2019年06月30日

鳥取砂丘の歌碑


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有島武郎の歌碑。
「浜坂の遠き砂丘の中にしてさびしき我を見いでけるかな」

1923(大正12)年4月に鳥取砂丘を訪れた際に詠んだ歌。
その年の6月に有島は女性記者と軽井沢で心中している。


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有島武郎と与謝野晶子の歌碑。

右側の有島の歌は上に引いたもので、左の晶子の歌は
「沙丘踏みさびしき夢に与かれるわれと覚えて涙流るる」

1930(昭和5)年に砂丘を訪れて有島武郎を偲んだ歌とのこと。

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2019年06月29日

松村由利子歌集 『光のアラベスク』

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甘やかに雨がわたしを濡らすとき森のどこかで鹿が目覚める
完全な剝製はなく手彩色版画の中を歩むドードー
人がみな上手に死んでゆく秋は小豆ことこと炊きたくなりぬ
清明をまずシーミーと読むときに移住七年目の青葉雨
あねったいという語に絡みつく暑さねっとり雨季が近づいてくる
「さけるチーズ」みたいに世界は引き裂かれ時が経つほど干涸びてゆく
「犬の耳」みな折り戻し愛犬を手放すように本を売りたり
思い出は画素の少ない方がいい大事なものは抜け落ちないから
島抜けの暗き歓び思うなり月に一度の東京出張
絶滅した鳥の卵の美しさ『世界の卵図鑑』のなかの

シリーズ「令和三十六歌仙」1。
364首を収めた第5歌集。

1首目、上句から下句への飛躍が美しい。
2首目、17世紀に絶滅して今では絵の中にだけ存在する鳥。
3首目、上手に死ぬとはどういうことか考えさせられる。
4首目、「せいめい」でなく真っ先に「シーミー」と読むようになったのだ。
5首目、ひらがな表記の「あねったい」がうまく効いている。
6首目、現在の世界情勢を「さけるチーズ」に喩えたのがおもしろい。
7首目、ドッグイヤーは本のページの隅を三角に折ること。
8首目、鮮明であれば良いというわけでもないのだ。なるほど。
9首目、島流しになった罪人が島を逃げ出すような後ろめたさと喜び。
10首目、もう産まれないからこそ一層美しく感じられるのかもしれない。

2019年5月1日、砂子屋書房、2800円。

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2019年06月28日

第7回現代短歌社賞 (作品募集中!)

現在、第7回現代短歌社賞の作品を募集中です。
http://gendaitanka.jp/award/

個人で歌集を出していない方が対象で、募集作品は300首。
未発表、既発表を問いません。

選考委員は、阿木津英・黒瀬珂瀾・瀬戸夏子・松村正直。
締切は2019年7月31日(当日消印有効)。

皆さん、ぜひご応募ください。

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2019年06月27日

橋本陽介著 『使える!「国語」の考え方』


文体論、物語論で活躍中の著者であるが、今回のテーマは「国語」。高校で7年間国語を教えたこともある著者が、国語の授業はなぜつまらないのか、国語の授業は何を目指しているのかを解き明かしつつ、文学か論理かといった対立を超えて豊かな国語力を身に付ける方法を記している。

内容はすべて「国語」、特に現代文の話なのだが、短歌とも共通する部分が非常に多いと感じた。

近現代の小説では、「説明するな、描写しろ」とよく言われる。「若さ」を表すのに、「若い」と書くのではなく、面皰(にきび)を描く。夏の暑さを描くのに、影の濃さを描く。
解釈が分かれることは悪いことではない。むしろ、様々な解釈ができるから小説は面白い。つまり小説においては、その出来事の解釈を書く側は一方的に決めない。解釈や価値判断を行うのは読者にゆだねる。
ただし、よく誤解されるように、読者はどんな勝手な読みをしてもいいということではない。テクストが完全に決定するわけでもないし、読者が完全に決定権を持っているわけでもない。あくまでもその中間である。
言うまでもないが、文章を読む力も書く力もどちらも大切である。文章がどのようになっているのかを理解すれば読む力も上がるし、書く力にもつながっていく。
文章は二次元でも三次元でもないから、順番を追って読んでいくしかない。このため、どういう順番で叙述していくかが、読み手にとって重要であるし、従って書き手にも重要だということになる。

こうした文章はすべて「短歌」にも当て嵌まる話だろう。そう考えると、例えば歌会というのは相当に国語力の身に付く場であるのかもしれない。もちろん、国語力をつけるために短歌をやっているわけではないのだけれど。

2019年1月10日、ちくま新書、820円。

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2019年06月26日

第22回「あなたを想う恋のうた」

今年も「あなたを想う恋のうた」の審査員を務めます。
作品の募集は7月1日〜10月31日。
応募は無料で、最優秀賞は何と賞金10万円!

https://www.manyounosato.com/

みなさん、ぜひご応募ください。

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2019年06月24日

鳥取(1泊2日)

22日(土)は8:50京都駅発のスーパーはくと3号で鳥取へ。11:57着。
13:00から国民宿舎「ニュー砂丘荘」で塔とっとり砂丘歌会。
参加者32名と大盛況。17:00まで。

その後、砂丘を散策して夕食。
夕食後はマイクロバスで近くの川辺に行って蛍を見る。

21:00から宿舎の部屋に集まって懇親会。
23:00頃に解散。

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23日(日)は9:00から「砂の美術館」へ。
「世界旅行・南アジア編」というテーマで、ガンジー、モヘンジョダロ、バーミヤンの大仏など21点が展示されている。作品の質が非常に高い。遠近法などを用いて立体的な奥行きを生み出している。

その後、有島武郎と与謝野晶子の歌碑を見学して11:00に新日本海新聞社のホールへ到着。

13:00から現代歌人集会春季大会 in 鳥取。
「前川佐美雄と塚本邦雄〜鳥取からはじまった」をテーマに17:00まで。
参加者は100名ほど。

いろいろと学ぶことの多い内容であった。
特に前川佐美雄『積日』の歌が印象的だったので、読んでみようと思う。

帰りは18:40鳥取駅発のスーパーはくと14号で京都へ。
京都駅21:37着。

久しぶりにお会いした方も多く、密度の濃い楽しい二日間だった。

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2019年06月23日

短歌と民俗学

宮本常一『辺境を歩いた人々』は、民俗学の先駆者とも言うべき4名の人物についての本であるが、何か所か和歌の話が出てくる。

玉鉾(たまほこ)のみちのく越えて見まほしき 蝦夷が千島の雪のあけぼの

これは松浦武四郎が蝦夷地に旅立つ際に、藤田東湖から贈られた歌。
「玉鉾の」は「みち」に掛かる枕詞で、東北を越えて北海道の島々の雪の降る夜明けを見てみたいとの意味である。

我死なば焼くな埋めな新小田(にいおだ)に 捨ててぞ秋の熟(みの)りをば見よ

こちらは松浦武四郎が函館で病気になって寝込んでいた時の歌。もし自分が死んだら焼いたり埋めたりせずに田んぼに打ち捨てて秋の実りを見なさいという内容で、北海道の土になる覚悟を示している。

他にも菅江真澄の話の中で

みちのくの尾駮の駒は和歌の題材であり、真澄はこの十年ばかり心にかけていました。いまその近くまでやってきたのですから、なによりもうれしかったのでした。
日記の中に和歌の多いのは、歌のやりとりがそのころの文化人の交際のしかたでもあったからでした。

といった記述がある。
また、巻末の宮本常一略年譜にも

1933年 26歳 ガリ版雑誌『口承文学』を編集刊行。短歌を詠む。

とあり、宮本が短歌を詠んでいたことを初めて知った。折口信夫(釈迢空)や柳田国男を例に挙げるまでもなく、短歌と民俗学には強い親和性があるのだろう。

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2019年06月20日

稚内―コルサコフ航路

今夏の稚内―コルサコフ航路の運航中止が決まった。
https://tabiris.com/archives/saharin2019/

1995年以来続いていた運航が途切れることになって残念でならない。近年は毎年のように運航中止の話があり、それでも何とか形を変えて運航を続けていたのだが、ついにという感じである。おそらく来年以降の再開もままならないだろう。

成田や千歳とユジノサハリンスクを結ぶ航空便はあるので、サハリンに行くことはできる。でも、戦前の稚泊連絡船と同じ船旅を味わうことは、これでもう永遠にできなくなってしまうかもしれない。

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2019年06月19日

宮本常一著 『辺境を歩いた人々』


2005年に河出書房新社から刊行された本の文庫化。
(親本は1966年、さ・え・ら書房刊)

江戸後期から明治にかけて日本の辺境を旅した4名の人物(近藤富蔵、松浦武四郎、菅江真澄、笹森儀助)を取り上げて、彼らの足跡や業績を記した本。「です・ます」調の子供向けのやさしい文章で書かれている。

難船の荷物をひろいあげると、荷の持主から、一割のお礼がでることになっていました。そのために荷物をひろうことは海にそった村々のいい収入のひとつでした。
いまのようにべんりな郵便制度がない時代ですから、手紙は旅人などにことづけて、とどけてもらうしか方法がなかったのです。だからうまく相手のいる土地へいく人がいないと、一般の人はいつまでたっても手紙は送れなかったわけです。

当時の暮らしに触れたこうした記述に教えられることが多い。さり気なく書かれているけれど、私たちが意外と気付かない部分だろう。

ふりかえってみると、日本の辺地は、こうした国を愛し、また辺地の人々のしあわせをねがう多くの先覚者たちが、自分の苦労をいとわないであるきまわり、しらべ、ひろく一般の人にそのことをうったえて気づかせ、そこにすむ人の上に、明るい光がさしてくるようにつとめてくれたことによってすこしずつよくなって、今日のようにひらけてきたのです。

本の最後に記されたこの一文に、宮本の生涯を貫いた信念がよく表れていると思う。

2018年6月20日、河出文庫、760円。

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2019年06月18日

現代短歌シンポジウム in 京都

今年の「塔」の全国大会は京都で行いますが、初日のシンポジウムは
一般公開でどなたでも参加できます。ゲストに、高橋源一郎さん
(小説家・評論家)と小島ゆかりさん(歌人)をお迎えします。

日時 8月24日(土) 13:00〜17:00
場所 グランドプリンスホテル京都

  講演 高橋源一郎 「日本文学盛衰史・平成後篇」
  対談 小島ゆかり×吉川宏志 「古典和歌の生命力」

会費 当日   一般2000円 学生1000円
   事前申込 一般1800円 学生 900円

お申込み「現代短歌シンポジウム」参加受付のページ


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    (クリックすると大きくなります)

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2019年06月17日

山梨(4泊5日)


12日から16日まで4泊5日で、母の住む山梨へ。
7日に入院して10日に甲状腺右葉切除(甲状腺腫瘍)の手術を終えたばかりの母を見舞う。


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山梨大学医学部附属病院の部屋から見える富士山。
富士山が見えることを母はとても喜んでいた。



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病院は甲府の郊外にあるのだが、周囲にはとうもろこし畑が多い。
近所の方から、もとうもろこしをたくさんいただいた。



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病院の近くで見つけた「鎌倉街道」の案内板。
こんなところも通っていたのか、鎌倉街道は!



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15日に無事に退院。
母の家の前にはいつもの自然が広がっていた。
入院中は元気がなかった母も、自宅に帰ってホッとしたようだ。


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2019年06月11日

渡辺一史著 『なぜ人と人は支え合うのか』


副題は「「障害」から考える」。

障害や介護、福祉についての基本的な考え方から、障害者が地域で自立した生活を送るとはどういうことか、なぜ人と人は支え合って生きていくのかといった問題を、一つ一つ掘り下げて論じている。

著者の渡辺一史は私が最も信頼するノンフィクションライターで、これまでに『こんな夜更けにバナナかよ』『北の無人駅から』の2冊を刊行している。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387138721.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/440253335.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/441554646.html

障害を、その人個人の責任とみるか、社会の責任とみるか、発想ひとつで、乗り越えるべきテーマや変革すべき社会のイメージが大きく変わってくることになります。
自立というのは、自分でものごとを選択し、自分の人生をどうしたいかを自分で決めることであり、そのために他人や社会から支援を受けたからといって、そのことは、なんら自立を阻害する要素にはならない。
人は誰かを「支える」ことによって、逆に「支えられている」のです。

本書は2016年に起きた「やまゆり園」障害者殺傷事件についても触れている。あの衝撃的な事件をどのように受け止め、考えれば良いのか。私たちに与えられた大きな課題である。

2018年12月10日、ちくまプリマ―新書、880円。

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2019年06月09日

現代歌人集会春季大会 in 鳥取


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  (クリックすると大きくなります)

6月23日(日)に鳥取で現代歌人集会春季大会を開催します。
大会テーマは「前川佐美雄と塚本邦雄〜鳥取からはじまった〜」。

 ・基調講演 林和清
 ・講演 三枝ミ之
 ・パネルディスカッション 荻原伸・道券はな・小谷奈央・楠誓英(司会)

という内容です。
参加費は2000円。

皆さん、ぜひお越しください。
鳥取でお会いしましょう!

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2019年06月07日

第55回短歌研究賞

今年の第55回短歌研究賞は川野里子さんの「Place to be」(28首)に決まった。短歌研究賞は前年の短歌総合誌に発表された20首以上の作品が対象となる賞である。

歌集『歓待』の冒頭にも据えられた「Place to be」は非常に印象深い作品で、受賞も当然という思いがする。この世に居場所の無くなった母が亡くなるまでの経緯を、母の言葉を詞書として挟みつつ、痛切な思いで詠みきっている。

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2019年06月06日

連絡

6月12日(水)〜17日(月)、京都の自宅を離れます。
その間はメールが見られませんので、急ぎの用事のある方は
ケータイに電話してください。

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2019年06月05日

田口幹人著 『まちの本屋』


副題は「知を編み、血を継ぎ、地を耕す」。2015年にポプラ社より刊行された単行本を加筆修正して文庫化したもの。

盛岡の「さわや書店フェザン店」の名物店員(だった)著者が、本屋に生まれた自らの生い立ちや書店のあるべき姿について記した本。

僕が意識したのが、本屋を「耕す」ことでした。農業の「耕す」と同じです。(・・・)一つは、お客さまとのコミュニケーション。積極的にお客さまと本をめぐる会話をして、お客さまとの関係を耕していく。(・・・)本が詰め込まれた棚も、常に手を加え変えていくことが「耕す」ことになります。
僕たちは、売れていない本もあえて在庫に入れるようなことをします。一年に一冊も動かなかったりするのですが、必ず入れる。なぜかというと、この一冊があることによって、横に広がっていくことがあるからです。この一冊を挟み込むことによって、横にある本の意味が変わってくる。
大きな本屋には、大きな本屋の役割があって、それは病院でいえば、総合病院なのです。まちの中核の大事な病院。一方で僕たちは、まち医者みたいなもの。でも、たまに救命救急もやりますというイメージでしょうか。

本に愛情を注ぎ、様々な創意工夫をしながら書店の仕事に取り組んでいた著者であるが、今年の3月にさわや書店を退社した。
https://www.iwate-np.co.jp/article/2019/3/21/50077

ある意味で本書は、果敢に戦い奮闘むなしく敗れ去った者の記録と言っても良いかもしれない。

いつまでも、店頭からお客さまに本を届ける仕事をし続けるつもりでいたが、僕の手法は手間隙がかかりすぎてしまい、時代の流れに逆行するものになってしまっていたようだ。

「文庫版あとがき」に書かれた一文に、著者の無念が滲む。

2019年5月5日、ポプラ文庫、660円。

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2019年06月04日

第7回現代短歌社賞 (作品募集中!)

現在、第7回現代短歌社賞の作品を募集中です。
http://gendaitanka.jp/award/

個人で歌集を出していない方が対象で、募集作品は300首。
未発表、既発表を問いません。

選考委員は、阿木津英・黒瀬珂瀾・瀬戸夏子・松村正直。
締切は2019年7月31日(当日消印有効)。

皆さん、ぜひご応募ください。

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2019年06月03日

「塔」2019年5月号(その2)

 昼ドラの刑事が背中を流しあい今日見た遺体について語らう
                          太代祐一

実際は守秘義務もあってこんなことはしないだろうが、ドラマにはありそうなシーン。遺体の話をしながら身体を洗うところに奇妙な生々しさがある。

 ぎんいろの冬の空気を吐き出してこれはわたしに戻らない息
                          魚谷真梨子

一般的には「白い息」と言うところを「ぎんいろ」と言ったのがいい。冬の冷たく引き締まった空気。下句、自分の身体の一部が失われていくようだ。

 海蛇と珊瑚の沈むぬばたまの鞄をつよく抱く目黒線
                          北虎叡人

「海蛇と珊瑚」は藪内亮輔の歌集タイトル。『 』に括らないことで、本物の海蛇と珊瑚のイメージが立ち上がる。「目黒線」の「黒」も小技が効いている。

 タッパーに詰められるもの詰めてきた ひじきラタトゥイユナムル
 さばみそ                   小松 岬

パーティーや懇親会などで余った料理を持って帰ってきたところ。日本、フランス、韓国と全くバラバラな料理が一つのタッパーに入っている面白さ。

 そうか、僕は怒りたかったのだ、ずっと。樹を切り倒すように話した。
                          田村穂隆

心の奥に眠っていた感情に初めて気づいたのだ。相手と話しているうちに感情が昂ってきたのかもしれない。句読点を用いた歌の韻律も印象的。

 一つ空きしベッドの窓辺に集まりて患者三人雪を眺める
                          北乃まこと

病院の四人部屋の場合、通路側に二つ、窓側に二つのベッドがあることが多い。窓側の一つ空いたスペースに、残った三人が自然と集まってくる。

 ポケットに帽子の中に新しき言葉二歳は持ち帰りくる
                          宮野奈津子

ポケットや帽子に入っている拾ったもの。それを物でなく「言葉」と捉えたのがいい。小さな子にとって物との出会いは新しい言葉との出会いでもある。

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2019年06月02日

「塔」2019年5月号(その1)

 きのふけふ食べて明日もまた食べむ三本百円の大根のため
                          岩野伸子

「三本百円」という安さにつられてつい買ってしまった大根。三本と言えばかなりの量なので、食べ切るために毎日大根料理を食べ続けているのだ。

 うぐひす餅埋めて抹茶の山々の陰るところと日の差すところ
                          清水良郎

うぐいす餅には青きな粉や抹茶の粉がかけてある。それを若葉や青葉の山に見立てたのだ。皿に載ったうぐいす餅から感じる初夏の季節が鮮やか。

 夫婦には我慢が大事と言う人の口の形が姶良カルデラ
                          関野裕之

錦江湾や桜島を含む巨大な姶良(あいら)カルデラ。道徳的な話を続ける相手の口もとを皮肉な気分で見ている。結句「姶良カルデラ」が秀逸。

 同じドアー並びてをればドアノブにぬひぐるみ吊す女性入居者
                          尾崎知子

老人施設などの場面。廊下に面して同じドアが並ぶので、自分の居室の目印としてぬいぐるみを吊るしている。それが可愛くもあり、寂しくもある。

 ホットケーキの中なる仏 本心とはそもそも存在するのでしょうか
                          白水ま衣

「ホットケーキ」の中に「ホ」「ト」「ケ」の三文字が入っているという発見。「ホットケーキ」「仏」「本心」と「ほ」の音によって三句以下が導かれている。

 真冬にはしろく固まるはちみつの、やさしさはなぜあとからわかる
                          小田桐夕

三句「はちみつの、」という序詞的なつなぎ方が巧みな歌。相手の優しさに気づいた時には、もう二人の関係が変わり手遅れになっていたのだ。

 母にやや厳しい口調のわれだった 旅の写真の見えぬところで
                          山川仁帆

写真には親子の楽しげな姿だけが写っているのだが、それ以外の場面では口喧嘩になったりもしたのだろう。写真を見ながらそれを悔やんでいる。

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2019年06月01日

高村光太郎著 『智恵子抄』


47篇の詩、6首の短歌、散文「智恵子の半生」「九十九里浜の初夏」「智恵子の切抜絵」を収めた一冊。

「人に(いやなんです)」「鯰」「あどけない話」「レモン哀歌」は、国語の教科書で習った記憶がある。

私達の最後が餓死であらうといふ予言は、
しとしとと雪の上に降る霙まじりの夜の雨の言つた事です。
                       (「夜の二人」)
光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所(ここ)に住みにき
彼女も私も同じ様な造形美術家なので、時間の使用について中々むつかしいやりくりが必要であった。互にその仕事に熱中すれば一日中二人とも食事も出来ず、掃除も出来ず、用事も足せず、一切の生活が停頓してしまう。 (「智恵子の半生」)

2人の芸術家が愛し合い同じ家に暮らすことの幸と不幸が、ひりひりと痛ましく、そして美しく伝わってくる。

1956年7月15日発行、2003年11月20日116刷改版、
2018年3月15日128刷、新潮文庫、430円。

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