2020年05月31日

講座「永井陽子の歌と人生」(6月13日)

6月13日(土)に朝日カルチャーセンター芦屋教室で「永井陽子の歌と人生」という講座を行います。時間は13:30〜15:00。ご興味のある方はどうぞお越しください。

【音楽性に富んだ数々の名歌を生み出した歌人永井陽子。今年は48歳という若さで亡くなった彼女の没後20年にあたります。本講座では永井の残した歌の魅力を読み解くとともに、その人生をたどります。その上で、短歌の韻律、口語、私性といった問題についても考えてみたいと思います。】

https://www.asahiculture.jp/course/ashiya/d8167ae0-1a81-d047-7e54-5e379423bbf9

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2020年05月30日

大東和重『台湾の歴史と文化』


副題は「六つの時代が織りなす「美麗島」」。台湾の歴史や文化を「先住民族」「オランダ統治」「鄭氏政権」「清朝文化」「日本の植民地」「国民党独裁と民主化運動」という6つの時代順に記した本である。

けれども、いわゆる概説書とは大きく違う。かつて著者が住んでいた台南を中心に、國分直一、前嶋信次、新垣宏一、葉石濤、呉新榮、王育徳ら台南にゆかりのある人物のエピソードを織り交ぜる手法で記述している。

戦争にまつわる日本人の記憶から、かつて「日本人」として戦った高砂義勇隊は、完全に抜け落ちた。太平洋戦争はあたかも、内地に住む「日本人」だけが戦い、「日本人」だけが被害に遭ったかのごとく記憶された。
一六二〇年代、オランダ商船はインドネシアのバタヴィアから、安平を経て、平戸へと来航した。これらの港は、当時のヨーロッパにおける金融の中心、アムステルダムと海でつながっていた。
民主化以降の台湾では、「正名運動」といって、地名などを台湾風に変更することが主張された。(・・・)全島共通の道路名はそのままである。どの街に行っても、街の中心にでたければ、中山路や中正路をめざせばよい。
台湾の民主化運動は、「本土化」の運動でもあった。本土化は「台湾化」と言い換えることができるように、外来政権である国民党が台湾に根差した政党となり、中華民国が中国全土を統治する国家でなく、台湾サイズへと収まる変化である。

400年の歴史を持つ台湾であるが、1980年代までは外来の政権が一貫して台湾を支配し続けてきた。台湾に住む人が自らの手で台湾を治める時代がようやくやって来たのである。

また台湾に行ってみたくなってきた。

2020年2月25日、中公新書、900円。

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2020年05月29日

布良(めら)

若山牧水は明治42年1月から2月にかけて、千葉県の布良(めら)(館山市)で2週間ほど過ごした。この時に、北条で療養する石井貞子の見舞いにも訪れている。

牧水と言えば明治40年から41年にかけて恋人の園田小枝子と過した根本海岸(南房総市)が有名だが、布良はその根本海岸に隣接した場所である。

思ひ屈し古ぼろ船に魚買(うをかひ)の群れとまじりて房州へ行く
病院の玻璃戸に倚れば安房の海のあなたに伊豆の山焼くる見ゆ
藻草焚く青きけむりを透きて見ゆ裸体(はだか)の海女と暮れゆく海と
安房の国の朝のなぎさのさゞなみの音(ね)のかなしさや遠き富士見ゆ
                  『独り歌へる』

海を越えて伊豆大島(三原山)や富士山が見えている。地図で調べると伊豆大島は距離にして約40キロとけっこう近い。富士山までは約110キロである。

布良は、青木繁「海の幸」(明治37年)の舞台でもあるが、「藻草焚く」の歌にも絵の世界と通じるものが感じられる。

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2020年05月28日

pha『どこでもいいからどこかへ行きたい』


「旅」「街」「住む場所」についてのエッセイ集。2017年に幻冬舎より刊行された単行本『ひきこもらない』を改題、再構成して文庫化したもの。

旅先でも一切特別なことはしない。観光名所なんか一人で行ってもつまらない、景色なんて見ても2分で飽きる。一人で食事するときはできるだけ短時間で済ませたいので、土地の名物などは食べず、旅先でも普通に吉野家の牛丼とかを食べている。

というようなスタイルで、「ぼーっとしたいときは高速バスに乗る」「一人で意味もなくビジネスホテルに泊まるのが好きだ」「チェーン店以外に行くのが怖い」「夕暮れ前のファミレスで本を読みたい」「昔住んでた場所に行ってみる」といった話が書いてある。

僕にとって旅行というのは普段しないような珍しい体験をしたくてするものではなくて、ただ自分のいつもの見慣れた日常を抜け出して、知らない土地で行われている別の日常を覗き見したくてしているようなところがあるのだと思う。
細かい場所に面白さや新しさを見出せる視点さえあれば、家の近所を散歩しているだけでも毎日新たな発見がある。既知と思っていることの中にいくらでも未知は隠れているものだ。
電車を降りたらまず駅前にある地図を見て、「東口より西口のほうが栄えてそうだな」などと、街の構造を想像する。
カフェなどを仕事場にするときのジレンマというのがあって、それは「空いている店は落ち着けてよいけれど、あまりにもガラガラの店は潰れてしまう」というものだ。
今の僕は京都を遠く離れて東京に住んでいるけれど、東京にはなぜ鴨川がないのだろうと不満に思う。

共感する箇所を引用し始めるとキリがないくらいだ。一番根本にあるのは、社会の中でどのように自分を保ちつつ自由に生きていくか、ということだろう。でも、あまり共感し過ぎてもいけない気がする。そのあたりが何とも微妙なところ。

2020年2月10日、幻冬舎文庫、600円。

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2020年05月27日

安房北条

啄木の死後、妻の節子は千葉県北条町で療養生活を送り、次女の房江を出産する。「房江」の名前は「房州(安房)」に因んでつけられたものだ。

啄木の編集した雑誌「小天地」を読んでいたところ、細越夏村の小説「痩達磨」にも、この北条町が出てきた。

都大路は、落花の雪に埋もるゝ頃、転地療養にとて、房州は北条の浜辺へ島流し。

東京で肋膜炎を患った主人公が、療養のために房州北条へ行くのである。少し調べてみると、明治・大正期の北条は転地療養の町として知られていたらしい。なるほど、そういうことだったのか。明治42年には療養中の歌人石井貞子のもとを、若山牧水も訪れている。

ちなみに、大正時代に開業した「安房北条駅」は現在の「館山駅」である。

posted by 松村正直 at 20:08| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月26日

映画「精神」

監督・撮影・録音・編集・製作:想田和弘

2008年公開の観察映画第2弾。これまで観たいと思いつつ機会がなかったのだが、続編となる「精神0」の公開にあわせて上映が行われていた。

岡山市の精神科診療所「こらーる岡山」を舞台に、山本昌知医師やスタッフ、多くの患者たちの日常の姿や会話を映していく。時おり挟まれる岡山の町や人の風景も効果的だ。

精神医療や人間について、深く考えさせられる作品だと思う。

京都シネマ、135分。

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2020年05月25日

長浜功『『啄木日記』公刊過程の真相』


副題は「知られざる裏面の検証」。

最も新しい啄木の全集『石川啄木全集』(筑摩書房、1978〜1980)は、全8巻のうち第五巻と第六巻の2冊が「日記」となっている。啄木の日記は、現在、啄木研究に欠かせない資料である。

しかし、この日記は啄木の死後すぐに公開されたわけではない。出版されたのは戦後のことで、1948年〜49年に出た『石川啄木日記』(全3巻、世界評論社)が最初である。啄木が亡くなって実に36年が経っていた。それまで日記は公開されず、啄木の遺言通り焼却される可能性さえあったのだ。

啄木の書き残した日記は、どのような経緯をたどって公刊されるに至ったのか。著者は綿密な調査によって、それを明らかにしている。本の中で引用されている宮崎郁雨の言葉を引こう。

自ら焼棄すべきであつた彼の日記を其儘現世へ遺して逝つた啄木、焼けと言はれた遺志に悖つてそれを形見として贈つた節子さん、筐底深く私蔵すべきであつたそれを図書館に寄託して閲読の機縁を作つた私、見すべきでなかつたそれを特殊の人達に繙読させて不識不知の間に公開出版の輿論を培つた岡田氏。その何れもが夫夫に批判さるべき過誤を犯した事になるのであらう。私は然しそれ等の事態の奥底に絡はる、情理を超えた愛着の強さと人力を絶した運命の奇しさとに深く考へさせられる。

石川節子、宮崎郁雨、土岐哀果、岡田健蔵、金田一京助、丸谷喜市、吉田狐羊、石川正雄。多くの人々の力によって、今、啄木の日記を手軽に読めることに深く感謝したいと思う。

2013年10月20日、社会評論社、2700円。

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2020年05月24日

対談「松村正治×松村正直―家族・社会・場所・歴史・表現」

6月27日(土)に兄とZOOMで対談することになりました。

兄が理事長を務めるNORA(特定非営利活動法人 よこはま里山研究所)の企画です。時間は20:00〜22:00、参加費は1,000円。テーマは「家族・社会・場所・歴史・表現」ということで、一体どんな対談になることやら。ご興味のある方は、ぜひお申し込み下さい。

http://nora-yokohama.org/join/?p=15291

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2020年05月23日

清水由美『すばらしき日本語』


日本語の魅力や日本語教師の仕事についてのエッセイをまとめた本。

(指示詞「こう」「そう」「ああ」について)
二つめの文字だけを見ると「う」と「あ」で統一がとれていないように見えるかもしれませんが、これは「長音」という制服なのです。「こ」「そ」というオ段の音、「あ」というア段の音、それぞれを「コー」「ソー」「アー」と伸ばしているという点では、やっぱりきっちりそろっております。

(「乗る」「載る」などの同訓異字について)
同訓異字は、どうして発生したかといいますと、日本語のその単語の意味の守備範囲が、中国語のその単語(=漢字)のそれより広かったから、です。逆にいえば、(それらの語のカバーする範囲においては)中国語のほうが意味区分が細かかったから、です。

現代日本語では、この「未然形+ば」の形は一部の格言などを除いて消えてしまい、「已然形+ば」に一本化されてしまった。しかし、意味のほうは両方残っている

日本語のあれこれがよくわかるし、もっといろいろ知りたくなってくる。日本語教育能力検定試験の勉強をしてみようかな。

2020年3月9日、ポプラ新書、860円。

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2020年05月21日

松浦武四郎

六花亭の商品「十勝日誌」は、和綴じの本の形をしている。

   P1070771.JPG


表紙をめくると中が箱になっていて、マルセイバターサンドなど約20種類のお菓子が入っているという仕掛けだ。何とも素敵なアイデアだと思う。

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「十勝日誌」を書いた幕末の探検家、松浦武四郎は「北海道」の名付け親としても知られている。松浦は北海道だけでなく樺太にも足を延ばしているし、和歌もたくさん詠んでいるので興味がある。

くものみねくづれても猶十勝が峰ソラチの岳のなをのこる見ゆ
あきもはや日数へにけんしべつ河せにつく鮭の色さびにけり
あさかぜに真帆はしらせて行く船は唐太さして島づたひせむ

生地の松阪市にある松浦武四郎記念館や、国際基督教大学の敷地内の保存されている書斎「一畳敷」など、いつか訪れてみたい。


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2020年05月19日

講座「永井陽子の歌と人生」

6月13日(土)に朝日カルチャーセンター芦屋教室で「永井陽子の歌と人生」という講座を行います。時間は13:30〜15:00。何かと落ち着かない日々ですが、ご興味のある方はどうぞお越しください。

【音楽性に富んだ数々の名歌を生み出した歌人永井陽子。今年は48歳という若さで亡くなった彼女の没後20年にあたります。本講座では永井の残した歌の魅力を読み解くとともに、その人生をたどります。その上で、短歌の韻律、口語、私性といった問題についても考えてみたいと思います。】

https://www.asahiculture.jp/course/ashiya/d8167ae0-1a81-d047-7e54-5e379423bbf9
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2020年05月18日

白井久也『検証 シベリア抑留』


敗戦後に約57万5千人がソ連各地で強制労働に従事させられ約5万8千人が死亡したとされる「シベリア抑留」。その原因や実態、国家賠償を求める裁判などについて記している。

本書の一番の特徴は、シベリア抑留がなぜ起きたかという点を詳しく分析しているところだろう。それは単に国際法を無視したソ連の横暴や日本軍の無責任な体質のためでけでなく、様々な要素が結び付いて行われたものであった。

一つには、激しい独ソ戦で約2660万人もの死者を出したソ連では労働力の不足が著しかったこと、また、スターリンの独裁下で政治犯などを収容するラーゲリが全国各地にあったこと、大戦末期に日本が植民地の割譲や兵力賠償を条件にソ連に和平交渉の仲介を依頼したこと、日本には捕虜を恥とする考えが根強く捕虜の扱いや権利に関する知識が不足していたこと、などである。

もともと給食の定量が少なくて、慢性的飢餓感に苛まれていた日本人捕虜は、ノルマを巧妙に操った「懲罰減食」の恐怖におびえて、わが身を一段と過酷な捕虜労働に駆り立てた結果、病気になったり、命を落としたりする悲劇が、後を絶たなかった。
「反動」の烙印を押された捕虜は、捕虜集会に引き摺り出され、「吊し上げ」という名の大衆制裁を受けた。アクティブたちが被告となった捕虜の罪状を告発、自己批判を強要するのだ。

シベリア抑留の実態は、読めば読むほど悲惨の限りである。でも、それを戦争の生んだ悲劇とだけ捉えていても始まらない。実態を正確に記録し、原因や責任を明確にすることが、私たちの今後のためにも必要なのだ。

2010年3月15日、平凡社新書、800円。

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2020年05月16日

『恥ずかしながら、詩歌が好きです』の続き

この本には「近現代史を味わい、学ぶ」という副題が付いているが、取り上げられている作品はほぼすべて近代短歌、近代詩である。現代の、最近の詩歌は載っていない。

それは教科書などを通じて私たちが慣れ親しんでいる詩歌が近代のものだからいう理由だけではないようだ。

どんなに美しく、また観念的、象徴的であっても、近代詩歌は基本的には詩人の実人生を反映しています。選び抜かれた言葉の襞のあいだには、折りたたまれた人生の苦悩がぎっしり詰まっている。
ホントにね、漢詩風の文語体や七五調の威力は凄くて、私は今回、好きだった詩をあれこれ思い出しながら本書を書いているのですが、暗唱できるのはほとんど七五調の詩ばかりで、自由律詩は断片しか思い出せませんでした。

こうした文章を門外漢の話と退けることもできるけれど、そうではなくて、現代詩や現代短歌に対する耳の痛い批評として読むことも可能だろうと思う。

posted by 松村正直 at 23:24| Comment(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月15日

長山靖生『恥ずかしながら、詩歌が好きです』


副題は「近現代詩を味わい、学ぶ」。

人気の評論家である著者が、自分の好きな詩歌について分析も交えながら楽しく論じた一冊。明治から戦後にかけての文壇交流史や文学史として読むこともできる。

取り上げられている詩人・歌人は、正岡子規、伊藤佐千夫、長塚節、与謝野鉄幹、夏目漱石、森鷗外、大塚楠緒子、与謝野晶子、乃木希典、上田敏、北原白秋、木下杢太郎、佐藤春夫、萩原朔太郎、吉井勇、若山牧水、中村憲吉、中原中也、石川啄木、百田宗治、萩原
恭次郎、小熊英雄、片山廣子、芥川龍之介、高村光太郎、山村暮鳥、千家元麿、三好達治、佐藤惣之助、立原道造、堀辰雄、折口信夫、斎藤茂吉、山之口獏など。実に幅広い。

日清戦争時の戦争詩というと新体詩ではなく圧倒的に漢詩です。文人だけでなく、戦地の将校や兵卒らも漢詩を作っては日本に送り、それが雑誌などによく載っていました。
北原白秋旗下の三羽烏といえば萩原朔太郎、室生犀星、大手拓次ですが、彼らは三感覚をそれぞれ継承した感があります。萩原は色彩、室生は味覚、そしてもちろん大手といえば香りですね。
私は長塚節の小説『土』と共に中村憲吉の造り酒屋の歌が、日本の地方・農村というものを考えるうえで、今も忘れてはならない根源的な精神を伝えてくれていると考えています。
弟子が一人前になるには、師と決別する時期を持たなければなりません。強く惹かれる分、師の模倣ではない「自分だけの世界」を確立する努力は辛いものとなります。

時おり混じる軽い口調が少し気になるが、全体に詩歌に対する深い愛情と博識ぶりに引き込まれて読んだ。短歌は短歌、詩は詩と分けて考えていても、近代の詩歌は見えてこない。もっと詩を読んで、詩に対する理解を深めていかなくてはと思う。

2019年11月30日、光文社新書、940円。

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2020年05月14日

富田睦子歌集『風と雲雀』


2013年から2018年までの作品を収めた第2歌集。

わたくしの忘れた何かを知っている十年前の携帯のあり
ニベアとは白を意味する言葉らし子の足首に融けなずむ白
思うままに乳房みなぎる日の遠く電車に泣く子を見ぬふりをして見る
テトリスの棒がゆるりと落ちてくる刹那を消ゆる四段はあり
相続のたびに大樹の減る町のついにわたしの好きな樹の番
いもうとはときおり父をパパと呼ぶそのたび遠くなりゆく父よ
母ししゃも身は限界まで細らせて臨月なるをほろほろと嚙む
弛緩して口呼吸するチューリップこういう花と思う おんなの
くるぶしの骨ほど背丈を伸ばしたる少女の時間をひと夏と呼ぶ
捨てた記憶はないが耳式体温計家から失せてみどりごもなし

1首目、十年前の自分がまだその中にいるような気もする。
2首目、ニベアを塗った跡の残る娘の足首を見つめる母の視線。
3首目、かつて自分にもそういう時期があったことを思い出す。
4首目、テトリスで最も爽快な場面の言葉による丁寧な描写。
5首目、大きな屋敷が取り壊されて見慣れた風景が変ってしまう。
6首目、姉妹といえども記憶している父の姿はずいぶんと違うのだ。
7首目、子持ちシシャモは体のほとんどが卵で満たされている。
8首目、花びらの開いたチューリップに自分の姿を見ているのか。
9首目、「くるぶしの骨ほど」がいい。そこに成長点があるみたい。
10首目、確かにいたはずの嬰児がいつか幻のように消えてしまう。

2020年4月29日、角川文化振興財団、2600円。

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2020年05月13日

伏線と回収

小説や映画で登場人物が咳をするシーンがあったとする。

日常生活では別に風邪を引いていなくても、咳が出ることは時々ある。そのこと自体にほとんど意味はない。でも、小説や映画では違う。意味もなく咳をするシーンを入れたりはしない。必ず後でその人が病気だったり死んだりする伏線になっている。

私たちの普段の生活においては「意味のないこと」がいくらでもある。何かが起きても、何の意味もなかったり、意味があったとしてもそれに気づかずに過ぎてしまう。

それに対して、小説や映画の世界は、言ってみれば全てが意味を持つ世界だ。作品世界は分量や時間に限りがあるので、意味のないことを入れておくことはできない。映画撮影の現場でたまたま咳が出てしまったら、きっと撮り直しになるだろう。

伏線は必ず回収される。そうでなければ、「あの咳は何だったんだろう?」ということになってしまうのだ。

では、短歌においてはどうだろう。
・・・ということを、最近よく考えている。

posted by 松村正直 at 21:00| Comment(1) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

胎中千鶴『あなたとともに知る台湾』


副題は「近現代の歴史と社会」。
歴史総合パートナーズ6。

台湾の歴史・社会や日本との関わりが、日本統治期、戦後、現代の三つに分けて記されている。良質な入門書と言っていいだろう。

ところで総督府は、そもそもなぜ原住民をこんなに厳しく支配したのでしょうか。(・・・)実は総督府は、台湾の山林地域にある貴重な資源を手に入れようとしていたのです。それは主に、樟脳とヒノキでした。

少し調べてみたところ、タイワンヒノキは明治神宮の鳥居や靖国神社の神門などにも使われているらしい。現在では輸入が難しくなっているとのこと。

1990年代後半以降の日本では、日本語世代と哈日族、さらに私の友人のような知日派もひとくくりにして「親日」ととらえる傾向がありました。あたかも日本統治期から戦後、そして現在に至るまで、台湾人がみんな常に「親日」であったかのような見方です。

本当の友好関係を築くには、まず「親日」「反日」といった単純で一面的な捉え方から距離を置く必要がある。

民主化以前の台湾では、歴史教科書の内容のほとんどが中国大陸と中華民国の歴史でした。つまり、辛亥革命(1911年〜12年)によって大陸で成立した中華民国と、その「大陸から来た我々」の視点で書かれていたのです。

外省人と本省人の対立を経て、「台湾人」としてのアイデンティティが次第に確立されてきたのだろう。今後、東アジアの国同士の関係改善が少しずつでも進んでいくと良いのだが。

2019年1月9日、清水書院、1000円。


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2020年05月11日

植村和秀『折口信夫』


副題は「日本の保守主義者」。

日本政治思想史、比較ナショナリズム論を専攻する著者が、長く惹かれ続けてきた折口信夫の思想を分析した本である。

関東大震災や二・二六事件、そして戦争と敗戦に対して、折口がどのように考え行動してきたのか。その心情に寄り添いながら66年の生涯をたどっている。

ネイションへの肯定的なこだわりをナショナリズムと呼ぶならば、折口はまさに、強烈なナショナリストである。ただし、国家よりも社会に、そして民族と宗教に特にこだわりを持つため、社会的・宗教的志向の強い民族主義者と呼ぶべきであろう。
研究者としても創作者としても、折口には独特の魅力がある。創作者としての折口は、歌を主とし、詩や小説にも実験的に取り組んだ。研究者としては、国文学と民俗学を主たる分野とし、国学や神道の研究をそこに連結させた。創作者の立場と研究者の立場は入り組んでつながっており、魅力的だが理解しにくい原因となっている。

全体にコンパクトにまとまっていて読みやすいのだが、折口の行動や心情を分析する際に折口の弟子たちの記述に頼り過ぎな気がする。弟子は師のことを悪くは言わないので、そこにだけ依拠していては客観性を保てなくなってしまうだろう。

 歌こそは、一期(イチゴ)の病ひ――。
  しきしまの 倭の国に、
   古き世ゆもちて伝へし 病ひなるべき
                  『古代感愛集』

2017年10月25日、中公新書、820円。

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2020年05月10日

柳宣宏歌集『丈六』

yanagi.jpg

2015年から2019年までの作品を収めた第3歌集。

しろたへのパナソニックの冷蔵庫うちあげられし浜にやすらぐ
塵取りにあつめし灰を壺に納め母の人生は蓋を閉ぢたり
小上がりの店の奥よりもれ聞こゆ「よさないかい」と男のこゑは
妻なしとなりける島田の手を握り言ふことかある妻あるわれに
こゑのみに親しき島田が妻の顔はじめて見(まみ)ゆ棺のうへから
駅員のアナウンス真似る青年の常の座席に居らずさびしき
瑞泉寺の山より出でし真実は曲がりくねつた自然薯である
北海のとどろく潮(うしほ)に洗はれしししやもが二匹皿にかがやく
日曜の遅き朝餉に絹さやのわが手に摘むを汁にして食ぶ
石鯛のすきとほりたる一切れは美しき虹残して消えぬ

1首目、海岸に横たわっている白い冷蔵庫。「やすらぐ」がいい。
2首目、母の骨上げの場面。一つの人生の完結を感じている。
3首目、つい何が起きているのかと気になってしまう。
4首目、「島田修三夫人告別式」の歌。掛ける言葉もない。
5首目、電話の取次ぎで何度も話をしたが会ったことはない関係。
6首目、青年に対するやさしい眼差しを感じる。
7首目、真実は真っ直ぐなものという一般的なイメージを覆す歌。
8首目、皿に置かれたししゃもの背後にある海を想像する。
9首目、日曜日なので時間的余裕がある。自宅で採れた絹さや。
10首目、刺身の表面に見えている虹色の脂。美味しそうだ。

2020年4月14日、砂子屋書房、3000円。

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2020年05月09日

半田カメラ『遥かな巨大仏 西日本の大仏たち』


西日本各地にある大仏を訪れて写真入りで紹介したガイドブック。『夢みる巨大仏 東日本の大仏たち』の続編。

立像で4.8メートル、坐像で2.4メートル以上の大きさの仏像を求めて、北陸、東海、近畿、中国、四国、九州を旅する。「大仏めぐりをはじめてから10年目」とのことだが、とにかく大仏愛に溢れた内容となっている。

ありふれた日常の風景を切り裂くように忽然と現れる巨大な仏さま。瞬時にそれが現実のものとは受け入れられず、目と頭との間でいつもより念入りに情報交換が行われ、頭がこれは現実だと受け入れてからやっと体が動き出す感じ。

「奈良の大仏」や日本最古の「飛鳥大仏」など有名な文化財だけでなく、平成20年にできたばかりの紀三井寺の「大千手十一面観世音菩薩」や個人所有のビルの屋上にある「安治川の仏頭」など、82体の大仏が載っている。大仏であれば何でもOKという姿勢が清々しい。

大仏に限らず大きなものが好きなようで、コラムでは東尋坊タワーや香川県観音寺市の「寛永通宝」、福岡県の「旧志免鉱業所竪坑櫓」なども紹介されている。

本業がカメラマンということもあって、掲載されている写真がどれも素敵なものばかり。時間や季節や天気をよく考えて撮影しているのだと思う。

2020年2月24日、書肆侃侃房、1800円。

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2020年05月08日

小島なお歌集『展開図』

kojima.jpg

2011年から2020年初めまでの作品423首を収めた第3歌集。

手のひらに日毎に滲(し)みて石鹼はひと冬かけて私のなかへ
身体ばかりがいつまでもあり 死はそこに死んだ者さえ置き去りにする
鈴付きの破魔矢はみ出す紙袋マンガ喫茶の通路に置かる
子を産まぬミーアキャットは子を産みしミーアキャットのヘルパーとなる
私から私はいつもずれながら遠花火そらの丹田に散る
椅子ありて店番おらず紫のパンジーの咲く石橋水道店
甲虫の肢(あし)内側に折るように眼鏡を畳むきょうの終わりは
何もない時間膨張する秋は体の奥の骨組みしずか
わたしの手も使ってほしい 三月の空を隈なく撫でてゆく手よ
死はいまだ来るものでなく向かうもの避雷針に寄る朝の鴉

1首目、使い切った石鹼が身体の中に入っていったと捉える。
2首目、死というものの不思議な感じがよく表れている歌。
3首目、初詣の帰りか。破魔矢とマンガ喫茶の取り合わせの妙。
4首目、妹の出産を詠んだ一連に置かれていることで重みを持つ。
5首目、「そらの丹田」がいい。身体と心のずれ、自意識のずれ。
6首目、不在の持つ美しさが絵画的に描かれている。
7首目、上句の比喩がうまい。色や材質まで伝わってくるようだ。
8首目、「骨格」よりも無機質な印象。透けて見えてくる感じ。
9首目、初二句の唐突な要求が何かわからないながらも心に響く。
10首目、何歳くらいから死は来るものになるのだったか。

2020年4月20日、柊書房、2300円。

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2020年05月07日

相原秀起『一九四五 占守島の真実』


副題は「少年戦車兵が見た最後の戦場」。

昭和20年8月17日深夜から21日にかけて千島列島最北端の占守島で日ソ両軍の激しい戦闘があった。参加した元兵士らへのインタビューや手記を元に、戦闘の様子やその後の抑留生活を描いている。

占守島で戦った戦車第十一連隊の通称「士魂部隊」が、現在も陸上自衛隊第十一戦車大隊に受け継がれていること、第二次世界大戦中に占守島とカムチャツカ半島の間の海峡はアメリカからソ連へ送られる軍事物資の通り道になっていたこと、などを初めて知った。

第六章「時が止まった島」は2013年に著者が占守島を訪れた記録となっている。「現在、住民がおらず、島内には二カ所ある灯台の職員四人しか定住者はいない」とのこと。

https://www.youtube.com/watch?v=l-xYnHJckNc
https://www.youtube.com/watch?v=kjWhjjnOt3k

ぜひ、一度訪れてみたいものだ。

2017年7月28日、PHP新書、880円。

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2020年05月06日

『日本語の個性』の続き

40年以上前の本なので、女性に関する記述など現在の目から見ると古い部分がある。一方で、かなり的確に未来を予測している部分も多くあって注目する。

これまでわれわれは自分の国の言葉を国語≠ニ呼びならわしてきた。外へ向いていた目が内へ向うようになって発見した言葉は、その国語とはすこし違っているように感じられる。その気持がこのごろ使われる日本語≠ノこめられる。

「国語」から「日本語」へ、という流れを既にはっきりと見通していることに驚く。

アメリカの大学の講義では、先生がはじめに一年間の予定をプリントか何かにして学生に渡す。よほどのことがないかぎり、その予定は変更されることがない。われわれの行き当たりばったりとは大変な違いである。

現在は日本の大学でもシラバスに基づいた講義が行われている。そうした変化を先取りした記述と言っていいだろう。

単語一つでも翻訳不能のものがいくらでもある。このごろ日本でも使われるようになったプライヴァシイという語にしても、まだ訳語はない。このままカタカナの日本語になる気配もある。

実際にその通りになっている。こうした実証に耐えられた本だけがロングセラーとなって残っていくのだろう。

日本語の辞書の始末の悪いところは、引く人間が日本語を知っているだろうという前提に立っていることである。わかる人にはわかる。しかし、わからぬ人にはついにわからない。これでは辞書の存在理由はない。

私たちの使っている「国語辞典」は、「日本語辞典」としての役割を十分に果たしているのか。例えば、外国人が日本語を学習する際にも使える辞典かということだ。この問い掛けは、今もなお有効なままだと思う。

1976年5月25日初版、2018年12月20日第32版、中公新書、740円。

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2020年05月05日

【中止】「中之島バラ園」吟行

5月21日(木)に予定していた JEUGIAカルチャーの
「中之島バラ園」吟行の講座は中止となりました。

posted by 松村正直 at 11:57| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

外山滋比古『日本語の個性』


日本語についてのエッセイ15編を収めた本。日本語から見た言語論や文化論でもある。

40年以上前に書かれた本だが、今でも版を重ねている。随所に鋭い洞察があり、ユーモアも辛口の提言もある。こういう味わい深い文章を書ける人はなかなかいないと思う。

もともと日本文の重心は下のほうの動詞にあったのだが、翻訳文化になって名詞に引きずられて重心が上のほうへ移った。近代の日本語がどこか不安定なのは動詞構文がこうして名詞構文化しているところに起因しているのではあるまいか。
シェイクスピアの作品は一般に、たいへんおしゃべりな感じがする。とくに、人の死にあたっての愁嘆のせりふがいかにも口数が多くて迫真感を殺ぐように思われる。(…)そういう特色も、要するに、シェイクスピアの芝居が、戸外を頭においてつくられていることによるのである。
われわれは自分のまわりに他人が侵入してくることを好まないし、ことばですら直接にさわられることを嫌う。むやみに他人の名を呼ぶのは失礼になる。「グッド・モーニング・ビル」「グッド・モーニング・ジャック」だが「おはよう、三郎」「おはよう、健治」は日本語的ではない。
政治のことばは、一般有権者に向っての公的発言と、仲間や後援者を相手にする私的発言との両極に二分されている。これまで日本の政治家は、どちらかと言うと私的発言を中心に活動してきたと思われる。滋味のある座談のできる政治家は相当たくさんいるのに、ひとたび大向うを相手にすると味もそっけもない演説しかできなくて、失望を与えるという例がすくなくなかった。

いずれも思い当たることばかり。言葉の問題は、文章、会話、演劇、生活、政治など、私たちのすべてに深く関わっている。

1976年5月25日初版、2018年12月20日第32版。
中公新書、740円。

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2020年05月04日

山下裕二『日本美術の底力』


副題は「「縄文×弥生」で解き明かす」。

「動と生、過剰と淡泊、饒舌と寡黙、あるいは飾りの美と余白の美」を、それぞれ「縄文」と「弥生」の2つのキーワードにして、日本美術の歴史を描いた本。縄文土器から村上隆の「五百羅漢図」まで、カラー写真69点も収められている。

特に良かったのは、伊藤若冲「紅葉小禽図」、葛飾北斎「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝」、宮川香山「褐釉蟹貼付台付鉢」、安本亀八「相撲生人形」、佐藤玄々「天女(まごころ)像」、小村雪岱「青柳」、福田平八郎「漣」、田中一村「不喰芋と蘇鐵」、岸田劉生「麗子坐像」。

日本における水墨画とは、基本的に中国・宋代の絵画スタイルをもとに、鎌倉時代後期以降に描かれた作品を指します。それ以前の作品は、たとえ墨一色で描かれていても水墨画とは呼びません。
若冲作品のなかでも人気の「鳥獣花木図屏風」は、かつて東京国立博物館の奥で埃をかぶっていました。東博に寄託されていたこの作品を発見したのは、当時、同館に勤めていた美術史家の小林忠氏です。

こういった美術史家としての知識にも、教えられるところが多い。

2020年4月10日、NHK出版新書、1200円。

posted by 松村正直 at 10:26| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月03日

川越宗一『熱源』


史実をもとにした小説。第162回直木賞受賞作。

ヤヨマネクフ(山辺安之助)、千徳太郎治、ブロニスワフ・ピウスツキ、金田一京助などの実在の人物をモデルに、1881(明治14)年から1945(昭和20)年までという長い時間を描いた壮大な群像劇。

舞台は樺太(サハリン)を中心に、北海道、ロシア、ポーランド、東京、南極など。国境を越えて様々な民族が行き来する姿と、戦争や国境線の変更によって人々の人生が翻弄される様子が、なまなましく浮き彫りにされている。

近代日本のナショナリズムや世界的な帝国主義の伸張によって、次第に追い詰められていく少数民族や辺境に住む人々。彼らは何を感じ、どのように生きたのか。「生きる」ことの意味をあらためて問い掛けてくる一冊である。

2019年8月30日、文藝春秋、1850円。

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2020年05月02日

近江瞬歌集『飛び散れ、水たち』


353首を収めた第1歌集。

全体が三部構成となっていて、TとUは若々しい青春を詠んだ歌や相聞歌が多い。Vは東日本大震災に関する歌。作者は石巻に住み新聞記者をしている。

僕たちは世界を盗み合うように互いの眼鏡をかけて笑った
ベランダで黒板消しを叩いてる君が風にも色を付けつつ
てっぺんにたどり着けない服たちが落ち続けてるコインランドリー
散るでなく桜は消えてしまうもの例えば路上の白線の中
遠くその夜に触れたい一通のメールで君の画面を灯す
筆談で祖父は「へへへ」と笑い声を書き足している険しき顔で
ビニールの中の金魚におそらくは最初で最後のまちを見せてる
東京をマクドナルドが赤色に染め上げた店舗マップを閉じる
たった一度の役目を終えて試食用つまようじのバラバラの針先
上書き保存を繰り返してはその度に記事の事実が変わる気がする
僕だけが目を開けている黙祷の一分間で写す寒空
被災地視察に新大臣が訪れる秘書の持つ傘で濡れることなく
図書館も被災してれば国の金で立派にできたのになんて言葉も
まとめるのうまいですねと褒められてまとめてしまってごめんと思う
消えるほうばかり尊い線香が灰と煙に分けられてゆく

1首目、相手がいつも見ている風景をのぞき見するような気分。
2首目、チョークの赤や黄色や白の粉が美しく風に流れていく。
3首目、ドラム式洗濯機の中でどこへも行けずに回り続ける服。
4首目、満開だった花が魔法のように消えて路上にも残ってない。
5首目、相手のスマホが受信メールの通知で点灯するのを想像する。
6首目、祖父の生真面目な性格がうかがわれて印象深い。
7首目、金魚すくいの帰り道。水の中から見えるだろう街の風景。
8首目、東京と地方の大きな格差を如実に実感する場面。
9首目、ほんの少し使われただけで捨てられてしまう物へ向ける目。
10首目、事実は一つのはずなのに記事の書き方で変っていく。
11首目、仕事で写真を撮るために、黙祷の間も目を閉じられない。
12首目、すべてお膳立てされた視察のあり方に対する疑問。
13首目、被災地の実態もきれいごとばかりではない。
14首目、記事にまとめることで抜け落ちてしまうものもある。
15首目、立ち昇る煙は空へ消えていくが灰は汚れて残ったまま。

2020年5月3日、左右社、1800円。

posted by 松村正直 at 08:45| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月01日

姜尚美『何度でも食べたい。あんこの本』


2010年に京阪神エルマガジン社から刊行された単行本を加筆修正して文庫化したもの。

25歳であんこの美味しさに開眼した作者が、全国36軒の店を取材して紹介している。それぞれの店の人の語る言葉が印象深い。

甘さ控えめがいいみたいに言われてますけど、砂糖を減らしたら控えめに感じるかと言えば、それは違う。ただの水くさいあんこになってしまうんです。(紫野源水)
大阪の御堂筋のイチョウ並木の黄色とね、和歌山の高野山のイチョウの黄色は違うんですよ。御堂筋のはすこーし濁った黄色ですわ。高野山は透明な黄色。(河藤)

あんこに関する話も興味が尽きない。

京都の和菓子屋さんには、意匠に凝ったその店独特の菓子を出す上生菓子屋さん、饅頭や最中を出すおまん屋さん、餅や餅菓子を出すお餅屋さんの3種類ある。
小豆は、世界の豆類の中でかなりマイナーな存在だ。おもに栽培は東アジアでされているが、伝統的に流通・食用までしているのは中国、韓国、台湾、日本の4か国ほど。その中で一番小豆を食べているのが日本で、ほとんどをあんこにして食べている。

日本人って、そんなにあんこが好きだったのか・・・

巻末の「あんこ日記」によると、作者は日本国内にとどまらず「東アジアあんこ旅」と称して、韓国、台湾、中国、ベトナムにも取材に出向いている。その上で「あんこへの道は迷宮入りした。しかし、ここから新たな扉が開くような予感もする」と書く。

あんこって、奥が深い。

2018年3月10日、文春文庫、850円。


posted by 松村正直 at 19:20| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする