2022年11月30日

雑詠(021)

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ため池とレンガ造りの館ありこころ鍛えるために歩けば
チョココロネの奥の奥まであるチョコの忘れた方がいい声もある
風が触れるたびに痛みに震えつつ赤く色づくイロハモミジは
ホットココア飲む背後より神さまのおかげで癌の治った話
葉の落ちるように誰もがいなくなり柿のこずえをながく見ている
大脳の満ちる図書館、でも今日は螺旋階段おりられなくて
夜が明ける前に目覚めてみずからの性器に触れるやすらぐために

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2022年11月29日

大下一真『鎌倉 花和尚独語』


読売新聞と「短歌往来」に連載したエッセイ48篇を収めた本。花の寺として知られる鎌倉の瑞泉寺の住職として過ごす日々が、落ち着いた筆致で描かれている。

作者の歌集には草を引いたり枯葉を掃いたりといった歌が多くあるが、エッセイにもそうした場面が出てくる。

草取りの話をしていると、住職みずからそのようなことをなさるのですかと問われることがある。むろん嘘ではない。そもそも禅寺では、畑仕事などを作務(さむ)と呼んで尊び、唐代の禅者百丈和尚は「一日作(な)サザレバ一日食(くら)ハズ」と言われた。勤労なくして食なしという戒めである。

瑞泉寺は1327年創建の古い歴史を持つ。住職としての責任は重い。

寺はタイムカプセルなのだ。必要とする人のために、まずは大切に保存しておく。後に伝える。それが文化のリレーランナーたる住持の最低限のマナーなのだ。そう思って、一日仕事の文書探しを終え、箱のふたをする。

身近な雑学や蘊蓄の話もあって、読んでいて楽しい。

ずいぶんと昔の話だが、何かの必要があって、手元にある草花図鑑で「ヤマイモ」を引こうとした。だが不思議なことに、「ヤマイモ」はない。そんなはずはないと分厚い図鑑をひっくり返しひっくり返して何度も調べ、やっと分かった。「ヤマイモ」ではなく「ヤマノイモ」が正式の名なのだと。

2020年7月2日、冬花社、1700円。

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2022年11月28日

BOOTH 無料公開の追加

下記の文章をBOOTHで無料公開しました。
https://masanao-m.booth.pm/

・エッセイ「光秀や義経のこと」「オセロと腕相撲」「風邪の匂い」
  *「母の友」2007年5〜7月号に連載した子育てエッセイ。

・平成歌壇10大ニュース「このゆるやかな曲がり角の先に」
  *「角川短歌年鑑」平成30年版に書いた文章。
   対象は平成16年から29年まで。

皆さん、どうぞダウンロードしてお読みください。
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2022年11月27日

瀬戸夏子『白手紙紀行』


「現代短歌」2018年5月号から2019年7月号まで連載された文章に加筆・修正をして文庫化したもの。

読書日記の体裁を取りつつ、幅広いジャンルの本を取り上げて、鋭い文芸批評を展開している。

印象に残った部分をいくつか。

最近、いい歌といい歌集というのはかなり別のものだ、ということをよく考える(もちろん、いい、の基準もまたそれぞれだ、ということは踏まえた上で、いったん、さておき)。
一首のなかに時間の経過を詠みこむと短歌は秀歌になりやすいが(短歌の場合、連作や歌集単位でも基本的にはおなじことが言えると思う)、花火、噴水、エレベーターなどは、単語単位でその効果が狙えるからではないだろうか。
短歌というのは案外長いものである。あってもなくても良いようにみえる言葉こそが歌の出来を決めることは多い。短歌の冗長さを利用している歌の場合は、それこそが心臓になる。意味内容などは肝にならない。
岡井隆の発明はたくさんあるが、そのひとつは加齢を許す文体の発明であったと思う。塚本か岡井か、この評価の時代による変遷、そして現状における岡井の優位はまずひとつここにある。

文章に勢いがあり、最後までぐいぐいと読ませる。内容的には同意する部分も疑問に感じる部分もあるのだが、著者の主張や短歌観をはっきりと打ち出しているところがいい。

2021年2月16日、泥書房、1200円。

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2022年11月26日

和歌山へ

中林祥江歌集『草に追はれて』を読む会に参加するため、和歌山へ。

会が始まる前に、会場近くの和歌山城を訪ねる。


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天守閣と御橋廊下。


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名勝 西之丸庭園(紅葉渓庭園)。


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あいにくの曇り空だったけれど、紅葉はきれいに色づいていた。


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一の橋のクスノキ。
樹高25メートル。1945年の和歌山空襲にも耐えて生き延びた木だ。

13:00から「塔」和歌山歌会、その後14:30から『草に追はれて』を読む会を行う。参加者の3首選に多く引かれていた歌は次の通り。

今日も陽は絶好調に昇りきて向日葵の頭(づ)をまづは照らしぬ
雨の前に花はよく咲く蜜蜂とキウイの受粉に励みて居りつ
本を読む少女の靴のつま先が折々あがる朝の電車に
色のよき実に仕上げむと一枚づつ葉を後ろ手のかたちに組ます
十月の畑に生れたる歌ひとつとどめし紙は土の匂ひす
わが憂さが指の先より抜けるゆゑ今日も一日庭の草ひく
この道を歩いてゆけば辿り着く月とおもへり海の一条

久しぶりにお会いする方も多く、楽しく懐かしい一日だった。
ありがとうございました!

posted by 松村正直 at 22:27| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月25日

古波蔵保好『料理沖縄物語』


1983年に作品社より刊行され1990年に朝日文庫に入った本を、与那原恵の協力により再刊したもの。

ジャーナリスト・エッセイストの古波蔵保好(こはぐら・ほこう、1910‐2001)が、主に戦前の沖縄の食に関して記したエッセイ集。

「冬至雑炊(とぅうじ・じゅうしい)」「鬼餅(むうちい)」「ぽうぽう」「ゆし豆腐」「スミイカ汁」「らふてえ」「古酒(くうす)」「豚飯(とぅんふぁん)」「山羊(ふぃじゃあ)」など、美味しそうな食べ物がたくさん出てくる。

わたしは、料理本を書くつもりはなかった。料理に託して、沖縄の女たちが描く風俗絵図をお見せしたかったのである。

著者があとがきに書いている通り、戦争で失われてしまったかつての沖縄の暮らしや習慣が、この本の一番のテーマなのかもしれない。

もちろん家庭の惣菜料理では、魚そのものがよく使われたけれど、昔ながらの手料理でわたしを育ててくれた母は、焼き魚とか煮魚など、日本的料理を知らなかったらしく、ぶつ切りにしてお汁に仕立てたり、炒め煮したり、「飛び魚」だと輪切りにしてカラ揚げにするといった調子だった。
沖縄の人たちにとって、家庭菜園の作物は共有みたいなもので、菜園のない近所の人たちが、あたりまえのように、「ごうやあもらいますよ」と入ってきて、欲しいだけ取っていく。取られるほうも、あたりまえのように、ニコニコと、幾つもさしあげる。
あのころの沖縄で飼育されているのは、黒い毛の豚ばかりだった。体毛の白い豚を見たことのないわたしは、豚は黒いものだと思っていたのである。沖縄からよその土地へいって、白豚を見たコドモが、あれも豚だと教えられ、豚のお婆さんですね、と珍しがったそうだ。

読んでいるうちに、沖縄にまた行きたくなってきた。沖縄料理が食べたいな。

2022年5月13日、講談社文庫、660円。

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2022年11月24日

岡本太郎『芸術と青春』


1956年に河出書房から刊行された単行本を再編集して文庫化したもの。「青春回想」「父母を憶う」「女のモラル・性のモラル」の三章構成になっている。

いつもながら、パリに帰ったときの感激は素晴らしい。世界にこんな明快で、優美で、心の奥までしみ入る情緒のあるところはない、この町以外で、どうして人間が人間らしく生活できるのか、とふしぎに思えるくらい、この町のユニークなよさに感動してしまうのである。
華やか好きだった母かの子を中心とした芸術家三人の親子は、確かに世の羨望の的だった。だから私達一家を、人々が非常に恵まれた、睦まじい家庭であったように想像しているのも無理ではないと思うが、しかし実際は、必ずしもそのような表現は当てはまらないのである。
私はお母さん達とか先生とか、若い世代を指導する人達に言いたい。あなた方がこれはやってはいけないことだ、と思われるようなことこそ、大ていの場合、むしろやらなきゃいけないことである。そう思ってみてほしいということです。

岡本太郎の文章は歯切れがよく、読んでいて気分がいい。特に父の一平や母のかの子に関する話は、どれもしみじみとした味わいがあって良かった。

2002年10月15日第1刷、2020年10月10日第11刷。
光文社知恵の森文庫、514円。

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2022年11月23日

講座「続・文学者の短歌」

12月3日(土)に毎日文化センターで、講座「続・文学者の短歌」を行います。

https://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/36106

今回は、柳田国男(民俗学者)、高村光太郎(詩人、彫刻家)、加藤楸邨(俳人)、中原中也(詩人)、三浦綾子(小説家)の5名を取り上げます。面白い歌や意外な歌がたくさん出てきますので、皆さんぜひご参加ください!

大阪(梅田)の教室でも、オンラインでも、どちらでも受講できます。時間は13:00〜14:30です。

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2022年11月22日

朴順梨『離島の本屋ふたたび』


副題は「大きな島と小さな島で本屋の灯りをともす人たち」。
2013年刊行の『離島の本屋』の続篇。
https://matsutanka.seesaa.net/article/482420991.html

連載の場が増えたことで今回は古書店も取り上げられている。また、沖縄本島の話が多く離島色はやや薄めになっている。

登場する島は、沖縄本島、喜界島、宇久島、種子島、佐渡島、伊豆大島、石垣島、屋久島。

私はずっと、なくならないことだけが正解だと思っていた。しかし時代が変われば人の生活も変わり、利用するデバイスも変わってくる。そんな中で私ができるのは、本と本屋に関わったことを「楽しかったし幸せだった」と思えるように、そこにいる人たちを応援し続けていくことなのだろう。
いつでも会える、いつでも行ける。そう思っているうちに人や場所はなくなってしまい、気づいた時に悔やんでももう取り返しはつかない。店は閉店したけれど、会いに行こう。
この取材で沖縄では、新刊本と古書を同じ棚に並べている書店がいくつもあることを知った。他の地域では古書と新刊はしっかり分けて売られていることが一般的なので、興味深く映った。

本屋をめぐる状況は厳しさを増している。そんな中で、この作者のように本屋を応援し、記録する試みは、ますます大事になっていくに違いない。

2020年10月30日、ころから、1600円。

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2022年11月21日

西勝洋一歌集『晩秋賦』

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今年80歳で亡くなった作者の遺歌集。
2002年以降の作品514首が収められている。

灯籠が浮き沈みして流れゆきふいに見えなくなりし夜の闇
滝桜は見るべくもなく霙降る三春(みはる)の町にうどんをすする
「宦官」というを初めて知りし日の光あふれる春の教室
うたた寝をしている間に滅びたる平家 日曜の夜も時代は移る
〈伝説の塩ラーメン〉を食べたいと友遠方より来たり楽しも
出勤して必ずくしゃみを一度する同僚の側にはコーヒーを置かず
「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」と分けてゆき終に残れり「分からないゴミ」
同級生十人揃い温泉に行く計画はにわかに進む
内科より歯科へと歩む半日の沈むならねど弾まぬこころ
映画館、本屋、床屋と別れゆく三人家族のそれぞれの午後

1首目、上句が面白い。歩きながら塀越しに灯籠を見ている場面か。
2首目、有名な桜を見るのは諦めるしかない。寒さが伝わってくる。
3首目、中学生の頃か。性の目覚めのイメージが鮮やかに描かれる。
4首目、うたた寝しながら見るテレビ。上句に栄華の儚さを感じる。
5首目、作者の住むのは北海道の旭川。論語を踏まえたユーモアだ。
6首目、同僚に対する皮肉の歌が何首かある。遠慮のないくしゃみ。
7首目、「分かる」の語源が「分ける」であるという話を思い出す。
8首目、「にわかに」がいい。誰かが言い出して見る見る話が進む。
9首目、下句の半ば打ち消すような言い方に、老いの悲しみが滲む。
10首目、町に出て各人の用事をしに行く。素敵な家族のあり方だ。

2022年9月28日、六花書林、2500円。

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2022年11月20日

森英介『風天 渥美清のうた』


映画「男はつらいよ」シリーズで知られる渥美清は、「風天」の俳号で俳句を詠んでいた。その作品を探し出し、全容を明らかにしようとした一冊。

芸名渥美清、役名車寅次郎、本名田所康雄、そして俳号風天。語っても語っても語りつくせない渥美清伝説の中で第四の顔、風天の部分だけがすっぽり抜け落ちている。

前半は関係者へのインタビューや取材を通じて全220句を見つけ出すまでの話で、後半は石寒太による全句解説という構成になっている。

印象に残った句を引く。

なんとなくこわい顔して夜食かな
立小便する気も失せる冬木立
ひぐらしは坊さんの生れかわりか
納豆を食パンでくう二DK
たけのこの向う墓あり藪しずか
あと少しなのに本閉じる花冷え
そば食らう歯のない婆(ひと)や夜の駅
乱歩読む窓のガラスに蝸牛
新聞紙通して秋刀魚のうねりかな
雨蛙木々の涙を仰ぎ見る

2008年7月10日第1刷、2018年5月15日第5刷。
大空出版、1714円。

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2022年11月19日

講座「多様化する短歌の「今」」

まだ先の話ですが、来年2023年3月18日(土)に朝日カルチャーくずは教室で、「多様化する短歌の「今」」という講座を行います。時間は13:00〜14:30の90分間。

この10年くらいの作品を読みながら、まずは短歌の現状について知り、そして今後について考えたいと思います。

教室(京阪「樟葉」駅すぐ)とオンライン、どちらでも受講できます。ご興味のある方はどうぞご参加ください。お待ちしております!

教室受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/67c99f87-f86e-4b10-d0c1-634df2cedadb

オンライン受講
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/248b082f-80a0-cf0e-6135-634df3ea2331

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今井町へ(その2)


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称念寺のイチョウ。

今井町はもともと、この寺の寺内町として発展してきた歴史がある。本堂は重要文化財。門の前には「明治天皇今井行在所」の石碑が立っている。


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今井まちなみ交流センター「華甍」(はないらか)

明治36年建築の旧高市郡教育博物館。昭和4年からは今井町役場として使われた。現在は今井町の歴史を紹介する資料館となっている。


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「紙半」豊田家住宅。

「紙半」という屋号で、肥料・綿・油・木綿などを扱っていた旧家。道の向かいにある「豊田家記念館」とあわせて入館料300円。


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天井を見ると、昔のままの太い梁が残っている。


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豊田家記念館の敷地にあるカイヅカイブキ。
樹高11.5メートル。樹齢約250年。

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2022年11月18日

今井町へ(その1)

来月の別邸歌会の下見も兼ねて、奈良県橿原市の今井町へ行く。


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蘇武橋のエノキ。

飛鳥川にかかる蘇武橋(そぶはし)の西岸に立っている。今井町の入口に当たる場所だ。樹高14メートル。推定樹齢420年。


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「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている今井町。
東西約600メートル、南北約310メートル。
周囲に堀や土塁をめぐらした環濠集落であった。


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重要文化財9件を含む約500件の伝統的建造物があり、江戸時代の雰囲気を色濃く残している。映画のセットのようにも見えるけれど、普通に人が暮らす生活の場だ。


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重要文化財の旧米谷(こめたに)家住宅。
18世紀中頃の建物で、無料で公開されている。


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かつては「米忠」という屋号で金物商を営んでいたとのこと。
伊右衛門のCMに使われたこともある。
https://www.youtube.com/watch?v=mS1vn1tE5EM

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2022年11月17日

大崎善生『将棋の子』


2001年に講談社より刊行された単行本の文庫化。
第23回講談社ノンフィクション賞受賞作。

日本将棋連盟で働き「将棋世界」の編集長を務めた著者が、プロ棋士養成機関である「奨励会」(新進棋士奨励会)について記した作品。過酷な競争の果てにプロになれず去っていった退会者たちの、その後を描いている。

同じ札幌出身で親しかった成田英二を訪ねて北海道へ行く話を軸に、戦いに敗れた退会者たちの物語が群像劇のように展開する。世代的には羽生善治の前後に当たる者たちの話が多い。

羽生は55勝22敗で6級から初段をかけ抜けた。ということは、奨励会対羽生は22勝55敗、誰かがその55敗を引きうけていることになる。しかも、それは羽生だけに限らず、羽生とそれほど遜色のない勝率でここまで勝ちあがってきた57年組全員に対していえることなのである。つまり、57年組の嵐が吹き荒れる間、奨励会は沈没船や難破船の山となっていたはずなのだ。

1勝の影には必ず1敗があり、勝者の向こうには必ず敗者がいる。プロになれずに去っていく者の方が、人数で言えば圧倒的に多いのだ。そして、その後も人生は続いていく。

2003年5月15日第1刷、2020年10月28日第27刷。
講談社文庫、700円。

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2022年11月16日

短歌と人間

小池光の歌集『サーベルと燕』に、こんな歌がある。

勝ちが見えれば指が震へる人間羽生四十九歳になりてをりたり

25歳で将棋界の7つのタイトルを独占し、今では永世七冠の資格を有する羽生善治九段。そんな天才もまたAIとは違う「人間」であって、勝ちを意識すると駒を持つ指が震えるというのだ。

勝ちを読み切った際の羽生の指の震えは、将棋ファンにはおなじみの話。この歌が印象的だったのは、小池が同じく羽生について以前こんな歌を詠んでいるからである。

「将棋に人生を持ち込むと甘くなる」羽生善治言へりわれら頷く/『静物』(2000年)

約20年経て詠まれた二つの歌を比較すると、小池の短歌に対する考えの変化を窺うことができる。小池の歌集にはこんなふうに、かつての歌とつながる歌が数多く潜んでいる。

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2022年11月14日

三越のライオン像

『絵はがきの大日本帝国』に三越のライオン像の話が出ていた。

ちなみに今も三越本店の正面玄関前に座す二頭の獅子像のルーツを辿ると、百年以上も前の日露戦争に遡る。それはロンドンのトラファルガー広場に建つネルソン提督記念碑の獅子像(四頭)を模した特注品だ。日英同盟の影響も大きい。トラファルガー、ネルソン、東郷平八郎、日本海海戦の順に連想したと思われる。

ライオン像 | 日本橋三越本店 | 三越 店舗情報

三越のライオンに手を触れるひとりふたりさんにん、何の力だ
/荻原裕幸『永遠青天症』
三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった
/平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』
三越のライオン像に銭(ぜに)あげて祈るひとあり東京暮色
/小池光『サーベルと燕』

ライオン像に触れたり、待ち合わせしたり、賽銭を上げたり。
さすが100年以上の歴史を誇るライオンだけのことはある。

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2022年11月13日

二松啓紀『絵はがきの大日本帝国』


1900年の北清事変から1945年の敗戦に至る「大日本帝国」の姿を、390点のカラーの絵葉書とともに解説した本。とても興味深く、資料的な価値も高い。

絵はがきはメディアである。見知らぬ土地の風景を我々に見せてくれる。小さな紙片にはさまざまな情報が凝縮されている。それが古いとなれば、未知なる過去への扉にもなる。

私も『高安国世の手紙』や『樺太を訪れた歌人たち』に、資料として絵葉書を載せている。戦前の出来事や社会風俗を知るためには、絵葉書は必須のアイテムと言っていいだろう。

絵はがきの世界は、購入者が見たい、発行者が見せたい、検閲者が見せてはならないという三要素によって成立してきた。発行者が不特定多数の購入者(読者)を意識し、大量に発行するとマスメディアとしても機能した。

以下、備忘的に印象に残った部分を引く。

当時の京城でブランド力を持つ百貨店は三越だけではない。「三中井」ブランドも強かった。「三中井」は、近江商人の中江家が江戸時代から神崎郡金堂村で営む呉服小物店「中井屋」を起源とし、旅順陥落から間もない一九〇五年一月、朝鮮の大邱に創立した三中井商店が大陸進出の第一歩となる。
第一次世界大戦では日本とロシアは連合国として参戦した。ウラジオストクを中継点にシベリア鉄道を経由して、日本からヨーロッパへ大量の軍需物資が輸送された。かつて日本にとって軍事的脅威だった鉄道が逆に莫大な富をもたらす輸送ルートになった。
和風の住宅街の後方に二七本の煙突が確認できる。上空に噴き上がる黒煙は凄まじい。現代人の感覚からすれば、産業化どころか環境汚染の象徴のように感じるが、当時の感覚は今と異なっていた。(…)戦前日本において黒煙は豊かさを生み出す源泉と見なされた。
「平野丸」は一九〇八(明治四一)年一二月に竣工した貨客船だ。欧州航路に就航し、歌人与謝野晶子が乗船した船としても知られるが、一九一八(大正七)年一〇月四日にドイツ海軍のUボートの攻撃を受けて英国西部ウェールズ沖で撃沈され、二一〇人の犠牲者を出す。
調査団は英国のリットン伯爵(卿)を委員長とし、フランスのクローデル中将、イタリアのアルドロバンディ伯爵、米国のマッコイ陸軍少将、ドイツの植民政策研究家シュネー博士が委員だった。公平を期すため委員五人の人選は日中両国の同意を得ていた。
北日本汽船の「日本海時代来る」は日本海湖水論の視覚化に成功したといえる。大陸を取り囲むように、樺太から北海道、本州、九州へと連なり、稚内、留萌、小樽、函館、酒田、新潟、舞鶴などの都市名を列記する。大陸側にあるソ連の浦鹽斯徳(ウラジオストク)、朝鮮北部の清津、雄基、城津から一直線に敦賀と舞鶴へと航路が延びる。

それにしても、知らない話がたくさん載っている。歴史の奥深さと面白さを体感できる一冊だ。

2018年8月10日、平凡社新書、1400円。

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2022年11月12日

映画「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」

監督:山田洋次
脚本:山田洋次、朝間義隆
出演:渥美清、いしだあゆみ、柄本明、片岡仁左衛門、倍賞千恵子、吉岡秀隆ほか

1982年公開のシリーズ第29作。

陶芸家を演じる片岡仁左衛門と、女中役のいしだあゆみがいい。陶芸家の自宅シーンは、京都の河井寛次郎記念館で撮影されたとのこと。

シリーズの中でも名作の一つで、印象に残る台詞が多い。丹後の伊根や、鎌倉・江ノ島の風景も美しい。

アップリンク京都、110分。

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2022年11月11日

梅木孝昭『サハリン 松浦武四郎の道を歩く』


幕末の探検家・著述家の松浦武四郎は、1846(弘化3)年と1856(安政3)年の2回にわたって樺太を訪れた。著者は武四郎の残した日記やスケッチを元に、彼の通ったルートを追跡していく。

舗装されていない道路も多く、また道のない海岸線もある。非常に根気の要る調査の末に、サハリン州郷土博物館の協力もあり、7年間かけてようやくルートの全容が明らかになった。

樺太各地で武四郎の描いたスケッチと、著者の撮った写真が対比されている。

私は現地で、絵の構図に合わせた写真を撮ろうとして近くの斜面に登ったが、その辺りはせいぜい五〇メートルほどの高さでしかなかった。しかも四五度以上もある急斜面で、ずるずると滑り落ちながら苦労して撮影した。

現地を訪れて著者が発見したのは、武四郎のスケッチが単に見たままを描いたものではなく、周辺の地形を説明するための鳥観図であるということだ。今ならドローンを使って撮影したようなものだろう。

武四郎は西能登呂岬の「白主土城」も訪れている。元軍による樺太侵攻(北の元寇)の遺跡とも言われる場所だ。

これが築かれた年代ははっきりしないが、一二八一年(弘安四年)の元軍による第二回目の日本遠征の後、カラフトアイヌ人との交戦が幾度かあり、一三〇八年(延慶元年)には完全に元軍に屈したと伝えられている。

松浦武四郎、すごい人だな。
サハリンを気軽に旅行できる日が、早くまた訪れてほしい。

1997年3月17日、北海道新聞社、1500円。

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2022年11月10日

映画「2046」

監督・脚本:ウォン・カーウァイ
出演:トニー・レオン、チャン・ツィイー、フェイ・ウォン、コン・リー、木村拓哉ほか

2004年公開の作品。4Kレストア版による再上映。
「欲望の翼」「花様年華」に続く1960年代シリーズ第3作。

香港のホテルの「2046」号室を舞台に、求め続けても得ることのできない永遠の愛を描いた物語。現在と過去、現実と小説が入り混じり、ぐるぐる回り続けるような感覚になる。

前作「花様年華」とのつながりは、かなり濃い。また、トニー・レオンとフェイ・ウォンのやり取りは「恋する惑星」を思い出させる。

京都シネマ、129分。

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2022年11月09日

落合博『新聞記者、本屋になる』


長年勤めた新聞社を退職し、浅草・田原町に書店「Readin' Writin' BOOKSTORE」を開業した著者が、新聞記者時代の経験や書店開業に至る経緯、そして開業後のできごとについて記した本。

近年、数を増やしているセレクト系、独立系の個人経営の書店の開業記だ。

芥川賞や直木賞などのニュースに即応して平積み展開する本屋を「FAST MEDIA」、返品できない代わりにロングセラーに軸足を置くうちのような本屋を「SLOW MEDIA」と定義してみる。
1000円の本が売れたとして手元に残るのは200〜300円。本屋だけの稼ぎで暮らしていくのは不可能に近い、というのが開店5年目に入った僕の実感だ。

店では本を売るだけでなく様々なイベントも行っていて、コロナ禍前には年間100回以上も開催していたとのこと。歌人の鈴木晴香さんの短歌教室の話も出てくる。

最初の教室で鈴木さんは「短歌は自分の気持ちは書きません。情景を書きます」と話した。ライティングの個人レッスンで僕も同じようなことを話している。短歌を詠んだことは一度もなかったが、共通点があることを知り、うれしかった。

文章は読みやすいのだが、けっこう癖が強い。オヤジの自慢話的な口調がのぞく部分もあって、好みの分かれる一冊だと思う。

2021年9月30日、光文社新書、940円。

posted by 松村正直 at 08:32| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月08日

講座「続・文学者の短歌」

12月3日(土)に毎日文化センターで、講座「続・文学者の短歌」を行います。時間は13:00〜14:30(90分間)。

https://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/36106
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/02fz66kqxgn21.html

大阪(梅田)の教室でも、オンラインでも受講できます。
ご興味のある方はぜひご参加ください。

近代以降、短歌は多くの人々に親しまれてきました。歌人として知られる人物だけでなく、さまざまな文学者たちも歌を詠んできたのです。短歌は若き日の彼らの文学の出発点となり、また終生愛する詩型ともなりました。

本講座では、柳田国男(民俗学者)、高村光太郎(詩人、彫刻家)、加藤楸邨(俳人)、中原中也(詩人)、三浦綾子(小説家)らの短歌を紹介しつつ、その時代背景や人生をたどります。その上で、短歌という詩型の持つ特徴や魅力にも迫りたいと思います。
posted by 松村正直 at 23:04| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月07日

映画「花様年華」

監督・脚本:ウォン・カーウァイ
出演:トニー・レオン、マギー・チャン

2000年公開の作品。4Kレストア版による再上映。

1960年代の香港を舞台に、アパートの隣人になった男女の、すれ違い交差する運命を描いた物語。

主演の2人がとても魅力的。始まりのテンポの良さに比べて、終わりは何度も引き延ばされる。終わらせ方が難しかったのかもしれない。

チャイナドレス息のむまでにうつくしき香港映画「花様年華(かやうねんか)」に/小池光『サーベルと燕』

京都シネマ、98分。
posted by 松村正直 at 22:44| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月06日

会田誠『性と芸術』

著者 : 会田誠
幻冬舎
発売日 : 2022-07-21

全体が2章構成になっていて、T章の「芸術」と二章の「性」に分かれている。

T章は、物議を醸した絵画作品「犬」シリーズ6作について、その制作過程や動機、芸術をめぐる問題などについて論じたもの。U章は、幻冬舎のPR誌やウェブマガジンに計9回連載された文章で、「性」に関する考察が記されている。

自作や自分について記すのは難しく苦しいものだと思うが、T章U章ともに著者の真摯で率直な姿勢が滲み出ていて良かった。

明治になって西洋から「洋画(油絵)」が入ってきた時、それに対立するものとして、無数の人々によって人工的に作られたのが、「日本画」という概念および文化ジャンルである。明治以前にはその言葉はなかった。
この「岩絵具問題」に限らず、「物質的フェイク/にもかかわらず・だからこそ/(目指せ)精神的本物」というコンセプトは、私の全美術作品に共通する特徴になってゆく。
『犬』の第一の目的は、「日本画維新」であって、「悪」はそのための手段に過ぎなかった。あるいは「エロティシズム」も。どちらも、この作品では主題として全力を傾けて追求されているものではない。
私がたずさわっている仕事は「現代美術」であり、そのことを保証しているのは、私の作ったものに批評性が宿っているからだ。逆に言えば、批評性がなくなったら、その時点で作ったものは「現代美術」の範疇から外れてしまう
芸術とは何か――そもそも「芸術」と「芸術じゃないもの」の線引きは、近年ますます難しくなってきています。「美しいものが芸術」「感動させるものが芸術」といった素朴な定義は、だいたいひい爺さんの時代に終わりました。

「絵画」や「美術」「芸術」についての話であるが、もちろんこうした問題を「短歌」に置き換えて考えることもできるだろう。

2022年7月20日、幻冬舎、1600円。

posted by 松村正直 at 10:31| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月03日

国策会社

このところ、戦前の日本の「国策会社」に興味が湧いてきた。植民地経営のために設けられた半官半民の組織で、代表的なものとして、

南満洲鉄道(満洲)
東洋拓殖(朝鮮)
台湾拓殖(台湾)
北支那開発(華北)
中支那開発(華中)
樺太開発(樺太)
南洋興発(南洋群島サイパン)
南洋拓殖(南洋群島パラオ)

などがある。こうした国策会社が植民地支配に果たした役割について、少し考えてみたい。

posted by 松村正直 at 10:43| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月02日

今井恵子歌集『運ぶ眼、運ばれる眼』


「まひる野」編集委員の作者の第6歌集。

「眼の移動」をテーマにした歌集で、T章「土を踏む」は徒歩による移動、U章「運ばれる眼」は乗物での移動をもとに詠まれた歌、合計308首が収められている。T章は歌と歌の間に散文(詞書)も多くあり、作者と一緒に歩いているような気分になる。

その脇に椿一樹をそよがせて丸き塚あり天心の墓
はるかなる歴史を音に聞くごとく怒田畑(ぬたばた)・留原(ととはら)・人里(へんぼり)・笛吹(うずしき)
「この家で葭子はビールを飲みました」そんなことまで話題となって
背をのばし埴輪のおんなは歩きだす頭上に大き壺を運びて
風よけの黒きフードに顔しずめ平らな水に垂らす釣糸
カーブする路面電車にひらけゆく線路あかるし早稲田駅まで
大公孫樹の下に自転車停めながら水の透明をラッパ飲みする
膝の上にコートを載せて温めおり左の視野を川過ぎるとき
橋裏にはたらき足場を組む人に間近く舟は寄りて過ぎたり
わが乗れる気球の影よアメリカの野面を森をふわりと這つて

1首目、茨城県の五浦にある岡倉天心の墓。椿から始まるのがいい。
2首目、難読地名を見ると、地名の由来や土地の歴史が想像される。
3首目、三ヶ島葭子の足跡をたどる。歴史でもあり伝聞でもある話。
4首目、頭に壺を載せる埴輪。見ているうちに動き出しそうな感じ。
5首目、じっと動かず表情も見えない釣り人。「顔しずめ」がいい。
6首目、唯一残る都電の荒川線。「ひらけゆく」が路面電車らしい。
7首目、ミネラルウォーターを飲むところ。「水の透明」が巧みだ。
8首目、新幹線に乗って川を渡る場面。川から冷気が伝わるような。
9首目、神田川クルーズ。地上からでは見えない場所で働く人の姿。
10首目、大地の起伏を移りゆく気球の影。広々とした景が浮かぶ。

2022年7月22日、現代短歌社、2700円。

posted by 松村正直 at 12:49| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月01日

映画「続・男はつらいよ」

1969年公開のシリーズ第2作。

「男はつらいよ ビームス篇 寅年」開催記念の特別上映。やはり映画館で見られるのは嬉しい。

冒頭に寅さんの見た夢のシーンが出てくる。これは第1作にはなく、この作品が始まりのようだ。

嵐山、清水寺、毘沙門町、三条大橋など、京都が舞台として出てくるので、今回上映作品に選ばれたのだろう。

恩師役の東野英治郎の存在感が光る。

アップリンク京都、93分。

posted by 松村正直 at 06:28| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする