2018年07月31日
現代短歌シンポジウム in 浜松
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8月19日(日)、「塔」の全国大会の2日目は一般公開のシンポジウムです。どなたでも参加できますので、皆さんぜひお越しください。
・講演「前衛短歌を振り返る」 永田和宏
・鼎談「平成短歌を振り返る」 栗木京子・永田 淳・大森静佳
参加費は一般2000円、学生1000円です。
2018年07月30日
映画 「レディ・バード」
監督:グレタ・ガーウィグ
出演:シアーシャ・ローナン、ローリー・メトカーフ、ビーニー・フェルドスタインほか
アメリカの普通の町に暮らす17歳の高校生が、家族や友人、恋人との関わりを通じて成長していく姿を描いた作品。人種や宗教、格差などの文化的・社会的背景や、2001年の米同時多発テロからイラク戦争にかけての時代背景なども垣間見えて興味深かった。
登場人物の名前を見ても、「クリスティン」はキリストから来ているし、「ミゲル」とあればヒスパニックであることがわかる。そういったアメリカ人にとっては常識である部分がもっとわかると、さらに楽しめるのかもしれない。
2017年、アメリカ、94分、出町座にて。
2018年07月29日
「塔」2018年7月号(その2)
足場屋さん塗装屋さんに屋根屋さん床下さん来てわが家にぎはふ
吉田京子
家の改築などをしているところだろう。「○○屋さん」という言い方が、作業現場の感じをうまく出している。「床下さん」というのは何をする人かな。
日傘さす婦人を先に通したり誰もいなくなりアクセルを踏む
矢澤麻子
道路を渡ろうとしている人がいて、車を止めて譲ったところ。その後のすっきりしたような開放感が下句に出ている。真っ直ぐな道が続くのだろう。
みどりいろの固き契りを裂くように二つに分ける蚊取り線香
和田かな子
二本の蚊取り線香が互い違いに組み合わされて円盤状になっている。それを一本ずつに分ける時のすんなりと行かない感じをうまく表している。
リハビリに通ひ来し人九十五で焼死したりと娘が嘆く
西山千鶴子
娘さんはリハビリ施設で働いているのだ。せっかくリハビリを頑張っていたのにという無念の思い。身体は不自由で逃げ遅れたのかもしれない。
始まりと終わりが混ざった朝五時の電車に始まるほうとして乗る
紫野 春
始発に近い電車には早朝から仕事に出掛ける人もいれば、徹夜明けで家に帰る途中の人もいる。七時くらいになると通勤・通学の人ばかりになる。
対岸に手を振る子ども池の辺はめぐりてかならず出会えるところ
森川たみ子
池に沿って二人で反対側に歩いて行っても、必ずどこかでまた会える。でも、今は無邪気に手を振っている子ともやがては別れの日が来るのだ。
表札がはつきり読めるわが家のストリートビューに真夏の日差し
山縣みさを
自宅の画像がネットで見られることに危惧を覚えるのだろう。まるでリアルタイムで映っているみたいだが、実際には真夏に撮影されたものである。
2018年07月28日
「塔」2018年7月号(その1)
じゃあこれで失礼しますとにこやかにこの世去りたし桜咲く日に
岩切久美子
普段通りの感じであっさり死ぬことができれば良いのだが、それが非常に難しいことは作者自身もよくわかっている。結句、西行の歌を思い出す。
義貞が幕府破りし戦場(いくさば)の分倍河原(ぶばいがはら)に
妻と落ち合ふ 小林信也
京王線と南武線の駅がある分倍河原。「ばくふ」「やぶり」「いくさば」「ぶばいがはら」と続くB音が効果的で、上句と結句の落差がおもしろい。
をみなごの家に帰れぬ大勢のひひな並ぶを遠く見て過ぐ
干田智子
女の子が大きくなって不要になった雛人形が集められているのだろう。「をみなごの家に帰れぬ」が哀切で、人形にも命があることを感じさせる。
友からのメール開ければ本人の訃報届きぬ嘘のようなり
吉田淳美
関わりのあった人たちに、故人のアドレスから遺族が送ったメールだったのだ。「本人の訃報」という本来はあり得ない状況が何とも現代的である。
逢ひたいと思ふほどではないけれどセロリのやうな雨が降つてる
佐近田榮懿子
「セロリのやうな雨」という比喩がいい。セロリの細い筋や食べる時の音などをイメージした。雨を見ながらぼんやりと思い出す人がいるのである。
「ええ鮎が入つたさかい」と早口の女将は「ほなら」と電話切りたり
清水良郎
馴染みの店の女将からの誘いの電話。真っ直ぐでテンポの良い関西弁が女将の人柄をよく表している。すぐにでも店へ寄りたくなったのではないか。
洲の草を喰みゐし春のヌートリアするすると尾ものこさず川へ
篠野 京
近年、川でよく見かけるようになったヌートリア。体長40〜60センチとけっこう大きい。「尾も残さず」が良く、水に入る滑らかな動きが見えてくる。
四十歳(よんじゅう)を過ぎたあたりで未来から過去へと時間の
流れがかわる 竹田伊波礼
人生の半分を過ぎた頃から、残り時間を意識するようになるのだろう。それを「未来から過去へ」という言い方で表したところに実感がこもっている。
2018年07月27日
井上信興著 『啄木文学の定説をめぐって』
函館市文学館で購入した本。
啄木研究において定説とされていることが本当に正しいのか、いくつかのトピックを挙げて論じている。
・「ローマ字日記」私見
・「東海の歌」の定説をめぐって
・啄木と橘智恵子の場合
・詩への転換とその前後
・「不愉快な事件」と「覚書」について
・詩集「あこがれ」発刊について
・啄木負債の実額について
・啄木敗残の帰郷
・啄木釧路からの脱出とその主因
・金田一氏の文章論争
・「手が白く」の歌のモデル
・啄木筆跡の真偽について
こうして目次を並べただけでも、啄木に関する研究には長年にわたる蓄積があり、様々な議論が行われていることがわかるだろう。
私が一番注目したのは、啄木の「ローマ字日記」についての著者の見解である。
私は日記形式を採用して自然主義的私小説を意図したのではないかと考えるのである。
つまり、他の日記類とは違って、「ローマ字日記」は小説だというのだ。確かに表記だけでなく文体や内容についても「ローマ字日記」は異色である。
従来は「日記ではあるが文学的な価値も高い」といった評価をされてきた「ローマ字日記」であるが、これを「小説」と捉えるとずいぶん見え方が違ってくるように思う。
2009年1月1日、そうぶん社出版、800円。
2018年07月25日
小佐野彈歌集 『メタリック』
昨年、第60回短歌研究賞を受賞した作者の370首を収めた第1歌集。「かばん」所属。
家族つてかういふものか ふるさとの桃や葡萄はみんなまあるい
凍てついた滝のごとくにビルならび色とりどりの裸身を映す
簡単に土下座できるといふ君の鶏冠のごとき髪を撫でたし
それでもなほ海が好きだと言ふひとのくちびるだから荒く合はせる
君といふ果実をひとつ運ぶためハンドル握る北部海岸
ソドミーの罪の残れる街をゆく鞭打つごとき陽に灼かれつつ
無地、それもモノクロームのTシャツを湿らせながら坂駆けてくる
網戸とは夜の虫籠 一匹の蠅ゆくりなく囚はれてゐる
なにもかも打ち明けられてしんしんと母の瞳は雨を数へる
窮鼠われ猫を嚙まずに生きてきてふたり仲良くお茶飲んでゐる
1首目、「家族」という制度や無言の圧力に対する違和感。
2首目、初・二句の比喩が印象的。ガラス張りの高層ビル。
3首目、君の経てきた人生が想像され、痛々しさを覚える歌。
4首目、初句「それでもなほ」という入り方が面白い。
5首目、「君=果実」を大事に思っているのだろう。
6首目、マレーシアでは同性間の姓行為は犯罪で、鞭打ち刑が科される。
7首目、女性ではなく男性の恋人の姿。
8首目、網戸とガラス窓の間に閉じ込められているのだろう。
9首目、ゲイであることを打ち明けた時の母の様子。
10首目、追い詰められても我慢してきた歳月を感じさせる。
ゲイであることを公表している作者ならではの歌も多く、LGBTに対する理解を深める一助にもなる歌集だろう。なぜか二人の解説が載っているが、これは一人で十分だったように思う。
2018年5月21日、短歌研究社、2000円。
2018年07月24日
現代短歌シンポジウム in 浜松
2018年07月23日
航空母艦も火夫も
現代詩手帖特集版「塚本邦雄の宇宙」(2005年)収録の「「私」を離れた作歌貫く」の中で、岡井隆は
海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も
塚本邦雄『水葬物語』
について、次のように書いている。
兵役適齢期に戦争末期をすごし、呉の海軍工廠に勤めていたという伝説があるから、この「航空母艦」なども、作者の私的な回想がらみのものと思ってもわるくない。しかし、そういう解釈は今までなされたことはなかった。
なるほど、そう言われればそうだなと思う。かつては「前衛短歌=反写実」という枠組みに縛られて、そうした私的な観点を避けようとする意識が強かったのだろう。
でも、塚本の初期作品を読み直してみると、私生活と結び付いていると思われる作品が意外なほどに多い。例えば、
揚雲雀くらき天心指しわれのむね芥子泥濕布(からしでいしつぷ)
が熱し 『日本人靈歌』
という歌も、塚本の肺結核による療養という背景に基づいて詠まれたものだろう。それを踏まえて鑑賞することに何の問題もないと思う。
先の「航空母艦」の歌にしても、例えば大戦末期の呉空襲を詠んだ
「大淀」も「利根」も沈める内海が記憶のなかに燦きやまず
島田修二『青夏』
といった歌とならべて鑑賞することも可能なのではないか。それは別に塚本の歌の価値を貶めることにはならない。むしろ塚本作品の特徴や前衛短歌の手法を、より鮮明に浮かび上がらすことになると思う。
2018年07月22日
第8回塔短歌会賞・塔新人賞
「塔」7月号で、第8回塔短歌会賞・塔新人賞が発表になった。
塔新人賞は、近藤真啓「『Lao-tse』を読む」。
レガッタのオールが揃ひて水を掻く春よ春よと誘ふやうに
雄・雌を0号絵筆で選り分けるサマータイムの始まる朝に
「maybeが好きね」と言はれ「maybe」と答ふ フランチェスカの
栗色の髪
ボストンに留学して研究する日々を詠んだ一連。
1首目、下句の比喩が伸びやかで気持ちいい。
2首目、実験用の蠅を細い筆を使って分けているところ。
3首目、日本人らしさが滲み出ている。
塔短歌会賞は、白水ま衣「灰色の花」。
行きましょう。と即答できず逸らしたる目線の先に鴎、降り立つ
抽象でも具象でもありうるのだとスタールが描くパン、その光
回想をするとき眼鏡をかける人、はずす人、目を閉じる人あり
画家二コラ・ド・スタールの絵を題材に、自らの感情や思考を描いた一連。
1首目、相手の誘いにすぐにOKできず迷う心。
2首目、抽象と具象は必ずしも正反対の概念ではないのだ。
3首目、どの方法が一番よく記憶が見えるのだろうか。
「塔」7月号は、受賞作、次席、候補作、受賞のことば、選考座談会など、実に全55ページという分量を「第8回塔短歌会賞・塔新人賞」に割いている。ぜひ、じっくりと読んで欲しい。
2018年07月21日
イルカ漁の歌
岡野弘彦の歌集『天の鶴群』(1987年)に、「いるか漁」25首がある。
うらうらと照る日かすめる沖べより舳(へ)さきおし並め舟きほひくる
大島の風早岬はるかなる潮路の涯ゆ追ひ迫るらし
三重(みへ)に張る網つぎつぎにしぼられて五百のいるか湾にひし
めく
まずは最初の3首。
2首目の「風早岬」は伊豆大島にあるので、これはかつて伊豆半島の川奈や富戸で行われていたイルカの追い込み漁に取材したものであろう。何隻もの船でイルカの群れを湾へと追い込み、網で仕切って外へ逃げられないようにして捕獲するのである。
冬凪ぎの海原とほく追はれきているかは啼けり低き鋭声に
蒼浪のうねりを越ゆる雌(め)いるかの姙(みごも)れる腹しろくつや
めく
湾内に追い込まれたイルカたちの様子である。
激しい鳴き声を立てるイルカの中には妊娠中の雌のイルカもいる。
浮きいでて苦しき息を衝ける背に鳶ぐち打ちて引き寄するなり
岩むらの上にのりあげ口吻(くちさき)に血を噴きてゐしそれも死に
たり
砂の上に切り据ゑられしいるかの首その幾つかは生きてあぎとふ
いよいよイルカの捕獲の場面。
浅瀬に追い込んだイルカの背に鳶口を引っ掛けてナイフでとどめを刺す。
砂浜に並べられたイルカの首はまだ生々しく動いている。
ひたすらに立ち働けるおほよそはわれより老いて頰骨さびしき
浜の火に濡れそぼつ身を寄せあひて屠りしのちの顏くらくゐる
肉削ぎしいるかの骨を背に負ひて夕べの浜を帰りゆく女
イルカ漁に従事する漁師とそれを手伝う女性たちの姿。
捕獲したイルカは浜に引き揚げられ、すぐに解体処理される。
3首目は、骨を持ち帰って何かに使うのだろうか。
*
伊豆半島でのこうしたイルカ漁は、2004年を最後に、現在はもう行われていない。
2018年07月20日
映画 「おクジラさま」
監督・プロデューサー:佐々木芽生
副題は「ふたつの正義の物語」
和歌山県太地町のイルカ漁をめぐって起きる様々な出来事を取材したドキュメンタリー。
環境保護団体「シーシェパード」の活動家、外国人ジャーナリスト、右翼団体の活動家、太地町の漁師、町長など多くの人々の発言をまじえつつ、異なる価値観や考え方がぶつかり合う現場を描き出している。
1980年代以降、欧米を中心に反捕鯨の運動が高まりを見せ、近年はイルカ漁(=小型鯨類の沿岸捕鯨)に対しても風当たりが強くなっている。この映画は、捕鯨に賛成か反対かという捉え方ではなく、そうした現状をできるだけ公平に描いている点に特徴がある。
映画の中で太地町に住むアメリカ人ジャーナリストが、「捕獲されるイルカは絶滅危惧種ではないが、太地町のような濃密な人間関係のある暮らしの方が絶滅危機種だ」と言っていたのが印象に残った。
人口3000人の町が抱え込むには大き過ぎる問題だろうと思う。
2017年、日本・アメリカ、96分。京都シネマにて。
2018年07月19日
伊藤一彦歌集 『光の庭』
副題は「短歌日記2017」。
ふらんす堂のHPで一日一首発表した連載をまとめた第15歌集。
この「短歌日記」は遅くとも前日までに原稿を編集部に原則としてメールで届けることになっており、その点は苦労した。当日に見聞したことを短歌に詠むのではなく、計画や予定で前もって短歌を詠み、文章を書かざるを得なかったからである。
と、あとがきで舞台裏が明かされている。こういうところ、伊藤さんは正直だなあと思う。
短歌に添えられた文章も「今日は午後の飛行機で名古屋空港に。そのあと中津川まで行く」「座談会を行うことになっている。楽しい会になりそうだ」など、予定として書かれているものが散見する。
背の薪燃えてゐるとはつゆ知らぬ雑踏の中にわれもその一人
目薬をさしてしばしを目つむれるあひだ心神(しんしん)深くのうみつ
イハレビコ去りにけるのり残りたる芋幹木刀(いもがらぼくたう)と日向南瓜(ひうがかぼちや)よし
合ふはずと思へば合ひぬ宮崎のワインと根室の天然帆立貝
辞書見れば「ふち」には淵(ふち)と縁(ふち)とありあやふき「ふち」に行く人は行く
文華堂、大山成文館、田中書店 一軒も今は無くさびしきよ
刺し違ふるごとく間近を走りあふ電車のはらわたの中にゐる
食事中に箸おいてふと黙りこみ「時間」旅してをりし母の眼
老いるほど肌(はだへ)つやつやしてくるは人間ならず檳榔(びらう)樹の話
山のみづと海のみづとが恋しあひひとつになれる耳川河口
3首目、昔九州旅行に行った時にバスガイドさんから教わった民謡を思い出した。♪もろたもろたよいもがらぼくと日向かぼちゃのよか嫁女〜
6首目、全国各地の書店が次々となくなっている現状。
7首目、電車同士が高速ですれ違うことができるのは線路が敷かれているため。車だったら大変だ。
10首目、耳川の河口は美々津の町。若山牧水が初めて海を見たのもここである。
2018年6月9日、ふらんす堂、2000円。
2018年07月18日
長浜功著 『啄木を支えた北の大地』
副題は「北海道の三五六日」。
石川啄木は1907(明治40)年5月5日から翌1908(明治41)年4月24日まで、356日を北海道で過ごしている。この間、代用教員や新聞記者をしながら、函館、札幌、小樽、釧路と移り住んだ。
函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花
しんとして幅広き街の
秋の夜の
玉蜀黍(たうもろこし)の焼くるにほひよ
かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ
しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
この北海道での生活は、啄木の人生や短歌に大きな影響を与えた。「『一握の砂』全五五一首中北海道に関わる歌は一三三首ある」という点だけを見ても、そのことはよくわかる。
以下、いくつか備忘として。
確かに日記や書簡には啄木独特のある種の“粉飾”が施されている事があるのは事実である。
啄木が有名になり出すのは一般的には土岐哀果(善麿)の奔走で漸く出版された『啄木全集 全三巻』(新潮社版 一九一九・大正八年)あたりからで、この『全集』はたちまち三十九版を重ね、啄木の名は全国的に広まった。
啄木には困難な状況に陥ると決まって彼をその困窮から救ってくれる誰かが現れるから不思議である。
北海道にはもう一度取材に行く必要がありそうだ。
2012年2月20日、社会評論社、2700円。
2018年07月17日
短歌がうまくなるには
時々、「短歌がうまくなるにはどうすればいいんでしょう?」
といったストレートな質問を受けることがある。
そんな時は「短歌がうまくなるために、あなたは今何をしていますか?」
と尋ねることにしている。
新刊の歌集を読むのでもいいし、近代の有名な歌集を読むのでもいいし、歌会に参加するのでもいいし、毎日1首と決めて歌を詠むのでもいい。
今やっていることを言ってもらえれば、それに対して具体的なアドバイスをすることはできる。
でも、ただ漠然と「短歌がうまくなるには?」と聞いてくる人にはアドバイスのしようがない。それは短歌に限らずどの世界でも同じことだろう。
2018年07月16日
現代歌人集会春季大会 in 奈良
13:00から奈良商工会議所5階大ホールにて、現代歌人集会春季大会が開催された。
大会テーマは「万葉に遊ぶ」。林和清理事長の基調講演に続き、内藤明さんの講演「万葉は今」、パネルディスカション「私にとっての万葉集」(大辻隆弘、勺禰子、小黒世茂、吉岡太朗)というプログラムで16:30まで。
定員150名の会場が満席になる盛況ぶりで、万葉集の多面性や魅力が浮かび上がる内容であった。
2018年07月15日
『文庫版 塚本邦雄全歌集 第一巻』 (その2)
鞦韆(しうせん)に搖れをり今宵少年のなににめざめし重たきからだ
イエスは三十四にて果てにき乾葡萄嚙みつつ苦くおもふその年齒(とし)
獸園に父ら競ひて子に見しむうすKき創あまたある象
死者なれば君等は若くいつの日も重装の汗したたる兵士
湖水あふるるごとき音して隣室の年が春夜髪あらひゐる
第2歌集『装飾樂句(カデンツア)』より。
2首目、イエスの死んだ年齢を過ぎてしまったという感慨である。
昇降機下(お)りゆくなかにきくらげのごとうごかざる人間の耳
憂鬱なる母のたのしみ屑苺ひと日血の泡のごとく煮つめて
熱の中にわれはただよひ沖遠く素裸で螢烏賊獲る漁夫ら
處刑さるるごとき姿に髪あらふ少女、明らかにつづく戰後は
殺意ひめて生きつつ今日は從順に胸部寫眞を撮らるる梟首(けうしゆ)
第3歌集『日本人靈歌』より。
5首目、胸部X線撮影の姿勢を「梟首」(さらし首)に喩えたのが印象的。
2018年2月3日、短歌研究社、2200円。
2018年07月14日
『文庫版 塚本邦雄全歌集 第一巻』 (その1)
貴族らは夕日を 火夫はひるがほを 少女はひとでを戀へり。海にて
戰争のたびに砂鐵をしたたらす暗き乳房のために禱るも
肉を買ふ金てのひらにわたる夜の運河にひらきKき花・花
銃身のやうな女に夜の明けるまで液状の火薬塡(つ)めゐき
みなとには雪ふりゆきのしたに住む少女が夕べ賣るあかき魚
少年の戀、かさねあふてのひらに光る忘れな草の種子など
密會のみちかへりくる少女らは夜を扇のやうに身につけ
遠方にあふれゐる湖(うみ)、むずかゆくひろがりてゆく背の薔薇疹
渇水期ちかづく湖(うみ)のほとりにて乳房重たくなる少女たち
てのひらの迷路の渦をさまよへるてんたう蟲の背の赤とK
第1歌集『水葬物語』より。
性的な歌が思ったよりたくさんあるように感じる。3首目の「肉」も食べる肉のことではないだろうし、4首目などかなり直接的に性愛のイメージを詠んでいる。
一つのまとまった世界を構築しているという点においては、第2、第3歌集よりも勝っていると言えるかもしれない。
2018年2月3日、短歌研究社、2200円。
2018年07月13日
映画 「ワンダーランド北朝鮮」
監督:チョ・ソンヒョン
原題:Meine Bruder und Schwestern im Norden
韓国出身の監督がドイツ国籍を取得して製作した北朝鮮のドキュメンタリー。
白頭山、ウォーターパーク、製糸工場、国際サッカー学校、集団農場、幼稚園、縫製工場、愛国烈士陵など、様々な場所で取材やインタビューが行われている。
撮影は北朝鮮当局の制約下にあり、インタビューの受け答えもまるで俳優の演技のように感じる部分もある。それでも、北朝鮮に暮らす人々や国の様子がところどころに窺えて、とても良かった。
原題(ドイツ語で「北の同胞(兄弟姉妹)たち」)に比べて邦題は軽い感じだが、そうしないとなかなか見てもらえないのだろう。内容は至って真面目であり、朝鮮半島の分断に歴史的な責任を負う日本人として深く考えさせられる作品であった。
2016年、ドイツ・北朝鮮、109分。出町座にて。
2018年07月12日
福士りか歌集 『サント・ネージュ』
2010年から2017年までの作品430首を収めた第4歌集。
作者は青森県で中高一貫校の教員をされている。
水を恋ひ水を見に行く田植ゑまで少し間のある大潟村へ
蟹(キャンサー)のゐなくなりたる潮だまり月の夜にはさざ波が立つ
火のかたち見えねば寒いといふ祖母の部屋に置きたり朱のシクラメン
長靴のなかで脱げたる靴下のほにやらほにやらに耐へて雪掻く
一ファンとなりて生徒の名を叫ぶ九回の裏二死走者なし
聞こえくる雪解けの音新入生三十人が辞書を繰るとき
中骨をはづせば湯気のたちのぼる露寒(つゆさむ)の夜に焼くシマホッケ
一〇〇歳の祝賀に集ふ親族の笑みつつ生前葬の寂しさ
連結する列車のごとくキクキクと車が進む朝の雪道
東通(ひがしどほり)村を抜ければ六ヶ所村 産院・斎場並べるごとし
1首目、秋田県の大潟村は、もともと八郎潟を干拓してできた村。一面の水張田が湖のように見えているのだろう。
2首目、穏やかな浜辺の光景のように詠まれているが、「キャンサー(=癌)」とあるので手術の歌である。歌集の中で一番印象に残った。
3首目、暖房が炎であった時代に生きてきた祖母。赤い色が欲しいのだ。
4首目、雪深い土地ならではの歌。気持ち悪くてもそのまま作業を続けるしかない。
5首目、勤務先の高校が甲子園に出場した際の歌。敗色濃厚なこの歌で一連は終わる。
6首目、「雪解けの音」に喩えているところがいい。春の気分が滲んでいる。
7首目、箸を付けて食べ始める様子に臨場感があり、何とも美味しそうだ。
8首目、めでたい場であるはずなのに、どこか寂しさを感じてしまう。
9首目、徐行しながら慎重に進む車の列。初・二句の比喩が良い。
10首目、東通村には原発が、六ケ所村には放射性廃棄物埋設センターがある。
2018年5月12日、青磁社、2500円。
2018年07月11日
2018年07月10日
中村稔著 『石川啄木論』
「石川啄木の作品を多年にわたり読みこんできた事については啄木の研究者に劣らないと自負している」と述べる著者の528ページに及ぶ本格的な啄木論。
第一部は啄木の生涯を描き、第二部で詩・短歌・小説・「ローマ字日記」を取り上げて論じている。
この本の印象的なところは、著者の見方や評価をはっきりと断定的に述べているところだ。
私はこれら諸家の『あこがれ』評(低い評価:松村注)に同意できない。
これら二篇の詩は、わが国の詩史上、注目すべき作品である。
明治期の短篇小説の中で、石川啄木の「天鵞絨」を珠玉の一篇として推すことを私は躊躇しない。
私は「鳥影」をすぐれた作品とは考えていないし、「雲は天才である」は未完結であり、かつ失敗作と考える。
良いものは良い、悪いものは悪い。小気味よいくらいに明確に評価をくだした上で、その理由を丁寧に説明している。
石川啄木ほど誤解されている文学者は稀だろうと私は考えている。
こうした思いを抱く啄木愛好家や啄木研究者は多いのだろう。啄木関連の本は数百点〜数千点にのぼり、しかも今も毎年何点も新刊が出ている。それだけ多面的で評価が分かれ、実像が摑みにくいということなのかもしれない。
2017年5月1日、青土社、2800円。
2018年07月09日
「Sister On a Water」第1号
喜多昭夫さん編集発行の雑誌の創刊号。
特集は「服部真里子」。
新作20首「花野まで」、エッセイ「道をそれて」、『行け広野へと』30首選、『行け広野へと』以降30首選、歌人論、1首鑑賞、フォトギャラリー、インタビュー、年譜といった充実した内容となっている。
エッセイは3年前に亡くなった父の話。
このあたり、自分の育った家族のことが頭をよぎってグッと来る。
これは、永遠に答の出ない問いのような気がする。
大森静佳さんの歌人論「信じようとすること―『行け広野へと』の不安と意志」の中の初句切れについての分析も良かった。
なるほど、確かにそうかもしれない。
2018年6月1日、500円。
特集は「服部真里子」。
新作20首「花野まで」、エッセイ「道をそれて」、『行け広野へと』30首選、『行け広野へと』以降30首選、歌人論、1首鑑賞、フォトギャラリー、インタビュー、年譜といった充実した内容となっている。
でも冬は勇気のように来る季節迎えに行くよまぶしい駅へ
夜の底には精製糖が溜まるから見ていよう 目を閉じても見える
「花野まで」
音もなく道に降る雪眼窩とは神の親指の痕だというね
『行け広野へと』
死者の口座に今宵きらめきつつ落ちる半年分の預金利息よ
『行け広野へと』 以降
エッセイは3年前に亡くなった父の話。
父はどうだったのだろう。道をそれた先に、「乳と蜜の流れる土地」はあったのだろうか。家族という組織は、その構成員だった私は、「乳と蜜のある土地」へ、父を導くことはできたのだろうか。
このあたり、自分の育った家族のことが頭をよぎってグッと来る。
これは、永遠に答の出ない問いのような気がする。
大森静佳さんの歌人論「信じようとすること―『行け広野へと』の不安と意志」の中の初句切れについての分析も良かった。
初句切れというのはある意味で何かを信じる気持ちの強さと関係がありそうだ。迷いや逡巡は初句切れの歌を生まない。あるいは心の奥に迷いがあっても、それを勢いよく捨て去ろうとする意志の力。
なるほど、確かにそうかもしれない。
2018年6月1日、500円。
2018年07月08日
オウム真理教
オウム真理教の7名の死刑執行を受けて、昨日の朝日新聞の朝刊に森達也さんがコメントを載せていた。
地下鉄サリン事件が起きた1995年、僕はテレビ番組をつくる仕事をしていました。当時大量のオウム特番が放映されましたが、描き方は2種類だけでした。「凶暴凶悪な集団」か「麻原に洗脳された集団」です。
オウム事件で、多くの人々は「普通でまじめに見える人々がなぜ巨大な犯罪をしたのか」という問いを突きつけられ、困惑していたのだと思います。だからこそ、オウムを「凶暴」「洗脳組織」と理解することで、本来の問いに向き合うことを回避していたのではないでしょうか。
こうした構図は今もほとんど変わることがない。
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私は麻原彰晃の講演を一度だけ聴いたことがある。
1991年に大学の学園祭で麻原の講演が行われ、興味半分で聴きに行ったのだ。当時、オウム真理教は衆議院選挙に出たり、マスコミに取り上げられたりと、新興宗教として世間の注目を集めていた。
講演の内容はほとんど覚えていない。
でも、会場との質疑応答で学生たちの様々な質問に答えている姿は印象に残っている。オウムに批判的だったり、セックスについて尋ねたりする質問にもまじめに答えていた。
気さくなおじさんとでも言えばいいのか。おじさんと言っても年齢を計算するとその時の麻原は36歳で、今の私よりはるかに年下であったのだ。
あの時すでにオウムは信者の殺害や坂本弁護士一家殺害事件を起こしていた。そう思うと、何とも複雑な気分になる。
2018年07月06日
第21回「あなたを想う恋のうた」
福井県越前市で行われる「あなたを想う恋のうた」の審査員を
今年も務めることになりました。現在、作品を募集中です。
締切は10月31日(水)。
なんと賞金も出ます!
最優秀賞(1首)10万円
優秀賞(3首) 3万円
秀逸(10首) 1万円
佳作(15首) 5千円
入選(30首) 図書カード千円
みなさん、ぜひご応募ください。
ネットでも応募できます。
http://www.manyounosato.com/
2018年07月05日
北海道の旅 (その3)
続いて釧路へ。
啄木が下宿していた場所には、現在「釧路シーサイドホテル」が
建っている。「啄木の宿」というキャッチフレーズが目立つ。
さいはての駅に下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにき
石川啄木『一握の砂』
しかし・・・平成23年10月に既に廃業していた。
啄木をアピールしても集客にはつながらなかったのか。
この土地ならではのアルバイト。
濡れた昆布は重そうだけれど、一度やってみたいな。
釧路埼灯台。
この角度からだと灯台っぽく見えるけれど、正面に回ると
ビルのような形をしている珍しい灯台。
釧路と言えば石炭!
臨港線の終着「知人(しれと)駅」にある貯炭場。
現在、日本で唯一石炭を掘り続けているのが、ここ釧路である。
海底で掘られた石炭が貨物列車で運ばれて来る。
釧路と言えば鯨!
和商市場で食べたクジラの味噌煮。
釧路は昭和27年から十年間にわたって捕鯨日本一だった町。
今も調査捕鯨の拠点となっている。
2018年07月04日
北海道の旅 (その2)
函館山(標高334m)の展望台から見た函館の町。
夜景が有名だが昼間は昼間で美しい。
のぼり来てひとり見下ろす函館のルビンの壺のような夜景を
「角川短歌」2018年2月号
御殿山第2砲台跡。
函館山は戦前は函館要塞(津軽要塞)として、一般の人は
立入禁止の場所であった。
「函館山」はいくつかの山の総称で、御殿山が最高峰。
ちなみに展望台のある場所が、かつての第1砲台跡である。
砲台が現役だった頃の写真が案内板に載っている。
第2砲台には大砲2門×3の砲座のほか、地下砲側庫、弾薬庫、
士官詰所などがあった。
地下砲側庫の前は落葉が堆積して湿っぽい。
弾薬庫は一部崩落している。
御殿山第2砲台跡は展望台から歩いて10分くらいの所にあるのだが、
ここに来る人はほとんどいないようだ。
2018年07月03日
北海道の旅 (その1)
まずは函館へ。
函館には1996年から97年にかけて二年間住んだことがある。
私が短歌と出会った町でもある。
函館空港から市内中心部へ向かうバスを途中で降りて
「びっくりドンキー海岸通り店」へ。
二十年前に私が働いていた店である。
ここの厨房で毎日ハンバーグを焼いていた。
海(津軽海峡)が一望できる店内。
ランチメニューの「おろしそバーグステーキセット」を食べる。
かつて住んでいたアパートが奇跡的に残っていた。
外観はまったく変っていない。
この建物の一階左側が私の部屋だった。
函館と言えば・・・ハセガワストア!
ハセガワストアと言えば・・・やきとり弁当!
「やきとり」と言っても鶏肉ではなく豚肉である。
コンビニの店内に厨房があって、注文してから焼いてくれるのだ。
樺太引揚者上陸記念碑。
戦後、樺太から函館に引き揚げてきた人は総計31万1452名にのぼる。
他に船中で亡くなった方156名、上陸後に病院で亡くなった方923名。
あまり知られていない歴史のひとコマである。
2018年07月02日
「塔」2018年6月号(その2)
おかあさん ぼくは ひとりだ 発作の夜背をなでいれば二歳は
言いぬ 丸本ふみ
何度か発作を繰り返すうちに、自分の身体が苦しくても他の人は苦しくないという事実に気付いたのだ。ひらがなの一字空けが息苦しさを伝える。
ハム、チーズ、疲労、レタスを重ねたるサンドイッチをもそもそと食む
益田克行
「ハム、チーズ、レタス」だけならごく普通なのだが、そこに「疲労」が挟まっているのが面白い。疲労が何重にも蓄積しているような印象を受ける。
選択はしているようでさせられる「えだ」は結局一本なのだ
みずおち豊
自分の意志で選択しているようでいて実はそうではないことが多いという発見。何本も分かれている枝も、結局はそのうちの一つしか選べはしない。
入口も出口も同じほうにあり春のこの世にバスは傾く
川上まなみ
バスの扉は進行方向に向かって左側の側面にある。停留所で乗客が乗り降りすると、車体が左側に傾くのだ。「この世に」の一語で奥行きが出た。
亡きひとに来られなくなったひともいる昔の写真に記す名前を
森 祐子
何かの会の集合写真を見ている場面。もう二度と会えない人たちの名前をいとおしむように写真に書き入れてゆくのである。歳月のさびしさを感じる。
冬晴れの朝は斜めに影伸びて静物となる福井のメロン
冨田織江
卓上に置かれたメロンが、まるで静物画の中の光景のように動かずにあるのだろう。冬の朝の引き締まった冷たい空気の感じも伝わってくる。
広辞苑丑の時参りマニュアルのように細かく説明のあり
谷 活恵
思わず広辞苑を開いて見てしまった。「頭上に五徳をのせ、蝋燭をともして、手に釘と金槌とを携え・・・」と、確かに異様に詳しい。怖いなあ。
傾いた忠魂碑の立つ町営のグランドに今は桜の木なく
鳥ふさ子
戦前に建てられた忠魂碑なのだろう。「今は」とあるので、以前は桜の木があって春には花を咲かせていたのだ。戦後の長い歳月の経過を感じる。