2020年07月31日

「『戦争の歌』を読む」参加申込み受付中!

8月12日(水)20:00〜22:00、オンライン企画「『戦争の歌』を読む」を行います。

拙著『コレクション日本歌人選78 戦争の歌』(笠間書院)の話をして、その後で皆さんと語り合います。参加費は1,000円。ぜひ、ご参加ください!
https://marrmur.com/2020/07/22/3186/

『戦争の歌』は書店やアマゾンなどで販売しているほか、版元からも購入できます。
http://shop.kasamashoin.jp/bd/isbn/9784305709189/


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2020年07月30日

北原モコツトゥナシ・谷本晃久監修『アイヌの真実』

著者 :
ベストセラーズ
発売日 : 2020-05-21

KKベストセラーズが新たに創設する新書シリーズの1冊目。アイヌの文化や歴史についてコンパクトにまとめてある。

アイヌ民族は狩猟採集生活だけを行っていたわけではなく、北の海を駆けめぐった交易者でもあった。
「先住民族」とは、ある地域を現在支配している国家・民族よりも以前から、その地域に住み、民族としてのアイデンティティを共有していた人びと(及びその子孫)のことをいう。
政府はアイヌ民族の風習、たとえば女子の顔への入れ墨や男子の耳飾りなどを「陋習」(非文明的な風習)として禁止し、日本語の使用を義務付け、和人風の名前に改名させた。

明治政府のこうした政策は、昭和に入って朝鮮半島で行われた創氏改名につながるものと言っていい。朝鮮半島が現在は独立した国家になっているのに対して、アイヌは国家を持たないために議論されることが少ないだけである。

千島アイヌの女性「シケンルッマッ」(1867〜1939)が、ロシア名「アレクサンドラ・ストローゾワ」や日本名「浪越あさ」を持っていたことを思うと、国家や国境がいかに人々を分断してきたかがよくわかる。

私たちはどうしても現在の国境線に縛られて歴史を見てしまうが、例えば、次のような地理的な条件を知ると、大陸と樺太と北海道の関わりの深さも見えてくるだろう。

大陸と樺太の間の「間宮海峡」は水深約10メートル
樺太と北海道の間の「宗谷海峡」は水深約50メートル
本州と北海道の間の「津軽海峡」は水深約150メートル

今月、北海道白老町に国立アイヌ民族博物館を含む「民族共生象徴空間」(ウポポイ)が開業した。私もアイヌについての理解をさらに深めていきたいと思う。

2020年5月30日、ベスト新書、1300円。


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2020年07月29日

杉山由美子『与謝野晶子 温泉と歌の旅』


全国各地の温泉を訪ね回った与謝野晶子の旅について、自身の人生と重ね合わせながら論じた本。中年期以降の晶子に焦点を当てているのが特徴だ。

晶子の旅は「旅かせぎ」に「吟行」そして「温泉療養」を兼ねていただけに強行スケジュールで過酷でもあった。旅は何日にもわたった。
寺の息子らしく、お金をお布施のように懇望する鉄幹にくらべ、なんという才覚か。やはり晶子は商家の娘である。
(注:百首屏風の頒布について)
昭和六年五月から六月にかけての北海道旅行で、晶子は石川家の墓に詣でている。若くして薄幸のまま亡くなった啄木を晶子は弟のように可愛がっていた。

随所に引かれている晶子の歌も、印象に残るものが多い。

死ぬ夢と刺したる夢と逢ふ夢とこれことごとく君に関る
                  『夏より秋へ』
筆とりて木枯しの夜も向ひ居き木枯しの夜も今一人書く
                  『白桜集』

全国100か所以上の温泉に入って歌を残している晶子。旅のガイドブックとしても使える一冊である。

2010年6月20日、小学館、1500円。


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2020年07月28日

NHK短歌「龍・辰」

NHK短歌「龍・辰」が下記の日程で放映されます。
ゲストは、くわばたりえさん。

・8月2日(日)午前6:00〜午前6:25
・8月4日(火)午後3:00〜午後3:25【再放送】

https://www.nhk.jp/p/ts/JM12GR5RLP/schedule/

皆さん、ぜひご覧ください。


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2020年07月27日

岡部敬史(文)・山出高士(写真)『くらべる京都』


「くらべる」シリーズも6冊目。

今回は岡部氏のふるさと「京都」に関する様々なことが比べられている。「賀茂川/鴨川」、「西寺/東寺」、「衣笠丼/木の葉丼」、「東華菜館/レストラン菊水」など。

鴨川の「かわゆか」は「涼しそうに見えるけれど実は暑い」こともありますが、貴船の「かわどこ」は、北部の山中にあることもあり本当に涼しい。

京都に住んで19年になるけれど、三条大橋(昭和25年)より七条大橋(大正2年)の方が古いことや、「中二階」と「総二階」の違い、東大路通りに面した八坂神社の「西楼門」が正門でないことなど、この本で初めて知った。

千葉県鴨川市を流れる「加茂川」や伊豆の修善寺にある「渡月橋(とげつばし)」を京都の本家と比べているのも、独自の視点で面白い。

2020年3月4日、東京書籍、1300円。


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2020年07月26日

江戸雪歌集『空白』

edoyuki.jpg

2015年から2019年までの作品332首を収めた第7歌集。

焼夷弾のようだと花火をいう父に窓がしずかに寄りそっている
初冬(はつふゆ)に廃線跡を行き行けば前のめりのままケーブルカーあり
山火事のようだ怒りは背中からひたりひたりと夜空をのぼる
毒キノコ踏みつぶす靴あのシーン、隠喩だろうなわたしも踏んだ
自分だけがにんげんだという顔するな桐の筒花が土につぶれて
騒ぐなと言われてそれで馬のごと鬣たらし眠れるものか
どんな夜もまぶたは自分で閉じるのだわずかの本当を水にうつして
叢にやんわり踏んだ蟷螂をしばらく思いしばらく歩く
この世には釦の数だけ穴がありなのにあしたの指がこわばる
花は咲くどのように咲けば花でなくなれるのだ緋の嘘にまみれて

1首目、打ち上げ花火を見て空襲の記憶を思い出す父。
2首目、ケーブルカーの車両が傾斜に合わせて前傾している。
3首目、「背中から」に実感がある。不動明王みたいだ。
4首目、映画「ミツバチのささやき」だろうか。結句がいい。
5首目、三句「顔するな」の激しい言い方が印象的。
6首目、この歌も「眠れるものか」に強い憤りが含まれている。
7首目、眠りにつく時のまぶたの裏の感覚はこういう感じかも。
8首目、生き物を踏み潰した感覚が足裏にしばらく残っている。
9首目、一対一対応になっているから緊張しなくていいのだけれど。
10首目、初句切れや三句以下の句割れ句跨りの韻律に力を感じる。

2020年5月24日、砂子屋書房、2500円。


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2020年07月24日

先崎学『うつ病九段』


副題は「プロ棋士が将棋を失くした一年間」。
2018年に文藝春秋社より刊行された本の文庫化。

将棋の棋士として、またエッセイの書き手としても知られる著者が、自らのうつ病体験を赤裸々に記した一冊。2017年6月の発病から始まり、一か月間にわたる入院、その後の回復の日々、そして復帰へ向けて準備を進める2018年3月までの記録である。

うつは孤独である。誰も苦しさを分かってくれない。私には家族がいて、専門家の兄がいるという最強の布陣だったが、それでも常に孤独だった。
知ったのは、世の中にうつ病の人間がいかに多いかだった。実は私の兄弟がとか、親がとか、ごろごろ出てくる。そして身内にいる人といない人とでは、同じはなしをしても反応が違うのだ。

うつ病については知らないことが多かったので、今回この本を読めたのは良かった。

もちろん、将棋に関する話も出てくる。

なんといっても棋界は弱肉強食の世界である。常に厳しい競争を繰り返し、そして当たり前だが、みんな馬鹿みたいに将棋が強く、紙一重のところで勝負がつく。
将棋界は仲間意識は強いが、弱った者は基本的に叩かれるのが習いとなっている。奨励会はもろに淘汰の世界で、弱いものからはじかれていく。

藤井聡太棋聖の活躍もあって近年将棋が大きな注目を集めているが、実力勝負の厳しい場であることをあらためて感じた。

2020年7月10日、文春文庫、600円。


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2020年07月23日

軍事力と文化力

角川文庫の巻末には「角川文庫発刊に際して」と題する角川源義の文章が載っている。昭和24(1949)年に角川書店が角川文庫を立ち上げた経緯を記したものである。

第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。
一九四五年以来、私たちは再び振出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。これは大きな不幸ではあるが、反面、これまでの混沌・未熟・歪曲の中にあった我が国の文化に秩序と確たる基礎を齎らすためには絶好の機会でもある。

日本の「戦後」というものを非常によく表した文章だと思う。軍事力で負けた日本が、新たな文化力によって国を立て直していこうというのである。

こうした考え方は、実は明治期の正岡子規とも通じるものがある。

従来の和歌を以て日本文学の基礎とし城壁と為さんとするは弓矢剣槍を以て戦はんとすると同じ事にて明治時代に行はるべき事にては無之候。今日軍艦を購ひ大砲を購ひ巨額の金を外国に出すも畢竟日本国を固むるに外ならず、されば僅少の金額にて購ひ得べき外国の文学思想抔は続々輸入して日本文学の城壁を固めたく存候。

明治31(1898)年の「六たび歌よみに与ふる書」の文章だ。子規の和歌革新のかける情熱は、「日本文学の城壁を固め」たいという思いに支えられていた。

「文学」の話と「軍艦」「大砲」の話は現代の感覚では一見関係がない正反対のもののように思われる。けれども、子規においてはそうではなかった。司馬遼太郎『坂の上の雲』が子規と秋山兄弟の三人を主人公にしたように、近代化やナショナリズムという文脈において、文人も軍人も同じ役割を果たしてきたのだ。

冒頭の角川源義の文章もまた、「戦後」のものではあるけれども、長い目で見れば同じ文脈にあると見て良い。「軍事力」の代わりに「文化力」、あるいは「経済力」によって国を強くしていく、他国と張り合っていくという発想だ。

そこまで考えた時に、ふと小さな疑問がわく。そもそも、なぜ国を強くしなくてはいけないのか。なぜ他国との争いに勝とうとするのか。

その問題は、令和の今もなお残されている。


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2020年07月22日

オンライン企画「『戦争の歌』を読む」

8月12日(水)20:00〜22:00、オンライン企画「『戦争の歌』を読む」を行います。

拙著『コレクション日本歌人選78 戦争の歌』(笠間書院)の話をして、その後で皆さんと語り合います。参加費は1,000円。ぜひ、ご参加ください!
https://marrmur.com/2020/07/22/3186/

『戦争の歌』は書店やアマゾンなどで販売しているほか、版元からも購入できます。
http://shop.kasamashoin.jp/bd/isbn/9784305709189/


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2020年07月21日

千松信也『自分の力で肉を獲る』


副題は「10歳から学ぶ狩猟の世界」。

ジャンルは児童書なのだが、内容は本格的な狩猟の入門書。獲物の痕跡の見つけ方から罠の仕掛け方、獲物の仕留め方、解体の仕方まで、カラー写真入りで詳しく解説している。

ぼくもふだんは週の半分くらいを地元の運送会社で働いて、残りの日を中心に山に入っている。ぼくの場合は食料調達がメインの目的なので、狩猟のことは職業でも趣味でもなく「生活の一部」だと考えている。
たまに、わなにかぶせてある落ち葉をていねいに鼻でどけて、わなを丸見えにして去っていく、とんでもなく賢いイノシシまでいる。
ベジタリアンと猟師というと、正反対の立場のように思えるかもしれないけど、「動物のことが好き」という点では共通している。
家畜の肉に慣れていると、肉の品質は常に一定だと思いがちだ。でも、野菜や魚に旬があるように、野生の肉にもおいしい時期もあれば、そうではない時期もある。

イノシシの肉は固いという一般的なイメージに対して、著者は次のように述べる。

家畜であろうと野生であろうと、動物は年をとったらそのぶん肉がかたくなる。家畜の豚は生後6カ月程度で110キロまで大きくなるように品種改良されていて、その段階で出荷される。つまり、みんなが食べている豚肉はすべて生後6カ月の子豚の肉だ。

こうした事実を私たちはどれくらい知って、毎日の肉を食べているのか。そうした問題も突き付けてくる一冊である。

来月には著者が主演のドキュメンタリー映画「ぼくは猟師になった」が公開される。今から楽しみだ。

2020年1月15日、旬報社、1500円。

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2020年07月18日

雲水寺(その2)

現在は別の寺に変ってしまったこともあって、茂吉や文明ゆかりの品などは残されていないが、歌会に使っていたという茶室を見せていただくことができた。

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茶室は渡り廊下を通って行った先にあり、窓からは隣接する天王寺公園の大きな池が見渡せる。なるほど、歌会をするには恰好の部屋だ。

三間続きになっていて襖を取り払えばけっこうな広さだが、さすがに90名は入らないだろう。普段の歌会はここを使って、茂吉が来た時などは大広間を利用したのかもしれない。

茂吉らの歌会開きし雲水寺にアララギに繋がる吾らの集ふ
昭和十年五月五日の憲吉忌茂吉文明ら雲水寺に集ひき
選火にも焼けず残りし雲水寺人手に渡り寺の名変へき
 横山季由「天王寺七坂」(「現代短歌」2015年9月号)


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2020年07月17日

雲水寺(その1)

JR天王寺駅から歩いて10分ほどのところに、統国寺という名前のお寺がある。


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現在は在日本朝鮮仏教徒協会の傘下にある寺だが、もともとは黄檗宗の邦福寺という寺で、大勢の雲水がいたことから別名雲水寺とも呼ばれていた。

この雲水寺は、かつてアララギの大阪歌会が開かれ、土屋文明や斎藤茂吉も訪れた場所である。

  茶臼山雲水寺歌会
ひろき室にもの言ひつかれ終日(ひねもす)に恋ひし日影は夕暮となる
竹村(たかむら)はひとひ日あたれり夕影(ゆふかげ)に池より立ちし鳥のしろけれ
                土屋文明『往還集』

これは昭和3年の作品。

また、杉浦明平『明平、歌と人に逢う』には、昭和8年4月に斎藤茂吉が参加して行われた歌会の様子が詳しく描かれている。

会場の茶臼山雲水寺は省線の天王寺駅からそんなに遠くなかった。(・・・)出席者は九十人の盛会だった。

この時の歌会には茂吉以外に、上村孫作、大村呉楼、鈴江幸太郎、樋口賢治、中島栄一、高安やす子といった面々が参加していた。


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2020年07月16日

内藤正典・中田 考『イスラムが効く!』


イスラム地域研究者の内藤正典とイスラム法学者でムスリムの中田考が、イスラムの様々な知恵について語り合った本。人生、ビジネス、男女、貧困問題、心の病、高齢社会、家族、世界平和といった話題について、イスラムの観点からの見方・考え方を教えてくれる。

中田 お金を払って買う人間はそもそも「お客(guest)」じゃない。Customerです。それが日本だと、そもそも商業文化があまりないもので……
内藤 西洋諸国の多くは、「世俗主義」、日本では「政教分離」と言ったほうがわかりやすいですけど、政治や公の領域に、教会や宗教は出ちゃいけないんだという原則で国を作ってきた。
中田 日本みたいに「収入がないから結婚できない」というのはバーチャルな妄想です。妄想の中で生きているんですよね。
中田 イスラームの教えの基本は「人の言うことは気にしなくてもいい」ということなのですよね。神様が認めてくれればそれでいいわけですから、人がなんと言おうとかまわない。
中田 イスラームでは「寿命は決まっている」という考え方ですので、長生きするのがいいというのはべつに言いません。
内藤 日本人の世界観はどこか情緒的です。トルコなんて、枕詞みたいに「親日国」と言われますが、そもそも大半のトルコ人は日本のことを知りません。

こんなふうに、西洋的な考え方とも日本的な考え方とも違うイスラムの考え方を知るだけでも、ずいぶんと新鮮な気分になる。そもそも「国」だって、自明なものでも何でもない。「日本」や「日本人」という枠組みに縛られている必要もないのかもしれない。

2019年3月5日、ミシマ社、1600円。


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2020年07月15日

「パンの耳」販売中

「パンの耳」1号〜3号、販売中です。
1冊300円(送料込み)。

チラシ フレンテ歌会同人誌「パンの耳」3号より-1.jpg

(クリックすると大きくなります)

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2020年07月14日

原 武史『滝山コミューン一九七四』


2007年に講談社より刊行された本の文庫化。
何ともすごい本である。

1974年に東久留米市立第七小学校において形成された強固な地域共同体(滝山コミューン)とは何だったのか。自らの小学校時代の暗い記憶を掘り起こし、関係者への取材も交えて、著者はその原因となった教育のあり方を突き止めていく。その背景には、全国生活指導研究協議会(全生研)の主導した集団主義教育や「学級集団づくり」があった。

全生研が「学級集団づくり」を進めてゆく上で、「ソビエト市民生活」に近い「四〜五階のアパート形式で、エレベーターなしの階段式」の滝山団地がいかに“理想的”な環境にあったかは、こうした観点からも裏付けられるように思われる。
私にとっての「安住できる場所」は、しだいに四谷大塚になってゆく。後に見るように、七小で疎外感や孤立を味わえば味わうほど、塾通いという、表面的には批判されるべき日曜の一日が、私にとっては七小の児童以外の集団に帰属する貴重な機会となった。
児童により構成される選挙管理委員会が、4年以上の全校児童から立候補者を募り、委員長、副委員長、書記を同じく4年以上の全校児童の投票による直接選挙で選ぶことにしたのである。

こうした記述を読みながら、私も自分の小学校時代を思い出す。著者よりは8歳年下で、住んでいたのも西武沿線ではなく小田急沿線であったが、東京郊外のベッドタウンで育ったこと、四谷大塚進学教室に通っていたこと、児童代表委員会の選挙があったことなど、いくつも共通点がある。

この本を読んで痛ましく思うのは、教師も親もみな良いことをしているという強い意識を持っていたことである。実際に、教育に熱心な教師であり、子供の将来を思う親たちであったのだ。でも、そうした善意が必ずしも良い結果を生むとは限らないのである。

私は小学校生活に普通になじんでいたと思うけれど、本当のところはどうだったのだろう。

2010年6月15日、講談社文庫、600円。

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2020年07月13日

「フレンテ歌会」のメンバー募集

現在、「フレンテ歌会」の新しいメンバーを募集中です。

活動は毎月第1金曜日の13:30〜17:00にJR西宮駅南口すぐの「フレンテ西宮」で行う歌会と、同人誌「パンの耳」の発行です。


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興味のある方は、お気軽にご連絡ください。

「パンの耳」第3号も引き続き販売中です。
定価は300円(送料込み)。

よろしくお願いします!

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2020年07月12日

藤森照信『現代住宅探訪記』


「TOTO通信」の連載から15件を選んでまとめた本。

篠原一男〈谷川さんの住宅〉、A・レーモンド/津端修一〈津端邸〉、磯崎新〈新宿ホワイトハウス〉、藤井厚二〈八木邸〉、平田晃久〈Tree-ness House〉など、個性豊かな建築が豊富な写真や図面とともに紹介されている。

建築作品の個性は、篠原でも山下でも建築家の人柄と深く関係し、違う人柄の人がまねようとしても結局ダメだと。私も、そう思う。人柄だけでなく、知力、身体性、すべての総和として建築は生まれてくる。
藤井がただひとりというか、最初に伝統とモダンの通底化に成功したのは、和と洋といった文化的差異の奥に幾何学という世界共通の原理を発見したから、と、近年の私は考えている。
日本のすぐれた建築家たちは、公共建築や銀行、会社などの大建築だけでなく、住宅という私的で小さな建築においても大建築に負けない、というより、ときには大建築では認められないような先駆的試みに取り組み続けて今に至ることが分かる。

お金のある人生だったら、自分の好きな家を建ててみたいものだな。

2019年12月30日、世界文化社、2200円。

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2020年07月10日

逢坂みずき歌集『虹を見つける達人』

oosaka.png

2014年から2019年までの作品368首を収めた第1歌集。
大学生活や就職、ふるさとの祖父母のことなどが率直に詠まれていて、良い歌が多かった。

のど自慢見ながら鍋のひやむぎを啜つてゐるとき実家と思ふ
おまへは何になる気なんだと父が言ふ何かにならねばならぬのか、われは
ケイコウペンのケイは蛍であることを捕まへて見せてくれし大き手
友達がFacebookにのせてゐる写真の中にわたしが居ない
この部屋にあと三日住む耳かきはもう段ボールに入れたんだつた
あぢさゐも樹だと気づけて良かつたよ並木道へと変はるこの路地
東京ゆき夜行バスにていま君がともす小さな灯りを思ふ
ストーブの効いた部屋から雪を見る 出会ふまへ他人だつたのか僕らは
忘れてと言つたけれども ざらめ雪 わすれられたらせつないものだ
寝過ごせば動物園に着くといふ電車を今日も途中で降りる
手袋をつくりし人のてのひらの冷たさ思ふ霜月の朝
おつぴさんは曾祖父/曾祖母の意味なりて男女(をとこをんな)はもう区別せぬ
潮騒のやうなるサ行の訛りかなわたしは寿司(すす)も獅子(すす)も大好き
思ひ出す雪の日ダイソーに行つたこと君とわたしと君の彼女と
朝ドラはヒロインがすぐ東京に行くから嫌ひ コーヒーの湯気

1首目、昔と変わらぬ実家の風景。大皿に盛らずに鍋から直接取る。
2首目、将来を案じる父に対しての見事な切り返し。
3首目、蛍を捕まえて見せてくれた人に対する淡い恋心。
4首目、一緒に撮った写真なのに省かれてしまっている。
5首目、引っ越し前の落ち着かない感じがよく伝わってくる。
6首目、両側に紫陽花が咲く道も見方によっては「並木道」なのだ。
7首目、ラインでやり取りすると相手のスマホの画面が灯る。
8首目、出会う前の他人同士だった二人を今では想像できない。
9首目、三句「ざらめ雪」が挿入されているのがいい。
10首目、通勤に使う路線。終点の動物園までは行ったことがない。
11首目、手袋を作る人はもちろん素手で作業しているのだろう。
12首目、宮城の方言。性別から自由になることへの憧れもある。
13首目、海に近いふるさとの訛りと祖父母に対する愛情。
14首目、語順がいい。四句目までははデートの場面かと思う。
15首目、上京が夢をかなえる手段であった時代はもう終ったのだ。

2020年7月1日、本の森、1200円。

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2020年07月09日

『おいしい資本主義』のつづき

ライター生活30年の著者は、文章を書くことについてもこの本で述べている。

自分としては、音楽を書こうと文学を書こうと、アメリカや、政治、経済の話を書こうと、ばっちり焦点があっている、というか、〈同じこと〉を書いているつもりだ。

これは、よくわかる気がする。他人から見ればバラバラに見えることでも、自分の中ではちゃんと一つの像を結んでいるのだ。

文章を書く前は、自分が何を考えているのかも、分からない。文章に組み立て、ようやく、「ああ、おれはこんなことを考えていたのか」と、驚く。考えがあって、文章がまとまるんじゃない。逆。

これも、まさに実感するところ。文章を書く時もそうだし、短歌を詠む時もそうだ。

そう言えば、この本には頭脳警察、TEARDROPS、クール・アシッド・サッカーズなどの歌詞が随所に引用されているのだが、短歌もあった。

空は青雲は白いというほかに言いようないねじっと空を見る
どこまでが空かと思い結局は地上すれすれまで空である。
                  奥村晃作


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2020年07月08日

近藤康太郎『おいしい資本主義』


朝日新聞の人気連載「アロハで田植えしてみました」の著者が、自らの体験を記した本。

東京でライター兼新聞記者の仕事をしていた著者は、東京での生活に行き詰まりを覚え、諫早市に移って朝1時間だけの田んぼ仕事をすることにする。目標は自分の食べるだけの米を自分で作ること。

と言っても、単なる農業体験記ではない。現代の資本主義社会の問題点を指摘し、新たな生き方を提案・実践する思索の書でもある。

じつは、日本は瑞穂の国ではない。日本の国土が稲作に適しているというのは、美しい神話だ。植物としての稲を、いわば「工業製品」として、廉価に、大量に、効率的に栽培しようと思ったら、日本の風土が最適というわけでは決してない。
いまの社会はコミュニケーション能力に過剰に力点を置いている、「コミュ力強迫社会」である。コミュ力、コミュ力と追い立てられて、居場所がなくなっちゃう人、適応できない人、生きにくくなっている人が、一定数、出てきているのも事実。
うまい農家はカネなんか使わない。というか、「貨幣でなんとでもなる」という時代精神は、田では思考の怠惰でしかない。

好きなライター仕事を一生続けていくために、とりあえず自分の食い扶持は自分で作る。実にシンプルで、かっこいい。

2015年8月30日、河出書房新社、1600円。


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2020年07月07日

映画「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」

原作・監督:山田洋次
出演:渥美清、倍賞千恵子、竹下景子、中井貴一、杉田かおる他

1983年公開のシリーズ第32作の4Kデジタルリマスター版。
舞台は備中高梁。「男はつらいよ」を劇場で観るのは久しぶり。

このシリーズは、単なる恋愛コメディーでも下町人情物でもなく、変わりゆく日本の風景と時代を撮ったドキュメンタリーでもある。

この作品でも、満男がパソコンをプレゼントされる場面や因島大橋ができて連絡船が廃止される話など、1983年という時代がきちんと記録されている。製作から何十年も経って、「男はつらいよ」の価値はますます高まっていると思う。

TOHO二条、105分。

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2020年07月06日

マカレンコ

むりをして揃へし全集マカレンコ矢川徳光書架に古りつつ
すぐ読むと買ひし本なれ四十年五十年余の日の過ぎにけり
いちづなりし日日の記憶はうすれつつ変はることなし書棚に
本は          森田アヤ子『かたへら』

マカレンコは集団主義教育理論で知られるソ連の教育者。『マカレンコ全集』全8巻は1964年〜1965年に刊行され、1970年代に日本でもマカレンコの理論に基づいた「学級集団づくり」教育が一部の学校で盛んに行われた。

このような集団主義教育は、旧ソ連の教育学者、A・S・マカレンコ(一八八八〜一九三九)の著作によるところが大きかった。マカレンコの著作は、ソ連教育学の研究者である矢川徳光らにより翻訳が進められていた。
            原武史『滝山コミューン一九七四』

原武史の本は自らの小学校時代の記憶をたどりつつ、そこで行われていた集団教育の光と影について分析したドキュメンタリーだ。


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2020年07月05日

映画「デッド・ドント・ダイ」

監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:ビル・マーレイ、アダム・ドライバー、ティルダ・スウィントン、クロエ・セヴィニーほか

アメリカの小さな田舎町に現れたゾンビと保安官の戦いを描いた作品。主演2人の会話の独特なテンポが面白い。

それにしても・・・何だったんだろう、この映画?

ムービックス京都、104分。

posted by 松村正直 at 13:46| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月04日

辻田真佐憲『ふしぎな君が代』


「君が代」は、賛成か反対かの二元論で語られるか、敬して遠ざけるといった態度を取られることが多い。それに対して著者は、以下の6つの疑問を解き明かしたうえで「君が代」への新しい向き合い方を提案している。

・なぜこの歌詞が選ばれたのか
・誰が作曲したのか
・いつ国歌となったのか
・いかにして普及したのか
・どのように戦争を生き延びたのか
・なぜいまでに論争の的になるのか

歌詞や作曲など、自分自身こんな基本的なことも知らなかったのかと驚かされることばかり。まずは「君が代」についてよく知ることが、議論のためにも必要なのだ。

唱歌や軍歌と呼ばれる歌は、鉄道や通信制度などと同じく、明治政府の関係者が西洋諸国を参考にして導入したものであった。
当時、国歌を作りうる政府機関は、陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊、宮内省雅楽課、文部省音楽取調掛の四つしかなかった。
インターネットで検索すればすぐ「君が代」の音源が見つかる現代では考えにくいが、録音技術が未発達な時代、その模範的な歌い方を実際に聴くことは容易ではなかった。
起立して、姿勢を正し、「君が代」を一回だけ歌う。(…)現在我々が当たり前だと思っている「君が代」斉唱の風景は、実は戦時下に完成したものに他ならなかった。

「君が代」をめぐる話を通じて浮かび上がってくるのは、明治以降の日本の歴史であり、近代日本が抱え込んだ様々な矛盾や軋轢である。それは過去の話ではなく、現在まで続く問題として残されている。

2015年7月30日、幻冬舎新書、860円。

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2020年07月03日

「パンの耳」第3号発売中!

同人誌「パンの耳」第3号、発売中です。


  P1070828.JPG


A5判、46ページ。メンバー14名の連作15首とエッセイ「私の気になる短歌」を載せています。


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定価は300円(送料込み)。
お読みくださる方は、松村までご連絡ください。


posted by 松村正直 at 21:48| Comment(0) | パンの耳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月02日

千種創一歌集『千夜曳獏』


27歳から31歳までの362首を収めた第2歌集。
タイトルは「せんやえいばく」。

春の鹿 いま僕の去るポストには英国宛の書簡がねむる
これ走馬灯に出るよとはしゃぎつつ花ふる三条大橋わたる
駅までをふたりで歩くふたしかな未来を臓器のように抱えて
いわなければいけないことを言うときのどくだみの花くらやみに浮く
わかるのとあきらめるのはべつのこと タルトの耳が砕けてしまう
窓からはどんぐり広場が見えている、病み上がり、雨上がり、逆上がり
死ぬことで完全となる 砂風に目を閉じている驢馬の一頭
ダム底に村が沈んでいくような僕の願いはなんでしたっけ
iPhoneの中のあなたは手を振った 背骨のような滝のふもとで
胸にあなたが耳あててくる。校庭のおおくすのきになった気分だ

1首目、初句「春の鹿」のイメージが二句以下と遠く響き合う。
2首目、死ぬ時に思い出す人生の名場面集の一つになるとの思い。
3首目、「臓器のように」がいい。美しいばかりではない。
4首目、ひらがなの多用が効果的。どくだみの小さな白い花。
5首目、「諦む」の語源が「明らむ」だとは言うけれども。
6首目、下句の「上がり」の3連発に懐かしさと寂しさを感じる。
7首目、情と景の取り合わせ。視界が閉じて一つのものが完結する。
8首目、記憶の底へと沈んで自分でもわからなくなってしまう。
9首目、「背骨のような」が面白い。あなたと滝のスケールの違い。
10首目、相聞歌。あなたと一緒にいる安心感とゆったりした気分。

2020年5月10日、青磁社、1800円。


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2020年07月01日

第22回NHK全国短歌大会

第22回NHK全国短歌大会の選者を務めることになりました。
現在、作品を募集中です。締切は9月30日。
今回からネットでも応募できるようになっています。

https://www.n-gaku.jp/public/life/zenkokutaikai_22th/

posted by 松村正直 at 18:13| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする