2018年08月31日

34歳

砂子屋書房HPの「日々のクオリア」で平岡直子さんが塚本邦雄の歌を取り上げている。

 イエスは三十四にて果てにき乾葡萄噛みつつ苦くおもふその
 年齒(とし)       塚本邦雄『装飾楽句』(1956:作品社)

https://sunagoya.com/tanka/?p=19168

鑑賞文に「この苦さは、自分がその年齢を追いこしてしまうことへの苦さだろうか。」とあるのは、まさにその通りだと思う。1920年生まれの塚本の年齢を考えると、おそらくこの歌を詠んだ時に34歳だったのだろう。イエスの享年と自分の年齢を比べて、焦燥感のようなものを感じているのである。

そして、この鑑賞文が強く私の印象に残ったのは、書き手の平岡さん自身も34歳なのだろうと思ったからである。どこにもそんなことは書いていないが、きっとそうに違いない。こんなふうに、書いていないことが通じるというのも言葉の力だと思う。

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2018年08月30日

「角川短歌」2018年9月号

荻原裕幸の歌壇時評を読んで、強い引っ掛かりを覚えた。

この歌壇時評では、歌集を直に扱うのはやめておこうと考えていた。と言うのは、私のように、歌壇配慮的な発想を嫌いながらも避け切れない者は、扱う歌集の取捨や選択のバランスを考えるだけで、かなり疲弊してしまうし、書けば書くほど総花的になり、ゆとりがあるはずの紙幅をほぼ費やしてしまうからである。人目など気にせずに本音で書くしかない、とは思うのだけれど、自分自身が意のままにならないもどかしさがある。ただ、そうは言うものの、先月、加藤治郎の新歌集を読んで、反射的につい書いてしまった。しかも、これから書こうとしているのは、加藤のそれと同時期に刊行された、穂村弘の新歌集『水中翼船炎上中』(講談社)についてなのである。お察しいただけるかとは思うけれど、この二人は、私にとって、たぶん特別な存在なのである。

何なんだろう、この言い訳がましい文章は。
ちょっと驚いてしまう。

加藤治郎の歌集も穂村弘の歌集もそれぞれ評判になった本で、時評で取り上げること自体には何の異論もない。ただ、この書き方はどうなんだ。

「お察しいただけるかとは思うけれど」って、一体読者に何を察しろと言うんだろう。歌集は取り上げないと決めていたけれど、この二人は私の特別なお友達だから取り上げるよっていうこと?

何だか非常に嫌なものを読まされてしまった。
この14行分は全部カットした方が良かったと思う。
(それ以外の部分は面白かったのだが)

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2018年08月29日

おすすめの歌書


  P1060918.JPG


「歌集は読むけど、歌書は読まない」という人はけっこう多いと思う。
特に分厚い歌書はちょっと、という気持ちはよくわかる。

そこで、私が自信をもっておすすめする歌書を5冊あげておこう。
どれも面白くて読み終わるのが惜しいくらいの本ばかり。

・三枝ミ之著 『昭和短歌の精神史』
    (本阿弥書店、2005年、522ページ)
・岡井隆著 『『赤光』の生誕』
    (書肆山田、2005年、473ページ)
・大辻隆弘著 『岡井隆と初期未来 若き歌人たちの肖像』
    (六花書林、2007年、388ページ)
・秋葉四郎著 『短歌清話 佐藤佐太郎随聞 上』
    (角川書店、2009年、499ページ)
・秋葉四郎著 『短歌清話 佐藤佐太郎随聞 下』
    (角川書店、2009年、552ページ)

なお、『昭和短歌の精神史』は角川ソフィア文庫からも刊行されている。

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2018年08月28日

「塔」2018年8月号(その2)

 無理やりに郵便受けに挿してありきつちり四日分の新聞
                      永山凌平

旅行などで四日間家を留守にしていたのだ。「無理やり」と「きつちり」という矛盾するような二つの言葉から新聞配達人の律義さが伝わってくる。

 春先にたんぽぽたんぽぽ白き絮いつか私のいない春くる
                      岩尾美加子

子どもの頃から見慣れたたんぽぽの絮毛を見て、ふと「私のいない」死後の世界を想像する。当り前のような風景も、少し違って見えたことだろう。

 「みいちゃん」と不意に呼ばれて振り返る この地で吾はみいちゃん
 だった                  佐々木美由喜

ふるさとに帰省した時の歌。今の生活の場においては作者を「みいちゃん」と呼ぶ人はいないのだろう。一瞬にして何十年も昔の子どもの頃に帰る。

 スニーカーで成人式に出た君を妻の前ではいちおう叱る
                      垣野俊一郎

「君」は息子なのだろう。怒っている妻の手前、ちゃんと革靴を履いていかなくてはと叱ってみせるのだが、心の中では別に構わないと思っている。

 パンの上に黄身ふるふると艶めくを齧り頬張り朝をさきはふ
                      栗山洋子

目玉焼きを載せたパンを食べているだけの歌なのだが、幸福感に満ちている。「ふるふると艶めく」に鮮やかな色の黄身が揺れる様子が彷彿とする。

 寝ていても眠れぬ気持ち起きていても眠たい気持ち乳児とおれば
                      矢澤麻子

乳児を育てる母親の一日が生々しく伝わってくる。ゆっくりと落ち着いて眠ることができず、常に寝不足のぼんやりとした頭で過ごしているのだ。

 押し出さるる魚卵のごとき人群れの生きいきと見ゆ改札口に
                      岡部かずみ

初・二句の比喩が印象的。通勤・通学の時間帯時だろう。大きな駅の改札口から次々と出てくる人々。「生きいきと」と肯定的に捉えたのがいい。

 近隣のMIZUHOの場所を尋ねれば息子はさらにSiriに訊きたり
                      鈴木健示

Siriはアイフォーンなどに搭載されている音声アシスタント機能。みずほ銀行の場所を知らなかった息子は、伝言ゲームのようにSiriに訊いたのだ。

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2018年08月27日

「塔」2018年8月号(その1)

 湖向ける椅子にしばらくまどろめり覚めたる後もまどろむ如し
                      岩切久美子

滋賀県に住む作者なので「湖」は琵琶湖のことだろう。目覚めた眼に映るのは一面の湖。その夢とも現ともつかない感じが下句にうまく出ている。

だれからの土産だったか分からないペーパーナイフの切れ味にぶる
                      岡本幸緒

土産にもらったということだけ覚えているのである。切れ味が良かった時は何も考えずに使っていたのが、切れ味が鈍って初めて来歴を考えたのだ。

 もしわたしが石になったら触れられてもわたしは石にならなくて済む
                      白水ま衣

他人に触れられると無意識に身体が竦んでしまうのだろう。恋人との関係を詠んだ歌だと思うが、「石になったら」という想像が何ともせつない。

 降ろされて夜に並べる鯉のぼりまなこ開きしままに眠れり
                      炭 陽子

空から降ろされて地面や床に置かれている鯉のぼり。閉じることのできない丸々とした眼を見開いたまま、動くことなく静かに横たわっている。

 三つ編みに髪を結われている二分小さき娘の眼はよく動く
                      杜野 泉

おそらく母親に髪を結われている娘の姿を前から見ているのだろう。二分という短い時間ではあるが、身体を動かせない分、眼があちこち動く。

 幾度も同じ絵本を読めと言ひ違ふ箇所にて子が笑ふなり
                      益田克行

お気に入りの絵本の読み聞かせをしている場面。毎回同じ個所で笑うならよくわかるが、「違ふ箇所」で笑うのが幼い子ならではの不思議なところ。

 浜辺には息絶え絶えの鯨おり我が身の重さはじめて知って
                      王生令子

時々、浜辺に打ちあげられてしまった鯨がニュースになることがある。陸上にあがって浮力を失った身体は、もう自力で海に戻ることもできない。

 いちばんいちばん同じこと言ふ力士たち一番一番鬢ととのへて
                      松原あけみ

力士のインタビューを聞いていると、「一番一番がんばります」といった答が返って来ることが多い。一日一番の積み重ねで十五日間を送るのだ。

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2018年08月26日

荻野慎諧著 『古生物学者、妖怪を掘る』


副題は「鵺の正体、鬼の真実」。

著者の提唱する妖怪古生物学とは、「古生物学的視点で、古い文献に記載されている不思議な生物や怪異の記載を読み解く」というもの。妖怪を単なるフィクションとして捉えるのではなく、それが生まれた理由や根拠を古生物学の知見を基に解き明かしていくのだ。

そうした手法によって本書では、ヤマタノオロチ、鵺(ぬえ)、一つ目の妖怪、竜骨、雷獣、一つ目一本足の妖怪などの正体に迫っている。

また、本書は西洋科学が導入される近代以前の、江戸時代の日本における本草学(博物学)の水準や足跡を記したものともなっている。

「妖怪」(異獣・異類)は、生類の枠に当てはまる「ヒト」や「畜生」の中において、よくわからない、正体不明のものをすべて放りこんでおく「ゴミ箱分類群」としての役割が非常に大きかったと考える。

他にも「肉食する生き物でツノ付きはいない」とか「前歯と奥歯が異なっていたり、牙があったりするのは、基本的に哺乳類のみ」など、言われてみればなるほどといった豆知識も数多く記されていて楽しい。

2018年7月10日、NHK出版、780円。


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2018年08月25日

高校2年の夏


父と母が離婚したのは私が高校2年の8月のことだった。私はずっと父のことを嫌っていたので、両親の離婚を喜んだ。一年上の兄はずいぶん悩んだそうだが、当時の私はごくごく単純だったのだろう。

それを機に、私はそれまでの父の姓「宇佐美」から、母の姓「松村」に名前を変えた。兄と二人で八王子の家庭裁判所へ行ったのだが、私ははしゃいでいて兄は無口だった。裁判所で氏名変更の申請書を書き、申請の理由として「両親の離婚」に丸を付けたのを覚えている。手続きはあっけないくらい簡単だった。

あれから31年。

今年、息子が高校2年の夏を迎えた。私が父と過ごした時間というのは本当に短いものだったんだなとあらためて感じている。

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2018年08月24日

松村正直の歌集・歌書


下記の歌集・歌書は手元に在庫があります。
メールでご注文いただければ、郵便振替用紙を同封して送ります。
masanao-m@m7.dion.ne.jp
送料は無料、署名入りです。

・第2歌集『やさしい鮫』(2006年、ながらみ書房、2800円)
・第4歌集『風のおとうと』(2017年、六花書林、2500円)
・評論集『短歌は記憶する』(2010年、六花書林、2200円)
・評伝『高安国世の手紙』(2013年、六花書林、3000円)
・評論集『樺太を訪れた歌人たち』(2016年、ながらみ書房、2500円)

よろしくお願いします。

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2018年08月23日

森義真著 『啄木―ふるさと人との交わり』

著者 : 森義真
盛岡出版コミュニティー
発売日 : 2014-05


盛岡のタウン誌「街もりおか」に2009年〜2014年にかけて連載された「啄木の交遊録〔盛岡篇〕」をまとめたもの。

「盛岡高等小学校に関わる人々」「盛岡中学校 恩師/先輩/同級生/後輩」「渋民尋常高等小学校に関わる人々」「渋民の人々」などに分けて、計65名が取り上げられている。

印象的なのは、それぞれの出生はもとよりお墓の場所まで記されていること。これは「葬儀や戒名、そして菩提寺まで記載してこそ、その人の伝記になるはずだ」(あとがき)という著者の信念に基づくものらしい。

啄木は満26歳という若さで亡くなっているが、この本の中にも若くして亡くなった人がけっこういる。狐崎嘉助(享年24)、細越毅夫(享年23)、内田秋皎(享年29)など。啄木の死を考える際には、こうした時代性も考慮する必要があるだろう。

2014年3月28日、盛岡出版コミュニティー、1600円。


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2018年08月21日

第21回「あなたを想う恋のうた」作品募集中!


福井県越前市で行われる「あなたを想う恋のうた」の審査員を
今年も務めます。現在、作品を募集中です。

締切は10月31日(水)。
なんと賞金も出ます!

最優秀賞(1首)10万円
 優秀賞(3首) 3万円
 秀逸(10首) 1万円
 佳作(15首) 5千円
 入選(30首) 図書カード千円

みなさん、ぜひご応募ください。
ネットからも応募できます。
http://www.manyounosato.com/


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2018年08月19日

全国大会から

浜松で開催された「塔」の全国大会から帰宅しました。
遠くにお住まいの方、久しぶりの方、初めての方など、
いろいろな方とお話できて楽しい二日間でした。

皆さん、お疲れさまでした!
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2018年08月18日

全国大会へ

塔短歌会の全国大会へ行ってきます。
今年は浜松での開催。
皆さん、会場でお会いしましょう。

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2018年08月17日

山本玲子著 『啄木うた散歩』

2006年に岩手日報の夕刊に連載された「啄木うた散歩」を、月ごとに小冊子にまとめたもの。釧路の港文館(旧釧路新聞社)のグッズコーナーで見つけ、全12冊のうち「睦月」「皐月」「長月」の3冊を購入した。

歌の解釈がやや道徳的なところが気になったが、いくつか面白い発見もあった。

 三味線の弦(いと)のきれしを
 火事のごと騒ぐ子ありき
 大雪の夜に           『一握の砂』

この歌について、著者は「三味線の一の糸が切れると縁起が良いといわれる。釧路の料亭での出来事の一つに、啄木は心弾ませたことであろう」と書いている。

これだけでは、どのように縁起が良いのかはっきりしないのだが、ネットで調べてみると「二の糸が切れたら身請けがつく」といった俗信があるらしい。料亭で三味線を弾いている芸者にとって、身請けの話は何より嬉しいことだったろう。だからこそ、ただの俗信とはいえ「火事のごと騒ぐ」となったわけだ。

2010年2月20日(睦月)、2010年3月1日(皐月、長月)
各300円、盛岡出版コミュニティー。

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2018年08月16日

山下翔歌集 『温泉』

 photo-yamashita.jpg

357首を収めた第1歌集。

店灯りのやうに色づく枇杷の実の、ここも誰かのふるさとである
みりん甘くて泣きたくなった銀鱈の皮をゆつくり嚙む夏の夜
墓石にかけようと買つてきた水の、ペットボトルに口つけて飲む
水の色、にはあらざれどみづいろのとんぼ過(よぎ)りつ池のほとりを
新郎と呼ぶとき君は新郎のやうだよきみが結婚をする
円卓をまはせばここに戻りくる あと一人分の酢豚をさらふ
衣ばかりの海老天のごときわが生を年越しそばにおよがせてゐる
母の通ひ詰めたるパチンコ店三つひとつもあらずふるさと日暮れ
ただいまと君が言ふ家の暗がりをこんにちはと明るく言ひて通りぬ
この夏をいかに過ごしてゐるならむ花火のひとつでも見てればいいが
ほむら立つ山に出湯のあることのあたりまへにはあらず家族は
二枚目は焼き方あさきトーストをきみの母から受け取つてゐる
おそるおそる立ちて待ちをり皆知らぬ人ばかりなる立ち食ひうどん
力の限りあなたをおもふぎゆつと眼をとぢても潰れない二つの目玉
筋肉のいづれ動かせばこの顔が笑顔になるかとおもひて動かす

1首目、巻頭歌。上句から下句へのつなぎ方に味わいがある。
2首目、銀鱈のみりん漬けを食べているところ。皮の食感が伝わる。
3首目、墓石にかける水も飲む水も同じ水であるということ。
4首目、美しい歌。「水の色」「みづいろ」の表記が効いている。
5首目、同性の「きみ」への思いはこの歌集の表には出ないモチーフだ。
6首目、全員が取り終わって残った分がまた回ってきたのだ。
7首目、細い海老がまとう大きな衣が汁の中にふやけていく。
8首目、個性の強い母への愛憎半ばする思いは繰り返し歌に出てくる。
9首目、同性の「君」の実家を訪ねた場面。「暗がり」「明るく」の対比。
10首目、会わずにいる母を詠んだ歌。「花火のひとつでも」が哀しい。
11首目、序詞的なつなぎ方。家族はいつでもバラバラになり得る。
12首目、用意されていた一枚目と、食べ終えてから焼く二枚目の違い。
13首目、確かに立ち食いうどんの店は「皆知らぬ人ばかり」感が強い。
14首目、「潰れない二つの目玉」に、ぎゅっと閉じる感じが強く出ている。
15首目、鏡に向かって表情を作っているところ。字余りの粘りのある調べ。

かなりクラシックな文語から今どきの口語まで幅広い言葉が使われているのが特徴。ざらりとした手彫りのような感触を持った文体である。ふるさと、母、食べ物に関する歌が多い。

状況の説明は少なく、歌の背後に何か隠れている気配が濃厚に感じられる。その簡単には言えない何かが、この歌集の大きな魅力にもなっている。

2018年8月8日、現代短歌社、2500円。


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2018年08月15日

永田和宏著 『知の体力』


2014年4月から半年間、京都新聞に連載した「一歩先のあなたへ」をもとに、大幅に加筆してまとめた一冊。

現代の大学教育や教育制度のあり方、学生・若者の気質、社会的な問題、言葉や会話・コミュニケーションなど、様々な実例を挙げながら、人が生きていく上で大切な「知」とは何かを論じている。

高校までの問題にはかならず一つ、正解があったのに対し、これからの社会においては、そもそも正解というものがないのだということを、大学における「学問」の基本要件としてまず学生に知らせたいと思うのである。
実は子どもがひ弱でも、親離れができないのでもなく、親の子離れができないことこそが、最大の問題なのかもしれない。
失敗の芽をあらかじめ摘んでしまうことは、成功への道を閉ざす以外のなにものでもない。失敗体験こそが、次に同様の問題に直面したときに成功へと導く必須の布石なのである。
心から愛することのできる人を得ることは、すなわち自分のもっともいい部分を発見することなのである。

この本の根底にあるのは、社会の現状に対する永田さんの苛立ちや不満である。「気に食わない」「胡散臭さを感じる」「危機的状況」「違和感を持たざるを得ない」「怖いことである」「なんともハヤと言うしかない」「やれやれである」「じれったい」「嫌いでもある」といった強い言い回しが(ユーモアも交えつつではあるが)頻出する。

近年の永田さんの政治に対する積極的な発言も、こうした流れの延長線上にあると言っていいだろう。

全体に文章もわかりやすく、言いたいことが真っ直ぐに伝わってくる良書だと思う。ただ、もちろん「親父の小言」的な側面はあるので、十代二十代の人たちに素直な気持ちで読んでもらえるかどうかは、ちょっとわからない。

2018年5月20日、新潮新書、760円。

posted by 松村正直 at 22:21| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月14日

現代短歌シンポジウム in 浜松


現代短歌シンポジウム  in 浜松.png

(クリックすると大きくなります)


8月19日(日)、「塔」の全国大会の2日目は一般公開のシンポジウムです。どなたでも参加できますので、皆さんぜひお越しください。

・講演「前衛短歌を振り返る」 永田和宏
・鼎談「平成短歌を振り返る」 栗木京子・永田 淳・大森静佳

参加費は一般2000円、学生1000円です。

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2018年08月13日

小奴に似たる娼婦

 小奴に似たる娼婦と啄木が五月の浮世小路をあゆむ
                栗木京子『ランプの精』

石川啄木の『ローマ字日記』(明治42年)の5月1日に、次のような記述がある。(原文はローマ字表記)

 ああ、その女は! 名は花子、年は十七。一眼見て予はすぐそう思った。
「ああ! 小奴だ! 小奴を二つ三つ若くした顔だ!」
 程なくして予は、お菓子売りの薄汚い婆さんと共に、そこを出た。そして方々引っぱり廻されてのあげく、千束小学校の裏手の高い煉瓦塀の下へ出た。細い小路の両側は戸を閉めた裏長屋で、人通りは忘れてしまったようにない。月が照っている。
「浮世小路の奥へ来た!」と予は思った。

小奴は啄木が釧路時代に親しかった芸者の名前。浅草に隣接する千束は、江戸時代に吉原遊郭があった場所で、明治に入ってからも娼婦を斡旋する店が数多くあったようだ。

「年は十七」は数え年だろうから、満年齢では十五、六歳ということになる。

 借金を返さぬ啄木 千束(せんぞく)の浮世小路ををみなとあゆむ
                    『ランプの精』

いやあ、啄木・・・。

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2018年08月12日

栗木京子歌集 『ランプの精』

photo.jpg

2013年から2017年までの作品466首を収めた第10歌集。

十階の劇場までを函に乗り凍れる魚となりて運ばる
雨の日の花舗の奥には岬から丘へとつづく径(みち)あるごとし
キャロライン・ケネディを乗せ馬車は行くただ紅葉の美(は)しき日本を
この悔しさ友には告げず味方してくるればさらにかなしきゆゑに
日の射さぬ工場のなか六十年働く心臓ありてわが生く
泉質の変はるがごとくをみな老ゆ産みたる者も産まざる者も
濯がれし繃帯あまたゆふかぜになびきてゐしや敗戦の夏
夢のなかで誰とはぐれしわれならむはぐれたること少しうれしく
スペアキイできあがるまで散歩せり川面(かはも)にあはく影を映して
渓流に触れし右手を左手はうらやみてをり秋の甲斐路に
眼圧を測らむと機器覗くとき見知らぬ丘に立つ心地せり
身のうちに十字架秘めてゐるならむ空ゆく鳶の大きく見ゆる
東京を時速二百キロで離りゆくわが人生よシウマイ食べつつ
女子トイレの多さは少女(をとめ)のあきらめし夢の数なり大劇場の午後
オバマ氏と日本に来たる「黒いカバン」新大統領のパレードにも見ゆ

1首目、エレベーターに乗っている時は誰もがじっとしている。
3首目、オープンカーに乗って暗殺されたケネディ大統領の姿が重なる。
4首目、味方してもらったら嬉しいのではない。かえってみじめになるのだ。
6首目、女性の老いに関する歌が目に付く。初二句の比喩が印象に残る。
8首目、はぐれて心細かったり悲しかったりしたのではない。
9首目、「スペア」と「影」がかすかに対応している。
12首目、真下から見ると鳶がきれいな十字の形になっていたのだ。
13首目、東京から新幹線に乗って崎陽軒のシウマイ弁当を食べている。
14首目、「女子トイレ」から「あきらめた夢」への展開に胸をつかれる。
15首目、核ミサイルの発射ボタン。常に大統領の傍にある。

直喩の「ごとし」や見立てなどの比喩表現、ものの内部を透視する視線や幻想・空想的な発想に特徴がある。いずれも言葉の力によって現実とは少し違う世界を歌の中に出現させている。

2018年7月24日、現代短歌社、2700円。

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2018年08月11日

牧野成一著 『日本語を翻訳するということ』


副題は「失われるもの、残るもの」。

翻訳のノウハウについての本ではなく、翻訳とは何かといった本質論、あるいは翻訳を通じて見えてくる日本語の特徴について論じた本である。

言葉というのは話者が世界をどのように見ているかという認知に深く関わっている。そのことが翻訳によって浮き彫りになるということだろう。

対象と距離を置いて客観的な事実を表現する際には口蓋破裂音を含む語が選ばれ、主観的な気持ちを表現するときは鼻音を使った語が選ばれているのではないかという仮説です。
比喩のない言語はないのですから、比喩は人間共通の「認知作用」に基づいているのではないか、という仮説が出てきます。
換喩は、一見、隣接要素の省略のように見えますが、実は省略ではありません。
受動文というのは、しばしば、主語の人間がコントロールできないような事態を表す主語の声、あるいは、それを言わせているナレーターの声なのです。
日本文学には受動の声がたくさん出てきますが、英語に翻訳する英語人は受動の声を原則として回避します。

金子みすゞの詩、芭蕉や蕪村の俳句、俵万智の短歌、夏目漱石や村上春樹の小説など、実例が豊富に挙げられていてわかりやすい。歌づくりのヒントにもなりそうな一冊だ。

2018年6月25日、中公新書、780円。


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2018年08月10日

第21回「あなたを想う恋の歌」


福井県越前市で行われる「あなたを想う恋のうた」の審査員を
今年も務めることになりました。現在、作品を募集中です。

締切は10月31日(水)。
なんと賞金も出ます!

最優秀賞(1首)10万円
 優秀賞(3首) 3万円
 秀逸(10首) 1万円
 佳作(15首) 5千円
 入選(30首) 図書カード千円

みなさん、ぜひご応募ください。
ネットでも応募できます。
http://www.manyounosato.com/


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2018年08月09日

「岡大短歌6」

岡山大学短歌会の短歌誌。

8首連作×12名、一首評×6名、書評×2名、20首連作×5名、16首連作×3名+評、特別寄稿8首×3名(荻原裕幸、中津昌子、松村正直)という充実した内容。全72ページ。

境界を越えようとして石化した生きものだろうテトラポッドは
                     青木千夏
泣けばいいのに泣かないからよ 妹はパン生地をこねながら笑った
                     川上まなみ
論理学受けつつ二つ隣には、眠れる森の(おそらくは)美女
                     平尾周汰
遊び方のわからぬ遊具のようにあるあなたの鎖骨のカーブにふれる
                     加瀬はる
ベランダで風化しそうな空き缶の来世のために入れる吸殻
                     水嶋晴菜
この長いシャッター街を一度だけ君の恋人みたいにゆくよ
                     長谷川麟
揺れながら咲く菊花茶のそのようにすこし困ってあなたが笑う
                     加瀬はる
これまでの旅の話をするようにヴィオラの調弦低く始まる
                     川上まなみ
義務みたいにいつも待たせたラクダ科の睫毛をもったしずかなひとを
                     白水裕子
今日はごめんと言われるなにがごめんだかわからないまま頷いてい
る                    白水裕子

1首目、海から陸に上がろうとして固まってしまったという見立て。「テトラポッド」は四本の足という意味なので、「越えようとして」とうまくつながる。
2首目、姉妹の性格の違いがよく出ている。泣くのを我慢してうまく行かなくなってしまうこともある。
3首目、大学の講義を受けている場面。机に伏せっていて顔がはっきりとは見えないが「おそらくは美女」、ということだろう。
4首目、上句の比喩が独特でおもしろい。そう言えば、鎖骨は目立つけれど何のためにあるのかよくわからない。
5首目、缶としての役割を終えた「空き缶」が、吸殻を入れることで吸殻入れに生まれ変わる。
6首目、「みたいに」なので、本当の恋人ではない。でも、たまたま二人で並んで歩く機会があったのだ。その喜び。
7首目、上句の比喩がいい。菊の花がお湯の中でほどけて開いていく様子で、相手の微妙な笑顔を喩えている。
8首目、ぽつりぽつりと話を始めるような感じで調弦しているのだろう。ヴィオラが長い旅をしてきたようにも読める。
9首目、「ラクダ科」とあるので、おとなしく優しい性格の相手。これまでデートのたびに毎回遅れことを後悔している。
10首目、おそらく今日の何か一つの出来事についてではないのだ。二人の関係のすれ違いが背後に滲んでいる。

「岡大短歌6」はネット通販もしているようです。
http://oakatan2012.blog.fc2.com/blog-entry-93.html

2018年6月28日、400円。


posted by 松村正直 at 15:46| Comment(2) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月08日

「プーシキン美術館展」


今日は大阪の国立国際美術館で開催中の「プーシキン美術館展―旅するフランス風景画」へ。

全体が5章に分かれ、17世紀後半から20世紀前半にかけての絵画65点が展示されている。

 第1章 近代風景画の源流
 第2章 自然への賛美
 第3章 大都市パリの風景画
 第4章 パリ近郊―身近な自然へのまなざし
 第5章 南へ―新たな光と風景

一番印象に残ったのは

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ジュール・コワニエ/ジャック・レイモン・ブラスカサット
「牛のいる風景」
19世紀前半

絵葉書だとわからないのだけれど、2本の倒木の描写がすごい。まるで3Dのように画面から飛び出して見える。樹皮も本物を貼り付けたみたいな質感で描かれている。


posted by 松村正直 at 20:22| Comment(0) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月07日

岡啓輔・萱原正嗣著 『バベる』



副題は「自力でビルを建てる男」。

岡啓輔は東京都港区三田に、地下一階、地上四階の鉄筋コンクリート造のビルを自力で建てている。その名も「蟻鱒鳶ル」(ありますとんびル)。

本書には岡の生い立ちや建築に対する考え方、そして蟻鱒鳶ルに込めた思いなどが記されている。テンポの良い文章で書かれているが、おそらくこれはフリーライターの萱原正嗣(構成)の手によるものだろう。

岡は「自力で」ビルを建てているだけではない。それは「二百年もつ」頑丈なビルであり、「即興の建築」なのだ。「建築を、踊るようにつくれないものだろうか……」などと考えるかなりの変人である。

建築の世界でも、思考と表現を交錯させれば、もっとおもしろい建築が生まれてくるのではないだろうか――。踊りを学び続けるうち、次第にそう考えるようになってきた。
形ができあがった悦びをエネルギーに変え、それをイメージの源泉に、建築の次なる部分をつくり上げる。ひとつの床や壁をつくった悦びを土台に、その上に建築を即興的に積み重ねていく。
「蟻」と「鱒」と「鳶」は、それぞれ陸・海・空を生きる動物だ。ということは、「蟻鱒鳶ル」には、陸と海と空のすべてが宿る。僕は「蟻鱒鳶ル」をつくることで、「世界」を表現することができるのではないか――。

突拍子もないふざけたことを言っているようでいて、いたって真面目な情熱家だ。2005年に着工したビルは現在、「三階の壁が半分ぐらい」までできたところ。完成を迎える日はいつになるのだろうか。

2018年4月24日、筑摩書房、2200円。


posted by 松村正直 at 09:25| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月06日

野岬歌集 『海に鳴る骨』

「塔」所属の作者の第1歌集。
昨年、第7回塔新人賞を受賞されている。

 対岸の街のガラスの一枚が今のぼりたる朝の日に燃ゆ
 小指ほどの鰯じやらりと溢れ出づ鰹の腹に出刃を当つれば
 休みなく煙吐きゐる男らの林立に会ふビルの裏手に
 山荘の二階の小窓押し開けて去年の夏と今日を繋ぎぬ
 古本の頁のあひだの黒髪を春の列車の窓から放つ
 人に会へばその分ひとりの時が要りこの夜もまた灯を消さずゐる
 均一になるまで混ぜて食べてゐる 長男として育つて来たひと
 常にゐし犬の存在うしなひて私達はもう喧嘩をしない
 漕ぎ出だす人の力が自転車と調和してゆくまでを見てゐつ
 陽の当たる段をくだりぬ吾と違ふ祈り捧ぐる君を残して

夫婦ふたりの海辺の暮らし。
夫は絵を描く人らしい。作者は古墳めぐりが趣味のようで古墳の歌が何度か出てくる。

1首目、湾を挟んで西側にある街の建物に反射する朝日。
2首目、鰹を一匹買ってきて捌いているところ。臨場感がある。
3首目、喫煙スペースに大勢で群がっている。「林立」がいい。
4首目、止まっていた山荘の時間が一年ぶりにまた動き始める。
5首目、おそらく以前の所有者の髪。見知らぬ人の姿を思う。
6首目、自分自身を取り戻す時間が必要になるのだ。
7首目、納豆か卵掛けご飯か。そこに長男らしい几帳面さを見る。
8首目、犬が夫婦の関係を取り持ってくれていたことに気が付く。
9首目、いったん調和した後はそれほど力を入れなくても進む。
10首目、神社で長く祈っている夫。一人と一人だと感じる場面だ。

タイトルは〈犬のねむる海がこの夜鳴り止まずベランダに出て「おやすみ」と言ふ〉から取られている。亡くなった犬の骨を海に撒いたのだろう。

2018年5月25日、角川書店、2600円。


posted by 松村正直 at 06:31| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まったく新しい


「まったく新しい」と宣伝されているものが本当に新しかったことってない。

posted by 松村正直 at 06:29| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月05日

遊座昭吾著 『啄木と渋民』


著者は啄木が幼少期を過ごした渋民の宝徳寺に生まれ育った方。
啄木とふるさと渋民の関わりを中心に論じた一冊である。

啄木の短歌を考える際に、父や伯父からの影響は無視できないだろう。

しかし一は、生まれた時から歌人群のなかで成長してきたといってよい。
啄木が四千首に及ぶ歌稿『みだれ芦』を編んだ歌人としての父をもったこと、また歌人対月の妹を母としたこと、この血のつながりが彼をして文学、なかんずく和歌に向かわした要因であることは論をまたない。

啄木の父一禎には謎が多い。宗費滞納で住職を罷免されたり、啄木一家の生活が苦しくなると家を出て行ったり、「ダメ親父」として描かれていることが多いが、それは一面的な見方のような気がする。

1971年6月15日初版発行、1979年7月30日改訂版発行。
八重垣書房、1500円。


posted by 松村正直 at 21:13| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月04日

「浮世絵最強列伝」


今日は相国寺承天閣美術館で開催中の「サンタフェ リー・ダークス コレクション 浮世絵最強列伝」へ。

全体が時代順に6章構成になっていて、菱川師宣、鈴木春信、勝川春章、喜多川歌麿、東洲斎写楽、歌川豊国、葛飾北斎、歌川広重など、80点あまりが展示されている。

 第1章 江戸浮世絵の誕生―初期浮世絵版画
 第2章 錦絵の創生と展開
 第3章 黄金期の名品
 第4章 精緻な摺物の流行とその他の諸相
 第5章 北斎の錦絵世界
 第6章 幕末歌川派の隆盛

浮世絵には「やつし」や「見立」といった和漢の古典のアレンジやパロディーが頻出するが、その元ネタを知っているともっと楽しめるのだろう。「狂歌+絵」の摺物も多数あって、江戸時代の狂歌の隆盛ぶりが感じられた。


 P1060915.JPG

これは歌川国貞「風俗三人生酔」。
1830年〜32年頃の作品。

大正〜昭和頃のお酒のポスターに通じるものがあって面白い。


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前期の展示は明日までで、8日から展示をすべて入れ替えて後期となる。


posted by 松村正直 at 19:48| Comment(2) | 演劇・美術・講演・スポーツ観戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月03日

田口綾子歌集 『かざぐるま』


2008年に第51回短歌研究新人賞を受賞した作者の第1歌集。
「まひる野」所属。

燃えやすきたばこと思ふそのひとが吸ふこともなくしづかに泣けば
炊飯器 抱くにちやうど良きかたち、あたたかさもて米を炊きたり
落ち葉のやうに切符を溜めて改札のひとつひとつに森ふかくあり
非常勤なれば異動といふことば使はぬままに別れを言へり
会ふたびに左手の傷に触るるひとうすくちひさき痕となりても
冷蔵庫の出口に近きたまごから順に食はれて最後のひとつ
ぶらんこで遊ぶひとなし ゆふやみにまなこ閉づればぶらんこもなし
雪の予報の出てゐる朝(あした) 収集車はごみに積もれる雪も運ばむ
すきなひとがいつでも怖い どの角を曲がってもチキンライスのにおい
ドーナツを半分にまた半分に方向音痴なひとの朝食

1首目、灰皿に置かれた煙草が黙々と燃えているところ。
3首目、切符回収の箱のなかに一枚一枚と溜まっていく。
4首目、契約期間が終われば退職となる不安定な身分。
7首目、何とも不思議な感じの歌。残像だけがまぶたに残る。
10首目、ドーナツの円形が方位や方向をイメージさせる。

空欄(しろ)に×(あか)、あはれむやみにあかるくて授業内容をわれ
はうたがふ           『かざぐるま』
雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ
                 小池光『バルサの翼』
答案が憎いよ月夜 鍵穴にさしつぱなしの鍵つめたくて
                 『かざぐるま』
ああ君が遠いよ月夜 下敷きを挟んだままのノート硬くて
                 永田紅『日輪』

こうした本歌取りが何首かあるのだが、残念ながらどれも出来の悪いパロディとしか思えなかった。

2018年6月15日、短歌研究社、2000円。


posted by 松村正直 at 21:47| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする