「明治四十二年当用日記」「NIKKI.T.MEIDI 42 NEN.1909.」「明治四十三年四月より」「明治四十四年当用日記」「千九百十二年日記」と未完成の小説断片40篇あまりを収録。
啄木の生活や思想の移り変わりがよくわかる内容で、有名な借金や女遊びの記述も多い。「どうしようもないなあ・・・」と苦笑いしながら読んでいたのだが、最後は泣きたい気分になってしまった。
日記の最後は明治45年2月20日。
日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめられてゐた。三十九度まで上つた事さへあつた。さうして薬をのむと汗が出るために、からだはひどく疲れてしまつて、立つて歩くと膝がフラフラする。
さうしてる間に金はドンドンなくなつた。母の薬代や私の薬代が一日約四十銭弱の割合でかゝつた。質屋から出して仕立直さした袷と下着とは、たつた一晩家においただけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢つた。医者は薬価の月末払を承諾してくれなかつた。
母の容態は昨今少し可いやうに見える。然し食慾は減じた。
この記述の半月後、3月7日には母カツが死に、4月13日には啄木自身も亡くなる。
そのわずか3年前、明治42年4月10日の日記に、啄木はこんなことを書いていた。(原文はローマ字)
「病気をしたい。」この希望は長いこと予の頭の中にひそんでいる。病気! 人の厭うこの言葉は、予には故郷の山の名のようになつかしく聞える――ああ、あらゆる責任を解除した自由な生活! 我等がそれを得るの道はただ病気あるのみだ!
100年以上前の言葉なのに、写していると泣きそうになる。
1978年6月30日、筑摩書房。