2021年09月30日

雑詠(009)

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背比べしようって子はもう言わず冷蔵庫あけて牛乳を飲む
停車するバスに向かって駆けてくる少女みるみる媼になって
十六分の一に新聞を折りたたみ電車にめくる技も絶えしか
崖ならば震えるほどの高さより地下へと降りるエスカレーター
眠ろうと明かりを消せばスリッパに叩きし蠅のたましいが飛ぶ
警笛を鳴らし過ぎゆく崖下に平たくならぶ保線のひとら
腫れものに触れるみたいに触れていて傷めてしまう桃もあること

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2021年09月29日

違星北斗『違星北斗歌集』


副題は「アイヌと云ふ新しくよい概念を」。

アイヌの歌人、違星北斗(いぼしほくと、1901‐1929)の短歌のほか、日記、俳句、詩、童話・昔話、散文・ノート、手紙などを収めた一冊。バチェラー八重子、森竹竹市とともに「アイヌ三大歌人」に数えられる彼の作品を、こうしてまとめて読めるのは嬉しい。

岸は埋立川には橋がかかるのにアイヌの家がまた消えてゆく
シャモという優越感でアイヌをば感傷的に歌よむやから
コタンからコタンを廻るも嬉しけれ絵の旅、詩の旅、伝説の旅
熊の肉、俺の血になれ肉になれ赤いフイベに塩つけて食ふ
ニギリメシ腰にぶらさげ出る朝のコタンの空でなく鳶の声
空腹を抱へて雪の峠越す違星北斗を哀れと思ふ
支那蕎麦の立食をした東京の去年の今頃楽しかったね
アイヌと云ふ新しくよい概念を内地の人に与へたく思ふ
喀血のその鮮紅色を見つめては気を取り直す「死んぢゃならない」
何か知ら嬉しいたより来る様だ我が家めざして配達が来る

1首目、北海道の開拓が進むとともにアイヌが土地を追われてゆく。
2首目、貧しいアイヌに対して同情してみせる和人の歌への忌避感。
3首目、各地に点在するアイヌの集落をめぐる旅。下句が楽しげだ。
4首目、フイベは内臓。熊の命をもらって元気になりたいと願う。
5首目、晴れわたる空が目に浮かぶ。のびのびとした気分の歌だ。
6首目、薬の行商をしていた時期の歌。自身の姿を自嘲気味に詠む。
7首目、思い通りにいかない生活の中で、東京時代を懐かしく思う。
8首目、差別に対して卑屈になることなく誇りをもって立ち向かう。
9首目、おそらく肺結核だろう。喀血を見て弱気になる自分を叱る。
10首目、晩年の病床での歌。見舞いの手紙を心の支えにしている。

巻末には解題・語注、年譜、山科清春(違星北斗研究会代表)による解説「違星北斗―その思想の変化」が載っており、違星の全体像をつかむことができる。違星北斗の作品やアイヌと短歌の問題については、今後さらに考えを深めていきたい。

2021年6月25日、角川ソフィア文庫、900円。

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2021年09月28日

沢田猛『カネト―炎のアイヌ魂』


絵・こさかしげる。

上川アイヌの家系に生まれ、北海道内はじめ全国各地の鉄道測量で活躍した川村カ子(ネ)ト(1893−1977)。彼が天竜川沿いの三信鉄道(現・JR飯田線)の測量を行った際の苦闘を描いた本である。

これは
自然のきびしさと
数々の迫害にたえて生きた
ひとりのアイヌ・川村カネトの物語です

子ども向けの本ではあるが、ノンフィクションとして優れた内容となっている。

今年3月に訪れた白老のウポポイ(国立アイヌ博物館)に、彼が使っていた測量器具が展示されていた。いつか旭川の川村カ子トアイヌ記念館にも行ってみたい。

1983年2月、ひくまの出版、1200円。

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2021年09月27日

高島裕展(その2)

今回の高島裕展は、高島さんの故郷で行われたことに大きな意味があると思う。見学者は展示内容だけでなく、庄川美術館周辺の風景を目にすることになる。それは高島さんを育んだ自然・風土であり、高島作品を理解する上で大きなヒントにもなるものだ。


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美術館のすぐ近くを流れる庄川(しょうがわ)。
下流に堰堤があるので湖のようになっている。


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庄川ウッドプラザ前にある巨大水車。
休日ということもあって、この一帯は家族連れなどで賑わっていた。


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庄川の対岸に見える金屋石の採掘場跡。
注連縄が張られていて最初は岩屋や磨崖仏かと思ったが、石切場であった。江戸時代から昭和40年代まで採掘が続けられ、金沢城の修築などにも使われたとのこと。


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庄川合口(しょうがわごうぐち)堰堤から下流の風景。
堰堤の上を通って対岸へ渡ることができる。


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庄川の岸辺に咲く彼岸花。
秋晴れの何とも気持ちの良い一日であった。

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2021年09月26日

高島裕展(その1)

富山県砺波市庄川町の庄川美術館で開催されている「高島裕展」へ。

京都から特急サンダーバード、北陸新幹線、路線バスを乗り継いで約4時間半。小旅行といった趣きだ。


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美術館(写真右奥)は、自然豊かな庄川水記念公園の一角にある。


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とにかく素晴らしかった。

天井から垂れる布に大きく書かれた短歌のインスタレーションや、インタビュー映像、作品の解説などのほか、子どもの頃のアルバムや手帳、歌集のゲラ、創作ノート、手紙など、現物の展示が多いのに驚かされた。古いものが実にたくさん残っている。

内容が充実しているだけでなく、展示方法にも様々な工夫がされていた。中でも印象的だった「言葉」を3つ挙げたい。

歌がなくても生きて行ける人は、歌をやめてほしい。
あなたのことだ。

展示室の入口に掲げられた「あなたとは違う」というメッセージにある言葉。いきなりドキッとさせられる。

あなたのことを思うとこのところ寝苦しい思いです。

お母さんの手紙の一節。一人暮らしをしていた頃の高島に、母はしばしば手紙を出したようだ。10点ほどが展示されていたが、どれも愛情と人柄の滲む文面だった。

もし気が変はつたらいつでも「未来」へ帰つて来て下さい。

2002年に「未来」を退会した高島に宛てた岡井隆の手紙の一節。自分が若い人たちの力になれなかったと悔やむ言葉もあって、胸を打たれる。

こうした言葉を読んでくると、高島が東京から故郷の富山へ帰り、結婚して子供を育て、「未来」に再入会したことの、すべてが必然だったように思われる。

美術館周辺の山、川、空、田んぼなどの風景も含め、高島の核にあるものの一端に触れたような体験だった。

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山下賢二『ガケ書房の頃 完全版』


副題は「そしてホホホ座へ」。

2004年から2015年まで京都で個性的な書店「ガケ書房」を経営していた著者が、人生を振り返りながら、商売において大事なことや本についての思いなどを記している。

お客さんからお金をもらって、店という場を続けていくためには、綱引きが求められる。お客さん側の引き。これは、ニーズだ。そして、店側の引き。これは、提案だ。
店は、始めることよりも続けることの方が圧倒的に難しい。運よく開店資金を用意できたとしても、そんなものはすぐになくなってしまう。
棚は畑に似ていて、手をかけていじればいじるほど本が魅力的に実る。そして、それをお客さんが刈り取っていく。嘘みたいな話だが、ずっと動きが悪い本を棚から一度抜き出して、また元の位置に戻すだけで、その日に売れていくこともある。

近年、書店をめぐる状況は悪くなるばかりだ。今月に入って京都でも大垣書店四条店の閉店が報じられている。

その一方で、いわゆるセレクト書店が少しずつ増えているのも確かだ。けれども、そこにも問題点がある。

セレクトを全面に押し出した提案型の個人書店がこの十年くらいで生まれてきた。しかし、そういう店の棚は、どうしても直取引をしてくれる出版社のタイトルに偏りがちで、そうした品揃えを選ばざるをえない個人書店が増えてきた結果、逆金太郎飴状態が生まれている。

なるほど、セレクト書店をいくつか見て回って不思議と品揃えが似ているように感じたのは、そういうわけだったのか。

もちろん、こうした問題に正解はない。生き残りをかけた書店の(そして私たちの)模索は今後も続いていく。

2021年8月10日、ちくま文庫、800円。

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2021年09月24日

新刊『踊り場からの眺め』

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今月、『踊り場からの眺め 短歌時評集 2011-2021』(六花書林)を刊行しました。

毎日新聞の「短歌月評」48回、朝日新聞の「短歌時評」23回、角川短歌の「歌壇時評」18回、現代短歌新聞の「歌壇時評」6回など、2011年から2021年に書いた時評・評論をまとめました。私がこの10年間に考えてきたことの全てが詰まった一冊です。

Amazonhontoe-honなどのネット書店の他、版元の六花書林や一部書店でも販売中です。

また、私の手元にも在庫があります。購入希望の方はメール等でご連絡下さい。masanao-m☆m7.dion.ne.jp(☆を@に変えて下さい)
全330ページ、定価2500円です。

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2021年09月23日

茅辺かのう『アイヌの世界に生きる』


1984年に筑摩書房から刊行された本の文庫化。

1973年に著者はアイヌの農家に20日間ほど同居して、アイヌ語の口述筆記を手伝った。その時の体験や話に聞いた内容をまとめたもの。

1906(明治39)年に福島県で生まれ、北海道の十勝に開拓農家の子供として渡ってきた「トキさん」は、生後1年ほどでアイヌの養子になって育てられた。農家として働きながら12人の子を産み9人を育て上げ、70歳近い当時は一人暮らしをしていた。

トキさんは子供を通して、新しい考えや世の中の動きを吸収しようとした。養母はアイヌ語で話したが、トキさんは子供たちと日本語で話した。自分が受け継いだアイヌに関わるあらゆること――伝説や教訓や習慣や言葉などは、自分の子供たちに伝えなかった。
私はトキさんに教わるまで「フレップ」をコケモモの実のことだと思っていたが、特定のものを指すのではなく、赤い実一般を指すということだった。夕焼朝焼で赤く染まった空の色も「フレ」である。
トキさんのいう「よそから来た人たち」は、主に戦時中の徴用で北海道へ送りこまれた朝鮮人の労働者を指している。開拓農民で作る移民社会から疎外された者同士の濃やかなつきあいが、アイヌと朝鮮人の間に自然に生まれ、身内のように乏しいものを分け合い苦労を共にしてきたのである。

アイヌに対する差別や偏見が続く中で生きてきた女性の一代記。それを書き留めた著者の社会学的な視点も鮮やかだ。

解説で本田優子(札幌大学教授、アイヌ語学者)は、本書に描かれた「トキさん」が実は仮名であり、後にアイヌ語伝承者として1997年に「アイヌ文化賞」を受賞するなどした澤井トメノであることを明らかにしている。

1973年に著者にアイヌ語を口述筆記してもらった体験が、澤井のアイヌ文化伝承の初めの一歩になったのかもしれない。そう思うと、何ともドラマチックな一冊である。

2021年7月10日、ちくま文庫、840円。

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2021年09月22日

映画「ストレンジャー・ザン・パラダイス」

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:ジョン・ルーリー、エスター・バリント、リチャード・エドソンほか

1984年(日本では1986年)公開作品。
ニューヨーク、クリーブランド、フロリダを舞台に展開するロードムービー。ちょっとした行き違いや、ちょっとした幸せが、淡々と綴られていく。

位置関係を調べると、クリーブランドはニューヨークから西へ約600キロ、そこから南へ約1500キロでフロリダとなる。さすがにアメリカは広い。

久しぶりに観て、またいろいろと発見があった。

ウィリーは普段はハンガリー出身であるのを隠していること、エディーはハンガリー料理が口に合わなかったこと、アメフトやTVディナーやホットドッグやモーテルがアメリカを象徴していることなど。

アップリンク京都、89分。

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2021年09月21日

飯田線の旅(その3)

豊川駅から徒歩5分の豊川稲荷へ。


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7色の風鈴が奉納されているやぐら。
涼しげな音を鳴らしている。


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境内の奥まったところにある霊狐塚。
1,000体以上の狐の石像が安置されている。

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2021年09月20日

飯田線の旅(その2)

途中、飯田市内で1泊。


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飯田のシンボルはりんご。
マンホールの図柄も林檎だ。
大通りには約400メートルにわたって林檎の木が植えられている。


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飯田市立追手町小学校。
昭和4年竣工、鉄筋コンクリート造3階建(地下1階)。
入口部分の曲線が美しい。


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追手町小学校の講堂。
昭和6年竣工、鉄骨造平屋建。
こんな講堂(体育館)を使える子どもたちが羨ましい。

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2021年09月19日

飯田線の旅(その1)

先月、JR飯田線に乗る旅に出かけた。


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駒ヶ根駅からバスとロープウェイに乗って千畳敷カールへ。
中央アルプスの宝剣岳の手前。標高は2600メートル。


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紫色が鮮やかなサクライウズ(桜井烏頭)。
他にもいろいろな高山植物が咲いていた。


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千畳敷カールから眺めた南アルプスの山並みと富士山。
山頂の形で遠くからでも富士山だとわかる。

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2021年09月18日

西山純子『新版画作品集』


副題は「なつかしい風景への旅」。

大正から昭和初期にかけて、版元の渡邊庄三郎を中心に生み出された近代的な浮世絵「新版画」。川瀬巴水、吉田博、伊東深水ら多くの作家が誕生し、海外でも人気を博した。

その代表的な作品を「夜」「雪」「水辺」「富士と桜」といった内容別に収め、解説を施した一冊。作家紹介なども充実していて、新版画の良い入門書となっている。

新版画は和紙という優れた、特殊な媒体と水性顔料、超絶した彫りと摺りの技、そして近代に生きた作家の視覚や感性が、きわめて高い完成度のなかに融合した芸術世界である。
浮世絵や新版画の摺りの現場は、実に水気が多い。紙はあらかじめ湿らせておくし、顔料にも大量の水が使われる。(…)新版画は、日本の湿潤な風景を描くに実にふさわしい手法なのである。
新版画が外国人との仕事から出発したことはとても重要である。和筆を初めて持つ人の線と色を浮世絵の彫摺にあわせる試みが、職人たちを因習から解放し、新たな造形への踏切板となったからである。

新版画にかなり興味が湧いてきた。
美術館に実物の絵を観に行こうと思う。

2018年3月10日、東京美術、3000円。

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2021年09月17日

文学フリマ大阪

9月26日(日)に開催される第9回文学フリマ大阪に出店します。
https://bunfree.net/event/osaka09/

・日時 9月26日(日)11:00〜17:00
・場所 OMMビル 2F B・Cホール
・入場料 無料

新刊の短歌時評集『踊り場からの眺め』や今年復刊した歌集『駅へ』(新装版)のほか、既刊の歌集・歌書を格安の価格にて販売します。

お近くの方は、ぜひお立ち寄り下さい。
ブースは「やさしい鮫」(J−4)です。

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2021年09月16日

映画「くじらびと」

監督:石川梵
撮影:石川梵、山本直洋、宮本麗

インドネシアのラマレラ村で行われている伝統的な鯨漁を描いたドキュメンタリー。監督はこの村を長年取材している写真家で、2011年に『鯨人(くじらびと)』(集英社新書)という本も出している。

手作りの舟と銛だけで、クジラだけでなくマンタやジンベエザメも捕まえる。中でもマッコウクジラ漁の映像は圧倒的だ。舟の上からだけでなく空撮も用いて、ダイナミックな漁の様子を見事に映し出している。

ロープの付いた銛を何本も打ち込まれ、大量の血を流しながら、それでも何とか逃げようとするクジラ。舟に体当たりし、巨大な尾びれを叩きつける。漁師たちも大怪我を負ったり亡くなったりすることもあるので必死だ。

かつて日本で行われていた古式捕鯨も、こんな感じだったのだろう。

シネマ京都、113分。

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2021年09月15日

北辻一展歌集『無限遠点』(その2)

少年天使像つくらんとする父のためわれの背中を見せしあの頃
熟したる厚き果肉を掘りすすみ核の付近で死んでいる虫
三十万も子がいるという平茂勝(ひらしげかつ)は黒光りする銅像の牛
おまえのは趣味だろうがと前置きし父は語りぬ芸術論を
母は服を胸へと当てて折りたたむ小さな服も大きな服も
最終の船の時刻が貼られいる寿司屋で食らう鮑一貫
母親の声に似ているわがくしゃみ身体のなかに母いるごとし
いにしえの河港の跡は芹の花咲きて小さく流れいるのみ
小児科の実習室に何体もベビー・アンいてわれらを見つむ
土神堂に祀られている神さまは供えの柿より小さかりけり

1首目、彫刻家の父のモデルとなった過去。エロスと抑圧を感じる。
2首目、果物に入っていた虫の死骸を、時間を遡るように描き出す。
3首目、「三十万の子」に驚く。銅像にもなっている優秀な種雄牛。
4首目、父との関係性を思う。装画が父の作品であることも含めて。
5首目、「胸へと当てて」が良く母の動きがありありと目に浮かぶ。
6首目、最終の電車はよく聞くが、ここでは船。長崎県らしい歌だ。
7首目、声ではなく「くしゃみ」という点に、意外性と実感がある。
8首目、かつては多くの舟で賑わった場所。芹の花に味わいがある。
9首目、医療トレーニング用のマネキン。知らない人が見たら怖い。
10首目、小さいけれど大事にされている神様。「柿より」がいい。

2021年7月15日、青磁社、2300円。

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2021年09月14日

北辻一展歌集『無限遠点』(その1)


「塔」所属の作者の第1歌集。2003年から2020年までの322首を収めている。

京都、北海道、長崎を舞台に、研究者、医学生、研修医としての日々が詠まれており、中身が濃く印象的な歌が多い。

学生のわれはもう遠い日なのだとやさしく揺れる煙突の蔦
蛇毒が機器のからだをめぐること技官は告げて部屋を出てゆく
滔々と話す子といる子に化けた狐だろうかと怪しみながら
真夜中を光あふれるローソンに月岡さんが働いている
眼球が弓弦のごとく張りつめぬ 早く帰らんひとり泣くため
夢に深く青がまじりて起きる朝妹の焼く魚が匂う
コマつきの椅子転がして質問に来る後輩の後輩らしさ
春昼にパスタを巻けば菜の花はフォークの元に集まりてゆく
サイレンでプールサイドに浮上して黙禱をする長崎の夏
被爆者の記憶をたよりにつくられし街の模型を天よりのぞく

1首目、煙突に絡む蔦を見上げながら、学生だった日々を懐かしむ。
2首目、「機器のからだ」がいい。人間だったら死んでしまうかも。
3首目、子どもは興味のあることにはものすごく詳しかったりする。
4首目、「月岡」という名前がぴったり。月が明るく照らすみたい。
5首目、上句が印象的。見開いた眼球が、今にも涙で破裂しそうだ。
6首目、眠りから覚めるときの茫洋とした感じがうまく表れている。
7首目、一々立ち上がったりしない距離感や後輩との関係性が滲む。
8首目、発見の歌。渦に巻かれるようにして、菜の花が寄ってくる。
9首目、8月9日11時2分。遊んでいる人たちも一旦プールから出る。
10首目、「天より」が、原爆を投下した者や神の視点を思わせる。

2021年7月15日、青磁社、2300円。

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2021年09月13日

ミュゾットの館

花房葉子『野のごちそう帖』のあとがきに、こんなことが書いてある。

リルケが晩年を過ごしたフランスの山の中にある小さな「ミュゾットの館」という所は、旅行者も訪れないような、これといってなにもない所らしい。そんなところで詩人は「純粋時間」の中にとじこもり大作「ドゥイノの悲歌」を仕上げたという。どんな所だったのか、見てみたい気がする。ひょっとしたら、イカウシみたいな所ではないか、と思えるのだ。

1921年、リルケが晩年の46歳(リルケは51歳で亡くなる)から住んだスイスのミュゾットの館。ここは、1979年に高安国世が訪れている。当時、高安は65歳。

茶畑の如く正しく条なして葡萄畑ミュゾットの館に続く
ロイクを過ぎラロンを過ぎてシエールに着きぬ 現(うつつ)に君在るごとく
ミュゾットに今し近づく 年古りしポプラすさまじき昇天のごと
さびしさに耐えたる人の小さき窓 五十年後の陽がさし入りぬ
           高安国世『湖に架かる橋』

「ロイクを過ぎラロンを過ぎて」「君在るごとく」「今し近づく」といった言葉に、抑えきれない喜びが溢れている。

ミュゾットの館は、高安が長年訪れたいと憧れていた場所であった。1957年に高安は西ドイツに留学するが、その時には残念ながら機会がなかった。

ドゥイノやミュゾットは、いまだにぼくの空想の土地である。せっかくヨーロッパに行き、九ヵ月も滞在しながら、とうとうこういう土地を自分の目で確かめなかったことは、ひそかな悔いとなってぼくの心の中に残るだろう。どちらもドイツからは不便なところにあり、時間と金がかかる上に、言葉も不自由な地方にある。そのうちそのうちと思うあいだに機会を逸してしまったのはぼくの怠惰のせいというほかはない。
      「遺跡探訪」(1959.3)『わがリルケ』

それから20年以上を経て、ようやく高安は念願のミュゾットの館を訪れたのであった。

もう一か所の、イタリアのドゥイノも1983年に高安は訪れている。その旅から帰国して間もなく体調の不良を訴え、入院・手術。翌年に亡くなるのである。最後までヨーロッパへの憧れを持ち続けた人だったと言っていいだろう。

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2021年09月12日

花房葉子『野のごちそう帖』

著者 : 花房葉子
自然食通信社
発売日 : 2007-07-01

旭川郊外のイカウシ(当麻町伊香牛)に暮らす著者が、山小屋での生活や四季の移り変わり、季節ごとの食べ物などについて記したエッセイ集。

雪が解けて水が流れ始める「春」、畑の野菜や草が育つ「夏」、豆や芋や果物を収穫する「秋」、そして一面の雪に閉ざされる「冬」。

実から地について育ったものの成長の安定感、周囲にあるものとのなじみ方は、買って来て植えた苗花とは全く違う。そういうものから私が学ぶ事は、計り知れない。
十年、二十年、毎日好きな食器で楽しく食事をする人と、間に合わせの貰い物で済ませている人との感覚の違いは大きいと思うのだ。
自分たちで作った野菜のピクルスや塩漬けや貯蔵した豆とジャガイモで食卓が用意される時、私たちは種蒔いた春を、暑くて忙しくてぶっ倒れた夏を、収穫した秋をお皿の中に再現することができる。
雪かきをする時はまず、お風呂をわかしてから作業にとりかかる。なぜかというと、汗だくになってしまうからだ。マイナス二十度の中で汗だくになる(…)

こういう生活に対する憧れが、少しずつ私の心に芽生え始めている。まあ、実現はできないと思うけれども。

2007年7月25日、自然食通信社、1700円。

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2021年09月11日

畑中章宏『21世紀の民俗学』


WIRED.jp」に2016年から2017年にかけて連載された原稿を元にまとめた一冊。

民俗学的な視点・手法によって、「自撮り棒」「宇宙葬」「聖地巡礼」「無音盆踊り」「ポケモンGO」「UFO学」「ホメオパシー」など、現代の様々な事象について考察を加えている。

物事や現象を分析し、その背後にひそむ人々の感情や思いを解き明かす。そこには、推理小説を読むような発見や驚きがある。

わたしにとっての民俗学とは、まず「感情」を手がかりに、さまざまな社会現象に取り組む姿勢のことである。(・・・)歴史には記録されていない感情を扱うことで、史料にもとづいた過去に囚われることなく、市井の人間のことを想像し、見つめ直すことができる。(・・・)民俗学の方法を用いることで、時代に左右されない本質を探すことができる。

民俗学と聞くと、過去を扱うもの、古くさいものといった印象があるが、実はそうではない。私たちが生活の中で目にするものについて自在に扱うことのできる、きわめてアクティブな学問なのだ。

2017年7月28日、KADOKAWA、1800円。

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2021年09月10日

30年という歳月

映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」は1991年製作、1992年公開の作品。1992年当時、私は大学4年生だった。

30年経って同じ作品を観ると、以前とは少し見方が違ってくる。

例えば最初のロサンゼルスの話。タクシー運転手(コーキー)のウィノナ・ライダーは20歳、客(ヴィクトリア)のジーナ・ローランズは61歳だ。学生の時は年齢の近いコーキーに肩入れして映画を見ていたけれど、今ではヴィクトリアの気持ちもよくわかる。

車内であれこれ注意するヴィクトリアに、コーキーは冗談っぽく「Sure, mom.」「Okay, mom.」(はい、ママ)と答えるのだが、最後の別れの場面になって、今度はヴィクトリアが「Sure, mom.」と返す。そんなところが胸にグッとくるようになった。

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2021年09月09日

映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:ウィノナ・ライダー、ジーナ・ローランズ、アーミン・ミューラー=スタール、ジャンカルロ・エスポジート、イザック・ド・バンコレ、ベアトリス・ダル、ロベルト・ベニーニ、マッティ・ペロンパーほか

1992年公開作品。原題は「Night on Earth」。

同じ日の同じ時刻に世界の5つの都市(ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ)で起きるタクシー運転手と乗客のやり取りを描いたオムニバス形式の作品。笑いもあるし、シリアスな場面もある。

学生時代に観て以来、大好きな作品だ。この映画を見てウィノナ・ライダーのファンになった。

好きな作品でも映画館で見られる機会はそんなに度々あるものではない。今回、ジム・ジャームッシュ回顧特集があって本当に良かった。

30年近く前の作品だが、現在の視点で見ると、ダイバーシティ(多様性)の問題に早くから意識的に取り組んでいたことがよくわかる。

映画は、まだ日が暮れる前のロサンゼルス(午後7時7分)から始まり、最後のヘルシンキ(午前5時7分)で夜が明けていく。ヘルシンキの朝の出勤風景を見て、映画から現実の世界に戻ってくる感じだ。

アップリンク京都、129分。

posted by 松村正直 at 07:13| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月08日

特別講座「短歌のコツ」

9月21日(火)にJEUGIAカルチャー京都de Basic.(四条烏丸)で、単発の講座「短歌のコツ」を開催します。
https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_2-46106.html

「省略」「語順」「具体」「比喩」「固有名詞」といった短歌表現のコツについて、実例をあげてわかりやすくお伝えします。初心者からベテランの方まで、どなたにも楽しんでいただける内容です。

時間は13:00〜15:00。ご興味のある方は、どうぞご参加下さい。

posted by 松村正直 at 23:50| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月07日

『カムイブロートの食卓』の続き

「ベッカライ麦々堂」は今も旭川で営業を続けている。
https://www.mugimugidou.com/

麦さんは今もパンを焼いているが、著者の花房さんはHPに載っていない。少し調べてみたところ、花房さんは今はブラジルにお住まいだとわかった。
https://www.facebook.com/yoko.ishii.9849

何があったんだろうとさらに調べてみたところ、麦さんが2012年に書いた文章を見つけた。

それによれば、本の出版から8年後の2009年に2人は別れ、それぞれ別のパートナーを見つけたとのこと。さらに、さまざまなトラブルや訴訟などがあり、地元の木材を使ってイカウシに建てた家も手放したのであった。

『カムイブロートの食卓』に描かれた素敵な暮らしも、家も、人間関係も、10年も経たずに消えてしまったのだ。それは正直寂しいことだと思う。「二度とかかわり合いになりたくない」という強い言葉も記されている。

でも、だからと言ってこの本の価値が減ることはないだろう。この本の中にだけは、今も美しい時間が流れ続けているである。

posted by 松村正直 at 21:44| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月06日

花房葉子『カムイブロートの食卓』


写真:Harry E.Creagen
副題は「猫のパン屋の台所から」。

旭川で北海道産小麦・ライ麦と天然酵母のパンの店「ベッカライ麦々堂」を営む著者が、北海道の生活やパン屋の日常、周囲の人々との交流について記したエッセイ集。

美しい写真や著者の描いた挿絵がふんだんに入っていて、眺めているだけで豊かな気分になる。

郷に入れば郷に従いながらも、自分のスタイルを持っている人は素敵だなあと思う。田舎の良いところはどんどんまねすればいいし、田舎のつまらない因習はきっぱりやめていけばいいのである。
北海道に住んでいる者は、春という季節に特別の感慨を持つ。まずは雨の音。雪は音がしない。音がするときもあるが、文字にすることができない。ただ気配だけがする。半年ぶりに聞く雨の音は元気な音だ。
何を、どう食っているかは、生き方とつながっているように思えてならない。高価なものを食べるという事ではなく、地元の採れたての野菜や、手を掛けて作ったチーズや燻製を食べ慣れると、出来合いのお惣菜やレトルトパックに入っているものとか電子レンジでチン、というような食べ物は、喉を通らなくなってくる。

麦々堂でパンを焼く麦さん、「アガペ農園」の夫妻、隆平棟梁、チーズ工房「アドナイ」の堤田さん、無農薬野菜を育てるフレッドなど、登場する人物たちもみな魅力的だ。美味しいものとお酒が好きで、楽しくて濃いつながりがある。

読み終えてぜひ一度「麦々堂」に行ってみたいなと思ったのだが、何しろ20年前の本である。今も店が続いているか心配になって検索したところ・・・お店はあった! 旭川で営業を続けている。

しかし・・・

2001年10月10日、自然食通信社、1800円。

posted by 松村正直 at 23:32| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月05日

映画「ミステリー・トレイン」

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:永瀬正敏、工藤夕貴、ニコレッタ・ブラスキ、スクリーミン・ジェイ・ホーキンス、ジョー・ストラマー、スティーヴ・ブシェミ

1989年公開の作品。

3話からなるオムニバス形式。エルヴィス・プレスリーゆかりの地、テネシー州メンフィスの安ホテルに泊まる3組の登場人物たちが織り成す物語。

観終わってからずっと「♪ Train I ride, sixteen coaches long〜」とプレスリーの歌声が心地よく頭に流れ続けている。

「ミステリー・トレイン」(1989)と「ナイト・オン・ザ・プラネット」(1992)は学生時代に観たからだろうか、今でも特別な愛着を持っている。

アップリンク京都、113分。

posted by 松村正直 at 10:42| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月04日

歌集の寄贈文化

歌集の寄贈文化については、近年とみに風当たりが強くなっている。歌壇内部の相互寄贈から一般に開かれた販売へ、という流れは今後ますます進んでいくだろう。

そのことについては。全く異論はない。今回考えてみたいのは、そもそも歌集の寄贈とは何だったのか、ということである。

私の考えでは、それは農村の共同作業である「結」や、お金を出し合って輪番制で寺社に参詣する「講」に近いものなのだと思う。

例えば、メンバーが500名の集団を仮定してみる。メンバーは10年に一度、2500円の歌集を500冊刷って全員に寄贈するとする。各メンバーが支払う金額は、自分が歌集を出した時に払う、2500円×500冊=125万円である。

つまり10年間(120か月)で払うのは125万円。もらうのは、500名の歌集1冊ずつ。これを月単位で考えると、毎月約1万円の会費を払って、歌集を4冊手にする計算になる。

ざっとした計算ではあるけれど、大体これくらいの感覚で歌集の相互寄贈は行われてきたと言っていいのではないか。

もちろん、相互寄贈だけでは歌壇外の方に歌集を読んでもらうことはできないし、書店等で一般に流通することもない。そもそも毎月1万円も積み立てられるかといった話にもなるだろう。

そうした問題点を抱えていることは間違いない。今後はもっと開かれた形へと変っていくのが必然だ。

でも、だからと言って、これまでの寄贈文化を単に否定するだけでいいのかという思いも残る。寄贈が果たしてきた相互扶助的な役割や意義についても、この時代の変り目にきちんと確認しておきたいと思うのだ。

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2021年09月03日

『踊り場からの眺め 短歌時評集 2011-2021』刊行!

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『踊り場からの眺め 短歌時評集 2011-2021』(六花書林)を刊行しました。


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毎日新聞の「短歌月評」48回、朝日新聞の「短歌時評」23回、角川短歌の「歌壇時評」18回、現代短歌新聞の「歌壇時評」6回など、2011年から2021年に書いた時評・評論をまとめました。私がこの10年間に考えてきたことの全てが詰まった一冊です。

現在Amazonで予約受付中のほか、来週以降、版元や書店での販売も始まる予定です。

全330ページ、定価2500円。
皆さん、ぜひお読みください!

posted by 松村正直 at 23:06| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月02日

オンライン講座「はじめての短歌」(全4回)

NHK学園のオンライン講座「はじめての短歌」を行います。
全4回で短歌に関する一通りのことをお伝えする内容です。
https://www.n-gaku.jp/lifelong-school/course/6958

まったく初心者の方も、もう一度基本をおさらいしたい方も、どうぞご参加ください。

■日程・時間
 9月8日・9月15日・9月22日・9月29日(水)16:00〜17:15

■内容
 @短歌の基本
   歴史/定型/韻律/題材/文語・口語/かな遣い
 A作者と読者
   詠みと読み/省略と想像力/短歌はマッチ棒
 B表現のコツ
   語順/動詞の選び/打消・否定・見せ消ち
 C生活と人生
   飲食・料理/気づき・発見/具体・ディテール・手触り

・全4回一括申込み
https://coubic.com/ngaku-online/915029
・9月8日単発申込み
https://coubic.com/ngaku-online/836794

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2021年09月01日

谷川浩司『藤井聡太論』


副題は「将棋の未来」。

藤井聡太二冠の活躍で盛り上がる将棋界の現状や今後、そして藤井将棋の魅力や強さなどを分析した本。自身の体験やこれまでの将棋界の話もまじえて丁寧に論じている。

単なる分析だけではなく、著者の将棋観や考え方が随所にうかがえるのが良い。

序盤と中盤の構想段階で持ち時間を使って懸命に考えることは、その対局では必ずしも生きないかもしれない。(…)しかし、それは間違いなく将来に向けた大きな財産になる。
棋士は「勝負師」と「研究者」と「芸術家」の三つの顔を持つべきだ、というのが私の年来の持論である。
最近はAIが評価することもあり、金銀をバランスよく配置する陣形が好まれるようになってきた。(…)すべての戦法に「堅さよりもバランス重視」の傾向が見られるようになっている。

中でも一番印象に残ったのは、羽生九段に対する思いの深さだ。「羽生さんの存在があったから自分のレベルを高めることができた」と述べる著者は、歴代対局数で谷川―羽生が168局、羽生―佐藤康光九段が164局であることに対して、こんなふうに書く。

だが、四十代、五十代と少しずつ対局の機会も減り、やがて羽生さんとの対局数で佐藤康光さんにトップの座を脅かされるようになった。対局数を追い抜かれてしまうのは、こちらの力不足ゆえのことだとわかりながらも、長年付き合った恋人に振られるような複雑で微妙な気持ちである。

「恋人に振られるような」という表現に驚く。トップレベルで対局する者同士にしかわからない熱い思いが、将棋盤の上には広がっているのだろう。

2021年5月19日、講談社α新書、900円。

posted by 松村正直 at 08:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする