2021年08月31日

雑詠(008)

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蒸し暑い夜がじりじり更けてゆきともに勝ち点1を分け合う
台風は日本海へと抜けたとか 植木鉢ふたつ路地に転がる
二十年かけて「自由の番人」を駆逐せし者たちのひげ面
もう雨はやんでいるのに傘をさし老女は長く駅前にいる
水しぶき上げるクロールにんげんの身体はどこも目盛りがなくて
三つある案山子のうちの一体が動きはじめて農婦は歩く
ゆうぜんと陸軍伍長の墓石に止まって夏の鴉はかたる

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2021年08月30日

文化的背景

映画「コーヒー&シガレッツ」には、文化的・社会的な背景がわからないとピンと来ないシーンがけっこうある。さらに2003年製作という時代背景も踏まえなくてはならないのだろう。

例えば、4つ目のエピソード。少年が食べている豆菓子(春日井製菓の「グリーン豆」)を指して、父が友人に「中国産だ」と言う。少年はそれに対して首を振り、無言でつり目のポーズをしてみせる。それを見て父は「日本産か」と答える。

つり目がアジア系への蔑視表現というのはわかるのだが、中国と日本の差をそれで表しているのはどういう意味なのか。そのあたりが今ひとつわからない。

もう一つ。9つ目のエピソードでは、登場人物の片方が会話の中で「tree hugger」という言葉を発したことから、二人の間が気まずくなる。字幕には「地球にやさしい人」と出ていたが、どうもしっくり来ない。ネットで調べてみると、「tree hugger」(樹木を抱く人)は、かつて環境保護派に対する蔑称として使われていた言葉だとわかった。

つまり「tree hugger」の一言で、二人の環境保護に対するスタンスの違いが露呈してしまったわけだ。これも原語のニュアンスや文化的背景を知らないと、なかなか理解できない部分と言っていいだろう。

もちろん、どんな映画にもそうした要素はあるわけだが、「コーヒー&シガレッツ」は特にその傾向が強い。何も知らなくても十分に(私には)面白いのだけれど、おそらくアメリカ社会や文化に詳しい人に解説してもらうと、さらに何倍も楽しめるのだろうと思う。

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2021年08月29日

映画「コーヒー&シガレッツ」

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:ロベルト・ベニーニ、スティーブ・ブシェーミ、イギー・ポップ、ケイト・ブランシェット、ビル・マーレイほか

2003年制作、日本での公開は2005年。

10分程度の短篇×11篇のオムニバス作品。作品同士に直接の関わりはないが、ところどころ重なったり響き合ったりするところがあり、全体として一幅の曼荼羅のようになっている。

どの作品も2、3名の登場人物がテーブルで煙草とコーヒー(または紅茶)を飲みながら会話する内容で、明確なストーリーやオチがあるわけではない。会話のちょっとしたズレや間、行き違いといったものが描かれている。

出演者はみな英語を話すが、出身地・国籍を見ると、イタリア、フランス、イギリス、オーストラリア、コートジボワールと多様で、いかにもアメリカという感じがする。

さらに言えば、黒人と白人、北部と南部、コーヒーと紅茶、セレブと庶民、環境保護と反環境保護など、様々な文化的・社会的背景がズレや笑いを生むことにつながっている。そのあたりは、アメリカ人でないと十分にはわからない部分も多いのだろうと思う。

それにしても・・・ケイト・ブランシェットすごいな。

アップリンク京都、97分。

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2021年08月28日

小島ゆかり歌集『雪麻呂』


2018年から2020年までの作品451首を収めた第15歌集。
高齢の母の介護や引越し、コロナ禍の日々などが詠まれている。

日ざかりをゆらゆら母とわれゆけりたつた二人のキャラバンに似て
七草を言へぬ娘が作りたるとはいへうまし七草の粥
食後とはみだりがはしくなつかしくひとりひとりのたゆたふ時間
いまふかく疲るるわれにフェルメールの女ミルクを注ぎてくれぬ
枇杷たべてしばらく口がしかしかす介護の日々をわれも老いゆく
耳動く窓辺いつしか茜いろ猫は自分に飽きることなし
鳰どりは水にもぐりてみづになり浮き出でてみづは鳰どりになる
浄水場タンクの脇でメモをとる青年の眉上下にうごく
パンデミックのひびき弾めりはじめから人を躍らす言葉のごとく
霊柩車まがりゆくとき見えぬほど金(きん)こぼれたり夏の街路に

1首目、高齢の母を連れて街を歩く時の心許なさやあてどない感じ。
2首目、世代や常識の異なる娘であるが、良い関係がうかがわれる。
3首目、食べる前と食べた後では身体感覚も場の空気も違ってくる。
4首目、優しげな「牛乳を注ぐ女」に元気やエネルギーをもらう。
5首目、取り合わせがいい。「しかしか」に体感がよく表れている。
6首目、いつも自分の身体を舐めている猫。人間はそうはいかない。
7首目、下句が印象的。自在に水に潜るカイツブリの動きが鮮やか。
8首目、何かの検査をしているのだろう。下句の細かな描写がいい。
9首目、感染症の世界的大流行のことだが、表記と音が軽く感じる。
10首目、実際には何もこぼれていない。残像のようなきらめきだ。

2021年7月14日、短歌研究社、3000円。

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2021年08月27日

「みかづきもノート vol.1」

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小田桐夕さんが中心になって行っている「みかづきも読書会」で、私の歌集『紫のひと』を取り上げていただきました。

読書会の記録は「みかづきもノート vol.1」という冊子にまとめられています。第1回(江戸雪『空白』)と第2回(松村正直『紫のひと』)の分が収められていて、本文56ページ。

現在、メンバーの一人である濱松哲朗さんのBOOTHにて販売中です。ご興味のある方は、ぜひお買い求めください。

https://tetsurohamamatsu.booth.pm/items/3196226

posted by 松村正直 at 11:59| Comment(2) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月26日

堀部篤史『街を変える小さな店』


副題は「京都のはしっこ、個人店に学ぶこれからの商いのかたち。」
8年前の本だが今も版を重ねている。

独自な品揃えで知られる恵文社一乗寺店の店長だった著者が、自分の店や京都にある個性的な店について記した本。書店の話であるとともに魅力的な店とは何かを考察した内容になっている。

出版流通の世界では、POSと呼ばれるデータをもとに問屋が各店におさめる本の内容を決定するのが一般的だ。そのシステムの下では、われわれ購買側は、一人の客や読者としてではなく、データとしてしか認識されない。
書店の閉店が相次ぐのは、素人でも成りたつ構造でなくなりつつあることを意味するのだろう。店頭で立ち読みするのび太をハタキではたいて邪魔をするような、のんびりとした本屋の姿は、いまや一昔前のものになってしまった。
生活の一部である嗜好品、街の延長としての場は、合理性とは相容れない部分もある。同じことは、本屋や出版業界にもあてはまるのではないだろうか。本は商品だけど、文化でもある。論理的には説明しきれない「何か」があるからこそ、文化は継続されるのだ。

刊行から8年、既に様々な状況が変化している。著者は独立して誠光社の店主となり、巻末の対談相手の山下賢二氏はガケ書房を移転・改名して「ホホホ座」の座長となった。著者の「リアルな学びの場であり、先生だった」三月書房は閉店。その一方で「日常的に映画を楽しめる場所は今もない」と記された左京区に、出町座が誕生した。

昨年から続くコロナ禍も街の風景を大きく変えている。店を運営する側にだけ街の変化の責任があるわけではない。私たちもまた、何にどうお金を使うかを示すことで、街づくりに参加できるのである。

2013年11月20日、京阪神エルマガジン社、1600円。

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2021年08月25日

短歌時評集『踊り場からの眺め』刊行予定

9月上旬に短歌時評集『踊り場からの眺め』(2500円)を六花書林から刊行します。

毎日新聞の「短歌月評」48回、朝日新聞の「短歌時評」23回、角川短歌の「歌壇時評」18回、現代短歌新聞の「歌壇時評」6回など、2011年から2021年に書いた時評や時評的な文章をまとめました。

私がこの10年間に考えてきたことの全てが詰まった一冊です。皆さん、ぜひお読みください!

posted by 松村正直 at 23:38| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月23日

萱野茂『完本 アイヌの碑』


1980年に朝日新聞社から刊行された『アイヌの碑』と2005年刊行の『イヨマンテの花矢 続・アイヌの碑』を合わせて文庫化したもの。

アイヌ文化の伝承に努めアイヌ初の国会議員にもなった著者の自伝的エッセイ集。平取町二風谷の暮らし、祖父母や両親のこと、アイヌに対する差別、研究者との交流、資料館の建設、アイヌ新法の制定など、1926年に生まれ2006年に亡くなるまでの一代記となっている。

穏やかな語り口の文章であるが、中にはアイヌの研究者に対する厳しい批判などもある。

わたしはこのころ、アイヌ研究の学者を心から憎いと思っていました。(…)二風谷に来るたびに村の民具を持ち去る。神聖な墓をあばいて祖先の骨を持ち去る。研究と称して、村人の血液を採り、毛深い様子を調べるために、腕をまくり、首筋から襟をめくって背中をのぞいて見る……。
アイヌの言葉や文化に関心を持った日本人の学者や研究者にはありがたいと思う反面、そういった泥棒まがいや無神経な振る舞いも数多く見てきました。

近年話題になっているアイヌの遺骨返還の問題や、かつての植民地主義的な人類学のあり方などを考えさせられる。

アイヌ協会は昭和三十六年、アイヌという言葉があまりにも差別用語として使われているため、北海道ウタリ協会に名称を変更しました。そのときにわたしは、「いずれアイヌ協会に戻るであろうけれども」と言って、中立の立場を取りました。

著者の没後のことになるが、協会は2009年に再び「北海道アイヌ協会」に戻った。もちろん、それはアイヌ差別の問題が解決したという意味ではないが、大きな一歩と言っていいだろう。先住民族としての権利や文化が今後いっそう守られ、発展していくようにと願う。

2021年7月30日、朝日文庫、1000円。

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2021年08月22日

境界標石探訪

京都の伏見にはかつて陸軍の第十六師団が置かれ、軍都として賑わった歴史がある。今でも師団司令部庁舎(現・聖母女学院本館)の建物や「師団街道」「第一軍道」「軍人湯」といった名前があちこちに残っている。

わが家の近くにも軍用地を示す標石が残っていることを最近ネットの情報で知り、探しに行ってみた。


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家から徒歩2分。

墨染街道に面した個人宅の石垣に埋もれるようにして、大亀谷陸軍練兵場の境界標石が残っている(写真中央の白っぽいところ)。日常的によく通る場所なのだが、これまで全く気が付いていなかった。


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文字はだいぶ薄れているが「陸軍省」と読める。その下は石垣に埋まっていて、おそらく「陸軍省所轄地」と刻まれていたものだろう。


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家から徒歩10分。

古御香宮の参道わきの藪の中に、伏見陸軍射撃場の境界標石がある。こちらは「陸軍省所轄」まで、はっきりと読むことができる。

敗戦から76年。軍用地の跡には龍谷大学や京都教育大学ができ、伏見は今では大学の町になっている。それでも、こうした身近なモノから昔の歴史を知ることができるのであった。

posted by 松村正直 at 08:27| Comment(2) | 戦争遺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月21日

鈴木晴香歌集『心がめあて』


297首を収めた第2歌集。「塔」「西瓜」所属。

ふゆのよる凍りはじめる湖のどこから凍ってゆくのかを見て
目覚めたらうずらのたまごが手の中にあって犯人は隣で笑う
わたくしの原材料の水、その他。その他の部分が雨を嫌がる
湖に指を入れたら少しだけ痛いと思う 湖の方が
ふたりきりになったとしても丸ノ内線ですかって言うだけだろう
.jpegの君の黒目を確かめる わからないってことだけわかる
画家を見るような目で見られてしまう名前を漢字で書いて見せれば
ひとの家の犬を撫でるといいことがあるのだろうか、あなたは撫でる
会うためにあるいはもう会わないために橋は静かにカーブしている
睡蓮と蓮の違いを手のひらで教えてくれたのにわからない

1首目、湖の最初に凍りはじめる場所。感情や心の比喩でもあるか。
2首目、一緒にいる人が載せたのだろう。たわいない悪戯が楽しい。
3首目、人体の約60%は水分だけれど雨に濡れるのは不快に思う。
4首目、結句に驚かされる歌。湖からすれば異物が入り込むのだ。
5首目、せっかくのチャンスが訪れても相手を誘う勇気が出ない。
6首目、黒目の中に写真を撮った人の姿が映っていないか確かめる
7首目、フランスでの歌。字というより絵のように見えるのだろう。
8首目、何気ないことでも人によって違いがある。作者は撫でない。
9首目、上句がいい。この先の運命がどちらになるかはわからない。
10首目、水面と花の位置関係。相手の一生懸命な姿がよく伝わる。

2021年7月31日、左右社、1800円。

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2021年08月20日

NHK学園のオンライン講座

Zoomを使った短歌のオンライン講座を行っています。
皆さん、どうぞお気軽にお申込みください。

●「短歌のコツ」 木曜日(月に2回)19:30〜20:45
 https://coubic.com/ngaku-online/815976

「可視化」「直喩」「固有名詞」など、毎回一つテーマを決めて歌作りのコツをお伝えする講座です。

●「はじめての短歌」 水曜日(全4回)16:00〜17:15
  9月8日・9月15日・9月22日・9月29日
 https://coubic.com/ngaku-online/915029

全4回で短歌に関する一通りのことをお伝えする内容です。

 @短歌の基本
   歴史/定型/韻律/題材/文語・口語/かな遣い
 A作者と読者
   詠みと読み/省略と想像力/短歌はマッチ棒
 B表現のコツ
   語順/動詞の選び/打消・否定・見せ消ち
 C生活と人生
   飲食・料理/気づき・発見/具体・ディテール・手触り

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2021年08月19日

石井正己『感染症文学論序説』


「史料としての感染症文学」という観点から、様々な近代文学を読み解いていく。尾崎紅葉「青紅葉」、正岡子規「病牀六尺」、森鷗外「金毘羅」、志賀直哉「流行感冒」芥川龍之介「南京の基督」など。

子規が1900年に発表した「消息」という書簡体の文章が紹介されている。

いやしくも病人の口に触れし器は、後にて消毒なされ被下様願い候。これは病人のうちの物を喰うよりも、遥に危険の度多く候故、是非とも願い度候。消毒はその器を煮るか蒸すかが宜しく候えども、それ出来ねば沸湯をかけて灰にて磨き候ても宜しかるべく候。

これは、1899年に子規が香取秀真宅を訪れたお礼に書いた葉書の

我が口を触れし器は湯をかけて灰すりつけてみがきたぶべし

に対応するものと言っていいだろう。
他にも、知らなかったことがたくさん出てくる。

衛生法では、コレラ患者を自宅で療養させることは禁じられていた。だが、町民は罰金や体罰を受けても、患者を隠蔽しようと努力した。避病院は患者で満員の上、病人の扱いが乱暴で、身内の者からまったく隔離されてしまうからだった。
戦場はむしろ、感染症による死のリスクとの戦いの方が甚大だったことが知られる。実は、これまでの戦死を語る言説は、その名誉が重んじられていたために、不名誉でしかない感染症による病死は、必ずしもその実態が明らかになっているわけではない。

新型コロナ感染症の流行する今、非常にタイムリーで刺激的な一冊であった。

2021年5月30日、河出書房新社、1720円。

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2021年08月18日

映画「デッドマン」

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:ジョニー・デップ、ゲイリー・ファーマー、ランス・ヘンリクセン、イギー・ポップほか

1995年の作品。

日本公開時以来26年ぶりに見た。前回はところどころ寝てしまった記憶がある。

暗転を多用したオープニングからの流れにまず引き込まれる。カフカ的不条理から始まって、西部劇&ロードムービーになって、最後は補陀落渡海で終わる感じ。

ネイティブアメリカンの風習や考え方が描かれているのも興味深い。ウィリアム・ブレイクの詩が何度か出てくるので、詳しい人はさらに楽しめるだろう。

アップリンク京都、121分。

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2021年08月17日

野田かおり歌集『風を待つ日の』


「未来」所属の作者の第1歌集。
2011年から2021年までの作品325首を収めている。

阿闍梨餅置かれてゐたり春先の職員室のつくえの上に
いちごしふぉんいちごしふぉんといふときの頰のあたりがふあんな春だよ
人形に臍のくぼみのあることのAED練習のさびしも
花椒(ホワジャオ)に舌は痺れて水を飲む何度でも飲む夏の暗みに
血のなかを透ける光よ 起きあがるときにはいつも腕の力で
うしろから雨が近づく街ゆけばキリン商会見つけてしまふ
カステラにふあさりと倒れ眠りたし二十五時まで働きしあと
あたたかきもののごとくに冬さへも統べてゆくエクセルシオールの窓辺
小説に自死せる少年ひとりゐてその死を第五設問はきく
まだ春は届かぬ手紙 こんがりとチーズトースト窓辺で食べる

1首目、京都名物の阿闍梨餅。お土産として一つずつ配られている。
2首目、ひらがな表記の「しふぉん」がオノマトペのように響く。
3首目、母体から産まれたわけではないのに痕跡としての臍がある。
4首目、「何度でも飲む」に韻律的な力がこもる。「暗み」もいい。
5首目、朝の光を浴びながらベッドから起きる時の体感が伝わる。
6首目、「うしろから」という感覚がいい。別の世界に入るような。
7首目、深夜まで働いた深い疲労感。巨大なカステラが目に浮かぶ。
8首目、空間のデザインや空調で季節感もコントロールされている。
9首目、自死という重いテーマを設問として扱うことへの違和感。
10首目、春を待ち望む心。斎藤史の「白い手紙」の歌を思い出す。

2021年7月15日、青磁社、2200円。

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2021年08月16日

映画「ギミー・デンジャー」

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:イギー・ポップ、ロン・アシュトン、スコット・アシュトン、デイヴ・アレクサンダー、ジェームズ・ウィリアムソンほか

2016年公開作品。

ジム・ジャームッシュの映画はほとんど見ているのだが、この作品は今回初めて。1967年から74年まで活動したロックバンド「ザ・ストゥージズ」を描いたドキュメンタリー。

メンバーのインタビューや当時のライブ映像のほか、アニメーションやテレビ番組など様々な映像を組み合わせて、彼らの軌跡を丹念に再現している。

2003年の再結成以降やメンバーの死といった近年の動向も描かれており、彼らのミュージシャンとしての生き方に強い感銘を受けた。

アップリンク京都、108分。

posted by 松村正直 at 22:32| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月15日

巡回展「先住民族アイヌは、いま」

大和高田市立図書館で開催されている巡回展「先住民族アイヌは、いま」を見に行った。今年4月から10月にかけて奈良県内8か所を巡っている。


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展示室ではパネル展示とアイヌの民具や衣装の展示、そして映像の上映が行われている。


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【チェㇷ゚ケリ】

「鮭の皮でつくった靴。滑らない工夫として、底部に鮭のひれがくるように作られている。」


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なるほど、確かに靴底に鮭の鰭がある。

今日は展示のほかに、出原昌志さんの講演「シャクシャインの戦い」もあり、30名くらいの人が集まって盛況だった。シャクシャインの戦いは日本史でも習う出来事だが、和人(日本)の側から見るかアイヌの側から見るかで、歴史的な位置づけや評価が大きく違ってくる。

歴史の叙述のあり方について、あれこれ考えさせられた。

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2021年08月14日

映画「パーマネント・バケーション」

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:クリス・パーカー、リーラ・ガスティル、ジョン・ルーリー他

アップリンク京都で「ジム・ジャームッシュ特集」が始まった。
毎日3本、9月2日までの期間に全12作品が上映される。

この映画は、ジム・ジャームッシュが学生時代に制作した長篇第1作(1980年)。16歳の主人公がニューヨークの町をさまよい歩いて出会ういくつかのエピソードが描かれる。

私のこの映画との出会いは高校生の頃。友人に「これ、いいよ」と言われて手書きのラベルのビデオを借り、衝撃を受けた。私の人生の深いところに影響を与えている作品だ。リルケの『マルテの手記』にも似ていると思う。

・・・天野、元気にしているかな。

アップリンク京都、75分。

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2021年08月13日

大木毅『独ソ戦』(その2)

この本が興味深いのは、太平洋戦争との類似点も多いように感じるからかもしれない。

当時、(ドイツ)国防軍の戦車や航空機をはじめとする近代装備の多くは、ルーマニア産の石油で動いていた。それゆえ、ハルダーは、攻勢防御の方針をあらため、ルーマニアの油田を守るためには対ソ戦もやむなしと判断したのだ。

これは、日本軍がオランダ領インドネシアの油田地帯を攻撃・占領した話とつながるものだろう。

小都市デミーンでは、ソ連軍の占領直後、一九四五年四月三〇日から五月四日にかけて、市民多数が自殺した。正確な死者数は今日なお確定されていないが、七〇〇ないし一〇〇〇名以上が自ら命を絶ったと推定されている。

ドイツ本土で起きた集団自決である。これを読むと、沖縄などで起きた悲劇は日本特有のものではないことがわかる。これまで日本の特殊性のように言われていたことを相対化するものと言っていいだろう。

ソ連軍の満洲侵攻や戦後のシベリア抑留との関わりも深い。侵攻してきたソ連軍に対して関東軍がまたたく間に蹂躙されたのも、独ソ戦で発揮されたソ連の「作戦術」によるものなのかもしれない。また、戦死者を多く出したことによるソ連の労働力不足は、シベリア抑留の一つの原因にもなった。

独ソ戦について学ぶことで、日本の戦争の姿が見えてくる面があるのだと思う。


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2015年にサハリンを訪れた際に見かけたポスター。

「5月9日」は何の日だろうと思って調べたところ、対独戦勝記念日であった。

2019年7月19日第1刷発行、2020年2月5日第10刷発行。
岩波新書、860円。

posted by 松村正直 at 09:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月12日

大木毅『独ソ戦』(その1)


副題は「絶滅戦争の惨禍」。

2020年新書大賞を受賞し累計12万部に達した話題の本。第二次世界大戦におけるドイツとソ連の攻防を、軍事・外交・経済・思想など多面的な観点から概説している。

「独ソ戦の実態に迫る、定説を覆す通史!」と帯に記されているが、そもそも独ソ戦の「通説」がどういうものかを知らない読者が、私も含めて多いのではないだろうか。それでも、著者の筆力と博識によって十分に満足できる一冊となっている。

「人類史上最大の惨戦と言っても過言ではあるまい」と書かれているように、ヒトラーの率いるドイツも、スターリンの率いるソ連も、互いにイデオロギーに基づいた容赦のない収奪、殺戮を行った。

五七〇万名のソ連軍捕虜のうち、三〇〇万名が死亡したのだ。実に、五三%の死亡率だった。
スターリングラードで捕虜となったドイツ軍将兵九万のうち、戦後、故国に生きて帰ることができた者は、およそ六〇〇〇名にすぎなかった。

また、今回強く感じたのは、現在の世界地図との違いである。今の地図ではドイツとロシアの間に様々な国が存在するが、独ソ戦当時はバルト三国はソ連に併合され、ポーランドも分割され、ドイツとソ連が国境を接する状態になっていたのだ。戦いの主要な舞台となるミンスク、キエフ、ハリコフなども、今ではベラルーシやウクライナの都市になっている。

2019年7月19日第1刷発行、2020年2月5日第10刷発行。
岩波新書、860円。

posted by 松村正直 at 10:22| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月11日

フォト短歌

同人誌「パンの耳」の仲間の升本真理子さんが、自身のウェブサイトで短歌と写真を組み合わせた動画「フォト短歌」を公開しています。

https://marikomasumoto.com/tanka

「竜巻雲」(約3分)と「「ここから」に立つ」(約3分)の2作品です。ぜひご覧ください!

posted by 松村正直 at 16:15| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月10日

高野公彦歌集『水の自画像』


2019年から2021年5月までの作品426首を収めた第16歌集。

新聞社に〈伝書鳩部〉のありしころ年初(ねんしよ)の空を飛びし鳩たち
縄文の世の老いびとは眼鏡なし病院もなし如何に生きしや
五階より富士見ゆる日と見えざる日、見ゆる日増えて寒(かん)に入りゆく
武器持たず戦死を遂げしひめゆり隊。瑞泉隊も白梅隊も
次郎柿大きく甘しこの柿を育てし人の大き手思ほゆ
てふてふが一匹東シナ海を渡りきてのち、一大音響
妻はナスわれはナスビと言ひしかど今残されて茄子煮を作る
鳴きやみて山鳩言へり人間は戦争が好き、死ぬのが嫌ひ
置時計のほとりに胡桃一つあり胡桃に一日(ひとひ)ひびく秒針
コロナ禍の或る日おもへりにんげんは話し相手が無ければ 海鼠

1首目、速報を伝えるために伝書鳩が飼育・訓練されていた時代。
2首目、平均寿命は約30歳だが、65歳以上まで生きる人もいた。
3首目、自宅からの眺め。冬は空気が澄んで、遠くまでよく見える。
4首目、ひめゆり隊が有名だが、女子学徒隊は他にもいくつもある。
5首目、下句がいい。大きな柿を包み込むような大きな手を思う。
6首目、安西冬衛の詩と富沢赤黄男の句を踏まえてコロナを詠んだ。
7首目、なすびと呼ぶのは主に西日本。亡き妻を偲びつつ料理する。
8首目、誰もが死ぬのは嫌いなのに、なぜか戦争は無くならない。
9首目、下句がいい。胡桃の堅い殻の中に秒針の音が響き続ける。
10首目、一字空けの後の「海鼠」の印象が強烈。痛切な思いだ。

侮蔑語のニュアンスのあるガラケーのその静寂を身ほとりに置く

スマホ嫌いを歌で公言している作者だが、なるほどガラケーを使っているのか。同じガラケーユーザーとして、ちょっと親近感を覚える。

2021年7月7日、短歌研究社、3000円。

posted by 松村正直 at 11:47| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月09日

高橋博之ほか『人と食材と東北と』


副題は「つくると食べるをつなぐ物語 『東北食べる通信』より」。

2013年に創刊された食材付きの情報誌「東北食べる通信」は、生産者と消費者をつなぎ、毎月食の物語を届けてきた。その中から20篇を取り上げてまとめた一冊。

食べる通信は、私たち消費者が「食べものをつくる世界」に参画する回路を開いた。海や土などの自然が生み落とし、哲学や思いを持って生産者が育てる食材が食卓に届くまでのプロセスを共有し、いろいろな形で参画していく。

わらび、にんにく、里芋、桃、胡桃、牡蠣、わかめ、ハタハタ、じゅんさい、赤豚、短角牛など、様々な食材が登場する。カラー写真が豊富で、それぞれの食材の調理方法も載っていて楽しい。

台風の被害で野菜が高騰しているというニュースが流れると、大抵の場合、家計を直撃し消費者が困っている報道になるが、農家の苦しい実態が伝えられることは少ない。
立体農業とは、樹木や家畜を取り入れた循環型農業のことで、広大な面積がなくても農民が十分に食べていけるよう、地面だけでなく空間も利用して立体的≠ネ生産性がデザインされている。
地域から持ち出せる価値では都市住民を感動させられない。外に持ち出せない、その場にあるからこそ生まれる価値に触れるからこそ、本当に心を打つ。

都市部に住みスーパーで買った食材を消費するだけの存在となっている私たちに、多くの問い掛けをしてくれる内容であった。

2021年5月20日、オレンジページ、2300円。

posted by 松村正直 at 08:45| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月08日

石坂啓『ハルコロ』(1)(2)



原作:本多勝一、監修:萱野茂。
1992年に潮出版社から刊行された単行本を文庫化したもの。
長年読むことのできなかった名作が、約30年ぶりに復刊された。

舞台はまだ和人の進出が始まる前のアイヌモシリ(北海道)。オペレ(おちび)と呼ばれていた娘が「ハルコロ」という名を与えられ、一人前の女性として成長していく物語である。

アイヌの風習や文化、口承文芸のユーカラやウエペケレなども交えつつ、アイヌの人々の暮らしを生き生きと描き出している。

(1)には1992年版の本多勝一の解説と、中川裕(アイヌ語研究者、千葉大学名誉教授)の文庫版解説、(2)には1992年版の萱野茂の解説と、石坂啓の文庫版あとがきが載っている。多くの人の力によって誕生し、そして今回復刊された作品と言っていいだろう。

研究者が論文を書いても、その影響は研究という閉じた世界の中に限られる。それが社会的な広がりを持つためには、より多くの人の目に触れる映画や漫画といった手段によることも重要である。

現在大ヒット中の漫画『ゴールデンカムイ』の監修も行っている中川の言葉である。この作品を通じて、さらにまた多くの方がアイヌに関心を持つようになるといいなと思う。

2021年6月15日、岩波現代文庫、各1300円。

posted by 松村正直 at 11:41| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月07日

オンラインイベント「『戦争の歌』を読む」(8月12日)

8月12日に野兎舎主催のオンラインイベント「『戦争の歌』を読む」を開催します。戦争を詠んだ短歌を通じて、戦争や表現の問題について皆さんと一緒に考えたいと思います。時間は19:30-21:30。参加費は1000円です。ご興味のある方は、ぜひご参加ください。

詳細について
https://marrmur.com/2021/08/01/3864/
チケット購入
https://yatosha.stores.jp/items/60fb93bf1b946c7782187447

イベントに関連して、原爆を詠んだ短歌3首を引きます。何十年経っても色褪せることのない臨場感があり、戦争の過酷さをまざまざと感じます。

火傷には油が良しといふとにもかくにもバター塗りやる顔に
身体(からだ)に       白木裕『炎』

広島で被爆して妻と二人の娘を亡くした作者。全身に火傷を負いながら何とか自宅まで帰り着いた妻に、必死の思いでバターを塗り続ける。おそらくはもう助からないだろうことを、妻自身も、作者もわかっている。

爆風の一瞬この世に陽の消えてするめの如く背のちぢまる
               井上清幹

昭和29年刊行の合同歌集『広島』は、220名の1753首を収めた原爆歌集。作者は自宅の窓辺にいて激しい爆風を浴びた。引き攣るような背中の痛みが、「するめの如く」という比喩によって生々しく伝わってくる。

亡骸の子はその母に遇ひしかば白きパンツを穿かせられにき
               竹山広『残響』

原爆投下後の長崎の町を捜し回って、ようやく亡くなった子を見つけ出した母。衣服も焼けて黒く変わり果てた姿に、せめてパンツだけでも穿かせてあげたいと思ったのだろう。亡骸となっても大切な子に変わりない。

posted by 松村正直 at 10:18| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月06日

オンライン講座「はじめての短歌」(全4回)

9月にNHK学園のオンライン講座「はじめての短歌」を行います。
全4回で短歌に関する一通りのことをお伝えする内容です。

https://coubic.com/ngaku-online/915029
https://www.n-gaku.jp/lifelong-school/course/6958

まったく初心者の方も、もう一度基本をおさらいしたい方も、どうぞご参加ください。

■日程・時間
 9月8日・9月15日・9月22日・9月29日(水)16:00〜17:15

■内容
 @短歌の基本
   歴史/定型/韻律/題材/文語・口語/かな遣い
 A作者と読者
   詠みと読み/省略と想像力/短歌はマッチ棒
 B表現のコツ
   語順/動詞の選び/打消・否定・見せ消ち
 C生活と人生
   飲食・料理/気づき・発見/具体・ディテール・手触り  

posted by 松村正直 at 22:37| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月05日

姜尚美『京都の中華』


2012年に京阪神エルマガジン社から刊行された単行本に加筆・修正して文庫化したもの。

他の町とは違う独自の変化を遂げた京都の中華料理の歴史や魅力、店ごとの特徴などを記した本。「京都の中華」というジャンル(?)を新たに打ち立てた一冊だ。表紙の酢豚を見ても、一般的な酢豚との違いは歴然としている。

よく言われるのは、お座敷に「におい」を持ち込むことを嫌う祇園などの花街で育った、にんにく控えめ、油控えめ、強い香辛料は使わないあっさり中華、という特徴。
中華料理は東京や横浜などでいったん「日本化」された。遅咲きの「京都の中華」は、その「日本化された中華」の波を浴びつつ、今度は、独自に「京都化」していくのである。

取り上げられている店は、「鳳舞系」「盛京亭系」と呼ばれる二大系譜を中心に、「草魚」「盛華亭」「蕪庵」「芙蓉園」「鳳飛」「八楽」「ハマムラ河原町店」「ぎおん森幸」など。カラー写真も豊富で、すぐにでも食べに行きたくなる。

著者は、以前読んだ『何度でも食べたい。あんこの本』の方。
https://matsutanka.seesaa.net/article/474867954.html
食べものと京都に対する愛情が深い。

文庫版付録として、老舗料亭[菊乃井]の主人との対談が載っているのだが、これがすこぶる面白い。和食と中華では全く違うように思うけれど、京都においては限りなく似てくるのだ。

2016年12月10日初版、2021年5月31日4刷。
幻冬舎文庫、800円。

posted by 松村正直 at 08:08| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月04日

映画「冬冬の夏休み」

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原題:冬冬的假期
監督・脚本:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
原作・脚本:朱天文(チュー・ティエンウェン)
出演:王啓光、李淑驕A梅芳、楊徳昌ほか

1984年公開の台湾映画。現在、「侯孝賢監督40周年記念―台湾巨匠傑作選2021」の一本として上演されている。

台北に暮らす兄妹が夏休みに田舎の祖父の家で過ごす様子を描いた作品。近所に住む子どもたちとの遊び、自然豊かな田園の風景、そこで起こるいくつかの小さな事件。

自分が子どもだった頃(昭和50年代)を懐かしく思い出した。そうそう、みんな短い半ズボンを穿いてたよなあ。Wikipediaによれば

子供用の1〜2分丈のズボン。日本では1950年頃から1990年頃まで男児用として一般的だった。

ということらしい。そう言えば、今ではすっかり見なくなった。

アップリンク京都、98分。

posted by 松村正直 at 09:59| Comment(0) | 台湾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月03日

山崎聡子歌集『青い舌』


現代歌人シリーズ33。
2014年から19年までの作品252首を収めた第2歌集。

あやめ祭 てんてんと立つ灯籠をたどって知らない沼地に来たの
子どものあたまを胸の近くに抱いている今のわたしの心臓として
椰子の木が鉛筆みたいに細かったフェンスの網のむこうの基地は
烏賊の白いからだを食べて立ち上がる食堂奥の小上がり席を
縄跳びに入れないままおしっこで湿る体を携えていた
蟻に水やさしくかけている秋の真顔がわたしに似ている子供
にせものの車に乗ってほんものの子供とゆけり冬のゴーカート場
「この子はしゃべれないの」と言われて笑ってた自分が古い写真のようで
ぶらさげるほかない腕をぶらさげて湯気立つような商店街ゆく
女の名前よっつぽつぽつと降るようにある長命の画家の年譜に

1首目、祭の会場の明るさを次第に離れてたどり着いた沼地の暗さ。
2首目、身体の中の自分の心臓より子の頭の方が確かな感じがする。
3首目「鉛筆みたいに」が印象的。日本とは違うアメリカ軍の基地。
4首目「白いからだ」が生々しい。自分の身体に烏賊の身体が入る。
5首目「携え」に自分の体を持て余している感じがよく出ている。
6首目、自分の話かと思って読むと子供の話。自分と子供が重なる。
7首目、偽物と本物は紙一重。いつ入れ替わっても不思議ではない。
8首目、母親との複雑な関係性。昔の自分を慰めてあげたくなる。
9首目、両腕が重く邪魔だからと言って取り外すわけにもいかない。
10首目、男の側からだけ語られる女性にもそれぞれの人生がある。

タイトルにある「舌」はこの歌集のキーワードと言っていいだろう。「舌」の歌が何首もある。他にも、口、舐める、濡れる、といった言葉も多く、全体に湿度の高い歌集だ。

2021年7月10日、書肆侃侃房、2100円。
posted by 松村正直 at 17:13| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月02日

三遠信

JR飯田線について調べていると、しばしば「三遠信」「三遠南信」という言葉が出てくる。初めて知ったのだが、

 三河(愛知県東部、豊橋市など)
 遠江(静岡県西部、浜松市など)
 信濃(長野県南部、飯田市など)

という3県を跨いだ地域を指す言葉らしい。

古くから「塩の道」として知られる秋葉街道や三州街道、あるいは天竜川の舟運によって、人や物の往来が盛んだったとのこと。地域と地域のつながりというものは、単に地図上の距離を見ているだけではわからないのだ。

posted by 松村正直 at 16:33| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月01日

太田朋子・神川靖子『飯田線ものがたり』


副題は「川村カネトがつないだレールに乗って」。

長野県の辰野駅から静岡県を経て愛知県の豊橋駅までの約200キロを結ぶJR飯田線。主に天竜川に沿って伊那谷を走る鉄道路線である。

この飯田線の建設においてアイヌの川村カネトらが測量に携わった。以前ウポポイの国立アイヌ民族博物館を訪れた際に、川村の使っていた測量機器が展示され「飯田線の測量を行った」との説明があるのを見て以来、興味を持っている。

中央アルプスと南アルプスに挟まれた伊那谷に鉄道を敷くのは難しく、測量も大変な作業だったようだ。

現在のJR飯田線の前身は、「豊川鉄道」「鳳来寺鉄道」「三信鉄道」「伊那電気鉄道」の四つの私鉄がのちに国営化されたものです。
(中央線は)中山道の「木曾谷ルート」と飯田や伊那のある「伊那谷ルート」が検討された結果、工費が少なくてすみ、線路の性質が優れていることなどの理由で「木曾谷ルート」に決定しました。

本書では地元に住む著者たちが、川村カネトの足跡をたどるとともに、飯田線沿線の名所・旧跡等の紹介をしている。

飯田線にはせひ一度乗りに行きたい。

2017年7月15日、新評論、2000円。

posted by 松村正直 at 22:44| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする