2022年03月31日

雑詠(015)

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日本のあちこちにある城山のあちこちに淡く桜が浮かぶ
赤いまわし青いまわしがぶつかって土俵は円い現実である
やさしそうな男女がならぶ図書館の出口の「本の消毒機」へと
日が失せる前に京都に着くだろう人生はつねに短い宴
傾けば右の車窓に溢れゆくひかりの海を特急は行く
行く人と行かない人が二次会を前にわかれる居酒屋のまえ
手を合わせ長く祈るを見ていたり何を祈っていたかは聞かず

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2022年03月30日

房総旅行(その3)

3日目、旅行の最終日。


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館山は晴れ。東京湾は穏やかに晴れ渡っている。


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JR内房線に乗って、太平洋岸の和田浦まで行くと一転して曇り。
波も立っていて、やはり外海は表情も違う。


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いちめんのなのはな。
房総半島の花シーズンは既に終盤に入っている。

と言っても、別に花を見に来たわけではなくて、目的はクジラ。


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和田浦駅のホームに置かれているツチクジラの頭骨。

2022年1月の水産庁「捕鯨をめぐる情勢」によれば、現在、日本で捕鯨が行われているのは、基地式(小型沿岸)捕鯨が4か所(網走、鮎川、和田、太地)で、母船式が1か所(下関)。和田町では7月から9月にかけてツチクジラを獲っている。


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花夢花夢(カムカム)広場にあるモニュメント。


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「道の駅 和田浦WA・O!」の前に展示されているシロナガスクジラの骨格標本のレプリカ。全長26メートル。


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南房総市役所和田地域センターにある鯨資料館。

日本有数のクジラコレクターである細田徹氏のコレクションの一部が「勇魚文庫・鯨資料館」として展示・公開されている。


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「鯨の郷土玩具」だけでも、全国各地の物が集められており見応え十分の内容だ。


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くじら料理の店「ぴ〜まん」の「くじら御膳(黒滝)」2200円。
https://www.wadapman.com/

赤身と皮の刺身、竜田揚げ、カツ、佃煮など、クジラ尽くしとなっている。どれも美味しい。

ひたすらよく歩いて、よく食べて、よく眠った3日間だった。

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2022年03月29日

房総旅行(その2)

2日目は曇天。

朝から館山海軍航空隊の赤山地下壕跡へ行く。館山は幕末に台場が設置され、明治になってからは東京湾要塞地帯となり、1930年には海軍航空隊が置かれた。現在も海上自衛隊館山航空基地があり、各地に戦争遺跡が残っている。


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地下壕の入口。入壕料は大人200円。
壕に入る際にはヘルメットと懐中電灯を渡される。


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標高60メートルの「赤山」に掘られた地下壕で、総延長は2キロを超える。公開されているのはその一部だが、網目のようになっている通路をかなり自由に見て回ることができる。


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館山周辺は海底が隆起してできた地形で、壕内には美しい地層がくっきりと見えている。


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壁をアップにすると、こんな感じ。


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続いて館山城へ。
里見氏の居城だったところ。


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民謡里見節の詩碑と城。

城は現在、八犬伝博物館になっている。滝沢馬琴『南総里見八犬伝』の舞台である。


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天守閣からの眺め。

目の前に東京湾が広がる。里見氏はこの東京湾の制海権をめぐって、相模の北条氏と長く争っていたらしい。現在の感覚で見ると安房は陸地の外れに見えるのだが、海上交通の盛んだった昔はむしろ最先端の土地であったのだ。

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2022年03月28日

逢坂みずき『まぶしい海』(その2)

八日前桃の節句に飾りしが雛人形の最期となりぬ
わが命守りてくれしふるさとの寺の鉄筋コンクリートおもふ
わたしの家の跡からリアス海岸をたどって君の家の跡まで
夢の中なんども津波押し寄せてなんども失くす今はなき家
新しきテレビも育てたる牡蠣も大きさを競う浜の人らは
家ごとに濃さの異なる赤飯をそなえて今日は故郷の祭り
壊れたる家を素手もてなほ壊すあの日の父の怖ろしかりき
犠牲者の二万人のうちわが見しは口元に泥付きし祖母のみ
浦の名のつく集落の看板が山に向かって矢印をさす
莫大な嵩上げの土地見渡せば町全体が古墳のごとし

1首目、東日本大震災の8日前の3月3日を最後に失われた雛人形。
2首目、被災して初めて感じる「鉄筋コンクリート」のありがたさ。
3首目、津波で失われた家や海岸線の光景が頭のなかに甦ってくる。
4首目、一度失われたものは、現実にはもう失うことさえできない。
5首目、漁業で生計をたてる人々の大らかで明るい気質を感じる歌。
6首目、上句に発見がある。自分の家で食べるだけでは気づかない。
7首目、持って行き場のない怒りや悔しさが、強烈に滲み出ている。
8首目、「口元に泥付きし」が生々しい。一つ一つの死が持つ重み。
9首目、海辺の集落が高台へと移転したのだ。失われた風景を思う。
10首目、地面の下に震災という過去の時間が封じ込められている。

「東日本大震災を直接的に詠んだ歌を目にした読者は、特別なつらい経験をした可哀そうな人の歌だ、と少なからず思うのではないでしょうか」(まえがき)、「故郷が震災のせいで有名になってしまったことが悔しくて仕方なかった」(エッセイ)など、作者はたびたび「震災詠」「被災者の作品」という点にだけ注目が集まることに拒絶感を示している。

その思いはよくわかるのだが、被災した人が誰でも作者のような歌が詠めるわけではないし、震災体験がそのまま短歌になるわけでもない。作品に対する評価は素材だけで決まるものではなく、当然ながら作者の力に対する評価でもある。

第1歌集『虹を見つける達人』に続いて、この歌集も仙台の出版社「本の森」から刊行された。そうしたところにも、作者の姿勢はよく表れていると思う。この1冊が多くの方々に読まれますように。

http://honnomori-sendai.cool.coocan.jp/order.html

2022年1月4日、本の森、1800円。

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2022年03月27日

房総旅行(その1)

2泊3日で房総半島を旅行してきた。

行きは京都から新幹線で品川、品川からバスで東京アクアラインを通って木更津へ。その後、内房線で館山へ行って2泊。帰りは金谷港から東京湾フェリーで三浦半島の久里浜港へ。そして、新横浜から新幹線で京都という行程。

初日はロープウェイで鋸山に登る。


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標高329メートル。
かつての石切場などがある山。


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山頂から眺める東京湾。
270度くらい海に囲まれている。


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日本寺の境内にある百尺観音。
圧倒的な大きさだ。完成まで6年の歳月を要したとのこと。


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有名な「地獄のぞき」。
一番の人気スポットで、行列ができていた。


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通天閣(二天門)。
岩に空いた穴を通って石段が続いている。


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石段をひたすら下りてようやく姿を現した大仏。
鎌倉や奈良の大仏を上回る大きさ。


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大仏。
高さ31メートル。圧倒的な大きさである。

日本寺の境内は山の斜面に広がっていて、あちこち見て回ろうと思うと、高低差がすごい。石段を何段のぼったり下ったりしたことか。境内の案内図は平面図のように見えて実は立面図なのだった。

旅行初日だというのに、膝ががくがくして足が痛い。

posted by 松村正直 at 22:05| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月25日

2泊3日

2泊3日の旅に出ます。

🚃:電車
🚄:新幹線
🚌:バス
🚡 :ロープウェイ
🚢:船

などなど。

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2022年03月24日

逢坂みずき『まぶしい海』(その1)


副題は「故郷と、わたしと、東日本大震災」。

宮城県女川町に生れた作者が、16歳の時に起きた東日本大震災や愛する故郷について記した「詩」「日記」「短歌」「エッセイ」「評論」「写真」を載せた作品集。

生家が全壊し、避難所や親類宅での生活を送るなどした体験が生々しく描かれている。また、故郷の海や町や家族に寄せる思いの深さも印象的だ。高校生から社会人になるまでの成長の姿も見えてくる。

まずは、2011年の「日記」から。

正午前に大きな地震があった。わたしはアップルパイの生地を型に入れているところで、ばあちゃんも仕事が終わって台所にいた。どんどん揺れが激しくなって「外に出ろ!」とばあちゃんが叫んだので、生地だらけの手のまま玄関から出た。津波は少ししか来なかったし、物が落ちることもなかったので、そのあとは普通に家族でテレビを見た。(3月9日)
何度も強い余震が来た。ビスケットや飴をもらって食べた。ノブ子ばっぱが「被災地とかってテレビでよく見っけども、まぁさか、おい達がなぁ」と言った。誰かがラジオをかけている。千人以上の死者・行方不明者がいて、至る所で(特に気仙沼)火事が発生しているらしい。(3月11日)
中学校から戻ってきたカズからつらいことを聞いた。元紀君が犠牲になったらしい。家にいたおっぴさんを助けに行き、津波に飲まれてしまったという。わたしが目撃した最後の彼の姿を思った。(3月14日)
おばあさんは袋に入っていた。メガネおんちゃんが「ばあさん、みずき来たど」と言い、袋を開けた。おばあさんは青黒い顔をして目を閉じていた。口から少し泥が垂れているようだった。“変わり果てた姿”という言葉の意味が分かった気がした。(3月21日)

こうしたつらく悲しい出来事が記される一方で、いかにも高校生といった話題も載っている。

テレビでたくさんの芸能人が被災地への応援メッセージをくれた。嵐もCMに出て「がんばろう日本!」と言っていた。キャー‼がんばるよ〜嵐〜‼(3月24日)
せーちゃんは神田正輝とのツーショット写真を見せてくれた。じゅん君はベッキーに会った。しんちゃんは元気食堂でボランティアをしていた上戸彩にハグしてもらったと言うのでみんなが「ちょっと〜」「何してんの〜(笑)」と言った。みんなといるだけでこんなに笑える!(4月21日)
数学が分からなくて「円と方程式」なんて将来使わないのに!」と言っているミユキちゃんに、みふーちゃんが「明日使うべ!」と叱咤していた。そうだ。将来使わなくても明日のテストで使うのだ。(6月20日)

こんなふうに明るく楽しい話もけっこう多い。もっとも、日記も一つの表現なので、それが実際そのままの明るさとは限らない。自分を励まし元気づけるために書いている面もあるのだろう。

全篇から伝わってくる素直さや誠実さは作者の持ち味と言っていい。それとともに、表現手段を持っている人の強さやたくましさも感じる一冊である。

2022年1月4日、本の森、1800円。

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2022年03月23日

今西幹一編『文人短歌2』


副題は「うた心をいしずえに」。

取り上げられている文学者は、林芙美子、樋口一葉、堀口大学、三浦綾子、三島由紀夫、宮沢賢治、三好達治、室生犀星、森鷗外、保田與重郎の十名。(打ち込んでいて気が付いたが、50音順だ。)

いずれも「歌人」ではなく、「小説家」「詩人」「評論家」といった人々である。個々の作品に印象的なものがあるだけでなく、短歌という詩形に対する意見が興味深い。

私は、別の形で自分の思いを語ろうとしはじめていた。詠うのではなく、語ることを持ちはじめたのである。それはキリストの愛を隣人にわかちたいという素朴なねがいであった。むろんその思いは、洗礼を受けた当時から持ってはいたが、それは短歌では果たし得ないことに、私には思われたのだ。(三浦綾子「私の中の短歌」五)
抒情詩に於ては、和歌の形式が今の思想を容るるに足らざるを謂(おも)ひ、又詩がアルシヤイスムを脱し難く、国民文学として立つ所以にあらざるを謂つたので、款を新詩社とあららぎ派とに通じて国風振興を夢みた/前にアルシヤイスムとして排した詩、今の思想を容るゝに足らずとして排した歌を、何故に猶作り試みるか。他なし、未だ依るべき新なる形式を得ざる故である。(森鷗外「なかじきり」)

いずれも、短歌形式の限界や制約に言及していて考えさせられる。

1992年1月5日、朝文社、2500円。

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2022年03月22日

映画「ホテルアイリス」

監督・脚本:奥原浩志
原作:小川洋子
出演:永瀬正敏、陸夏(ルシア)、リー・カンション、菜葉菜、寛一郎ほか

日本と台湾の合作映画。

撮影は台湾の離島である金門島で行われたとのこと。地図を見ると中国本土のアモイのすぐ近く、かつて中国と台湾の間で砲撃戦が行われた舞台でもある。

永瀬正敏は好きな俳優で、出演する作品はよく見に行っている。台湾の新人女優の陸夏も存在感を放っていた。

京都シネマ、100分。

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2022年03月21日

尾上柴舟とアイヌ

尾上柴舟『素月集』(昭和11年)には昭和6年の作品「白老村にて」10首が収められている。

  白老村にて
近づけば耻ぢみゆかしみあいぬの子小屋の戸口を出つ入りつする
円き眼によろこび見せてあいぬの子戸に入る我に取りつきにけり
  金蒔絵の器はあいぬの宝とするものといふ
小屋隅のきららとしたる片明り金の蒔絵の行器(ほかゐ)よりする
入墨の青き口許美しき笑みをたたへて人われを待つ
熊とると山の峡間の二十里を雪にふむとふあいぬ健夫(たけを)は
怒れるを抱きて刺すとふ熊よりも太き胆をしあいぬは持てる
神祭る窓より入りて日はさしぬまろうどらにと敷ける莚に
草の花あかるき庭に熊のくびかけたる棚は影ひきにけり
あいぬの子手さし入るればじやれつきてわざところがる檻の熊の子
立ちあがり檻の格子に手をかけて熊は見おくる見かへる我を

この一連とは関係ないが、尾上柴舟(八郎)は昭和16年にもアイヌの集落(おそらく白老)を訪れている。これは、当時尾上が勤めていた東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の修学旅行に際してであった。

「お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ」の「卒業記念写真帖」(昭和16年、文科)には「修学旅行」「アイヌ人男性との記念撮影。中央の教官は、左が尾上八郎教授、右が江本ヨシ生徒主事。」という一枚が掲載されている。

https://www.lib.ocha.ac.jp/archives/exhibition/L31_172/a_ph_172-0055.html

修学旅行でアイヌの集落を訪れている点に興味をひかれる。

宮沢賢治は大正3年に盛岡中学の生徒として修学旅行で白老を訪れ、大正13年には花巻農学校の教師として再び修学旅行の引率で白老を訪れている。当時、北海道への修学旅行に際して白老のアイヌ集落に寄るのが、一つの定番のコースになっていたのかもしれない。

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2022年03月20日

アイヌのことを詠んだ歌

「現代短歌」5月号の特集「アイヌと短歌」に、「異民族への「興味・関心」と「蔑視・差別」 近代短歌にとってアイヌとは何だったっか」という論考を書いた。その中で取り上げたのは、以下の9冊の歌集や連作である。

・長塚節『長塚節歌集』
・窪田空穂『濁れる川』
・太田水穂『雲鳥』
・北原白秋『海阪』
・前田夕暮『水源地帯』
・与謝野晶子「北遊詠草」
・与謝野寛「北遊詠草」
・川田順『鷲』
・満岡照子『火の山』

小田観螢の歌集と佐佐木信綱『豊旗雲』については、他の執筆者が取り上げる予定だったので省いた。

また、今回は取り上げられなかったが、下記の歌集にもアイヌのことを詠んだ歌が収められている。

・宇都野研『木群』
・尾上柴舟『素月集』
・斎藤茂吉『石泉』
・中城ふみ子『乳房喪失』
・木俣修『呼べば谺』
・葛原繁『玄』『又々玄』

今後もさらに多くの歌を見つけて、考えを深めていきたいと思う。

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2022年03月18日

「現代短歌」2022年5月号

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https://gendaitanka.thebase.in/items/60009566

「現代短歌」は隔月刊なので、3月発行分が5月号になる。ちょっとややこしい。

特集「アイヌと短歌」は論考9篇+作品1篇+誌上復刻版『若き同族(ウタリ)に』の計76ページ。質・量ともに本格的なアイヌの特集となっている。

バチェラー八重子、違星北斗、森竹竹市、江口カナメらアイヌの歌人についての論考と、佐佐木信綱、斎藤史、小田観蛍ら和人がアイヌを詠んだ歌に関する論考の両方が載っている。それぞれが有機的につながり、特集全体として話が深まっているように感じた。

オイナカムイ 救主(すくひぬし)なれば ウタリをば 救(すく)はせ給(たま)へ 奇(く)しき能(ちから)に
              バチェラー八重子
熊の肉、俺の血になれ肉になれ赤いフイベに塩つけて食ぶ
              違星北斗
視察者に珍奇の瞳みはらせて「土人学校」に子等は本読む
              森竹竹市
近き日に公園になるアイヌ墓地/朝つゆふめば/心ぬれにし
              江口カナメ

佐佐木信綱と松浦武四郎が知り合いだったことや、斎藤史が川村カ子トについての歌を詠んでいることなど、今回の特集で初めて知ったことも多かった。

この特集には、私も「異民族への「興味・関心」と「蔑視・差別」 近代短歌にとってアイヌとは何だったか」という論考を書いた。

特集名の「アイヌと短歌」は「アイヌ」and「短歌」ということではない。「短歌」を通じて「アイヌ」の歴史や差別の問題について考え、「アイヌ」を通じて「短歌」という日本語表現の性質や制約について考えることだと思う。その両面を意識して書いた。

ぜひとも多くの方に読んでほしい。

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2022年03月17日

長谷川櫂『俳句と人間』


「図書」2019年10月〜2021年10月に連載された文章をまとめたエッセイ集。

皮膚癌が見つかった話から始まって、正岡子規、夏目漱石、生と死、漢字と概念、東日本大震災、芭蕉、言葉と虚構、ダンテ、忠臣蔵、空海、死後の世界、平家物語、万葉集、天皇制、新型コロナウイルス、大岡信、三島由紀夫、ギリシア神話、丸谷才一と、縦横無尽に話が展開する。

「国のために生きる」という明治の国家主義が、やがて「国のために死ぬ」という昭和の国粋主義に変質してゆく
心という言葉、身体という言葉があるからこそ人間は心と体を分けて認識する。心が体を離れてさまようことも想像できる。現実にはない虚構(フィクション)を生み出す言葉の力によって、人間は心と体を別のものとしてとらえることができるのだ。
『おくのほそ道』は単なる旅の記録、紀行文ではない。芭蕉の心の遍歴を旅に託して書いたのが『おくのほそ道』なのだ。その遍歴を経てつかんだのが「かるみ」という人生観だった。

テンポがよく、歯切れがよく、読みやすい。同意する部分と疑問に思う部分の両方があるが、著者の考えや主張が明快に伝わってくるところがいい。

2022年1月20日、岩波新書、860円。

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2022年03月16日

田村穂隆歌集『湖(うみ)とファルセット』(その2)

無傷って言うときひとつめの傷ができる気がする 僕は無傷です
はつふゆの日が差すシンク手もそして心も米に研がれるような
文芸部部室へと差す西陽ごと図書館棟は解体される
剥き出しの肉だ、朱肉は。ゆっくりと苗字を肉に沈めていった
毛づくろいにも息つぎが必要で猫のせなかに波打つひかり
朝靄に空と湖面が繋がったあの日からもうずうっと眠い
明太子、とても美味しい。産まれたい気持ちが口の中にあふれる
両脚にこころを溜めて人間はすこし身じろぎできるだけの樹
折り鶴は肉を持たない鶴だから風にしゃらしゃら鳴らすたましい
ぬらぬらと胃に赤い毛が生い繁り本当はずっとあなたが怖い

1首目、本当に傷ついていないのならば「無傷」と言う必要もない。
2首目「研ぐ」ではなく「研がれる」。削られていくような気分だ。
3首目「西陽ごと」がいい。思い出やそこで過ごした時間もすべて。
4首目、朱肉に印鑑を押し付ける感覚が生々しい。「苗」も効果的。
5首目、猫の動きがありありと見えてくる歌。上句に発見がある。
6首目、過去に起きた出来事が何か決定的な変化をもたらしたのだ。
7首目、明太子の一粒一粒がまるで孵化するような感触を味わう。
8首目、人間と樹は案外近い存在。何かにじっと耐えているような。
9首目、肉がないからこそ純粋に魂が輝く。人間はそうはいかない。
10首目、仲の良い相手に対してでも、どこかに怖れや怯えが残る。

ところどころに宍道湖や古墳など地元島根の風土を感じさせる歌がある。また、毛・ひげ・声・喉など、性徴に関する歌も多い。そうした意味でも『湖とファルセット』は良いタイトルだと思った。

2022年3月1日、現代短歌社、2000円。

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2022年03月15日

田村穂隆歌集『湖(うみ)とファルセット』(その1)

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第8回現代短歌社賞次席の作者の第1歌集。
2014年頃から2021年までの作品410首を収めている。

そうか、僕は怒りたかったのだ、ずっと。樹を切り倒すように話した
わたしにもキウイにも毛が生えていて刃を受けいれるしかない身体
水滴と水滴を繋げるような悲しみかたを窓に教わる
わたしから父が産まれるのが怖いわたしは怒鳴ることができない
言い淀む喉のあたりが膨らんできっとここから咲くのはダリア
履歴書に証明写真を貼るために少しだけ切り落とす両肩
みんながみんな死にたいわけじゃないんだと言われた今日の湯船の深さ
感情の調査をすれば出土する銅剣三百五十八本
きっともう枯れ葉になっているだろう前の仕事で交わした名刺
この人にも性欲がある ミツバチの重さにゆれる白い花びら

1首目、長い間自分の中に抱え続けていた感情の正体に突然気づく。
2首目、粗い毛と皮の内側に瑞々しい果肉があることの痛ましさ。
3首目、子どもの頃によくやる遊び。水滴の繋がる感じが生々しい。
4首目、自分の中にも男性性や暴力性が潜んでいることへの怖れ。
5首目、言えなかった言葉の種が鮮やかな花となって咲くイメージ。
6首目、写真の話なのだが、実際に両肩を切ったような痛みがある。
7首目、誰もが希死念慮を持っていると思っていたのに違ったのだ。
8首目、島根県の荒神谷遺跡。感情から銅剣への展開に驚かされる。
9首目、仕事を辞めてしまえば名刺は何の意味もない紙切れになる。
10首目、性欲が二人の関係に微妙な影を落とす。三句以下がいい。

身体に対する違和感や父との関係性が大きなテーマになっている。個性的な比喩やイメージと多彩な文体によって、内面にある感情や感覚を鮮やかに伝えている。読み応えのある一冊だ。

2022年3月1日、現代短歌社、2000円。

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2022年03月13日

『沖縄島料理』


監修・写真:岡本尚文、文:たまきまさみ
副題は「食と暮らしの記録と記憶」

沖縄の料理店42軒を取り上げ、多数の写真をまじえて紹介した本。10軒についての詳しいインタビューをはじめ、沖縄の文化や暮らしに関するコラムや料理店マップも載っている。

インタビューに登場するのは、「琉球料理 美榮」「本家新垣菓子店」「首里そば」「長堂豆腐店」、ジャズ喫茶「ROSE ROOM」「食事の店 崎山」「ジャッキーステーキハウス」、タコス店「café OCEAN」「中国料理 孔雀樓」、ハンバーガー店「GODIES」。

宮廷料理や伝統的な料理からアメリカ由来の料理まで、沖縄の歴史を感じさせるラインナップとなっている。食を通じて沖縄の姿が浮かび上がってくるところがいい。

2021年10月17日、トゥーヴァージンズ、1900円。

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2022年03月12日

特集「アイヌと短歌」

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3月16日発売の「現代短歌」5月号に、「アイヌと短歌」という特集が組まれます。短歌の商業誌に本格的なアイヌの特集が載るのはおそらく初めてで、画期的なことです。

私も原稿用紙50枚を超える評論を書きました。「異民族への「興味・関心」と「蔑視・差別」 近代短歌にとってアイヌとは何だったか」という内容です。多くの方にお読みいただければ嬉しいです。

「現代短歌」は一般の書店にはほとんど並びませんので、下記の取り扱い書店でお買い求めになるか、
http://gendaitanka.jp/bookstore/list.html

または、現代短歌社のオンラインショップをご利用ください。
https://gendaitanka.thebase.in/items/60009566

現在、予約受付中です!

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2022年03月11日

『蓬莱島余談』のつづき

この本に収録されている船旅は1939年から1940年にかけてのもの。太平洋戦争は始まっていないが、既に日中戦争や第二次世界大戦は始まっている。そのため、ところどころに戦争の気配が漂う。

この頃は独逸語系の猶太人が沢山東洋に流れ込んで来て、郵船の船だけでも既に何千人とか運んだそうである。

これはナチスによるユダヤ人迫害から逃れてきた人々のことだろう。

支配人は私共のテーブルの上を見て、お飲物はお一人につき麦酒又はサイダーのどちらか一本ずつと云う事になっている。こちら様へは既に麦酒二本とサイダーが来ている。もうこれ以上は差上げられないと云った。

物資の不足も始まっていて、百閧フ好きなビールも既に手に入りにくくなっていたのだ。

そして、戦争は船そのものにも大きな影響を与える。百閧ヘ大和丸、富士丸、八幡丸、新田丸、氷川丸などに乗っているが、どの船もその数年後には戦争で沈む運命にあった。

郵船のNYKを一字ずつ頭文字にする三隻の豪華姉妹船が出来る事になった。Nは新田丸、Yは八幡丸、Kは春日丸、いずれも一万七千噸級で、郵船ラインの欧洲サーヴィスに就航させる。

例えば、この新田丸について見てみよう。百閧ヘ1940年4月の新造披露航海に乗船し、各界の名士を招いた船上座談会に参加している。

けれども、第二次世界大戦の影響により、新田丸が欧州航路に就航することはなかった。1941年9月に日本海軍に徴用され輸送船となり、太平洋戦争開戦後の1942年8月には航空母艦に改造され「冲鷹」(ちゅうよう)と改名された。そして、1943年12月に敵潜水艦の攻撃により沈没したのである。

竣工から3年あまりの短い命であった。他の船も、みな同じような経緯をたどっている。こうして、戦前の「船の黄金時代」(川本三郎の解説)は終わりを迎えたのだ。

posted by 松村正直 at 22:07| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月10日

ちょっとした疑問

今朝の読売新聞(大阪本社版)の社会面に「ロシア人中傷 相次ぐ」「日本在住者「侵攻に心痛一緒」」という見出しの記事が載っている。ロシアによるウクライナ侵攻をめぐって、国内のロシア関係の店や在日ロシア人に対して中傷の電話やコメントが相次いでいるという内容だ。

被害を受けた関係者は「侵攻に心を痛めているのは、みんな一緒だ」と訴える。

と記者は書く。

中傷が悪いのは言うまでもない。中傷はダメと記事で呼び掛ける意義もよくわかる。けれども、それは「侵攻に心を痛めている」人に対してだけの話ではない。誰に対しても同じく良くないことだ。

この記事の書き方には、「侵攻に心を痛めている」ロシア人は許してあげようといったニュアンスを感じる。そうした姿勢は、取材を受ける人に同調を強いることにもつながっていく。仮にもし、侵攻に心を痛めていない人や侵攻を肯定する人がいたとしても、中傷が許されて良いわけではない。

自分たちと同じ考えかどうかを基準に論じる姿勢には常に危うさが付きまとう。それは、同じ考えでない人への中傷をむしろ助長することにもつながりかねない。

posted by 松村正直 at 09:30| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月09日

内田百閨w蓬莱島余談』


副題は「台湾・客船紀行集」。

1939年の台湾旅行と日本郵船嘱託時代の船旅に関する文章をまとめた文庫オリジナル。解説で川本三郎が「鉄道随筆『阿房列車』ならぬ『阿房船』になっている」と書いている通りの味わいだ。編集者の手腕が光る。

それにしても百閧フ文章はどうしてこんなに面白いのだろう。偏屈で神経質でぶつくさ文句を言ってお酒を飲んでいるだけなのに、ついつい笑ってしまう。周りの人たちから愛されていたんだろうなと思う。

私は食いしん坊であるが、食べるのが面倒である。御馳走のないお膳はきらいだが、そこに有りさえすれば無理に食べなくてもいい。
大きな飛行機が着陸すると、地上勤務の人人が馳けつけて、大勢で押して格納する。蛾のまわりに蟻がたかっている様で、空を飛んでいる時は立派だが、地上に降りたらだらしがないと思ったが、大きな船も海の真中を渡っている時は堂堂としているけれど、陸地に触れようとすると随分へまな物だと考えた。
私の生家から海辺に出るには、一番近い所でも二里位は行かなければならない。その一番近い海は児島湾と云う小さな半島に扼(お)されて出来た内海である。(…)湾の中に児島八景と云う昔風の名所もあった。(…)今は開墾工事でその湾の奥の方から半分位も埋め立てたそうだから、八景は三景か四景になっているだろう。

もちろん、実際の百閧ェどういう人だったかという話だけでなく、文章の書き方に大きな秘密があるのだろう。書く自分と書かれる自分との距離の取り方が絶妙なのだ。

辰野さん、僕のリアリズムはこうです。つまり紀行文みたいなものを書くとしても、行って来た記憶がある内に書いてはいけない。一たん忘れてその後で今度自分で思い出す。それを綴り合わしたものが本当の経験であって、覚えた儘を書いたのは真実でない。

「辰野さん」は、友人で仏文学者の辰野隆(ゆたか)。短歌のリアリズムにも通じる話だと思う。

2022年1月25日、中公文庫、900円。

posted by 松村正直 at 23:33| Comment(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月08日

顔を上げる

歌会でもカルチャーセンターでも、顔を上げていることがとても大切。これは簡単なようでいて、実際にはできていない人が多い。

話している人の顔を見ながら聴くのと、単に話を聴くのとでは、頭への入り方がまったく違ってくる。歌会もカルチャーも言葉のやり取りをしているように見えるけれど、言葉で伝えられるものなどわずかでしかない。それよりも大事なのは場の空気であり、間合いであり、表情なのだ。

顔を上げずに俯いている人には、それが摑まえられない。耳から入ってくる言葉だけで何となく理解した気分になっている。残念ながら、それは本当の理解とはほど遠いものでしかない。

プリントやノートに熱心にメモをしている人も多い。そのこと自体を否定する気はない。

けれども、メモを取ることに熱心なあまり、ずっと下を向いているようでは弊害の方が大きい。メモを取る量と頭に入る量は比例しない。それどころか、時に反比例するのではないかとさえ思ったりする。

歌会もカルチャーセンターも話し合いの場であり、議論の場である。自分の前の机を見ていても、何も始まらない。まずは、話している人の顔を見ながら話を聴く。この当り前のことから始めてみてはどうだろうか。

posted by 松村正直 at 22:48| Comment(0) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月07日

無料ダウンロードなど

ネットショップのBOOTHで、私の歌集・歌書を割引価格にて販売しております。
https://masanao-m.booth.pm/

また、無料でダウンロードできる文章もありますので、どうぞご利用ください。

「三分でわかる短歌史」
https://masanao-m.booth.pm/items/3015943
「十首でわかる短歌史」
https://masanao-m.booth.pm/items/3015959
「近代秀歌七十首」
https://masanao-m.booth.pm/items/3015967
エッセイ「岡山時代のこと」
https://masanao-m.booth.pm/items/2835460
エッセイ「歌集の売れ行きをめぐる個人的な感想」
https://masanao-m.booth.pm/items/3389261

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2022年03月06日

渡邉格『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』


副題は「タルマーリー発、新しい働き方と暮らし」。
2013年に講談社から刊行された単行本の文庫化。

著者の渡邉格(いたる)さんと麻里子(まりこ)さん夫妻が営む「タルマーリ―」(千葉県いすみ市→岡山県真庭市→鳥取県智頭町)は、天然酵母と自家製粉した国産小麦によるパン作りを行っている。

本書には、店を立ち上げるまでの経緯やパン作りについての話だけでなく、現代の資本主義に対する違和感や新たな経済のあり方をめぐる考察も記されている。そこが多くの人の共感を呼んでいる点だろう。

グローバル経済といえば聞こえがいいが、国境を超えてカネ儲けのためにカネをつぎこむ投機マネーが、市井の人びとの仕事を、人生を、狂わせていく。そのおかしさは、僕が「食」の世界で見ている矛盾と、分かちがたくつながっているように感じた。
「腐らない」食べものが、「食」の値段を下げ、「職」をも安くする。さらに、「安い食」は「食」の安全の犠牲のうえに、「使用価値」を偽装して、「食」のつくり手から技術や尊厳をも奪っていく。

パン作りに欠かせない発酵や菌に関する話も面白い。

今も、問題に直面したときは、ただひたすら「菌」の声に耳を傾ける。この場所に棲む「菌」の声をただじっと聴く。「菌」たちはとても小さく、声も小さければ、口数も少ない。「菌」たちが微かに発するわずかな声は、感覚を研ぎ済まさなければ聴こえてこない。
毎日、「天然菌」とかかわりながら働いていると、なんとも不思議な感覚になってくる。自然の大きさや奥の深さに圧倒され、とても人間の力なんて及ばないと痛感させられる一方で、自然とつながって生きている喜びのような安心感のような気持ちが、胸に湧き上がってくるのだ。

日々の食べ物であるパンを通じて、経済や社会のあり方、さらには私たちの生き方まで考えさせられる一冊になっている。

2017年3月16日第1刷、2021年8月20日第7刷発行。
講談社+α文庫、790円。

posted by 松村正直 at 12:39| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月05日

「与謝野鉄幹・晶子、吉井勇とその時代」

 P1090618.JPG


京都府立京都学・歴彩館で開催中の「与謝野鉄幹・晶子、吉井勇とその時代」を見に行った。
https://rekisaikan.jp/news/post-news/post-7311/

同館所蔵の「天眠文庫関係資料」「吉井勇資料」をもとに、小林天眠、与謝野鉄幹・晶子、吉井勇の人生や時代との関わりを描き出している。

与謝野晶子がフランス滞在時に描いた絵や、12冊の歌集から選んだ歌を散らし書きした六曲一双の屏風、吉井勇の戦時中の詳細な日記など、見応えのある展示が多かった。

posted by 松村正直 at 22:03| Comment(0) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月04日

「夏の誌上短歌大会」作品募集

 2022_夏の誌上短歌大会.jpg


NHK学園主催の「夏の誌上短歌大会」は現在作品募集中です。
自由題と題詠「早」で締切は4月1日(消印有効)。
選者は、春日いずみ、栗木京子、黒瀬珂瀾、松村正直の4名。
ご応募お待ちしております。

https://www.n-gaku.jp/life/topics/6956
https://www.n-gaku.jp/images/sites/2/2022/01/natunosijyou-tanka-panf-web.pdf
posted by 松村正直 at 06:19| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月03日

岩下明裕『世界はボーダーフル』


「ブックレット・ボーダーズ」No.6。

ボーダースタディーズ(境界研究・国境学)の第一人者で国境地域研究センターの副理事長も務める著者が、世界各地のボーダーについて記した本。

日本の国境、アメリカとメキシコの国境、ヨーロッパや中東の国境(ドーバー海峡トンネル、ベルファスト、ベルリン、パレスチナ自治区)、中国とロシアの国境、中国と中央アジア諸国との国境など、各地の現場に実際に足を運んだ経験をレポートしている。

境界は変わり、国のかたちは流転する。「固有の」という表現などそもそも土地に当てはまらない。例えば、いまのポーランドはポーランドではなく、かつてのドイツはいまのドイツではない。
国境の暗いイメージを変えたい。対馬・釜山、与那国・花蓮、稚内・サハリンで会議を開催した経験を思い出す。実際に国境を越えてみると発見に満ちている。国境と境界地域の面白さを観光でアピールしたらどうだろうか。こうして始まったのがボーダーツーリズムだった。

世界がボーダーフルであることを前提に、「その敷居を低くし、隣人同士が快適に暮らせるような道筋をつけていく」のが著者の目標である。その実現はまた少し遠ざかってしまったようだけれど。

2019年7月25日、NPO国境地域研究センター、900円。

posted by 松村正直 at 17:33| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月02日

山名聡美歌集『いちじくの木』

著者 : 山名聡美
砂子屋書房
発売日 : 2021-12-23

2016年から2020年の作品288首を収めた第1歌集。
仕事をして、料理をして、自分で自分を支えている。

話すこと尽きてしまった月のした骨の名前を順番によぶ
土を離れふたたび土に落つるまでの蟬の時間にそそぐ陽光
駅前の青空市でなんとなく買いたるカボチャ電車にゆれる
開かない日もあるけれど止まり木のような一冊かばんにいれて
コンクリの擬木のごとくかわきたる市役所わきのコナラの根本
うろこ雲吊り輪のなかをうごかずにうごいているのは街と電車だ
コンビニのおにぎりだけどみそ汁をつくれば人の感じがもどる
休職の人の机のひきだしをあけてときどき消しごむ借りる
階段の途中のような昼休みコーヒーカップの耳につかまる
階段を走って降りる若猫の背中の肉の動くを愛す
きしきしとひきだしだけを交換し課内異動は完了したり
「ヤマネさん」呼びまちがえられてそのままにしばらく暗いところで暮らす
泣きながらたべたカレーの熱さとかそういうものでできてるからだ
その店を教えてくれた友達がいなくなっても店には通う
唇を人にぬらせて死のことを少し思いぬ春のデパート

1首目、下句に意外性がある。身体の各部の骨の名前ということか。
2首目、蟬の成虫の短い命を「そそぐ陽光」で鮮やかに切り取った。
3首目、思い付きで買ってしまったけど持ち帰るのがなかなか大変。
4首目、おそらく心の支えになる本。お守り代わりにもなっている。
5首目、本物の木が擬木に似ているという倒錯がいかにも現代的だ。
6首目、電車での通勤。動かない雲を見ながら職場へ運ばれていく。
7首目、みそ汁だけでも自分で作ると立派な食事という感じになる。
8首目、消しごむを使う時にだけ、居ない人の存在が浮かび上がる。
9首目、結句の「つかまる」がいい。かろうじて自分を支えている。
10首目、背中の肩甲骨や肉の動きが、毛皮越しに生々しく見える。
11首目、引出しを空にするより早い。あっけなく終わってしまう。
12首目、名前を間違えられて、動物のヤマネのような気分になる。
13首目、その時の悔しさや悲しさが今は自分の一部になっている。
14首目、人と人との関係はこういうもの。ふと思い出したりする。
15首目、店員に口紅を塗られつつ自分の死化粧を想像してしまう。

「京都」「熱海」「小豆島」「大阪」「尾道」など、旅の歌が良いアクセントになっている。あと、時々出てくるお母さんもユニークだ。

2021年12月23日、砂子屋書房、2500円。

posted by 松村正直 at 07:07| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月01日

橋本倫史『市場界隈』


副題は「那覇市第一牧志公設市場界隈の人々」。

2019年6月から建て替え工事が行われ、2022年4月には新市場がオープンする予定の牧志公設市場。その建て替え前の姿を記録するべく、市場内外の30店舗に取材したノンフィクション。

戦後の闇市から始まった市場の歴史や、沖縄の戦後史、さらには沖縄の食文化や暮らしの姿が浮かび上がってくる。

沖縄の人にとって、山羊は食べ慣れた食材の一つだ。公設市場にも山羊肉店が五、六軒あったが、この十年で次々と閉店してしまって、現在では「上原山羊肉店」だけが残る。山羊を飼う人が少なくなり、山羊肉が高級品になってしまったことが原因だという。
沖縄県は一世帯あたりの鰹節消費量が断トツの一位だ。二〇一六年の調査によれば、全国平均が年間二七六グラムであるのに対して、沖縄はその六・四倍の一七六八グラムである。

古い泡盛を収蔵する博物館&酒屋を営む「バザー屋」を紹介する中で著者は、

今目の前にあるものは、そこにあることが当たり前過ぎて、いつのまにか消え去ってしまう。でも、同時代の人達から変人扱いされる人の手で、時代は記録されてゆく。

と書いている。とても大切な指摘だと思う。これは、名著『ドライブイン探訪』や本書を記した著者自身の姿勢でもあるのだろう。
https://matsutanka.seesaa.net/article/465212751.html

2019年5月25日、本の雑誌社、1850円。

posted by 松村正直 at 06:19| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする