瀬野川に石の粗きが残されてしろき尖りを鵜のつかみおり
上條節子
豪雨の後の変化してしまった川の風景。「石の粗きが」や「しろき尖りを」といったあたりの観察と描写が行き届いていて、場面がくっきりと見えてくる。
「そんなこと言はれなくてもわかつてる」言はずに私は私を閉ぢる
久岡貴子
母の介護をする作者の歌。自分でもわかっていることを誰かに言われてしまうことに対する苛立ち。でも、言葉にはせず自分だけの殻に閉じこもる。
年きけば双子の姉が答へたりエンドウマメの花の咲くみち
清水良郎
双子なので当然二人とも同じ年齢だから、どちらか一人が答えればいい。おそらく、いつも「姉」が答えているのだろう。下句の光景ものどかで良い。
弓なりの駅のホームにゆつくりと電車止まりぬ傾きしまま
永山凌平
電車が駅に停車する様子をゆっくりとスローモーションで映したような一首。カーブの内側に傾いた形で止まる車両。ホームとの間に隙間がある。
葡萄色ってつまりは葡萄の皮の色 然れどお辞儀は丁寧にする
白水ま衣
確かに言われてみれば「葡萄色」は葡萄の中身ではなく皮の色である。下句の取り合わせは唐突な気もするが、どちらも表面的というつながりか。
東畑・呉越え・中畑・原・郷と土地の記憶を雨は流れる
中野敦子
豪雨の被害を伝えるニュースに報じられる地名なのだろう。地名は土地の歴史や文化、そこに住む人々の暮らしといったものと深く結び付いている。
真夜中の牛乳一杯グラスよりましろきすぢがのみど下りゆく
水越和恵
レントゲンを撮ったみたいに、自分の喉を流れる牛乳をイメージしている。夜の部屋で飲んでいるからこそ、牛乳の白さが際立って感じられるのだ。
花柄の紙の手提げに道東の土産の氷下魚(こまい)2ダースもらふ
川田果弧
「花柄の紙の手提げ」と「氷下魚」のアンバランスな感じが面白い。「匹」ではなく「ダース」という単位で呼ばれているところに、魚の特徴が出ている。
ひらがなで自分の名前は書ける児のひらがな読めず名はひと続き
の字 三木節子
一文字一文字のひらがなを認識しているのではなく、一つらなりの線として自分の名前を認識している。ある一時期だけの子の姿を掬い取った歌。
扇風機みぎにひだりに首ふれば遅れてうごく猫の黒目よ
大森千里
扇風機が首を振るのが気になるのだろう。じっと座りながらも目だけでその動きを追っている。扇風機と猫と作者がいる部屋の様子が目に浮かぶ。