2019年07月31日

『イネという不思議な植物』 のつづき

北海道は現在、全国で2位の米の生産量を誇っているが、江戸時代までは稲作ができない地域であった。

やがて明治時代になって北海道の開拓が本格化したときには、不可能とされた「稲作」は禁止された。米を作るという不確かな夢を見るよりも、欧米式の畑作や畜産を導入しようとしたのである。
しかし、禁止されても米を作りたいという開拓民たちの情熱はなくなることはなかった。中には、稲作を試みて逮捕された者もいるという。しかし、そうした中でも、人々は米作りへの挑戦をやめなかった。そして、明治六年(一八七三年)に初めて稲作に成功し、ついに北海道で稲作をすることが認められるのである。

ああ、北海道もそうだったのか!と思う。

なぜなら、これと全く同じことが数十年後の樺太でも繰り返されたからである。北海道よりもさらに寒冷な地で、それでも開拓農民たちは米を作ろうとした。それだけ、米と日本人のアイデンティティは深く結び付いていたのだ。

結局、樺太での稲作は試験的なものにとどまり、本格的な米作りは行われずに敗戦を迎えた。そして、戦後は樺太(南サハリン)が日本領でなくなったために、もう稲作が試みられることもなくなったのである。そこに歴史の皮肉を感じざるを得ない。

もし現代の最新技術を用いたら、はたしてサハリンでの稲作は可能なのだろうか?

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2019年07月29日

稲垣栄洋著 『イネという不思議な植物』


かなりお薦めの一冊。

「米って何だ?」「イネという植物」「田んぼというシステム」「米で読み解く日本の歴史」「米と日本人」の全5章。「米は、イネという植物の種子である」という一番初歩のところからかなり専門的なことまで、丁寧に教えてくれる内容となっている。

著者の専攻は雑草生態学だが、本書では生物学、歴史学、社会学など文系・理系の区分を超えて自在に横断し、幅広い観点から米やイネのことを論じている。こういうのが本当の学問というものなのだろう。

もち米は、人間の祖先がその突然変異を発見し、大切に劣勢遺伝子の組み合わせを守り継いできた奇跡の産物なのだ。
私たちが食べる米も色素を失ったアルビノであったと考えられている。
種子の落ちない非脱粒性の突然変異の発見。これこそが、人類の農業の始まりである。
誰も話すことのないラテン語は変化することがない。ラテン語で学名をつけるというのは、後世の人たちのことを考えているのだ。
水は上から下へしか流れない。この上から下へと流れるという仕組みだけを利用して、すべての田んぼに水が行くように水路が設計されているのである。
田んぼに水を張る一番の理由は、雑草対策なのだ。
ご飯に納豆、お餅にきなこ、煎餅に醬油、日本酒に冷や奴・・・。私たちが昔から親しんできたこうした料理は、すべて米と大豆の組み合わせなのである。

毎日のように食べている米について、自分がいかに知らないかを思い知らされた。「なるほど!」「えっ、そうだったの!」といった調子で、読み終わった時には本が付箋だらけの状態になった。

第5章「米と日本人」のところだけ、やや日本礼賛に傾いてしまったのが残念。でも、素晴らしい一冊だと思う。

2019年4月10日、ちくまプリマ―新書、820円。

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2019年07月28日

常見藤代著 『イランの家めし、いただきます!』


イスラム・エスノグラファーの著者が、イランを20日間、ひとりで旅した記録。ヤズド、メイマンド、シルジャン、シーラーズ、ヤスジ、ホラマバード、サナンダージなど、聞いたことのない町の名前が次々と出てくる。(というか、知っている地名がテヘランくらいしかないのだが)

著者の旅はホテルに泊まって外食するのではなく、個人の家に泊まって「家めし」をご馳走になることが多い。バスで乗り合わせた人や道を訊いた人に、しばしば家に招かれる流れになる。イラン人の生の暮らしぶりがうかがえる内容だ。

イラン人の家に招かれて、とにかく驚くのはその広さだ。
イラン人はとにかく煮込むのが大好きだ。
イランでは男女とも整形手術が盛んで、鼻を「低く」する手術が多い。
イラン人は「ペルシャ帝国の末裔」のプライドが高く、「自分たちはアラブとは違う」という意識が強い。
イラン人は米好きだ。イランの場合ピクニックといえば、「米」なのである。

イランと言えば、最近は核合意が崩れてホルムズ海峡に緊張がといったニュースばかりが流れる。けれども、そこに住む人々のことはほとんど知られていない。そうした意味でも、非常に面白い一冊であった。

2019年4月25日、産業編集センター、1100円。

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2019年07月27日

森ひなこ歌集 『夏歌ふ者』

mori.jpg

森ひなこ歌集『夏歌ふ者』(現代短歌社)が刊行されました。
http://gendaitanka.jp/book/kashu/042/

昨年の現代短歌社賞の佳作となった作品が元になっていて、
その関係で栞を書かせていただいてます。

 採算と不採算との区別にて地下に置かれる病理検査室
 二十五×七十六ミリのガラスの中見つけだしたし癌細胞を
 ヒロシマに入(い)る時さへも携へし米大統領の「核のボタン」よ
 茸型したる足指夏の日の元安川の流れにさらす

細胞検査士の仕事の歌、生まれ育った広島を詠んだ歌など、
ずっしりと手応えのある一冊です。

2019年7月26日、現代短歌社、2500円。

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2019年07月26日

小熊英二著 『地域をまわって考えたこと』


様々な地域を訪れて現地の人の話を聞きつつ、「地域」とは何か、「地域」の今後をどのように考えたら良いのか、といった問題について考察した本。

取り上げられているのは、福井県鯖江市、東京都檜原村、群馬県南牧村、静岡県熱海市、宮城県石巻市、東京都板橋区高島平団地。それぞれに歴史や条件の異なる地域の姿や課題が描かれている。

市区町村は行政の単位であって、地域の単位ではない。
日本の場合、集合意識の範囲の指標の一つは、お祭りが開かれる神社と、小学校の校区である。
過疎地と呼ばれるところは、じつはかつては、多くの人が住んでいた地域だ。

もともと、移住希望者向けの雑誌「TURNS」での連載が元になっていることもあって、移住に関する話も多く出てくる。

「都会でうまくいかないから来た」といったタイプは、地方に移住してもうまくいかない。
受入れ側の地域が自分たちの土地に夢と自信を持っていなければ、移住者を受入れるというような面倒を避けがちになるのだ。

本書の一番の特徴は、いわゆる「町おこし」や「地域の活性化」という話で終っていないことだ。そもそもなぜ活性化が必要なのか、というところまで話を掘り下げている。

インフラや財政をふくめた地域の持続可能性が確保され、地域で「健康で文化的な生活」が維持できるなら、活気がなくても「困る」ということはない。地域の目標は、まずこの点の確保に置かれるべきである。

「かつての賑わいを取り戻す」といった発想とは全く異なる考え方が、地域にも日本全体にも必要となっているのだろう。

2019年6月15日、東京書籍、1600円。

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2019年07月25日

「塔」2019年7月号(その2)

 池の面へまた地の上へ椿落つ 選べざる死のいづれも朱し
                          西山千鶴子

池のほとりに咲く椿は、水面に落ちるか地面に落ちるか自分では選べない。「池」と「地」の文字が似ているのが効果的。人間の死をきっと同じだ。

 目を閉じても間違えないで弾けるけれどピアノは春を映してしまう
                          椛沢知世

上句から下句へのつながりが不思議な歌。ピアノの話をしているように見えて、どこからか作者の意識と無意識の話に移り変わっているのが面白い。

 君が寝て私が起きているときの世界の進み方がやや遅い
                          鈴木晴香

二人の時と自分だけが起きている時で、時間の流れ方が違う。眠った人のそばに取り残されて、まるで別の世界に来てしまったかのように感じる。

 海の見える席に座れず半島の北へ北へとバスに揺られる
                          山下好美

「海の見える席」に座った歌はよく見かけるが、これは座れなかった歌。海の見えない側の窓を眺めながら、残念な気持ちをずっと抱き続けている。

 できたてのベビーカステラ食べながら歩く桜のある方向へ
                          佐原八重

花見の会場近くの夜店で買った温かいベビーカステラ。「桜」を下句に持ってきた語順がいい。この先に見えてくる桜に対する期待感も伝わる。

 「ヤマネさん」呼びまちがえられてそのままにしばらく暗い所で
 暮らす                     山名聡美

「ヤマナ」を「ヤマネ」と一字間違えられて、でも訂正できずに黙っている場面。ヤマネは巣穴に籠って冬眠するので、下句のイメージが出てきた。

 女ひとり顔はがされし写真あり天金あせし父のアルバム
                          宮城公子

背後に物語を感じさせる作品。亡くなった父のアルバムに見つけた女の写真。父と一体どういう関係にあった人なのか。謎は深まるばかりである。

 ロッキング遊具に揺られ子の足もラッコの足も行きつ戻りつ
                          若月香子

公園にある動物の形をした前後に動く遊具。乗っている子の足だけでなく、遊具のラッコの足に着目したのがいい。ラッコと一緒に遊んでいる感じ。


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2019年07月23日

「塔」2019年7月号(その1)

 万人に知られてもよい願いごと四角い絵馬に書かれていたり
                          岡本幸緒

神社の絵馬掛けに納められた絵馬は、誰でも中身を読むことができる。上句の言い方は、反対に「人に知られてはいけない」願いごとを想像させる。

 ひとつ割ればひとつ買い足し我と夫の土鍋の柄のそろうことなし
                          山下裕美

対で買った食器でも両方同時に割れることはない。割れる時は一つずつである。いつもずれて揃わない土鍋の柄に、夫婦のありようが垣間見える。

 はだか畝湯気を立てをりくぷくぷと昨夜の雨みづ吸ひし黒土
                          小澤婦貴子

「はだか畝」がいい。まだ立てたばかりの何も植えていない畝のことだろう。二句以下は、土がよく肥えていて生きているのが伝わってくる描写だ。

 それでも世界は微動だにせず霧雨の中を丸鋸の音は響きぬ
                          小川和恵

初句「それでも」から始まる4・4のリズムに力がある。下句は何かの建設現場だろうか。「霧雨」と「丸鋸の音」に作者の憤りや無力感などが滲む。

 皮を剝けばしろきりんごのあらわれて「勝ち負けじゃない」は
 勝者のことば                 朝井さとる

赤い皮の下から姿をあらわす白い果肉。下句、なるほど言われてみればその通りだと思う。勝ち負けにこだわらずに済むのは自分に余裕があるから。

 筍の穂先はつかに出でてゐて見つけらるるまで見つからずあり
                          入部英明

下句は当り前のことなのだけれど一つの発見。いったん見つければ、周りの土とは違って見えるようになる。だが、見つけるまでは土でしかない。

 みづたまりのみづ飲んでゐる野良猫のよく動く舌が肉の色なり
                          小林真代

「肉の色」という把握が生々しい。舌というのは肉が剥き出しになっている部位なのだ。日常の何でもない光景が、途端に不気味なものに感じられる。

 ぼた餅を一つ供える少しだけ母の甘さに足らぬこと詫び
                          岩尾美加子

生前の母が作っていたぼた餅に比べ、自分の作るぼた餅は甘さ控えめなのだ。甘いのが好きだった母を偲びつつ、春のお彼岸に供えているところ。


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2019年07月22日

第22回「あなたを想う恋のうた」作品募集中!

今年も「あなたを想う恋のうた」の審査員を務めます。
応募は無料で、最優秀賞は何と賞金10万円!
お一人で何首でも応募できます。

https://www.manyounosato.com/

締切は10月31日。
多数のご応募をお待ちしております。

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2019年07月20日

永田淳著 『河野裕子』


コレクション日本歌人選75。

河野裕子の全15歌集から計50首を選んで鑑賞した本。このシリーズの特徴として、見開きに歌と鑑賞文、脚注が載っていてとても読みやすい。巻末には「歌人略伝」「略年譜」全作品一覧」「解説」「読書案内」を収めている。

鑑賞文は細かな点まで行き届いており、あらためて知ることが多かった。

(土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ)
二回出てくる「どどつぽどどつぽ」は、『現代短歌朗読集成』で河野が実際に朗読しているのを聞くと「どどっぽどどっぽ」と促音で発音している。

(君江さんわたしはあなたであるからにこの世に残るよあなたを消さぬよう)
実の母に向かって「母」といった人称代名詞ではなく、「君江さん」と実名で呼び掛けているところがこの歌の大きな特徴である。

「歌う対象である動植物へと自らが入り込んでいく感覚、同化していくような歌い方」「身体が本能的に摑み取った言葉、それこそが河野短歌の魅力である」「後期の河野裕子の歌い方の大きな特徴として一首の最初に心情を一気呵成に述べる」など、河野作品の特徴や魅力にも触れている。

解説「河野裕子―詩型への揺るぎない信頼」とあわせて、全体で河野裕子論とも言える一冊だ。

2019年5月25日、笠間書院、1300円。

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2019年07月19日

高野秀行・岡部敬史・さくらはな。著 『将棋「観る将になれるかな」会議』


著者の高野秀行は将棋棋士。6段。『謎の独立国家ソマリランド』などを書いたノンフィクション作家の高野秀行は同姓同名の別人。

一方で岡部敬史は『くらべる東西』『くらべる時代』などを書いている「おかべたかし」と同じ人。何だかややこしい。
http://matsutanka.seesaa.net/article/441584092.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/457471609.html

岡部とさくらが将棋に関する質問をして、棋士の高野がそれに答えるという内容。「「棋風」って何?」「「味がいい」ってどういう意味?」「なぜB級1組は13人?」「盤を離れているとき、何をしているの?」など、素朴な疑問から本格的な問題まで、さまざまなやり取りが繰り広げられている。

中でも面白かったのが「なぜ将棋の持ち時間はあんなに長いんですか」という質問に対して、

将棋の対局時間が長いのは、新聞という媒体が報じてきたというのも要因でしょうね。

と答えていること。娯楽の少なかった時代、新聞はタイトル戦のスポンサーとなって観戦記を載せることで部数の増加を図っていた。観戦記は何日にもわたって掲載するため、対局時間が長い方がむしろ好都合だったのだ。

媒体の問題は、テレビやネットで中継される将棋に早指しが多いことにも関係している。将棋もプロの世界である以上、スポーツと同じく観客の存在を無視できないのだ。

2019年7月1日、扶桑社新書、920円。


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2019年07月18日

ウィルタのアザラシ猟

『クジラ博士のフィールド戦記』の中に、1975年にオホーツク海・サハリン沖で行われていた母船式アザラシ猟の話が出てくる。母船には3〜4隻の伝馬船が積まれていて、アザラシのいる海域まで来ると海に降ろされる。

伝馬船には舵取りとハンターが乗っており、ハンターがライフル銃で流氷の上のアザラシを撃つのだ。

 この海豹猟は、漁業の中では非常に特殊な側面をいくつか持っていた。
 一つには、氷上の海豹を撃ち落とすという行為で、日本の漁業技術というよりは、北方民族の狩猟に近い。こうした背景もあり、網走在住の北方系少数民族の方々も、この海豹猟に従事していた。

「北方系少数民族」という文字に、思わず目が引き付けられる。

 これらの方々は、おそらく第二次世界大戦前に、南樺太において皇民化政策の一環として作られた “オタスの杜” に居住していたウィルタの方々と思われる。つまりオロッコ族やギリヤーク族で、戦後、日本居留民と共に北海道東部へ引き揚げた方々、もしくはその子弟であった。

やはり、戦後に樺太から北海道へ移って来た方々であったか。

引き揚げとは言っても、樺太に生まれ育った彼らにとって北海道は異国の地である。そこでアザラシ猟をしていたウィルタの人々。彼らの人生の変転を思うと胸が痛む。

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2019年07月17日

加藤秀弘著 『クジラ博士のフィールド戦記』


鯨類研究所、水産庁遠洋水産研究所、東京海洋大学で40年にわたってクジラについての調査・研究を行ってきた著者が、自身の経歴や鯨の生態、IWC(国際捕鯨委員会)の問題などを記した本。

鯨類は鯨目の総称で、このちょっと下の亜目レベルで、ヒゲクジラ亜目(14種)とハクジラ亜目(75種)に分かれる。これらの亜目は(・・・)同じ「クジラ」とついてはいるが、ゾウとライオンぐらいかけ離れた動物群である。
ヒゲクジラでは体格依存的に大人、つまり性成熟に達する。簡単に言えば、ある体格(体長)になると大人になるわけだ。栄養状態が良くなるにつれ、この体長に到達する時間が早くなる。だから、大人になる年齢がだんだん若くなる。

こういう記述を読むと、自分がクジラについてこれまであまり詳しく知らなかったとあらためて思う。

日本は今年6月にIWC(国際捕鯨委員会)を脱退し、7月から商業捕鯨を再開した。その背景には捕鯨国と反捕鯨国の長年にわたる争いや行き詰まりがある。

IWCからの脱退と再加盟を繰り返した他国の例は幾多もある。個人的な切望であるが、IWCに変貌の兆しが見えた時には、是非再加盟を検討してほしい。

IWCの科学委員会のメンバーとして尽力してきた著者の何とも複雑な思いが滲む文章だ。

2019年5月30日、光文社新書、840円。


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2019年07月16日

東か西か

カルチャーセンターなどで話をしていると、自分の考えを相手に伝えるのがいかに難しいか痛感させられることがある。こちらの意図をきちんと受け取ってくれる方もあれば、真反対に受け取る方もいて、どのように伝えれば良いのか悩んでしまう。

こちらの伝え方の未熟さももちろんあるだろう。でもそれだけではなく、人間は誰でも自分の受け取りたいように相手の話を受け取る側面があるのだと思う。

最近よく思うのは、そうした多様な受け取り方を、ある程度の幅をもって受け止めるしかないということだ。

例えば「東に進んで下さい」という指示を出しても、話を聞く人はかなりバラバラに動いていく。だから、真東に進んでいなくても東側180度の範囲内に収まっている人は取りあえずよしとする。北北東でも東南東でも、とにかく東側に進んでいればOK。そして、西側180度に進んでしまった人にだけ、「そっちではないですよ」と言う。

それくらいの気分で接するのが大事なようだ。


posted by 松村正直 at 20:11| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今後の予定

○8月下旬 第5歌集(短歌研究社)刊行

○9月下旬 「パンの耳」第2号刊行

○9月7日(土)
  講演「高安国世と万葉集」(高岡市万葉歴史館)

○11月10日(日)
  講演「竹山広の時間表現」(吉野川市文化研修センター)
   http://toutankakai.com/event/9803/


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2019年07月15日

ツイッター

ツイッター始めました。
https://twitter.com/masanao1970


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小見山輝歌集 『一日一首』

昨年7月に亡くなった作者の最終歌集。

2017年1月1日から3月31日まで、一日に一首、計90首が収められている。見開きの右ページに自筆原稿の歌、左ページに活字の歌と短い日記という構成で、自筆の文字も味わいがある。

道が一本通りたるのみに「カウ金剛」の谷の田畑は 山にもどりぬ
ひとすぢの 茜を残し暮れてゆく雲を見てゐしは きのふのことか
青い頭の キャベツ畠から顔をあげ 婆さんが笑ふ 曇り日の午後
窓少し開けて眠れば 三更の 外の面の冷えの まなぶたに来る
蕎麦屋「石泉」日暮れと共に火を落し大将は白衣を脱いで座りをり
何となく潮の満ちくる圧力を 身に 感じをり あはれ島育ち
風もない 朝の寒さにかわかわと鴉が鳴いて冬を引きもどす
村人ら 大夕焼けの荘厳に 明くるあしたの上天気をいふ

6首目、作者は岡山県笠岡市の「神島」(こうのしま)生まれ。今では干拓で本州と地続きになっているが、かつては島であった。島で生まれ育ったという意識や感覚は、終生作者の心と体に宿っていたのだろう。どこに居ても、潮の満ち引きを身体で感じるのである。

2018年12月20日、潮汐社、3000円。

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2019年07月13日

第9回塔短歌会賞・塔新人賞

第9回塔短歌会賞・塔新人賞が発表された。

塔短歌会賞は、大森千里「釦をさがす」30首。
看護師の仕事の歌とランニングの歌。身体感覚が鮮やかだ。

水鳥の飛び立つときの静けさよ 銀の湖面につばさ落として
白布をしずかに顔に掛けるときいつもためらうわたしの指は

次席は宮地しもん「死者の月」30首。
親しかった司祭がふるさとのスペインで亡くなったことを詠む。

その墓地を雪はいつごろ覆ふのか刻まれてゐむ日付けも埋めて
また会ふ日はないと思へりまた会ふ日までと聖歌はくりかへせども

塔新人賞は、近江瞬「句読点」30首。
石巻に住む新聞記者という立場から見た東日本大震災後の歳月。

「話を聞いて」と姪を失ったおばあさんに泣きつかれ聞く 記事にはならない
僕だけが目を開けている黙祷の一分間で写す寒空

次席は川上まなみ「風見鶏」30首。
新任の国語教師としての迷いや悩みを率直に詠んでいる。

まず耳が真っ先に起き五時半の小さな音を耳は集める
そこで怒れよという声を聴くぶら下がる木通のような冷たさの声

今年も良い作品が多く集まり、選考会は大いに盛り上がった。
詳しくは「塔」7月号をお読みください。

posted by 松村正直 at 06:38| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月12日

カルチャーセンター


大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
短歌に興味のある方は、どうぞご参加下さい。
まったく初めての方も大歓迎です。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日 *奇数月を松村が担当しています。
   A組 10:30〜12:30
   B組 13:00〜15:00

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」 毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作(A)」 毎月第3金曜日 11:00〜13:00
 「短歌実作(B)」 毎月第3金曜日 13:30〜15:30

◎JEUGIAカルチャーイオンタウン豊中緑丘 06−4865−3530
 「はじめての短歌」 毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンター京都 de Basic. 075−254−2835
 「はじめての短歌」 毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」 毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「短歌教室」 毎月第2月曜日 13:00〜15:00

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2019年07月11日

大口玲子歌集 『ザベリオ』

ooguchi.jpg

392首を収めた第6歌集。

毀誉褒貶われにもあらむこの秋の永井隆を知る人の声
「もう一つの手と足見つかりますやうに」河童のために子は祈りたり
文鳥のブローチつけて来たることに言及されて灯れるごとし
手袋を買ひしきつねの子のはなし聞きて眠りぬ人間の子は
朝ふたつ夜にひとつの日向夏食べて息子は臍出し眠る
「8地獄共通観覧券」買ひて二つの地獄行き残したり
聖劇の羊飼ひたちは出番待ちたまごのサンドイッチをかじる
銃眼から光さしこむトーチカの内部にいかなる言葉ありけむ
かの日きみに心は組み敷かれたるまま生きて月照る野を歩みゆく
六人中三位でゴールしたる子の望外のよろこびを遠く見つ

1首目、どんな人のことでも良く言う人もあれば悪く言う人もある。
2首目、河童の手足の展示を見て。子どもは時に思い掛けないことを言う。
3首目、ブローチに気づいてもらえて嬉しかったのだ。
4首目、新見南吉『手袋を買いに』の読み聞かせ。「人間の子」がいい。
5首目、結句の「臍出し」が面白い。日向夏みたいなお腹。
6首目、別府の地獄めぐり。本当の地獄だったら大変だ。
7首目、舞台裏で簡単な食事をとっている子どもたち。劇と現実の落差。
8首目、沖縄戦のトーチカ。じっと敵を待ち構える兵たちがいた空間だ。
9首目、決して忘れることのできない痛手を負ったのだろう。
10首目、三位で喜ぶ息子に対する何とも複雑な思い。

2019年5月15日、青磁社、2600円。

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2019年07月09日

現代短歌シンポジウム in 京都

8月に京都で「塔」の全国大会があります。初日のシンポジウムは
一般公開で、どなたでも参加できます。ゲストに、高橋源一郎さん
(小説家・評論家)と小島ゆかりさん(歌人)をお迎えします。

皆さん、ぜひお越しください。(事前のお申込みがお得です)

日時 8月24日(土) 13:00〜17:00
場所 グランドプリンスホテル京都

  講演 高橋源一郎 「日本文学盛衰史・平成後篇」
  対談 小島ゆかり×吉川宏志 「古典和歌の生命力」

会費 当日   一般2000円 学生1000円
   事前申込 一般1800円 学生 900円

お申込み「現代短歌シンポジウム」参加受付のページ


  現代短歌シンポジウム2019.jpg
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2019年07月08日

相原かろ歌集『浜竹』

aihara.jpg

「塔」所属の作者の第1歌集。
2006年から2017年までの401首を収めている。

 測量の人が見ている測量の世界の中を通ってしまう
 刃物もて林檎ひらけばふた粒の種もしろじろとひらかれている
 サーカスを家族で見たという過去のだんだん作りものめいてくる
 絶対に打ち首だよねとわらいあう母と妹アンド煎餅
 店員の人たちだけで笑い合うその風下で肉蕎麦を食う
 ぎりぎりに飛び乗ってきた人間の生きている音もろに聴こえる
 山椒が冷凍庫へと移転せり母のためしてガッテンゆえに
 「それが今の、奥さんです」で結ばれる話をつまり聞かされていた
 帰りがけにふたたびを見る木蓮は高きところの花ひらきたり
 差してない人と三人すれちがい四人目が来て我はたたみぬ

1首目、測量機を覗いている人には日常と別の世界が見えている。
2首目、黒い種が切られて内側の白い断面を見せているところ。
3首目、記憶は時間とともに変容するし、捏造されることもある。
4首目、「アンド煎餅」が絶妙。煎餅を食べながらの罪のないお喋り。
5首目、何となく居心地の悪さを感じてしまう。「風下」がうまい。
6首目、電車の駆け込み乗車。激しい息づかいや鼓動が聞こえる。
7首目、テレビ番組で勧められた通りにする母。
8首目、何だ、結局はのろけ話だったのかよという思い。
9首目、行きには咲いていなかったのだろう。渋い味わいがある。
10首目、雨が止んだ時の傘の話。「四人目」なのでわりと慎重派だ。

発想や言い回しが面白く、ぐいぐいと読み進められる歌集。ユーモアや皮肉がよく効いていて、ほのかな悲哀も感じる。

小題の付け方にも工夫があり、別々の2首から取った言葉を組み合わせた題が多い。「友じゃないけどセロテープ」「犬の中にも西行」「いつもよりコウモリ」「いい夫婦落ちています」「大人六人永久磁石」など、シュールな味わいがある。

一方で、どの歌も同じテイストであるため、たくさん読んでも深まっていくということはない。一首一首が永遠に繰り返される感じ。そのあたりをどう評価すれば良いのか迷う。

2019年6月16日、青磁社、1800円。

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2019年07月07日

服部小雪著 『はっとりさんちの狩猟な毎日』


登山家の服部文祥が好きで、新刊が出るたびに読んでいる。

 ・『狩猟サバイバル』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387138731.html
 ・『サバイバル登山家』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387138924.html
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387138925.html
 ・『百年前の山を旅する』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/387139332.html
 ・『ツンドラ・サバイバル』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/433185162.html
 ・『サバイバル登山入門』
  http://matsutanka.seesaa.net/article/465418615.html

本書は服部文祥の妻でイラストレーターの服部小雪が書いた(絵も描いている)一冊。風変わりな登山家の夫と三人の子どもたち、そして鶏や犬や猫もいる暮らしを生き生きと描いている。

中古の家を自分たちで直したり、自宅で鹿の解体をしたり、ヌートリアを唐揚げにして食べたりと、現代ではあまり見られないような生活。もちろん、そこには様々な苦労や悩みもあるのだが、家族や友人と協力して乗り越えていく。

錆びた柵にペンキを塗ったり、襖や障子を張り替えるのも初めての経験だ。職人さんのような完璧な仕事はできなくても、丁寧に仕事をすれば生活の質が上がる。何より自分がやれば不満が残らない。お金を払って誰かに任せて、この経験を捨ててしまうのはもったいない。

DIYやロハスといった概念に近いのだが、そうした流行りやオシャレとは無関係に、自分たちのやりたいことを一つ一つ実践している。そうした姿勢に強く憧れる。

まだ結婚する前の27歳の時から現在までの約二十年間のエピソードが収められ、作者と家族の成長物語としても読める一冊である。

2019年5月30日、河出書房新社、1500円。

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2019年07月06日

「塔」2019年6月号(その2)

 「これでもうおあひこだから」はるばると鍵を届けて君は笑へり
                        永山凌平

何がどう「おあひこ」なのかはわからないが、二人の関係性が窺える感じがする。部屋の合鍵を返しに来た場面と読んだが、全く別の鍵かもしれない。

 すぐ帰るつもりだつたね取り置きし最中のみつかる義父(ちち)の
 引き出し                 今井早苗

義父は入院してそのまま亡くなったのだろう。死後に片づけをしていた見つかった最中が悲しい。ついに食べることできずに残されたものである。

 就活の解禁を機にあっさりと子は髭面をやめてしまいぬ
                        垣野俊一郎

「いちご白書をもう一度」では長髪を切るが、ここでは髭。髭を剃ってすっきりした子の顔を見て、安心するとともに少し物足りない気もしたのだろう。

 かなあみに口塞がれて旧道のトンネルの中に苔は光りぬ
                        永久保英敏

「口塞がれて」が生々しい。使われなくなって封鎖されたトンネルであるが、金網越しに見える苔の輝きがまだ生きていると訴えているかのようだ。

 道を訊くやうに近づききたる人けふ何曜日ですかと問へり
                        西山千鶴子

道を訊かれることはよくあるが、曜日を尋ねられるのは珍しい。何のために知りたかったのか謎めいている。店の休業日や特売日の関係だろうか。

 健やかなわれは何処の旅にあるもう戻らぬと医師は説きたり
                        山田精子

病気をして元の身体には戻れないと告げられたのだ。それを上句のように表現したのがいい。今も元気にどこかを旅している身体を想像している。

 山で折りし左小指が曲がりしまま顔洗ふたび鼻孔に入る
                        いわこし

登山中の事故で曲がったままになった指。毎朝顔を洗うたびに、怪我を負った時のことが脳裡に甦るのだろう。「鼻孔に入る」がよく効いている。

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2019年07月05日

「塔」2019年6月号(その1)

 山の上にひろごる空よ年一度峠を越えて桃売りが来る
                        酒井久美子

毎年夏になると山深い集落を訪れる桃の行商人。「峠を越えて」に風土が感じられる。集落の人たちも桃売りが来るのを楽しみに待っているのだ。

 けふ何を食べたかなどでしめくくる夜の電話はくらしの栞
                        鮫島浩子

「くらしの栞」とはなんて素敵な言葉だろう。特に用件があるわけではなく、今日も一日無事に過ごせたことを互いに報告し合うための電話である。

 おいしくて唇を吸いあう二人かな終点知らず目を閉じている
                        滝友梨香

初句が新鮮な表現。作者はブラジル在住の方だが、乗物の席でずっとキスしている男女の情熱的な世界を、「おいしくて」の一言で見事に表している。

 煙突の数本が見ゆ関係のもはや変わらぬ男女のごとし
                        金田光世

互いに距離を保ったままに立つ煙突を男女関係に喩えたのがおもしろい。知り合ってしばらくは様々な距離の変化があったのだが、もう変わらない。

 三日前罠に掛かりし白鼻心おなじ場所にて雌もかかりぬ
                        吉岡洋子

パートナーの雄の匂いをたどって来たのだろうか。雄に続いて雌も同じ罠に掛かったところに、相手が害獣とはいえかすかな悲哀を感じたのである。

 杖三本藤棚の下に立てかけてアイスを食べる老婆三人
                        王生令子

何ともほのぼのとした光景である。散歩の途中でちょっとひと休み。初句「杖三本」から結句「老婆三人」へとつながる数詞がうまく働いている。

 塩引き鮭数多吊らるるとびらの絵に変形性股関節症の会報届く
                        倉谷節子

上句から下句への展開に驚かされた歌。干されて乾いた鮭の姿と「変形性股関節症」がかすかに響き合う。単なる偶然のイラストなのだろうけれど。

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2019年07月04日

尾本恵市編著 『教養としての将棋』


副題は「おとなのための「盤外講座」」。

編著者の尾本恵市氏(分子人類学者)は、文系・理系を問わず日本文化としての将棋を多角的に研究する「将棋学」を提唱している。本書はその入門編といった内容だ。各章のテーマと執筆者は下の通り。

・第1章 対談 梅原猛(哲学者)×羽生善治(棋士)
・第2章 将棋の歴史 清水康二(考古学者)
・第3章 将棋のメカニズム 飯田弘之(棋士、人工知能)
・第4章 将棋の駒 熊澤良尊(駒師)
・第5章 将棋と教育 安次嶺隆幸(元小学校教諭)
・第6章 将棋の観戦記 大川慎太郎(将棋観戦記者)

第1章の対談は双方の持ち味が十分に出ていて面白かった。相手に遠慮したり同調したりし過ぎないのが良いのだろう。

梅原 ひらめきというのは、(・・・)長い長いむだな時間、一見ばかばかしいような回り道や失敗を経て、だんだん考えが熟成され、あるとき突然、ぱっと訪れるものなのです。
羽生 駒そのものがおもちゃになりやすくて、子どもでもさわっているうちに親しめるところが、将棋のひとつの特徴といえるでしょうか。
羽生 将棋に勝つためには「他力」が必要なんです。自分ひとりで勝とうとしても、無理なんですね。
梅原 最初の直観がすべて当たっているようなときは、かえってあまりいい研究にならないことが多いです。

2章以下では、将棋が平安時代に入唐僧によって日本に持ち込まれ仏教思想に基づいて改変されたという話や、駒の文字を書く際には駒を回転させずに正対して書かないと勢いのある字にならないという話、将棋はどちらかが「負けました」と言わないと終わらないゲームであるという話などが特に印象に残った。

将棋の本とは言っても棋譜や盤面図はほとんど出てこないので、「観る将」の人にもおすすめの一冊。

2019年6月20日、講談社現代新書、880円。

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2019年07月03日

三枝ミ之歌集 『遅速あり』

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2010年から2018年までの作品を収めた第13歌集。

新米が届きて思う刈田という広さに帰る関東平野
甲斐が嶺の枯露柿を食み粉(こ)をこぼす多摩丘陵の夜の机上に
一枚の永遠ありてはつなつのみどりの中をはにかむひとり
移ろいの世に歳時記はへつらわずヒロシマは夏、ナガサキは秋
母の背で揺れながら見し花火あり甲府七夕大空襲の
手のなかに胡桃ふた粒まろばせるふるさと甲斐のよき音がする
苦しみを持つ者は来て手を合わす遠き光の薬師如来に
「沖縄県民斯ク戦ヘリ」「リ」は完了にあらず県民はいまも戦う
こころざしは人を滅ぼす久坂玄瑞二十四歳高杉晋作二十七歳
離すなよ離すなよとくり返す疾うにひとりで漕いでいるのに

1首目、三句以下のスケールの大きさ。金子兜太の俳句「暗黒や関東平野に火事一つ」も思い出す。
2首目、「枯露柿」(ころがき)は干し柿。食べながら故郷の風景を思う。
3首目、若くして亡くなった人の遺影だろう。永遠の若さ。
4首目、8月7日頃の立秋を境に夏と秋に分かれている。
5首目、1945年7月6日の深夜に行われた空襲。死者740名。
6首目、二つの胡桃を手のひらで転がす。健身球というのもあったな。
7首目、病気を抱えた人なのだろう。薬師如来にすがる思いで訪れている。
8首目、大田実海軍中将の最後の電文。現在の沖縄の置かれている状況をどう思うか。
9首目、幕末に亡くなった長州藩出身の二人。驚くほどの若さだ。
10首目、自転車の練習をする息子の姿の回想。子育ては全てこういうものなのかもしれない。

2019年4月20日、砂子屋書房、3000円。

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2019年07月01日

時代と世代

このところ、同年生まれの人が集まって短歌の同人誌を発行するといったことが増えている。座談会などでも「世代」という言葉がキーワードのように頻出して、正直なところ息苦しさを覚えるほどだ。

私は「時代」には興味があるが、「世代」にはあまり興味がない。

「時代」は明治にしろ戦後にしろ文献や作品に当たることで追体験が可能なものである。誰に対しても開かれていると言っていいだろう。一方で「世代」はそうではない。生まれた年という単なる偶然で決まってしまうものだ。

「世代」という区分けはとても排他的なものだと思う。世代が個人の生き方や価値観に影響を与えているのは間違いのないことであるが、だからと言って世代で論じて個人が見えてくるわけでもないだろう。

「時代」と「世代」は、似ているようで全く違う概念なのだ。

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