2022年08月31日

吉田千亜『その後の福島』


副題は「原発事故後を生きる人々」。

原発事故による避難生活を送る人々の姿を描いたノンフィクション。多くの避難者への取材を通じて、原発事故の実態や社会の様相を浮き彫りにしている。

国・行政側が、放射能汚染に対する住民感情として用いる「不安」という言葉は、「不安を抱える人の側の情報や性格に問題がある」というように、その責任を個人に転嫁する意図で使われている。
原発事故の本質を抜き去った「復興計画」が進み、その流れに乗らない人は、「復興」を妨げる人間として責められる。「団結からはみ出した人を非難し、排除する」というようなメンタリティだ。
こうして原発事故の被害について口にできない被害者と、福島内のことだから関われない、他人事だから関わらないという世間によって、原発事故の記憶は「風化」し、何事もなかったかのようになっていくのかもしれない。

この本が出てから4年。最近また「原発」や「復興」に関するニュースがよく報じられるようになっている。そうしたニュースを見るたびに、この本の内容が思い出される。

例えば、8月24日には岸田首相がエネルギー政策を大きく転換して原発の新増設を検討することを表明した。

貧しい地域に原発とお金がやってくる、住民の命や健康よりも企業の利益を優先させる、という構造から変えなくては、根本解決にならない。裁判に関わるようになり、被害と加害の構造を改めて知った、と中島さんは言う。

原発の再稼働や新増設に向けた動きは、深刻な原発事故から11年経った今も、こうした「構造」が何も変っていないことを意味しているのだろう。

また、8月30日には福島県双葉町の特定復興再生拠点区域の避難指示が解除された。これまで全町避難が続いていただけに、「復興」の明るいニュースとしてテレビでも取り上げられていた。

避難指示解除や帰還をめぐっては、土地を追われた人々が自宅に帰れるのがすなわち良いこととして語られることもあるが、そんなに単純な話ではない。そこには、まだ安全が確保されていないと判断した人の避難の長期化、世代間の放射能汚染に対する判断の違いなど、簡単に元通りにはならないヘ原子力災害特有の問題が横たわっている。

避難指示の解除によってすべての問題が片付くわけではない。それにもかかわらず、「復興」をめぐるニュースで原発事故の幕引きが図られ、「原発」の再稼働や新増設が進められつつあるのだ。

2018年9月30日、人文書院、2200円。

posted by 松村正直 at 08:08| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月30日

映画「天使の涙」

原題:堕落天使
監督・脚本:ウォン・カーウァイ
撮影:クリストファー・ドイル
出演:レオン・ライ、ミシェール・リー、金城武、チャーリー・ヤン、カレン・モクほか

1995年公開の香港映画。
香港の街を舞台に繰り広げられる5名の男女の群像劇。

肉屋に置かれた豚の背中に乗ってマッサージする場面とか、「毎日雨が降ってくれればいいのにな」とか、何度見ても印象に残る。

見終ってから気がついたのだけど、言葉によるコミュニケーションが実はほとんどない。すれ違ったり、寄り添ったり、察したりしながら、話が進んでいく。

京都シネマ、99分。

posted by 松村正直 at 08:00| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月28日

小出裕章『日本のエネルギー、これからどうすればいいの?』


「中学生の質問箱」シリーズの1冊。

原子力の専門家である著者が、2011年の福島第1原発の事故を踏まえて、エネルギー問題についてわかりやすく論じている。

原発事故が起きてから原発について論じるようになった人は多いが、著者は1970年代からずっと反原発の運動や発信を続けてきた。そこが何よりも信頼の置けるところだと思う。

 日本では、「核」と言えば軍事利用で、「原子力」と言えば平和利用であるかのように宣伝されてきました。英語では同じニュクリア(Nuclear)でも、
「ニュクリア・ウェポン(Nuclear Weapon)」は「核兵器」
「ニュクリア・パワー・プラント(Nuclear Power Plant)」は「原子力発電所」
と訳されます。
国と巨大原子力産業、電力会社は、彼らの論理で原子力を進め、原子力から恩恵を受けない国の人々、弱い立場におかれた労働者や立地住民たち、そういう人々をブルドーザーでつぶすように苦しめてきました。だから私は原子力に反対して抵抗してきました。
エネルギーの問題は原子力をやめればいい、ということではないのです。エネルギーの使い方そのものが問題で、それは世界の構造そのものの問題であって、最終的に言ってしまえば、どうやって生きることが幸せなのかというそれぞれのひとの人生観の問題です。

著者は単に原発に反対しているのではない。エネルギーの大量消費の上に成り立っている現代の暮らしのあり方や、先進国と発展途上国、都市部と農村部との格差がもたらす差別や抑圧、非民主的な物事の決定方法といったものに、異議を唱えているのである。

その一つの現れとして原発の問題がある。だから、原発にどう対応するかという話は、私たちが暮らす日本の社会をどのようにしていくかという話でもあるのだ。

2012年5月28日第1刷、2022年5月14日第2刷。
平凡社、1200円。
posted by 松村正直 at 23:18| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月27日

啄木日記

今日は朝日カルチャーセンターくずは教室で、「啄木日記から見た短歌」という講座を行った。啄木日記の面白さや魅力を少しでも伝えたいと思って喋っていたら、あっという間に90分が過ぎた。

講座では取り上げなかった箇所を2つご紹介。
まずは北原白秋について書いている部分。明治41年9月10日の日記。

北原君などは、朝から晩まで詩に耽つてる人だ。故郷から来る金で、家を借りて婆やを雇つて、勝手気儘に専心詩に耽つてゐる男だ。詩以外の何事をも、見も聞もしない人だ。乃ち詩が彼の生活だ。それに比すると、今の我らは、詩の全能といふことを認めぬ。

裕福で生活にゆとりのある白秋を羨み、また嫉みつつも、詩に対する考え方の違いを明らかにしている。

続いて源氏物語を読んでの感想。明治41年10月1日の日記。

其色と、其才とを以て、天が下の光の君と讃えられた源氏も、二十が二十五になり、二十五が三十になり、三十が三十五になつた。浅間しい。人は生れて、おのづからにして年を老る。そして遂に死ぬ。年を老らずに死ぬものなら、世の中は如何に花やかな、そして楽むべきものだらう。老ゆるに増す浅間しさ悲しさが、またとあらうか。

当時、啄木は満年齢で22歳、数えで23歳。
若さゆえの傲慢さ全開といった感じだが、啄木が老いることなく26歳で亡くなる現実を知っているだけに、複雑な気持ちになる。

posted by 松村正直 at 22:57| Comment(4) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月26日

白内障の手術の歌

近年、白内障の手術を詠んだ歌をよく見るようになった。それだけ手術が手軽になり、多くの方が受けているということなのだろう。

いつ頃から、こうした手術は行われていたのかと思ったら、戦前の歌集に歌があった。前田夕暮『水源地帯』に収められている「手術」41首という大作で、昭和6年のものである。

  六月二十二日、帝大眼科にて左目白内障手術
ひいやりと硝子張の手術台に寝た時、私の病室で啼いてゐる螽斯(きりぎりす)を聞いた
顔にかけられた白布(しろぬの)――片眼だけ露出した自分の寝姿を考へる
手術室の突き出た窓から、いつぱいに這入る光を足の裏が感じてゐる
微かなメスの刄ざはりを感じて、眼球(めだま)がしいんとなる
切開された眼球が、とろりとして眼帯(がんたい)の下にある夜半!
両眼をかくされたまま、七日の昼と夜を仰向けに臥て、ぢつとしてゐよといふのだ
うす青い光が眼帯(がんたい)の上を這つてゐるので、私は朝を感じた。
うす赭い光が眼帯を透してくるので、私は、午後であることを知つた
隣の雑居室の大時計が、一時をうつたきり、いつまでたつても二時をうたぬ(夜)
水の音が足の方でちろちろしてゐる――朝の水音はうれしい
帰りしなに手を握つてくれた妻の手から、何か新しい妻を感じる
鉢植の芒の嫩葉(わかば)をさはらせて貰ひながら、眼がみえぬ者の喜びを初めて知る
  眼帯を除かれる朝
芒の嫩葉(わかば)に手をふれながら、眼があく午前のわくわくした気持だ
  青視症
タングステンのやうな青い光が、いきなり眼のなかにとび込んでくる、朝ばれ(眼帯をとる)
雨あがりの朝の青つぽい光が、視野いつぱいにはいつてきた驚き

まだまだ歌はあるのだが、引用はこれくらいにしておこう。

今と違って手術後1週間は眼帯をして入院生活を送らなければならなかったようだ。その分、感覚が敏感になって光を感じたり、聴覚や触覚の表現が増えたりしている。

この時代の夕暮は口語自由律。詞書や読点、ダッシュ、エクスクラメーションマークなどを使って、多彩なリズムで一首一首を詠んでいる。実におもしろい。

当時の手術は、濁った水晶体を取り除くだけしかできなかった。現在では眼内レンズ(人口水晶体)が用いられるが、その実用化は戦後になってからのこと。そのため、失った水晶体の分は眼鏡によって補正しなければならなかったらしい。

posted by 松村正直 at 14:53| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月25日

映画「恋する惑星」

原題:重慶森林
監督・脚本:ウォン・カーウァイ
撮影:クリストファー・ドイル、アンドリュー・ラウ
出演:トニー・レオン、フェイ・ウォン、ブリジット・リン、金城武ほか

1994年公開の香港映画。
香港の街を舞台に繰り広げられる2組の男女のラブストーリー。

まだ20歳代だった頃、函館のシネマアイリスで「天使の涙」とともに見て、強烈な印象を受けた。その感動は今回も変わらず、あらためて名作だと思った。主題歌「夢中人」が頭のなかに流れ続ける。

現在、ウォン・カーウァイの5作品が4Kレストア版で公開中。
https://unpfilm.com/wkw4k/

昔見た映画を見ると、映画の記憶だけでなくその時の自分自身のことが鮮やかに思い出される。

京都シネマ、102分。
posted by 松村正直 at 22:41| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月24日

岩瀬昇『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』


戦前の日本が石油を中心としたエネルギー問題に対して、どのように取り組んでいたのかを論じた本。

国内産の石油だけではもちろん足りず、北樺太や満洲における油田開発、石炭を元にした人造石油の開発など、様々な取り組みが行われた。しかし国としての明確なエネルギー政策を欠いた日本は、結局、太平洋戦争による南方油田の奪取へと進むことになる。

巷間では、初の「日の丸原油」は、アラビア石油の創設者・山下太郎の手によるカフジ原油だと信じられている。だが、本当の意味で日本人が自らの手で掘り出した最初の海外原油は、樺太のオハ原油だったのである。
昭和十一(一九三六)年の日独防共協定は、まさに共産主義国家ソ連を敵対視するもので、これを機にソ連側の北樺太石油の事業推進に対する締め付け、嫌がらせ、事業推進妨害は熾烈なものとなっていった。
緒戦の戦果に浮かれていた大本営政府の首脳は、南方から石油を乗せた船が、アメリカ軍の潜水艦や航空機攻撃で壊滅状態になることへの想像力を欠いていた。
石油、いやエネルギーに関しては、太平洋戦争当時の日本を取り巻く基本骨格が、現代もなお変わっていないという事実に驚かされる。日本は、昔も今も、石油を始めとする一次エネルギー資源をほぼ持たない「持たざる国」なのだ。そしまた、「非常時」がいつ来るか、わからない。

この予言は、現在まさに的中したと言っていいだろう。ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、石油・天然ガスの開発プロジェクト「サハリン1」「サハリン2」における日本の権益を維持できるかが大きな問題となっている。

また、2011年に起きた福島第一原発の事故や、現在の原発再稼働に向けての動きの背景にも、こうしたエネルギー問題がある。それは、今なお解決できていない問題として残されたままなのだ。

2016年1月20日、文春新書、820円。

posted by 松村正直 at 07:45| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月23日

長崎医学専門学校

米川稔(1897-1944)・宮柊二(1912-1986)・野村清(1907-1997)の3人は、北原白秋に「多磨」の三人組と呼ばれていた。その一人である野村が書いた「米川稔と柊二」という文章がある。

角川「短歌」1987年12月号の特集「宮柊二の世界」の中の一篇だ。前年に宮が亡くなり、野村は三人組の唯一の生き残りとなっていた。

この文章に、「多磨」入会以前の米川のことが書かれている。

宮と私は「多磨」が出る少し前から白秋の所へ行っていたが、米川は「多磨」の創刊によって初めて登場したのであった。(…)巽聖歌の話によると「多磨」への入会申込書には歌歴らしいものは全くなく、長崎で斎藤茂吉の講義を聞いたことがあると書いてあったという。(…)このように米川稔は「多磨」創刊とともに忽然と出現したのであった。

ここで「長崎で斎藤茂吉の講義を聞いた」とあるのは、短歌の話ではない。医学の講義である。

米川は1915(大正4)年から1919(大正8年)にかけて、長崎医学専門学校に通っていた。(この学校は、1923(大正12)年に長崎医科大学となり、戦後、長崎大学医学部となっている。)

そして、斎藤茂吉は1917(大正6)年から1921(大正10)年まで、この学校の精神科教授として赴任していた。つまり、米川は長崎医学専門学校で茂吉の授業を聞いていたというわけだ。

何とも不思議な縁だと思う。

posted by 松村正直 at 21:54| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

講座「啄木日記から見た短歌」

8月27日(土)に朝日カルチャーセンターくずは教室で「啄木日記から見た短歌」という講座を行います。時間は13:00〜14:30。

啄木の日記は読み物としても面白くすぐれた日記文学だと思います。教室受講とオンライン受講があり、またアーカイブ配信(1週間限定)も行いますので、当日ご都合の付かないという方もぜひお申込み下さい。

【教室受講】
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/2a607214-6ffc-c1e6-31e2-6257d8c59df4

【オンライン受講】
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/ad7c6aca-05a5-a88c-7b5d-6257d9b4ca63
posted by 松村正直 at 18:27| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月22日

米川稔の「陣中詠定稿」

米川稔が出征前に残した作品ノート4冊と戦地から送った「陣中詠定稿」が、宮柊二記念館(新潟県魚沼市)に収蔵されていることがわかった。これは嬉しい。

他にも、米川の葉書・手紙11通や写真9枚、自作の茶碗、横顔スケッチの陶板など、数多くの貴重な資料が残っている。これは、ぜひ一度行ってみなくては!

越後堀之内駅までは、京都から新幹線を乗り継いでも約5時間かかる。しかも、せっかく行くなら「日本のミケランジェロ」石川雲蝶の彫刻も見たいし、10月に全線復旧予定の只見線にも乗ってみたい。

あれこれ考えていると、たちまち旅の予定が膨らんでいく・・・

posted by 松村正直 at 22:04| Comment(4) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月21日

岡部敬史(文)山出高士(写真)『目でみる日本史』


『くらべる東西』『くらべる時代』『くらべる京都』などの「くらべる」シリーズや「目でみる」シリーズが人気のコンビの最新刊。

https://matsutanka.seesaa.net/article/441584092.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/457471609.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/476536337.html

歴史上の人物の見たであろう風景を、現地に行って実際に眺めてみるという内容の一冊。持統天皇の「香久山」、源頼朝の「しとどの窟(いわや)」、平田靱負の「油島千本松締切堤」、正岡子規の「子規庵」、太宰治の「三鷹跨線橋」など、34名の34か所が美しい写真入りで紹介されている。

奈良県は全国でもっともビルの低いことで知られ、県内でもっとも高い建物は、JR奈良駅近くにあるホテル日航奈良の46メートルだという。(甘樫丘展望台)
史跡巡りでは、再現された城郭だけを見るケースもあるだろうが、建物よりもその当時の姿を残した自然環境のほうが、よほど想像力をかきたてて、昔の姿を想像しやすい。(一乗谷朝倉氏遺跡)

距離感や高低差、眺望などは、地図を見ただけではなかなかわからない。現地を訪れて初めて見えてくることがたくさんあるのだ。

2022年7月20日、東京書籍、1300円。

posted by 松村正直 at 07:17| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月20日

別邸歌会のご案内

松村正直と川本千栄の主催で、関西2府4県のレトロな建物を会場に歌会を行っています。

10代から80代まで年齢も歌歴もさまざまな方々が参加しています。歌会は初めてという方も、知り合いがいないという方も、どなたでもお気軽にご参加下さい。

楽しいですよ!


 「別邸歌会」チラシ 2022.07.28.jpg

posted by 松村正直 at 23:24| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月19日

尾崎左永子『「鎌倉百人一首」を歩く』


2006年に鎌倉ペングラブが選定した「鎌倉百人一首」から約50首を取り上げて鑑賞などを記したエッセイ集。

文章が丁寧で柔らかく、長年鎌倉に住む著者ならではの解説などもあって、一首一首の歌や鎌倉という町の持つ魅力が存分に引き出されている。

放ちしは歌にくるへる若き子よ由井が浜辺の野火に声あり
              高村光太郎
(…)「明星」の創刊は明治三十三年(一九〇〇)春だが、翌年(一九〇一)の正月、「廿世紀を祝する迎火」を、鉄幹を中心に、同志の者たちが由比ヶ浜で焚いている。
薪(たきぎ)樵(こ)る鎌倉山の木垂(こだ)る木をまつと汝(な)がいはば恋ひつつやあらむ
              万葉集
(…)古くは「恋ふ」とは、目前にいない人を想う場合に用いられることばで、二人が一緒にいれば「見る」「逢ふ」の語を使う。
ひんがしの相模の海にながれ入る小さき川を渡りけるかも
              斎藤茂吉
(…)近代短歌史の中では巨岩のような存在の歌人であるが、小さな歌材をていねいに、真摯に捉えるその手法と、大景の中にそれを活かす表現力におどろかされる。

先日、米川稔のお墓参りに鎌倉を訪ねたのだが、米川の最後の歌〈ぬばたまの夜音(よと)の遠音(とほと)に鳴る潮の大海(おほうみ)の響動(とよみ)きはまらめやも〉も百人一首に選ばれている。これは嬉しい。

江戸時代には、さびれた漁村になり果てていた鎌倉は、明治時代になってから、避暑地、避寒地として復活する。海水浴をすすめた長與専斎(ながよせんさい)にはじまるという保養地としての鎌倉は、東京山の手の邸町の雰囲気と、洋行帰りのハイカラモードを持ち込んだ別荘族たちによって、新しい息吹を得たのであった。

鎌倉は私にとっては十代の頃に遠足や旅行でしばしば出掛けた場所。あらためて興味・関心が湧いてきた。

2008年5月21日、集英社新書ヴィジュアル版、1000円。

posted by 松村正直 at 16:45| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月18日

水口町へ

10月に第3回別邸歌会を開催する滋賀県甲賀市水口(みなくち)町へ、下見に出掛けた。


DSC00425.JPG

JR草津線の貴生川駅から近江鉄道に乗る。
今どき珍しい硬券の切符。
ICOCAなどの交通系ICカードは使えないので要注意。


DSC00422.JPG

「近江十景とれいん」と名付けられたラッピングカー。
写真を撮っている人が多い。


DSC00429.JPG

最寄駅の水口石橋駅。
「水口城南」「水口石橋」「水口」「水口松尾」と水口の付く駅が4つ続く。


 DSC00433.JPG

水口は東海道の宿場町として栄えたところ。
今も古い町並みが残っている。


 DSC00450.JPG

歌会の会場となる旧水口図書館。
昭和3年に建てられたヴォーリズ建築。国登録有形文化財。


DSC00456.JPG

建物は水口小学校の敷地内にあり、さるすべりが咲いていた。
毎月第2・第4日曜日に一般公開されている。


DSC00446.JPG

歌会で使わせていただく2階の部屋。
窓から明るい光が差し込んで良い感じだ。


DSC00468.JPG

徒歩15分くらいのところにある水口城跡。
本丸跡は高校のグラウンドになっている。

宿場町であり、城下町でもあった水口は、他にも見どころが多い。
観光を兼ねて10月2日(日)の別邸歌会にぜひご参加下さい!

posted by 松村正直 at 09:59| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月16日

渡辺松男歌集『牧野植物園』

著者 : 渡辺松男
書肆侃侃房
発売日 : 2022-06-20

2016年の作品400首を収めた第10歌集。
73首が「ねむらない樹 vol.8」掲載作で残り327首は未発表作!
相変わらず発想や言葉の使い方が独特で、面白い歌が多い。

俄雨あれがわたしでありしよとべつのわたしが晴れておもひぬ
ビー玉は処刑のあとの眼球かころがりゆけば山河が廻る
正座せる若き太ももに大気圧おしかへすごときみなぎりの充つ
まだわれであるかのごとくわがこゑがみづあめのばすごとく離るる
ペットボトル一本で誘惑できるとかひとのこころはたいがい火事で
炎暑にて無人の町のみづたまり蒸発をして足跡となる
石狩川河口へ曇天下にゆきて影なきわれは河口に見入る
摩周湖の澄める巨眼をのぞきこみぐつと冷えたる鶚(みさご)の翼
あのへんは遠く清流だつたのだスカイツリーを天魚(あまご)がおよぐ
そのめぐりにんじんいろにみつるときにんじんは悲しにんじん売場
落ちながら大きくなれる日輪の地平すれすれダンプカー過ぐ
網戸の目一ミリ四方の密集をすりぬけてきし飛行機の影
母の日のコップに挿せるアンジャベル母のなきゆゑよく水を吸ふ
山頂で握り飯たべてゐるわれにやつと出会ひぬ空腹のわれ
食パンの四角やあんパンの丸は口にて嚙みしのちにも消えず

1首目、天気と心境の変化が重なる。複数の「わたし」が存在する。
2首目、死体から落ちた眼球が、転がりながらまだ風景を見ている。
3首目、比喩のスケールが大きい。若い肉体の持つ生命力を感じる。
4首目、声は単なる音ではなく声を発した人の肉体性を帯びている。
5首目、心に寂しさや乾きがあると、簡単に何かに引かれてしまう。
6首目、足跡に水が溜まる場面でなく乾く過程を詠んだのが印象的。
7首目、曇天だから「影なき」なのだが存在感の薄さも滲むようだ。
8首目、摩周湖は周りを山に囲まれている。「巨眼」の比喩がいい。
9首目、イメージの重なりの美しい歌。水族館と読まなくてもいい。
10首目、一本だけなら別に何でもないが、大量にあると胸に迫る。
11首目「すれすれ」がいい。太陽にぶつかるはずはないのだけど。
12首目、網戸越しに見える飛行機。網目に引っ掛かることはない。
13首目、アンジャベルはカーネーション。理屈ではない「ゆゑ」。
14首目、時間の推移を二人の「われ」で表す。異時同図みたいだ。
15首目、パン自体は無くなってもイデアや概念は残る感じだろう。

「鏡」「バラギ湖」「あぢさゐ」「ひまはり」などの連作は、すべての歌にその言葉が含まれる題詠のような作りになっていて、作者の持ち味があまり発揮されていないように感じた。

2022年6月23日、書肆侃侃房、2300円。

posted by 松村正直 at 15:47| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月15日

今後の予定

下記のイベント、歌会、カルチャー講座に参加します。
多くの方々とお会いできますように!

・ 8月27日(土)講座「啄木日記から見た短歌」(くずは)
 https://matsutanka.seesaa.net/article/488270405.html

・10月2日(日)第3回別邸歌会(滋賀)
 https://matsutanka.seesaa.net/article/490888255.html

・10月16日(日)国際啄木学会2022年度秋の大会(宮城)
「大正デモクラシー期の文学と思想―啄木・晶子・作造―」
 https://takuboku.jp/seminar/452/

・10月23日(日)文学フリマ福岡
 https://bunfree.net/event/fukuoka08/

・11月3日(祝)講座「永井陽子の奏でる言葉」(京都)
・11月26日(土)中林祥江『草に追はれて』を読む会(和歌山)
・12月11日(日)第4回別邸歌会(橿原)

posted by 松村正直 at 08:04| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月14日

講座「啄木日記から見た短歌」

8月27日(土)に朝日カルチャーセンターくずは教室で「啄木日記から見た短歌」という講座を行います。時間は13:00〜14:30。

啄木の日記は読み物としても面白くすぐれた日記文学だと思います。教室受講とオンライン受講の両方ありますので、関心のある方はぜひご参加下さい。

【教室受講】
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/2a607214-6ffc-c1e6-31e2-6257d8c59df4

【オンライン受講】
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/ad7c6aca-05a5-a88c-7b5d-6257d9b4ca63

posted by 松村正直 at 22:51| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月13日

丸エキさんという人


 I歌碑裏面.JPG


寿福寺に立つ米川稔の歌碑の裏面である。

  南海の果にて自決された
  軍医中尉米川稔先生を
  偲びて
   昭和四十六年六月
        丸エキ建

と刻まれている。

丸エキさんの名前は遺歌集『鋪道夕映』の米川稔の略歴の中にも出てくるし、宮柊二の後記にも

丸エキ氏(略歴の資料と参考事項をお聞かせ下され、なお別冊に収載し得た鎌倉在住の稔の知人の方々の原稿を頂戴して下された)

と記されている。
また、吉野秀雄の文章(『米川稔短歌百首』あとがき)の中に

「米川稔略歴」の事項内容は丸一恵の奔走によつて集め、更に柊二が援け、秀雄が綜合し作成した。

とあるが、この「丸一恵」も「丸エキ」のことである。丸エキさんは既に20年ほど前に亡くなっているが、このたび娘さんと連絡が取れて、改名によって名前が変ったのだと教えていただいた。

丸エキさんは、もともと鎌倉の米川稔の自宅に併設されていた助産所で働いていた方で、戦後はそこに住んで仕事を続けられた。助産師として雑誌に文章を書いたりもしている。

例えば、「保健と助産」1951年3月号には「開業十年の分娩取扱統計」という3ページにわたる報告が載っている。

 私は慶応の養成所を卒業して現在の地(注:鎌倉市大町一〇五〇)に開業して十五年になる一助産婦です。昭和二十一年に開業十周年を迎えましたので、その十年の自分の仕事を反省するため、各種の統計として整理しましたので、御目にかけたいと思います。
 十年間の歩みは実は微々たるものです。皆さまの一年に取り扱われる数にも足りないこととは存じますが、私としては、この十年間が一生の仕事の基盤となつたものと信じます。自分では真剣に努力したと確信するこの期間の成果を、こうして数字にして見ますと、今更ながら最も尊い体験を与えられたことをしみじみ感じます。

昭和11年から21年と言えば、そのほとんどが戦時中である。けれども、そんな暗い時代を彼女は仕事に励みつつ、逞しく生き抜いてきたのであった。

posted by 松村正直 at 15:53| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月12日

宮柊二について詠んだ米川稔の歌

  越後堀之内―柊二が故郷なり
家竝の低く寒けき町にして五月の昼を人かげもなし
町裏は春ゆたかなる川水に橋一条(すぢ)が白くかかりぬ
雪解水(ゆきしろ)のゆたかにはれる山川のそこごもるひびき偲(しぬ)びをらむか
/米川稔『鋪道夕映』

昭和15年の歌。
米川稔は新潟旅行の途中に宮柊二の故郷の町を訪れている。

  柊二より来翰
崇高なるものに向ひて出でたつと生きざらむ心短くしるす
ひさびさのたよりに必死を告げてをり滾滾とわれの悔はふかしも
  その後
山西の殲滅戦を想ふとき一人の命肝にひびかふ

昭和16年の歌。
死の覚悟を記した葉書が届いて、戦地の柊二のことを案じている。

  柊二留守宅
夕闇の玄関にひそともの言ひてしばし見ぬ間(ま)にをとめさびにけり
母刀自はさみしくまさむ相まみえのたまふことのあとさきもなし

昭和16年の歌。
出征中の宮柊二の家を訪れて、家族の話し相手になったりしている。1首目の「をとめさび」は柊二の妹だろうか?

この昭和16年の時点で米川稔44歳、宮柊二29歳。『鋪道夕映』の後書に柊二は「召集される筈もなかろうと思われていた年齢の稔が召集されて戦死するに到り、稔より先に戦地へ赴いていた若い私が命ながらえて帰り、いま、稔のこの遺歌集の後記を書いている。これもまた運命と呼ぶべきか」と記している。何とも痛切だ。

宮柊二も米川稔も、まさか米川が死に柊二が生き残ることになるとは、思ってもいなかっただろう。そうした事情も、柊二がさまざまな困難を乗り越えて遺歌集『鋪道夕映』の刊行にこぎつけた理由の一つだったのだと思う。

posted by 松村正直 at 23:00| Comment(2) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月11日

宮崎学『森の探偵』(新装版)


文・構成:小原真史。
副題は「無人カメラがとらえた日本の自然」。

無人カメラを使った動物撮影など50年にわたって写真家として活動してきた著者が、キュレーターの小原を相手に、写真のこと、動物のこと、森のことなどについて語る一冊。含蓄に富む話が多く、ぐいぐい引き込まれる。

オリジナルな写真は、オリジナルの機材からってことですね。既製品だけに頼っていたら、その範囲内で撮れる写真になってしまうし、どうしてもほかと似てきてしまう。
小屋の壁面に撮りたいフクロウの姿を描いた絵コンテを貼っておいて、その通り撮れたら剝がしていき、全部なくなったときに撮影が終了しました。
加齢臭は人間特有のものではなくて、子育てを終えた個体、つまり自然界では役割を終えた動物から「弱いぞ」とか「さらっていって下さい」というサインが加齢臭のかたちで出ている。
人間だって「万物の霊長」と言えど、死んでしまえばいとも簡単に食われてしまう。僕はお互いに食い合うことも「共生」の意味だと思っています。
忍び足をする必要のない植物食の動物は、足が蹄になっていて、狩りをする肉食動物には、消音効果のある肉球のクッションがあるってわけです。
新幹線は、短い時間で何十キロメートルという距離を移動しながら風景を見せてくれるから、森の作りや樹木の成長の様子を遠見することができてすごく面白いですね。

動物を撮った写真も数多く掲載されているが、そこに写る動物たちの生き生きとして姿に驚かされる。こんな写真が撮れるのか!という感じだ。

長年にわたって観察を続け、機材を改良し、動物の行動や森の生態に詳しくなって初めて撮れる写真ばかり。そこから、著者の哲学とも言うべき思考や思想も生まれている。

2021年9月5日、亜紀書房、1800円。

posted by 松村正直 at 07:46| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月09日

米川稔、宮柊二、北原白秋

米川稔の『鋪道夕映』の刊行は1971年のこと。この時期の歌を収めた宮柊二『獨石馬』には、米川に関する歌が30首近くある。

戦地より還りし我を知るもなくかの密林に死にゆきしなり
肖像のこの若さはも別れたる日より三十二年過ぎたり
秋の日は洩れきて砂に動きをりもう一度だけ合ひたきものを
/宮柊二『獨石馬』

米川稔は宮柊二より15歳年上である。しかし短歌を始めたのは遅く「多磨」では同期といった間柄であった。1939年に宮柊二は召集されて中国大陸に行く。この時が二人の終の別れとなった。

柊二27歳、米川42歳。1943年に柊二が召集解除となり帰国した時には、既に米川はニューギニアに渡っていたのである。

太平洋戦争中の1942年11月2日に、二人の師であった北原白秋が亡くなる。米川稔は前日の夕方から白秋宅を見舞いに訪れていて、家族や親族とともに白秋の最期を看取った。米川の報告記「十一月二日の朝とその前夜」(「多磨」昭和17年12月号)には、白秋の亡くなるまでの様子が生々しく描かれている。

「米川さんの眉が険しくなつて来た。」
 低いお声であつた。先生の右手首に脈搏を一心に診つづけてゐた自分の顔に、先生が何時の間にか視線を投げてゐられる。切ない笑を自分は笑はねばならなかつた。
 発作は名状し難い苦痛といふ外に形容のしやうはない。胸内苦悶も、悪心も、祛痰の困難も看てゐて区別が出来ない。恐らくこの苦痛自体が区別出来る性質のものではないのであらう。

脈を診る米川の深刻な表情を見て、苦しみの中で場を和ませるような冗談を口にする白秋の姿である。

しづかなる時うつりつつみおもてに石膏の厚(あつ)み乾きゆくらし
デスマスクとり終へにけりぬぐひつつそのかほばせのつやめくものを
/米川稔『鋪道夕映』

白秋の亡くなった後にデスマスクをとっている場面である。現在、複製品が白秋の生家に展示されているようだ。
https://www.travel.co.jp/guide/article/38245/

この時、宮柊二は戦地の中国山西省にいた。まず11月4日に軍用電話で、6日には知人より至急報が届き、白秋の死を伝えられる。

こゑあげて哭けば汾河の河音の全(また)く絶えたる霜夜風音(しもよかざおと)
凌(しの)ぎつつ強く居るとも悲しみに耐へかぬる夜は塹(ざん)馳けめぐる
跟(つ)き来(こ)よと後見(あとみ)告(の)らししみ言葉は今日にあれども直(ただ)に逢(あ)はぬかも
/宮柊二『山西省』

師を失った悲しみと師のもとに駆け付けることのできない苦しさが、全身の叫びとなって詠まれている。

posted by 松村正直 at 22:32| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月08日

小牟田哲彦『「日本列島改造論』と鉄道』


副題は「田中角栄が描いた路線網」。

1972(昭和47)年に刊行されて1年間で91万部の大ベストセラーとなった田中角栄の『日本列島改造論』。そのうちの鉄道政策に焦点を当てて、この50年間を検証し、今後の鉄道のあり方を考察する内容である。

1922(大正11)年に制定された鉄道敷設法の改正法は、1987(昭和62)年に廃止されるまで実に65年間も効力を持った。同じように1970年(昭和45)年に成立した全国新幹線鉄道整備法は、50年以上経った今も施行中である。

『日本列島改造論』に描かれた「全国新幹線鉄道網理想図」をなぞるように整備新幹線や基本計画線を定めた国策は、それから半世紀が経った令和の今もなお、我が国の高速鉄道政策の根幹として効力を有していることは、日本国民にもっと知られてもよい事実ではないだろうか。

国全体で人口が減少し、自家用車の保有率が高まり、少子高齢化の進む日本において、ローカル線をはじめとした鉄道網をどのように維持していくかは、現在、大きな課題となっている。

不採算路線の存廃問題や大規模災害の被災路線の復旧という問題が現実化する過程で、民営化が万能の理論ではなく、やはり一定程度の公共の関与や支援がなければ地方交通や広域ネットワークの永続的な維持は難しいケースもあるのだ、という方向へ、日本社会全体が再び軌道修正しているように見受けられる。

一つ一つの路線の話に終始するのではなく、国全体の鉄道政策の新たなグランドデザインを示すことが、今まさに必要となっているのだ。

2022年6月15日、交通新聞社新書、990円。

posted by 松村正直 at 23:08| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月07日

第2回別邸歌会

昨日、第2回別邸歌会を京都の「旧三井家下鴨別邸」で行いました。

参加者は10歳代から70歳代までの16名。通常は非公開の主屋2階の部屋を使って、サルスベリや桔梗の咲く夏の庭を眺めながら、4時間かけて計32首をじっくりと批評し合いました。

やはり歌会は楽しいですね。

次回は10月2日(日)に旧水口図書館(滋賀県甲賀市)で行います。歌会は初めての方もベテランの方も、年配の方も若い方も、どなたでもお気軽にご参加ください!


 「別邸歌会」チラシ 2022.07.28.jpg


posted by 松村正直 at 22:05| Comment(0) | 歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月06日

映画「サッド・ヴァケイション」

監督・脚本・原作:青山真治
出演:浅野忠信、石田えり、宮崎あおい、オダギリジョーほか

2007年公開の作品。今年3月に亡くなった青山監督の追悼上映。

『Helpless』『EUREKA』に続く〈北九州サーガ〉の第3作。三部作がつながっていると知らず前2作を観ずに観てしまったのだが、大きな問題はなかった。

登場人物のキャラクターが濃い。普段の会話のような喋り方と北九州弁とで聞き取れない台詞もあるのだけど、それも特に気にならない。

ずっしりとした味わいの残る作品であった。

136分、出町座。

posted by 松村正直 at 08:53| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月05日

米川稔をたずねて(その2)


 DSC00394.JPG

墓地のところどころに昔ながらの手押しポンプの井戸がある。
手桶に水を汲んで、米川稔の墓と歌碑を探す。


DSC00401.JPG

米川稔の墓と歌碑。

事前に鎌倉文学館に問い合わせて大体の場所を聞いていたにもかかわらず見つけるのに苦労した。墓は背後の崖の窪んだ側面に埋め込まれるように建てられていた。


DSC00405.JPG

「米川家塋」と刻まれている。
「塋域(えいいき)」の「塋」なので、墓、墓地という意味だろう。

この墓は生前に米川自身が建てたものだ。歌集『鋪道夕映』には「営墓」と題する一連がある。

うつしかるもののかなしきこころどにわれは祖先(みおや)の墓づくりせり
みぎりには右大臣家の在(おは)しけりひだりはそこな無縁仏たち
土に委して無縁の塔の堆し山はみどりの冥(くら)からむとす
必定は埋(うづ)もれ果てむ墓ならめ卯の花垂れて咲きにけらずや

ここには米川が出征に際して残した遺髪が納められているが、遺骨はない。遺骨は今も海の彼方、約5000キロも離れたニューギニア島のどこかに眠っているのだろう。


 DSC00403.JPG

米川稔の歌碑。

米川のもとで働いていた助産師の丸エキさんによって、1971年に建てられたもの。高さ1メートルもない小さな歌碑である。『鋪道夕映』の最後の一首が刻まれている。

ぬばたまの夜音(よと)の遠音(とほと)に鳴る潮の大海の響動(とよみ)きはまらめやも

お墓参りを終えて、次は米川稔の自宅のあった場所を探す。


DSC00420.JPG

教恩寺。

米川の自宅・病院(助産所)は、この寺の前にあった。自宅では月に1回、吉野秀雄らとともに「鎌倉短歌会」が催されていた。

posted by 松村正直 at 07:09| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月04日

米川稔をたずねて(その1)

日帰りで横浜と鎌倉へ行く。
鎌倉は大学生の時以来、実に30年ぶり。


DSC00385.JPG

まずは「港の見える丘公園」へ。
天気が良くて眺めが素晴らしい!


DSC00384.JPG

神奈川近代文学館。

米川稔の吉野秀雄宛の書簡約50点などの特別資料を閲覧する。まさに宝の山という感じの貴重な資料ばかり。戦地のニューギニアから届いた葉書には、細かな字でびっしりと歌などが記されていた。

その後、鎌倉の寿福寺へ。


DSC00389.JPG

寺の入口に立つ案内板。

多くの文学者の墓や碑とともに、米川稔の墓と歌碑があることも明記されている。寿福寺は鎌倉五山の第三位という歴史を持つ大きな寺だが、境内は一般公開されていない。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映にあわせて鎌倉の町は盛り上がっているけれど、この寺はまったく観光化されておらず、ひっそりと静まり返っている。


DSC00397.JPG

DSC00398.JPG

寺の裏手の墓地へまわると、背後の崖に「やぐら」と呼ばれる横穴が数多くあり、北条政子と源実朝の墓と伝わる供養塔もある。

ここも案内板は朽ちていて、観光客向けの要素はまったく見当たらない。昼なお暗い墓域にひぐらしの声が響いているばかり。

posted by 松村正直 at 11:17| Comment(0) | 米川稔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月03日

司馬遼太郎『街道をゆく37 本郷界隈』


連載中の「啄木ごっこ」との関わりで、久しぶりに「街道をゆく」シリーズを読む。話題が縦横無尽にポンポン飛んでいくのが楽しい。

江戸時代の本郷は、このあたりをいくつかの大名屋敷が占拠しているだけで、神田や日本橋、深川といったような街衢の文化は、本郷にはなかった。それが、明治初年に一変する。ここに日本唯一の大学が置かれ、政府のカネがそそぎこまれたのである。
上京した子規は、下屋敷の長屋に起居し、ついで他に移ったりするうちに、旧藩主家の給費生にえらばれた。月額七円で、書籍費はべつに出る。(・・・)“育英”は、明治の風でもあった。前章でふれた坪内逍遥の場合も、給費生になったおかげで、明治九年の上京が可能になった。
明治後、東京そのものが、欧米の文明を受容する装置になった。同時に、下部(地方や下級学校)にそれを配るという配電盤の役割を果たした。いわば、東京そのものが、“文明”の一大機関だった。

こういう真面目な話だけでなく、雑学的な小ネタも出てくる。

モース(Morse)は、明治時代、多くのひとたちがモールスとカナでよんだ。おもしろいことに、“モールス信号”のS・F・B・モース(一七九一〜一八七二)と同じ綴りである。
日本料理に揚げものが入るのは十六世紀だったそうで、おそらく中国から禅僧を通じてのものだろう。僧侶が入れたから、このため麩や豆腐を揚げるといった精進ものが中心にならざるをえなかった。要するに江戸時代のフライの中心は油揚豆腐(あぶらげ)であった。

街歩きしながら、真面目なことを考えたり雑学を披露したり。今で言えば、ちょうどブラタモリみたいな感じなのであった。

2009年4月30日第1刷、2021年6月30日第5刷。
朝日文庫、760円。

posted by 松村正直 at 22:54| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月01日

『踊り場からの眺め』の書評など

昨年9月に刊行した『踊り場からの眺め 短歌時評2011‐2021』について、書評や時評などで数多く取り上げていただきました。ありがとうございます。拝読したものを下記にまとめておきます。

版元にも amazon にも私の手元にも、まだまだ在庫があります。
ぜひ、お読みください!

◎雑誌・新聞などに掲載されたもの

中沢直人「分断を超える批評の力」(現代短歌新聞 2021年11月号)
後藤由紀恵「時評の賞味期限」(まひる野 2021年11月号)
https://note.com/mahiruno_tanka/n/n78dc4917cc3a
大松達知「短歌はいま」(共同通信 2021年11月配信)
藪内亮輔「昏れてゆく短歌」(現代詩手帖 2021年12月号)
大辻隆弘「自閉状態を超えて」(角川短歌年鑑 2022年版)
大松達知「王様は裸だ」(短歌往来 2022年2月号)
岩崎佑太(コスモス 2022年3月号)
池永和子(プチ★モンド 2022年春号)
寺井龍哉「ここで評して。」(歌壇 2022年4月号)
鬼頭一枝(象 2022年4月号)
郡司和斗(かりん 2022年5月号)
山崎聡子「二元論ではない」(うた新聞 2022年5月号)
「朝日新聞」インタビュー(2022年5月11日掲載)
https://book.asahi.com/article/14619129
山川築(角川短歌 2022年8月号)

◎ネットに公開されたもの

恒成美代子「暦日夕焼け通信」(2021年9月16日)
http://rekijitsu.cocolog-nifty.com/blog/2021/09/post-9e35d6.html
佐藤涼子(2021年9月19日)
https://note.com/midnightsunsong/n/n593211584f0d
竹内亮「二者択一論とバランス論」(2021年10月12日)
https://blog.goo.ne.jp/sikyakutammka/e/dc248ef8807ce67e068bc1edc5fb0427
斎藤美衣(2022年3月14日)
https://www.instagram.com/p/CbE-3V2ukuy/
千種創一「20年代を歩くために」(2022年7月24日)
https://note.com/chigusasoichi/n/n370fff5f74bf
みおうたかふみ「短歌を「読む」ということ」(2022年7月27日)
https://note.com/uwomi_mitomi7771/n/n077d804a1aaa

posted by 松村正直 at 06:59| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする