副題は「最古の歌集の素顔」。
万葉集がどのように成立し、どのような特徴を持つ歌集であるかを、歌を引きながらわかりやすく解説した本。全体が明快な構成になっていて、著者独自の観点も光る。
一、東アジアの漢字文化圏の文学としての性格を有する。
二、宮廷文学としての性格を有する。
三、律令官人文学としての性格を有する。
四、京と地方をつなぐ文学としての性格を有する。
著者はこの4つの要素を挙げて、それに沿って話を進めていく。「令和」という元号が決まった時に話題になったように、万葉集は最も日本的であると同時に最も中国的な歌集でもある。そうした様々なレベルの接点や重なりの中に万葉集は存在するのだ。
短歌なら五・七・五・七・七となるので、五音か七音で訓もうと万葉学徒は工夫するのである。もう一つは、歌の表現の型があるので、なるべく型に合わせて訓んでゆけば、なんとなく訓めるのである。じつは、万葉学徒といえども、なんとなく訓んでいるのである。
こういう心の交流は、むしろ身分差を肯定した上に成り立っているものと考えなくてはならない。身分差を越える心の交流によって、逆に身分差を固定化する性質があるといえるだろう。
防人は筑紫に派遣されるので、筑紫で歌われたと考えられがちであるが、そうではない。歌が集められたのは、難波なので、難波以西の歌は存在しないのである。
方言が使用された素朴な歌を東国に求めるのは、都びとの側の方なのである。だから、それは、都びとが求める東国の歌々のイメージでしかない。
以前、上野誠の講演を聴いて話の面白さに驚いたことがあるのだが、この本もやはり面白い。文章の書き方にリズムがあり、緩急がある。
正岡子規の俳句、短歌の革新運動も、欧化に対して心のバランスを取るものであったといえよう。その子規がもっとも重んじたのが、『万葉集』なのであった。
近代に入って万葉集が国民歌集として再発見された経緯は、品田悦一『万葉集の発明』に詳しい。中国文化の強い影響力のもとにあった飛鳥・奈良時代と西洋文化の強い圧力にさらされた明治時代。こうした似たような環境のもとに、万葉集は生まれ、再評価されることになったのだ。
2020年9月25日、中公新書、880円。