2020年10月31日

映画「海辺の映画館」

監督:大林宣彦
製作総指揮:奥山和由
出演:厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦、吉田玲、成海璃子、山崎紘菜、常盤貴子ほか

今年4月に亡くなった大林宣彦監督の遺作。

「キネマの玉手箱」という副題の方が、内容をよく表していると思う。様々な映像表現や時代が詰め込まれていて、テンポも速く盛りだくさん。その上で、戦争反対のメッセージを観客にストレートに伝えている。

京都シネマ、179分。

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2020年10月30日

井上恭介、NHK「里海」取材班『里海資本論』


副題は「日本社会は「共生の原理」で動く」。

「里海」とは「人手が加わることにより生物多様性と生産性が高くなった沿岸海域」のこと。瀬戸内海沿岸各地で行われている里海を生かした活動を取材した一冊。『里山資本主義』の概念をさらに拡大して、今後のさらなる可能性を探っている。

岡山・笠岡のカブトガニ博物館に行くと、すぐに実感できる。一〇年ほど前までは「建物の中」が博物館だった。今はその前の「干潟が博物館」だ。

岡山に住んでいた1993年に、このカブトガニ博物館を訪れたことがある。その時の説明では、もう自然の繁殖地は減って絶滅状態とのことだった。それが今では劇的に改善しているらしい。

そう言えば、数日前に「瀬戸内海きれい過ぎ」問題がニュースになっていた。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6374643

ダントツに過疎がすすむ島。それを、どうとらえるか。「二〇世紀の常識」に頭を支配された人は、見るとがっかりするのだろう。「二一世紀の新たな常識」として里山・里海の見方や発想を獲得した人はどうか。この島にこそ時代を切り拓く最先端がある、と考える。

右肩上がりだった時代の発想や考え方が、今もなお社会や政治の場面で中心となっている。それを、いかに転換していくか。

江戸時代、現在の都道府県で区分してみて最も人口が多かったのは、東京でも愛知でも大阪でもなく新潟県だった。

新潟と言われると驚くが、東京一極集中の歴史も実はそれほど古いものではないのである。

2015年7月10日、角川新書、800円。

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2020年10月29日

会田誠『げいさい』

著者 : 会田誠
文藝春秋
発売日 : 2020-08-06

美術家である作者の自伝的(?)小説。
久しぶりにすごいのを読んじゃったなあという感じ。

浪人時代に訪れた美術大学の学園祭、通称「芸祭(げいさい)」の一夜の出来事を描いている。そこに回想として、美術予備校の授業や美大受験をめぐる悩み、友人・恋人との関わりなどが挟み込まれていく。

ところどころ、書き手である作者自身の言葉も挿入される。

ここからしばらく『ねこや』の大きなテーブルで人々がお喋りする記述が続くのだが、ここであらかじめ断っておきたいことがある。僕は話をちょっと作ってしまうだろう――ということだ。
しかし詳述は勘弁願いたい。ただ、今でも言葉で再現することが耐えがたい恥辱であるような、恐るべき不手際の連続だったことだけを書くに留めておきたい。

舞台が1985年と、私が大学時代を過ごした時代と近いこともあって、懐かしさや共感を覚えつつ読んだ。

全体としては帯文にもある通りの「青春群像劇」なのだが、随所に本物の絵とは何か、絵心とは何か、芸術の本質とは何か、といった問題が出てくる。それは美術家として活躍する作者の原点ともいうべきものなのだろう。

2020年8月10日、文藝春秋、1800円。


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2020年10月28日

森岡皐中将

藤森神社の国旗掲揚柱についてネットで調べていて、近くの京都医療センターにも戦争関連の記念碑があることを知った。神社から歩いて約10分の距離。

私の住む京都府伏見区深草地域は、かつて陸軍の第16師団が置かれていたところなので、戦争に関わるものがたくさん残っている。

京都医療センターは旧国立京都病院。その前は京都陸軍病院だったところである。正門から入って一番奥まったところ、敷地の南東の隅に記念碑は立っていた。


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「京都陸軍病院跡」の碑。
これは昭和59年に建てられた比較的新しいもの。


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行啓記念碑。
昭和16(1941)年5月18日に皇后が京都陸軍病院を慰問されたことを記念したもので、こちらは古い。


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近寄ってみると左側に「京都師団長森岡皐謹書」とある。
当時、第16師団長を務めていた森岡皐(すすむ)中将の揮毫だ。


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森岡皐。
歌人森岡貞香の父である。

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2020年10月27日

国旗掲揚柱

藤森神社の古い石碑に刻まれた「大東亜戦争◎◎」の「◎◎」は「記念」であり、この石碑は国旗掲揚柱であることを教えていただいた。


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再度、神社に行ってアップで写真を撮ってきた。今日は晴れていたので前回よりはっきり見える。確かに「記念」で間違いない。


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石碑の全体はこんな感じ。
碑の後ろ側に高さ数メートルの木の柱が留められている。これに国旗が掲げられていたのだろうか。


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裏側から見るとこうなっている。
石碑と柱はボルトで上下二か所を留める構造になっている。


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碑の左側面。
何か町名らしきものが刻まれているようだが判読不能。


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碑の右側面。
こちらもかなり薄れているが、「昭和十六年十二月」だと思う。


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2020年10月26日

映画「スパイの妻」

監督:黒沢清
脚本:濱口竜介、野原位、黒沢清
出演:蒼井優、高橋一生、坂東龍汰、東出昌大、笹野高史ほか

第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞。

もともとテレビドラマとして製作されたようで、映画というよりはテレビドラマっぽさを感じる作品であった。

1940年の神戸が舞台。戦争へ向かう時代という背景はもちろんあるのだが、内容的には愛をめぐる話と言っていいと思う。守ったのか、騙したのか。そう言えば、主演の二人は映画「ロマンスドール」にも一緒に出ていたな。

MOVIX京都、115分。

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2020年10月25日

藤森神社の石碑

近所にある藤森神社を散策。


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手水舎の裏側の目立たないところに立っている忠魂碑。
観光客も来る境内にあってエアポケットのようになっている。


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近づいてみると、けっこうな大きさだ。
揮毫は大阪の第4師団の師団長を務めていた塚本勝嘉中将。


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裏面を見ると、建立されたのは1906年6月とわかる。
日露戦争が終った翌年である。


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境内北側の通用門近くにある「京都歩兵聯隊跡」の碑。
第9聯隊(京都)と第38聯隊(伏見)の業績を伝える内容で、1968年の建立。


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歩兵聯隊跡碑の近くに、古い小さな石碑を見つけた。
「大東亜戦争」までは読めるが、その後の2文字(?)が薄れて読めない。何て書いてあるのだろう?



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2020年10月24日

遠藤ケイ『蓼食う人々』

著者 : 遠藤ケイ
山と渓谷社
発売日 : 2020-05-07

長年、日本各地を旅して人々の生活や民俗を取材してきた著者が、珍しい食べ物について記した本。

取り上げられているのは、野兎、鴉、トウゴロウ(カミキリムシの幼虫)、岩茸、野鴨、鮎、鰍、山椒魚、スギゴケ、スガレ(クロスズメバチ)、ザザ虫(カワゲラやトビケラの幼虫)、イナゴ、槌鯨、クマ、海蛇(エラブウミヘビ)、海馬(トド)。

と言っても、単なるゲテモノ食いの話ではなく、食文化に関する考察に裏打ちされたルポルタージュである。

かつて過酷な山間僻地に住んだ人たちも、山の植物を食い、獣を食い、爬虫類を食い、昆虫を食った。それは単に、食糧が乏しかっただけではなく、山の生物の中に神秘的な精力が宿っていることを、経験的に知っていたからだ。
命あるものを慈しむ心と、その命を奪って食べようとする二律背反する心理が同居している。小さな無辜の命に対する憐れみと、殺傷に高揚する野蛮な狩猟本能がない混ぜになっている。それが人間である。
漁は、魚と人間の間に介在する道具が少ないほど面白い。手摑みが釣りになり、筌や簗、投網や刺し網などの道具になっていくと、徐々に魚と人間の距離が遠くなっていく。直にやりとりする醍醐味が薄れてくる。
昔の人は、心臓が悪いと獣の心臓を食べ、肝臓の持病があると肝臓を食べた。眼病には獣や昆虫の目玉を飲み、足が悪いと跳躍力の強い動物の部位を食べて、その力を体内に取り込もうとした。

人間と他の動物との関わりや、食べることの本質といったものが、よく伝わってきて味わい深い。

2020年5月20日、山と渓谷社、1500円。

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2020年10月23日

川野芽生歌集『Lilith』

著者 : 川野芽生
書肆侃侃房
発売日 : 2020-09-26

2018年に歌壇賞を受賞した作者の第1歌集。

「文学としての短歌」を存分に味わうことのできる一冊。西洋文学のモチーフを随所に取り入れながら、高い修辞力と文語定型の力によって、一首一首完成度の高い歌を生み出している。

はつなつの森をゆくときたれもみなみどりの彩色玻璃窗(ステンド・グラス)の片(ピース)
みづからの竜頭(りゆうづ)みつからず 透きとほる爪にてつねりつづくる手頸
幾重もの瞼を順にひらきゆき薔薇が一個の眼となることを
うつくしいパルフェをくづし混沌の海よりひとが取りだすミント
氷嚢のとけてしまへる昼の家影たちはかはるがはる訪ふ
傘の骨は雪に触れたることなくて人身事故を言ふアナウンス
ねむる――とはねむりに随きてゆく水尾(みを)となること 今し水門を越ゆ
摘まるるものと花はもとよりあきらめて中空にたましひを置きしか
愛は火のやうに降りつつ 〈Amen.(まことに)〉を言へないままに終はる礼拝
スーツケースにをさまるほどのからだしかなくて曳きをりスーツケースを

1首目、木洩れ日を浴びて誰もが緑の光のまだら模様になっている。
2首目、「みづから」と「みつから」など音の響き合いが印象的。
3首目、八重咲きの薔薇の花びらが少しずつ開いて眼が完成する。
4首目、パフェのミントを取り除く場面。パルフェは仏語で完璧。
5首目、熱を出して寝ていた子どもの頃の回想か。「氷嚢」がいい。
6首目、上句の「骨」が下句の死のイメージへとつながっていく。
7首目、眠りに落ちてゆく時の感覚を船の航跡に喩えていて美しい。
8首目、いや、そうではない、という反語だろう。魂は奪われない。
9首目、礼拝に参加しながらも神を信じ身を委ねることができない。
10首目、大きなスーツケースを曳きつつ、身体の不自由さを思う。

幻想文学的な味わいもありつつ、現代の社会や制度に対して強く抗う力も持っている。栞(水原紫苑、石川美南、佐藤弓生)の文章もそれぞれに良い。

2020年9月24日、書肆侃侃房、2000円。


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2020年10月22日

24冊

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『近藤芳美集』(全10巻、岩波書店、2000〜01年)は近藤の歌集と代表的な散文を収めていて、便利なシリーズである。こうした形でまとまっているのは本当にありがたい。

ただ、このシリーズは近藤の生前に刊行されているために、歌集は22冊目までしか収録されていない。

第1巻 『早春歌』『吾ら兵なりし日に』『埃吹く街』『静かなる意志』『歴史』『冬の銀河』
第2巻 『喚声』『異邦者』『黒豹』
第3巻 『遠く夏めぐりて』『アカンサス月光』『樹々のしぐれ』『聖夜の列』
第4巻 『祈念に』『磔刑』『営為』『風のとよみ』
第5巻 『希求』『甲斐路百首』『メタセコイアの庭』『未明』『命運』

そのため、近藤の歌集を全部読もうと思ったら、第23歌集『岐路』(砂子屋書房、2004年)と第24歌集『岐路以後』(砂子屋書房、2007年)は別途買う必要がある。

まあ、それがまたいいのかもしれないな。


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2020年10月21日

近藤芳美『無名者の歌』


1974年に新塔社から刊行された単行本の文庫化。

1955(昭和30)年から1973(昭和48)年までに「朝日歌壇」の近藤芳美選に入選した作品から数百首を引いて、戦後の歴史を振り返った一冊。

「療養所の歌」「炭鉱の歌」「農の歌」「愛情の歌」「教師の歌」「学園紛争の日々の歌」「戦争の死者らの追憶の歌」といったテーマに分けて、鑑賞・説明文が記されている。

雨の陣地に田植を語り五分後に爆死せり君は泥に埋もれて
                   吉田文二
むらさきに新芽吹きたる槻の木に揺籠を吊り夫と炭出す
                   池田朝美
ひろげたる行商の魚遠山の雪を映していたく青めり
                   武山英子
綴じ合いて白根の光るをほぐしつつ蒔く種籾の風に片寄る
                   小室英子

こうした歌の持つ力は、今も少しも色褪せていないと思う。

てるみちゃんくにしげ君も流されて根場保育所に香あぐる湖端
                   中村今代
昭和四十一年の秋、一夜の激しい台風の雨に、富士五湖の一つである西湖の岸辺の村が山津波の土砂に埋れ、村人の命を失ったことがある。根場という村落の名である。

「根場」という集落の名を読んで、あっと思う。
以前、この地を訪れて砂防資料館を見学したことがある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/452571279.html

資料館では土砂に埋れた集落の無惨な写真や映像を見たのだが、てるみちゃんも、くにしげ君も、その犠牲者であったのだ。

1993年5月17日、岩波同時代ライブラリー、1050円。

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2020年10月20日

近藤芳美『歌い来しかた』


副題は「わが戦後短歌史」。

近藤が自らの6冊の歌集(『早春歌』『埃吹く街』『静かなる意志』『歴史』『冬の銀河』『喚声』)から歌を引きつつ、戦後の社会や生活を振り返った本。必要があって久しぶりに再読した。時代は1944年から1960年まで。

既に60年以上が経っている歌ばかりなので、社会的な背景や歌の元になった事件などがわかるとずいぶん理解が深まる。その意味で、近藤の初期の歌を読む際の参考になる一冊である。

わが家にある本は1986年の初版であるが、現在も版を重ねていて新刊で入手可能だ。定価は780円になっているけれど。

1986年8月20日、岩波新書、480円。

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2020年10月18日

小池光『うたの動物記』の文庫化

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小池光さんの『うたの動物記』が文庫になった。
これは嬉しい。

単行本は2011年に日本経済新聞出版社から刊行され、第60回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。「馬」「秋刀魚」「キリン」「コオロギ」「とんぼ」「カバ」など、様々な動物についての詩歌を引きつつ記した全105篇のエッセイ集。私は今「NHK短歌」で干支のうたの連載をしているのだが、その時もいつも参考にしている。

今回、その名著が朝日文庫に入った。
おススメです。

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2020年10月16日

青年団プロデュース公演「馬留徳三郎の一日」

作:高山さなえ
演出:平田オリザ
出演:田村勝彦、羽場睦子、猪俣俊明、山内健司、山村崇子ほか
会場:あましんアルカイックホール・オクト

尼崎市が主催する「近松賞」の第7回受賞作を、平田オリザが演出した作品。

山深い田舎にある老夫婦の家を舞台に、久しぶりに息子から電話が掛かってきたところから物語が始まる。息子の部下を名乗る人物や近所の人たちが入れ替り立ち替りやって来るのだが、認知症をわずらう人もいて、一体誰の話が本当なのかわからなくなっていく。

劇の終了後には、平田オリザ・高山さなえ・岩松了によるアフタートーク(約30分)もあった。受賞作から大幅な改稿があって、「馬留徳三郎の一日じゃなくて二日になっちゃった」という話など、面白く充実した内容だった。

今の時代、短歌にもこうしたアフタートーク的な何かが必要なのかもしれない。

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2020年10月15日

手旗信号

果てしなき彼方(かなた)に向ひて手旗打つ万葉集をうち
止まぬかも           近藤芳美『早春歌』

応召して戦地に行った作者が、手旗信号の練習をしている場面。イロハニホヘトではなく万葉集の歌を一字一字、両手に持った赤旗と白旗で表していく。

先日カルチャーセンターでこの歌を取り上げたところ、お二人の生徒さんが手旗信号を知っていて、実際にやってみせてくれた。子どもの頃に習ったり、戦争ごっこの際に使ったりしていたのだそうだ。

基本的な姿勢がいくつかあって、その組み合わせでカタカナの文字の形を作っていくとのこと。手旗信号を身体で覚えている人は、この歌を読んだ時にまず身体が動くみたいだ。

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2020年10月12日

すべての歌の中の一首

近藤芳美の全24冊の歌集を読み終えた。
(いや〜、長かった!)

01:早春歌
02:埃吹く街
03:静かなる意志
04:歴史
05:喚声
06:冬の銀河
07:異邦者
08:黒豹
09:遠く夏めぐりて
10:吾ら兵なりし日に(収録作品の時期としては第2歌集)
11:アカンサス月光
12:樹々のしぐれ
13:聖夜の列
14:祈念に
15:磔刑
16:営為
17:風のとよみ
18:希求
19:甲斐路・百首
20:メタセコイアの庭
21:未明
22:命運
23:岐路
24:岐路以後

短歌にとって一首一首の歌の良し悪しが大切なのはもちろんだが、24冊読んで感じるのは、短歌は一首一首の良し悪しだけではないということだ。

美術館で絵を見る時に、絵に近づいたり少し離れたりすることがある。見る距離によって絵の印象はかなり変ってくる。短歌も同じで、一首で読んだ時と連作で読んだ時、歌集で読んだ時、全歌集の中で読んだ時、それぞれ印象が違ってくる。

一首を純粋な一首として読むことも大切だし、その歌人のすべての歌の中の一首として位置付けることも同じように大切なのだろう。全歌業を見渡す中でその一首の持つ意味があらためて浮き彫りになるのだ。


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2020年10月10日

近藤芳美と下部温泉

近藤芳美の第19歌集『甲斐路・百首』は、上野久雄が主宰する「みぎわ」の創刊十周年記念号のために、1992年秋と1993年春の2回にわたって山梨県内の14か所をめぐって詠まれたものである。

その中に、下部温泉を詠んだ歌が7首ある。

谷の磧の軍療養所のあとながらホテルの灯る赤松のまに
磧あり赤松高き影のあり今宵石走る水を聞く泊り

下部温泉に軍の療養所があったという話は知らなかったので調べてみたところ、下部温泉駅前にある下部ホテルのことであった。1929(昭和4)年に開業後、1939(昭和14)年に陸軍病院の療養所となり、戦後にホテルを再開したとのこと。


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母の家の最寄り駅が下部温泉駅なので、このホテルはよく知っている。入口に高浜虚子の句碑があり、フロントに新渡戸稲造の英語の書があり、館内には石原裕次郎の写真ギャラリーがあるなど、見どころが盛りだくさん。

格安レンタカー「ニコニコレンタカー」の代理店もやっているので、最近はいつもここでレンタカーを借りて、母の家まで行っている。

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2020年10月09日

「塔」2020年9月号(その3)

わが店は着物が売れず反物を潰して絹のマスクを作る
                    坂下俊郎

新型コロナウイルスの影響で呉服店も大変な状況なのだ。苦肉の策として絹製のマスクを作り、少しでも売上を伸ばそうと努力している。

昼過ぎの喉が求める缶コーヒー〈微糖〉はどこか官能的だ
                    鳥本純平

甘い缶コーヒーでも無糖でもなく「微糖」。この言葉の響きや、かすかな甘さが舌に伝わってくる感覚が結句の表現へとつながっている。

地図上に航路は細くゑがかれてアリカンテよりオランへ下る
                    岩下夏樹

スペインの港町アリアカンテから、地中海を渡ってアルジェリアのオランへと向かう。オランはカミュ『ペスト』の舞台になった町だ。

「置き配」を写すメールが送られる玄関口に撮る人の影も
                    八木由美子

宅配便を玄関先に置いた証明として、配達人からメールで写真が届く。接触が避けられる中で、影だけがわずかに人の存在感を伝える。

清流をすくひしやうなレタスの香食めばかすかに苦みありたり
                    竹内真実子

初二句の比喩が、新鮮なレタスのしゃきしゃきした歯触りを伝える。その中に野菜本来のわずかな「苦み」を感じ取っているのがいい。

我もまた誰かの「苦手の人」なるかひんやり昏いロッカー閉めつ
                    布施木鮎子

たいていの人は職場や親戚などの人間関係の中で「苦手の人」を持っている。この歌は、自分も誰かにとって、と考えたところが秀逸。

だとしても生きてゆくより他になく右手についた蚊をぬぐいおり
                    青海ふゆ

初句「だとしても」から始まるのが面白い。蚊を叩き潰したあとで、ふいに迷いを振り払うような決意が湧き上がってきたのだろう。

たくさんの西瓜をなかに蓄えたビニールハウス車窓に見える
                    竹内 亮

「蓄えた」という捉え方がいい。まるで備蓄用の倉庫のようにごろごろと西瓜が実っている。窓とビニールを通して見えた一瞬の光景。

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2020年10月08日

「塔」2020年9月号(その2)

犬連れて吠えられし家通りたりわが犬は逝きかの犬も居らず
                    加藤武朗

家の近所を歩いていて、ふと甦ってくる記憶。作者の飼い犬もその家の犬も、今ではもういない。過ぎ去った歳月を思い死んだ犬を思う。

森の中で動物たちと暮らしたしと思いしころの未来ぞ今は
                    浅野美紗子

「大きくなったら森の中で動物たちと暮らしたい」と夢に思い描いていた子どもの頃。その夢と現実の生活は、当然ながら同じではない。

(→任天堂のゲーム「あつまれどうぶつの森」のことではないかとの指摘をいただきました。なるほど。)

朝の八時に〈その十三〉を受け取って会社の喘ぎを通達にみる
                    竹田伊波礼

自宅でテレワークをしていると会社から多くの指示がメールで送られてくる。「喘ぎ」がいい。慣れない事態に会社も右往左往している。

夜空見て「ほし」と言う子の指先に月という名の星はかがやく
                    宮脇 泉

「ほし」という言葉を覚えたばかりの小さな子。大人は月のことを星とは言わないが、よく考えると月も夜空に光る星の一つなのだった。

わたしのなかに逆さに眠るこうもりのよく見たら足がくくられている
                    椛沢知世

下句が印象的な表現。私の中にこうもりがいるだけでも不気味だが、その足が括られている。無意識の不安や怖れ、束縛などを感じる。

古書店で買ひにし本を図書館に返してしまひさうな休日
                    森尾みづな

本を読み終えて「さあ図書館に返しに行こう」と思ったのか。新刊の本とは違う独特の手触りや匂い。自分だけののどかな休日の時間。

独り居の老女逝きたり六人の名連ねしままの表札ありぬ
                    山ア惠美子

かつては賑やかな家族が住んでいた家。子が家を出て夫が亡くなり、一人残った老女。かつての記憶を大事にしながら亡くなったのだ。

シリアルを牛乳で染め真っ白な一日ぶりの今日が始まる
                    吉原 真

「一日ぶりの今日」が面白い表現。前日も全く同じように朝食にシリアルを食べたのだ。繰り返される日常の感じがよく伝わってくる。

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2020年10月07日

「塔」2020年9月号(その1)

空のいろ少しかはりて内房から外房に出るマリン・ドライブ
                    安藤純代

房総半島の海岸線をドライブしている場面。東京湾側と太平洋側とで「空のいろ」が違うという発見が印象的だ。開放感が伝わってくる。

プラモデルのやうに待機の飛行機の並ぶ空港、遠くなりたり
                    木村輝子

新型コロナの影響で休止となった路線が多く、駐機場にたくさんの飛行機が止まっている。結句、海外に住む娘や孫のことを思うのだ。

もう父は助からないと大泣きしそれから夕餉の仕度する母
                    紺屋四郎

下句がいい。夫の容態が悪いことを医師から聞いて大泣きする母。放心したような状態で、それでもいつも通り夕飯の準備をするのだ。

引越しの前後のうたは越えてしまふ動詞は三つまでの約束
                    岡本伸香

短歌の入門書にはよく「一首に動詞は3つまで」などと書いてある。でも、引越しは次から次へとやることが多くて、三つに収まらない。

はねのある餃子を焼きてはねのなき母すわらせる白きゆうぐれ
                    澄田広枝

「はねのなき母」がいい。人間に羽のないのは当り前だが「はねのある」との対比でこう表現されると、年老いた母の状態が想像される。

これに容れてもうみえざればゴミといふ概念になる大根(だいこ)の皮など
                    千村久仁子

包丁で剥くまでは大根の一部であったものが、ゴミ入れに入れた途端に「ゴミ」へと変ってしまう。人間の認識のあり方が鋭く描かれた。

なかなかに三国にならぬ「三国志」三巻読み終へあと十巻に
                    潔ゆみこ

上句に思わず笑ってしまう。大作なので、誰もがよく知る有名なシーンにはなかなかたどり着かない。根気よく読み続けられるかどうか。

おすすめの物件よりも国道と線路に近き場所が落ち着く
                    山ア大樹

一般的には国道や線路近くの物件は騒音もあって敬遠されがち。でも、何を優先するかは人によるし生まれ育った環境によっても違う。

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2020年10月05日

舞鶴(その2)

東舞鶴駅から徒歩で海の方へと向かう。

1972年に廃線となった中舞鶴線の跡地が、今では遊歩道となって整備されている。


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北吸トンネル。
1904(明治37)年完成のレンガ造りの美しいトンネルだ。


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途中駅があった「東門駅」の跡。
「しんまいづる(新舞鶴)」はかつての「東舞鶴」のこと。


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海沿いの「舞鶴赤れんがパーク」には、明治から大正期に建てられた旧海軍鎮守府の倉庫が12棟ある。それぞれ「赤れんが博物館」「舞鶴市政記念館」、イベントホール、土産物店、カフェなどとして利用されている。

舞鶴には他にも海上自衛隊が管理する「海軍記念館」や「東郷邸」などがあるのだが、残念ながら今はコロナ対策のために見学中止となっている。

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2020年10月04日

舞鶴(その1)

日帰りで舞鶴へ行ってきた。

お城のある西舞鶴には行ったことがあるが、かつての(今も)軍港だった東舞鶴は初めて。京都駅から特急で約1時間40分。

まずは東舞鶴駅からバスで舞鶴引揚記念館へ。


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市街地から少し離れた場所にあるのだが、多くの来場者で賑わっていた。展示内容も充実しているし、説明して下さるボランティアの方々もいて、時代背景などがよくわかる。


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「白樺日誌」。
シベリアに抑留された滝野修さんが、木の皮に書いて日本に持ち帰った日記。短歌と俳句、200首あまりが記されている。この「白樺日誌」を含む570点の資料が、現在、ユネスコ世界記憶遺産に登録されている。


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ラーゲリ(収容所)での食事風景。


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抑留生活体験室。
寒い室内で、実際に狭いベッドに寝たり、衣類に触れたりすることができる。

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2020年10月03日

近藤芳美と高安国世記念詩歌講演会

1990年から94年まで五回にわたって京都で「高安国世記念詩歌講演会」が行われた。第1回のプログラムは、近藤芳美「高安国世と現代短歌」と中西進「現代短歌と万葉集」。

この第1回の講演会の記録などは見当たらないが、永田和宏さんがかつて話の中で触れたことがある。

近藤芳美さんを第一回の高安国世記念詩歌講演会にお呼びしたんですが、その時おっしゃった言葉よく覚えています。これから君たちが高安国世を語り継いでいかないとだめなんだというふうに近藤さんおっしゃいました。
  講演「高安国世の世界」(2009年現代歌人集会秋季大会)

この時のことも、近藤芳美は歌に残している。

夏盛る街を追憶のために来つ高安国世君に知ること
蟬の声しみらに昼の街にあり高安国世生死を隔つ
生き方といえることばの直接にその日歌あり若くして遭う
「詩」は「思想」日本の戦後に相求めうたう歌ありきなべてときのま
苦しめば東京に出るを待ちて迎う炎のごとかりき吾ら分けしとき
一度の青春一度なる友情と壇にいえば和子夫人の涙拭きます
                  『風のとよみ』

戦後の一時期の近藤と高安の交流の深さが窺われる内容だ。
「塔」1990年9月号の編集後記に永田和宏は、

□七月二十九日、高安国世記念シンポジウムが無事終った。百五十名程度の参加を見込んでいたのだが、その予想を見事に突破して、参加者数は約二百五十名。(…)会場は満席で、冷房の効きもいまひとつといった熱気であった。

と書いている。講演会は予想以上の盛況だったようだ。

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2020年10月02日

近藤芳美と「としまえん」

近藤芳美は1953(昭和28)年に練馬区向山に家を建てる。1927年に開園して今年8月に営業を終了した「としまえん」(豊島園)の近くである。

遊園をとざす夜ごとのオルゴール降り行く雨に長くきこゆる
                『冬の銀河』(1954年)

遊園地の閉園の音楽が毎日家まで聞こえてくるのだろう。

ジェットコースターつねに声湧く夜空冷え年々に来る森の路あり
観覧車森になおめぐるひかりいくつ夏ごとに来て妻と路つたう
回転木馬めぐる初むれば妻とあり木むらのひかり園閉じむとして
踊り終えし一団はフィリピンの男おみな季過ぐる遊園に人の乏しく
                『磔刑』(1988年)

遊園地の中を散策している場面である。毎年夏に訪れていたようだ。

さらに、こんな歌もある。

喇叭吹くは回転木馬の天使たち年々に来て吾が小馬車あり
回転木馬めぐる初むれば吾らあり老いの遊びを人あやしまず
回転木馬の共に幼きものの中妻とよろこびというも淡きに
                『風のとよみ』(1992年)

1990年の作品なので、当時近藤は77歳。妻と一緒にメリーゴーラウンドに乗っている。馬に跨るのではなく馬車タイプに二人で座ってるんだな。いや、これはすごい歌だ。

「としまえん」の回転木馬と言えば、「カルーセルエルドラド」。1907年にドイツで製作された世界最古級の回転木馬である。
https://trip-s.world/carousel-eldorado

これに近藤夫妻が乗っていたとは!


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2020年10月01日

近藤芳美と「高安国世の死」

1982年から84年の作品を収めた近藤芳美の第14歌集『祈念に』に、こんな一連がある。

  夏のくるめき
杖つきて今日の死を知る街の歩みひかり照り返す夏のくるめきに
声呑みて知りたる死あり吾は行かず暑き葬りの街に過ぐるころ
死は思わねば衰えて山荘に行きにけむひとりの終り君もひそけく
この詩型ついに「詩」とする生涯を少年にして君と分けにしを
寂寥を語るなかりし晩年に逢いに来よというつたえ或るとき

「君」としか書かれていないが、高安国世の死を詠んだものである。高安は1984年7月30日に70歳で亡くなった。近藤と高安は同じ1913(大正2)年生まれ。3首目の「山荘」は長野にあった高安の山荘のことだ。

この一連を読むと、近藤は高安の葬儀には行かなかったらしい。その理由の一つとして近藤の母のことがあったのだろう。この一連の直後に母の死を詠んだ作品が並んでいる。年譜によれば近藤の母の死は、この年の8月であった。

近藤が高安の墓を訪れたのは1984年の年末のことであった。同じく『祈念に』にその時の作品が載っている。

  冬の墓
和子さん寂しき人となりて連るるしぐれの雲の切れて日の寒く
冬雲の切れてひかりの耀うをつねに来る墓の道に君迷う
悲しみの過ぎてしずけき君の歩み先立ちたまう冬の墓原
墓のことばかりを告ぐる佇みに落葉乏しく朝を降りし雨
細く彫る文字新しき墓のめぐり花に埋めてゆく白き薔薇など
白き薔薇白き百合もて墓を埋めむ枯れはつるもの音にかすかに
ドゥイノの城ともに覓(と)めゆける終りの旅いいて回想のつぎほもあらず

1首目の「和子さん」は高安の妻。7首目は1983年に高安がイタリアなどを旅行して、リルケゆかりのドゥイノを訪れたことを指している。墓参りに「白き薔薇白き百合」を供えるのが珍しく、近藤らしさの表れかもしれない。

『高安国世全歌集』の栞に、近藤はこの日のことを記している。

昨年の暮、京都に久々の旅をし、高安君の新しい墓を訪れた。そうして、そのあと、しばらく加茂川の堤に添って歩いた。暗く雪雲が垂れていた。歩みながら、わたしの京都への追憶がすべて高安君との長い交友と共にあるのを思った。たちまちに過ぎてしまったものを追う寂しさを、生き残ったものとして知らなければならぬ。

美しい文章だと思う。

高安の墓がある来光寺は、北大路通より北側にある。京都の「鴨川」は、一般的に高野川との合流地点より北では「賀茂川」または「加茂川」と表記する。ここでもおそらくその意味で使われている。

posted by 松村正直 at 08:52| Comment(0) | 近藤芳美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする