2021年04月30日

上野誠『万葉集講義』


副題は「最古の歌集の素顔」。

万葉集がどのように成立し、どのような特徴を持つ歌集であるかを、歌を引きながらわかりやすく解説した本。全体が明快な構成になっていて、著者独自の観点も光る。

一、東アジアの漢字文化圏の文学としての性格を有する。
二、宮廷文学としての性格を有する。
三、律令官人文学としての性格を有する。
四、京と地方をつなぐ文学としての性格を有する。

著者はこの4つの要素を挙げて、それに沿って話を進めていく。「令和」という元号が決まった時に話題になったように、万葉集は最も日本的であると同時に最も中国的な歌集でもある。そうした様々なレベルの接点や重なりの中に万葉集は存在するのだ。

短歌なら五・七・五・七・七となるので、五音か七音で訓もうと万葉学徒は工夫するのである。もう一つは、歌の表現の型があるので、なるべく型に合わせて訓んでゆけば、なんとなく訓めるのである。じつは、万葉学徒といえども、なんとなく訓んでいるのである。
こういう心の交流は、むしろ身分差を肯定した上に成り立っているものと考えなくてはならない。身分差を越える心の交流によって、逆に身分差を固定化する性質があるといえるだろう。
防人は筑紫に派遣されるので、筑紫で歌われたと考えられがちであるが、そうではない。歌が集められたのは、難波なので、難波以西の歌は存在しないのである。
方言が使用された素朴な歌を東国に求めるのは、都びとの側の方なのである。だから、それは、都びとが求める東国の歌々のイメージでしかない。

以前、上野誠の講演を聴いて話の面白さに驚いたことがあるのだが、この本もやはり面白い。文章の書き方にリズムがあり、緩急がある。

正岡子規の俳句、短歌の革新運動も、欧化に対して心のバランスを取るものであったといえよう。その子規がもっとも重んじたのが、『万葉集』なのであった。

近代に入って万葉集が国民歌集として再発見された経緯は、品田悦一『万葉集の発明』に詳しい。中国文化の強い影響力のもとにあった飛鳥・奈良時代と西洋文化の強い圧力にさらされた明治時代。こうした似たような環境のもとに、万葉集は生まれ、再評価されることになったのだ。

2020年9月25日、中公新書、880円。

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2021年04月29日

横山未来子歌集『とく来りませ』

yokoyama.jpg

2012年から2020年までの作品461首を収めた第6歌集。
修辞的な完成度が高く、印象的な歌が多い。

仄かなる明かりに浮かぶ絵を見をりここにはをらぬひとと並びて
窓硝子に部屋の灯りのうつりゐて子規の眼(まなこ)のありし秋の夜
ただひと度啼きたる蟬のそののちの震へぬからだ幹にあるらむ
室内の翳りを映す紙のうへに雪を見てゐし眼を戻したり
ひとのをらぬ部屋に入りて水仙のかをりのなせる嵩をくづしぬ
つややけき墨の面にふるる穂にたちまちにして墨は昇りぬ
かなしみを晒すごとくに灯のしたの林檎の皮に刃をくぐらせつ
あけゐたる窓ゆ夕蟬のこゑは入り子供にあらぬわれに夏来ぬ
身をゆすり網戸をのぼるかまきりをながく見てゐつ猫とわれとは
ひとつ、ふたつ咳聞こえたりしばらくを映写のまへの暗がりにゐつ
天井画を足場に乗りてゑがきたるミケランジェロの汗は垂りけむ
小石の影のうへに小石を置くやうにたしかめてをり今のこころを
唇にうすき硝子をはさみつつみづを飲みたり明けがたのみづを
枝先をふるはせめじろ去りしのち硬き一月の木にもどりたり
影となりあゆめる蟻を落としたり日傘の内を指で弾きて

1首目、誰かのことを思いながら、美術館でひとり絵を見ている。
2首目、子規庵を訪れて、かつてそこに存在した子規の目を思う。
3首目、もう鳴き声はしないが、蟬の存在を生々しく感じている。
4首目、窓の外の明るい雪をしばらく見て、また本を読み始める。
5首目、目に見えない香りを「嵩をくづし」と視覚化したのがいい。
6首目、毛筆の穂先に墨が染み込んでいく様子。官能的でもある。
7首目、「くぐらせ」という動詞の選びが抜群。皮の下を刃が通る。
8首目、「子供にあらぬ」と詠むことで、子供時代が甦ってくる。
9首目、結句に猫が出てくるのがいい。一対一ではなく三角関係。
10首目、館内が暗くなって映画が始まるまでの、緊張感と期待感。
11首目、「汗は垂りけむ」によって、絵を描く場面が再現される。
12首目、小石と影の関係が反転しているような不思議な感じだ。
13首目、「はさみつつ」が抜群。確かに唇で挟んでいると気づく。
14首目、鳥がいる時といない時で、木の印象が変わってくるのだ。
15首目、映像を見ているような美しさ。指の動きに優しさがある。

2021年4月3日、砂子屋書房、3000円。

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2021年04月28日

第32回文学フリマ東京

5月16日(日)に行われる第32回文学フリマ東京に出店します。
https://bunfree.net/event/tokyo32/

ブースは「ソ‐09」の「やさしい鮫」です。
https://c.bunfree.net/c/tokyo32/!/%E3%82%BD/9

現在出されている緊急事態宣言が延長になった場合は開催中止になるとのことですが、とりあえずお知らせしておきます。

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2021年04月27日

映画「ブックセラーズ」

監督・編集:D・W・ヤング

ニューヨークで書店や本に関わる仕事をする人々へのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリー。

書店主、ブックディーラー、作家、コレクターなど、本を愛する人が次々と登場する。数百年にわたる本の歴史、ネット通販の発達と書店の衰退、数々の稀覯本やオークションの様子、出版業界における女性差別の問題など、話題は多岐にわたり、テンポが速く密度の濃い内容となっている。

こういう映画が撮られることは心強い。その一方で、本をめぐる情勢がそれだけ厳しいということでもあるのだと思う。

京都シネマ、99分。

posted by 松村正直 at 21:19| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月26日

BOOTH の商品

BOOTHで下記の本の販売(割引価格)とフリーペーパーの配布をしています。
https://masanao-m.booth.pm/

・第2歌集『やさしい鮫』 1500円
・第4歌集『風のおとうと』 2000円
・第5歌集『紫のひと』 2000円
・評論集『短歌は記憶する』 1500円
・評論集『樺太を訪れた歌人たち』 2000円
・評伝『高安国世の手紙』 2000円
・アンソロジー『戦争の歌』 1200円
・同人誌「パンの耳」第1号〜第4号 各300円

・同人誌「パンの耳」第4号のチラシ 無料
・「五反田」7首 無料
・エッセイ「岡山時代のこと」 無料

第1歌集『駅へ』(新装版)は野兎舎の STORES で販売中です。
https://yatosha.stores.jp/items/600d346831862555b743dcdb

よろしくお願いします。

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2021年04月25日

雑詠(004)

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めぐりゆく池のほとりにみずいろの半券あわく乾いていたり
待ち合わせしているひとが来ないから魚道のわきにアオサギは立つ
風景に終わりはなくて春落葉はがれるように忘れるがいい
少しだけひらいた口を閉じようとせず土気色の多喜二のマスク
美術館となりたる拓銀小樽支店わかき多喜二の勤めしところ
ローソンはどこであったか流れくる微かなみずの匂いを探す
街路樹のわかばに時に目をやすめオティリー・カフカの死ぬまでを読む

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2021年04月24日

小川善照『香港デモ戦記』


2019年に逃亡犯条例の改正案をきっかけに香港で起きた大規模なデモに取材した一冊。2014年の雨傘運動の高揚や挫折を経て新たなうねりとなったデモの経緯を、現地での取材やインタビューを通じてまとめている。

帯には日本でも有名になった周庭(アグネス・チョウ)の写真が大きく載っているが、周庭に関する話は終章に追加的に載っている程度。雨傘運動と違ってリーダーのいない運動と言われた2019年のデモについて、様々な参加者の声を集めることが中心となっている。

ブルース・リーの言葉“Be water”(水になれ)は、今回の運動の象徴的な言葉として、すでにTシャツなどに書かれ、戦術的なスローガンともなっているのだ。

1997年の香港返還以来、一国二制度という建前のもと、香港が徐々に中国本土の影響下に置かれてきたことは間違いない。その大きな要因は、中国の飛躍的な経済発展にある。

経済に関しては、香港はすでに中国の一部になっているとも言われる。一九九七年の中国返還に際して、中国全体のGDPに占める香港の割合は二〇%以上にも上っていた。しかし、二〇一四年現在、それはわずか三%になっている。
香港経済が大陸への依存度を高めていくにつれ、香港の地価を上昇させ、結果、香港人の住宅事情を悪化させた。香港の若者は二〇代後半でも親と同居せざるを得ないという。

香港の民主化運動と一口に言っても、参加する人の立場は様々だ。「民主派」「自決派」「本土派」「帰英派」「独立派」など、それぞれの主張には違いがある。

筆者は基本的にデモや民主化運動に寄り添う立場だが、運動が民族主義的で排外的な要素も持つことや、エリート大学生のデモ隊が学歴の低い警察官に侮蔑的な言葉を発する様子など、負の側面もきちんと描いている。そのあたりが信用できるところだと思う。

2020年5月20日、集英社新書、860円。

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2021年04月23日

BUBBLE-B『全国飲食チェーン本店巡礼』


副題は「ルーツをめぐる旅」。

全国各地の飲食店チェーンの本店(1号店)をめぐる旅の記録。

登場するのは、吉野家(築地店)、フレッシュネスバーガー(富ヶ谷店)、CoCo壱番屋(西枇杷島店)、ベル(大通店)、サイゼリヤ(教育記念館)、和食さと(橿原北店)、はなまるうどん(木太店)、天下一品(総本店)、餃子の王将(四条大宮店)、牛角(三軒茶屋店)、元禄寿司(本店)など、全49店。

1号店には、創業当時の歴史を感じさせる雰囲気や立地、調度品が残っていることも多い。

何度も食べてきた料理なのに、1号店を五感で感じながら食べることで、全く違った味に感じられるような気がする。これが本店巡礼の醍醐味である。

よく行くチェーン店に関しても、知らない情報がたくさんあった。

モスバーガーのMOSとはMOUNTAIN(山)、OCEAN(海)、SUN(太陽)の頭文字であり、自然志向である。
(ミスター・ドーナツは)1955年にアメリカで生まれたドーナツチェーンで(略)現在はアメリカには店舗はない

へえ、そうだったのかという感じ。

他にも、天津飯が日本生まれの中華料理であることを、この本で初めて知った。ナポリタンがナポリにないことは知っていたが、天津飯、お前もそうだったのか!

2013年8月5日、大和書房、1300円。

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2021年04月22日

松浦漬

以前から一度食べてみたかった「松浦漬」の缶詰を買った。


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松浦漬は鯨の「かぶら骨」(上顎の骨の内部にある軟骨組織)を酒粕に漬けたもので、佐賀県呼子の名物になっている。


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原材料名を見ると、ちゃんと「鯨の蕪(カブラ)骨」とある。

蒼海(あをうみ)の鯨の蕪骨(ぶこつ)醸(か)み酒のしぼりの粕に浸(ひ)でし嘉(よ)しとす
           北原白秋『夢殿』(昭和14年)

北原白秋は大正14年夏の樺太旅行の際に、この松浦漬を製造販売する「松浦漬本舗」の創業者の息子と知り合いになり、昭和4年に呼子を訪れた。 

白秋の樺太旅行記『フレップ・トリップ』(昭和3年)を読むと、松浦漬について「鯨ん鑵詰ばこさえとる。全国に出しますもんな」「鯨ん骨ですたい。輪切がえらかもんな。そりゃ珍しか」といった会話が交わされている。


 P1080950.JPG

缶詰を開けると、こんな感じ。
酒粕に唐辛子がすこし混ざった中に「かぶら骨」が入っている。


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かぶら骨を取り出して水洗いすると、こんな感じ。
薄切りにされてクラゲみたいな食感。お酒のアテにいいのだろうな。

有限会社松浦漬本舗は明治25年の創業。
https://www.matsuurazuke.com/
一缶1296円(税込)とけっして安くはないが、120年以上続く伝統の味である。

posted by 松村正直 at 19:16| Comment(0) | 鯨・イルカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月21日

磯辺勝『文学に描かれた「橋」』


副題は「詩歌・小説・絵画を読む」。

橋が好きな著者が、橋の登場する文学や絵画について、ゆるやかな連想を紡ぎつつ記したエッセイ。ジャンルを横断した切り口が珍しい。

書店でパラパラと見ていたら、最初に「幣舞橋を見た人々」として啄木の名前が挙がっていたので買う。

取り上げられているのは、林芙美子、徳富蘆花、エドモン・ゴンクール、松尾芭蕉、藤牧義夫、ランボー、平岩弓枝、井原西鶴、ヘンリー・ジェイムズ、釈迢空、中原中也、川端龍子など。まさに縦横無尽といった感じ。

橋があって、そこになにかじわりとにじんでくるもの、もしかすると、その橋を見たり渡ったりした人々の、心の堆積のようなものなのかもしれない。そういうものが私を引きつけるのだ。
私は客観的に存在するモノとしての橋ではなく、人の心に映り、それぞれの人の心のなかで生き、意味をもつ橋があるのだということを理解するようになった。

実は私もけっこう橋が好き。
橋を詠んだ歌がたくさんある。

明け方の淡い眠りを行き来していくつの橋を渡っただろう
                 『駅へ』
反り深き橋のゆうぐれ風景は使い込まれて美しくなる
                 『やさしい鮫』
夏の午後を眺めておれば永遠にねじれの位置にある橋と川
                 『風のおとうと』

2019年9月13日、平凡社新書、880円。

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2021年04月20日

工藤玲音歌集『水中で口笛』


316首を収めた第1歌集。健康的で伸びやか。

缶詰はこわい 煮付けになろうともひたむきに群れつづけるイワシ
見開きのわたしで会いにゆくからね九月の風はめくれ上がって
無言でもいいよ、ずっと 東北に休符のような雪ふりつもる
平泳ぎで七夕飾り掻き分けて老婆になってもわたしだろうな
夜と死が似ている日には目を閉じてふたりで春の知恵の輪になる
しぼむように痩せこけてゆく祖母のこと風船と思い母には言わず
円グラフのその他のうすい灰色を見つめてしまう 燃えていたんだね
働けば働くほどにうれしくてレモンジュースにレモン汁足す
隣人の見ざる言わざる聞かざるのキーホルダーの言わざる剝げて
あかるいと言われるたびに胸にある八百屋に並ぶ枇杷六つ入り

1首目、死んだ後も一尾にはなれず、生前と同じように群れている。
2首目、「見開きのわたし」がいい。自分の心を全面的に開放して。
3首目、東日本大震災後の東北。ふるさとを含む東北への心寄せ。
4首目、仙台の七夕飾りか。華やぎの中に自らの老いを想像する。
5首目、「春の知恵の輪」がいい。恋人同士の二人きりの世界だ。
6首目、祖母の亡くなる前の歌。思ってもさすがに口には出せない。
7首目、「その他」に括られてしまうものへの思い。灰のイメージ。
8首目、働くことの喜びがレモンの爽やかさと合って真っ直ぐな歌。
9首目、結句の細かな具体が効いている。何となく気になる存在。
10首目、明るいだけの人などいないが明るさを大事に抱えている。

石川啄木と同じ岩手県の渋民出身の作者。
啄木や渋民に関する歌もたくさん載っていて楽しい。

2021年4月12日、左右社、1700円。

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2021年04月19日

映画「アンタッチャブル」

監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:ケビン・コスナー、ロバート・デ・ニーロ、ショーン・コネリー、アンディ・ガルシア、チャールズ・マーティン・スミスほか

過去の名画を上映する「午前十時の映画祭11」の一本。
1987年公開の映画。
ずいぶん前に見たことがあるけれど、映画館で見るのは初めてかも。

オープニングがかっこいい。
ショーン・コネリーは背が高い。
エスキモーキスが「イヌイットのおやすみ」に。
エレベーターの女は??

京都シネマ、119分。

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2021年04月18日

藤井青銅『「日本の伝統」の正体』


2017年に柏書房から刊行された本に加筆修正して文庫化したもの。

日本の伝統と思われている様々な行事・風習・生活様式が、実は比較的新しいものであることを、多くの実例を挙げて面白く示している。

取り上げられているのは「初詣」「神前結婚式」「肉じゃが」「土下座」「千枚漬」「橿原神宮」「ちゃっきり節」「津軽三味線」など。

この本の良いところは、単に雑学ネタを並べただけでなく、私たちのモノの見方や認識の方法についての考察を含んでいるところだろう。

現地で作ったものを現地の人が食べるだけなら、特別な名前はいらないのだ。うどんはうどん、そばはそば、ラーメンはラーメン……で十分だから。(讃岐うどん)
対する西洋だって、実は漠としているのだ。なんとなくヨーロッパと北アメリカを思い浮かべる人が多いだろう。ではアフリカは?あそこは西洋なのか?(東洋)

香川県のうどんは県外に出て行って初めて「讃岐うどん」になる。西洋文明と出会うことで初めて「東洋」という概念が生まれる。

外部との接触によって新たな伝統が誕生するわけだ。おそらく、明治期の「短歌」もその一つと言っていいのだろう。

2021年1月1日、新潮文庫、590円。

posted by 松村正直 at 20:40| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月17日

渡辺直己の歌

渡辺直己の臨場感あふれる戦争詠の中に、伝聞や映画をもとに詠まれた歌も含まれていることはよく知られている。

戦は竟に不可避と知りつつも夜襲に向ふ我が道くらし
               『渡辺直己歌集』

例えば、この歌もそうだ。初出は「アララギ」昭和12年11月号。

渡辺が中国へ向けて広島の宇品港を出港したのは11月23日のことなので、これはまだ出征前の歌ということになる。結句には斎藤茂吉の歌の影響が濃い。

ひた走るわが道暗ししんしんと怺(こら)へかねたるわが道くらし
ほのぼのとおのれ光りてながれたる蛍(ほたる)を殺すわが道くらし
                斎藤茂吉『赤光』

けれども、『渡辺直己歌集』(昭和15年)においては、この歌は出征後の歌として配列されている。「人々の恵みを享けて出でて行く我をぞ思ふ宇品埠頭に」などを含む「征途につく」8首の後に、「戦線に向ふ」という小題で載っているからだ。

『渡辺直己歌集』は渡辺の没後に編まれたものなので、その配列は編集者の手によるものである。編輯後記には

故人の戦歴を審にすることの出来ない吾々は、是等作品の排列に関しては相当に苦心を要したのであるが

と書かれている。「宇品埠頭」の歌は生前未発表で、昭和12年頃と推定される「手帖」から引かれたものだ。出征前に戦闘の歌はあってはおかしいという判断のもと、歌集ではこういう配列になっているのだろう。

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2021年04月16日

魚村晋太郎歌集『バックヤード』


現代歌人シリーズ32。
2008年から2018年までの作品275首を収めた第3歌集。

砂あびる雀みてをり砂あびるといふたのしみをつひぞ知らずに
ねむたさうにひとはみてゐるあかるくてなにもみえない四月の窓を
薄き硝子いちまいへだてふれるのはわたしの指だぬれた黄の葉に
もう雨に濡れることなき青梅は照らされてをり夜の西友に
咲きのこる野菊ひとむらこころからのぞまなかつたむくいのやうに
からだよりゆめはさびしい革靴と木靴よりそふやうにねむれば
てらてらとフランクフルトソーセージ鉄板のうへに切れ目はわらふ
天津飯れんげですくふ船にのりおくれたやうなはるの夜更けを
流木がかつてつくつてゐた木陰まで歩かねば 声がきこえる
ヘッドフォン耳につめたし篠懸(プラタナス)たちにきおくのもどる冬きて

1首目、気持ち良さそうに砂浴びする雀。ざらざらしないのかな。
2首目、四句目までのひらがな表記が、何も見えない感じと合う。
3首目、「いちまいへだてて」が美しさと危うさを際立たせている。
4首目、売場に並ぶ青梅は今も雨を恋しがっているのかもしれない。
5首目、本当に望んでいたかどうかは自分にしか判定できないこと。
6首目、寄り添って眠っていても、眠りの中ではそれぞれ一人だ。
7首目、焼かれていくうちに切れ目が広がって、口のように見える。
8首目、曲線のイメージのつながりと「天津」が港町であること。
9首目、かつて木が生えていた場所へと、木の声に導かれていく。
10首目、葉が落ち樹皮の剝がれた幹や実が見えると篠懸だと思う。

2021年3月24日、書肆侃侃房、2200円。

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2021年04月15日

映画「ラモとガベ」

監督・脚本:ソンタルジャ
出演:ソナム・ニマ、デキ、スィチョクジャほか

「映画で見る現代チベット」上演作品。
結婚しようとするラモとガベが思いがけない困難に巻き込まれていくストーリー。

子どもが道を教えたり、人を呼んできたり、伝言や物を運んだりする場面が何度も出てくるのが印象に残った。ちょっとしたお手伝いというか、お使いという感じ。

出町座、110分。

posted by 松村正直 at 09:42| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月14日

今野真二『漢字とひらがなとカタカナ』


副題は「日本語表記の歴史」。

現代日本語の標準的な書き方がどのような歴史的な経緯をたどって生まれたのかを、時代を追って考察した本。

仏像の銘文、木簡、万葉集、源氏物語、平家物語、人情本、辞書、教科書など、多くの実例を挙げながら様々な可能性を検討していく。

特に、「漢字片仮名交じり」と「漢字平仮名交じり」では、成り立ちや基本的な考え方に大きな違いがあるという点が印象に残った。

片仮名は漢字とともに使用される。その場合、漢字はほぼ楷書体であるので、片仮名も連綿はしない。連綿する平仮名とともに使われる漢字は、そのような平仮名と親和するために、行書体あるいは草書体のかたちで、平仮名とともに使用される。
漢文を背景にしている「漢字片仮名交じり」では漢字のみで書くことを起点とし、漢字で書けない言語要素を必要最小限示すことを基調としていると思われる。一方、和文を背景にしている「漢字平仮名交じり」は、ほとんど仮名で書くことを起点とし、そこに漢字を交えていったと思われ(略)

和歌・短歌に関わる記述もいくつかある。

和歌を書くということが平仮名の発生を促したというと、言い過ぎであろうが、和歌と平仮名とはつよく結びついていた、とみることは自然であろう。
俗語雅語対訳辞書『詞葉新雅』である。富士谷御杖の著作で、凡例にあたる「おほむね」には、歌作にあたって、この本が出版された江戸時代の「話しことば」=「里言」から「古言」=歌作にふさわしい過去のことばを探し出すことができるように編集されていることが述べられている。

それにしても、近年、著者の日本語関連の本は毎年のように出版されている。ものすごい仕事量だ。あとがきに「必要があって、現代の短歌を集中的に読んだ」とあるので調べたところ、昨年『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』という本を出したらしい。

第一章 斎藤茂吉の短歌をよむ
斎藤茂吉の『赤光』をよむ/連作の意図/情報の組み合わせ/虚構的【ことがら】情報/具体から抽象へ―写生から象徴へ/岡井隆と吉本隆明のよみ/茂吉の「難解歌」/茂吉の自己劇化

第二章 茂吉と二人の歌人
書きことばと読み手/恂{邦雄と岡井隆/塚本邦雄のよみ/芥川龍之介のよみ/よみの違いはなぜ生まれるか/「私詩」と〈事実〉/岡井隆のよみ

目次を見ると第二部はこんな感じになっていて、またちょっと興味をそそられてしまう。

2017年10月13日、平凡社新書、840円。

posted by 松村正直 at 18:33| Comment(0) | ことば・日本語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月13日

野兎舎のYouTube

3月27日に開催した『駅へ』復刊記念のトークイベントの録画が、版元の野兎舎のYouTubeチャンネルで公開されています。約1時間の内容です。
https://www.youtube.com/watch?v=E8QcAIAp6bU

また、昨年8月12日に行った「アンソロジー『戦争の歌』を読む」の録画も同じく公開されています。こちらは約2時間となっています。
https://www.youtube.com/watch?v=jN3CYty61oc

どうぞご覧ください。

posted by 松村正直 at 07:24| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月12日

初びわ!


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今年初めての枇杷!
大きくて惚れ惚れしてしまう。

4月にびわを食べるのは人生で初めてかもしれない。
これはハウスもの。

ハウス栽培は、2月〜5月中旬、露地栽培は5月中旬から6月上旬が出荷時期です。

と説明に書いてある。
露地ものの時期は一か月もないんだな。
毎年短いとは思っていたけれど。

posted by 松村正直 at 06:54| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月11日

堀内みさ(文)・堀内昭彦(写真)『カムイの世界』


副題は「語り継がれるアイヌの心」。

多くの美しい写真とともにアイヌの文化や伝統を解説した本。「カムイ(神)」「カムイノミ(祈り)」「コタン(集落)」「シンヌラッパ(先祖供養)」「アシㇼチェㇷ゚ノミ(サケ迎え)」「チㇷ゚サンケ(舟下ろし)」「ユカㇻ(叙事詩)」「チャランケ(談判)」「ケウタンケ(無念の声)」「アイヌ(人間)」の章に分かれている。

アシㇼチェㇷ゚ノミは豊漁を祈る儀式かと確認した著者に、副祭主はこう答える。

「いいかい。アイヌは豊漁や大漁を願わない民族だ。サケが上がってくれてありがとう。それだけだ」

これは今風に言えば、持続可能な生活を目指していたということなのだろう。

2020年3月25日、新潮社とんぼの本、2000円。

posted by 松村正直 at 08:40| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月10日

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯(その2)


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ホフマン窯の中は暗い。

右側の出入口から光が差し込んでいるが、ここも焼成中は煉瓦で密閉される。


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窯の上部や斜め上には多くの穴が開いている。
これは燃料となる粉炭を入れるための「投炭口」。

下部の穴は煙道で、中央の煙突につながっている。
ダンパーによって煙道を開閉し、空気の流れをコントロールする。


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煙道の開口部を覗くとこんな感じ。
ここから煙が排出されて中央の煙突を通って外へ出る仕組み。


P1080931.JPG

窯は内側も外側もかなり劣化が進んでいる。

現在は登録有形文化財になっているだけだが、今後さらなる保存・活用が進めば良いと思う。

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2021年04月09日

旧中川煉瓦製造所ホフマン窯(その1)

近江八幡にあるホフマン窯を見学に行く。

煉瓦製造所は現在「赤煉瓦の郷」という名前の老人施設になっていて、その敷地内に窯が残されている。


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まず目につくのは高さ33メートルの巨大な煙突。

かつては煉瓦造の窯を覆うようにして木造の建屋があったそうだが、現在では失われている。


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窯の大きさは長辺55メートル、短辺14メートルの楕円状。

明治末から大正にかけて築かれたものらしい。
今回は特別に中に入らせていただいた。


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内部はドーナツ型のトンネルになっている。

トンネル部分が十数室の区画に分けられていて、煉瓦の搬入・乾燥・焼成・冷却・搬出という順にぐるぐると繰り返される構造。一度窯に火が入ると、あとは24時間365日、休むことなくこの作業が続く。

このホフマン窯の登場によって、煉瓦の大量生産が可能になった。

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2021年04月08日

さらに軍用鳩の話

大正14年刊行の『陸軍歩兵学校案内』(国会図書館デジタルコレクション所蔵)にも、軍用鳩の話が3ページにわたって載っている。

第一次世界大戦(とは言わず「欧州戦」と書いている)において軍用鳩が用いられた話から始まって、次のような説明が続く。

鳩通信は電信電話の如く、敵火の為に破壊せられたり、敵に窃(ぬす)み取られる事が少なく、毒瓦斯に対しても強く、砲煙弾雨の中を勇敢に飛翔して、他の通信機関の使用されない場合に使用して、通信の目的を達成する事が出来るから、重宝なのであります。
当校に飼育して居ります鳩は、一分間に千米位の速度で、八十里以内の通信に堪へますが、夜間は二十五里以内、往復通信で十五里以内に使用する事が出来ます。
国内伝書鳩の総数は僅かに五万羽に満たぬ有様で、これを欧米列国の数百万乃至一千万羽なるに比較して遥かに遜色あるのは、誠に遺憾千万であります。

「五万羽」でも十分多いように思うのだが、欧米では「数百万」〜「一千万羽」も存在していたと知って驚いた。伝書鳩、すごいな。

移動鳩車通信では、新たな位置に到着して後一日で(鳩を飛翔さして地形鳩車の位置等を覚へさす)一里位の範囲の通信が出来、後時日を経るに従つて、十五里以内の通信を行ふ事が出来ますが、一般に雨雪天の時は通信距離が減少致します。

なるほど、「鳩車」というのは単に鳩を運搬するためのものではないのか。基地の鳩舎で行うのが言わば「固定電話」であるのに対して、鳩車は戦場で「携帯電話」的な役割を果たすものだったわけだ。

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2021年04月07日

三浦しをん『ぐるぐる博物館』


2017年に実業之日本社より刊行された単行本の文庫化。

全国10館(+α)の博物館を訪れて博物館の魅力について記したルポエッセイ。軽快な文章で楽しく読み進められる。

登場するのは、茅野市尖石縄文考古館(長野県茅野市)、国立科学博物館(東京都台東区)、龍谷ミュージアム(京都市)、奇石博物館(静岡県富士宮市)、大牟田市石炭産業科学館(福岡県大牟田市)、雲仙岳災害記念館(長崎県島原市)、石ノ森萬画館(宮城県石巻市)、風俗資料館(東京都新宿区)、めがねミュージアム(福井県鯖江市)、ボタンの博物館(東京都中央区)。

「島嶼効果」とは、外敵が少ない島において、ゾウやシカなどの大型動物はミニサイズになり、ネズミやトカゲなどの小型動物は巨大化する、という現象なのだそうだ。
坑内で石炭の運びだしに馬を使っていた時代には、馬もケージに乗って竪坑を降りたのだそうだ。
鯖江は第二次世界大戦後、軍の跡地が工業用地に転用されたので、県内でも特にめがねづくりが盛んになって、いまに至る。

どれも個性的な博物館(と学芸員さん)ばかりで、知らない話が次々と出てくる。実際に行ってみたくなる所ばかり。

人間の好奇心と、最新の研究成果と、知恵や知識と、あとなんか常軌を逸した(失敬)蒐集癖や執着や愛。そういった諸々の分厚い蓄積を、楽しく我々に示してくれるのが博物館なのだ。

なるほど。博物館と言うと「モノ」のイメージが強いけれど、結局は「人」なんだな。

2020年10月15日、実業之日本社文庫、680円。

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2021年04月06日

軍用鳩の歌

軍人歌人として知られる菊池剣の歌集『道芝』(昭和3年)に、軍用鳩の歌がたくさん載っていた。菊池は一時期、軍隊で伝書鳩の研究や鳩通信班の任務に就いていたらしい。

大正9年に行われた陸軍大演習に参加した時の歌「鳩車長となりて」という一連5首を見てみよう。

  福岡、大分両県に於て挙行せられし陸軍大演習に
  北軍鳩車長として参加す
  放鳩演習
昼すぎてしきりに睡(ねむ)き眼の前の地(つち)に影おとし鳩かへり来ぬ
いちはやくわが手のうちの餌を覓(と)めて舞ひ下る鳩はいつもこの鳩
  鳩車往来
ことごとく稲は刈られて鳩車みちけさは田の面(も)を斜によぎる
暁(あけ)の田にこる靄ふかみ遠つ嶺ろ低きはかくれ高きはうかぶ
  立石南軍鳩車見学
山峡(やまかひ)は日あたる遅しこのあさけ鳩舎(とや)ぬちの鳩みなふくれ居り

南北両軍に分かれての大規模な演習で、皇太子(後の昭和天皇)の観兵式も行われた。「鳩車」は鳩を運搬するための箱型の荷車のようなもののこと。

この演習については『大正九年度 皇太子殿下行啓陸軍特別大演習記念写真帳』(国会図書館デジタルコレクション所蔵)に、詳しい写真や説明がある。


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おお、「軍用鳩」の写真も載っているではないですか!

北軍所属の軍用鳩班は八屋、南軍所属の同班は立石町を各根拠地として何れも演習の推移に伴ひ種々の方面に活躍 相当の効績を収めた 写真(右)は班員に懐かしむ可愛らしき鳩の群 (下)は将に使命を帯びて鳩舎より放たれたる鳩群

う〜ん、ますます興味深くなってきた。

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2021年04月05日

阿古智子『香港 あなたはどこへ向かうのか』


以前、アップリンク京都で映画「香港画」を観た時にフロントで購入した本。
https://matsutanka.seesaa.net/article/480223069.html

その前に「私たちの青春、台湾」という映画も観ていて、このところ香港や台湾の情勢に関心が深まりつつある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/479846925.html

この本は、香港大学への留学経験を持つ著者が2019年12月に香港を訪れて、かつて同じ寮で暮らしていた友人たちにインタビューするところから始まる。

その後、2020年1月に総統選が行われる台湾へ。香港・台湾の取材を通じて著者は、デモや暴力のあり方、メディアや教育の役割、対立や分断を深める社会の中でどのように対話や自由を守っていくことができるか、といった問題を考察していく。

情報化は私たちの暮らしを便利にし、コミュニケーションを促進してくれたが、同時に、あらゆる場面に「敵」の存在がちらつくようになった。実際には、「敵」の輪郭をくっきりと描くことなどできないにもかかわらず。
香港には、日本による占領、イギリスによる植民地支配、そして経済大国化した中国、という外部の力が常に働いてきた。日本は「無色の他者」や「民族の敵役」として、香港人の意識に現れたり、消えたりしている。
監獄には自由がない。しかし、監獄の外も決して無条件に自由が保障されているわけではない。自由とは、自らがどうありたいのかを、他者との関係を調整しながら模索し、決断していくプロセスだ。

現在の香港の情勢を考えるには、2014年の香港の雨傘運動や台湾のひまわり運動、さらには1989年の中国の天安門事件までも視野に入れる必要がある。それは同じ東アジアの一員である日本にとっても、決して他人ごとではない話なのだ。

2020年9月30日、出版舎ジグ、1500円。

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2021年04月04日

白龍園

今日は鞍馬の手前の二ノ瀬にある「白龍園」へ。
http://hakuryuen.com/


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水仙、シャガ、桜、ミツバツツジ、山吹、木瓜、
シャクナゲなどが一斉に咲いていた。


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谷向かいの山なみも巧みに借景として取り込んでいる。


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苔も手入れが行き届いていて美しい。
点々と桜の花びらが散っている。


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1963年の開山以来、オーナーの方たちが三代にわたって
整備してきた庭園を、じっくりと満喫させていただいた。

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2021年04月03日

大塚英志『文学国語入門』


2022年実施予定の高校の学習指導要領については様々な批判が出ているが、本書はそこに書かれた文章をもとに、

他者と生きる術を学ぶのが「文学国語」なら、それは「近代文学」の出番ではないか

という命題を立て、近代文学の成り立ちについて論じたものである。

第1章「「私」を疑う」から始まって、「他者」「物語」「世界」「作者」「読者」と、文学に関する要素が章ごとに一つずつ批判的に検討されていく。

この国は「キャラ」としての「私」というフィクションを「一人称言文一致体の文学」として明治期に誕生させ、しかしそこで書かれた「私」は本当の「私」だと多くの「作者」が言い、「読者」も長い間、そう信じ込んできました。そして、その約束ごとが現実生活では瓦解しながら、いざ、「文学」のこととなると、未だ、それは生きているわけです。

短歌の世界では、10年おきくらいに「私性」の問題が話題となり、同じような議論が延々と繰り返されている。けれども、それは短歌というジャンルの中だけで考えたり議論していても仕方がなく、もっと広く文学全般や物語論といった枠組みで考えなければ話が進まないのだろう。

SNSで語られることを担保するのはそれが「私」が語っているからでしかないのに、しばしば人は新聞記事や学術論文よりもSNSの「私」の言うことの方に信憑性を見出すわけです。

このように「私」をめぐる問題は、文学の中だけにとどまらず、SNSの時代の社会問題としても根強く残っているのであった。

また、明治になって東京に人々が集まるようになった際に必要となったツールとして、著者が「言文一致体」「告白」「観察」という3つの手法を挙げている点も印象に残った。

このうち「告白」と「観察」の2つは、まさに近代短歌の方法論とも重なる部分である。

他にも示唆に富む指摘が盛りだくさんで、知的好奇心を大いに刺激される一冊であった。

2020年10月23日、星海社新書、1050円。

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2021年04月02日

野兎舎のYouTube

3月27日に開催した『駅へ』復刊記念のトークイベントの録画が、野兎舎のYouTubeチャンネルで公開されています。当日参加できなかった方もどうぞご覧ください。約1時間の内容です。
https://www.youtube.com/watch?v=E8QcAIAp6bU

また、昨年8月12日に行った「アンソロジー『戦争の歌』を読む」の録画も、同じく公開されています。こちらは約2時間となっています。
https://www.youtube.com/watch?v=jN3CYty61oc

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2021年04月01日

固有の領土?

教科書検定に関して、こんなニュースが流れている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/

公共と地理総合の新しい学習指導要領は、北方領土と竹島、尖閣諸島について「わが国固有の領土」と記述するよう明記した。

領土問題については様々な考え方があると思う。でも、「わが国固有の領土」なんて言い方は、世界ではまったく通用しないだろう。国境線が時代とともに常に変化してきたことは歴史が示す通り。そもそも領土や国境は人為的なものでしかない。

「固有の領土」という概念は典型的な島国根性の表れでしかなく、日本国内にしか通用しないものだ。ロシアや中国に通じないだけならまだしも、欧米諸国やその他の国々も含めてどこも認めないと思う。

今どき教科書にこんな記述を載せていることに、がっかりしてしまう。それとも、北方四島の地面を掘ったら「日本領土」と書いてあるとでも思っているのだろうか?

posted by 松村正直 at 08:17| Comment(2) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする