盛岡と言えば、
岩手山
標高2038メートル、岩手県最高峰。
北上川
全長249キロメートル、東北一の大河。
盛岡城
別名、不来方城。南部氏の居城。
石割桜
樹齢360年のエドヒガンザクラ。
ひっつみ
郷土料理。小麦粉を平たい団子状にして汁に入れたもの。
山梨で食べた「みみ」と似ている。
おそらく歌のなかに「はつなつ」を詠み入れた歌人は、以上の経緯で考えると、晶子ということになる。
晶子が特徴的に使った「の」の用法もひととおりではない(…)この類の措辞を、晶子は『みだれ髪』よりのちは後退させており、現代短歌にもそのなごりはないといえるだろう。
家業は没落しかけており、3人目の女の子であったため両親から疎まれて育つ。
恋する者が、相手に好ましい人間であろうとして自らを変えて行くのと同じように、登美子は自らの作品を、鉄幹の好むタイプの鋳型へ流し込んで行ったのではあるまいか。「恋ごろも事件」に際して、学校当局の鋳型にはめられることに批判的であった登美子も、所詮は、愛する男性の鋳型には、自ら進んではまり込んで行ったのである。
胸たたき死ねと苛(さいな)む嘴(はし)ぶとの鉛の鳥ぞ空掩ひ来る
わが柩まもる人なく行く野辺のさびしさ見えつ霞たなびく
わたつ海の中に向ひていづる湯のいづのお山とむべもいひけり
ある夏の晩に、私は兄弟や従兄等と一所に、大屋根の上の火の見台で涼んで居ました。
「お月様とお星様が近くにある晩には火事がある。」
十歳ばかりの私よりは余程大きい誰かの口から、こんなことが云はれました。そのうち一人降り二人降りして、火の見台には私と弟の二人だけが残されました。
「籌さん、あのお星様はお月様に近いのね。そら、あるでせう一つ。」
「さうやなあ、火事があるやら知られまへんなあ、面白い。」
「私は恐い。火事だつたら。」
「弱虫やなあ。」
母さんのことよろしくと老い猫のユキに託して立ち去るわれは
「塔」2018年4月号
後年の私を「嘘から出た真実」であると思って居るのであるから、この嘘の時代の作を今日も人からとやかくいわれがちなのは迷惑至極である。教科書などに、後年の作の三十分の一もなく、また質の甚しく粗悪でしかない初期のものの中から採られた歌の多いことを私は常に悲しんで居る。
春雨やわがおち髪を巣に編みてそだちし雛の鶯の鳴く
『舞姫』
うすぐらき鉄格子より熊の子が桃いろの足いだす雪の日
『春泥集』
八月やセエヌの河岸(かし)の花市の上ひややかに朝風ぞ吹く
『太陽と薔薇』
難破船二人の中にながめつつ君も救はずわれも救はず
『草の夢』
人形は目あきてあれど病める子はたゆげに眠る白き病室
『心の遠景』
海の気に亭の床几のうるほへば恋し昨日の朝もむかしも
『深林の香』
夕かぜは指を集めてひらかざる白木蓮のたかき枝ふく
『緑階春雨』
麻雀の牌の象牙の厚さほど山のつばきの葉につもる雪
『冬柏亭集』
高きより潮の落ちくるここちして阿蘇の波野の草鳴りわたる
『草と月光』
初めより命と云へる悩ましきものを持たざる霧の消え行く
『白桜集』
ラヷ落ちて欠けたる湖水全きに変ることなく哀れなりけり
『瑠璃光』
ラヷ尖(とが)り椿の木立ことやうにあをき土用の八丈がしま
『深林の香』
軽井沢昨日のラヷは朱に乾き藍むらさきす新らしき霾(よな)
『緑階春雨』
から松がラヷの色して枯れ行く日信濃に入りぬ先生の許(もと)
『山のしづく』
ラヷの路たとへて云へば沙弥達の麻のころもの荒き手ざはり
『草と月光』
日本の多くの島々が、数奇な歴史と運命に翻弄された。その背景には必ず「力ある者」の身勝手な思惑があった。
日本の中心から遠く離れた辺境の島々を歩き、あえて東京を、都会を、日本の中央を俯瞰する旅。それによって、都会にいてはわからない日本の側面が見えてくる。