2020年06月30日

大泊

幾たびもその名を改められながら大いなる泊(とまり) 春にしづかなり
              梶原さい子『ナラティブ』

サハリン(樺太)のコルサコフ(大泊)を訪れた時の歌。人口約4万人。ユジノサハリンスクに次ぐサハリン第2の都市である。

古くはアイヌ語でクシュンコタン(久春古丹)と呼ばれ、1875(明治8)年に千島・樺太交換条約でロシア領となった際に、東シベリア総督ミハイル・セミョーノヴィチ・コルサコフの名前を取ってコルサコフと名付けられた。

その後、日露戦争を経て1905(明治38)年には日本領となり、1908(明治41)年に大泊と改名された。

大泊(おほどまり)の山見えそめてかはるころ旅なつかしくおもほゆるかも
                 斎藤茂吉『石泉』

1945(昭和20)年にはソ連に占領され、1946(昭和21)年に再びコルサコフと改名されて現在に至っている。

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2020年06月29日

中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』


人気マンガ「ゴールデンカムイ」のアイヌ語監修を務めている著者が、アイヌ文化やアイヌ語、アイヌの世界観について記した入門書。随所に「ゴールデンカムイ」の場面が引用されている。

アイヌ語では「見る」には二種類あって、「テレビを見る」「本を見る」のように、見るものが前もってわかっている場合はヌカㇻという語を使い、「窓の外を見る」「遠くのほうを見る」のように、何が見えるかは見た後でわかるような場合にはインカㇻという語を使うことになっています。
カムイは本来魂だけの姿でカムイの世界にいて、そこから人間の世界にやってくるわけですが、そこに戻る時にも肉体から離れて魂の姿になって戻らなければなりません。それも自分の力で肉体から抜け出すことはできず、人間の手で解放してもらわなければならないことになっています。それが狩猟であり、木を切ることであり、山菜を採取することであるのです。
アイヌモシリというと、普通は人間が暮らしているこの世界ということで、カムイモシリ「カムイの世界」に対置されるものです。近年では日本語の文脈の中で「北海道」を表すのに使われることがありますが、アイヌ語のテキストの中でそういう意味で使われている例はほとんどありません。

どれも、非常にわかりやすい説明だと思う。アイヌモシリ=北海道という捉え方は、アイヌの人に寄り添っているように見えながら、実はアイヌの世界を矮小化してしまう危険性を孕んでいることを初めて知った。

2019年3月20日、集英社新書、900円。

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2020年06月27日

梶原さい子歌集『ナラティブ』

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2014年から2018年までの作品456首を収めた第4歌集。

101歳の祖母の死、東日本大震災や津波の記憶、祖父の抑留されたシベリアを訪れる旅など、印象的な場面が数多く詠まれている。

黒き毛にみづ弾きつつあざらしの幾度もたどる同じ軌道を
とことはに学生のわれ「学校さ行つてきたが」と祖母に問はれて
一枚の布に鋏を入れながら作られてゆくからだありけり
揺らぎあふてつぱうゆりの純白の岬に長く暮れ残りたる
どのやうななにかであるかわからざるかたちをもとめ砂を掘りゆく
誰も知らずけれど誰もを知るやうな思ひに立てり墓地のくさはら
戦争がいつ終はるかを知りながら読み進みゆく戦中日記
薄闇に米研いでをりしやりしやりと後半生の粗きかがやき
みづうみをめくりつつゆく漕ぐたびに水のなかより水あらはれて
波がここまで来たんですかといふ問ひが百万遍あり百万遍答ふ

1首目、水族館で泳ぐアザラシの姿。弾丸のような「軌道」がいい。
2首目、年老いた祖母の記憶の中で、作者は永遠の学生なのだ。
3首目、一枚の布から人間の身体を包む着物が仕立てられる。
4首目、あたりが暗くなった後も、花の白さだけが浮かび上がる。
5首目、津波による行方不明者の一斉捜索。四句までが生々しい。
6首目、ハバロフスクの日本人墓地。祖父であったかもしれぬ人々。
7首目、日記を書いた人は8月15日で戦争が終わるとは知らない。
8首目、薄暗い台所で光る米粒を見て、自分の人生に思いが及ぶ。
9首目、湖でボートに乗っている場面。「めくりつつ」が新鮮だ。
10首目、津波の到達した高さに驚く人々。「百万遍」が重い。

2020年4月24日、砂子屋書房、3000円。

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2020年06月26日

森田アヤ子歌集『かたへら』

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昨年、第7回現代短歌社賞を受賞した作品。
縁があって栞を書かせていただいた。

伸び出でしばかりの太き早蕨を山よりもらふ蒔かずにもらふ
じやがいもの花が咲きたり便りせぬ子よ奨学金は返してゐるか
畝立ての土の中より出できたり青のぼかしのおはじきひとつ
物置の屋根に玉蜀黍(コーン)の芯いくつ日に晒されて猿の影なし
二日ほどかはゆき声を跳ねさせてビニールプールは帰りゆきたり
むりをして揃へし全集マカレンコ矢川徳光書架に古りつつ
立秋の周防岸根の畝に蒔くチリ産黒田五寸人参
毒もつと教へて父の絶やさざりし鳥兜さく明き藍色
ロールシャッハテストのやうに対称に湖水に映る紅葉の山
沢庵を漬け込むそばに亡き人が柿の皮など入れよといへり
全身に振動伝へチェーンソーが木の歳月を通過してゆく
小径もてつながる班の十三戸背戸に迫れる崖みな高し

1首目、歌集の巻頭歌。自然の恵みをいただくことに対する感謝。
2首目、初二句と三句以下の取り合わせに味わいがある。
3首目、かつて子が遊んだものか。「青のぼかし」が目に浮かぶ。
4首目、屋根の上で玉蜀黍を食べて芯だけ捨てていった猿。
5首目、ビニールプールとともに元気な孫たちも去ってしまった。
6首目、1970年代に日本でも広まったソビエトの教育理論。
7首目、固有名詞がよく効いている。「周防岸根」と「チリ」。
8首目、毒があるからと排除するのではなく、大切にしていたのだ。
9首目、紅葉した山が湖面にくっきりと色鮮やかに映っている。
10首目、祖母や母と同じことを自分もしているという思い。
11首目、木を切ることは「木の歳月」を切ることだという発見。
12首目、「十三戸」という具体がいい。背後には山がそびえる。

おススメです!

2020年6月17日、現代短歌社、2000円。

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2020年06月25日

「塔」2020年6月号(その3)

トイレットペーパーとして生まれれば痩せてゆくしかない日
々がある                 千葉優作

トイレットペーパーは使うほどに小さくなっていき、最後には芯だけが残る。そんな姿に自分自身の人生や生活を投影しているのだろう。

もうあまり詩は書かないということが綴られて手紙、ポター
ジュのよう                中田明子

書簡集や文学館などで展示されている手紙か。かえって詩に対する強い愛着を感じさせる内容だ。ポタージュの粘性がその愛着と重なる。

一パックに二十四個のひかりあり苺はわれに生きよと言ふか
                     木原樹庵

24個入りのイチゴのパック。その一粒一粒を「ひかり」と捉えたのがいい。イチゴの色の明るさやが生きる希望を与えてくれるようだ。

「中国製」を今も悪口として言う母は先進国の国民
                     平出 奔

かつての「中国製」は安物や粗悪品というイメージが強かった。経済的な力関係が変ったのに考え方を変えない母に対する強烈な皮肉。

糸の輪が代わる代わるに形かえわたしの川があなたの船に
                     成瀬真澄

二人であや取りをしている場面の歌で、下句がいい。糸が形を変えるだけのことだが、「川」と「船」で二人の関係を美しく描いている。

あれこれとめがね選びにのぞきこむ鏡のなかに父と出会えり
                     小林文生

父はもう亡くなっているのだろう。眼鏡を掛けた自分の顔が亡き父の顔に似てきたのだ。年齢を重ねると父の気持ちもわかるようになる。

最後までここにいたいと母さんは言ってるじゃない言ってる
じゃない                 東大路エリカ

ひとり暮らしの母を施設に入れる場面。自宅での生活を望む母の言葉が胸に突き刺さる。「言ってるじゃない」の繰り返しがせつない。


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2020年06月24日

「塔」2020年6月号(その2)

雪のない湾岸の国の冬終わり二月気温は上がり始める
                     春澄ちえ

UAE(アラブ首長国連邦)に住む作者。二月と言えば日本ではまだまだ真冬という感じだが、UAEではもう暖かくなりは鯵めるのだ。

対角であくびをこらえている人と五分に一度目が合う会議
                     乙部真実

大勢が参加している会議だろう。ロの字になった机の対角の位置で眠気をこらえる人と目が合う。退屈な会議の様子がよく伝わってくる。

馬酔木には鹿はふれずにゐるらしく早も萌え出づる草食みて
をり                   古谷智子

馬酔木は葉にも花にも樹皮にも毒があるので、鹿はよく知っていて手を付けない。馬酔木には見向きもせず、伸び始めた草を食べている。

空だけを眺めて過ごす一時間ときをり草が耳をくすぐる
                     近藤真啓

下句の描写がいい。草原に寝ころんでいる場面を想像した。風に吹かれた草が耳に触れるのも心地よい。全てから解放されたような気分。

百枚入りの長形三号手にとりぬためらいもなく買いし日のあり
                     相本絢子

以前は何のためらいもなく買ったけれど、今ではためらってしまう。百枚という分量を自分が生きている間に使い切れるのかと考えて。

その店を教えてくれたともだちがいなくなっても店にはかよう
                     山名聡美

最初は友人に連れて行ってもらった店に、友人がいなくなった今でも通う。店を訪れるたびに、その友人のことを思い出すのだろう。


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2020年06月23日

「塔」2020年6月号(その1)

わたしの手の届かぬところを掃除して娘は発ちゆけり夕映え
の空                   佐々木千代

ふだん掃除のできない高い所を娘が掃除してくれたのだ。そのさり気ない心遣いを嬉しく思う気持ちが、結句に滲んでいるように思う。

整形の窓辺の棚に並びいる『ブラック・ジャック』5と7が
ない                   山下裕美

手塚治虫のマンガの本の話なのだが、「整形」「窓辺」「5と7」といった言葉が数学の話のように響く。待合室に流れる静かな時間。

膝をだきかうしてゐると湯のなかに仮名文字のゆのやうなり
 私                   千村久仁子

膝を抱えて座る姿勢が「ゆ」の文字に似ているという発見。「湯」と「ゆ」の音の重なりにも味わいがある。自分ひとりの豊かな時間。

ここにきてやうやく合つてきたやうな身体、わたしの終の住
処よ                   濱松哲朗

年齢を重ねて自分の身体が自分にとってしっくり来るようになったのだろう。死ぬ日までずっと付き合っていかなくてはならない身体だ。

おほまかな筋は妻から聞いてゐる一話たりとも観てはゐないが
                     益田克行

妻の好きなテレビドラマがあり話をいつも聞かされているのだ。知らず知らずのうちに筋を覚えてしまう。少しも興味がないのだけれど。

手をうしろに組んで歩いている時はまだ何も決められてない
とき                   上澄 眠

人間の姿勢と頭の中の考えとは、どこかで関係があるのだろう。自分のこととも相手のこととも読めるが、姿勢を見ればその心がわかる。

この町で造られし豪華客船がテレビに映る毎日映る
                     寺田裕子

ダイヤモンド・プリンセス号は、作者の住む長崎の三菱重工の造船所で建造された船。いたたまれない思いでテレビを見つめているのだ。

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2020年06月21日

「塔」7月号再校作業

13:00から事務所で「塔」7月号の再校作業。
編集委員6名で集まって行った。

人が集まって再校をするのは3か月ぶりのこと。換気やマスク、アルコール消毒をしての作業となる。17:00終了。

今後は感染の状況を見極めながら少しずつ人数を増やしていき、また元のような自由参加の形に戻せたらいいなと思う。

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2020年06月20日

対談「松村正治×松村正直 家族・社会・場所・歴史・表現」

6月27日(土)に兄とZOOMで対談します。

兄が理事長を務めるNORA(特定非営利活動法人 よこはま里山研究所)の企画です。時間は20:00〜22:00、参加費は1,000円。テーマは「家族・社会・場所・歴史・表現」。

私の生い立ちや短歌の話も出ると思いますので、興味のある方はぜひお聞きください。事前のお申し込みが必要です。

http://nora-yokohama.org/join/?p=15291

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2020年06月19日

近藤康太郎『アロハで猟師、はじめました』


朝日新聞で不定期に連載されていた「アロハで猟師してみました」の書籍化。と言っても、内容は大幅に書き加えられている。

新聞では狩猟をめぐるドタバタが面白おかしく記されていたのだが、本書を読むとその背後にきちんとした思考の筋道や人生観があることがわかる。実は非常にマジメな内容だったのだ。

耕作放棄地での米作りに始まり、鉄砲を使った鴨猟、そして罠を使った鹿猟と、新聞記者兼ライターの著者は次第にフィールドを広げてゆく。
猟師になると、初めて〈世界〉が見える。〈世界〉が聞こえるようになる。音、色、匂い。風や水面や樹木や葉っぱなど、世界を見る目がまるで変わってくる。
人力田植えとは、触覚、視覚、聴覚、味覚を動員する「感性の力作業」であった。(略)猟になると、ここに嗅覚も加わる。田んぼに猟は、五感を最大限に働かせる、人間性回復の営みでもあったのだ。
耕作放棄地、有害鳥獣、空き家問題は日本の三大問題で、これから税金を使って解決していかなければならないことはわかりきっている。問題の根は同じで、地方の人口減少と少子高齢化である。

こうした思考の一つ一つに実践が伴っているので説得力がある。実行力に裏打ちされた理論は強い。

五年後の自分が、まったく予想していなかったものになる。変えられてしまう。五年後の自分の姿が想像できない。これが生きる醍醐味でなくてなんであろう。

本当にその通りだと思う。分かりきっている人生だったら歩いてみなくたっていいのだから。

2020年5月30日、河出書房新社、1600円。

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2020年06月17日

ばたばた

10:00〜12:00、JEUGIA京都の「はじめての短歌」。
2月以来、実に4か月ぶりの講座となる。人数制限の関係で1クラスを二つに分け、今日と別の日に行うことになった。

講座終了後、新幹線で東京へ移動。昼食は車内でおにぎり。
17:00〜19:00、テレビの収録。

20:00の新幹線で京都へ戻る。夕食は車内で駅弁。
22:20帰宅。疲れた。

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2020年06月15日

「パンの耳」第3号

同人誌「パンの耳」第3号を発行しました。


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A5判、46ページ。メンバー14名の連作15首とエッセイ「私の気になる短歌」を載せています。


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定価は300円(送料込み)。
お読みくださる方は、松村までご連絡ください。


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2020年06月13日

母の料理

母は料理が得意な人だったが、一人暮らしが長くなり、また認知症を患っていることもあって、今ではあまり自炊はしていない。それでも、僕が行けば何か食べさせないといけないと思うようで、料理をしてくれた。

自分で献立を考えるのは難しいようなので、冷蔵庫にあるものを見て、「〇〇を作って」などと言って様子を見る。お釜でご飯を炊いたり、魚を焼いたりするのは今でも普通にできた。


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昔は子どもに、その後は連れ合いに、ご飯を食べさせるのを喜びとしてきた人なので、ご飯を食べさせる相手のいない暮らしは張り合いがないことだろう。そんなことを思いつつ、ありがたくいただいた。


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2020年06月11日

2泊3日

2泊3日で山梨の母の家に行ってきた。

まず、新幹線と特急を使ってJR身延線の「下部温泉駅」まで行く。そこから、一日数本のバスに乗って「飯富病院」のバス停へ。さらに徒歩20分くらいで到着。朝9:30に家を出て、母の家に着いたのは午後2:40。けっこう遠い。


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家の近くを流れる富士川は日照り続きで水量がかなり減っている。


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庭のつつじが満開できれい。


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日差しが強くて、もう夏みたい。外を歩くと汗が流れる暑さである。


連れ合いを亡くして母が一人暮らしになってから、もう6年。4年前からは認知症を患っていて、いつまで自宅で暮らせるか心配な状態が続く。今は近所の方の助けに加えて、週2回のヘルパーさんと週2回のデイサービスを頼んでいる。

それでも、思ったより元気そうだったので安心した。ちょうどテレビで「NHK短歌」の再放送をやっていたので、一緒に見られて良かった。

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2020年06月09日

山梨へ

山梨の母の家に行ってきます。
2泊3日の予定。

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2020年06月08日

加藤孝男『与謝野晶子をつくった男』

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副題は「明治和歌革新運動史」。2016年1月から2018年9月まで「歌壇」に「鉄幹・晶子とその時代」という題で連載した文章に加筆してまとめたもの。

『みだれ髪』の作者「鳳晶子」の名前をどう読むか、与謝野鉄幹はなぜ鉄幹という雅号を捨てて本名の寛を名乗るようになったのか、といった身近な話から始まり、朝鮮半島と鉄幹の関わりや鉄幹と晶子の関係など、『みだれ髪』刊行に至る流れが丁寧に描かれている。

特に、副題にもある通り「和歌革新運動」について詳しく記されている点が大きな特徴だろう。

和歌が新聞紙面に掲載されることによって、時事的な要素が次第に取り込まれていく。その題は、「藩閥」「政府改革」「権兵衛大臣」「新官人」「二博士」「米国博覧会」「内地雑居」などであった。
明治二十年代までに和歌革新に関する議論は出尽くしてしまっていて、子規はそれをジャーナリスティックに説いただけである。あとはそうした理論によって、いかに優れた作品をつくることができるのかが問題となっていたのである。
私がここで強調したいのは、和歌革新運動といえば、短歌のみを思い浮かべてしまうが、和歌の範疇には長歌もあり、その革新が、後の文学に与えた影響も考えなければならないということだ。その延長線上に、七五調の「君死にたまふこと勿れ」もあったのである。
清と戦争した日本人にとって、漢詩は、敵国の文学であった。中国から多大な文化的恩恵を被った日本人が、明治に入って急に漢詩に冷ややかなまなざしを向けたのはこのような理由からであった。

長年にわたって鉄幹研究を続けてきた著者ならではの発見も多く、非常に読み応えがある。

例えば、これまで〈飛ぶ鷲のつばさやぶれて高嶺より枝ながらちる山ざくら花〉と伝えられてきた鉄幹の歌(新聞「日本」明治26年4月17日掲載)について、新聞の復刻版に当たったうえで〈飛ぶ鷲のつばさや触れし高嶺より/枝ながらちる山ざくら花〉であると指摘している箇所など、何とも鮮やかだ。

資料に基づいた細かな読解から、和歌革新運動をめぐる大きな見取り図の提示まで、実に奥の深い一冊だと思う。そうした根気強い作業を通じて、これまで晶子に比べて評価の低かった鉄幹の業績を、きちんと近代文学史の中に位置づけることに成功している。おススメ!

2020年3月31日、本阿弥書店、3800円。

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2020年06月07日

木原善彦『アイロニーはなぜ伝わるのか?』


「言いたいことの逆を言う」かのようなアイロニーがなぜ相手に伝わるのか。豊富な用例を提示しながら丁寧に解説している。

従来の「こだま理論」「ほのめかし理論」「偽装理論」などを紹介・批判したうえで、著者が示すのは「メンタル・スペース理論」。〈期待〉される世界と〈現実〉の世界との衝突や差によってアイロニーが生まれるというものだ。

この説明ですっきり納得が行くかと言えば、残念ながらそこまでではない。もやもやしたものが残る。ただ、様々なアイロニーの型や例が挙げられているので、それを読むだけでも面白い。

本の内容とは離れるが、今年5月6日にバンクシーが発表した作品「Game Changer」について、医療従事者への感謝を表しているという見方もあれば、医療従事者をヒーロー扱いする政府やメディアへの皮肉という意見もあった。

同じ作品をアイロニーとして受け取る人とそうでない人がいる。これは短歌の読みにおいても時おり見られることで、アイロニーという方法の奥深さであり難しさでもあると思う。

2020年1月30日、光文社新書、780円。

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2020年06月06日

映画「精神0」

監督・製作・撮影・編集:想田和弘
製作:柏木規与子

観察映画第9弾。

精神科医の山本昌知医師の引退と、妻と過ごす日々を描いた作品。時おりモノクロで差し挟まれる前作「精神」撮影時の映像が、時間の経過を浮き彫りにする。

精神科医と患者との結び付きの強さが印象的だった。患者にとっては、どの医師でも良いのではない。長年診てもらっている安心感や信頼関係があってこそ、心の中を話すことができるのだろう。

京都シネマ、128分。

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2020年06月05日

NHK短歌「虎・寅」

先月のNHK短歌は収録中止になってしまいましたが、今月はリモート収録した分が放送されます。

NHK短歌 題「虎・寅(とら)」
・6月7日(日)午前6:00〜午前6:25
・6月9日(火)午後3:00〜午後3:25【再放送】

先月の「牛・丑(うし)」の入選歌の発表もあわせて行います。
ぜひご覧ください。

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2020年06月04日

太宰治『人間失格 グッド・バイ 他一篇』


「他一篇」は評論「如是我聞」。三篇とも太宰が38歳で亡くなる昭和23年に書かれた作品である。

太宰の作品は高校から大学の頃に愛読していたが、今回30年ぶりくらいに読んだ。本当に久しぶりという感じ。自分が年を取った分、以前とはまた違った味わいを楽しめた気がする。

世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
                   「人間失格」

それにしても、38歳って早いな。

1988年5月16日第1刷発行、2019年9月17日第48刷発行。
岩波文庫、600円。

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2020年06月03日

カルチャー講座の再開

今月からカルチャー講座も再開するところが多い。4月、5月はほとんど中止だったので3か月ぶりの再開ということになる。

昨日行ったカルチャーセンターでは、教室の入口を開けて換気するとともに、講師にはマスクの着用が義務付けられていた。さらに、講師・受講生全員に検温用のカードが配布された。


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どこも手探り状態での再開で、今後の感染状況によってはどうなるかわからない。でも、とりあえず講座がまた始められるのは嬉しい。


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2020年06月02日

「塔」2020年5月号(その2)

百円で文庫五冊を売ったあと缶コーヒーを買わずに帰る
                     上杉憲一

缶コーヒーを買うとせっかくの百円を使ってしまうことになる。それでは、売った文庫五冊に何だか申し訳ないような気がしたのだろう。

あみだくじをゆっくり辿り降りてきて友のお腹に生まれた
いのち                  松本志李

上句の比喩が印象的。様々な出会いや両親の系図をたどって、ようやく一つの命が宿る。何かひとつ違っていても生まれなかった命だ。

他愛なき争ひ重ね子を叱りあのときわたし輝いてゐた
                     今村美智子

子育て真っ最中だった頃のことを思い出している。心の余裕もなく慌ただしく過ぎて行った日々だが、今から思えば充実した時間だった。

JR四日間乗り放題にて娘は来たり実家を宿に出かけてばかり
                     河内幸子

せっかく帰省してきたと喜んだのも束の間、実家はホテル代わりに寝るだけの場所なのであった。3日間泊まってまた戻っていくのだ。

嫗ひとりバスを降りたり日だまりに野梅こぼるる診療所まえ
                     冨田織江

何でもない場面を詠んで小品の味わいがある。「診療所」が効いている。のどかな風景が浮かび、ゆっくりと流れる時間まで感じられる。

がたんごとんがたんごとんと子を揺らし列車と共に絵本を進む
                     魚谷真梨子

子を膝に抱きながら絵本の読み聞かせをしているところ。身体を揺すりながら、絵本の中の列車に一緒に乗っているような気分になる。

右足でリズムとりつつガラス戸の向こうに大判焼きを焼く人
                     真栄城玄太

黙々と大判焼きを焼く人の足が一定のリズムで動いていることに気づいたのだ。確かにこうした作業は、リズムを取ることが欠かせない。

寒の鱈もらいて捌き食べ尽くす家族四人と猫一匹で
                     生田延子

一匹丸ごと「食べ尽くす」ところに美味しさだけでなく達成感も感じる。結句の「猫一匹」がいい。飼い猫も含めた家族の一体感が滲む。

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2020年06月01日

「塔」2020年5月号(その1)

「谷町の和子です」と言ふわれを車椅子の従姉瞬かず見る
                     上杉和子

親戚同士は名字が同じことも多いので、住んでいる場所で区別することがある。老齢の従姉との再会の場面。「谷町の」が実にリアルだ。

幸せに○を入れ死にたくなるにも○を入れたいくらしの調査
                     佐近田榮懿子

「幸せ」と「死にたくなる」は相反することのように感じるが、実はそうではない。死を安らかに受け入れる気分が生まれつつある。

スーパーの売場ちらっと見るだけでここが海から近いとわかる
                     廣野翔一

鮮魚売場のスペースが広かったり、町中では見かけないような珍しい魚が並んでいたりするのだろう。海に近い場所ならではの光景だ。

もう誰も鬼にはならず節分は猫に向かって豆をころがす
                     大森千里

子どもたちが巣立って、もう本格的に豆まきをすることもない。相手をしてくれるのは猫ばかり。投げるのでなく「ころがす」のがいい。

「この島の自然は好き」「は」を強く答え続けて四十年経つ
                     ほうり真子

佐渡に住む作者。島外から嫁いで四十年経っても、人間関係や古いしきたりには馴染めない部分があるのだろう。「は」の一語が重い。

真夜中の公衆便所の明るさのまえで体操する運転手
                     吉岡昌俊

公衆便所で用を足して、ついでに身体をほぐしているところか。深夜に働くタクシー運転手の孤独な姿がありありと見えてくる歌だ。

をちこちのスピーカーから「故郷」がずれつつ響く午後五時
明(あか)し               篠野 京

町の防災無線スピーカーから流れる夕方5時を告げる曲。「ずれつつ」がいい。輪唱のように重なりながら数か所から聞こえてくる。

さつま芋の色を連ねて走りゆく貨物列車は冬の日向を
                     高松紗都子

貨物列車の色を「さつま芋」に喩えたのが面白い。赤紫色のコンテナが何両も連なっていく。さつま芋の収穫を見ているような気分だ。

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