2022年01月31日

雑詠(013)

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ひさびさに帰省せし子と話したり距離感うまくつかめぬままに
昼までは残ることない雪だろう窓辺に寄ってあんパンを食う
電線がなければこれで完璧な風景になるのだけれども好き
寝床より抜け出していく食べられてわれの身体となりしうなぎが
ひとりずつ残り時間は異なるを同じ写真にうつり微笑む
手をつなぎ父とならんで歩く子の黄色のリュック大きく揺れる
せんべいを売る道端のスタンドのわきに屯(たむろ)す五頭の鹿は

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2022年01月30日

嶋稟太郎歌集『羽と風鈴』

著者 : 嶋稟太郎
書肆侃侃房
発売日 : 2022-01-18

「未来」所属の作者の第1歌集。251首。

章の間(ま)に挟んだままのレシートの数日前の生活を読む
屋久島の森に置かれたマイクから配信される雨音を聞く
シンクへと注ぐ流れのみなもとの傾きながら重なるうつわ
転職と転居を終えたひと月にウンベラータの鉢を買い足す
くるぶしの近くに白い花が咲く靴紐を結い直す時間に
透きとおる小さな筒に挿されおりテーブル二つ分の伝票
この年の風鈴市は無いらしい整体師から聞く町のこと
柚子の実を底に放せばゆずの実のやがてあらわる膝の間に
太き根は路(みち)のおもてを持ち上げてわが足元に山脈となる
半地下のガレージがある歯科医院 夾竹桃が反り立っている

1首目、栞代わりに挟んだレシートを見てその日の行動を思い出す。
2首目、自宅に居ながらはるか遠くの屋久島の森にいる気分になる。
3首目、片付けられずに積み上がった食器類を伝って流れていく水。
4首目、生活の大きな変化に合わせて部屋の気分も少し変えてみる。
5首目、靴紐を結び直そうとしゃがんだので花に気づいたのだろう。
6首目、確かに「透きとおる小さな筒」だ。会計は一緒のグループ。
7首目、「風鈴市」が現実とは別の世界のような味わいをもたらす。
8首目、柚子湯だと言わないでわかるのがいい。つい遊んでしまう。
9首目、アスファルトに亀裂が入り盛り上がる。「山脈」が印象的。
10首目、どれも関係ないようでいて、地下や根の感じが響き合う。

全体に省略がよく効いていて、少ない言葉で場面を浮かび上がらせている。情報量が適度か、あるいはやや足りないくらいの感じで歌が出来上がっているところに特徴がある。

2022年1月18日、書肆侃侃房、2000円。

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2022年01月29日

講座「現代に生きる与謝野晶子」

与謝野晶子講座.jpg


2月19日(土)に朝日カルチャーくずは教室(大阪府枚方市)で、一日講座「現代に生きる与謝野晶子」を行います。有名な短歌だけでなく、晶子が精力的に書いた評論を取り上げて、没後80年になる今も色褪せることのない魅力に迫ります。

教室&オンラインどちらでも受講できます。ご興味のある方は、ぜひご参加下さい。

日時:2022年2月19日(土)13:00〜14:30
場所:朝日カルチャーくずは教室(京阪樟葉駅すぐ、駅ビル3階)

【教室受講】
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/50362444-cbb8-c551-20f6-6176523248a7
【オンライン受講】
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/11faa639-5eab-41ad-6918-6176537f2bc0

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2022年01月28日

岡井隆歌集『神の仕事場』


1990年末から1994年春までの作品を収めた歌集。全402ページ。

詞書、折句、口語、長歌、俳句など、様々な修辞や試みが行われている。ゆっくりと時間を掛けて読み解き、何度も繰り返し味わうことのできる歌集だ。

永遠に不平屋としておれはゐる 濡れし鼻面を寄せる巨犬(おほいぬ)
冬螢(ふゆぼたる)飼ふ沼までは(俺たちだ)ほそいあぶない橋をわたつて
生きゆくは冬の林の単調さ(モノタナス) とは思はないだから生きてる
うすうすは知りてぞくだる碓氷嶺(うすひね)のおめへつて奴がたまんねえんだ
朝毎に日経をよむささなみの数字の波もデザインとして
午後(ひるすぎ)はゼミの学生前列に安寝(やすい)するまでわが声甘し
つらつらにつゆいりまへのみなとまちあさのうをいち見ずてさりゆく
玄関にでて手を垂れてあやまりし亡き父よむづかる左翼の前に
轢断といふを思へば昨夜(きぞ)われは人のこころを轢いて来にけり
スキャンダラスにノートリアスに生きるとは矢が立つたまま飛ぶことである
目の下の脹(は)れたる顔が映りをり向うは清き朝の早苗田
人間は空しき艇庫わたつみゆいつ帰り来む愛をし待ちて
越の国小千谷(をぢや)へ行きぬ死が人を美しうするさびしい町だ
陽物(やうもつ)を摑みいだしてあけぼのの硬き尿意を解き放ちたり
みづうみと無数に情を通じたる大河(たいが)よ夜の水になりゆく

1首目、現状に満足できない自分。下句の巨犬は自画像であろうか。
2首目、挿入句(俺たちだ)の働きがおもしろい。秘密めいた冒険。
3首目、上句で定義したと見せかけて下句で鮮やかにひっくり返す。
4首目、ヤマトタケルの「吾妻はや」を踏まえた下句の言い回し。
5首目、株価欄にならぶ細かな数字を「デザイン」と捉えている。
6首目、自分の声を「甘し」と詠んだところに自嘲と自負がにじむ。
7首目、ひらがなを多用した表記。有名な朝市に寄らずに帰る旅だ。
8首目、学生運動が賑やかだった頃。「手を垂れて」の描写がいい。
9首目、轢断は体をひくことだが、心をひく方が無惨かもしれない。
10首目、印象に残る下句は1993年の矢ガモ騒動を踏まえている。
11首目、窓ガラスに映る二日酔いの顔と早苗田の対比が鮮やかだ。
12首目、永遠に戻って来ないかもしれないボートと空っぽの艇庫。
13首目、大雪や織物で知られる町。「美しう」のウ音便が美しい。
14首目、朝起きて小便をするところ。「硬き尿意」の張り詰め感。
15首目、慣用句「情を通ずる」を川の流れのイメージで蘇らせた。

1994年9月20日、砂子屋書房、3500円。

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2022年01月27日

鯨統一郎『金閣寺は燃えているか?』


「文豪たちの怪しい宴」シリーズ第2弾。

前作に続いてバー「スリーバレー」を舞台に、バーテンダーのミサキと、大学教授の曽根原、客の宮田の3人が文学談議を交わす。

取り上げられるのは、川端康成『雪国』、田山花袋『蒲団』、梶井基次郎『檸檬』、三島由紀夫『金閣寺』の4篇。

どれも面白く読めるのだが、前作に比べるとちょっと軽い気もする。シリーズものの難しさだろう。

それにしても、いわゆる文豪の小説はこんなふうに「読者が読んでいること」を前提に話が進められるのがいい。(実際に読んでいるかどうかは別にして)

今ではもうそんな前提が通用する作品はなくなってしまった。(作品の質の話ではなく)

2021年11月21日、創元推理文庫、680円。

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2022年01月26日

映画「台風クラブ」

監督:相米慎二
脚本:加藤祐司
出演:三上祐一、工藤夕貴、大西結花、尾美としのり、三浦友和ほか

「没後20年 作家主義 相米慎二」特集で上映中の1985年公開作品。

地方都市の中学校を舞台に、台風が近づいて通り過ぎる木曜日から月曜日までの5日間を描いている。雨や風の描き方がいい。

主演の三上祐一(早くに芸能界を引退)の兄役を鶴見辰吾が演じているのだが、二人は実の兄弟なのだそうだ。初めて知った。

京都みなみ会館、115分。

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2022年01月25日

小林信彦『おかしな男 渥美清』


映画「男はつらいよ」シリーズで有名な渥美清との個人的な付き合いや思い出を記した一冊。

1961年夏の出会いから始まって1996年に渥美が亡くなるまでが描かれているが、特に1969年の映画「男はつらいよ」に至るまでの若き日の姿が印象的だ。

渥美清には当時から他人を寄せつけない雰囲気があった。言いかえれば、〈近寄りがたい男〉である。
渥美清は自分の仕事、とくに現在進行形のものについては口が堅かった。他人を信じていなかったからである。
「狂気のない奴は駄目だ」
渥美清は言いきった。
「それと孤立だな。孤立してるのはつらいから、つい徒党や政治に走る。孤立してるのが大事なんだよ」

お互いに独身でアパートの部屋に呼ばれる間柄であっても、渥美はけっして心を開くことはない。田所康雄―渥美清―車寅次郎は、同じ人物でありつつそれぞれ違うレベルの人間なのである。

「男はつらいよ」に関しても、いくつか大事な指摘がある。舞台となった柴又は東京の下町と言うよりも〈はるかに遠い世界〉であったことや、シリーズの最初の4作がわずか半年間のうちに封切られていることなど。どちらも、言われなければ気づかない点だと思う。

初期の寅次郎の迫力は、どこかで素の渥美清、または田所康雄がまざってしまうところにあり、決して〈ご存じの寅さん〉ではなかった。

全478ページにわたって、渥美清に対する深い愛情が滲んでいる。また、著者の記憶力の良さも特筆すべきものだと思う。

2016年7月10日第1刷、2020年3月10日第4刷発行。
ちくま文庫、950円。

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2022年01月24日

「パンの耳」第5号刊行!

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同人誌「パンの耳」第5号を刊行しました。
13名の作品15首とエッセイ「空のうた」を掲載しています。

木村敦子  「ごてんまり」
紀水章生  「水に還る」
乾 醇子  「つぶさぬやうに」
岡野はるみ 「空の差し色」
河村孝子  「レクイエム、点々」
長谷部和子 「二日月の光」
添田尚子  「夏のジッパー」
鍬農清枝  「グレーの領域」
弓立 悦  「針葉樹」
松村正直  「ひがんばな」
佐々木佳容子「綿菓子」
甲斐直子  「リヤドロ」
森田悦子  「では また」

定価は300円。(送料込み)
BOOTHと「葉ね文庫」で販売中です。
https://masanao-m.booth.pm/

また、松村まで直接連絡いただいても対応できます。
よろしくお願いします。

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2022年01月23日

鯨統一郎『文豪たちの怪しい宴』


歴史談義シリーズで知られる著者が、新たに始めた文学談議シリーズの第1弾。

バー「スリーバレー」を舞台に、バーテンダー「ミサキ」と大学教授の「曽根原」、客の「宮田」の間で文学作品についての話が繰り広げられる。

扱われるのは、夏目漱石『こころ』、太宰治『走れメロス』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、芥川龍之介『藪の中』と、有名な作品ばかり。それを意外な観点から読み解いていく。

「そして読者の読みかたが時には作者さえ意識していなかった作品の真実を探り当てることもあると思っています」
「作者さえ意識していなかった……」
「そうです。作者は何者かに導かれるように書いてしまっていたことを読者が見つける。興奮しませんか?」

こんな感じ。短歌の読みにも似たところがあるかもしれない。

2019年12月13日、創元推理文庫、720円。

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2022年01月21日

啄木と絵画

啄木は東京でよく美術展を見に行っている。
明治41年6月7日の日記。

二時から、金田一君と二人、大学構内の池を見て、上野の太平洋画会を見た。吉田博氏の作に好いものがある。月夜のスフインクス、それから、荒廃した堂の中に月光が盗入つて一人の女が香を炷いて祈禱をしてる図など。

ここに出てくる吉田博は、後に新版画で活躍する人物。この時点では版画ではなく洋画を描いていた。

啄木の挙げた2点の絵はどんな作品かと思って調べてみたが、わからない。大正14年の版画作品「スフィンクス」は見つかるけれど、もちろんこれのことではない。
http://inventory.yokohama.art.museum/11359

既に失われてしまった絵画なのだろうか。

【追記】
6月15日の日記に、さらに言及があった。

金を欲しい日であつた。此間太平洋画会で見た吉田氏の(魔法)、(スフインクスの夜)、(赤帆)などを買ひたい。

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2022年01月20日

講座「『石川啄木』こんな歌もあったの?」

1月23日(日)に講座「『石川啄木』こんな歌もあったの?」を行います。主に歌集に収録されてない歌に焦点を当てながら、啄木短歌の魅力に迫ります。ご興味のある方は、ぜひご参加下さい。

日時:2022年1月23日(日)13:00〜15:00
場所:JEUGIAカルチャー京都 de Basic.(地下鉄四条駅すぐ)

https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_2-46106.html?PHPSESSID=1bv8aiijrc9nr28pg1os6j88d2

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2022年01月19日

続・奈良へ

森鷗外は晩年、帝室博物館の総長として奈良にしばしば滞在した。
当時、博物館の官舎があった場所に、建物の門だけが残されている。


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東大寺大仏殿に入る交差点の角にあるのだが、知らなければ気づかないと思う。それくらい、ひっそりと立っている。写真では見にくいが、門の裏手に鹿が寝そべっていた。


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「鷗外の門」と名付けられている。
刻まれているのは「奈良五十首」の歌。

猿の来し官舎の裏の大杉は折れて迹なし常なき世なり

この門を鷗外が出入りしていたわけだ。
常なき世ではあるけれど、あなたの通っていた門は100年後も残っていますよ、と教えてあげたい。

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2022年01月18日

奈良へ

時おり小雪が降ったりするなか、奈良を散策する。
良い雰囲気のものにたくさん出会った。


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崩れかけの土塀


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苔むした木のベンチ


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目鼻の薄れた不動明王


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仁丹の町名看板

奈良、いいところだなあ〜。
今度はもう少し暖かい時に行ってみよう。

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2022年01月17日

今西幹一編著『文人短歌1』

副題は「うた心をいしずえに」。
小説家や詩人、評論家たちが詠んだ短歌について解説した本。
全2巻。

登場するのは、芥川龍之介、大塚楠緒子、岡本かの子、川端康成、立原道造、高村光太郎、谷崎潤一郎、中原中也、萩原朔太郎、秦恒平の10名。それぞれの専門家の学者が執筆している。

短歌への取り組み方や詠んだ歌の量は、人によってさまざまだ。

短歌(和歌)のなかだちによって文芸に開眼された文人は数多い。そのまま作歌を生涯の業とした歌人は別にして、その多くは詩や小説に移行し、その分野において自己の本領を発揮してからは、すっぱりと短歌を捨て去っている。おおむね自己の過去の作歌歴を一種の羞恥とヴェールに包み、なかには恥部のように秘め匿しているかと思える例もある。

短歌からした小説へと移行した文学者の作品を追うことで、短歌という形式の持つ特徴が見えてくる。「短歌はついに意識のはてを作品化しえない」「短歌的詠嘆は必ず感情の自己満足=判断停止を伴って対象物の中にとけ込もうとする」といった指摘もあり、その当否は別にして、あれこれ考えさせられた。

1992年1月5日、朝文社、2500円。

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2022年01月16日

講座「文学者の短歌」

文学者の短歌.jpg


2月6日(日)に大阪で、講座「文学者の短歌」を行います。

森鷗外、芥川龍之介、村岡花子、宮沢賢治、中島敦、北杜夫、石牟礼道子などの歌を紹介して、一人一人の個性に迫るとともに、短歌の持つ魅力について考えます。ご興味のある方は、ぜひご参加下さい。

日時:2022年2月6日(日)11:00〜12:30
場所:毎日文化センター(JR大阪駅より徒歩8分)

http://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/36106

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2022年01月15日

満岡伸一『アイヌの足跡』(増補改訂第8版)

白老で郵便局長をしていた著者が、アイヌの伝統や風習、言語、生活についてまとめた本。アイヌの入門書として戦前からよく読まれていたと聞く。

著者と妻で歌人の満岡照子は多くの和人をアイヌ集落に案内しており、白老のキーパーソンとも言える存在である。

オハウと云うのは魚の塩汁の事で、普通魚肉と野菜を一緒に煮て塩味を付けたものである。(…)北海道の三平汁は北海道の名物になって居るが、畢竟アイヌのオハウである。
進歩と変化のない、彼等の社会では、何と言っても老人は、物知りであり経験者である。総ての行事は皆、老人の指揮指導をまたねばならぬことばかりで、老衰しても、家長として、村の元老として貫録を保ち、周囲の尊敬を受けている。
道内到る所にベンケの地名がある。之れも弁慶の遺跡の様に伝えるが、アイヌ語のベンケは上、バンケは下の意で、弁慶とは何等関係がない。
数十年前彼等は内地人の赤児を喜んで貰い育てる風があった。内地人も又種々の事情から赤児をアイヌに呉れる事が往々あった。其の児は純血の内地人であるが、彼等の家庭では実施同様に取扱うので、結局言語、習慣、食物等も全然アイヌと同一である。
普通の熊狩は積雪のある早春の頃で、熊が逃れても雪の上に残る足跡と、猟犬の臭覚とで所在を突止める事が容易である。それで強いて強い毒を用いず毛皮、肉に影響ない程度に加減した適当のものを使用する。

どの話も非常に詳しく記されていて、著者のアイヌ文化に対する理解の深さやアイヌの人々との交流の深さを感じさせる。

序文に

北海道三百万の住民中二万に足らざるアイヌ人は、内地人に同化され、アイヌ古来の特殊の風俗習慣は日に月に廃れ、今後数年ならずして全く其の足跡をも存せざるに至らんとするを惜み、後日実家の参考ともならんと順序もなく筆記し置けるもの。

とあるように、著者の基本的な考えは、アイヌ文化は内地人への同化によって早晩廃れていくので、せめて記録に残しておくというものだ。題名の「アイヌの足跡」も、そうした考えに基づいて付けられている。

こうした姿勢は現在では「サルベージ・エスノグラフィー」として批判を受けることもある。著者が同化政策の片棒を担いだという見方も当然できるだろう。非常に悩ましい問題であるが、それでも、この本の持つ価値は変わることはないと思う。

1924年10月15日初版、1987年2月1日第8版増補。
財団法人アイヌ博物館発行。

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2022年01月14日

童謡「アイヌの子」

北原白秋「アイヌの子」は「赤い鳥」1925(大正14)年12月号に発表された作品。

大豆畠の
露草は、
露にぬれぬれ、
かわいいな。

大豆畠の
ほそ道を、
小(ち)さいアイヌの
子がひとり。

いろはにほへと
ちりぬるを、
唐黍たべたべ、
おぼえてく。

この年、樺太・北海道を旅行した白秋は、アイヌに関する詩や短歌を数多く詠んでいる。この童謡もその一つ。

「いろはにほへと/ちりぬるを」には、正しくは傍点が付いている。学校帰りの子どもだろうか。トウモロコシを食べながら声に出して言葉を唱えている姿が可愛らしい。

もっとも、別の角度から見れば、これは北海道旧土人保護法に基づいてアイヌ学校が設置され、日本語教育をはじめとした同化政策が行われた時期の作品でもある。

そうした観点に立つと、「いろはにほへと/ちりぬるを」も自ずと違った意味合いを帯びてくる。

白秋はアイヌ語を取り入れた詩や歌も作っているが、はたしてどんな意識でこの「いろはにほへと/ちりぬるを」を書いたのだろうか。

posted by 松村正直 at 15:49| Comment(2) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月13日

講座「現代に生きる与謝野晶子」

与謝野晶子講座.jpg


2月19日(土)に朝日カルチャーくずは教室(大阪府枚方市)で、一日講座「現代に生きる与謝野晶子」を行います。有名な短歌だけでなく、晶子が精力的に書いた評論を取り上げて、没後80年になる今も色褪せることのない魅力に迫ります。

教室&オンラインどちらでも受講できます。ご興味のある方は、ぜひご参加下さい。

日時:2022年2月19日(土)13:00〜14:30
場所:朝日カルチャーくずは教室(京阪樟葉駅すぐ、駅ビル3階)

【教室受講】
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/50362444-cbb8-c551-20f6-6176523248a7
【オンライン受講】
https://www.asahiculture.jp/course/kuzuha/11faa639-5eab-41ad-6918-6176537f2bc0

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2022年01月12日

松葉登美『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり』


副題は「人口400人の石見銀山に若者たちが移住する理由」。

(株)石見銀山生活文化研究所所長で服飾ブランド「群言堂」のデザイナーを務める著者が、島根県大田市大森町での暮らしや町づくりについて記した本。

大森町が重要伝統的建造物群保存地区に指定されたり(1987年)、石見銀山が世界遺産に選定されたり(2007年)する前から、実に40年にわたって夫とともに大森町に店を構え、古民家の改装や移築などを続けてきた方である。

お客さまは、どんなに不便な場所でも、必ずお見えになる。不便だからこそ、その価値が高まることもある。石見銀山に店をおくことが、ブランディングになると考えたのです。
地方は「スモール」「スロー」「シンプル」。小さい世界だから、やったことの答えが見えやすいし、反応がつかみやすい。都会ほど経済的に追われないから、長いスパンで物事を考えていけるし、情報もあふれるほどではないから、自分たちに必要なものが見極めやすいですよね。
足元の宝というけれど、いちばんの足元は自分自身。自分の中の可能性に目覚めて、自分がどう生きたいのか、どうありたいのか、そういうことを一人一人深めていけば、地域の創造力につながると思いますね。
私は「家の声を聴く」「土地の声を聴く」ってよく言いますが、もちろん自分の声はあるけれど、そればかりを中心におくと偏ってしまうので、自分の声は消しておいて、家や土地の声を聴くようにすると、新しいことが発見できたり、聴こえてきたりするんです。

試行錯誤を続けながら実績を残してきた人だけに、一つ一つの言葉に説得力がある。大森町には以前一度行ったことがあるが、また訪れてみたくなった。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138541.html

2021年10月11日、小学館、1500円。

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2022年01月11日

なるほど知図帳編集部編『日本の遺構』


副題は「地図から消えた歴史の爪痕」。

全国各地の廃村や幻の町、産業遺産、遺跡などを紹介した本。取り上げられているのは、鴻之舞金山(北海道)、大滝宿(福島)、八丈小島(東京)、安濃津(三重)、大川村(高知)、軍艦島(長崎)、アクアポリス(沖縄)など。

書かれている内容が古いと思ったら、2007年発売の『まっぷる選書D〈なるほど知図BOOK〉歴史の足跡をたどる 日本遺稿の旅』に一部加筆修正して刊行されたものなのであった。

アメリカ軍にとって、第二次世界大戦後は文字通りの「戦後」ではなかった。1950(昭和25)年に朝鮮戦争が勃発、1965(昭和40)年にはアメリカがベトナムに本格介入を開始。平和な日本とは裏腹に、アメリカ軍は休む間もなく戦いを続けた。

「米軍府中基地」に関する記述だが、言われてみればその通り。日本とアメリカとで、戦後の意味はかなり違っているのだろう。一度、戦争ごとの死者数などを調べてみよう。

2021年8月15日、昭文社、900円。

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2022年01月10日

平山城児『鷗外「奈良五十首」を読む』


1975年に笠間書院から刊行された『鷗外「奈良五十首」の意味』を改訂、増補して文庫化したもの。森鷗外「奈良五十首」(「明星」1922年1月)に関する詳細な注釈書だ。

鷗外は陸軍軍医総監を退任したのち帝室博物館総長となり、毎年正倉院の宝物の曝涼に立ち会うために奈良を訪れた。その際の歌をまとめたのが「奈良五十首」である。

難解な歌も含まれるその1首1首について、著者は資料に当たるだけでなく、実際に現地を訪れ、関係者の話を聞くなどして、実に細かく調べていく。かなりマニアックな内容と言ってもいい。

その熱意の奥にあるのは、

鷗外の文学活動はあらゆるジャンルにわたっているために、鷗外の短歌は、これまでひどく不遇な位置におかれてきたようである。

という思いであった。

まるでミステリーを読み解くような一冊で、実証的な文学研究の醍醐味を味わうことができる。鷗外の足跡を訪ねて奈良にも行ってみたくなった。

2015年10月25日、中公文庫、1000円。

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2022年01月09日

林芳亨『日本のジーパン』


1988年に「ドゥニーム」を立ち上げ、現在は「リゾルト」のデザイナーを務める著者が、ジーパンの歴史や自らの半生を記した本。

流行を追うことなく4つの型だけのジーパンを売り続ける姿勢や、ジーパン作りに対する徹底したこだわりの奥には、いつまでも薄れることのないジーパン愛がある。

裾を切るということは、(…)裾の幅が広くなってしまい、せっかくのすっきりしたシルエットを損なうことになります。裾の幅が広くなることは、そのジーパンが本来デザインされた形を壊してしまうことになるのです。
備後地方には、紡績が得意な工場、染色が得意な工場、機織りが得意な工場が揃っているんです。紡績、染色、機織りそれぞれの工程で、リゾルトのジーパンにベストな工場を選んでお願いしています。

巻頭の8枚のカラー写真のモデルは本人。どのジーパン姿もかっこいい。穿き続けるうちに身体に馴染んでくるジーパン。日本人の体型に合った理想の定番を求めて、これからも著者の探究は続く。

2021年9月30日、光文社新書、960円。

posted by 松村正直 at 18:44| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アスファルト舗装の歌

  アスフアルト街
暮れてゆくアスフアルト道下駄に鳴らし鳴るをよろこび子らの遊べり
からころと踏めば鳴り出(づ)るアスフアルト道その音をよみ子ら声立てず
        宇都野研『木群』(昭和2年)

今ではアスファルト舗装なんて何の情緒もないけれど、当時は珍しかったから子どもが大喜びしている。

2首目の「音をよみ」がわかりにくかったのだけど、広辞苑で「よむ」を調べると1番目に「数をかぞえる」という意味が出てくる。大伴家持の〈春花のうつろふまでにあひ見ねば月日よみつつ妹待つらむそ〉(万葉集、巻17-3982)や「票をよむ」といった用例が挙がっている。「音をよみ」もその意味かな。

同じ歌集に、長い詞書の付いた舗装工事の歌もある。

  アスフアルト工事
 今年の夏わが病院の前に最新式のアスフアルト道作られぬ。道路をコンクリートに築きかため、その上に砂礫状の過熱せるアスフアルト混合物を敷き、蒸気ローラーにて挽固むるなり。月余に亘れる工事を見て

黒真砂(くろまさご)くゆりてけぶるアスフアルト一息(ひといき)に圧し潰しローラー廻る

「わが病院の前に最新式の」というあたりが、いかにも誇らしげだ。歌の方も機械文明の力を全面的に謳歌している。

posted by 松村正直 at 11:36| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月08日

2冊の本

ジャンルの違う2冊の本に同じようなことが書いてある。
そんな偶然が好きだ。

幹に摑まる力の尽きるときが死と知るはずもなく蟬らは鳴けり
手も足も律儀に揃へ仰向きて蟬が死ぬなり晩夏の庭に
           永田和宏『置行堀』
木につかまる力を失ったセミは地面に落ちる。飛ぶ力を失ったセミにできることは、ただ地面にひっくり返っていることだけだ。わずかに残っていた力もやがて失われ、つついても動かなくなる。
           稲垣栄洋『生き物の死にざま』

トランプの神経衰弱をしていて2枚のカードが揃う時の喜び、と言えば伝わるだろうか。

posted by 松村正直 at 21:50| Comment(1) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月07日

稲垣栄洋『生き物の死にざま』


2019年に草思社から刊行された単行本の文庫化。

様々な生き物の死にざまを通じて、生きるとは何か、命とは何かを描き出している。登場するのは、セミ、サケ、カゲロウ、タコ、ウミガメ、ミツバチ、ヒキガエル、ミノムシ、ニワトリ、ゾウなど30種。

ハサミムシの母親は、卵からかえった我が子のために、自らの体を差し出すのである。そんな親の思いを知っているのだろうか。ハサミムシの子どもたちは先を争うように、母親の体を貪り食う。
宝くじの一等に当たる確率は一〇〇〇万分の一と言われている。マンボウが無事に大人になる確率は、宝くじの一等に当たるよりも難しいと言っていい。
女王にとって働きアリが働くマシンであるならば、働きアリたちにとって女王アリは、いわば卵を産みマシンでしかない。卵を産むことだけが、女王の価値なのだ。

昆虫や動物の生のあり方は、人間と違って実にシンプルだ。生まれて、食べて、生殖活動をして、死ぬ。そのすべてが虚飾なく剝き出しになっている。ひたすら「命のバトン」をつなぐことだけが唯一の目的と言っていい。

生命が地球に誕生したのは、三八億年も前のことである。すべての生命が単細胞生物であったこの時代に、生物に「死」は存在しなかった。
オスとメスという仕組みを生み出すと同時に、生物は「死」というシステムを作り出したのである。

死とは何か、人はなぜ死ぬのか。そうした問題を考える上でも非常に示唆に富む一冊だと思う。

2021年12月8日、草思社文庫、750円。

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2022年01月06日

映画「クナシリ」

監督・脚本:ウラジミール・コズロフ
撮影:グレブ・テレショフ

旧ソ連(ベラルーシ)出身で現在はフランスに住む監督が、国後島を描いたドキュメンタリー。

島に住む人々や軍人、企業経営者など多くの人々の語りを通じて、国後島の現在が浮き彫りになる。戦後76年が過ぎた今も日本とロシアの間で平和条約は締結されず、日本との行き来は途絶えたままだ。

領土問題に関する立場は人によってさまざまであったが、「日本人はここに移り住むつもりはない。漁業をする海域が欲しいだけだ」という意見は鋭いところを突いている。また、「かつてはアイヌの人々が自然とともに暮らしていた」という話も印象に残った。まさに、その通り。

ロシアにとっても辺境、日本にとっても辺境の島。そもそも「辺境」という概念が生まれるのも国や国境線があるからであって、島自体には何の落ち度もないのだけれど。

京都シネマ、74分。

posted by 松村正直 at 08:38| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月05日

オンライン講座「短歌のコツ」

今年もNHK学園のオンライン講座「短歌のコツ」を行います。

毎回一つテーマを決めて話をして、その後、事前に提出していただいた歌の批評・添削をします。毎月第4木曜日の夜19:30〜20:45。

ご興味のある方は、ぜひご参加下さい。

■ 日程(全5回)@2/24 A3/24 B4/28 C5/26 D6/23
■ 時間 19:30〜20:45(75分間)

https://coubic.com/ngaku-online/790442#pageContent

posted by 松村正直 at 11:24| Comment(0) | カルチャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月04日

岩田徹『一万円選書』


副題は「北国の小さな本屋が起こした奇跡の物語」。

北海道砂川市で「いわた書店」を営む著者が、「一万円選書」というサービスにたどり着くまでの経緯や書店経営にあり方について記した本。

一万円選書とは、「何歳のときの自分が好きですか?」「これだけはしない、と決めていることはありますか?」「いちばんしたいことは何ですか?」といった質問の記された「選書カルテ」をもとに、書店が約1万円分の本を見繕って届けるシステムだ。

現在は多数の応募者の中から月に100名を選んで選書を行っており、これがいわた書店の経営を支えている。

ネット書店は読者が「これがほしい」というはっきりしたNeedsで検索して本を探しますよね。で、アルゴリズムによって同じような関連本がすすめられる。一方、一万円選書は、あなたはこんな本を求めているんじゃないのって、僕が本人も気づいていないような欲求を汲み取って、ご自身では探せないような本を紹介します。
作者が書いた本は、読者に読まれてはじめて「本」になり「言葉」になる。作者と読者をつなぐために僕は本屋をやっているし、この本の中でもこうして本を紹介しています。
出版業界はどうしても新刊偏重で、書店はいま売れる本をどんどん打っていこうって姿勢になりがちなんだけど、いわた書店では既刊本を長く売っていくことに重きを置いています。

人口1万6千人の町で両親の代から続く書店を守り続ける著者の、信念と気概が伝わってくる一冊であった。

2021年12月6日、ポプラ新書、900円。

posted by 松村正直 at 07:30| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月03日

山下翔歌集『meal』(その2)

明けがたにいちど目覚めてゐたことは言はないでおく まぶしい部屋だ
並ひとつたのめば愉し今ここに食べる十個の寿司のつやめき
投げをへしいきほひのままに寝ころべば視線の先にピンが吹き跳ぶ
屋上へ干しにゆかむと掛け布団敷き布団あたまに載せてはこびき
きみはうな丼ぼくはうな重むきあつて食べる柳の窓を見ながら
ざれあひて二頭のらつこ絡まれるひとつ水槽をしばらく見ゐつ
暴力はすなはち人をかたくするたつた一度の暴力なれど
窃盗の父をむかへに行きしとき橋の往来に雪ながれをり
まづしさに母が買ひたる真つ赤なるリュックサックわがために、ちひさき
三人くらゐは食べるだらうといふ判断にライス小来る三人で食ふ

1首目、目が覚めたけれども何か理由があって寝たふりをしたのだ。
2首目、並でも十分に美味しい。「つやめき」まで言ったのがいい。
3首目、ボーリングをしているところ。動画を見ているような迫力。
4首目、子どもの頃の暮らしの思い出。「あたまに載せて」がいい。
5首目、同じものでも全く違うものでもない。君との微妙な距離感。
6首目、ラッコは交尾する時にオスがメスの鼻を嚙むのだと聞く。
7首目、暴力を振るわれたことのある人は身体がこわばってしまう。
8首目、忘れることのできない記憶。下句の風景が刻まれている。
9首目、それでも嬉しかったのだ。哀しみと深い愛情を感じる一首。
10首目、飲み会ではこういう注文の仕方をすることがよくあるな。

「もう何も言へなくなつてひたすらにご飯を詰める胸の奥から」という歌もある。作者はきっと何も言えなかったり、心が虚ろだったりすると、その代わりにたくさん食べるのだろう。食べることは作者にとって喜びであるとともに、慰めでもあるのかもしれない。

2021年12月25日、現代短歌社、2200円。

posted by 松村正直 at 07:23| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月02日

山下翔歌集『meal』(その1)

P1090487.JPG

2018年、19年に詠まれたものを中心に550首を収めた第2歌集。

タイトルの通り食べものを詠んだ歌が多く、ユーモラスな内容も含まれているが、ずっしりとした読後感が残る。食べものの歌を通じて人との関わり方や距離感が描かれているところに大きな特徴がある。また、母をはじめとした家族や生い立ち、自らの指向に関する歌もあって、作者の歌の根っこにあるものが窺える。

さみしさはきみがとほくへ行くやうで妻と児と連れ立つてとほくへ
捩子といふにも雄、雌の別あることのその比喩のことにがく思ふも
真白なる馬のたてがみ嚙みごたへなきをふしぎと長く嚙みたり
島らつきよう嚙みつつビール飲んでゐるビールにも島らつきようにも飽きて
うみどりは声にごらせて鳴くものを嗚咽のごとく聞きて過ぎゆく
町は体 ゆび這はすごときみは来ていろいろのところ歩きたるかな
カット野菜ぶつこんで食べるカップ麺からだあたたかく感慨はくる
生魚のにほひ時折を感じつつ刺身パン食へり布団のうへに
ハッピーバースデーわたしが聞いた宵いくつたどればそこに生まれるわたし
シャワー室にスクワットするわが姿大き鏡のなかを上下す

1首目、同性の「きみ」の結婚や子の誕生を寂しむ思いが強く滲む。
2首目、男女という性別によって区分されることに対する違和感。
3首目、味わっているというよりも、心を鎮めるために嚙んでいる。
4首目、交互に飲み食いするうちに、自動的に口に運ぶ感じになる。
5首目「嗚咽のごとく」聞こえるのは作者の中に嗚咽があるからだ。
6首目、濃密なエロスを感じさせる歌。自分の暮らす町を歩かれる。
7首目「か」の音やア行の響きが小さな満足感をうまく伝えている。
8首目、自家製「刺身パン」の衝撃力。ひとり暮らしの感じが濃い。
9首目、祝う人がいて幸せだった誕生日の記憶を、遠くさかのぼる。
10首目「上下す」がいい。自分の身体が別物のように感じられる。

2021年12月25日、現代短歌社、2200円。

posted by 松村正直 at 09:31| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月01日

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

屋根に雪の積もる元旦になりました。
今年の目標は、

・「啄木ごっこ」をひたすら書く
・「パンの耳」第5号、第6号を出す
・作品や評論の発表の場を設ける
・施設に入所中の母の面会に行く
・ひとり暮らしの父にも時々会いに行く
・第6歌集はどうしようかな

といったところでしょうか。
多くの方と会って、話して、考えを深めていければと思います。

今年もよろしくお願いします。

posted by 松村正直 at 08:44| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする