2020年10月01日

近藤芳美と「高安国世の死」

1982年から84年の作品を収めた近藤芳美の第14歌集『祈念に』に、こんな一連がある。

  夏のくるめき
杖つきて今日の死を知る街の歩みひかり照り返す夏のくるめきに
声呑みて知りたる死あり吾は行かず暑き葬りの街に過ぐるころ
死は思わねば衰えて山荘に行きにけむひとりの終り君もひそけく
この詩型ついに「詩」とする生涯を少年にして君と分けにしを
寂寥を語るなかりし晩年に逢いに来よというつたえ或るとき

「君」としか書かれていないが、高安国世の死を詠んだものである。高安は1984年7月30日に70歳で亡くなった。近藤と高安は同じ1913(大正2)年生まれ。3首目の「山荘」は長野にあった高安の山荘のことだ。

この一連を読むと、近藤は高安の葬儀には行かなかったらしい。その理由の一つとして近藤の母のことがあったのだろう。この一連の直後に母の死を詠んだ作品が並んでいる。年譜によれば近藤の母の死は、この年の8月であった。

近藤が高安の墓を訪れたのは1984年の年末のことであった。同じく『祈念に』にその時の作品が載っている。

  冬の墓
和子さん寂しき人となりて連るるしぐれの雲の切れて日の寒く
冬雲の切れてひかりの耀うをつねに来る墓の道に君迷う
悲しみの過ぎてしずけき君の歩み先立ちたまう冬の墓原
墓のことばかりを告ぐる佇みに落葉乏しく朝を降りし雨
細く彫る文字新しき墓のめぐり花に埋めてゆく白き薔薇など
白き薔薇白き百合もて墓を埋めむ枯れはつるもの音にかすかに
ドゥイノの城ともに覓(と)めゆける終りの旅いいて回想のつぎほもあらず

1首目の「和子さん」は高安の妻。7首目は1983年に高安がイタリアなどを旅行して、リルケゆかりのドゥイノを訪れたことを指している。墓参りに「白き薔薇白き百合」を供えるのが珍しく、近藤らしさの表れかもしれない。

『高安国世全歌集』の栞に、近藤はこの日のことを記している。

昨年の暮、京都に久々の旅をし、高安君の新しい墓を訪れた。そうして、そのあと、しばらく加茂川の堤に添って歩いた。暗く雪雲が垂れていた。歩みながら、わたしの京都への追憶がすべて高安君との長い交友と共にあるのを思った。たちまちに過ぎてしまったものを追う寂しさを、生き残ったものとして知らなければならぬ。

美しい文章だと思う。

高安の墓がある来光寺は、北大路通より北側にある。京都の「鴨川」は、一般的に高野川との合流地点より北では「賀茂川」または「加茂川」と表記する。ここでもおそらくその意味で使われている。

posted by 松村正直 at 08:52| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする