2020年08月31日

平田オリザ『22世紀を見る君たちへ』


副題は「これからを生きための「練習問題」」。

大学入試改革をめぐる議論を皮切りに、演劇的手法を取り入れたコミュニケーション教育や地方自治体の新しい取り組みなどに触れ、これからの社会で生きていくために必要な力について考察している。

「何を学ぶか?」よりも「誰と学ぶか?」が重要になる。それは学生の質だけではない。教職員も含めて、どのような「学びの共同体」を創るかが、大学側に問われているのだ。

大学入試と言えばつい自分が受験した時のことを思い浮かべてしまうのだが、それはもう30年も前の話であって、今では大きく変っている。「大学全入時代」を迎えて、大学も漫然と運営していたのでは生き残ることができない。

インターネットの時代になり、知識や情報の地域間格差はなくなっていく。すると逆に、生でしか観られない部分で大きな差がつく時代となってしまう。東京の有利さが増幅されやすいと言ってもいい。
岡山県奈義町の項でも触れたことだが、本来、自治体は「来ない理由」に着目しなければならなかった。来ない理由は、「医療、教育、文化」に対する不安である。医療は、全国津々浦々、相当に整備が進んだ。あとは教育と、食文化やスポーツも含めた広い意味での文化、居場所作りだ。

都市と地方の格差やU・I・Jターンの話についても、詳しく論じられている。東京から兵庫県豊岡市に移住し、豊岡の劇場に拠点を移したのも、そうした問題意識が根底にあってのことなのだろう。

2020年3月20日、講談社現代新書、860円。


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2020年08月30日

高木佳子歌集『玄牝』

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2012年から2020年までの作品を収めた第3歌集。

十月の夜を焚かれし木片は火を失ひてのちを冷えをり
生けるもの皆みづからを負ひながら歩まむとするこの砂のうへ
あなたたちはさ、貧しかつたんだよといふ声よ親しき人がふいに侮る
うすくまろく削りたる地にみづからを嵌めて眠れる白毛の犬
示威ならば威を示しゆけ手のうちに握りし意志を合歓の朱色を
わら灰の煮えゐるなかにぜんまいは青きにほひを放ち解れぬ
母さんと呼ばれてやまぬ女の死よみづからの名はどこかに置きて
福島より逃れゆきける女人にていまひとたびの命生まむとす
春あはき昼の電車に陽は入りて楢葉標葉へ発つ人照らす
置かれゐる黒き嚢はわたくしのそして誰かの庭だつた土

1首目、焚火の跡の様子。「火を失ひて」という捉え方がいい。
2首目、砂浜を歩く生き物の姿。自分の身体を自分で運んでいく。
3首目、福島の浜通りに原発が建てられた経緯についての話だろう。
4首目、「みづからを嵌めて」がいい。居心地が良さそうだ。
5首目、現代的で楽しそうなデモ(示威行進)に対する違和感。
6首目、ぜんまいの灰汁抜きの場面。色と匂いが何とも鮮やかだ。
7首目、夫の母の死を通して見えてくる女性のあり方に対する思い。
8首目、原発事故後に福島を離れた人との間に生じた心理的な溝。
9首目、「楢葉標葉」は双葉郡の元の名。常磐線再開の喜びが滲む。
10首目、除染された大量の土が、嚢に入れられて積まれている。

2020年8月1日、砂子屋書房、3000円。


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2020年08月28日

不来方

朝日新聞「折々のことば」(鷲田清一)に啄木の歌が引かれている。


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不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心

国語の教科書にもよく採られている有名歌だが、「不来方」の部分の読みに注目した。

「不来方」は盛岡の雅称。自分は何者か、何になるのか。その漠とした不安もそこには託されていたかも。

地名・固有名詞である「不来方」に意味を持たせる読みは、以前はあまり一般的ではなかったように思う。例えば、上田博『石川啄木歌集全歌鑑賞』(2001年)では、

不来方のお城―盛岡城とも呼ばれた南部藩の居城。明治維新後廃城。

と書かれているだけだ。

それが、近年少し風向きが変わってきた。
小池光『石川啄木の百首』(2015年)では、

「不来方」の地名がよく効いている。ふたたび来ることのない方。お城が別の名前だったなら啄木はこうは詠まなかったろう。もう二度と来ない、早熟な青春だったから十五歳のこころは空に吸われるのであった。

と、「不来方」にかなり力点を置いた読みを展開している。そう言われてみると、確かにこの歌において「不来方」はかなり決定的な役割を果たしている気がする。


posted by 松村正直 at 07:48| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月27日

三月書房

13:00から塔事務所で京都平日歌会。
参加者は9名。
今月の旧月歌会も14名という少なさだったが、だいたい以前の半分くらいの人数になっている。

15:00過ぎに終って、「ブランブリュン」でお茶。
その後、閉店した三月書房へ行く。
置いていただいていた歌集の清算と在庫の引き取り。
宍戸さんとしばらく雑談をする。

いろいろなことが変っていくんだな。

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2020年08月26日

認知症

かつて使われていた「痴呆」という言葉が差別的・侮蔑的であるとして、2004年以降は「認知症」が用いられるようになった。そのこと自体は良いことだと思う。

でも、「認知症」になって16年。今では「認知症」という言葉にも、差別的・侮蔑的なニュアンスがまとわりついているのを感じる。こうした問題は、私たちの意識が変らない限り、なくなることはないのだろう。

posted by 松村正直 at 08:09| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月24日

掩体壕

敵の攻撃から戦闘機などを守る「掩体壕」は、戦争遺跡としてはよく見かけるもので、全国各地に残されている。


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この写真は宮崎空港の近くにあるもの。

掩体壕は過去の遺物だとばかり思っていたのだが、実はそうではないらしい。今日のニュースにこんな記事があった。
https://news.yahoo.co.jp/article

「過去、掩体の存在が戦争の趨勢に大きな影響を与えることさえあったにも関わらず、航空自衛隊はその発足以来、慢性的に掩体が不足している致命的な問題を抱えています」とのこと。

令和の時代になっても、いまだに掩体壕が必要とされていることに驚く。掩体壕は今後も各地に設置されていくのだろうか。


posted by 松村正直 at 23:53| Comment(0) | 戦争遺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月23日

近藤二郎監修『カラー版 世界のミイラ』


多くの写真入りで世界のミイラについて解説・紹介した本。

エジプトのミイラだけでなく、「インカ時代の少女のミイラ」「メキシコのミイラ博物館」「アイスマン」「シチリア島の少女ロザリア」「レーニン」「楼蘭の美女」「アンガ族の燻製ミイラ」「フランシスコ・ザビエル」「日本の即身仏」など、多くのミイラが登場する。

1801年には、エジプトツアーが始まり、ヨーロッパではエジプト熱が非常に高まった。そして、エジプトツアーのひとつの興行として、高級ホテルのラウンジでは、その日の朝に見つかったミイラの包帯を解くショーが行われたのだ。
スペインの征服者は、インカ帝国にある王のミイラを悉く破戒し処分した。そうすることによって、皇帝の権勢を削ごうとしたのだ。

ミイラにはこんな歴史もあったのか!

写真が豊富で見ているだけでも楽しいのだが、誤植が多いのが残念。近年、出版社によっては校正がかなり疎かになってきている。

2019年11月15日、宝島社新書、1200円。

posted by 松村正直 at 09:55| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月22日

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖U』


副題は「扉子と空白の時」。

人気の「ビブリア古書堂」の新シリーズの2冊目。
扉子はもう高校生になっている。

今回取り上げられるのは横溝正史の『雪割草』と『獄門島』。
何だかんだ言いながら、このシリーズは読み続けてしまうなあ。

2020年7月22日、メディアワークス文庫、630円。

posted by 松村正直 at 11:43| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月21日

『「大日本帝国」崩壊』の続き

樺太戦に関する詳しい分析もある。

樺太戦の特徴は、一般住民からなる国民義勇隊が実戦に参加したことである。国民義勇隊は、本土決戦を控え一億玉砕が叫ばれるなか、一般住民を地域・職域・学校などの単位で編成して、作戦の後方業務・警防補助・戦災復旧・重要物資輸送などに当たらせることを目的として結成された。
樺太では、ソ連軍の侵入によって「本土決戦」が現実にはじまり、樺太の一般住民で編成された国民義勇隊は、一四日に軍の指揮下に入って国民義勇戦闘隊へと転移し、住民の一部は、日本刀や猟銃、竹槍などを武器として実際に戦闘支援に従事していたのである。

樺太ではこのように、兵隊だけでなく一般住民も駆り出される戦闘が行われたのであった。けれども、こうした事実は今ではほとんど忘れ去られている。

内地の南端である沖縄での米軍との戦闘の記憶は戦後に長く語り継がれても、内地の北端で起きたソ連軍との戦闘はなぜか語り継がれることはなかった。日本人だけでなく、少数民族を巻き込んだ樺太戦の忘却は、戦後日本で語り継がれた戦争体験の矛盾を象徴している。

この忘却の最大の理由は、現在沖縄が日本領であるのに対して、樺太は日本の領土ではないためである。戦後「日本」でなくなった樺太に対して、日本人の関心が薄れるのはある意味止むを得ないことだ。

けれども、そうした考え方で行けば、もし沖縄が日本に返還されずに今もアメリカの領土であったなら、日本人は沖縄戦を語り継ぐこともなかったということになる。はたして、それで良いのだろうか?

75年前の樺太では、今日(8月21日)も依然として激しい戦闘が継続中である。

カミッシュ峠の地域での日本軍の粘り強さは、サハリンの南に第113旅団の進軍を遅らせた。北部では、日本兵と貯蓄者の別々のグループが橋を爆破し、道路をクリアし、第56ライフル部隊の高度な分遣隊の前進のペースを遅くしました。この時点で、兵士たちはアヨロ(ガステッロ)に到着しただけです。

これは、ロシアのサイト「50度線からのリポート」からの自動翻訳による記述。「カミッシュ峠」とあるのは、真岡から豊原へ向かう途中にある激戦地、熊笹峠のことだろうか。

posted by 松村正直 at 20:10| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月20日

加藤聖文『「大日本帝国』崩壊』


副題は「東アジアの1945年」。

1945年8月15日の敗戦は東アジア各地にどのような影響をもたらしたのか。現在の「日本」国内だけでなく、かつての「大日本帝国」支配下各地の状況を詳しく検証した一冊。

「東京」「京城」「台北」「重慶・新京」「南洋群島・樺太」における敗戦とその後の経緯が細かく描かれている。私たちは8月15日を戦争の「終わりの日」という見方で捉えることが多いが、実はそれは大日本帝国崩壊の「始まりの日」でもあった。

朝鮮における南北分断国家の誕生、台湾における二・二八事件と国民党政府による支配、中国における国共内戦と中華人民共和国の成立、ソ連におけるシベリア抑留。いずれも8月15日から始まった歴史の中で起きたことである。

さらにそれは、現在まで続く東アジアの緊張関係を生み出した原因ともなっている。

八月十五日正午、昭和天皇による玉音放送がラジオによって流された。放送は朝鮮、台湾、樺太、南洋群島、さらには満洲国でも流された。この放送は、天皇が「帝国臣民」に向かって初めて直接語りかけたものであったが、語りかけた「帝国臣民」はすでに「日本人」だけになっていた。「内鮮一如」「一視同仁」といったスローガンのもとに皇民化され「帝国臣民」となっていた朝鮮人や台湾人やその他の少数民族は含まれていなかったのである。

この時点で、早くも戦後の日本が抱える大きな問題が始まっていたわけだ。現在の「日本」の範囲に限定して戦前の「大日本帝国」の問題を考えようとすれば、当然抜け落ちてしまう部分が多くある。

東アジアには現在もなお解決されずに残っている様々な問題がある。そうした問題を考える上でも有意義な視点をもたらしてくれる本だと思う。おススメ。

2009年7月25日、中公新書、820円。


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2020年08月19日

「塔」2020年8月号(その3)

目と鼻の先にひとりで住んでいるおとうとされど会う用事なし
                   廣野翔一

ふるさとを離れた地で、偶然近くに住んでいる兄弟。でも、お互いに大人なので、兄弟と言っても別に頻繁に行き来するわけでもない。

俊太郎が今日出ていったと電話せりかつてわが子に去られし
母に                 柿野俊一郎

息子が家を出て行ったことを母に告げる作者。そんな作者もかつて母の家から出て行った。「俊一郎」「俊太郎」の名前にも味がある。

ずじゅうかん頭重感あり低気圧ていきあつなりもうすぐ雨が
                   森祐子

低気圧が近づいていて頭が重く感じるのだろう。同じ言葉をひらがなと漢字で繰り返しているところに、その体感がよく滲み出ている。

発言者だけがマイクをオンにして助け船なき会議は続く
                   竹田伊波礼

最近多くなったオンライン会議。発言者以外はみなマイクをオフにしていて、誰も言葉を挟まない。発言する人の孤独な様子が際立つ。

一夜だけ泊まった君の部屋壁に君以外知らん集合写真
                   イキヨルニ

君の友人や同級生が大勢写っている写真。自分の知らない過去の時間や人間関係が君にあることを、あらためて突き付けられてしまう。


posted by 松村正直 at 08:43| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月18日

「塔」2020年8月号(その2)

今はまだ若いからとふ概念の医師とわれとに架かる吊り橋
                     澄田広枝

作者はもう自分が若いとは思ってないのだろう。でも若さは相対的なもので、医師から見れば「まだ若い」。お互いの認識にずれがある。

「ひよこの餌」と検索すれば餌となるひよこの姿が混じる
家居に                  穂積みづほ

ひよこに与える餌を調べようと検索したら、爬虫類や猛禽類の餌となる冷凍ひよこの画像も出てきてしまったのだ。その驚きが伝わる。

東山魁夷が五月に逝きにしと知りてなにゆゑわれは喜ぶ
                     西山千鶴子

東山魁夷の作品には「道」「緑響く」など青や緑の色彩の初夏を感じさせるものが多くある。おそらく好きだった季節に亡くなったのだ。

一人ずつ小さな枠におさまってニワトリ式に授業を受ける
                     松岡明香

オンライン授業の様子。分割された画面に映る学生の姿をケージの中のニワトリに喩えている。やはり教室で授業を受けたいのだろう。

夏服のかるさに腕をとほしつつはしやぎたり子にはじめての夏
                     浅野大輝

まだ1歳にならない子が、初めて迎えた夏。薄く軽くなった服を着せられて、ご機嫌なのだろう。子の喜ぶ様子を見る親の方も嬉しい。

引く指にひたと絡める透明な海老の背腸のつつましき筋
                     佐々木美由喜

海老の下処理で背わたを取っているところ。描写が実に丁寧で、作業の様子がよく見えてくる。まるで生き物の解剖しているみたいだ。



posted by 松村正直 at 08:09| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月17日

「塔」2020年8月号(その1)

外された私の顔が置いてあるテーブルの上のマスクの窪み
                     河野美砂子

上句だけ読むとギョッとするが結句まで来てマスクの話だとわかる。マスクの窪んだ部分の形に自分の顔の凹凸が写し出されているのだ。

風雪の果ての五月の谷奥に巨木というは不愛想に立つ
                     関野裕之

下句がいい。長い歳月を重ねた巨木は愛想を振りまいたりせずに立っている。厳しい冬が終わって、巨木がまた新たな季節を迎えるのだ。

一日中この格好だよ、いやマジで フェイスシールド笑顔で
かぶる                  佐藤涼子

仕事でフェイスシールドを着用する人が自虐的に語る台詞に臨場感がある。最初は違和感があったことも次第に日常の風景に変っていく。

買い物に出でし夫は二度戻るまずエコバッグ次にはマスク
                     橋本成子

今はこの二つを忘れると買い物の時に困る。普段はあまり買い物をする機会がないのか。律儀に二度戻って来るところに夫の性格も滲む。

口笛を家の中で吹かないで何度も子に言うコロナ禍の日々
                     矢澤麻子

学校が休みになって一日中家にいる子ども。家に籠っているとストレスが溜まるので、口笛の音も気に障ってしまう。誰も悪くないのに。

布団干しまな板干してそのほかに何を干そうか考えている
                     山西直子

布団とまな板の二つを干したことで、何だか他のものも干したくなってきたのだ。きっと天気も良かったのだろう。干したい欲が高まる。


posted by 松村正直 at 23:05| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月15日

全国樺太連盟本部事務所の資料

一般社団法人全国樺太連盟は来年2021年での解散が決まっているのだが、「樺連情報」7月8月合併号に気になる記事が載っていた。「事務局だより」に、こんなことが書いてある。

▼樺連本部事務所にある数々の貴重な資料を分散させずに今後どのように残し、誰が管理していくか大きな課題となっている。
▼「樺太関係資料室」のような場所を設け、たとえ週に三日でも気軽に資料を閲覧できるような空間をつくる手立ては無いものだろうか。

樺太連盟の本部事務所には「樺太短歌」や「ポドゾル」など、ここでしか見られない詩歌関連の資料もある。
https://matsutanka.seesaa.net/article/444484485.html

こうした貴重な資料の受け入れ先がまだ決まっていないとは!
散逸したり、倉庫で死蔵されたりといった運命にならないと良いのだが。

posted by 松村正直 at 08:28| Comment(6) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月14日

映画「僕は猟師になった」

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監督:川原愛子
出演:千松信也
語り:池松壮亮

京都で「くくり罠」猟を行う千松信也さんの暮らしを、2年間にわたる密着取材によって描いたドキュメンタリー。

「動物を殺す瞬間や解体から目をそむけないこと」を撮影の条件にしたというだけあって、罠にかかった猪や鹿にとどめを刺すシーンや解体の場面も映る。命との向き合い方、食べることの意味、人間と動物との関係、現代社会の抱える矛盾など、多くのことを感じ取れる作品だ。

パンフレット(800円)も中身が濃く、千松さんのインタビューのほかに狩猟や解体の方法なども載っている。

ぼくがやりたい猟は、人間以外のほとんどの野生動物がやっているような「生きるための食料を自分の力で獲る」という行為です。

先行上映&トークショーに参加したのだが、「京大を出たのに、なぜ猟師に?」という会場質問に対して、「京大という自由な場があったからこそ、猟師という生き方に出会えた」と答えていたのが印象的だった。

千松さんの3冊の著書はどれも面白くておススメ。
映画とあわせて、ぜひ。
https://matsutanka.seesaa.net/article/425648505.html
https://matsutanka.seesaa.net/article/476449998.html

出町座、99分。

posted by 松村正直 at 08:13| Comment(0) | 狩猟・食肉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月13日

天野太郎監修『京阪沿線の不思議と謎』


京阪電鉄の歴史や沿線の名所、地名、エピソードなどについて記した本。わが家は京阪「墨染駅」から徒歩約10分なので、普段から京阪にはよく乗っている。

京阪本線は「淀屋橋」〜「出町柳」だと思っていたのだが、正しくは「淀屋橋」〜「三条」なのだと初めて知った。「三条」〜「出町柳」は京阪鴨東(おうとう)線と言うのだそうだ。

なぜ阪急の路線に、京阪の社長が書いた扁額が掲げられているのだろうか。それは、もともと阪急京都線を敷いたのが、京阪の子会社・新京阪鉄道だったためである。
現在も琵琶湖疏水は約一四五万人の京都市民に年間二億トン以上もの水を供給しているが、その代償として、京都市は毎年二億二〇〇〇万円の感謝金を滋賀県に支払っている。
桑原町は、北は京都御苑、南は京都地方裁判所に挟まれた一角にある。(…)桑原町には建物が一軒もないのだ。それもそのはず、なんと道路上に存在するのである。
もともと信貴生駒電鉄は私市から生駒へと路線を延伸し、枚方〜生駒〜王子間を結ぼうとしていたが、経営難に陥ったために計画は頓挫。

こんな雑学的なネタがいっぱい載っている。

2016年12月17日、実業之日本社(じっぴコンパクト新書)、900円。


posted by 松村正直 at 20:49| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月12日

田宮智美歌集『にず』

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塔短歌会所属の作者の第1歌集。
2004年から2019年までの作品402首を収めている。

縁があって、歌集の栞をかかせていただいた。

この部屋はわたしの部屋か戸を開けてなみだも出ない三月十二日
〈※被災求職者対象求人〉多かれど被災者枠に入れぬわたし
震災が起きなかったら、震災が起きなかったら、呪文のように
こけしこけしこけしが欲しい胴をにぎり頭をなでて可愛がりたい
いもうとの同棲、結婚、妊娠もみな母親の口より聞けり
晴れた日は晴子、雪降りなら雪子 生まぬ子の名を考えており
一人なり。テレビの中の被災者はみんな誰かと支え合ってて
順繰りに人が嫌われゆく職場 あ、そのお弁当おいしそうだね
チャングンソクの話ばかりする人といてチャングンソクの話ばかり聞く
読みかけで席を立つ時はさみたりスティックシュガーの赤い袋を

1首目、東日本大震災翌日。避難所で一夜を過ごして戻った自室。
2首目、役所の決める「被災者」の定義に含まれないもどかしさ。
3首目、震災さえなければ順調な人生が続いていたのにという思い。
4首目、一人暮らしの寂しさや人恋しさがむき出しになっている。
5首目、別の人生を歩み始めた妹との間に次第に距離が生まれる。
6首目、「晴子」「雪子」という名前の現実感のなさが印象に残る。
7首目、テレビ番組の求める〈被災者像〉というものがあるのだ。
8首目、いつ自分が仲間外れになるかわからない怖れと息苦しさ。
9首目、全く興味がない韓流ドラマの話に延々と相槌を打ち続ける。
10首目、カフェでトイレに立つ時の仕種がうまく詠まれている。

2020年7月15日、現代短歌社、2000円。


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2020年08月11日

富川磨崖仏

滋賀県大津市にある富川磨崖仏を見に行った。

JR石山駅からバスに乗り瀬田川に沿って南へ約20分で「鹿跳橋」(ししとびばし)のバス停に着く。かつて弘法大師が鹿に乗って川を渡ったという伝説のある場所。

そこから、信楽川沿いに歩くこと1時間弱。信楽川は美しい渓谷になっていて、キャンプや水遊びをしている人を何組か見かけた。距離はそれほど遠くないのだが、猛暑のため到着する頃には汗だくになる。


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正式名称は「阿弥陀三尊不動明王磨崖仏」。
阿弥陀三尊像と不動明王像が刻まれている。


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中央の阿弥陀如来像は像高3.64メートル。


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耳のあたりから水が湧き出ていることから、別名「耳だれ不動」とも呼ばれ、耳の病気に効験があると言われているそうだ。


posted by 松村正直 at 23:21| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月10日

知里幸惠編訳『アイヌ神謡集』


アイヌの神謡(カムイユカラ)13篇を、アイヌ語のローマ字表記(左ページ)と日本語訳(右ページ)で記した本。巻末に金田一京助「知里幸惠さんのこと」と弟の知里真志保の「神謡について」を収めている。

これまで何となく敬遠して読まずに来たのだが、読んでみたらとても面白かった。「梟の神」や「狐」や「兎」や「蛙」が一人称で話す物語。繰り返しの多いリズムも楽しく、人間と自然の豊かな関係が感じられる。

序文で「おお亡びゆくもの……それは私たちの名」「激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たち」とアイヌの行く末を案じた著者は、本書を書き上げて間もなく19歳で亡くなった。でも、その名著は今も多くの人に読み継がれている。

1978年8月16日第1刷、2020年2月5日第60刷、
岩波文庫、580円。


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2020年08月09日

庭田杏樹×渡邉英徳『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』


「記憶の解凍」プロジェクトの一環として出版された一冊。

戦前・戦中のモノクロ写真をAIによる自動色付けと資料や証言による手作業の色補正によってカラー化し、350枚を収めている。

カラー写真になったことで、人々の暮らしや戦争の被害状況が、非常に生々しく甦ってくる。戦前の沖縄や広島の中島地区(現在の広島平和記念公園)で撮られた写真も多く、そこに写る人々の運命を否応なく突き付けられる。

これは、すごい本だ。

2020年7月30日、光文社新書、1500円。


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2020年08月08日

平松洋子『肉とすっぽん』


副題は「日本ソウルミート紀行」。

さまざまな肉の現場を訪ねて、食べること、生きることについて考察した全10篇のノンフィクション。「羊」「猪」「鹿」「鳩」「鴨」「牛」「内臓」「馬」「すっぽん」「鯨」が取り上げられている。

ここ数年、私は捕鯨や狩猟、食肉の問題について関心を持っているので、良い本に巡り合ったという感じがする。

食べることは、身体のなかに入れること。自分の身体を使って敬意を払うということ。
「肉にも旬がある」
野生の肉は、自然環境と季節の移ろいの産物である。また、産地や扱う人間によって、質のよしあしも異なる。
流通価格を決める格付けでは、短角牛はせいぜいいA2(最上級A5)止まり。牛肉の格付けを決めるにあたって、サシの入り方が重要な要素とされているからだ。
豚のトントロの例も記憶にあたらしい。それまで豚の喉周辺の肉は、とくに注目されてもいなかったが、誰がつけたのか、トントロという名前がついて売られるようになった。

北海道、島根、埼玉、石川、東京、熊本、静岡、千葉など、各地の生産者の語る話はどれも印象的だ。命と向き合う仕事の奥深さをを強く感じた。

2020年7月15日、文藝春秋、1500円。

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2020年08月07日

オンライン企画「『戦争の歌』を読む」

8月12日(水)20:00〜22:00、オンライン企画「『戦争の歌』を読む」を行います。

拙著『コレクション日本歌人選78 戦争の歌』(笠間書院)の話をして、その後で皆さんと自由に語り合います。参加費は1,000円。

ご参加、お待ちしております。

https://marrmur.com/2020/07/22/3186/

posted by 松村正直 at 22:41| Comment(3) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月06日

阿波野巧也歌集『ビギナーズラック』


2012年から2019年までの作品308首を収めた第1歌集。

ストローを刺してあふれるヤクルトの、そうだよな怒りはいつも遅れて
湖も掬えば水になることを告げてあなたは夕景に立つ
スーパーの青果売り場にアボカドがきらめいていてぼくは手に取る
触れるとききみに生まれる紫陽花もふくめて抱いていたかったのに
自動販売機を積んで行くトラックと心もとない四月のぼくと
見っけた、と小さな声で告げられて振り返ったら満開である
けん玉のじょうずな子ども見ていたら大技っぽい技が決まった
まぶしくて見るとガラスで市役所の一面だけにさしてる朝日
こしあんの方が好きって言いづらいこの場の空気どうするかなあ
よくわからない盆踊り 適当でええねんときみが適当におどる

1首目、三句の読点を打つつなぎ方や「そうだよな」の挿入が巧み。
2首目、てのひらに掬うと、青い湖は透明な水になってしまう。
3首目、買う予定はなかったのだが、煌めき具合につい手が伸びる。
4首目、「紫陽花」がいい。躊躇いや期待や不安などの揺れる感情。
5首目、四月は新学期や新生活の始まりの季節。あてどない気分。
6首目、「見つけた」でなく「見っけた」。満開の笑顔が見える。
7首目、「大技っぽい」がいい。けん玉に詳しいわけではないので。
8首目、認識の順序に沿って丁寧に言葉が組み立てられている。
9首目、つぶあん派ばかりの状況。好みを言うのも簡単ではない。
10首目、盆踊りは見よう見まねで踊るもの。それでも何とかなる。

2020年7月30日、左右社、1800円。


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2020年08月05日

時田則雄『樹のように石のように』

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副題は「ポロシリ庵雑記帖」。

2012年1月16日から2015年12月30日まで、十勝毎日新聞の「編集余禄」に連載された248篇を収めたもの。

北海道の十勝で農場を営む著者ならではの、スケールの大きな話がたくさん出てくる。

小麦まきが終わった。面積は20ヘクタール余。5日かかった。整地は主に夜。ロータリーハローを装着したトラクターは100馬力。
今年の私の農場の収穫量は、小麦120トン、ジャガイモ200トン、タマネギ33トン、ナガイモ85トン(春掘りを含む)、ニンジン300トン。

都会とは全く違う生活。その毎日を想像するだけで楽しい。
こうした暮らしをもとに短歌を詠んでいる著者にとって、現代の短歌は物足りなく感じられるようだ。

私は頭のてっぺんで詠んだ、貧血の蚊の鳴き声のような歌には興味がない。
歌壇を眺めると、気の抜けたサイダーのような作品が目立つ。

こんな手厳しい批判の言葉がならぶ。こうした言い方に反発を覚える人もいるだろうが、時田の信念は揺るがない。

そんな著者が自らの代表作〈獣医師のおまへと語る北方論樹はいつぽんでなければならぬ〉について記している話が味わい深い。

当時の私は30代前半。まだまだアンチャンだったからこのように詠えたのだが、70歳近くなった今は、とてもこのようには詠えない。/潔く立つ〈いつぽん〉の樹は格好いいが親しみが薄い。2、3本が寄り添うように立っているほうが、心が和む。「人」の「間」と書いて「にんげん」だ。〈いつぽん〉の樹の精神も大切だが、人はそれだけでは生きられない。

厳しい自然の中で生きてきた人の実感がにじむ言葉だ。

2017年4月20日、十勝毎日新聞社、1500円。


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2020年08月04日

「塔」2020年7月号(その3)

忘れもののようにぽかんと池はあり水面に春の雲を浮かべて
                      森川たみ子

何とものどかな光景。「忘れもののように」という比喩が効いている。あっ、こんなところに池があったんだという感じ。語順もいい。

花びらにあるのだらうか筋肉が さくら一輪ゆつたり開く
                      船岡房公

つぼみが開くのはどういう仕組みになっているのか。動物と違って筋肉があるわけでもないのに。素朴な疑問が桜の美しさを引き立てる。

ほろ酔いできみが繋いでくれた手をやっぱり離す築地場外
                      伊藤未来

築地場外市場でご飯を食べた後だろうか。手を繋がれて嬉しかったのだけど、恥ずかしい気もして離してしまう。その微妙な心の動き。

ハマスホイの絵よりしずかな週末の銀座は春を待ちつつねむる
                      小松 岬

静謐な室内風景画で知られるデンマークの画家ハマスホイ。外出自粛によって人通りの減った銀座の美しい街並みの様子が目に浮かぶ。

よろよろとのぼりゆくから鎧坂母が言いし坂今日も変わらず
                      鈴木佑子

久しぶりに鎧坂にやって来て、昔と変わらない坂の急勾配をのぼっている。名前の由来は実際は違うのだろうが、母の言葉に実感がある。

どっちみち濃厚接触する人とコーヒーを飲む一つカップで
                      丸山恵子

上句にドキリとさせられる歌。ソーシャルディスタンスが言われる世の中だけれど、恋人や家族同士であれば、別にそんなの気にしない。


posted by 松村正直 at 08:43| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月03日

「塔」2020年7月号(その2)

マスク外す弁当の時に級友の顔がわかると新高校生
                      井木範子

常にマスクを着けていて、昼食の時だけ互いの顔を見ることができる。せっかくの高校生活なのに、これでは友達になるのも大変そう。

白粥にくれないの梅透けて見え夕餉はなやぐ歯は病めるとも
                      宮城公子

歯が痛むので普通の食事はとれないのだ。でも、白粥に梅干しを入れただけで気分は少し明るくなる。上句の描写が良くて美味しそう。

はるひがん石のあひだにしやがみつつ見えない人とともに
草ひく                   岡部かずみ

「石」としか言ってないが墓石のこと。墓参りのついでに草取りをしている。墓石が立ち並んでいるので、しゃがむと他の人も見えない。

やることはたくさんあっても「レジの人」と思われている
コンビニ店員                黒川しゆう

コンビニの店員はレジの他にも検品や品出し、掃除、宅配便の受付などやることが多い。でもそれは、実際にやった人にしかわからない。

走り来て転びし幼児そのままに遊び始めぬ地面をつつき
                      佐々木美由喜

転んで泣くのでも、すぐに立ち上がるのでもなく、転んだまま遊び始める幼児。大人(読者)には予想がつかない動きであるのが新鮮。



posted by 松村正直 at 08:13| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月02日

「塔」2020年7月号(その1)

能面をつけたる途端足取りの確かになれる老いびとのゐて
                      梶原さい子

神社で演じられる薪能。ふだんは足取りの覚束ない老人が、舞台では颯爽としている。能面を付けてまるで別人格になったかのように。

「本当に今年でなくてよかった」と子等と語りぬ遺影を前に
                      沢田麻佐子

昨年亡くなった人の一周忌。今年だったら新型コロナのために、最期の看取りもできなかったかもしれない。影響はこんなところにまで。

アルコールで拭きアルコールを吹きつけてアルコール漬けの
日々となりたり               一宮奈生

「アルコール漬け」は普通は酒びたりの状態を言う言葉。ここでは頻繁に消毒や手洗いをする日常を、やや自虐的に言ったのがユニーク。

墓地を見ることのなき街ぶらつきて日暮に葱の匂いかぎたり
                      高橋武司

上句と下句の取り合わせに味わいがある。都市の街中では墓地を見かけることが少ない。死が隠された日常にふいに漂ってくる葱の匂い。

ひとつ席をあけ定食をたべる昼窓にながめる遠くの富士を
                      徳重龍弥

新型コロナのために窓際のカウンター席が一つおきに座るようになっているのだ。そんな状況ではあるけれど、富士山は変らずに美しい。

責任を取れるのかという声があり読話教室の中止迫り来
                      橋本英憲

「読話」は口の形から話を読み取る方法。自粛を求める人々の圧力によって、聴覚障害者の大切な講座が開催できなくなってしまう辛さ。


posted by 松村正直 at 11:03| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

山梨へ

2泊3日(車中1泊)で山梨の母の家に行ってきた。

行きの京都駅―富士宮駅の夜行バス「フジヤマライナー」は乗客たった3名。以前は外国人観光客で満席の路線だったが、今は夏休みでもガラガラ。

富士宮駅から特急「ふじかわ」に乗り、下部温泉駅下車。
駅前でレンタカーを借りて母の家に行く。自宅から10時間半かかった。

・近所の方との相談
・役場の保健師さんとの相談
・組長さんへの挨拶
・ケアマネさんとの相談

などをする。行方不明の財布や照明用リモコンの捜索もしたが見つからず。

梅雨が明けて2日とも晴天だったのが良かった。
母もいつまで一人暮らしが続けられるかわからないが、一日でも長く自宅で過ごせるようにサポートしていきたい。

帰りは特急と新幹線で帰宅。それでも4時間半はかかる。


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