2019年02月28日

卒業

毎月第4木曜日は「塔」の京都平日歌会。
2012年から始まって79回目、今日の参加者は17名だった。

午後4時、賑やかな歌会が終ってみんながぞろぞろと部屋を出ていく中、Sさんが僕のところにやって来た。

「平日歌会に来るのは今日でおしまいにします。」

とおっしゃる。今年で90歳を迎える年齢を考えて、歌会への参加は終わりにすると言うのだ。

歌会を立ち上げてから7年あまり、一緒にやって来た歳月のことを思った。何しろSさんはこれまでの79回のうち77回出席と、一番参加回数の多い方なのである。(ちなみに私は74回)

決心の固さは表情からわかったので、もう引き止めようとは思わなかった。何かが起きて来られなくなってしまうのではなく、お元気なうちに自分で区切りを付けるのがSさんらしいとも思った。

「それじゃあ、平日歌会卒業ですね。」

と僕は言った。
それから、

「おめでとう、と言ったらいいんですよね?」

と聞くと、

「ええ。そうよ。」

と答えて、にっこり笑って下さった。


Sさんにはこれまで随分と励ましていただいた。午前中から来てお昼ご飯を差し入れてもらったことも何度もある。いつも明るい笑顔で歌会を和ませてくれたのもSさんだった。

今まで本当にありがとうございました。

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2019年02月27日

「塔」2019年2月号(その1)


 境内に並み居る菊の大輪に見入る人びと菊のかほして
                         干田智子

寺社で開かれている菊花展を見にいったところ。結句「菊のかほして」がおもしろい。人間よりも展示されている菊の方が強い個性を放っている。

 人のために費やす時間は必ずしも清らかでない時もあるから
                         片山楓子

「人のために」と言うと何か良いことのような印象を受けるが、実際には、妬んだり憎んだり怒ったり悪だくみをしたりに費やしている時間も多い。

 捕えられし仲間を見守る十あまり浅瀬に集いて動くともなし
                         福政ますみ

前の歌を読むと、青鷺に鴨が捕まった場面とわかる。他の鴨たちは捕まった一羽を助けようとはしない。自然界の動物たちのありのままの姿である。

 ハローキティみたいにずっと口もとを隠したままで生きていきたい
                         上澄 眠

話をする時や食事をする時など、口もとを見られるのは緊張することかもしれない。何しろ身体の内側がむき出しになって見えてしまうのだから。

 配管の曲がるところに満月のひかりは溜まる 溜まれどこぼれず
                         金田光世

建物の外側に付いている配管の曲線部分が月の光を受けて光っている。「ひかりは溜まる」と表現したのがいい。光が液体のように感じられる。

 長傘はたたまれてみな下を向くそれぞれ兵のごとく疲れて
                         宮地しもん

下句の比喩が印象的だ。ずぶ濡れになった兵士たちが俯いて束の間の休息を取っている姿が目に浮かぶ。緑や紺や黒っぽい傘が多いのだろう。

 秋雨の午前一時に打ち終えた引継資料に印強く押す
                         佐藤涼子

夜遅くまで残業をして、あるいは家に仕事を持ち帰ってという場面。結句「印強く押す」がいい。ようやく資料が完成した疲労感と充実感がにじむ。

 時計屋に時計いくつも売られつつ時間は売られていない真昼間
                         鈴木晴香

発想のおもしろさに惹かれた歌。確かに「時計」は売っていても「時間」が売られているわけではない。それでも時計が並ぶ光景には何となく夢がある。

 新しいバイト入りて今までのバイトは電話をとらなくなりぬ
                         和田かな子

職場では電話の応対をまず教わることが多い。自然と一番新しい人が電話を取ることが多くなる。「今までのバイト」の子は一つ序列が上がったのだ。

 コンバインくるりくるりと滑り行く列なす稲穂を吸い込みながら
                         川述陽子

コンバインによる稲の収穫風景。刈り取り・脱穀・選別を一度にやってしまう優れもの。「滑り」「吸い込み」に機械のスムーズな動きが感じられる。

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2019年02月25日

「角川短歌」2019年3月号


座談会「歌壇・結社のこれからを考える」が面白かった。

参加者は梅内美華子・生沼義朗・澤村斉美・小島なお・寺井龍哉の5名。
皆さんかなり率直に突っ込んだ意見を述べ合っていて、中身が濃い。

寺井 結社に入った場合の負担と恩恵を天秤にかける意識はすごくあると思う。結社に入っていろんな人間関係ができて、いろんな歌が読めるようになるということと、でもお金もかかるし、時間も取られるし、作業もしなければいけないということ。その天秤で揺れて、結社に入らない選択をする人はすごく多いんじゃないかと思います。
寺井 (・・・)定期的に選を受けて、どれが落ちてどれが載ったかという判断を基に勉強するということは求めていないんじゃないかという気はします。でもそもそも、選を受けて腕を磨くという、段階的・歌学的なコースみたいなものが今後の短歌の世界も有効かどうかは大いに疑問だと思います。

こうしたテーマの座談会は「やっぱり結社はいいよね!」といった結論になりがちなのだが、今回は結社に入っていない寺井さんが参加したこともあって、かなり開かれた議論になっているように感じた。

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2019年02月24日

島内景二著 『竹山広』


コレクション日本歌人選の一冊。
副題は「生涯歌い続けた長崎原爆への怒り」。

長崎県生まれの著者が「短歌を愛する国文学者として、竹山広を日本文学史に正当に位置づけたい」という意図をもって、竹山の短歌50首を鑑賞・解説している。

身を薙ぎて一瞬過ぎし光あり叫ばむとしてうち倒れゐき
水のへに到り得し手をうち重ねいづれが先に死にし母と子
夜に思ふこと愚かにて絶命ののちいつまでも垂りし鶏の血
おそろしきことぞ思ほゆ原爆ののちなほわれに戦意ありにき
医者にかかりし覚えがなしといふ人の後ろにも死は近づきをらむ

「記憶のリアリティ」を目指す竹山短歌は、「アララギ」の写実とも反写実の前衛短歌とも違う第三の道である、というのが本書の骨子である。

古典や啄木、佐太郎との関わりなど、著者の豊富な知識と調査が生かされた一冊であるが、やや情熱が空回りしている部分も散見される。

2018年11月9日、笠間書院、1300円。

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2019年02月23日

畑村洋太郎著 『技術の街道をゆく』


失敗学の提唱者として知られる著者が日本各地の技術の現場を訪ね歩き、日本の製造業が抱える問題点や今後の課題を示した本。タイトルは司馬遼太郎の『街道をゆく』を踏まえている。

技術は経営と切り離しては成り立たない。「良い技術」というだけで生き残れるほど、技術の世界は甘くない。
一見まったく別物に見える技術も、ミクロメカニズムの視点から見ると、ほとんど同じというケースはよくある。古来の焼き物の技術が、現代の最先端技術と深いつながりをもつのは、その良い例であると思う。
いま目の前にあるものを見て時間軸を逆にたどり、「どのように作られたのか」「どんなことが起きたのか」と考えていくと、今という時点での静止画的な断面図から創造や推察を駆使して、生きいきと動く立体図を作ることができる。

他にも「技術は伝えようとしても伝わらない」という指摘など、興味深い話が多かった。

2018年1月19日、岩波新書、760円。

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2019年02月22日

「パンの耳」を読む会

来月3月1日(金)に、西宮で「パンの耳」を読む会を開催します。
岩尾淳子さん、大森静佳さんをゲストに迎えて、昨年刊行した同人誌
「パンの耳」について語っていただきます。批評会・懇親会ともに、
どなたでも参加できますので、興味のある方は松村までご連絡ください。


 pan-no-mimi.png

(クリックすると大きくなります)

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2019年02月21日

凌雲閣

 浅草の凌雲閣(りょううんかく)のいただきに
 腕組みし日の
 長き日記(にき)かな
             石川啄木『一握の砂』

凌雲閣は1890年に竣工した12階建ての展望塔で、高さは52メートル。当時、日本一の高さを誇る建物であった。別名「十二階」と呼ばれることもある。

観光名所として人気を集めた建物であったが、1923年の関東大震災で上部が崩落し、その後、解体された。

『一握の砂』の序文を書いた渋川玄耳の『藪野椋十日本見物』(1910年)という旅行案内を読んでいたら、この凌雲閣の話が出てきた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/762983

凌雲閣!なる程丁度十二階ある。一体何の為に建てたものぢやらうか、滅法に高いものぢや。少し歪んで居る様ぢや。筋金が打つてある。是は険呑ぢや。彼(あ)れが崩れたら其麼(どんな)ぢやらう、考へて見てもゾツとする。流石に東京者は胆が据つて居る哩(わい)、彼(あ)の危険物を取払はせずに、平気で其近所に住んで居るのは。尤も博覧会は東京に雨が降らぬものとして建てた相ぢやから、此十二階も地震の無い国の積ぢやったらう。

最後の「此十二階も地震の無い国の積ぢやつたらう」は、13年後の地震による崩壊を予言したかのような一文ではないか。

渋川玄耳、すごい!

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2019年02月20日

松本健一著 『石川啄木望郷伝説』


「近代日本詩人選」の一冊として1982年に筑摩書房より刊行された『石川啄木』を中心に、その他の啄木関連の文章を増補してまとめた一冊。著者の「伝説シリーズ」の第3巻となっている。

「故郷喪失」や「敗北の自己認識」「大衆性」をキーワードに、ロマン主義から自然主義そして晩年の社会主義への接近といった啄木の作風の変化を読み解いている。

著者とは生前に一度、「短歌往来」2012年1月号で対談させていただいたことがある。笑顔は柔和だったが言葉にも表情にも一本芯が通っていて、怖いくらいの鋭さを感じる方であった。

2007年6月、勁草書房、2300円。

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2019年02月18日

宇田智子著 『市場のことば、本の声』


大手書店を退職して2011年に那覇で古本屋を開業した著者のエッセイ集。著者の本はこれまでに2冊紹介したことがある。

『那覇の市場で古本屋―ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139340.html
『本屋になりたい―この島の本を売る』
http://matsutanka.seesaa.net/article/421633314.html

初出は「BOOK5」「フリースタイル」「本」などの雑誌。古本屋店主として働きながら様々な執筆活動も行っているようだ。

私の店には時計はなくても、カレンダーはある。(・・・)そして必ず旧暦が併記されたカレンダーを使っている。旧正月や旧盆だけでなく、毎月の拝みや季節の祭りなど、沖縄では旧暦にしたがってなずべき行事がとても多いらしい。
美容室ではなぜ言葉が通じないのか、ずっと悩んできた。こうしてくださいと伝えて、そのとおりになったためしがない。
もしも入力に手だけでなく足のペダルも必要だったら、文章はどう変わるだろう。ピアニストのような全身のうねり、自転車をこぐときの軽やかさなどが表せるだろうか。いま書きながら足を動かしてみたけれど、よくわからなかった。

沖縄のことや市場のことや本をめぐる話など、読んでいて楽しい。と同時に、小さな店から眺める風景の中に、現代社会の様々な問題が浮かび上がってくる。

2018年6月10日、晶文社、1600円。

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2019年02月15日

大阪城梅林吟行

3月7日(木)にJEUGIAカルチャーセンターの講座で、「春香る大阪城の梅林で短歌を詠む」という吟行をします。

http://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_17-23431.html

大阪城の梅林や天守閣を見物して歌を詠み、ランチを挟んで歌の批評も行います。

皆さん、どうぞご参加ください。

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2019年02月14日

藪内亮輔歌集 『海蛇と珊瑚』


2012年に角川短歌賞を受賞した作者の第1歌集。
光沢のある黒のメタリックな表紙が美しい。

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく
春のあめ底にとどかず田に降るを田螺はちさく闇を巻きをり
電車から駅へとわたる一瞬にうすきひかりとして雨は降る
墓地に立つ断面あまたそのひとつにましろき蝶の翅がとまりつ
鉛筆を取り換へてまた書き出だす文字のほそさや冬に入りゆく
川の面(も)に雪は降りつつ或る雪はたまゆら水のうへをながるる
冬の浜に鯨の座礁せるといふニュースに部屋が照らされてゐる
草に降るひかりと水の上(へ)のひかり異なりながら蜻蛉(あきつ)を照らす
感情を折り合ひながら君とゐるそれはときどき飛行機になる
絵の湖(うみ)に雨降りやまず一艘の小舟のうへに傘をさしをり

1首目、傘を差す時に誰もが行う何気ないしぐさの描写がいい。
2首目、春の雨の柔らかさと田の底にいる田螺の対比。
3首目、車両とホームの間のすき間にぱらぱらと降る雨。
4首目、「断面」という語の選びにハッとさせられる。
5首目、四句目までの描写が結句の季節感を巧みに導いている。
6首目、わずかな時間だけ溶けずに川面を流れていく雪片。
7首目、暗い部屋にテレビだけが点いているのだろう。
8首目、草の上を飛ぶときと水の上を飛ぶときの光の違い。
9首目、折り合いを付けようと努力しつつも逃避願望が兆すのだ。
10首目、結句で作者が絵の中に入ってしまったような面白さ。

全体が三部構成になっていて、第二部以降には「同音による意味のずらし」や「露悪的な言い回し」が多用される。

第二部の終わりにある「私のレッスン」は意欲作で、ルビや括弧を使って何層にも言葉を重ねた歌物語風の連作となっている。全7ページの作品だが、この方法で一冊200ページ続けてみたら、すごい歌集が生まれるのではないだろうか。

2018年12月25日、角川書店、2200円。

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2019年02月13日

映画 「台北暮色」


監督・脚本:ホァン・シー
製作総指揮:ホウ・シャオシェン
出演:リマ・ジタン、クー・ユールン、ホァン・ユエン

原題は「強尼・凱克」で英語の題は「MISSING JOHNNY」。どちらも邦題と違うのが面白い。2017年に東京フィルメックスで上映された時は「ジョニーは行方不明」という題だったらしい。原題の「強尼」はジョニー、「凱克」はインコ。

台北に暮らす男女3人の人生が交差し、次第にそれぞれの抱える過去が浮かび上がってくる。はっきりとしたストーリーがあるわけではなく、台北の街の雰囲気や空気感、地下鉄や高速道路の映像を味わう作品だと思う。

台湾にまた行ってみたくなった。

京都シネマ、107分。

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2019年02月12日

高松へ(その2)

天気も良いので、高松港付近をしばらく散歩する。


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アート広場にある巨大な椰子の実のような作品。
台湾の林舜龍(リン・シュンロン)の「国境を越えて・海」。

もともと2013年の瀬戸内国際芸術祭で香川県の豊島に展示され、続いて2016年の芸術祭でこの場所に展示、その後、恒久展示になったそうだ。


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別の角度から。
今は内部には入れなくなっていた。


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御製「種ぐさのいのち育む藻場にせむと小さきあまもの苗を手渡す」

2004年に高松市で開催された第24回全国豊かな海づくり大会で来られた時の歌。「豊かな海づくり大会」のことは全く知らなかったのだが、全国植樹祭・国民体育大会と並んで「三大行幸啓」の一つに数えられるイベントなのだとか。


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宇高連絡船「讃岐丸」の錨。

瀬戸大橋が開通するまで、岡山県の宇野と高松を結んで大活躍した船である。1996年の退役後はインドネシアに売却されて「Dharma Kencana I」という名前で就航しているそうで、興味を惹かれる。

午後からの四国歌会の詠草にもちょうどこの讃岐丸を詠んだ歌があった。地元の人々に親しまれた船だったようだ。


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歌会会場の「サンポートホール高松」から見える海。
13:00〜17:00は歌会、その後は懇親会と、楽しい一日だった。

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2019年02月11日

高松へ(その1)

「塔」四国歌会に参加するために高松へ。
四国を訪れるのは久しぶり。


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歌会は午後1時からなので、高松港のあたりを少し散歩する。


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北東方向に防波堤が延びていて、遊歩道のようになっている。
全長540メートル。
散歩している人、ジョギングしている人、犬を連れて歩いている人など、
けっこう人が通る。


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防波堤の先端には通称「赤灯台」と呼ばれる灯台が立っている。
総ガラス張りの灯台で、夜になると灯台全体が赤く灯るらしい。


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高さは14.2メートル。
正式名称は「高松港玉藻防波堤灯台」。
昭和39年に建てられ、平成10年に今の場所に移設されたとのこと。

多くの人がこの灯台を折り返し地点のようにぐるっと回ってから戻っていく。


posted by 松村正直 at 11:30| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月10日

「too late」1号

「未来」の大辻隆弘選歌欄「夏韻集」所属の3名(門脇篤史・道券はな・森本直樹)による同人誌。他に、御殿山みなみ・染野太朗・谷とも子がゲストとして参加している。

 甘鯛のアラのパックを選びをり雨に濡れたる髪を冷やして
 故郷から届く馬鈴薯いくつかは鍬の刺さりし跡を残して
                         門脇篤史

1首目、スーパーで買物をしている場面。「甘鯛」「アラ」「雨」の「あ」音がリズムを作っている。生鮮食品売場の冷気に髪が冷えてゆく。
2首目、下句がいい。土から掘り起こす時に鍬が刺さってしまったのだ。おそらくこうした馬鈴薯は市場には出ずに自家消費されるのだろう。

 また傘がないと気がつく 鱗のように剝がれる雪のさなかに立って
 踏みしめた木の実にひびが入るとき膝にさびしいひかりがよぎる
                         道券はな

1首目、もともと持って来なかったのか、どこかに置き忘れたのか、ともかく傘がない。「鱗のように剝がれる」という比喩が秀逸。
2首目、感触や音ではなく「ひかり」と表現したところがいい。木の実に罅が入るのと同時に自分の膝にも光の罅が入るような感覚だろう。

 どうしても食べたい物のイメージがわかずに歩く惣菜売り場
 半分に折ったパスタを茹ででいる小鍋の隅に欠片が浮かぶ
                         森本直樹

1首目、目当ての物を買おうとしてではなく、何か食べたい物を探し回っている時のあてどない感じ。武田百合子の枇杷の話を思い出す。
2首目、大きな鍋が家になくて小鍋に入る大きさにパスタを折っている。うまく割れなかった欠片が浮かんでいるところに侘しさを感じる。

 娘さんいくつになつたと訊いてみる冬のはじめのあたたかい日に
                         谷とも子

何の説明もない歌だが、相手との関係性がほのかに浮かび上がってくる気がする。かつて付き合っていた男性と久しぶりに会った場面か。

2019年1月20日、400円。

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2019年02月09日

悲恋塚と山野井洋


先日、「短歌研究」昭和12年6月号を読んでいたら、山野井洋の「「悲恋塚」お光の歌」と題する7首を見つけた。

 P1070105.JPG


私は調べものが好きで、いくつか継続的に調べていることがある。

その一つが「悲恋塚」。
かつて樺太の真岡にあった石碑で、このブログでも取り上げたことがある。
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139069.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139070.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/387139071.html

そして歌人の「山野井洋」。
http://matsutanka.seesaa.net/article/444573067.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/447662274.html
http://matsutanka.seesaa.net/article/447862617.html

「悲恋塚」×「山野井洋」。「短歌研究」掲載の7首はまさにドンピシャという感じで、なかなか興奮が収まらない。

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2019年02月08日

その後


新聞はテレビ欄がある最終面から読むのが子どもの頃からの癖である。

昨日の朝日新聞のテレビ欄の「試写室」には、アポロ11号のアームストロング船長のことが書いてあった。

そんな彼だからこそ人類初の重要なミッションを任されることになるが、帰還後、一躍ヒーローになったことで苦悩することにもなる。NASA退職、妻との離婚・・・。月から帰還後の人生は波瀾万丈だ。

32面から読んでいって、最後の1面の「天声人語」には、日本にスキーを伝えたことで知られるオーストリアの軍人レルヒ少佐の話が載っている。

(母国へ戻って)まもなく最前線でロシア軍と銃火を交える。敗戦により帝国は瓦解。軍一筋に生きたレルヒは道に迷った。退役し、放浪の1年を送る。貿易会社を立ち上げるも長続きしない。自作の水彩画を日本の知友らに売って糊口をしのいだ。

たまたまアームストロング船長とレルヒ少佐の話だったけれど、きっと誰だって「その後」の人生の方が長いのに違いない。

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2019年02月07日

吉田孤羊著 『啄木を繞る人々』


啄木の研究者として知られる著者が、「啄木の周囲を描くことによつて、その円の中心点に、客観化された彼の面影を少しでも髣髴せしむることが出来たら」という意図のもとに記した本。啄木と交流のあった50人あまりの人々を取り上げている。

啄木の没後17年という時点で書かれた本なので、まだ存命の関係者も多く、直接会って様々な話を聞いたりしているところが面白い。啄木と関わった人たちのその後の人生も知ることができる。

それにしても、この吉田狐羊の啄木研究にかける熱意というのは凄まじいものがある。岩手毎日新聞から改造社に入り、後に盛岡市立図書館の館長などを務めた人物だが、啄木に取り憑かれた人生を送ったと言ってもいいくらいだ。

1929年5月10日、改造社、1円。

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2019年02月06日

「塔」2019年1月号(その2)

 東平(とうなる)のナルはひらたき土地の意と思へば哀しひとの
 想ひは                    有櫛由之

東平は別子銅山の採鉱本部などが置かれていた場所。標高750メートルの山間のわずかに開けた土地に、かつては多くの人々が暮らしていた。

 ナイターのかたちにひかりは浮かびいて広島球場車窓をよぎる
                         黒木浩子

山陽本線のすぐ傍にあるマツダスタジアム。電車の窓からナイターに賑わう球場の様子や照明のあかりが見える。上句の丁寧な描写に工夫がある。

 十月に六週あれば散る萩をなびく芒を見に行けるのに
                         山下好美

あちこち出掛けたい場所はあるのに、なかなか全部は行くことができない。「六週あれば」という意表を突いた発想に、残念な気分が強く滲んでいる。

 突然の死とは即ち欠員で仕事の穴は埋めねばならない
                         佐藤涼子

職場の同僚が若くして亡くなった一連の歌。悲しみに浸る間もなく、その人の欠けた分の仕事を誰かが補う必要がある。現実の厳しさが伝わる。

 飛行機はこれでは墜ちる飛の文字の筆順友は幾度も教う
                         相本絢子

「飛」の字のバランスがうまく取れず歪んでいるのだろう。「飛行機はこれでは墜ちる」という言葉がユニークだ。友の熱心な指導の様子が見えてくる。

 ルービックキューブ一面揃え去るドンキホーテの深夜は続く
                         拝田啓佑

六面揃えるのは大変だが一面だけなら誰でもできる。ほんの手すさびにやってみた感じだろう。夜中の店をさまよう作者のあてどなさも感じられる。

 眠りつつ片笑みもらすみどりごは生まれる前の野原にいるか
                         宮脇 泉

下句がおもしろい。一般的には「何の夢を見ているのか」とでもなるところ。まだ生まれたばかりなので、すぐに生前の世界の記憶に戻れるのだ。

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2019年02月05日

「塔」2019年1月号(その1)

その歌を知れども椰子の実は知らずわずかな世界を見て老いゆくか
                         小石 薫

島崎藤村の詩に曲をつけた「椰子の実」は何度も歌ったことがあるのに、実物は見たことがないのだ。下句に何とも言えない寂しさが滲んでいる。

 亡きひとは亡きこと知らずに集いたる写真のなかに夏巡るたび
                         沢田麻佐子

かつて撮った集合写真に写る故人を偲んでいるのだろう。自分が死んだことに気づいていないかのように、写真の中で楽しそうにしているのだ。

 癌を抱き生き長らえて庭石の濡るるを見おり眼鏡を置きて
                         竹之内重信

病を抱える身体で縁側に出て、久しぶりに自宅の庭を眺めているのか。結句「眼鏡を置きて」がいい。濡れた庭石がいつもより鮮やかに目に映る。

 慣れるとは嬉しきことで検尿の尿もすぐ出る きれいな尿だ
                         山下昭榮

病院に通う機会が増え、最初の頃はなかなか思い通りに出なかった尿がスムーズに出せるようになってきたのだ。一字空けの後の結句が印象的。

 床の上に触れさうで触れぬカーテンの襞がま直ぐに濃くなる夕べ
                         石原安藝子

「触れさうで触れぬ」ところに味わいがある。触れていたら歌にならないところ。外が暗くなるにつれて、カーテンの襞の部分が翳りを帯びてくる。

 「denisten-official」のまだ生きていて開けばデニスのまだ生きて
 いて                      小川和恵

デニス・テンは昨年亡くなったカザフスタンのフィギュアスケート選手。最初の「生きていて」は、公式サイトが閉じられてないことを指している。

 電話ボックスに睦み合ひゐる二人あり髪の短き方と目が合ふ
                         川田果孤

電話ボックスという密室で抱き合うふたり。「髪の短き方」という性別を明示しない言い方がおもしろい。目と目が合って何となく気まずい感じだろう。

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2019年02月04日

大辻隆弘著 『佐藤佐太郎』


コレクション日本歌人選71。

佐藤佐太郎の全13歌集から50首を選び、鑑賞・解説を記した本。見開き2ページで一首の歌を取り上げるという読みやすい形になっている。

鑑賞は単なる一首評とは違ってしばしば佐太郎短歌の本質に迫る記述を含んでおり、全体として佐藤佐太郎論になっていると言っていい。

この浮遊する「は」は佐太郎の歌に多く現れてくる。(・・・)言わば佐太郎生来のあてどない心の動性に深く関わる「は」なのである。
佐太郎は抽象的な名詞に動詞「す」を接続して動詞化することが多い。この「影す」のほかにも「音す」といった動詞は佐太郎の愛用する動詞である。
あえて文脈上の「捻じれ」を用いる。それによってあてどない主体の心の動きを描写する。そこに技巧がある。

文中には繰り返し「茫漠とした意識」「あてどない感覚」「空漠とした作者の心情」といった言葉が登場する。そうした意識の空白や、意識と無意識のあわいを詠むところに佐太郎の真髄があるのだろう。

佐太郎短歌の入門書として、また短歌の本質や技法を考える手掛かりとして、中身の濃い一冊である。

2018年12月10日、笠間書院、1300円。

posted by 松村正直 at 18:30| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月03日

出版・本屋


先日、2018年の紙の出版物の販売金額が約1兆2900億円と、ピークだった1996年の約2兆6500億円の半分以下に落ち込んだとの記事が新聞に載っていた。20年間で半減という凄まじい減り方である。

もちろん電子書籍の普及という要因もあるのだが、その市場規模は約2500億円ということなので、それを加えても尋常でない減り方である。

全国の書店の数も約1万2000店と、こちらもピーク時の半分にまで減っている。私の生活圏内でも書店が潰れたり店舗面積が縮小したりといった傾向が目につく。

小さい頃から本が好きで本屋に入り浸り本屋で働いたこともある身としては、何ともいたたまれない気分になる。

posted by 松村正直 at 21:49| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月02日

「遠泳」 創刊号


笠木拓、北村早紀、佐伯紺、坂井ユリ、榊原紘、中澤詩風、松尾唯花の7名による短歌同人誌。

 ストロベリー・フェアのメニューを卓に伏せ鈍くあかるい雲を仰いだ
                         笠木 拓

早春のファミレスを思い浮かべて読んだ。苺がたくさん載ったメニューの明るさと窓の外に広がる曇り空。微妙な感情の起伏が感じられる一首。

 中庭に降り来ることしはじめての雪を巣箱のように見ていた
                         笠木 拓

「巣箱のように」という比喩がおもしろい。巣箱の暗い穴から外を覗いている感じだろうか。「中庭」という限定された空間も「巣箱」と響き合う。

 裸でいる方がきゅうくつ湯船では三角座りで首まで浸かる
                         北村早紀

服を着ている時の方が気が楽で、裸になると心細いような不安を覚えるのだろう。湯船の中で自分の膝を抱えるようにして、その不安を鎮めている。

 どの光とどの雷鳴が対だろう手をつなぐってすごいことでは
                         佐伯 紺

雷との距離にもよるが、稲妻(光)と雷鳴(音)は数秒〜十数秒ずれる。上句の雷の話から下句の相聞的な「手をつなぐ」話への展開がいい。

 煮魚のめだま吐き出すその舌が濡れおり夜の定食屋にて
                         坂井ユリ

目玉の周りのゼラチン質の部分を舐めて、目玉本体は吐き出したのだ。脂で濡れた舌や唇がぬめって光る様子が見えてくるようで生々しい。

 生活に初めて長い坂があり靴底はそれらしく削れる
                         榊原 紘

転居して新しい町に住み始めたのだろう。暮らしの中に「長い坂」があって、毎日それを上ったり下ったりすることが新鮮に感じられるのだ。

 硝子戸の桟に古びた歯ブラシを滑らせ春の船跡のよう
                         榊原 紘

古い歯ブラシを使って硝子戸の桟の汚れを擦り取るのだが、それを「船跡」に見立てたのがおもしろい。「春の」とあって、気分まで明るくなる。

 人ひとり無きというその明るさを灯していたり夜の食堂
                         坂井ユリ

学校や寮などの「食堂」を思い浮かべた。誰もいない広々とした空間に電気だけが灯っている。無人であるゆえに一層その明るさが目に付く。

 ティンパニにひらたき蓋をかぶせつつ盆地を籠める靄をおもえり
                         笠木 拓

皮の部分が傷まないように保護する蓋があるのだろう。楽器の形状と蓋をする動作から盆地に立ち込める靄をイメージしたところが美しい。

2019年1月20日、500円。

posted by 松村正直 at 23:12| Comment(0) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

「パンの耳」を読む会

来月3月1日(金)に、西宮で「パンの耳」を読む会を開催します。
岩尾淳子さん、大森静佳さんをゲストに迎えて、昨年刊行した同人誌
「パンの耳」について語っていただきます。批評会・懇親会ともに、
どなたでも参加できますので、興味のある方は松村までご連絡ください。

 pan-no-mimi.png

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posted by 松村正直 at 22:08| Comment(0) | パンの耳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする