2020年02月29日

デマのこわさ

「悪質なデマによって・・・」というコメントとともに、店頭の商品が無くなっている写真をツイッター等に載せている人がいる。実はそうした行為もまた、見る人の不安をあおりデマの拡散に一役買ってしまう。

もとが悪質なデマであろうが何であろうが、必要のない話を拡散しないことが大切。善意でやっているつもりでも、広く悪影響を及ぼすことに変わりはない。

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2020年02月28日

「塔」2020年2月号(その3)

ぴよんぴよんと幾度か芝地を跳びしあと畑岡奈紗のショット
は伸ぶる              澤崎光子

上句だけだと何のことかわからないが、下句でゴルフの歌だとわかる。何度かバウンドした後でフェアウェイを転がりつづけるボール。

九冊の十二国記を読み返す新たな旅を深めるために
                  高松紗都子

昨年18年ぶりに新作長編が刊行された小野不由美『十二国記』シリーズ。新作を読む前に、じっくりと既刊分を読み直しているのだ。

抱かれたいけど抱かれたら暑くなり仔犬は居場所なきやうに
鳴く                岡本 妙

最初は人間の話と思って読むのだが、下句で仔犬を抱いている場面とわかる。甘えてすり寄ってきたものの、すぐにまた逃げようとする。

「二百十日、二百十日」と祖母は言い家中の雨戸閉めてまわ
りぬ                 雅子

台風が近づいている場面。「二百十日」という昔ながらの言い方で台風に備えている祖母。緊迫した場面だが、どこか楽しそうでもある。

アルバイトを叱る怒声に丼をただ見つめおり緑のぐるぐる
                  榎本ユミ

他人が大声で叱られるのを聞いているのは、気分の良いものではない。ラーメン鉢の縁に描かれた模様(雷文)を見ながらやり過ごす。

なにもせずなにも産まずに終えし日の枕辺をゆく足ほそき蜘蛛
                  亀海夏子

特に何をするでもなく一日が過ぎて寝床についたところ。「足ほそき」という具体がいい。目に入った蜘蛛の姿をじっと見つめている。

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2020年02月27日

「塔」2020年2月号(その2)

ポケットの中で洗濯されているような気持ちで新宿にいる
                  長谷川麟

大勢の人が行き交う新宿の雑踏にいる心細さと、めくるめくような感覚。それを四句目までの長いユニークな比喩がうまく伝えている。

雪うさぎの二円切手買ふ 二千万必要といふ国に老ゆべく
                  森永絹子

郵便料金の値上げに伴ってよく使われるようになった2円切手。郵便局で「二円」の切手を買いながら、老後「二千万」円問題を思う。

木枯らしに二度も三度も庭を掃く柿の葉擦れに耳傾けて
                  澤田清志

風が強く吹いて、さっき掃いたばかりなのにまた葉が散っている。「二度も三度も」は苛立ちのようだが、下句を読むとむしろ穏やか。

玉ねぎを欲しいといへば二十キロ持たせてくれる兄のやうな人
                  森 絹枝

北海道に住む作者。この知り合いの農家はスケールも大きいし、気持ちも大きい。ちょっと欲しいと言ったら箱ごとドーンとくれたのだ。

真剣に遊んでこなかったんかなあコマもあやとりも教えられ
ない                吉田 典

上句の述懐がいい。コマの回し方やあやとりの取り方を子どもに教えようとして、「あれ?どうだったっけ?」と困ってしまったのだ。

ふるさとの島は遠くて東京の島を訪ねる ある晴れた日に
                  紫野 春

島に生まれ育って現在は東京に住む作者。島とはまるで正反対の環境にいて、時々島が恋しくなるのだ。近場の島の空気を吸いに行く。

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2020年02月26日

「塔」2020年2月号(その1)

旧姓をあまやかなものといふ人よその感受こそあまやかならん
                  村田弘子

一般的に姓を変えることの少ない男性の方が「あまやか」と捉えがちな気がする。それに対して、作者は幻想に過ぎないと思うのだろう。

土砂降りの三回戦を観にゆきてサッカーボールが記憶にあらず
                  小林真代

子どもたちのサッカーの試合を見に行った場面。普通はボールの動きを中心に見るのだが、雨と泥と人でぐちゃぐちゃな感じだったのだ。

十一月にクリスマスソングを流しいる店に買い物せざるを
得ない               矢澤麻子

一か月以上前からクリスマスソングを流すことに抵抗を覚えるのだ。でも、近くには他に適当な店がなく、嫌でも曲を聴く羽目になる。

コンビニが二十四時間あいてゐたと古老語れど誰も信じず
                  益田克行

未来を想像した歌。時代の移り変わりとともに、かつては当り前だったことが当り前でなくなり、やがてあり得ないことになっていく。

広島に買ひにゆきたし三色とも赤とふカープの三色ボールペン
                  野 岬

三色ボールペンと言えば黒・赤・青が一般的だが、広島カープのチームカラーにちなんで三色とも赤なのだ。作者も広島ファンなのかも。

にぎりめしラップのうへから握りなほし少女は食(たう)ぶ
秋の列車に             篠野 京

上句は何でもない動作を詠んでいるが、目の付けどころがいい。確かに、おにぎりを崩さないように、軽くこんな仕種をすることがある。

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2020年02月25日

『ちくま日本文学12 中島敦』


先日、万城目学の『悟浄出立』を読んだ流れで、中島敦を読む。
小説17篇と短歌170首あまり。読んだことのある作品がほとんどだが、やはり中島敦はいい。

彼の主人たるこの島の第一長老はパラオ地方――北はこの島から南は遠くペリリュウ島に至る――を通じて指折の物持ちである。  /「幸福」

昭和 17年11月の作品だが、このわずか2年後にペリリュー島が日米両軍の激戦地になることを思うと感慨深い。パラオには一度行ってみたい。

「巡査の居る風景」(昭和4年6月)は戦前の朝鮮が舞台。夫が商売で東京に行って地震(関東大震災)で亡くなったと言う朝鮮人女性が出てくる。

 男は急にギクリとして眼をあげると彼女の顔を見た。と、しばらくの沈黙の後、彼は突然鋭く云った。
――オイ、じゃあ、何も知らないんだな。
――エ?何を。
――お前の亭主はきっと、……可哀そうに。

ここに暗示されているのは朝鮮人虐殺事件である。彼女の夫は地震で死んだのではなく、震災の混乱のなかで殺されたのだ。

うす紅くおほに開ける河馬の口にキャベツ落ち込み行方知らずも
海越えてエチオピアより来しといふこのライオンも眠りたりけり
縞馬の縞鮮やかにラグビイのユニフォームなど思ほゆるかも
うねうねとくねりからめる錦蛇一匹(ひとつ)にかあらむ二匹(ふたつ)にかあらむ
カメレオンの胴の薄さや肋骨も翠(みどり)なす腹に浮きいでて見ゆ

2008年3月10日、ちくま文庫、880円。

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2020年02月24日

大津のカルチャーセンター

4月から滋賀県大津市の「JEUGIAカルチャーセンター大津テラス」で、第4水曜日に短歌講座を始める予定です。

講座の新設に向けて3月25日(水)10:30〜12:30に体験会を行います。興味のある方は、ぜひご参加ください。短歌は初めてという方も大歓迎です。
【延期となりました】


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2020年02月23日

狭野弟上娘子の歌

3月7日に予定されていた講演では、「万葉集」の中臣宅守と狭野弟上娘子の歌について話すつもりだった。越前市の味真野は中臣宅守が流された地で、「あなたを想う恋のうた」もそれに由来している。

君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天(あめ)の火
もがも         狭野弟上娘子(巻十五・3724)

講演は中止になってしまったのだが、準備のために昨年の「短歌研究」2月号〜11月号に連載された品田悦一さんの「万葉の名歌 評価一新の企て」を読んだところ、すこぶる面白かった。

初回にこんなことが書いてある。(「短歌研究」2019年2月号)

弟上娘子の「情熱的」作風は、しかし、明治以前には決して高く評価されていなかった。
弟上娘子の秀歌を見出したのは、どうやら明治の新派歌人たちらしい。
晶子の華々しい活躍と、それを可能にした諸条件は、『万葉集』に情熱的女流歌人が発見される条件でもあったと見て、おそらく間違いないだろう。

なるほどなと思う。明治の和歌革新運動は自分たちの詠む歌を変えるだけでなく、過去に詠まれた数々の歌の評価をも一変させたわけだ。

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2020年02月22日

川俣水雪歌集『シアンクレール今はなく』


「塔」「月光の会」所属の作者の第1歌集。

六月の雨に打たれて泣いていた紫陽花 未明 鉄道自殺
ねえ坊やもっといいもの見せたげる籠の螢は逃がしておやり
「戦争を知らない子供たち」さえも、知らない子供たちの戦争
ホルマリン漬けの巨大な脳ひとつ遺りて春の螺旋階段
白梅のいろはにほへと散りぬるを なのにあなたは京都へゆくの
海峡をわたる春風初蝶の監視カメラにリレーされたる
刻むには惜しいと思うかく長き葱にして名を那須白美人
システムはわからぬながらお彼岸の頃ともなれば咲く曼珠沙華
西安の路地に座れる老人の手より買いたる長安の桃
水打たれ時の止まりし玄関に手花火のごと嵯峨菊の咲く

高野悦子、高橋和巳、石川啄木、宮沢賢治、坪野哲久、中島みゆきなどを詠んだ歌や、歌謡曲、映画、文学などを踏まえた歌が多い。広い意味での本歌取りやコラージュ的な手法が目につく。

1首目、1969年6月に20歳で自死した高野悦子を偲ぶ歌。
3首目、1970年発売のヒット曲。年々戦争の記憶は風化していく。
4首目、襞の多い脳の形と「螺旋階段」のイメージが重なり合う。
6首目、日本各地に設置された監視カメラに次々と映る蝶の姿。
7首目、「那須白美人」という名前なので、刻むのが躊躇われる。
9首目、桃は中国が原産。現代からタイムスリップしたような感覚。

2019年11月28日、静人舎、1800円。

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2020年02月20日

【日程変更】4月8日(水)の対談

4月8日(水)に東京の町田で兄と対談をします。

兄はNPO法人「よこはま里山研究所」(NORA)の理事長をしているのですが、その設立20周年の企画として、「家族・社会・場所・歴史・表現」というテーマで対談することになりました。

http://nora-yokohama.org/join/?p=15291

どんな話になることやら。
興味のある方は、ぜひ聞きに来てください。

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2020年02月18日

今後の予定

3月7日(土)「あなたを想う恋のうた」受賞作品発表式(越前)
        【中止となりました】

3月12日(木) シリーズNORAサロン
    「家族・社会・場所・歴史・表現」(松村正治×松村正直)
 http://nora-yokohama.org/join/?p=15291
        【延期になりました】

3月28日(土) 川俣水雪歌集『シアンクレール今はなく』批評会
        (京都)
        【中止・延期となりました】

4月5日(日) 広島歌人協会短歌大会 講演「歌の読みとは」
        【中止となりました】
   
5月17日(日) 第71回春の短歌祭(京都)講演
        「なぜ啄木の小説は失敗し短歌は成功したのか」
        【中止となりました】

5月21日(木) JEUGIAカルチャー「中之島バラ園」吟行(大阪)
 https://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_17-15703.html
        【中止となりました】

6月1日(月) NHK学園「伊香保短歌大会」
         対談「啄木のこと、これからのこと」
 https://www.n-gaku.jp/life/topics/5078
        【中止となりました】

6月7日(日) 笠木拓歌集『はるかカーテンコールまで』批評会
        (京都)パネラー
        【延期になりました】

6月13日(土) 朝日カルチャー講座「永井陽子の歌と人生」
        (芦屋)
 https://www.asahiculture.jp/course/ashiya/d8167ae0-1a81-d047-7e54-5e379423bbf9

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2020年02月16日

小田鮎子歌集『海、または迷路』

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「お母さん」と私を初めて呼ぶ人の交付する母子健康手帳
名も知らぬ子ども同士が砂場にてトンネルひとつ貫通させつ
自転車の前籠に乗る大根と子ども段差に同時に跳ねる
桃太郎待合室に読みおれば鬼退治する前に呼ばれつ
自らをママと呼びつつおのずからママに侵食されゆくらしも
住宅の建ち上がるまでは集い来て仕事場とする労働者あり
子守りして一日(ひとひ)籠もるに帰り来し夫は今日の猛暑を嘆く
歩むとき背負うリュックの水筒に氷涼しき音を立てたり
冷え切らぬ握り飯二つ通勤の鞄に詰めて地下鉄に乗る
サッカーの試合を終えし子どもより砂落つ体の一部のごとく

「八雁」所属の作者の第1歌集。

2008年以降の作品と、2003年刊行の私家版歌集『月明かりの下 僕は君を見つけ出す』の抄録、あわせて413首を収めている。

1首目、妊娠中に役場の人に言われた「お母さん」。
3首目、「大根」と「子ども」を同列に扱っているのが面白い。
4首目、クライマックスにたどり着く前に順番が来てしまう。
7首目、猛暑も大変だが、一日子どもと向き合うのはもっと大変。
9首目、傷まないように冷ましてから入れたいが朝は時間がない。

2019年12月3日、現代短歌社、2500円。

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2020年02月14日

万城目学著『悟浄出立』


万城目学は好きな作家で、『鴨川ホルモー』『鹿男あをによし』『ホルモー六景』『プリンセス・トヨトミ』『偉大なる、しゅららぼん』『とっぴんぱらりの風太郎』と読んで、映画も3本とも見たのだが、なぜかそこで止まっていた。

本書は中国の古典に題材を得た作品5篇(「悟浄出立」「趙雲西航」「虞姫寂静」「法家孤憤」「父司馬遷」)を収めたもの。どれも原典を踏まえつつ自由な想像力で奥行きのある話を生み出している。

中でも「虞姫寂静」はストーリーの展開が見事で味わい深い。
このシリーズはもっと読みたいなあ。

2017年1月1日、新潮文庫、490円。

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2020年02月13日

松平盟子著『真珠時間』

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副題は「短歌とエッセイのマリアージュ」。

短歌誌「プチ★モンド」や読売新聞に連載したエッセイ300篇余りと、書き下ろしのエッセイ「光太郎とラリックをつなぐ「蟬」」を収めた一冊。約25年にわたる長い時間が含まれており、作者のその時々の感慨が読み取れる。

残し置くものに未練はあらざれどうすきガラスのこの醬油差し
      永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』
旅するといふは封印するごとしいちど旅したところはどこも
            小池純代『梅園』
胡瓜、胡桃、胡椒とこゑに数ふれば西域遥か胡の国いつつ
            渡英子『夜の桃』

2018年7月24日、本阿弥書店、2600円。

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2020年02月12日

カン・ハンナ歌集『まだまだです』


韓国出身で日本の大学院に学び、「NHK短歌」にも出演する作者の第1歌集。

ソウルの母に電話ではしゃぐデパ地下のつぶあんおはぎの魅力について
焼き鳥を食べに行こうと誘ってよ大学の並木を一人で帰る
初恋の人が結婚しましたと山手線が終点に着く
娘など家を継げない他人だと言ってた祖母も誰かの娘
マグカップ両手で持って飲むわれにイルボニンぽいと友がまた
言う              (イルボニン:日本人)
牛丼にサラダをつける「わたし女ですから」というような顔して
上下するお湯が真っ黒に変わりゆく君と最後のサイフォンコーヒー
日本語の発音のままハングルで記すノートは誰も読めない
聞いてもない帰化の条件聞かされる春の昼下がりはアウターに困る
手術後の消えない傷は冷えるたびまた痛み出す 三十八度線

1首目、「デパ地下」という略語がごく自然に使われている。
2首目、仲間で焼き鳥を食べに行く際に誘われなかった寂しさ。
3首目、下句は長く回り続けてきた時間が終わる感じ。
4首目、祖母もまた同じ女性として苦労してきた人だったのだ。
5首目、韓国人の友人の何気ない言葉に心が揺れる。
6首目、牛丼だけを注文するのはハードルが高いのだろう。
7首目、「真っ黒」がコーヒーの色だけでなく心情も表している。
8首目、自分は一体何者なのかというアイデンティティの揺らぎ。
9首目、親切心ゆえのお節介に対する戸惑いが下句から伝わる。
10首目、南北分断の現状を身体的な痛みとして感じ取っている。

韓国には「つぶあんおはぎ」がないことや、女性でもマグカップを片手で持つ人が多いこと、南北分断の現状を常に自分自身の問題として捉えていることなど、いろいろと教えられることの多い歌集だった。

2019年12月10日、角川文化振興財団、2600円。

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2020年02月11日

田山花袋著『田舎教師』


明治34年から38年の埼玉県を舞台に、家が貧しくて進学できず小学校の教師となった主人公、林清三の生活や心情を描いた小説。熊谷、行田、羽生、弥勒、中田といった町の様子や利根川の風景なども記されている。

 「湯屋で、一日遊ぶような処が出来たって言うじゃありませんか。林さん、行って見ましたか」(・・・)
 上町の鶴の湯にそういう催しがあるのを清三も聞いて知っていた。夏の間、二階を明放して、一日湯に入ったり昼寝でもしたりして遊んで行かれるようにしてある。氷も菓子も麦酒(ビール)も饂飩も売る。ちょっとした昼飯位は食わせる準備も出来ている。浪花節も昼一度夜一度あるという。

これは、まさに現代の「スーパー銭湯」ではないか。何と100年以上も前からあったとは!

明治という時代について知るための資料のつもりで読んだのだが、すこぶる面白かった。田山花袋、いいな。

1931年1月25日第1刷、2018年3月16日改版第1刷、
岩波文庫、740円。

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2020年02月10日

「短歌研究」2020年1月号

昨年9月に仙台文学館で行われた小池光と花山多佳子の対談「茂吉短歌・二十首をたっぷり読む」が面白かった。斎藤茂吉の歌を十首ずつ持ち寄って読み解いていくのだが、二人の息がよく合っていて中身の濃い対談になっている。

小池 卵を産むために育てられているめん鶏なんだけどね。めん鶏の雌というイメージと、剃刀研人は男だよね、男女のエロスみたいなのが一瞬ここに溢れてる。ここではっとする。なにかとてもエロチックなイメージでね。「めん」がすごく大事で、下手な人が作ると「鶏」になっちゃう。「めん鶏」だと言うからそこに男女の――そこまで言っちゃうと言いすぎなんだけども――性的な感覚がちらっと背景に存在が見える。そこがこの歌の見どころだと思う。
花山 それは小池説(笑)。
小池 小池説さんだけどさ(笑)。
花山 最近の歌会って、これ、要らないという指摘をしたがる傾向がありますよね。ダブってるとか、無意味に入ってるとか。全然そういうことではないと思うんだけどね。

読んでいて楽しく、もっともっと読みたくなる。

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2020年02月09日

小川輝光著『3・11後の水俣 MINAMATA』


歴史総合パートナーズ7。

水俣を訪れて水俣病の歴史や現在を学ぶとともに、3・11後の社会のあり方を考える本。

水俣病については学校で習った程度の知識しかなかったので、公害の問題を差別や格差、分断といった社会的な側面から捉え、そこに福島の原発事故と同じ構造を見出す視点が強く印象に残った。

肥薩おれんじ鉄道水俣駅を降りるとすぐ正面に、チッソ水俣工場の正門が見えます。この間の距離は50メートルもあります。というのも、もともと水俣駅はこの工場のためにつくられたからです。

駅の前に工場があるのではなく、工場の前に駅が作られたということ。それを知っているだけでも風景の見方が変ってくる。

そのチッソは、水俣の人たちにとって絶対的な存在でした。チッソの側に立つか立たないかで、生活を巻き込んだ分断を招きました。漁民暴動の際には工場の従業員と漁民との間の隔絶が、安賃闘争の際にはチッソで働く者同士の分断が、患者の座り込みの時には市民と患者との断絶が見られました。

こうした分断の構図は、原発の立地する町にも必ずと言って良いほど存在するものだ。

そのような学びの中で、原田正純がたどり着いた最も重要な理解は何だと思いますか。それは、「公害があるから、差別が起こるのではない」「差別のあるところに公害が起きる」という事実でした。

非常に大切で、説得力のある見解だと思う。

「歴史総合パートナーズ」(10冊)は2022年から高校の必修科目となる「歴史総合」のために刊行されたシリーズで、記述はわかりやすく内容は深い。おススメ。

2019年1月9日、清水書院、1000円。


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2020年02月06日

武田徹著『日本ノンフィクション史』


副題は「ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで」。

現代では当り前のように使われる「ノンフィクション」という言葉は、いつ頃、どのようにして生まれたのか。1930年代から現代に至る歴史をたどって考察した本。

大宅壮一、林芙美子、石川達三、堀田善衛、安部公房、梶山季之、草柳大蔵、沢木耕太郎といった人々や、筑摩書房「世界ノンフィクション全集」、日本テレビ「ノンフィクション劇場」などが取り上げられている。

ノンフィクションとフィクションの分岐に人々は関心を持つが、実はノンフィクションを書こうとする表現者の姿勢が現実に人為の加工を加えてフィクション化してしまう。
『世界ノンフィクション全集』の刊行が「非小説」という否定形の消極的な定義しかなかった「ノンフィクション」の概念を内側から具体的に輪郭づけることに大きく寄与したことは疑いえない。
ノンフィクションがフィクションを生み出す一方で、フィクションもまたノンフィクションに織り込まれてゆく宿命を持っている。

日本のノンフィクションの歴史をたどりつつ、著者はノンフィクションとは何か、フィクションとノンフィクションは何が違うのか、を丁寧に分析していく。このあたりは、短歌における事実と虚構の問題とも通じる点が多い。

ノンフィクションというジャンルがもともと自明のものとして存在していたわけではない。多くの人々の苦闘や試行錯誤が、ノンフィクションというジャンルを生み出したのである。

2017年3月25日、中公新書、880円。


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2020年02月05日

笠木拓『はるかカーテンコールまで』歌集批評会【延期】

【延期になりました】

日時 2020年6月7日(日)13:30〜17:00
場所 コープイン京都


第1部 パネルディスカッション
     中津昌子・松村正直・立花開・牛尾今日子(司会)
第2部 会場発言

【参加費】
一般:批評会 2,000円・懇親会 4,000円
学生:批評会 1,500円・懇親会 3,500円

参加申込み→こちら


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2020年02月04日

「塔」2020年1月号(その2)

フェイントのゆるいボールが落ちて来つテレビ見ながらわが脚
動く                 丸山順司

バレーボールなどでスパイクを打つと見せかけて緩い球を打つフェイント。テレビを見ていて思わず身体が反応して動いてしまったのだ。

牛小屋にくっ付いていた外便所月ばっかりが思い出にある
                   中山大三

かつての日本家屋では便所が外にあることも多かった。この歌では何と牛小屋に併設されている。夜の便所に行く途中で見た月の美しさ。

箸袋に鶴の折り方書かれいて箸置きの鶴五羽になりたり
                   田宮智美

割り箸の袋を折って鶴の形の箸置きにする方法が印刷されていたのだ。見たらつい試してみたくなるもの。五名で食事している場面か。

北米の野鳥三十億羽減 星を剥がれていった羽音
                   田村穂隆

「三十億羽」という圧倒的な数字に驚かされる。「剥がれていった」が何とも痛ましい。地球上から失われてしまった数多くの鳥の命。

触れないと触れたいことがわからずに消去法にて指をからめる
                   中井スピカ

触れたいから触れるのではなく、触れることで触れたかった自らの気持ちに気づく。恋人と手をつなぐ時のちょっとした緊張感と嬉しさ。

ウェイター待たせに待たせボンゴレと君が言うから僕もボン
ゴレ                 坂下俊郎

「ボンゴレ」の繰り返しが楽しい。連れ合いが注文に迷って長々と待たせてしまったのが申し訳なくて、僕も同じものにしたのだろう。

日の差さぬ方をえらべばトンネルを抜けし車窓に海は見えない
                   黒木浩子

窓から差し込む日差しを避けて反対側の席に座ったら、せっかくの海の景色も反対側になってしまった。東海道新幹線などは、こうなる。

姑は二十時間の眠りより覚めて食事すコスモスを背に
                   生田延子

高齢でほとんど寝たきりの生活の姑。「二十時間」という具体がいい。長い眠りから覚めて食事する姿は、夢と現実の間にいるようだ。

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2020年02月03日

「塔」2020年1月号(その1)

この次は私の子供に生まれたし唐胡麻の花駅へとつづく
                   大橋智恵子

自分の子供に生まれたいという発想がユニーク。単為生殖のようなイメージだろうか。唐胡麻は生け花の花材としても使われるらしい。

数時間あとにはもどる船着き場知らないだれかが手をふって
いる                 岡本幸緒

遊覧船に乗る場面。どこかへ行くのではなく、ぐるっと回って帰ってくる船。こういう時は、なぜか知らない人同士でも手を振り合う。

道を行く人の頭髪じつと見る理容師なれば当然として
                   松島良幸

理髪店を営む作者。店の前を過ぎ行く人の髪の伸び具合が気になるのだ。それを「当然として」と言い切ったところにユーモアも感じる。

山陽線・美祢線・山陰線乗り継ぎ下関から萩へと帰る
                   片山楓子

下関から厚狭、長門を経由して萩へ。同じ山口県内であるにもかかわらず、列車の本数も少ないのでゆうに二時間以上はかかってしまう。

自陣より香車を打てばたちまちに盤の柾目の筋とほるなり
                   清水良郎

香車は縦にだけ進む駒なので、将棋盤の縦方向に真っ直ぐ通った木目が浮き上がるように強く意識されたのだ。駒の働きがよくわかる歌。

なりたくて親子になったわけじゃない子は思うらむ吾も思いき
                   関野裕之

親子関係が何かぎくしゃくしている様子。上句のことを作者自身もかつて親に対して思ったことがあるから、子の気持ちがよくわかる。

ロープウェイに乗れば七分 二時間をかけて登って鹿たちに
会う                 加藤武朗

「七分」と「二時間」の具体的な対比がいい。自分の足で苦労して登ったご褒美のように、登山道の途中で鹿が姿を現してくれたのだ。

我武者羅や釈迦力よりもシンプルにひたむきでいいと思うんだ
けど                 白澤真史

「がむしゃら」や「しゃかりき」を漢字で書くと物々しく肩に力が入った感じになる。そんなに気負わなくてもいいのでは、という思い。

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2020年02月02日

今後の予定

2月7日(金)「パンの耳」第2号批評会(西宮)
3月7日(土)「あなたを想う恋のうた」受賞作品発表式(越前)
         講演「令和・万葉と味真野」
 https://www.jigyodan-city-echizen.jp/news/5277.html
3月28日(土) 川俣水雪歌集『シアンクレール今はなく』批評会
        (京都)
4月5日(日) 広島歌人協会短歌大会 講演「歌の読みをめぐって」
5月17日(日) 第71回春の短歌祭(京都)講演
        「なぜ啄木の小説は失敗し短歌は成功したのか」
5月21日(木) JEUGIAカルチャー「中之島バラ園」吟行(大阪)
6月1日(月) NHK学園「伊香保短歌大会」
         対談「啄木のこと、これからのこと」
6月7日(日) 笠木拓歌集『はるかカーテンコールまで』批評会
        (京都)パネラー
6月13日(土) 朝日カルチャー講座「永井陽子の歌と人生」
        (芦屋)

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2020年02月01日

小林百合子(文)・野川かさね(写真)『山と山小屋』


副題は「週末に行きたい17軒」。

僕は本格的な山登りはしたことがないのだけれど、憧れはあって、山登りの本を読んだりすることがある。これも、その一冊。

各地の山小屋の風景や人々の様子が、味わい深い写真とともに描かれている。

「しらびそ小屋」「高見石小屋」「黒百合ヒュッテ」「青年小屋」「縞枯山荘」「山びこ荘」「雲取山荘」「三条の湯」「金峰山小屋」「甲武信小屋」「燕山荘」「涸沢小屋」「北穂高小屋」「三斗小屋温泉大黒屋」「龍宮小屋」「花立山荘」「三角点・かげ信小屋」。

やっぱりいいな、山登り。

2012年5月25日、平凡社、1500円。

posted by 松村正直 at 23:43| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする