洋一」には、日本の近現代史が色濃く関わっていたのである。
かつて「東洋」という言葉には威厳があった。ロマンがあった。カッコよかったんだと思う。カッコいいから、大正〜戦前にかけて、企業、団体などに「東洋」の名前をつけることが流行した。
そう言えば、子どもの頃は「広島東洋カープ」と言っていた。1920年創業の東洋コルク工業が1927年に東洋工業に改称し、1983年にマツダになったのであった。なるほど。
日本は、世界の中では「西洋」というコンプレックスに悩み、東洋の内部においては「中国」というコンプレックスに悩み、なのに「東洋の代表者」という立場で、西洋に対峙しようとした。(…)おそらく、「東洋一」とは、こうした環境の中から生まれてきた言葉なのだ。
身近な疑問から出発して、さまざまな調査を重ね、納得のいく結論に到達する。民俗学や社会学の本と言ってもいいのかもしれない。
2005年5月20日、小学館、1300円。
2023年02月17日
光熱費
光熱費の節約のために、この冬はまだ一度も暖房を使っていない。もう2月も半ばを過ぎたので、このまま使わずに済みそうだ。
寒い部屋で過ごしていると、何だか子どもの頃を思い出す。昔の家は今よりもずいぶん寒かったものだ。
光熱費の英訳を調べると energy bill (エネルギー代)という言い方があった。なるほど、光熱費よりも本質を突いている。
電気やガスを節約すると、生活スタイルも当然変わる。今まで贅沢過ぎたんだなと反省もする。
寒い部屋で過ごしていると、何だか子どもの頃を思い出す。昔の家は今よりもずいぶん寒かったものだ。
光熱費の英訳を調べると energy bill (エネルギー代)という言い方があった。なるほど、光熱費よりも本質を突いている。
電気やガスを節約すると、生活スタイルも当然変わる。今まで贅沢過ぎたんだなと反省もする。
2023年02月16日
山折哲雄『歌の精神史』
日本の歌が叙情や生命力を失いつつあるという危機意識に立って、歌謡曲、演歌、短歌、浪花節、平家物語、釈教歌、和讃、今様、瞽女唄、童謡など、さまざまな「歌」について考察した本。
取り上げられるのは、美空ひばり、尾崎豊、小野十三郎、折口信夫、俵万智、春野百合子、小林秀雄、古賀政男、阿久悠、西行、石川啄木、道元、親鸞、小林ハル、西條八十、北原白秋など。
むしろ現代の短歌こそ、じつは通俗と大衆趣味のなかに低迷しているのではないか。短歌の叙情とは似ても似つかぬ、たんなる乾いた言葉の断片と化しているような歌なら、いくらでも拾うことができる。
短歌的叙情の否定、とりわけて叙情的なものへの敵意、伝統的なリズムへの引きつるようなアレルギー……、それが現代短歌がその上を歩もうとしている乾燥し切った舗道の地盤を支えている観念の共鳴版である。
こうした現代短歌に対する批判は、かなり独断的な内容ではあるけれど、考えてみる必要のある問題だろう。もちろん、17年前の本なのでさらに状況は変化していると思う。
中世は聴覚の時代だったのである。そういえば、わが国においても十三世紀の親鸞は「聞法」ということを強調していた。(…)近代に近づくにつれて、聴覚の世界にたそがれが訪れる。疑い深い眼差しに彩られた視覚の時代がしだいに浮上してくるからだ。
これは道元の場合にかぎらないのだが、出家僧が詠んだ歌の領域を「釈教歌」の枠組にとじこめ、それを手すさびの余技と位置づけ、そのことで、歌のリズムやイメージがもつ生命の明らかな形を見失ってきたのではないかということだ。
そもそも日本の歌謡や芸能は、琵琶や筝曲の歴史をみてもわかる通り、盲人抜きには語れない。
本書の一番の魅力は、このように時代やジャンルを超えて縦横無尽に「歌」を捉えているところだろう。短歌について考える時にも、こうした広い視点は大切だと思う
2006年8月10日、中公叢書、1500円。
2023年02月15日
山本命『松浦武四郎入門 改訂版』
昨年、松浦武四郎記念館に行った時に購入した本。
著者は記念館の館長。
幕末の探検家であり、また多方面で才能を発揮した松浦武四郎(1818‐1888)の生涯と功績を、わかりやすくまとめている。これ一冊で一通りのことがわかるようになっていてありがたい。
武四郎は、常に野帳(のちょう)と呼ばれるフィールドノートと矢立(筆記具)を持ち歩き、旅先で見聞したことをメモやスケッチにして、のちに書物にまとめました。探検家であると同時に、ルポライター、編集者、出版社でもあったのです。
記念館で野帳の実物を見たけれど、本当にすごい。横長の小型の帳面にびっしりと動植物や風景などがスケッチされていた。
一五歳の頃には、鈴を愛した松阪の国学者本居宣長が集めた鈴の絵を、松阪屈指の豪商長谷川家で見せてもらい丁寧に模写したり、気に入った骨董品を見つけては買い集めていった。
こうしたところに、当時の松阪の発展ぶりや文化レベルの高さをうかがうことができる。
武四郎は数多くの和歌を残したことでも知られている。68歳で大台ヶ原に登った時に詠んだ歌について、こんなふうに書かれている。
優婆塞(うばそく)もひじりもいまだ分け入らぬ深山の奥に我は来にけり
紀伊半島の霊場には役行者(役小角)が開いた大峰山、弘法大師(空海)が開いた高野山がある。「優婆塞」とは役行者、「ひじり」とは弘法大師のこと。「二人が訪れたことのない深い山の奥に私は来ている。大台ヶ原を開山するのはこの私だ」という意気込みが感じられ、武四郎の探検家精神は老いてなお衰えていないことがわかる。
武四郎の和歌については、今後何かの形できちんと取り組んでみたいと思う。
2018年3月1日初版第1刷、2022年4月24日改訂版第1刷。
月兎舎、1200円。
2023年02月13日
歌会雑感
歌会というのは読みを競い合う場だと、若い頃は思っていた。誰の読みが鋭いか、誰が一番深く読むことができるか。参加者それぞれが自分の読みを披露して、最も良い読みを出した人が勝ちというようなイメージ。
それが、年とともにだいぶ変ってきた。歌会というのは参加者が協力し合う場だと今では思う。参加者全員で歌の魅力を最大限に引き出し、また問題点を浮かび上がらせる。競争ではなく共同作業。
誰にだって得意・不得意がある。鳥の名前に詳しい人もいれば、時事問題に明るい人もいる。文法に強い人、韻律に敏感な人、和歌をよく知っている人、歌に込められた感情を読み取るのが巧みな人、いろいろな人がいる。そんな全員で力を合わせて一首を読み解いていく。
「良い読み」だけが歌会で求められるのではなく、「普通の読み」も「今ひとつな読み」も必要だ。「普通の読み」があって、初めて「良い読み」の良さがわかる。だから、まずはいろいろな読みが出ることが一番大切だと思う。
別に自分が得点を決められなくても、最終的にチームが勝てばいい。
そんな感じで歌会に臨めば気も楽だし、たくさんのことを学べるのではないだろうか。
それが、年とともにだいぶ変ってきた。歌会というのは参加者が協力し合う場だと今では思う。参加者全員で歌の魅力を最大限に引き出し、また問題点を浮かび上がらせる。競争ではなく共同作業。
誰にだって得意・不得意がある。鳥の名前に詳しい人もいれば、時事問題に明るい人もいる。文法に強い人、韻律に敏感な人、和歌をよく知っている人、歌に込められた感情を読み取るのが巧みな人、いろいろな人がいる。そんな全員で力を合わせて一首を読み解いていく。
「良い読み」だけが歌会で求められるのではなく、「普通の読み」も「今ひとつな読み」も必要だ。「普通の読み」があって、初めて「良い読み」の良さがわかる。だから、まずはいろいろな読みが出ることが一番大切だと思う。
別に自分が得点を決められなくても、最終的にチームが勝てばいい。
そんな感じで歌会に臨めば気も楽だし、たくさんのことを学べるのではないだろうか。
2023年02月12日
第5回別邸歌会
2023年02月11日
映画「イチケイのカラス」
監督:田中亮
脚本:浜田秀哉
原作:浅見理都『イチケイのカラス』
出演:竹野内豊、黒木華、斎藤工、山崎育三郎、田中みな実ほか
主演の2人が好きでテレビドラマも良かったのだけれど、映画は今ひとつかな。映画だとどうしても脚本が頑張って、内容を詰め込み過ぎてしまうのかもしれない。
吉田羊の台詞を聞きながら、映画「沈黙のパレード」を思い出した。
ムービックス京都、119分。
脚本:浜田秀哉
原作:浅見理都『イチケイのカラス』
出演:竹野内豊、黒木華、斎藤工、山崎育三郎、田中みな実ほか
主演の2人が好きでテレビドラマも良かったのだけれど、映画は今ひとつかな。映画だとどうしても脚本が頑張って、内容を詰め込み過ぎてしまうのかもしれない。
吉田羊の台詞を聞きながら、映画「沈黙のパレード」を思い出した。
ムービックス京都、119分。
2023年02月10日
オンライン講座「短歌のコツ」

NHK学園のオンライン講座「短歌のコツ」が今月より新しいクールに入ります。短歌に興味・関心のある方は、ぜひご受講ください。
https://college.coeteco.jp/live/5oe0cx9n
日程は2/16、3/23、4/27、5/25、6/22の全5回。基本は第4木曜日ですが、2月は祝日の関係で第3木曜日になります。
時間は19:30〜20:45の75分。前半に秀歌鑑賞をして、後半は提出していただいた作品の批評・添削を行います。質問の時間も取りますので、お気軽に何でもお尋ねください。
2023年02月09日
永井亘歌集『空間における殺人の再現』

第9回現代短歌社賞を受賞した作者の第1歌集。
シンタックスのずらし方やイメージの連鎖に特徴がある。
1頁1首組で、装幀もかなり凝っている。
向日葵でだらしなく死ぬ 飛び起きて また向日葵でだらしなく死ぬ
生きるとは死体はないが探偵は文字をひらめく棺のように
惑星は遠く照らされながら死ぬ 気づくと君の顔を見ていた
言葉にはさせないつもり 秋風にさからって手をつないで歩く
晴れた日のスノードームは輝いてもう残酷な不機嫌ばかり
カナリアが微笑みながらどの声のあなたが老いていくのだろうか
どの人もリュックサックにかすりつつちゃんと他人になって降りていく
ベランダで凭れる君はひとときの暮れゆく空の影であること
ある晴れた午後にフランスパンを買う 川の向こうを覚えていたら
夕焼けが山の緑になじんだら心はコイントスで消えるね
1首目、「向日葵で」は比喩とも読めるし変身したのだとも読める。
2首目、生きている間はまだ死体は存在しないけど、ということか。
3首目、下句がいい。二つの星の関係性がふたりの顔と重なり合う。
4首目、初二句が印象的。この強引さに相手への思いの強さが滲む。
5首目、スノードームの景が楽しかった日々の記憶のように明るい。
6首目、声もまた老いてゆくのだ。歌を忘れたカナリアも思い出す。
7首目、「ちゃんと」がおもしろい。現代版袖振り合うも多生の縁。
8首目、シルエットになった君の姿を、部屋の中から見つめている。
9首目、下句の付き方が実に不思議。現在ではなく未来の話なのか。
10首目、コインが掌に隠れるように、心が夕焼けに吸い込まれる。
2022年12月25日、現代短歌社、2200円。
2023年02月08日
司馬遼太郎『街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩』
1984年に朝日新聞社から出た単行本の文庫版。
このところ、司馬遼太郎をしみじみとした気分で読んでいる。近江と奈良の話なので、行ったことのある場所が多い。奈良散歩では最初の方に前川佐美雄が出てくる。
前川さんは、血圧をあげるためか、わずかに酒を飲む。戦後ほどもなく、歌集『紅梅』が出た。そこに「晩酌は五勺ほどにて世の歎きはやわが身より消えむとぞする」という歌があって、薬として飲んでおられたような気配がある。
他に印象に残ったところをいくつか。
大阪の船場のことばは京ことばを真似ぞこなって出来たものだと私は思っているが、実際には近江の丁寧言葉が元祖であったかもしれない。船場の中核的な商家の多くは近江系だったし、江戸・明治期は近江から丁稚を採用した。
近江は明治維新まではゆたかな先進地帯だったが、明治後、滋賀県という名に変ってからはさほどの近代産業をもたず、下流の京阪神に人材を提供するだけの県になった。
東大寺が建立された奈良時代では、仏教は生者のみのものだった。このため、東大寺ではなお創建以来の精神が息づいていて、葬儀というものはやらない。
死者に戒名をつけるなどという奇習がはじまったのはほんの近世になってからである。インド仏教にも中国仏教にもそんな形式も思想もない。江戸期になって一般化したが、おそらく寺院経営のためのもので、仏教とは無縁のものといっていい。
最近、テレビでも「ブラタモリ」などの街歩きの番組が増えているけれど、「街道をゆく」はその元祖みたいなものだったのだろう。
2009年1月30日、朝日文庫、800円。
2023年02月07日
講座「多様化する短歌の「今」」
3月18日(土)に朝日カルチャーくずは教室で、「多様化する短歌の「今」」という講座を行います。時間は13:00〜14:30の90分間。
この10年くらいの作品を読み解きながら、短歌の現状や今後について考えたいと思います。
教室(京阪「樟葉」駅すぐ)とオンライン、どちらでも受講できます。ご興味のある方はどうぞご参加ください。お待ちしております!
教室受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/67c99f87-f86e-4b10-d0c1-634df2cedadb
オンライン受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/248b082f-80a0-cf0e-6135-634df3ea2331
この10年くらいの作品を読み解きながら、短歌の現状や今後について考えたいと思います。
教室(京阪「樟葉」駅すぐ)とオンライン、どちらでも受講できます。ご興味のある方はどうぞご参加ください。お待ちしております!
教室受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/67c99f87-f86e-4b10-d0c1-634df2cedadb
オンライン受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/248b082f-80a0-cf0e-6135-634df3ea2331
2023年02月06日
「パンの耳」6号歌評会
昨日は13:30から神戸市東灘区文化センターにて、「パンの耳」6号の歌評会を行った。参加者19名。
大辻隆弘さんをゲストに招いて、15篇の連作すべてについて批評していただいた。歌作りに関する大事な話をたくさん聴くことができ、皆さん大きな刺激を受けたようだ。17:00終了。
その後、近くのイタリア料理・洋風居酒屋「アティック スタイル」を貸し切って懇親会。21:00過ぎまで短歌の話を楽しんだ。皆さん、お疲れさまでした。
大辻隆弘さんをゲストに招いて、15篇の連作すべてについて批評していただいた。歌作りに関する大事な話をたくさん聴くことができ、皆さん大きな刺激を受けたようだ。17:00終了。
その後、近くのイタリア料理・洋風居酒屋「アティック スタイル」を貸し切って懇親会。21:00過ぎまで短歌の話を楽しんだ。皆さん、お疲れさまでした。
2023年02月05日
映画「ヨーヨー」
監督・脚本・主演:ピエール・エテックス
「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」の一篇として上映された1965年の作品。
構図や動きや音響やカメラワークなど、一つ一つのシーンがよく計算されていて面白い。親子二代にわたる時代の移り変わりが、しみじみとした味わいで描かれている。
サーカスの場面も多くあって、先月見たチャップリンの「サーカス」を思い出した。
京都シネマ、98分。
「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」の一篇として上映された1965年の作品。
構図や動きや音響やカメラワークなど、一つ一つのシーンがよく計算されていて面白い。親子二代にわたる時代の移り変わりが、しみじみとした味わいで描かれている。
サーカスの場面も多くあって、先月見たチャップリンの「サーカス」を思い出した。
京都シネマ、98分。
2023年02月04日
倉片俊輔『京都 近現代建築ものがたり』
京都に現存する13の代表的な近現代建築を取り上げて解説した本。
・京都国立博物館明治古都館(片山東熊)
・京都文化博物館別館(辰野金吾)
・本願寺伝道院(伊東忠太)
・京都府立図書館(武田五一)
・東華菜館本店(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)
・ウェスティン都ホテル京都(村野藤吾)
・京都タワービル(山田守)
・国立京都国際会館(大谷幸夫)
・京都信用金庫(菊竹清訓)
・TIME'S(安藤忠雄)
・京都駅ビル(原広司)
・ロームシアター京都(前川國男)
・京都京セラ美術館(前田健二郎)
最後の2つは、元の建築だけでなく、近年行われた大規模な改修についても言及している。
「近現代」を実感するのに「建築」は良い手段である。なぜか。実体であるからだ。今につながるものがどの時代に、どのようにできたのか。当時の考え方がどのように違っているのか。それ以前をどう捉えたのか。目に見えて分かる。
なるほど。京都市内に点在する建築物は、そのまま近現代建築史の実物見本にもなっているわけだ。
旧日本銀行京都支店が面しているのは、今も昔も、歩行を中心としたストリートなのである。したがって、構成が左右対称であることはあまり意識されない。(京都文化博物館別館)
ホテルは時代に即した機能を要求される。したがって、建物の更新が必要となる。だが、全面的に休業するのは、経営上も社会信頼上も好ましくない。よって、ある館の営業を続け、別の館を建て替えることが多い。しばしば異なる時代の建物が敷地内に併存しているのは、そのためだ。ホテルにとって、不統一が状態だと言える。(ウェスティン都ホテル京都)
まだ仕上がるように思えてしまうのは、強さが足らないからだ。そこで、物自体で完成した感覚を与える打放しコンクリートが目指された。(TIME'S)
今、朝日新聞の連載「語る 人生の贈りもの」に、ちょうど原広司が出ているところ。こういう偶然も嬉しい。
2021年9月15日、平凡社新書、860円。
2023年02月03日
青年団第96回公演「日本文学盛衰史」
原作:高橋源一郎
作・演出:平田オリザ
高橋源一郎の原作をもとに、平田オリザが作り上げたエンターテイメント色豊かな近代文学者たちの青春群像劇。第22回鶴屋南北戯曲賞受賞。
https://matsutanka.seesaa.net/article/465926084.html
四場構成になっていて、一場は「北村透谷葬儀1894年5月」、二場は「正岡子規葬儀1902年9月」、三場は「二葉亭四迷葬儀1909年6月」、四場は「夏目漱石葬儀1916年12月」となっている。この構成のアイデアが素晴らしい。
葬儀の食事の席を舞台に、多くの文学者たちが様々なエピソードを繰り広げる。その中から、日本語で内面を描くという課題や、文学とは何かといった問い掛けが浮かび上がってくる。
2時間20分の上演の後に、平田さんのポストパフォーマンストーク(約20分)もあった。
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)
作・演出:平田オリザ
高橋源一郎の原作をもとに、平田オリザが作り上げたエンターテイメント色豊かな近代文学者たちの青春群像劇。第22回鶴屋南北戯曲賞受賞。
https://matsutanka.seesaa.net/article/465926084.html
四場構成になっていて、一場は「北村透谷葬儀1894年5月」、二場は「正岡子規葬儀1902年9月」、三場は「二葉亭四迷葬儀1909年6月」、四場は「夏目漱石葬儀1916年12月」となっている。この構成のアイデアが素晴らしい。
葬儀の食事の席を舞台に、多くの文学者たちが様々なエピソードを繰り広げる。その中から、日本語で内面を描くという課題や、文学とは何かといった問い掛けが浮かび上がってくる。
2時間20分の上演の後に、平田さんのポストパフォーマンストーク(約20分)もあった。
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)
2023年02月02日
オンライン講座「短歌のコツ」

NHK学園のオンライン講座「短歌のコツ」が今月より新しいクールに入ります。短歌に興味・関心のある方は、ぜひご受講ください。
https://college.coeteco.jp/live/5oe0cx9n
日程は2/16、3/23、4/27、5/25、6/22の全5回。基本は第4木曜日ですが、2月は祝日の関係で第3木曜日になります。
時間は19:30〜20:45の75分。前半に秀歌鑑賞をして、後半は提出していただいた作品の批評・添削を行います。質問の時間も取りますので、お気軽に何でもお尋ねください。