2019年12月31日

2019年の活動記録

作品
 ・二人五十首(中川佐和子さんと)(「現代短歌」2月号)
 ・「ふるさとへの旅」30首(「短歌研究」2月号)
 ・「生しらす丼」15首(「うた新聞」2月号)
 ・「平成じぶん歌(三十一首目)」1首(「短歌研究」4月号)
 ・「地図アプリ」7首(「短歌研究」6月号)
 ・「さくらと玄室」15首(「パンの耳」第2号)

連載
 ・啄木ごっこ(第3回)生誕地、常光寺(「角川短歌」1月号)
 ・啄木ごっこ(第4回)一禎と旧派和歌(「角川短歌」2月号)
 ・啄木ごっこ(第5回)ふるさと渋民村(「角川短歌」3月号)
 ・啄木ごっこ(第6回)岩手山と北上川(「角川短歌」4月号)
 ・啄木ごっこ(第7回)城下町盛岡(「角川短歌」5月号)
 ・啄木ごっこ(第8回)盛岡中学校と雑誌「明星」
                   (「角川短歌」6月号)
 ・啄木ごっこ(第9回)カンニング、退学、夭折
                   (「角川短歌」7月号)
 ・啄木ごっこ(第10回)一回目の上京(「角川短歌」8月号)
 ・啄木ごっこ(第11回)新詩社、与謝野鉄幹・晶子
                   (「角川短歌」9月号)
 ・啄木ごっこ(第12回)『みだれ髪』の模倣、浪漫主義
                   (「角川短歌」10月号)
 ・啄木ごっこ(第13回)詩人「啄木」(「角川短歌」11月号)
 ・啄木ごっこ(第14回)詩の新しいリズム
                   (「角川短歌」12月号)

評論
 ・現代に生きる歌枕(「短歌往来」9月号)

時評
 ・万葉集と「令和」(「朝日新聞」4月21日朝刊)
 ・母の死と向き合う(「朝日新聞」5月19日朝刊)
 ・ベトナムの今と昔(「朝日新聞」6月23日朝刊)
 ・沖縄から見えること(「朝日新聞」7月21日朝刊)
 ・継続する意志(「朝日新聞」8月18日朝刊)
 ・生活と人生(「朝日新聞」9月22日朝刊)
 ・「歌は人」でいいのか(「朝日新聞」10月20日朝刊)
 ・鑑賞が導く歌人論(「朝日新聞」11月17日朝刊)
 ・詠嘆の先に(「朝日新聞」12月22日朝刊)

書評
 ・吉村睦人歌集『蠟梅の花』評(「現代短歌新聞」2月号)
 ・及川隆彦著『編集者の短歌史』評(「歌壇」3月号)
 ・『内藤明歌集』『続内藤明歌集』評(「現代短歌新聞」3月号)
 ・島田達巳歌集『立山連峰』評(「現代短歌新聞」4月号)
 ・馬場昭徳歌集『夏の水脈』評(「現代短歌新聞」6月号)
 ・門脇篤史歌集『微風域』評(現代短歌新聞」11月号)
 ・近藤かすみ歌集『花折断層』評(「現代短歌新聞」12月号)

その他
 ・大森静佳一首鑑賞(「Sister On a Water」第2号)
 ・「多士済々、一騎当千、短歌人」(「短歌人」4月号)
 ・平成の歌集(「現代短歌」6月号)
 ・小見山輝一首評(「龍」小見山輝追悼号)
 ・森ひなこ歌集『夏歌ふ者』栞(7月)
 ・近藤寿美子歌集『桜蘂』栞(7月)
 ・文明か佐太郎か(「現代短歌」9月号)
 ・倉成悦子歌集 『ターコイズブルー』栞(10月)
 ・二月の歌(「六花」vol.4)
 ・認識を更新する定型の力(「角川短歌年鑑」令和2年版)

出演
 ・第22回「あなたを想う恋の歌」審査員
 ・第7回現代短歌社賞選考委員
 ・Twitter企画「令和36歌仙」選者
 ・鼎談「2018年の歌集を読む」(1月13日)
 ・NHK全国短歌大会ジュニアの部選者(1月19日)
 ・講演「高安国世と万葉集」(9月7日)
 ・講座「石川啄木―詩、小説、そして短歌へ」(9月25日)
 ・講演「竹山広の時間表現」(11月10日)

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坪内稔典歌集 『雲の寄る日』

俳人で、「鱧と水仙」や「心の花」にも所属する作者の第2歌集。

俳句的な取り合わせや、人名を詠み込んだ挨拶的な歌、カバやサイなどの動物の歌に特色がある。

三月の雪の半島もしかして半島は春の櫂かもしれぬ
真っ青な空の初冬の碧南の人参畑海まで続く
ありふれた土器のかけらのような午後黒ビールなどちょっと思った
一皿の黒い葡萄が冷えている今夜は星が流れるだろう
天窓にちぎれ雲など寄って来る拾い読みするアリストテレス
そら豆の緑みたいな感情をころがしている一人の夕べ
発情の日には今にも死にそうでカバの福子は一トンの肉
遠くから船が戻って来たように突っ立っている朝のシロサイ

2首目、「碧南」(愛知県)という地名がよく効いている。
5首目、「天窓」と「アリストテレス」の響き合い。
7首目、「一トンの肉」が強烈。全身で身もだえしている。

2019年12月9日、ながらみ書房、2400円。

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2019年12月30日

小島美羽著 『時が止まった部屋』


副題は「遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし」。

遺品整理・特殊清掃の仕事に携わる著者が、孤独死の実態について書いた本。著者が制作した現場の部屋のミニチュア8点の写真が載っている。

このミニチュアがすごい。

部屋に残された机、椅子、洗面台、戸棚、カレンダー、酒のカップ、ペットボトル、ゴミ袋、新聞、猫、そして汚れやシミに至るまで、精巧に再現されている。

わたしは孤独死が悪いことだとは思っていない。人が亡くなることは誰にも止められないし、病院や施設などではなく住み慣れた我が家で逝きたいと思っている人は多い。自宅で一人で死ぬのが悪いのではなく、発見されるまでの期間が問題なのだ。
湯船のなかで亡くなると、居間などで亡くなった人よりも腐敗が早まる。なかでも、追い炊き、保温機能を備えたお風呂での孤独死の現場が、いまでも強く、わたしの心に残っている。
この仕事をしていて辛いと思うのは、汚物でも激臭でも、虫でもない。こんなふうに人間の「裏の顔」が垣間見える瞬間だ。

誰も自分の死に方を選ぶことはできない。人間が生きること、そして死ぬことについて多くを考えさせられる一冊だった。

2019年8月31日、原書房、1400円。

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2019年12月29日

「塔」2019年12月号(その3)

鵺(ぬえ)に似たぼくのこころできみを抱く 鵺は意外とかはいいと思ふ
                    宮本背水

「鵺」は伝説上の気味悪い怪物だが、下句「意外とかはいい」に意外性がある。人を抱く時のふだんとは違う自分を楽しんでいるようだ。

願かけに生やしはじめて三十五年子らはひげ無きあなたを知らず
                    宮内ちさと

夫の願いごとは、生まれてくる、或いは生まれたばかりの子に関することではないかと思う。「三十五年」という年数に重みを感じる。

綿飴の膨らみを待つ額から流れる汗の甘そうなこと
                    中森 舞

お店の人が割り箸に綿飴を巻き取っていく姿を見つめている子ども。夏祭りなのだろう。あたりにはザラメの甘い匂いが漂っている。

川砂の白さを踏みて釣り人は夏のをはりの標本となる
                    森尾みづな

川岸に立ったままじっと動かない釣り人の様子。「夏のをはりの標本」がいい。時が止まって風景に閉じ込められてしまったみたい。

窓越しに口をパクパクさせながらこっちへこいと合図する姉
                    王生令子

声は聞こえないのに「こっちへこい」と言っていることがはっきりわかる。行かないと怒られそうだ。姉と妹の微妙な力関係を感じる。

クロワッサンみたいな人だいい色に焼けてはいるが迫力がない
                    福西直美

「クロワッサンみたいな人」という表現が面白い。人柄は良いのだけれど、押しが弱い。悪い人ではないんだけどねえ、という感じか。

水槽の青い魚を見るようにアイスケースの前に立つ人
                    竹内 亮

いろいろなフレーバーのアイスがケースの中に並んでいる。それを覗き込みながら、どれにしようかと目をきょろきょろ動かしている人。


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2019年12月28日

池内恵著 『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』


【中東大混迷を解く】シリーズの1冊目。

複雑に入り組む中東問題を理解する手掛かりとして、1916年にイギリスとフランスの間で結ばれたサイクス=ピコ協定に焦点を当てて論じた本。

第1次世界大戦後のオスマン帝国の解体から近年のイスラム国の台頭、シリア内戦、クルド人問題まで、中東世界の基礎的な部分がよくわかる内容となっている。

ある民族が国家の設立や自治を獲得するか否か、自らの政府を持って統治することができるか否かは、国際情勢、特にその時々の諸大国あるいは超大国の意向、そして大国間の交渉と協調に大きく依存する。
オスマン帝国支配下の諸集団には「民族」という概念はまだ未分化だった。それが西欧列強の介入が及び、社会の近代化が進むにつれて、言語の相違や、宗教・宗派による共同体のつながりが、国民国家を構成する民族という観念の核になった。
極めて冷酷な現実は次のようなものである。ある領域を統治する勢力にとって、自らの統治に服すことを潔しとしない人間が難民として流出していくことは、統治のコストを抑えられるが故に、好都合である。

政治も国際関係も、理念と現実、正義と武力の間で何とか着地点を見つけていくしかない。これは何も中東に限った話ではなく、例えば東アジアにおいても同様なのだろう。

2016年5月25日、新潮選書、1000円。

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2019年12月27日

「塔」2019年12月号(その2)

「丸茄子の輪切りに味噌を挟むのは北信(ほくしん)流」と南信(なんしん)の人
                    青木朋子

「北信」は長野県北部、「南信」は南部のことだろう。他県の人から見れば同じ長野県なのだが、地元の人にとっては大きな違いなのだ。

首振りの扇風機壁に打ち当たりあくまでも首振らんとしをり
                    野 岬

自宅でも時々目にする光景だが、短歌に詠まれるのは珍しい。センサーなどで制御されてはいないところに昭和的な懐かしさを感じる。

鮎釣るは年寄りばかり思い出を拾うがごとく馬瀬川に立つ
                    加藤武朗

鮎釣りをする人も年々減っているのだろうか。「馬瀬川」という固有名詞がいい。川のあちこちに長年釣りをしてきた思い出があるのだ。

おとうとがページをめくり王朝のひとつが滅ぶ初夏ひるさがり
                    中田明子

世界史の教科書などを読んでいて、王朝が興ったり滅んだりするのだ。ページから3Dホログラムが立ち上がってくるみたいに感じる。

父母の木箱の雲丹は売られおり金の「特選」シール付けられ
                    逢坂みずき

両親の獲ったウニが店で立派な姿で売られているのを見て誇らしく感じている。どんなウニでも良いのではなく、選ばれた高級なウニ。

くりかえす朝焼けに身を撓らせていくどもいくどもお前を産むよ
                    魚谷真梨子

出産の時の記憶が何度も甦ってくるのだろう。子を産むというのは、産んで終わりではなく、永遠に産み続けることなのかもしれない。

競泳の選手の腕のかたちしてざぶりと波が海に飛びこむ
                    松岡明香

曲線を描く波頭の形をクロールの腕に喩えたのがおもしろい。波はもともと海の一部なのだが、まるで別の生き物のように感じられる。

posted by 松村正直 at 10:17| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月26日

マカロフのこと

「角川短歌」1月号の連載「啄木ごっこ」で、啄木の「マカロフ提督追悼」という詩を取り上げた。マカロフはロシア海軍の太平洋艦隊司令長官で、日露戦争において戦死した人物。

このステパン・マカロフ(1849‐1904)に関する小ネタを一つ。

かつて樺太の東海岸に知取(しるとる、しるとり)という町があった。知取炭鉱や王子製紙知取工場などがあり、人口は約1万8千人。


  P1070596.JPG


昭和10年5月に樺太を訪れた林芙美子は、樺太庁の置かれた豊原から敷香へ鉄道で向かう途中に、この知取を通っている。

知取の町は豊原よりにぎやかかも知れません。それに第一活気があって、まるでヴォルガ河口の工場地帯のようでした。灰色の工場の建物はやや立派です。煙が林立した煙突から墨を吐き出しているようなのです。ここでは新聞紙やマニラボール、模造紙、乾燥パルプをつくっています。(「樺太への旅」)

工業都市として賑わっていた様子がよくわかる描写だ。

この町は現在、「マカロフ」という名前になっている。これはステパン・マカロフの名前にちなんで名づけられたもの。第2次世界大戦に勝利したソ連が、日露戦争で戦死した英雄の名前をこの町に付けたのだ。

もともと南樺太が日露戦争後に日本に割譲された土地であったことを思えば、そこに込められた意味は自ずと明らかだろう。


posted by 松村正直 at 23:51| Comment(6) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月25日

「塔」2019年12月号(その1)

白く冷たい音をたてつつそそがれて牛乳は朝のカップに目覚む
                    河野美砂子

「白く冷たい」牛乳ではなく「白く冷たい」音。目覚めるのも私ではなく牛乳。言葉が微妙にずらされることで光景が鮮明に見えてくる。

閉めるなとふ札のかかりて営林署の蛇口は山水流しつ放し
                    酒井久美子

蛇口をきっちり閉めてしまうと凍ってしまうのだ。冬には雪が積もるような寒い土地の感じが伝わる。水道ではなく沢から引いてきた水。

その川は筑紫次郎と呼ばれおり太郎三郎と出会うことなく
                    貞包雅文

「筑紫次郎」は筑後川。坂東太郎(利根川)や四国三郎(吉野川)と兄弟みたいな名前だが、もちろん離れ離れで合流することはない。

引き潮の昏い海岸を駈けていった大きな犬こわいくらい身軽な
                    白水裕子

モノクロ映画のワンシーンのような場面。下句「大きな犬こわい/くらい身軽な」の句跨りが、憧れや怯えのような不思議な余韻を残す。

怒られる前に帰ると娘はわらえりガラスのようないつもの声で
                    朝井さとる

あまり長居して喋っていると最後は小言になると知っているのだ。適度な距離感のある母と娘のさっぱりした関係が感じられて心地よい。

踏み跡を吸ひとるやうに雪をふむ白馬岳に眼はしろく病む
                    坂 楓

前の人の靴跡に自分の靴を重ねる様子を「吸ひとるやうに」と言ったのがいい。ずっと足元の雪を見続けて、目が見えにくくなっていく。

清くんが死んだよと言われ清くんは思い出の沼から立ち上がり来る
                    吉田淳美

もう忘れていた子どもの頃の友達だろう。その死を知らされて記憶の奥から甦った「清くん」。死んだことで一瞬作者の中に生き返った。


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2019年12月24日

宇根豊著 『日本人にとって自然とはなにか』


NPO法人「農と自然の研究所」代表理事をつとめる著者が、百姓の視点から日本人の自然観を描き出した本。

自然と人間を分けて科学的・客観的に捉える「外からのまなざし」と、人間も自然に含めて体験や記憶に基づいて捉える「内からのまなざし」。この二つを行き来しながら、自然を見る目を養い、自然への向き合い方を深めていく。

赤とんぼが急に飛び始めるのは、田植えして四五日過ぎた頃です。日本で生まれる赤とんぼのほとんどは田んぼで生まれます。
私たちは自然の中で、自然の一員として生きものにまなざしを注いでいるときには、自然を意識することはありません。自然を意識する時は、「自然」という言葉を使うときだけです。
名前には、名づけた人の気持ちとまなざしが表れています。メダカと書くと単なる記号ですが、目高と書くと、目が高い(上にある)魚という意味が伝わってきます。
なぜ「田植えと言うのに、稲植えとは言わないのだろうか」と思ったのは、「稲刈り」を「田刈り」という地方があることを知った時です。

身近で具体的な話をもとにしながら、自然のあり方や人間の生き方の根本を探っていく。その「百姓の哲学」とも言うべきスタイルが魅力的な一冊である。

2019年7月10日、ちくまプリマ―新書、860円。

posted by 松村正直 at 21:50| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月23日

編集長という役職

私が「塔」の編集長になったのは2005年。
今年で丸15年、編集長を務めたことになる。

初めて担当したのは「塔」2005年2月号(通巻601号)。まだ144ページという分量であった。各地歌会案内を見ると、当時の歌会の数は全国で20か所。現在は40か所なのでちょうど2倍になったわけだ。ページ数の方も約1.5倍になっている。

この間、塔短歌会賞・塔新人賞の創設(2011年)、事務所の開設(2011年)、一般社団法人化(2017年)といった大きな出来事があった。また、会計業務をティグレ(のちに岡田税理士事務所)に、全国大会の業務を東武トップツアーズに委託するようになった。いずれも、結社を安定的に長く運営できるようにとの考えで決めたことである。

先月の編集会議で、編集長を2020年いっぱいで退任することが決まった。私のやっている仕事は複数の人に分担してもらい、編集長という役職は廃止になる。若干の寂しさはあるけれど、残り1年間がんばっていきたい。

posted by 松村正直 at 18:16| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月22日

藤森照信+大和ハウス工業総合技術研究所『近代建築そもそも講義』


明治期の日本がどのように西洋風の建築を取り入れていったのかを記した本。2015年6月〜2017年7月に「週刊新潮」に連載された文章が元になっている。

コレラ対策の為に水道が普及したこと、シンデレラのガラスの靴が英語では「スリッパ」であること、洋館の特徴であるヴェランダの巡る様式は本場のヨーロッパにはないことなど、意外な話がたくさん載っている。

和風とも洋風ともつかないスリッパという鵺(ぬえ)的履物によって和洋の矛盾を回避している。
あまりに日本列島は木材資源に恵まれ、ユーラシア大陸では一般化した石、煉瓦、アーチの建設用三点セットの導入は必要なかったのだろう。
古代のギリシャとローマの文化を復興しようと志したルネッサンス時代の人々は、ギリシャについては知らなかった。ギリシャはトルコの支配下にあり訪れることはできなかったからだ。

工部大学校造家学科の初代教授ジョサイア・コンドルのもとには4名の一期生がいた。曽禰達蔵・辰野金吾・片山東熊・佐竹七次郎。前の3名が有名な建築家となったのに対して、佐竹は今ではほとんど知られていない。そんな佐竹の建築についても、この本はきちんと言及している。

2019年10月20日、新潮新書、800円。

posted by 松村正直 at 22:58| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月21日

『紫のひと』の書評

『紫のひと』の書評が短歌雑誌に載り始めています。

・大辻隆弘「違う自分の造形」(「現代短歌新聞」2019年11月号)
・高島裕「独自の象徴性」(「短歌往来」2020年1月号)
・大松達知 (「コスモス」2020年1月号)
・山下翔「むしろ〈地のうた〉」(「短歌研究」2020年1月号)
・染野太朗 (「角川短歌」2020年1月号)

ありがとうございます。
(なぜか男性ばかり)

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2019年12月19日

「ひとまる2」

平成10年生まれのメンバーによる短歌同人誌。

電話でも風が強いね なれるなら君にとっての船とか樹とか
                    石井大成

電話の向こうから風の音がして相手の心細さが伝わってくる。一字空けの後の「なれるなら」がいい。君の力になりたいという強い思い。

さみしいは寒さのそくど立ち漕ぎで坂を下れば月は遠のく
                    今村亜衣莉

「さみしいは寒さのそくど」に強引な説得力がある。さみしさを振り切るように、寒い夜道を自転車でスピードを出して走っていく。

裏向きに売らるる柿に折り紙のような折り目の幾筋かあり
                    狩峰隆希

蔕を下にして並んでいる柿の実。四角っぽい実に対角線のように入った筋を「折り紙のような折り目」と喩えたのが秀逸。美味しそうだ。

OSの更新未了の三歳が「さんしゃい」と言う二本の指で
保育士の「おやすみなさい」に潜みたる命令形の影濃かりけり
五時〇一分これはサービス残業のたかいたかいでさよならをする                   久永草太

保育園を舞台にした連作。1首目、口では三歳と言っているのに、指はまだ二歳の時のまま。2首目、言われてみれば確かに命令形だ。園児におとなしく昼寝してもらわないと保育士は困る。3首目、就業時間は五時までだが、子ども相手なのできっかりには終われない。

2019年11月24日。

posted by 松村正直 at 23:25| Comment(0) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月18日

懲役6年

息子を殺害した元農水事務次官に懲役6年の実刑判決が下された。
この事件については、いろいろと思うことが多い。

報道によれば、亡くなった息子は私と同じ中学・高校出身とのこと。私より五歳年下であるが、中高一貫校なので、私が高校3年生だった時に中学1年生で同じ学校にいたということだ。

中学でのいじめが原因で家庭内で暴力を振るうようになったと報じられている。何とも胸が痛い。

posted by 松村正直 at 20:27| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月17日

『紫のひと』、「パンの耳」第2号

第5歌集『紫のひと』と同人誌「パンの耳」第2号、発売中です。

・『紫のひと』(短歌研究社)2500円

   *413首を収めた第5歌集。送料無料でお送りします。

・「パンの耳」第2号 300円

   *松村の「さくらと玄室」15首が載っています。

ご注文は
masanao-m☆m7.dion.ne.jp (☆を@に変えて下さい)
までご連絡ください。よろしくお願いします。

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2019年12月16日

西牟田靖著 『極限メシ!』


副題は「あの人が生き抜くために食べたもの」。
ホットペッパーグルメのWEBメディア「メシ通」に連載中の記事をまとめた本。

角幡唯介(探検家)、白川優子(看護師。国境なき医師団)、服部文祥(登山家)、齊藤正明(人材コンサルタント)、佐野三治(ヨット「たか号」生還者)、中島裕(シベリア抑留体験者)へのインタビューと、作家の角田光代との対談が載っている。

「そもそもシステムに頼らず、自分の力でちゃんと生きてみるというのは圧倒的に楽しいんですよ。遊園地のジェットコースターみたいな劇的な楽しさではなくて、本当に小さいんだけど、確固とした楽しさがある。それが積み重なってくるとすごく面白いし、自分のことを実感としてすごく肯定できるようになる。」(服部文祥)

そういうことなんだよなあ。共感。

2019年11月6日、ポプラ新書、1000円。

posted by 松村正直 at 20:52| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月15日

「プチ★モンド」第107号

全80ページのうち評論や連載などの散文が約30ページと充実している。

松平盟子「前髪を上げなかった陽子へ」(4ページ)は、没後20年を迎える永井陽子の思い出を記したもの。

四十八歳のその死は、もちろん大きな驚きではあったが、永井の場合、残念さはともかく、自死は不自然でも不思議でもないと身近な人たちの多くは感じたのではないか。私もたぶんその一人だった。
私たちは性格も歌風も異なり、相互に刺激し合いながら、どこか微妙に噛み合わないものを感じ取っていたと思う。
永井陽子は生涯まぶたを覆うほど前髪を伸ばしていた。前髪のすぐ下の両目は細く、人を直視しないで話をした。笑うときは口をあまり開けず「ククッ」と声を押し出した。

島崎藤村の「初恋」に「まだあげ初めし前髪の」というフレーズがあるように、かつては「前髪を上げる」=「大人の女性になる」という意味を持っていた。「前髪を上げなかった陽子」という言い方には、少女性を失わなかった永井に対する松平の複雑な思いが滲んでいるのだろう。

2019年12月1日、1500円。

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2019年12月14日

佐佐木定綱歌集 『月を食う』


第62回角川短歌賞を受賞した作者の第1歌集。

道端に捨てられている中華鍋日ごと場所替えある日消え去る
唇と唇の距離は0として確かめている君との距離を
渋谷まで電車に乗ってゆく我は十五分だけ年老いてゆく
この辺の住民はみな猫になりましたと白い猫は顔拭く
蠢いて脱出謀る小間切れの蛸は陽射しのある方へゆく
鉄筋の臭いをさせる作業着の女と同じ鯖煮定食
リビア産新鮮魚介ブイヤベース〜難民船の破片を添えて〜
靴裏が歪み舞う葉は静止して駆け出す瞬間男噴き出す
ぼくの持つバケツに落ちた月を食いめだかの腹はふくらんでゆく
卒業後ありとあらゆる怪しさを脂肪に詰めた男寄りくる

1首目、道端からなくなってホッとしたような寂しいような気分。
2首目、キスをしながら相手との心の距離を計っている。
3首目、通勤電車に乗っている時間もまた人生の一部である。
4首目、猫の仕種は時おり妙に人間っぽく感じられることがある。
5首目、韓国の市場で見た光景。切られてもまだ動き続ける。
6首目、「鉄筋」「作業着」と「鯖」の色のイメージが重なる。
7首目、強烈なブラックユーモア。地中海を渡れずに沈んだ難民船。
8首目、走る男の姿を超スローモーションで詠んだ一連の歌。
9首目、「月を食い」がいい。水面に映る月と抱卵しているメダカ。
10首目、話を聞かなくても見るからに怪しそうな気配が漂う。

2019年10月31日、角川文化振興財団、2200円。

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2019年12月13日

映画 「台湾、街かどの人形劇」

監督:楊力州、監修:候孝賢、出演:陳錫煌ほか。
2018年、台湾。

台湾の伝統的な人形劇「布袋戯」の名人、陳錫煌を十年にわたって取材したドキュメンタリー。伝統芸能に対する強い思いや海外での公演風景、弟子たちの教育、そして同じく人間国宝であった父(李天禄)との葛藤などが描かれる。

人形を持たずに手の動きだけを映すシーンがあるのだが、繊細で滑らかな動きから人の姿が浮かび上がってくる。まるで生き物のような指の動きに魅了された。

台湾にまた行ってみたいなあ。

第七藝術劇場、99分。

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2019年12月12日

料理名の翻訳

昨日の「朝日新聞」と「読売新聞」の夕刊に、ノーベル賞受賞者が出席する晩餐会のメニューが写真入りで載っていた。

内容は同じなのだが、翻訳が違う。「主菜」を比べてみよう。

「カモのクロラッパタケとレモンタイム詰め、こがしニンニクとジャガイモ、ゴールデンビーツのピクルス、ローストしたカモのソース。サボイキャベツとスモークしたシイタケ、焼きタマネギ、トウヒのオイルを添えて」(朝日新聞)
「黒ラッパ茸(たけ)とレモンタイムを詰めた鴨のロースト、焦がしにんにく風味のジャガイモとハーブでアクセントをつけた黄ビーツ、鴨の焼き汁で作った軽いソース。燻製シイタケとエピセアの香味油でグリルした玉ねぎ入りのちりめんキャベツを別添えで」(読売新聞)

読売新聞の方が同じ料理なのに美味しそうだ。
漢字・カタカナ・ひらがなの使い分けやバランスが良いからだろう。

一方の朝日新聞は、残念ながら図鑑の説明みたい。

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2019年12月11日

『闘う文豪とナチス・ドイツ』の続きの続き

トーマス・マン日記をもとに書かれた本であるが、あちこちに著者の池内紀自身の姿も浮かんでくる。

例えば自殺した長男クラウス・マンとの関わりを記した章には「父と子のあいだに亀裂の走った最初のできごと」「父はつねに一定のへだたりをとっていた」といった記述がある。おそらくこれを書きながら、池内もまた自身の息子との関わりを考えていたに違いない。

また、「老い」も晩年の池内の大きなテーマであった。

「横になったまま溲瓶(しびん)へ放尿をするさいベッドやシーツが汚れた。すべて八十歳になるまで一度も経験のないことだ。不快きわまる、恥ずかしいことだ」

こうした日記の文章を引用しつつ、池内も七十代後半に差し掛かる自らの老いを考えていたのだろう。それは、本書と同じ2017年に『すごいトシヨリBOOK トシをとると楽しみがふえる』という本を出していることからもわかる。

そしてもちろん、一番大きなテーマはナチスである。それもナチス自体ではなく、それを生み出した国民の動向が、池内にとっての関心事であった。その問題意識の背景には、2010年代の日本のあり方に対する池内自身の強い危惧がある。

それは、今年7月に刊行されて遺作となった『ヒトラーの時代 ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか』へと続いている。刊行後に誤記や事実誤認の多さを指摘されてネットで激しいバッシングを受けた本であるが、そういう観点で読んでみたいと思う。

posted by 松村正直 at 07:30| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月10日

『闘う文豪とナチス・ドイツ』の続き

この本は「トーマス・マン日記」に出てくる多くの人物の生涯にも触れている。

ノルウェーのファシズム政権に協力して戦後は罪に問われたノーベル賞作家クヌート・ハムスン、第二次大戦中に単独イギリスへ渡り戦後は93歳まで生きて刑務所で自殺したナチスの元副総統ルドルフ・ヘス、再婚した若い妻と1942年にブラジルで自殺した作家シュテファン・ツヴァイク、白バラ運動のメンバーで逮捕後わずか四日で処刑されたハンス・ショル、ゾフィー・ショル兄妹、トーマス・マンの長男で1949年に自殺した作家のクラウス・マン。

年齢も立場もそれぞれであるが、ナチス政権下に生きた彼らの行動をトーマス・マンは細かく記述している。

反ナチスの姿勢を貫き、戦争中も一貫して反ファシズムの立場を堅持したトーマス・マンは、現在の目から見ても非の打ちどころのない選択をしたと言っていい。しかし、その「正しさ」は晩年の彼を苦しめることにもなった。

戦後のドイツにおいて亡命者トーマス・マンは受け入れられなかった。戦時下のドイツの悲惨な状況とは無縁な国外生活を送った彼に対する風当たりは強く、ナチスへの協力者の処罰を求めるマンの意見は反発を招くばかりだったのだ。

何と皮肉なことであろうか。

posted by 松村正直 at 07:06| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月09日

池内紀著 『闘う文豪とナチス・ドイツ』


副題は「トーマス・マンの亡命日記」。

1933年にドイツ国外に出てから1955年に亡くなるまでのトーマス・マンの日記を手掛かりに、当時の社会状況や人々の動向を考察した好著。おススメ。

もとは『トーマス・マン日記』刊行にあわせて紀伊國屋書店の季刊誌「scripta(スクリプタ)」に2009年冬号から2015年夏号にかけて連載されたもので、時代順に26のトピックが取り上げられている。

国外講演からの帰国をナチスに差し止められ、スイス、アメリカでの亡命生活を余儀なくされたトーマス・マン。亡命先から精力的にナチズムに対する批判を続け、ようやく1945年にナチス体制の終焉を迎えたものの、安らかな晩年は訪れなかった。

そんな彼の日記には膨大な量の人名や社会的な事件が記されている。

これは私的な備忘録ではありえない。一個人が書きとめた年代記(クロニクル)の性格を色こくおびており、亡命者という特殊な位置から同時代をつづっていった。

例えば、1936年に日本で起きた二・二六事件についても、トーマス・マンは日記に書き留めている。

「――東京からの報道を総合すると、反乱を起こした殺人者たちに強い共感が寄せられており、軍部は、クーデタが『不成功』に終わったにもかかわらず、実際上はクーデタの実をあげたというふうに、理解出来よう」

何という的確な分析だろう。二・二六事件後に日本の軍国主義化がさらに進んでいく状況をこの時点で既に見通している。世界的なファシズムの伸張に対する強い危惧が、こうした記述にも表れているのだ。

2017年8月25日、中公新書、820円。


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2019年12月08日

「朝日新聞」10月20日の短歌時評をめぐって

「朝日新聞」10月20日の短歌時評「「歌は人」でいいのか」について、下記の文章の中で言及していただいた。

・永田和宏「流行を追わず」(「角川短歌年鑑」令和2年版)
・恒成美代子「短歌における人間」(「うた新聞」12月号)

時評は分量が短く問題提起だけしかできなかったので、私の考えを少し書いておきたい。

「作品は作品として自立しているのであって、作者の人生とは関係ない」という考えと「作品と作者は不即不離の関係にある」という考えに分けた場合、私自身は後者に近い立場にいる。それは、これまでの作品を見てもらえればわかる通りだ。

けれども、だからと言って「歌は人」と結論付けてしまうことには抵抗があるし、そういう「開き直り」は短歌をつまらなくしてしまうと思う。二つの考えの間の緊張感があってこそ、短歌は豊かになるのではないだろうか。



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2019年12月07日

「パンの耳2」を読む会

来年2月7日(金)に「パンの耳」第2号を読む会を、西宮で開催します。ゲストは小黒世茂さんと染野太朗さん。

どなたでも参加できますので、興味のある方はご連絡ください。
批評会は無料、懇親会は6000円です。

 「パンの耳2」を読む会チラシ.png


「パンの耳」第2号も引き続き販売中。
1冊300円(送料込み)です。

「パンの耳」第2号チラシ.png

よろしくお願いします!

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2019年12月05日

「塔」2019年11月号(その3)

生返事するときいつもゆふぐれの雁を見送るやうなあなただ
                 千葉優作

「ゆふぐれの雁を見送るやうな」という比喩が印象的。どこか別のところに心が向いている相手の様子を、少し寂しく思っているのだ。

廊下なぞ歩いちゃ駄目だと言い聞かせ畑で放てば丸虫は行く
                 北乃まこと

「丸虫」は関西ではダンゴムシのこと。家の外に逃がしてやったのだ。「言い聞かせ」にユーモアがあり、結句にたくましさも感じる。

探し探して伯父を訪ねてくれたりきここが慰霊の最後と言ひき
                 西山千鶴子

戦死した伯父をかつての戦友が訪ねてきたのだろう。上句では伯父が生きているように感じるが下句の「慰霊」で一首の意味が変わる。

下の子のオマルも積みて行きしころ四国の実家はまだ遠かりき
                 冨田織江

瀬戸大橋が開通する前の思い出。小さな子どもを連れての帰省は荷物も多くて大変だったのだ。「オマル」という具体がよく効いている。

インベーダーゲームの如く雨粒がつぎつぎ窓を滑りて落ちる
                 酒本国武

窓に付いた雨粒がつつーっと落ちてくる様子。インベーダーゲームの粗い画面の感じが、滑らかでない落ち方をうまく表していると思う。

晩年はマックシェイクを好みいし祖父の十三回忌が巡る
                 長谷川麟

上句の具体が祖父の姿を鮮やかに立ち上げている。若者向けの飲み物も抵抗なく受け入れる柔軟さと好奇心。ストローを吸う顔が浮かぶ。


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2019年12月04日

「塔」2019年11月号(その2)

負傷した一兵卒と看護婦の出会いのありて生まれた私
                 坂下俊郎

戦争中の偶然によって出会った二人。戦争がなければ、父が負傷しなければ、母が別の病院勤務だったら、生まれることのなかった自分。

濃くうすく白さの濃度かえながら霧ながれゆく白滝山に
                 市居よね子

濃淡のある霧が流れてゆく様子だけをシンプルに詠んでいて印象に残る。「白滝山」という固有名詞も、この歌によく合っているようだ。

もうあまり泡のたたない石鹸のうすさのようなメールを返す
                 紫野 春

四句目までが長い比喩になっている。以前はもっと中身のあるメールをやり取りしていたのだろう。二人の関係の変化と寂しさが伝わる。

硝子戸と網戸の隙間に閉ぢ込めた熊蜂の目がぢつと見つめる
                 新井 蜜

網戸に止まっていた蜂を見て咄嗟に硝子戸を閉めたのだ。そのまま放置するつもりの作者を蜂は睨んでいるのか、助けを求めているのか。

バス停の案内板は今日も立つお前は乗せてもらへないのに
                 益田克行

バス停は人のような形をしているので擬人化しやすい。バスに乗る人たちの先頭にいるのにバス停自身は永遠にバスに乗ることがない。

胸に棲む小鳥に餌をやるようにステロイド剤深く吸いこむ
                 佐藤涼子

喘息の発作の予防などに用いられるステロイド剤の吸入。上句の比喩に病気とともに生きていくしかないという覚悟や決意が感じられる。


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2019年12月03日

「塔」2019年11月号(その1)

灯台はさながらマッチの棒に見え良い事ばかりそうは続かぬ
                 紺屋四郎

遠くにある灯台を見ながら下句のことを思ったのだろう。「マッチの棒」という素っ気ない言い方が、何か悲しみのようなものを伝える。

いつかあなたの絵の中に見し水色の橋渡りゆくあなたの通夜へ
                 酒井久美子

あなたの家の近くに架かる橋なのだろう。絵の中の世界と現実の世界が混じり合うような不思議な感覚が、生と死の隔たりにも通じる。

初蟬の夕べ夫と見ていたり中井貴一の長きくちづけ
                 山下裕美

テレビで映画やドラマを見ている場面。隣りにいる夫が妙に意識されてしまう。「中井貴一」と「長きくちづけ」の音の響き合いが絶妙。

よく喋る運転手なり天性のものではおそらくない快活さ
                 金田光世

乗車したタクシーの運転手の明るさが職業的な努力によるものだと感じ取る。作者もまたそういう努力をしているからかもしれない。

契約の署名の中にあの時の体力があり跳ねも払いも
                 竹田伊波礼

家や保険の契約など大金が関わる契約書だろう。今よりも若く元気だった自分の様子が、署名の一画一画から伝わってくるのである。

保険証裏の臓器移植に○を付け怖いと思う長生きしよう
                 田島キミエ

臓器移植の意思表示の欄には、心臓・肺・肝臓などの臓器名が記されている。それを見て自分の死を生々しく想像してしまったのだ。


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2019年12月02日

寺山修司著 『啄木を読む』


副題は「思想への望郷 文学篇」。

全体が「啄木を読む」「太宰・中也を読む」「鏡花を読む」「乱歩・織田作之助・夢野久作を読む」「江戸を読む」の五章になっている。寺山が近世・近代の文学について書いた文章を対象ごとに整理してまとめた一冊。

どの文章にも寺山ならではの鋭い分析や考察があり、随所に皮肉が効いている。

啄木の歌には多くの「脇役」たちが登場する。山羊鬚の教師や、刑務所へ行った同級生、娘を売った金で酒をのんでいる父親、極道地主、気の狂った役場の書記……。

これは物語性の強い寺山の短歌を考える上でも大切な指摘だろう。

ところが、わが国のかくれんぼ、鬼ごっこ、そして手毬つきなどは、反復と転生によって生きのびてきた農耕民族の作り出した、家のまわりの遊びである。はじめから境界という概念がなく、ただくりかえす。

西洋の遊び・スポーツと比較しての文化論。確かに、かくれんぼや鬼ごっこには勝者も敗者もなく、ひたすら繰り返すばかり。

死という字は、どことなく花という字に似ていたために、私は学校で花を死と書きまちがえて叱られたことがある。

そう言われれば確かによく似ている。でも、「学校で」というエピソードは寺山流の作り話ではないか。

2000年4月18日、ハルキ文庫、700円。


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2019年12月01日

現代歌人集会秋季大会

13:00からアークホテル京都にて、現代歌人集会秋季大会が行われた。参加者約120名。

はじめに米田律子元理事長の追悼を大辻隆弘理事が述べて、全員で黙禱。次に第45回現代歌人集会賞の授与式。藪内亮輔歌集『海蛇と珊瑚』。藪内さんと会うのは5、6年ぶりだろうか。

続いて、林和清理事長の基調講演。講演の中で出てきた1970年の現代歌人集会創立のシンポジウムについては、『高安国世の手紙』(326ページから)でも触れたことがある。興味のある方はお読みください。

その後、メインの斉藤斎藤さんの講演「〈私〉のつくられ方〜近代の短歌の文法と自我〜」。日本語と外国語(英語)の表現方法の違い、人称や時制の問題など、言葉の本質に根差した話で面白かった。「一人称」「三人称」という言葉が「一人称視点」「三人称視点」の意味で用いられていたので、やや混乱した方もいらっしゃるかもしれない。

16:00からは現代歌人集会の総会。
事業報告、会計報告、新入会員承認、議案の審議など。最後に島田幸典副理事長による閉会の挨拶があって17:00前に終了。

ご来場くださった皆さま、ありがとうございました。


posted by 松村正直 at 22:39| Comment(2) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする