2022年09月30日

雑詠(019)

*******************************

明治二十四年建立の殉難碑 廃トンネルの入口に立つ
ぶらさがり茄子の畑にむらさきの茄子あり茄子のかなしみ深く
スクリーン3の暗がりに身をひたす今日もどこへも行けぬ私が
耳の裏にしきりと汗をかくような身体となってタオルで拭う
男性向け料理教室 廊下まで声は響けり女性講師の
枝に止まるゴイサギふいに両脚にちからを溜めて糞を落としぬ
夢も何もないことなれど田舎町の次男に生まれし竹久茂次郎(もじろう)

*******************************

posted by 松村正直 at 07:05| Comment(2) | 雑詠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月29日

『ロバート・キャパ写真集』


ICP(国際写真センター) ロバート・キャパ・アーカイブ編。

ロバート・キャパ(1913-1954)の撮影した約7万点のネガから236点を選んで掲載した写真集。演説するトロツキーを写した最初の1枚から、地雷を踏んで死ぬ直前の最後の1枚まで、各地の戦場を撮ったキャパの生涯が浮かび上がる。

目次は「《ロバート・キャパ》の誕生1932-1939」「スペイン内戦1936-1939」「日中戦争1937-1941」「第2次世界大戦1939-1945」「戦いの後の光景1945-1952」「イスラエル独立と第1次中東戦争1948-1949」「友人たち」「日本1954」「第1次インドシナ戦争1946-1954」となっている。

キャパは中国での紛争を、ファシズムに対抗する世界共通の戦いの、東洋における前線=「東部戦線」と考えていた。

「スペイン内戦」と「日中戦争」を一つの大きな枠組みで捉える視点を、当時からキャパは持っていたわけだ。その視野の広さが魅力的である。

1944年8月、ドイツ軍の占領から解放されたフランスで撮られた写真には、次のようなものもある。「ドイツ兵との間に子をなしたフランス人女性は、罰として頭髪を剃られた」「頭髪を剃られたフランス人女性は、市民から嘲笑を浴び、徒歩で帰宅させられる」。

歓喜に湧く市民やドゴール将軍の演説だけでなく、こうした影の部分も写しているところに、キャパの目の確かさを感じる。

1913年生まれということは、高安国世と一緒なんだな。

2017年12月15日第1刷、2021年5月27日第5刷。
岩波文庫、1400円。

posted by 松村正直 at 07:05| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月28日

鯨井可菜子歌集『アップライト』


296首を収めた第2歌集。
結婚して新しい生活が始まる。家族の歌や仕事の歌が多い。

日々きみを思えば胸にこんがりと縁まで焼けてゆく目玉焼き
テーブルの麦茶のコップ遠ざけてそこにひろげる婚姻届
チーズケーキくずしては食み聞いている隣の客の骨折のはなし
食パンを山と麓(ふもと)に切り分けて夫婦二人のサンドイッチ成る
鋤跡のわずかに残る冬の田をパンタグラフの影わたりゆく
真空パックのなかに伸されてしゃべらないあじの開きを両手につつむ
「頭すすってあげてください」活海老の握りを出して板前が言う
消しゴムのかすを払ってゲラをよけデスクに食すかんぴょういなり
小舟のようにコイントレーは行き交えりアクリル板の下の隙間を
ゆるされて旅館に足を踏み入れる三十六・四度のわたし

1首目、相手への思いが日ごとに確かなものになっていくのだろう。
2首目、麦茶のコップの生活感と大切な婚姻届の取り合わせがいい。
3首目、カフェで耳に入ってきた話。「くずして」と「骨折」の妙。
4首目、上半分と下半分を「山と麓」と見たところに楽しさが滲む。
5首目、郊外の風景を映像的に描いた。田の脇を鉄道が通っている。
6首目、身を割かれ真空パックに閉じ込められていると思うと哀れ。
7首目、会話は文脈や状況に多くを依存していることがよくわかる。
8首目、職場でささっと食事しているところ。忙しさがよく伝わる。
9首目、コロナ禍で目にすることの増えた光景。「小舟」がうまい。
10首目、入口で検温が必要。「ゆるされて」から始まるのがいい。

2022年9月17日、六花書林、2000円。

posted by 松村正直 at 07:52| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月27日

映画「アルピニスト」

1992年生まれのクライマー、マーク=アンドレ・ルクレールに2年間にわたって密着取材したドキュメンタリー。

数々の断崖絶壁を命綱なしのフリーソロで登攀する姿をカメラは追う。何百メートルもの高さの壁を両手両足だけで登る姿は、見ているだけで思わず足がすくむ。

でも、彼は常に淡々と、慌てることなく、岩の壁も氷の壁も雪の壁も熟練した技術で登り切る。

インタビューに「登山をすると人生がシンプルになる」と答えていたのが印象的だった。恋人や母親の語る話もいい。

出町座、93分。

posted by 松村正直 at 06:59| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月26日

筒井清忠編『大正史講義【文化篇】』


大正時代の文化に関して24名の執筆者の書いた計27篇の論稿をまとめた本。

民本主義、国家主義、大正教養主義、童謡運動、新民謡運動、女子学生服、大衆文学、時代小説、漫画、大衆歌謡、映画、百貨店、カフェーなど、幅広い分野の話が載っている。

また、取り上げられている人物も、吉野作造、上杉愼吉、西田幾多郎、夏目漱石、宮沢賢治、北原白秋、鈴木三重吉、西條八十、竹久夢二、岡本一平、小林一三と多岐にわたる。

日本の学生マルクス主義の特徴として、はなはだ教養主義的傾向が強いということが指摘されうるだろう。それは、何よりも「西欧古典崇拝」の傾向が両者ともに強いという共通性に窺える。
漱石はこの新興勢力(岩波書店:松村注)の象徴的存在となり、漱石文学の普及と大正教養主義の隆盛、そして岩波書店の発展の三つが相乗効果を生み、それぞれの威信の上昇につながったと考えられる。
年表的には、大正時代は大正天皇の即位とともに始まるが、文学の面、さらに広くいえば文化史的には日露戦争の終結から始まっている。それはちょうど、昭和時代が文化の面では、大正十二年の関東大震災のあとの帝都復興、モダン都市東京から始まっているのに似ている。
むしろ、前近代社会の方が、謡の共通性が高く、近代化されたこの時代になって人々は地域的差異化、ローカリズムの確立を望んだのである。
住吉や御影が神戸市に編入されるのは昭和二五(一九五〇)年であり、この両地域が「阪神間モダニズム」として語られるのは、大正末昭和初期は、神戸市外だったからである。

ジャンル横断的に多くの論が含まれているが、その背景にある大正という時代の輪郭が、読み進めるうちに色濃く浮かび上がってくる。

2021年8月10日、ちくま新書、1300円。

posted by 松村正直 at 18:50| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月25日

オンライン講座「短歌のコツ」

NHK学園のオンライン講座「短歌のコツ」が、10月から新しいクールに入ります。
https://college.coeteco.jp/live/8676cxww

・10月27日(木)
・11月24日(木)
・12月22日(木)

日程は上記の3回で、時間は19:30〜20:45の75分間。前半に秀歌鑑賞をして、後半に1人一首の歌の批評・添削を行います。

ご興味のある方は、ぜひご参加ください。
お待ちしております。

posted by 松村正直 at 19:48| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月24日

川本千栄『キマイラ文語』

 kawamoto.jpg

第2評論集。
副題は「もうやめませんか?「文語/口語」の線引き」。

T章「キマイラ文語」とU章「近代文語の賞味期限」は、短歌における文語・口語の問題を論じたもの。V章「ニューウェーブ世代の歌人たち」は、2001年に書かれた文章と座談会の再録となっている。

座談会には松村も出ています。今読み直すと失礼なことを平気で喋っていますが、20年前のものなのでご容赦ください。

現代短歌社のオンラインショップで購入できます。
皆さん、ぜひお読みください!

https://gendaitanka.thebase.in/items/66851037

2022年9月5日、現代短歌社、1500円。

posted by 松村正直 at 21:12| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月23日

第3回別邸歌会

10月2日(日)13:00〜17:00、滋賀県甲賀市の「旧水口図書館」で第3回別邸歌会を開催します。

昭和3年竣工のレトロモダンなヴォーリズ建築で、一緒に歌会をしませんか? 


 DSC00450.JPG


DSC00446.JPG


現在、定員16名のうち10名のお申込みをいただいていて、残り6席です。参加をご希望の方はお早めにご連絡ください。


 「別邸歌会」チラシ 2022.07.28.jpg
posted by 松村正直 at 21:16| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月20日

佐藤通雅歌集『岸辺』


2017年から2021年の作品484首を収めた第12歌集。

「ツクシタ」とは「クツシタ」のことクツはいて幼と散歩に出かけんとして
期間限定安売り墓地の広告を二日とりおき三日目に捨つ
ジンシンジコ ダイヤノミダレ カタカナで事を思ひてたれもが静か
人の在処さらに捜すをあきらめし角封筒が汚れて戻る
おもちや病院開設されて神妙なる面持ちしたる子どもら並ぶ
読経中の婦人のやうだがいやちがふ数独の枠を凝視してをり
駅ピアノに人は寄り来て一曲を早瀬のごとく弾いて去るなり
消(け)残れる雪は童子の象(かたち)にて手をあげそして逆立ちもする
師といふを持たざるわれはヒメツバキ一枝(いつし)折りきて卓上に置く
原稿用紙に書くこと絶えてたまたまに用紙開けばただに美し

1首目、幼子の言葉に一瞬ドキッとする。誰に「尽くした」のかと。
2首目、墓地もこんなふうに売られているのか。複雑な気分になる。
3首目、意味のない言葉として処理される。人が死んでいるのだが。
4首目、擬人法が効果的。さんざん探し回って疲れ切った姿である。
5首目、本当の病院のように、あるいはそれ以上に神妙な顔つきだ。
6首目、ぶつぶつ声を出しながら考えているところ。「枠」がいい。
7首目、「早瀬のごとく」がいい。駅ピアノはまさにこんな感じだ。
8首目、日が経つにつれて変わる形を子ども動きのように見ている。
9首目、50年以上、個人誌「路上」を拠点にしてきた矜持が滲む。
10首目、原稿用紙に手書きで文字を書いていた頃を懐かしむ思い。

他に、前立腺がんの治療に関する歌も印象的で、また「大川小学校津波裁判」に関する一連も重い問い掛けとして胸に残った。

2022年7月15日、角川文化振興財団、2600円。

posted by 松村正直 at 20:08| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月19日

白秋と南イタリア

昨日の読売新聞「よみほっと」で三浦三崎(神奈川県三浦市)が、北原白秋の「さながら南以太利の沿岸を思はせる景勝の土地である」という言葉とともに紹介されていた。
https://www.yomiuri.co.jp/stream/1/20011/

この言葉は歌集『雲母集』(1915年)のあとがきに記されたもの。もう少し長く引用してみよう。

相州の三浦三崎は三浦半島の尖端に在つて、遥かに房州の館山をのぞみ、両々相対して、而も貴重なる東京湾口を扼してゐる、風光明媚の一漁村である。気候温和にして四時南風やはらかく而も海は恍惚として常によろめいてゐる、さながら南以太利の沿岸を思はせる景勝の土地である。

三浦三崎の風景が南イタリアに似ていると記すのだが、白秋は南イタリアに行ったことはない。樺太(1925年)や台湾(1934年)は訪れているが、意外なことに白秋は一度も外国には出掛けたことはない。

では、なぜ「南以太利」が出てくるのか。それは、おそらく白秋の愛読した森鷗外訳『即興詩人』(アンデルセン原作)によるのだろう。そこに描かれたナポリあたりの風景が、白秋の「南以太利」イメージのもとになっているのだ。

posted by 松村正直 at 06:59| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月18日

安永幸一監修『吉田博画文集』


副題は「われ山の美とともにあり」。

主に吉田博『高山の美を語る』から引いた文章と、吉田の絵画を取り合わせて編集した画文集。

いつも一(ひと)元気で一気に描くことにしている。その方が時間をかけて綿密に描くものよりもはるかに力がある。
それから、これは純粋な山ではないが、私は瀬戸内海の島々が好きである。瀬戸内海からいえば、島とはつまり山だということになるが、これ等の諸々がいずれも素晴らしい特異な展望美を備えている。
ヒマラヤは、丁度九州の端から北海道の端までの長さぐらいの連山である。幅も丁度日本内地の幅に略々等しい。

文章からは吉田の山に対する愛情がよく伝わってくる。

「渓流」「モレーン湖」「マッターホルン/マタホルン山」「風景(ダージリン)/ダージリンの朝」など、油彩と版画の両方で同じ場面を描いた作品もあるが、両者の印象はずいぶん違う。油彩が暗くて荒々しいのに対して、版画は明るくて穏やかだ。

肉筆浮世絵と浮世絵版画(錦絵)の違いに似ている。

吉田は福岡県久留米市で生まれ、福岡県浮羽郡(現うきは市)で育った関係で、福岡県立美術館や福岡市美術館に作品が多く収蔵されているようだ。

2017年9月20日、東京美術、2000円。

posted by 松村正直 at 07:50| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月16日

フィリップ・ワイズベッカー『フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり』


パリとバルセロナを拠点に活動するアーティストが、日本各地の郷土玩具の制作現場を訪ねて回ったエッセイ集。小さな判型の本にデッサンや写真、取材ノートも載っていて楽しい。

・子 伏見人形の唐辛子ねずみ(京都)
・丑 会津張り子の赤べこ(福島)
・寅 ずぼんぼのとら(東京)
・卯 金沢からくり玩具のもちつき兎(石川)
・辰 竹工芸の辰(岡山)
・巳 きびがら細工のヘビ(栃木)
・午 きじ車の馬(大分)
・未 仙台張り子の羊(宮城)
・申 木の葉猿(熊本)
・酉 木工創作玩具の酉(宮城)
・戌 赤坂土人形の戌(福岡)
・亥 一刀彫の亥(奈良)

ところどころ、外国人から見た日本についての印象が記されているのも面白い。

欧米では月面に人の顔が見えると言われてきたが、日本人には兎が餅をつく姿に見えるらしい。
線路沿いに見える水田は、住宅に接し、見渡す限りあちこちに広がっている。水が土に入れ替わった光景は、西洋人の私には驚くべきものだ。
こけしは主に東北地方でつくられる人形で、我々フランス人がジュ・ドゥ・キーユと呼ぶボウリングに似た遊びの道具に形が似ている。
奈良では、鹿が優先権を持っている。道路上で頻繁に見かける「鹿の飛び出し注意」の標識に仰天したのは私だけで、ここでは当たり前のことなのだ。

連載は「中川政七商店」のWEBでも読むことができる。
https://story.nakagawa-masashichi.jp/34832

2018年11月27日、青幻舎、2000円。

posted by 松村正直 at 07:30| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月15日

今後の予定

下記のイベント、歌会、カルチャー講座に参加します。
多くの方々とお会いできますように!

・10月2日(日)第3回別邸歌会(滋賀)
 https://matsutanka.seesaa.net/article/490888255.html

・10月16日(日)国際啄木学会2022年度秋の大会(宮城)
「大正デモクラシー期の文学と思想―啄木・晶子・作造―」
 https://takuboku.jp/seminar/452/

・10月23日(日)文学フリマ福岡
 https://bunfree.net/event/fukuoka08/
 *キャンセル

・11月3日(祝)講座「永井陽子の奏でる言葉」(京都)
 https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_2-49709.html

・11月26日(土)中林祥江『草に追はれて』を読む会(和歌山)
・12月4日(日)現代歌人集会秋季大会(京都)
・12月11日(日)第4回別邸歌会(橿原)

posted by 松村正直 at 18:13| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月14日

映画「長崎の郵便配達」

監督・撮影:川瀬美香
出演:イザベル・タウンゼンド、谷口稜曄、ピーター・タウンゼンド

長崎で被爆した少年を描いたノンフィクション『ナガサキの郵便配達』(1984年)の著者ピーター・タウンゼンド。その娘であるイザベル・タウンゼンドが、2018年夏に長崎を訪れ、父の本や取材テープを元に父の足跡をたどるドキュメンタリー。

https://www.amazon.co.jp/Postman-Nagasaki-Peter-Townsend/dp/0140081364

『ナガサキの郵便配達』に登場するのは、16歳で被爆して全身大火傷を負い、後に核兵器廃絶の運動を続けた谷口稜曄(すみてる)。彼とピーター・タウンゼンドの間に結ばれた友情や平和にかける思いが、イザベルの訪問によって明らかになっていく。

インタビューに答えるイザベルの英語が聞き取りやすいと感じたのだが、フランス生まれでフランスに暮らす人であった。イザベルの旅に夫と2人の娘が同行しているのが印象的だ。

『ナガサキの郵便配達』(The Postman of Nagasaki)と映画「長崎の郵便配達」(The Postman from Nagasaki)は同じ題のようで、実は「of」と「from」の違いがある。そこに、故人の遺志を受け継ぎ伝えていく決意をしたイザベルの思いが表されている。

京都みなみ会館、97分。

posted by 松村正直 at 07:22| Comment(3) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月13日

啄木と電話

啄木の生きていた明治時代、個人間のやり取りは主に葉書や手紙で行われていた。まだ電話は一般には普及していない。

明治23年に日本で初めて東京・横浜間で電話の取り扱いが始まったが、加入数はわずか197件。明治40年でも5万8000件であった。

それでも、啄木が下宿していた蓋平館別荘には電話があったようで、明治41年9月11日の日記に、啄木はこんなふうに書いている。

 明日午後二時から徹宵の歌会をやるといふ平野君の葉書。
 並木から電話。実は電話はイヤだつた。イヤと云ふよりは恐ろしかつた。四年前にかけた事があるッ限、だから、何といふ訳もなく、電話に対して親しみがない。今煙草をのんでるので立たれぬからと無理な事を言つて、女中に用を聞かせると、平野から葉書が来たけれど、何にも書いてないと言ふ。仕方なしに立つて電話口に行つたが、何でもなかつた。これからは、いくら電話がかかつて来てもよい。兼題を知らしてやつた。

下宿先に友人から電話が掛かってきて女中が取り次いでくれたのに、電話に慣れてないので啄木は尻込みする。電話機の扱い方がよくわからなかったのだろう。

結局、電話に出るはめになって友人と話をするのだが、そうすると一転して強気になって、「いくら電話がかかつて来てもよい」と思う。このあたり、いかにも啄木らしくて面白い。

遠方に電話の鈴(りん)の鳴るごとく
今日も耳鳴る
かなしき日かな  『一握の砂』

posted by 松村正直 at 22:55| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月12日

講座「永井陽子の奏でる言葉」

11月3日(祝)にJEUGIAカルチャー京都 de Basic.(四条駅、烏丸駅から徒歩3分)で、特別講座「永井陽子の奏でる言葉」を開催します。今も多くの人に愛され、短歌史に独自のかがやきを放ち続ける永井陽子の歌を読み解きます。

時間は13:00〜15:00。

有名な歌からあまり知られていない歌まで、できるだけ多くの歌をご紹介したいと思います。どうぞお気軽にご参加ください。

https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_2-49709.html

posted by 松村正直 at 09:30| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月11日

『台湾生まれ 日本語育ち』の続き

ヤクルトの村上宗隆選手が53号のホームランを打って、「日本人歴代2位」「日本選手単独2位」といったニュースが流れている。1位は王貞治の55本だが、王さんの国籍は中華民国なので国籍という点から言えば「日本人」ではない。だから「日本選手」といった表記も使われているのだろう。

以前、大相撲で稀勢の里が横綱になった時などに、「日本出身横綱」という表現を見かけた。武蔵丸(ハワイ)や白鵬(モンゴル)など外国出身の横綱と区別する呼び方である。なぜ「日本人横綱」と言わないかと言えば、武蔵丸も白鵬も帰化して日本国籍を取得しているからだ。国籍という点から言えば、彼らも「日本人」なのである。

私たちは自分たちの都合によって、彼らを「日本人」に含めたり含めなかったりする。一体どこにどう線を引いて、何と何を区別したがっているのだろう?

二十三歳のある日、突然日記が書けなくなった。十年以上、ほぼ毎日、あたかも「生まれながらの自分の言葉」であるかのように、自由自在に操っていた日本語が、ふと「外国語」のように感じられた。いや、逆だ。何故「外国人」であるはずの自分は、すらすらと日本語を書いているのだろう、と思ったのだ。その日を境にわたしは、日本人のふりをしながら(11文字傍点)、日本語を書くことができなくなった。
台湾人なのに中国語ができない。日本語しかできないのに日本人ではない。/ずっと、それをどこかで恥じていた。けれども、そうであるからこそ、わたしはわたしのコトバと出会うことができた。

温又柔の文章は、「日本」と「日本人」そして「日本語」が一対一で対応しているのではなく、緩やかな関係で結ばれていることを教えてくれる。それは、多様で豊かで開かれた「日本」や「ニホン語」を示してくれるものだ。

posted by 松村正直 at 07:33| Comment(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月09日

映画「霧幻鉄道」

 DSC00482.JPG


監督・撮影:安孫子亘
出演:星賢孝、大竹惠子、塩田恵介、大越智貴ほか

福島県の会津若松駅と新潟県魚沼市の小出駅を結ぶJR只見線。全36駅、全長135.2キロに及ぶローカル線である。

2011年7月に起きた集中豪雨のため一部不通の状態が続く只見線の復旧までの道のりと、只見線を走る列車と奥会津の風景を年間300日も撮影する郷土写真家、星賢孝を描いたドキュメンタリー。

只見線の沿線風景の美しさと、地元の方々の鉄道復旧にかける思い、そして何よりも星賢孝の行動力と人柄の魅力に溢れた作品となっている。

只見線は今年10月から、実に11年ぶりに全線開通する予定。これはぜひ乗りに行かなくては!


 DSC00487.JPG

星賢孝氏撮影の写真のポストカード。

アップリンク京都、80分。

posted by 松村正直 at 16:12| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月07日

温又柔『台湾生まれ 日本語育ち』


2016年に白水社より刊行された単行本に新たに3篇を加えて新書化したもの。

台湾に生まれ、父の仕事の関係で3歳の時に東京に移り住んだ著者が、言葉や国語や国家や民族について記したエッセイ集。第64回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作。

自らが慣れ親しんだ日本語だけでなく、両親の使う中国語や台湾語も含んだ「ニホン語」を駆使して、著者は思索を深めていく。「ニホン語」について考えることは、自らのアイデンティティを問うことであり、また東アジアの近現代史を知ることでもあった。

わたしの祖母は、中国語で教育を受けたのではない。祖母が少女の頃の台湾では、日本語が「国語」だった。一九四五年、第二次世界大戦が終結するまで、台湾は日本の統治下にあった。
台湾の「国語」事情に思いを馳せるとき、「国語」という思想を支える「国家」なるものの本質的な脆さを、わたしは感じずにはいられない。台湾で暮らす人々が、ときの政府の方針一つで、「大日本帝国」の「臣民」にも「中華民国」の「国民」にもさせられる
歴史の可能性の一つとして、征服者の言語であった日本語は、朝鮮、台湾、旧満州地域等における「国際共通語」となる可能性を孕んでいた。

台湾語だけを使っていた曾祖父母の世代、日本語が国語であった祖父母の世代、中国語が国語になった父母の世代、そしてニホン語を使う著者。4世代に渡って言語状況は目まぐるしく変っている。

その断面や亀裂にこそ、最も現代的で生き生きとした歴史や文化が顔を覗かせているのだ。

2018年9月25日第1刷、2021年6月25日第5刷。
白水社Uブックス、1400円。

posted by 松村正直 at 23:28| Comment(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月05日

大佛次郎と吉野秀雄の口論

以前、米川稔が死んだかどうかをめぐって、大佛次郎と吉野秀雄が口論した話を書いた。
https://matsutanka.seesaa.net/article/490112646.html

大佛次郎が昭和20年8月21日の朝日新聞に書いた「英霊に詫びる」の中で、米川稔を死者の一人に挙げたことに対して、吉野秀雄が反発したのである。

この出来事が大佛の日記だけでなく、吉野の日記にも記されていることがわかった。

「短歌研究」2003年6月号〜8月号に、吉野秀雄「艸心洞日記」の昭和20年5月24日から8月31日分(全集未収録)が載っているのだが、その8月25日に次のようにある。

○夜、大佛氏、村田氏宅より電話、病気の故をもちて断る。本人酔ひて来り、蚊帳の外に頑張りてどうしても来いとてきかず。即ち同行して痛飲す。座に相馬、木原、夏目等あり。相馬、例のうるさき酔ひ方に閉口す。大佛氏の「英霊に詫びる」といふ文中、米川を戦死者として書きのめしたる件、不謹慎なりとて突つ込み、「外へ出ろ」といふところまで至る。余のいひ方も悪かりしか。大佛氏の「絶交」云々も見当違ひならん。深夜帰宅す。

双方酒に酔っていたせいもあるだろうが、殴り合い一歩手前のかなり激しい口論になったようだ。

それだけ吉野の米川に対する思いは深く、万一の生還に望みをつないでいたということかもしれない。

posted by 松村正直 at 20:18| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月04日

『やさしい鮫』の在庫復活

DSC00475.JPG


第2歌集『やさしい鮫』(2006年、ながらみ書房)がしばらく在庫切れになっていましたが、版元に残っていた分が見つかって引き取りました。

定価2800円のところを1500円(送料込み)で販売中です。
https://masanao-m.booth.pm/

名前のみ読み上げられる祝電のしゅうぎいんぎいんさんぎいんぎいん
犠打という思想を深く刻まれてベンチに帰る少年のかお
「やさしい鮫」と「こわい鮫」とに区別して子の言うやさしい鮫とはイルカ

どうぞよろしくお願いします!

posted by 松村正直 at 17:47| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月03日

映画「時代革命」

監督:キウィ・チョウ

2019年に香港で起きた民主化を求めるデモを描いたドキュメンタリー。

最大で200万人に達したと言われるデモの様子や、香港立法会の占拠、警官との激しい衝突、香港中文大学や香港理工大学での籠城戦などが、180日間に及ぶ生々しい映像と参加者へのインタビューによって描かれている。

民主化や自由を求める強い情熱と高揚感を感じる内容であった。一方で、その後の香港国家安全維持法の制定や言論弾圧の強化といった現状を見ると、このデモの歴史的な評価が定まるのはまだ当分先のことになるのだろうと思う。

京都シネマ、158分。

posted by 松村正直 at 07:02| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月01日

雑詠(018)

*******************************

死臭より淡いけれども枕から漂いのぼるわれの匂いが
氾濫の収まりしのちの萎れたる川を見ており鴉とともに
言いたくて言えないことの百日紅のどから伸びて両目をやぶる
殺処分の囲いのなかに犬たちは交尾しており声を荒げて
弁当の蓋につきたる米粒のたましいなんて空疎なことば
この庭の奥にトイレがあることを知ってる、初めての店なのに
若き日の映画ふたたび見ることの増えて初秋の雲のあかるさ

*******************************

posted by 松村正直 at 06:18| Comment(2) | 雑詠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする