2022年08月03日

司馬遼太郎『街道をゆく37 本郷界隈』


連載中の「啄木ごっこ」との関わりで、久しぶりに「街道をゆく」シリーズを読む。話題が縦横無尽にポンポン飛んでいくのが楽しい。

江戸時代の本郷は、このあたりをいくつかの大名屋敷が占拠しているだけで、神田や日本橋、深川といったような街衢の文化は、本郷にはなかった。それが、明治初年に一変する。ここに日本唯一の大学が置かれ、政府のカネがそそぎこまれたのである。
上京した子規は、下屋敷の長屋に起居し、ついで他に移ったりするうちに、旧藩主家の給費生にえらばれた。月額七円で、書籍費はべつに出る。(・・・)“育英”は、明治の風でもあった。前章でふれた坪内逍遥の場合も、給費生になったおかげで、明治九年の上京が可能になった。
明治後、東京そのものが、欧米の文明を受容する装置になった。同時に、下部(地方や下級学校)にそれを配るという配電盤の役割を果たした。いわば、東京そのものが、“文明”の一大機関だった。

こういう真面目な話だけでなく、雑学的な小ネタも出てくる。

モース(Morse)は、明治時代、多くのひとたちがモールスとカナでよんだ。おもしろいことに、“モールス信号”のS・F・B・モース(一七九一〜一八七二)と同じ綴りである。
日本料理に揚げものが入るのは十六世紀だったそうで、おそらく中国から禅僧を通じてのものだろう。僧侶が入れたから、このため麩や豆腐を揚げるといった精進ものが中心にならざるをえなかった。要するに江戸時代のフライの中心は油揚豆腐(あぶらげ)であった。

街歩きしながら、真面目なことを考えたり雑学を披露したり。今で言えば、ちょうどブラタモリみたいな感じなのであった。

2009年4月30日第1刷、2021年6月30日第5刷。
朝日文庫、760円。

posted by 松村正直 at 22:54| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする