2021年06月30日

雑詠(006)

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です・ますを互いに付けて会話する若いふたりがいる春の町
ひらひらといやふらふらとへらへらと散る桜にも個性があって
おじさんが手を動かせばいくらでも産まれる春のベビーカステラ
最後まで飛び立つことなく壇上にペットボトルの真水はならぶ
何をしてもうまく行かない春だった葱のにおいが鼻から抜けず
割れながら砕けつづける喜びの僕にだってあるポテトチップス
二つ先の駅まで小さな旅をしてこの時期だけのびわのパフェ食む

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2021年06月29日

奥村知世歌集『工場』


新鋭短歌シリーズ54。
331首を収めた第1歌集。

男性の多い工場の現場で働く仕事の歌、そして子育ての歌が中心となっている。

夏用の作業着の下をたらたらと流れる汗になる水を飲む
女でも背中に腰に汗をかくごまかしきれぬ作業着の色
労災の死者の性別記されず兵士の死亡のニュースのごとく
軍手にはピンクと黄色と青があり女性の数だけ置かれるピンク
量産型OLとしてごくたまに作業着を脱ぎ本社へと行く
保育園のにおいする子を風呂に入れ家のにおいにさせて眠らす
ガスコンロに並べて焼かれるサンマたち海ではきっと他人であった
ベランダで息子が作るシャボン玉息子の息を遠くに運ぶ
まばたきの分だけ私より長く世界を見ている私のメガネ
作業着と安全靴に挟まれて靴下だけはそれぞれの色
忘れ物を私の中にしたような顔で息子が近づいてくる
パレードの山車で手を振る姫たちのスカートの中の安全ベルト
ブラブラと荷物ぶら下げ重心が子供ではないベビーカー押す
「育休」と名簿に斜線は引かれつつ斜線のままの後輩がいる
どんぐりが通貨単位の商店に息子から買う虫の死骸を

1首目、夏の現場は暑く、飲んだそばから汗になって流れていく。
2首目、汗をかくのは女も男も同じ。作業着が汗で濡れてしまう。
3首目、生前は大事であった性別も死んでしまえば意味を持たない。
4首目、ピンクは女性の色という固定観念は今も根強く残っている。
5首目、他の女性と交換可能な一人として上役に同行するのだろう。
6首目、昼間離れて過ごしていた子に、自分に匂いを染み込ませる。
7首目、無関係だったサンマが今は隣同士に並ぶ。人間も同じかも。
8首目、下句の発想に惹かれる。シャボン玉に守られて遠くへ行く。
9首目、メガネは瞬きをしないと擬人化することで、愛着が伝わる。
10首目、作業着の下から覗く靴下だけが一人一人の違いを見せる。
11首目、私の胎内にということだろう。ちょっと怖いような感じ。
12首目、ディズニーの山車。高所作業用の安全ベルト着用が義務。
13首目、子育てあるあるの歌。フックを付けて荷物をぶら下げる。
14首目、なかなか育休から復帰しない後輩。複雑な思いで眺める。
15首目、お店屋さんごっこ。「虫の死骸」は身も蓋もないが現実。

余韻や情緒や新しさではなく、質実剛健な内容で読ませる歌集。
近年ではむしろ珍しいタイプであり、好感を持つ。

2021年6月10日、書肆侃侃房、1700円。

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2021年06月28日

犬山へ(その2)

二日目は、犬山城へ。
松本城、彦根城、姫路城、松江城とともに国宝5城の一つ。


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市街地から坂を登った先に立つ城。
感染対策のアルコール消毒と検温を行ってから城内へ。


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天守閣からの眺めが素晴らしい。
廻縁に出てぐるっと一周することができる。
北西方向。


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こちらは北東方向。
木曽川がゆったりと流れている。

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2021年06月27日

犬山へ(その1)

1泊2日で愛知県の犬山市へ。

まずは博物館「明治村」に行く。十数年ぶり2回目。
入鹿池に面した広い敷地に、六十数棟の建物が点在している。


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聖ヨハネ教会堂(重要文化財)
1907(明治40)年に京都の河原町五条に建てられた教会。


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聖ザビエル天主堂
1890(明治23)年に京都の河原町三条に建てられた教会。


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聖ザビエル天主堂の内部。
ステンドグラスから差し込む光が美しい。

京都には今も美しい教会があるけれど、かつては河原町にも
あったんだな。

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2021年06月26日

二宮敦人『世にも美しき数学者たちの日常』


2019年に幻冬舎から刊行された単行本の文庫化。

数学者と数学に興味を持った著者が、十数名の数学者・数学愛好者にインタビューをしてまとめたドキュメンタリー。一般にはほとんど知られていない数学者の日常が浮かび上がってくる。

数学は「これを解け!」の積み重ねではなかった。「なぜ?」の積み重ねなのだ。
数学は、言語も国も時間すらをも飛び越えて人間と人間を繋ぐ、世界へ開いた扉でもあるのだ。
型にはまったやり方を押しつけても、数学はやっていけない。自分らしく自由であることを、数学は人類に望んでいるのである。

著者は数学者の話を、巧みな喩えなども使って咀嚼し、数学の魅力に迫っていく。その話を引き出す力には驚かされる。

楽しそうな面もある一方で、厳しい世界であるのも間違いない。

「この人はこのぐらいのレベルだな」というのは、少し数学的な議論をすればすぐにわかってしまいます。学生とでもそうだし、数学者同士でもそう。(渕野昌)

まあ、多かれ少なかれ、こういう側面はどの世界にもあるのだろうけれど。

2021年4月10日、幻冬舎文庫、710円。

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2021年06月25日

光嶋裕介『ぼくらの家。』


副題は「9つの住宅、9つの物語」

2011年以降に著者のつくった8つの住宅「凱風館」「祥雲荘」「如風庵」「望岳楼」「旅人庵」「群草庵」「森の生活」「静思庵」と、「未来の光嶋邸」をめぐる物語。

本書の大きな特徴は、語り手が作者の一人称ではなく、9篇それぞれ別のものに設定されていること。家(ぼく)、女の子(わたし)、野良猫(俺)、家(オイラ)、男の子(ボク)、石(吾輩)、火(僕)、ハリネズミ(オレ)、娘(私)といった具合だ。

こうした手法の元にあるのは、家は建築家のものではなく多くの人の関わりによって生まれるものだという作者の信念であろう。

住宅という建築には、住まい手たちの物語があり、それが、どこか生命体のように設計者である建築家の意図をはるかに超えて、時間と共に大きく成長していきます。住宅には、住まい手たちを中心にしてコスモロジーがつくられていくのです。

人が家をつくるだけでなく、家もまた人を育て、人と人との新しいつながりを生み出していくのだ。

この国の木造住宅の平均寿命がたった三十年やそこらで、次々と建て替えられる「スクラップ・アンド・ビルド」の価値観は、住宅を消費される商品としてしか見ておらず、絶対に見直されなければならない。
建築家の仕事であるちょっぴり先の未来を予想する「設計」という行為に対して、不確定要素である「予測不能性」を残しておくことが鍵となってくるように思える。つまり、設計時には意図していなかった使われ方をするかもしれないことに、建築家が自覚的であり、覚悟をもってデザインに挑む必要がある。

こうした考え方は魅力的だし、共感する部分も多い。ただ、本書に収められているのは、如風庵における集成材使用に関するトラブルを除けば、基本的に成功例ばかり。建築としての真価が問われるのは、まだこれからなのかもしれない。

2018年7月25日、世界文化社、1600円。

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2021年06月24日

なみの亜子歌集『そこらじゅう空』


2015年から2020年の作品373首を収めた第5歌集。

生き場所は死に場所ならずはつ雪の早もやみいてまぼろしの峰
照りののち雨得て樹々は身の丈をとりもどしたり欅は欅の
増水の川と思いて覚めたればいっせいに田に水の入る朝
細切れに糞する犬のじいさんとゆっくりゆっくり公園まわる
まだ生きて特養に居る母の家より持ち出しし宝石いくらにもならず
柵越えてふたりの少女川べりに肩をひっつけしゃがんでいたり
二頭の犬一頭となり朝夕をともにあゆむも道草の減る
持っていることが大事なわが夫の障害者手帳にページのあらず
まる描けるとんびの胸のはるか下 窓などさがしてなんになろうか
誰からも離れて誰とも会いたくて こころの空き地に草ののびゆく

1首目、おそらく以前暮していた西吉野での日々を思い出すのだ。
2首目、「とりもどしたり」がいい。雨に濡れて生き生きとする。
3首目、日を決めて田んぼに水が入る。かなりの音が響くのだろう。
4首目、若い犬と年老いた犬では糞の仕方や量も違ってくるのだ。
5首目、何とも身も蓋もない歌。現実をまざまざと突き付けられる。
6首目、「ひっつけ」がいい。仲良しの二人だけの時間が流れる。
7首目、亡くなった犬の不在感が作者にも犬にも付きまとっている。
8首目、手帳と言っても役割は証明書。上句は皮肉を含んでいるか。
9首目、窓は閉塞感の強い生活からの出口であり、逃げ道である。
10首目、上句の矛盾した表現に孤独感が滲む。人間は結局一人か。

年老いた両親、障害を抱える夫、二匹の犬の死と、全体に重苦しい内容の歌が多い。作者とはかつて同じ結社にいて、歌集に出てくる母や夫にもお会いしたことがあるので、いっそう胸にずっしりと応えた。

2021年4月20日、砂子屋書房、2800円。

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2021年06月23日

宇野重規『民主主義を信じる』


2016年から2020年まで「東京新聞」に連載された「時代を読む」51篇をまとめた本。

著者はこの時期を「トランプ大統領の大統領当選に始まり、その政権の終わりに至る、世界の民主主義にとって「危機の五年間」」(あとがき)と記している。

民主主義は決定過程を公開・透明化し、関係する誰もがそこに参加することを可能にする。より多くの人々が国や世界の政治を「他人事」ではなく「自分事」として捉え、当事者意識とそれに基づく責任感を持つことを要請する政治体制でもある。そのような民主主義は、一時的に混乱したり、判断を誤ったりすることがあっても、長期的には自らを修正し、多様な実験を可能にする。

「公開・透明化」にしろ、「当事者意識」や「責任感」にしろ、現在の日本や諸外国でこうした理想が実現されているかと言えば、かなり心許ない。でも、「長期的には自らを修正し」という部分こそが、おそらく民主主義にとって一番の強みであり、大切な点なのだろう。

Iターン者について触れたが、この町の特徴は地域の外からの人材をいかすことにある。島の出身者でなくても、他の場所で学び働いてきた人の知識や経験を、最大限にこの島のためにも発揮してもらう。
一つは外国人労働者を積極的に受け入れる道である。もし、その道を選ぶとすれば、より良い人材に、長期的に安定して働いてもらうための環境を整備する必要がある。(略)子どもの教育を含め、より良い受け入れの仕組みを整備すべきである。

上は隠岐の海士町について触れた2019年の文章で、下は外国人労働者の受け入れに関する2018年の文章だ。

今回この本を読んで気が付いたのは、過疎化の進む離島(隠岐)の振興策と、少子高齢化の進む島国(日本)の未来像は、同じ構造にあるということだ。海士町の掲げてきたキャッチフレーズ「最後尾から最先端へ」は、なるほど、こんなところにもつながっていたのである。

2021年2月11日、青土社、1400円。

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2021年06月22日

マーサ・ナカムラ詩集『雨をよぶ灯台』


第28回萩原朔太郎賞受賞。
15篇の作品を収めている。

何年間も庭に打ち捨ててあった三輪車を、がらがらと道路に引きずり出し、どこということもなく、ペダルをこぎ始めた。夜が明けるまでに、行き着く場所を考えていた。
          (「サンタ駆動」)
スナック『真紀』の飾り窓が、
荒く息をするように光っては消える。
光だと思ったものは、真っ白な男の顔だった。
          (「篠の目原を行く」)
目が覚めて、暗い布団の中で、
私は今、
自分が26歳なのか
62歳なのか分からなくなった
          (「夜の思い出」)

夢の中の話のような不思議な世界が次々と展開していく。
これからも現代詩をいろいろと読んでいきたい。

2020年6月30日 新装版、思潮社、2000円。

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2021年06月20日

『やさしい鮫』在庫あり

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瀬戸夏子さんの『はつなつみずうみ分光器』(左右社)は、2000年〜2020年に刊行された歌集から55冊を選んで鑑賞・解説を書いた本です。

その中で私の第2歌集『やさしい鮫』もご紹介いただきました。2006年刊行で、アマゾンにも書店にも版元にも在庫がありませんが、私の手持ち分をBOOTHで販売しています。

定価2800円のところ、割引価格1500円(送料込み)にしておりますので、この機会にぜひどうぞ。
https://masanao-m.booth.pm

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2021年06月19日

「つくば集」創刊号

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筑波大学の学生を中心に活動している「つくば現代短歌会」の機関誌の創刊号。

内容は、ゲストの郡司和斗(かりん)と平出奔(塔)の作品とロングインタビュー、会員の作品(短歌・俳句)、そして会の沿革、会員紹介。全174ページ。

ロングインタビューは全65ページというかなりの分量。連作の作り方についての話が特に興味深かった。

郡司 僕は連作というものが本当に存在するのか疑っている派なので、構成とかテーマとかを最初から決めてそれを浮かび上がらせるように作るというよりかは、できるだけ素でできたものを輝かせたいですね。ただ、どうしてもそれだけでは連作にならなかったりするので、(…)素でぽろっと出てきた良い歌を輝かせるために、歌を探しに行くというようなことはやりますね。
平出 たまに出てくるなんかよくわかんないけどいいねみたいな歌も大切にしたいですね。そういうときに役立つのが、百首会みたいな無茶で(笑)。なぜ百首会のときにつくった5首を軸にしたかというと、百首会のときに生まれる歌って何がいいのかよくわかんない歌が多いと思って。でもすごくいい歌だとも思っていました。

以下、会員の短歌作品から。

あなたはあなたの窓辺に鶸を棲まはせるわたしはそればかり
を見てゐた             橋本牧人
だれしもがいちりんに佇つ曼珠沙華この世に肋骨(あばらぼ
ね)を咲かせて           橋本牧人
優しい声を切り捨てた日に文学はうつ伏せでしかスキャンで
きない               荒木田雪乃
炊飯器の縁に貼りつくものたちは痛い剥がして食べてください
                  小川龍駆
なんとなく出掛けて気づく欲があり欲から遠ざかるための風
                  豊冨瑞歩
ふりかけをかけるのが下手な僕のこと否定しないでおこう春
めく                林さとみ
水道水水道管から絞り出す 「海だった」なんて泣かないで、
朝                 神乃

2018年から活動を続けて、今回が初めての機関誌の発行とのこと。
来年以降も順調に刊行が続きますように!

2021年5月16日、600円。

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2021年06月18日

マツザワシュンジ歌集『春の花火師』

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270首を収めた第1歌集。
作者は『「よむ」ことの近代』『プロレタリア短歌』などの著書がある松澤俊二さん。

春へ向かう矢印がすっと伸びているいつか桜の咲くはずの坂
朝に降る雨なら嫌いではないな トマト畑にトマトは濡れて
鳩の目と静かに対(むか)いあいながら二時ゆっくりと玉子焼き嚙む
待ちあわせて何か食べようカレーとかうどんとかカレーうどんとか
もう秋か、なんて一人で言っている人は誰かに聞いて欲しくて
コンビニで一五〇円のコーヒーを待っている窓越しに木枯らし
冬の朝は熱いスープをすすりつつ思う 鳥には舌があったか
テキパキという音は口ずさむものIKEAのベッド組み立てながら
春曙抄(しゅんじょしょう)伊勢を枕に寝しという少女の家のあたりかここは
春の舟春の水夫も去らしめてしずかに満ちてくる海の水
自転車のあたまいくつか寄せ合って話しあう海にいく計画を
夕焼けの岬に若き日の父母を写して去りし人も旅びと

1首目、冬から春へと向かう季節。桜の咲く様子を思い描いて歩く。
2首目、あまり強くはない雨だろう。トマトが瑞々しく感じられる。
3首目、公園などで弁当を食べている場面。少し遅めの昼食である。
4首目、結句を読んでもっと選択肢はないのかと突っ込みたくなる。
5首目、秋という季節の寂しさ。ふと気がつけば秋になっている。
6首目、ドリップされるのを待ちながら何気なく窓の外に目をやる。
7首目、唇や舌に意識が向いている時に、ふいに疑問が頭に浮かぶ。
8首目、確かにテキパキは擬態語でありつつ擬音語でもあるような。
9首目、上句は与謝野晶子の歌。晶子の生家のあった堺を歩きつつ。
10首目、河口付近の川を眺めている。上句は幻の過去の風景か。
11首目、「自転車のあたま」がいい。若々しさが伝わってくる。
12首目、古い写真を見ながらシャッターを押してくれた人を思う。

2021年5月25日、港の人、2000円。

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2021年06月17日

安田峰俊『八九六四 完全版』(その3)

以下は、個人的な思い出話。

天安門事件が起きた1989年、私は大学1年生だった。6月4日の事件の報道を受けて、学内では抗議集会が盛んに開かれていた。

集会で話を聞いていた時に誘われて、この時、生まれて初めてデモに行った。街頭でデモ行進して、その後、日比谷公園で行われた集会に参加した。

もともと祖父が思想的に中国との交流に関わった人で、実家には赤い表紙の『毛主席語録』などが置いてあった。そうした環境で育った影響もあって、中学生の時に中国訪問ツアーに参加したこともある。1985年のことだ。

北京と上海を訪れて、万里の長城や故宮博物院などの有名観光地を回った。とにかく自転車が多かったことが印象に残っている。お土産に、人民解放軍の防寒帽、健身球、コルク細工、東条英機に関する本などを買った。

『八九六四』の登場人物の一人は、

彼は陝西省出身で、北京市内の大学に進学。一年生の一九歳で八九六四を迎えた。

と書かれている。まさに私と同年代の学生たちが、この天安門事件には参加していたのである。

2021年5月10日、角川新書、1000円。
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2021年06月16日

安田峰俊『八九六四 完全版』(その2)

この本には天安門事件の学生リーダーであった王丹とウアルカイシの話も載っている。

本人がどれだけ年齢を重ねても、二〇歳のときに出来上がった「天安門の王丹」の姿は彼を一生涯にわたり束縛する。かつて中国政府が彼を政治犯として押し込めた遼寧省の錦州監獄からは無事に釈放されても、過去の牢獄から出ることは永遠にできない。

事件当時、彼らがまだ20歳や21歳の学生だったことを思うと、その運命はあまりに過酷だ。60年安保闘争時の全学連委員長だった唐牛健太郎や、全共闘運動時の日大全共闘議長だった秋田明大のことなども思い浮かぶ。

天安門事件に関わった人々の「その後」は様々だ。国外に亡命して民主化運動を続けている人もいれば、考えを変えて実業の世界で成功している人もいる。事件の影響で人生が大きく変ってしまった人、今では事件を否定的に捉える人など、一人一人違う。

かつて現代中国史上で最大の事件に直面した人たちの日常は、今日も淡々と続いていく。大志を抱いた孫悟空の人生は、実は筋斗雲を降りてからのほうが長かったのだ。

「民主化は善」「弾圧は悪」といった正論だけでは見えてこない個々の人生や苦悩。それらを見事に浮き彫りにした一冊だと思う。

2021年5月10日、角川新書、1000円。

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2021年06月15日

安田峰俊『八九六四 完全版』(その1)


副題は「「天安門事件」から香港デモへ」。

2018年にKADOKAWAから刊行された単行本(城山三郎賞、大宅荘一ノンフィクション賞受賞)に新章を加筆して改題したもの。

1989年6月4日に起きた天安門事件やその後の中国の民主化運動に関わった様々な人へのインタビューを通じて、あの事件が何であったのか、社会や人々の人生にどのような影響を及ぼしたのかを、多面的に分析している。

これはすごい一冊! おススメ。

著者はまず、「民主主義は正しい。ゆえに民主化運動は正しい。それを潰すのは悪い。(なので、きっと将来いつか正義は勝つ)」という、四半世紀にわたって言われ続けてきた正論に疑問を呈する。

正論はあくまで正論として、でも現実はそうなっていないのはなぜなのか。深く切り込んでいくのである。

「中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。他にどこの国の政権が、たった二十五年間でこれだけの発展を導けると思う?」
「中国の経済発展はやはり認めざるを得ない。それに、いちど反体制側の人間になると親孝行ができなくなります。親が亡くなっても葬儀ができなし、墓参りもしてあげられない。この不孝は中国人にとってなによりもつらいことです」
民主化を望むような中国人は、なんだかんだ言って本当は祖国が大好きだ。ゆえに中華民族が力をつけ、中国が国際社会において重きをなしていく事態は、やはり心から嬉しくなってしまう。

一つ一つ、なるほどなあと思って読む。中国の圧倒的な経済発展は、天安門事件の意味や評価までも大きく変えていったのだ。その事実をまず直視しないことには、何も始まらないのだろう。

2021年5月10日、角川新書、1000円。

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2021年06月14日

お台場の歌

あるテーマに関する歌を探して、このところ筑摩の『現代短歌全集』を読んで(眺めて)いる。そうすると、探しているテーマとは別の歌があれこれ目に入ってくる。

例えば、こんな歌。

風ふけば海路をわたす夕潮の揺れわたるなかに台場島見ゆ
お台場の石垣に寄る浪の穂のくづれてはしろし夕霧の間に
潮騒のこゝの入江にうかぶ島台場に夏の草生ひにけり
              /橋田東声『地懐』

大正6年の「品川の台場」10首より。
現在のお台場エリアも104年前はこんな感じだったのだ。

さらに、こんな歌も見つかる。

梅雨はれし海の上のかぜは砲台のあたりのこはき芝にふきつく
空溝(からみぞ)に草はびこりし台場の原ぐみの木群(こむら)と合歓と松とよき
品川に近き台場の幾つあり木群やうやく夕昃(ゆふかげ)りたり
              /鹿児島寿蔵『潮汐』

昭和9年の「品川沖」8首より。

昭和3年に第三台場が現在も続く台場公園として整備され、公開されている。作者は船に乗って公園に上陸したようだ。

ちなみに、現在の状況はと言えば

第1台場 1963年に埋立地の一部に
第2台場 1961年に撤去
第3台場 現存(台場公園)
第4台場 1939年に埋立地の一部に
第5台場 1962年に埋立地の一部に
第6台場 現存
第7台場 1965年に撤去

となっていて、7つあった台場のうち2つが残っている。

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2021年06月13日

安田菜津紀『故郷の味は海をこえて』


副題は「「難民」として日本に生きる」。

母国を離れて日本で暮らす人々に料理を作ってもらって話を聞くという内容。シリア、ミャンマー、ロヒンギャ、ネパール、バングラデシュ、カメルーン、カンボジアの7つの国(地域)の話が載っている。

タンスエさんの二人の子どもたちは、日本で生まれ、日本の社会しか知らずに育ってきました。娘さんは21歳、息子さんが14歳、どちらも日本の学校に通い、友だちは日本人ばかりです。ミャンマー語は家でしか使いません。

先日、映画「僕の帰る場所」で見た問題が、ここにも出てくる。いつか母国へ帰りたいと願っている親たちと違って、子どもは母国への帰属意識が既に薄い。

日本の難民認定率の低さや、出入国在留管理庁(入管)などの制度的な問題についての解説もあり、難民についての理解が深まる一冊となっている。

2019年11月、ポプラ社、1400円。

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2021年06月10日

風来堂編『ダークツーリズム入門』


副題は「日本と世界の「負の遺産」を巡礼する旅」。

「Part1日本篇」16か所、「Part2欧米篇」8か所、「Part3アジア・アフリカ篇」6か所の計30か所の訪問記と、井出明、角田光代、下川裕治のインタビューが載っている。

「実際に現地を訪れること」にはやはり大きな意味があると思います。人間というのは不思議なもので、現地を歩いて巡っていると思いもよらないものが目に入ったりするし、いろいろ考えたり、覚醒が起きたりする。

私が訪れたことがあるのは、豊後森機関庫(大分県)、陸軍丹賀砲台園地(大分県)、原爆ドーム・平和記念公園(広島県)、大久野島(広島県)、旧海軍司令部壕(沖縄県)の5か所。

まだまだ知らない場所、行ってみたい場所がたくさんある。

2017年9月29日、イースト・プレス、1500円。

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2021年06月09日

命名について

1908(明治41)年に青函航路が開設された際、就航したのは「比羅夫丸」と「田村丸」という2隻の船であった。比羅夫丸は7世紀に蝦夷を征討した阿倍比羅夫、田村丸は平安時代に征夷大将軍になった坂上田村麻呂に因んで名付けられている。

こうした命名の方法に、最近関心がある。

例えば、沖縄にある米軍基地のキャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブ、キャンプ・コートニーなども、すべて沖縄戦で戦死したアメリカ兵の名前が付いている。

その意識のあり方に興味を覚えるのだ。

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2021年06月08日

映画「僕の帰る場所」

監督・脚本・編集:藤元明緒
出演:カウン・ミャッ・トゥ、ケイン・ミャッ・トゥ、アイセ、テッ・ミャッ・ナインほか

在日ミャンマー人家族の不安定な暮らしと苦悩、そして日本で育った子どもたちのアイデンティティをめぐる問題を描いた作品。

2017年公開の作品だが、今年2月のクーデター以降のミャンマー情勢を踏まえて、急遽再上映されることになった。

キャストには演技経験のないミャンマー人を多く登用し、ドキュメンタリーのように家族のやり取りを撮ることに成功している。2作目の「海辺の彼女たち」とも共通する点だ。

日本語が上手で家族の中で一番しっかりしていたお兄ちゃんが、ミャンマーに移ってからは周囲になじめずに落ち込む姿が印象的。

とても良質な作品で、久しぶりにパンフレットも購入した。

出町座、98分。

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2021年06月07日

人間の展示

19世紀から20世紀にかけて欧米や日本の博覧会において、しばしば植民地の人々や少数民族の村の展示が行われた。1903(明治36)年に起きた人類館事件などがよく知られている。
https://matsutanka.seesaa.net/article/480261048.html

1912(大正元)年に上野公園で開催された「拓殖博覧会」でも、「台湾生蕃」「北海道アイヌ」「樺太オロツコ」「満州土人」などの展示が行われた。(『拓殖博覧会記念写真帖』より)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/904743

この博覧会を詠んだ歌がある。
窪田空穂『濁れる川』(大正4年)に収められている歌だ。

うち群れて人が遊べるそのなかに交りてあれば楽しきものを
       (四首、拓殖博覧会を観に行きて)
人食らふこの生蕃も妹と背と相住みてその子あやしをるかも
人食らふ生蕃の子のかなしくもさかしき眼してもの眺めをり
大君はかしこしこれのアイヌをも生蕃人もみ民としたまふ

「生蕃」(原住民)の家族や子どもの様子を見て、最後は天皇の徳を讃える内容となっている。「人食らふ」という偏見をはじめ非常に差別的な内容であるが、これが当時の平均的な感覚であった。

歌集には亡くなった「少年職工」を悼む連作や旅先で目にした「製糸女工」を詠んだ歌などもあり、空穂が人並み以上に弱者への思いやりに深い人物であったことがよくわかる。だからこそ、こうした差別の問題はいっそう根深いと言えるのだと思う。

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2021年06月06日

樋口薫『受け師の道』


副題は「百折不撓の棋士・木村一基」。

東京新聞・中日新聞に2020年2月10日から4月10日まで連載された記事と、2020年1月11日に開催されたトークショーの内容を収めている。

一昨年、第60期の王位のタイトルを獲得した木村九段のドキュメンタリー。実に7度目のタイトル挑戦であり、46歳での初獲得は最年長記録であった。

気遣いの人として知られ「将棋の強いおじさん」の愛称でも親しまれている木村の棋士人生や人柄がよく伝わってくる内容だ。

「勝負の世界は同業者の見る目が大きい。落ちてもすぐに復帰すれば『陥落は間違いだった』となる。でも下のクラスに定着すると、周囲から『この人は実力が落ちた』と見られる。」
「勝つためには結局、将棋にかける時間を増やすしかないんです。奨励会の時代からずっとそうして、ここまでやってきましたから」
「(長考に関して)こっちが考えていたことが無駄になったのかといったらそんなことはなくて、こういうときに考えたことは、将来必ず生きます。このときは生きないかもしれませんけど、いずれ似たような形になったときに思い出す。」

負けようと思って戦う棋士はいない。それでも、勝つか負けるかの厳しい世界。木村の話す一語一語に重みがある。

棋士になってからタイトル獲得までに要した時間は実に22年5か月。これも最長記録である。ほとんどの棋士がタイトルを一度も獲ることなく去っていくことを思うと、まさに偉業とも呼ぶべき記録なのだと思う。

2020年6月27日、東京新聞、1400円。

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2021年06月05日

杉岡幸徳『世界奇食大全 増補版』


2009年に文春新書より刊行された本に加筆・増補して文庫化したもの。日本各地、世界各地の珍しい食べ物あれこれを紹介している。

登場するのは、フグの卵巣の糠漬け(石川県)、サンショウウオ(福島県檜枝岐村)、おたぐり(長野県伊那地方)、メダカの佃煮(新潟県)、カンガルー(オーストラリア)、鶏のとさか(フランス)、みかんご飯(愛媛県)、サルミアッキ(フィンランド)、ワラスボ(有明海)など56点。

内臓は肉よりも、ナトリウム、鉄分、ビタミン類がはるかに多い。肉食獣は、肉よりも内臓のほうがうまくて滋養に富むことを知っているに違いない。
アメリカの下院は二〇〇六年に、ウマを食肉のために屠ることを禁止する法案を可決しているのである。
白樺の樹液は、ロシアや東欧、北欧、中国、韓国などで飲用にされている。日本でも、アイヌがタッニワッカ(白い肌の木の液)と呼んで飲んだという。
トド肉本来の味を感じたかったら、ストレートに焼いて食べるといい。まず襲いかかって来るのは濃密な青魚の臭いだ。トドが魚を食するからだろう。

何を食べて何を食べないか、何を好み何がタブーになっているかは、地域や国によって様々である。私たち(?)が「奇食」と思うものを通じて、食や文化の多様性が見えてくる。

私たちの体は食べたものでできている。だからこそ、食べ物に関しては譲れない部分も大きいのだろう。食べるという行為が人間にとってどんな意味を持つのか、深く考えさせられる。

2021年4月10日、ちくま文庫、800円。

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2021年06月04日

BOOTHの無料ダウンロード

BOOTHに新たに無料ダウンロードの文章を3点追加しました。
興味のある方は、どうぞお読みください。

「三分でわかる短歌史」
https://masanao-m.booth.pm/items/3015943

「十首でわかる短歌史」
https://masanao-m.booth.pm/items/3015959

「近代秀歌七十首」
https://masanao-m.booth.pm/items/3015967

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2021年06月03日

映画「狂猿」

監督:川口潤
出演:葛西純、佐々木貴、伊東竜二、武田誠志、松永光弘ほか

デスマッチ界でカリスマ的な人気を誇るプロレスラー、葛西純のドキュメンタリー。

リング上の激しい戦いの姿だけでなく、プロレスに入ったきっかけ、デスマッチに対する思い、家族のことなど、プライベートな部分も含めて人間葛西純を描き出している。

ヘルニアによる長期欠場からの復帰戦を予定していたアメリカ興業がコロナ禍で中止となり、2020年6月の興行再開後も声援を飛ばしにくい状況が続く。

そんな中で46歳になる葛西はなぜ戦い続けるのか。

「すごいんですよ、生きてるって実感が」「レベル46になったと思えばいい」といった言葉が、まっすぐに胸に響く。

流血は当り前。蛍光灯で殴り合い、剃刀で切り付け、両頰は串刺しになり、ガラス片や画鋲が背中に刺さる。

その過激さに思わず目を背けたくなるのだが、そこにもプロとしての見せ方があり、「本当に死んでしまったらプロじゃない」という強い矜持があるのだ。

107分、アップリンク京都。

posted by 松村正直 at 07:27| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月02日

谷川由里子歌集『サワーマッシュ』


300首を収めた第1歌集。
章立てはなく、1ページ2首の歌が150ページ続く。

月比べしながら歩く一本道 そっちの月も見頃だろうね
バルセロナバルセロナに行くその日までバルセロナに行くまでのこの日々
バースデー・ソングは歌い出す前の表情さえもバースデー・ソング
あの籠を買ったら洗濯籠にして洗濯物を一挙に運ぶ
会いたいと思ってこその帰り道だ酔ったら酔ったでくらくら帰る
釣り好きが高じて竹の釣り竿に目がない人の輝きっぷり
ああ低い月が出ていて前を行く小学生の頭にふれる
円卓を日当たりのいい一角へ動かすためのこの腕捲り
寝てたのに体は箱根に着いている電車は体しか運べない
かまくらを布団でつくってきいているクールダウンに最適の雨

1首目、「月比べ」が面白い。ケータイで話をしながら歩いている。
2首目、まだ行ったことがないからこそ、憧れや楽しみが持続する。
3首目、バースデーソングには期待や緊張を含む儀式っぽさがある。
4首目、店にある籠は使い方によって洗濯籠にも別のものにもなる。
5首目、お酒を飲んで人恋しい気分で歩く夜。「こその」がいい。
6首目、「輝きっぷり」がいい。興味のない人には価値のない品々。
7首目、月の低さの表現が実に印象的。大人の頭では面白くない。
8首目、結句に生な臨場感がある。「ために腕捲りする」ではダメ。
9首目、小田急線のロマンスカーかな。意識がまだ追い付いてない。
10首目、布団をかぶって気持ちを静めている。初二句が個性的だ。

装幀が実にオシャレでかっこいい。
これで1800円という値段に出版社のやる気を感じる。

2021年3月31日、左右社、1800円。

posted by 松村正直 at 08:41| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする