2018年04月30日

『石川啄木全集 第六巻 日記2』


「明治四十二年当用日記」「NIKKI.T.MEIDI 42 NEN.1909.」「明治四十三年四月より」「明治四十四年当用日記」「千九百十二年日記」と未完成の小説断片40篇あまりを収録。

啄木の生活や思想の移り変わりがよくわかる内容で、有名な借金や女遊びの記述も多い。「どうしようもないなあ・・・」と苦笑いしながら読んでいたのだが、最後は泣きたい気分になってしまった。

日記の最後は明治45年2月20日。

 日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめられてゐた。三十九度まで上つた事さへあつた。さうして薬をのむと汗が出るために、からだはひどく疲れてしまつて、立つて歩くと膝がフラフラする。
 さうしてる間に金はドンドンなくなつた。母の薬代や私の薬代が一日約四十銭弱の割合でかゝつた。質屋から出して仕立直さした袷と下着とは、たつた一晩家においただけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢つた。医者は薬価の月末払を承諾してくれなかつた。
 母の容態は昨今少し可いやうに見える。然し食慾は減じた。

この記述の半月後、3月7日には母カツが死に、4月13日には啄木自身も亡くなる。

そのわずか3年前、明治42年4月10日の日記に、啄木はこんなことを書いていた。(原文はローマ字)

「病気をしたい。」この希望は長いこと予の頭の中にひそんでいる。病気! 人の厭うこの言葉は、予には故郷の山の名のようになつかしく聞える――ああ、あらゆる責任を解除した自由な生活! 我等がそれを得るの道はただ病気あるのみだ!

100年以上前の言葉なのに、写していると泣きそうになる。

1978年6月30日、筑摩書房。

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2018年04月29日

田中輝美著 『ローカル鉄道という希望』


副題は「新しい地域再生、はじまる」。

ローカルジャーナリストとして地域のニュースを記録、発信している著者が、全国のローカル鉄道の問題点や取り組みを紹介しつつ、鉄道と地域の関わりについて論じた本。

取り上げられているのは、銚子電鉄、北条鉄道、肥薩おれんじ鉄道、一畑電車、いすみ鉄道、えちぜん鉄道、熊本電鉄、ひたちなか海浜鉄道、京都丹後鉄道、若桜鉄道、天竜浜名湖鉄道、わたらせ渓谷鐡道、高松琴平電気鉄道。

ローカル線を活かす方法や地域再生の手掛かりがいくつも記されている。

最大の顧客であり支え手である地元の住民とのかかわりを増やすことで、ローカル鉄道が自分ごとになり、当事者意識が芽生える。そうすれば、結果として、主体的にかかわってくれ、乗ってくれるようになる。
ローカル鉄道の価値をはかる指標が、採算性しかない。利益も大切だが、地域にどれだけ貢献しているか、住民が満足しているか、都会での知名度がどこまであがったか、こうした鉄道がもたらす価値を可視化する新しい仕組みをつくり、考え方を変えなければ、将来は暗い。
いくつかのローカル鉄道のトップに、鉄道とバスの違いを聞いたときに「鉄道は地図に載るという強みは大きい」と共通して答えていたことは興味深く感じられた。

人口減少や過疎化の流れの中で存廃問題に揺れるローカル線も多い。けれども、むしろローカル線を使って地域を活性化する方法や可能性があることを、本書は示している。「鉄道がなくなって栄えたまちはない」という言葉が重い。

2016年8月30日、河出書房新社、1500円。


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2018年04月28日

カルチャーセンター


大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
短歌に興味のある方は、どうぞご参加下さい。

◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
  A組 10:30〜12:30
  B組 13:00〜15:00
   *奇数月を松村が担当しています。

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「はじめてよむ短歌」
  毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
 「短歌実作(A)」 毎月第3金曜日 11:00〜13:00
 「短歌実作(B)」 毎月第3金曜日 13:30〜15:30
   *偶数月を松村が担当しています。

◎JEUGIAカルチャーイオンタウン豊中緑丘 06−4865−3530
 「はじめての短歌」
  毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンター京都 de Basic. 075−254−2835
 「はじめての短歌」
  毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
 「はじめての短歌」
  毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」
  毎月第2月曜日 13:00〜15:00

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2018年04月27日

ユキノ進歌集 『冒険者たち』


新鋭短歌シリーズ38。
337首を収めた第1歌集。

八階のコピー機の裏で客死するコガネムシその旅の終わりに
ランチへゆくエレベーターで宙を見る七分の三は非正規雇用
割箸がじょうずに割れる別の世で春の城門がしずかに開く
飛ぶ力を失いながら遠くなる水切りの石を見ればくるしい
次々に「知ってました」と口を割る鍋でぐつぐつ浅蜊を煮れば
改札の外で人みな空を見て羽撃くように開く雨傘
ひさびさに光を浴びて末っ子のマトリョーシカの深呼吸かな
岬に立ついまは無人の灯台にいつも閉まっている窓がある
とんかつのキャベツの盛りが高くなり今年も春が来たことを知る
ストラップの色で身分が分けられて中本さんは派遣のみどり

1首目、「客死」という語の選びがいい。
3首目、三句以下はファンタジーやゲームの世界のイメージ。
6首目、確かに翼を広げるような感じである。
7首目、普段は一番内側に閉じ込められている一番小さな人形。
8首目、人がいなければ窓も必要がないのだ。

発想がユニークで、特に職場詠、仕事詠に良い歌が多い。その一方で、全体に「いかにも」といった感じのわかりやすさに仕上げられているのが惜しい気がする。

2018年4月16日、書肆侃侃房、1700円。


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2018年04月26日

映画 「港町」


監督・製作・撮影・編集:想田和弘、製作:柏木規与子。

想田監督の「観察映画」第7弾。
瀬戸内海に面した昔ながらの小さな港町とそこに暮らす人々の姿を撮った作品。

今も一人で漁に出る八十歳代の漁師、噂話好きで世話好きなおばあさん、魚市場で働く人々、五十年以上働いてきた魚屋の女性、黙々と魚を捌くその息子、魚を買いに来る人々、猫に魚をあげる移住者の夫婦、何基もある先祖の墓の掃除をする女性、海岸や路地に出没する猫・・・。

BGMもナレーションもないモノクロの映像が、ひたすら人々の日常を映していく。そして何気ない会話や仕種の中に、一瞬その人の人生が垣間見えたりする。人々の暮らしや過ぎ行く時間の持つ美しさが印象的であった。

第七藝術劇場、122分。


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2018年04月25日

「塔」2018年4月号(その2)


 二番目にお待ちの方というものにどういうわけか私はならず
                      八鍬友広

行列ができているレジとは別のレジが開く時に、コンビニの店員さんがよく使う言葉。たまたま、偶然なのだろうが、何か性格的なものも感じさせる。

 膝と膝かすかに触れたとき俺のだれにも見せぬ空が見えたか
                      田村龍平

胸の深くに秘めている自分だけの思いや記憶が、一瞬、相手に垣間見られたような感覚を覚えたのだろう。相聞の雰囲気が濃厚に感じられる。

 寝室のテレビ小さし大晦日の晩にひとりで見る格闘技
                      垣野俊一郎

居間にある大きなテレビでは家族が紅白歌合戦などを見ているのかもしれない。おそらく家の中で格闘技に興味があるのは作者だけなのだ。

 若干名募集してゐる工場より漂ひ来たるカレーの匂ひ
                      川田果弧

「若干名募集」という貼紙か看板があるのだろう。古びた雰囲気の工場。その敷地から流れてくる昼食時のカレーの匂いが、わびしさを感じさせる。

 火を見れば表情のなきひととなるみなそれぞれの語彙をしづめて
                      石松 佳

焚火やキャンプファイヤーの火を見ているところ。「表情のなき」がいい。誰もが無口になって炎のゆらめきに吸い込まれるように見入っている。

 「女医さんは、やっぱり」その後に続くあらゆる言葉の枷のくるしさ
                      長月 優

「女医」と言っても一人一人性格も考え方も違うのに、常に何らかの先入観や偏見にさらされる。それがたとえ褒め言葉であっても息苦しい。

 硬筆の手本のやうなる文字書きて君は退会告げてくるのか
                      三浦智江子

後足で砂を掛けるような辞め方ではなく、丁寧で礼儀正しい相手。そのことが一層「退会」に当っての相手の思いを伝えているようで寂しい。

 OLとして暮れてゆく金曜日チーズケーキの断片を食む
                      魚谷真梨子

月曜日から金曜日まで今週もずっと仕事ばかりしてきたなという思い。ほっと一息つく場面だが、「断片」という言葉にやるせなさが滲んでいる。

 女子会の終はつたばかりのレストラン椅子むきむきにありてさみしも
                      山縣みさを

まだ椅子が元通りに直されていない状態のテーブル。「むきむきに」という言葉がいい。さっきまでの賑やかさの痕跡だけが残っている。

posted by 松村正直 at 08:17| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月24日

「塔」2018年4月号(その1)


 闇に降る雪が白いのはなぜだらう 灯りを消して眠る集落
                      久岡貴子

真っ暗な夜に降る雪は黒いかと言えば、やっぱり白い。明りも消えてしんと寝静まった夜に、辺りを包むようにして白い雪だけが降っている。

 山襞をひととき深く見せながら冬の光の傾きゆけり
                      溝川清久

上句の丁寧な描写がいい。太陽の光の当たる角度によって、山の陰翳がくっきりと立体的に見える時があるのだ。季節によっても見え方が違う。

 凍りつくフロントガラスに湯をかけて命ふたつを乗せて出かける
                      歌川 功

白く凍った車のガラスに湯を掛けて溶かす。冬の厳しい寒さが伝わってくる。「命ふたつ」はお子さんだろうか。慎重に運転しなくてはとの思い。

 鯛焼きや鳩サブレーを頭より食べる人あり吾は尾より食う
                      杜野 泉

本物の鯛や鳩ではないからどこから食べても同じなのだが、やはり人によって二派に分かれるだろう。頭から食べるのは残酷な気がするのかな。

 子を連れて子ら帰りたりその子らを連れてわたしが帰ったように
                      本間温子

孫を連れて帰省していた娘が帰っていったところ。かつての母もきっと今の自分と同じ寂しさを味わっていたんだろうなという思いが背後にある。

 剝き出しの馬の歯茎のひろびろとけふの畑に麦萌ゆるなり
                      清水良郎

馬は匂いを嗅ぐ時に上唇がめくりあがり歯茎がむき出しになる。三句の「ひろびろと」が上句の歯茎と下句の麦畑の両方をうまくつないでいる。

 禁じたる棚へと猫がまた登る人語解さぬごとき顔にて
                      益田克行

登っちゃダメと常々言い聞かせているのにまた登るのだ。猫が人間の言葉を理解していることが当然の前提として詠まれているのが面白い。

 鳥井金物店と鳥井米穀店並びをり高架駅よりこの街見れば
                      松原あけみ

同じ家が経営しているのか、兄弟か、親戚か。「金物店」と「米穀店」なので、どちらも古い店なのだろう。見るたびに気になってしまうのだ。

 水紋の閉じゆくごとき黙ありぬ遠き窓より星明かりきて
                      宗形 瞳

水面にできた波紋が小さくなって消えてしまうように、会話がとぎれて黙り込んでしまう。そして星の明かりと静寂だけが部屋に満ちている。

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2018年04月23日

与謝野晶子歌集 『みだれ髪』



訳注:今野寿美。
表紙は「文豪ストレイドッグス」のキャラクターの与謝野晶子。

全399首にすべて現代語訳が付いているほか、『みだれ髪』には収められなかった明治32年8月〜34年8月の作品を「みだれ髪拾遺」として載せている。

絵日傘をかなたの岸の草になげわたる小川よ春の水ぬるき
夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘
四条橋(ばし)おしろいあつき舞姫のぬかささやかに撲(う)つ夕あられ

『みだれ髪』は近代短歌の中でもかなり読みにくい歌集のように感じる。それは晶子独特の言い回しの多さによるものだろう。

特に「の」の使い方。

「のろはしの我れ」「あわただしの旅」「うつくしの友」「なつかしの湯の香」「うつくしの夢」「うれしの夢」など、形容詞の終止形+「の」や、「はづしますなのひくき枕」「とれなの筆」「許したまへの袖」「なでよの櫛」など、動詞の命令形+「の」が頻出する。

2017年6月25日、角川文庫、400円。


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2018年04月22日

長い時間


先日あるカルチャー講座で、「長い時間を含んだ歌」の良さについて話をしたところ、生徒さんから「短歌は一瞬を詠むのが良いのではないのか」という質問があった。

確かに、佐太郎にも

短歌は純粋な形に於いては、現実を空間的には「断片」として限定し、時間的には「瞬間」として限定する形式である。

という言葉があるくらいだ。それと「長い時間」は矛盾しているように思える。一体どのように両立できるのだろう。

しばらく考えて、そうか、「長い時間を含んだ歌」と「長い時間を述べた歌」は全然違うのだと気が付いた。一瞬のことを詠みつつ、そこに長い時間が含まれている歌というのがあるのだ。

こんなふうに、自分ではっきりと整理できていなかったことが、生徒さんとのやり取りの中で整理されていくことがある。それがカルチャー講座を担当する一番の楽しみなのかもしれない。


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2018年04月21日

『石川啄木全集 第五巻 日記1』




編集:金田一京助、土岐善麿、石川玲児、小田切秀雄、岩城之徳。
全8巻の全集のうち、第5巻と第6巻に啄木の日記が収められている。

この第五巻には

・秋韷笛語 明治35年10月30日〜12月19日
・甲辰詩程 明治37年1月1日〜4月8日、7月21日〜23日
・MY OWN BOOK FROM MARCH 4. 1906 SHIBUTAMI
  明治39年3月4日〜12月30日
・丁未日誌、戊申日誌
  明治40年1月1日〜12月31日、明治41年1月1日〜1月12日
・明治四十一年日誌 明治41年1月1日〜12月11日

が収められている。
今回初めて通しで読んだのだが、すこぶる面白い。

啄木の日記は、かれの生涯と作品とに関連して重要な資料であるだけでなく、それじたいとしてきわめてすぐれた文学作品となっている。これほどにおもしろい日記を書いた作家は、日本には類が少ない。

と解説に小田切秀雄も書いている通りである。

啄木が死後に焼くように言い残した日記は、様々な経緯を経て現在公刊されている。その意義と重みを強く感じた。

1978年4月25日、筑摩書房。

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2018年04月18日

【公開講座】 ニフレル吟行 (5月9日)


5月9日(水)に「ニフレルで短歌を詠む」という講座(吟行)を行います。

時間 10:00〜15:00
主催 JEUGIA カルチャーセンターイオンタウン豊中緑丘

http://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_17-15703.html

当日は、まずエキスポシティにある屋内型の動物園・水族館「ニフレル」を見学して、歌を2首作ります。その後、レストランで昼食。そして、提出していただいた短歌の講評や添削を行います。

どなたでも参加できますので、皆さんどうぞお越し下さい。


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2018年04月17日

『サハリン残留』の続き


先月見た映画「北の桜守」は樺太西海岸の恵須取(えすとる)から引き揚げてきた家族の物語であった。大戦末期のソ連軍の侵攻を受けて樺太南部に避難する人々の姿が映画には描かれていたが、それは『サハリン残留』にも何度も記されている。

塔路の住民は続々と避難を始めた。百合子も養父母とともに「内恵(ないけい)道路」をたどって「樺太東線」を南下して大泊(コルサコフ)に向かい、そこからなんとか北海道へ脱出ができるだろうと見込んでいた。
「内恵道路」は内路村(ガステロ)から恵須取町(ウグレゴルスク)までの道で、敗戦時に避難行をした人びとのあいだでは「死内恵道路」とも呼ばれた。東線に接続する内路までは、バスの運行も中断していたので、徒歩で移動するしかなかった。
樺太では、八月一五日の「玉音放送」では戦争が終わらなかった。樺太最大の都市となっていた恵須取にソ連軍が上陸した(八月一六日)。
恵須取には鉄道が開通しておらず、港町の大泊や真岡がある南部に避難するためには、樺太山脈を越えて、東海岸の内路までの九〇キロの内恵道路か、西海岸沿いを南下し、珍内を通過し、久春内までのおよそ一〇〇キロの珍恵道路を踏破するしかなかった。

「八月一五日の終戦」や「日本で唯一の地上戦が行われた沖縄」という言説からこぼれ落ちてしまった史実が、ここには記されている。

 樺太の引揚者らの働けるひと平(たひら)薄荷(はつか)の畝は
 ととのふ                  木俣修『呼べば谺』


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2018年04月16日

白井陽子歌集 『あすなろのままに』


 P1060261.JPG


白井陽子さんの歌集『あすなろのままに』(六花書林)が刊行された。
http://blog.rikkasyorin.com/article/182990621.html

 車椅子で手を振る母に手を振りてエレベーターのドアは閉じゆく
 寄り合いで池の樋を抜く日が決まりふるさとの村に夏の始まる
 「先生」と呼びとめられて瞬間に「先生」にもどる午後の雑踏
 ふわあっと机の上に日が射しぬ本の上にも雲の流れて
 山に根を張るあすなろにみちのくの旅にて出会う幹は太くて

初めて歌集の解説を書かせていただいた。
多くの方に読んでいただけますように。

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2018年04月15日

玄武岩、パイチャゼ・スヴェトラナ著 『サハリン残留』




副題は「日韓ロ百年にわたる家族の物語」。

戦後、様々な理由によりサハリンに残った日本人10名のライフヒストリーを描いた本。著者の二人はそれぞれ在外コリアンと在外ロシア人の研究者である。

敗戦時、樺太には約40万人の日本人と朝鮮人がいたが、内地に引き揚げが認められたのは日本人だけであった。そのため、朝鮮人男性と結婚した日本人女性や、朝鮮人の養父母に預けられた日本人などは家族と離れることを望まずサハリンに留まる人も多かった。

冷戦が終結した1990年代以降に日本や韓国への永住帰国の道が開かれ、彼女たちはまた様々な選択を迫られる。子や孫を伴って日本へ帰国した家族、夫婦だけで日本に帰国してサハリンや韓国の子どもたちと行き来する家族、サハリンでの生活を選んだ家族。そこにはそれぞれの家族に固有な物語がある。

彼女たちの物語を読んでいると、「民族」「国籍」「言語」「居住地」が移り変わり、何重にも交錯している。

彼女の母語はロシア語、家族の伝統は朝鮮式で、母方の祖母が日本人であることで現在は日本で暮らしている。
この日、デニスの「トルチャンチ」を開いてくれたのは、美花の父方の祖母であるキム・ヨンスンだ。サハリンのマカロフに住んでいるヨンスンは、日本に永住した孫の結婚式やひ孫の誕生日にはかならず駆けつけ、朝鮮の伝統を伝える。
よし子はヨンジャという朝鮮式の「本名」よりも、日本式のよし子やロシア式のレーナの方が好きだ。

こうした日本・ロシア・韓国にまたがる家族の姿は、もちろん戦争のもたらした悲劇ではあるのだけれど、その一方で人間の生きる力を感じさせる事例でもある。それはまた、国民国家という枠組みを超えて東アジアの国々が交流を深めていく一つのヒントにもなっているように感じられた。

2016年3月31日、高文研、2000円。

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2018年04月14日

今に始まったことでは


歌集が売れないのは今に始まったことではないようだ。

『歌壇風聞記』(昭和12年)という本を読んでいたら、「自費出版歌集の末路」という章があった。匿名のゴシップネタが多く上品な本ではないのだが、そこにはこんなことが書いてある。

歌集は何時だれがそんな悪例をつくたものか、そのほとんどが自費出版である。オソラクは、若山牧水の『海の声』あたりが元祖ではないかと思ふ。勿論これはヤツガレの当て推量であるが、売込み原稿ではなかつた筈である。

ソモソモ・・・・・・と四角張る必要もなささうであるが、自費出版の歌集は大抵三百部が多く、たまには五百部刷るものがあるかも知れないが、二百、百といふのもある筈だ。

その後、著者は350円払って300部出版した場合の細かな計算をする。

(1冊)一円五十銭としてみんな売れれば四百五十円となり、差引百円の利益となる勘定であるが、それは全部売つての話であり実際にはさうウマク問屋がオロさない。中堅処の某氏の場合を引き合ひにすると、友人や先輩、雑誌社などへ乞高評の為めに無代寄贈が約五十部、実際に売れたのが百部(・・・)結局百二十円の腹切といふ訳である。

だが諸君、これを標準にして、おれも一つなどと野心をおこす様な不心得者はないにしても、これだけの損失で済んだのは、某氏だからであるといふことを忘れては困る。現在相当のフアンを持つてゐる某氏だからそれだけ売れたのである。

事実、その某氏と同じ結社の同人の歌集が、ナント一部も売れなかつたといふ。これはほんとうの話で、おそらく大部分はこの調子であらう。もし諸君が、歌集を自費出版しようとおもふのなら、三百か五百の金をブタに喰はせるつもりでなければならないといふ結論が生れて来る訳である。


何のことはない。80年前も今とそれほど変らない状況だったのである。
夢がないなあと思いつつも、何だか少し安心する。


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2018年04月13日

啄木日記を読む日々(その2)

啄木日記を断続的に読み続けている。
すこぶる面白い。

明治40年10月17日。
 天口堂主人より我が姓命の鑑定書を貰ふ、五十五歳で死ぬとは情けなし、

啄木が満26歳で亡くなったことを知っているだけに悲しい。

明治41年6月7日。
 原稿料がうまく出来たら、吉井君と京都へ行く約束をした。

京都はおろか横浜より西へ行くことのない人生だったのを知っているだけに悲しい。

明治41年9月4日。
 予には才があり過ぎる。予は何事にも適合する人間だ。だから、何事にも適合しない人間なんだ!

ふう・・・。その自信が羨ましいよ。

 
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2018年04月12日

山川藍歌集 『いらっしゃい』



2010年から2017年までの作品463首を収めた第1歌集。

疲れてる事で繋がるわたしたち休憩室でカレー食べつつ
新品の祖母のバッグはしまわれて二階の奥で高級なまま
退職の一日前に胸元のペンをとられるさようならペン
店員として立つ時にふいに会う友はパラレルワールドの友
百円で菜っ葉を買って差し出せばキリンというより舌がもぎ取る
記入してくださいと言い待つ間(かん)のただ生きているだけの十秒
チロルチョコよりも小さく畳まれた千円札をよみがえらせる
風邪治るまでとこらえてなおるころはるかに遠くなる映画館

「家に帰る」という連作が良かった。

「ハイライトニュースだけ見て消す五輪あー息しとるだけでえらいわ」という歌には「えらい:名古屋弁」という注が付いているのだが、「背表紙がやさしく抱きとめてくれる書架に凭れてほこりまるけだ」の「まるけ」には注がない。こちらの方が方言度が高いと思うのだけれど。

2018年3月27日、角川文化振興財団、2300円。

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2018年04月11日

本屋


子どもの頃から本屋が好きだ。
金沢に住んでいた時(1994年〜95年)は本屋で働いていた。
店の名前は「ブック宮丸」。

金沢市内に「笠市店」「武蔵店」「片町店」という小さな3店舗を構える本屋で、僕の入った時に新たに郊外に「金沢南店」(240坪)という大型店を出したところであった。

僕が働いていたのは「笠市店」。

毎朝取次から届く書籍を棚に並べ、不要な本を返品し、空いている時間はレジに立った。客として訪れるとのんびりしているように見える本屋も、その裏では膨大な作業があることをその時初めて知った。

勤務は朝9時から夕方6時まで。2週に3日の休み。
時給730円で、月に8時間×25日=200時間くらい働いていた。

生まれて初めて名刺を作ってもらったのもここで、今も記念に取ってある。


 P1060256.JPG


ウィキペディアによれば、ブック宮丸はその後さらに「金沢北店」(450坪)を出店したものの、近年になってその「金沢北店」と「笠市店」「片町店」は閉店。今は「金沢南店」と「エムザ店」(武蔵店が移転)だけになっているとのこと。

本屋が大変な時代。
何とか頑張ってほしいものだ。


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2018年04月09日

啄木日記を読む日々

このところ毎日、啄木の日記を読んでいる。
すこぶる面白い。
自分なりに新しい発見があってワクワクする。

例えば、明治39年12月30日の日記には年賀状の発送名簿が載っている。そこに、与謝野寛、平野万里、森鴎外、金田一京助らと並んで

 高安月郊氏 京都市新烏丸頭町

という名前がある。
高安国世の伯父で、詩人・劇作家だった人。
本郷の西片町に住んでいたことは知っているのだが、この頃は京都にいたようだ。

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2018年04月08日

長岡義幸著 『「本を売る」という仕事』


副題は「書店を歩く」。

「街の本屋が廃れつつあり、逆境にある書店を応援できないか」と考える著者が、全国を訪ね歩いて書店の現状と今後について記した本。

近年、出版や書店を取り巻く状況が厳しくなっているという話は聞いていたが、正直これほどとは思っていなかった。

アルメディアの調査では二〇一七年五月一日現在、全国の書店数は一万二五二六店だった。一九九九年に二万二二九六店あった書店が一七年間で四三パーセント以上も減少していた。単純計算で毎年五〇〇〜六〇〇店ずつ書店がなくなっていたことになる。
ピーク時の一九九六年、トータルで二兆六五六四億円の推定販売額を誇っていた書籍・雑誌の市場は、二〇一六年には三分の二以下の一兆四七〇九億円に縮小した。

書店の減少や出版不況に関して様々な要因が言われている。ネット書店、新古書店、図書館などの影響が取り沙汰されることも多い。しかしこうした数字を見る限り、問題はそうした表面的なことではなく、もっと深刻なのだろう。

この本で取り上げられている書店は、丸山書房(東京)、郎月堂書店(甲府)、長崎書店(熊本)、英進堂(新潟)、いわた書店(北海道)、隆祥館書店(大阪)、七五書店(名古屋)、ブックスキューブリック(福岡)、桑畑書店(釜石)、ヤマニ書房(いわき)など、いわゆる「街の本屋」が多い。

私は最寄り型書店と呼べるような、地域の人々にとってより身近な、現にある需要を満たすために奮闘する街の本屋に心惹かれる。近隣の住民の読書環境を保証する、いわば生活基盤(インフラ)的な存在だと思うからだ。

私の住む町でも、昨年、駅前の商店街にあった本屋が店を閉じた。京都駅八条口のアバンティブックセンターも、先日行ったら売り場が縮小していた。三月書房も今年から定休日を増やし営業時間を短くしている。

書店は今後どうなっていくのだろう。

2018年1月20日、潮出版社、1600円。

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2018年04月07日

5月の公開講座


5月に下記の3つの公開講座を担当します。
ご参加、お待ちしております。

◎5月9日(水) 「ニフレルで短歌を詠む]
 10:00〜15:00 JEUGIA カルチャーセンターイオンタウン豊中緑丘
 http://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_17-15703.html

◎5月23日(水) 「大阪が生んだ歌人、与謝野晶子」
 10:30〜12:00 毎日文化センター(大阪梅田)
 http://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/35552

◎5月25日(金) 「生誕140周年 与謝野晶子の歌と人生」
 11:00〜12:30。 朝日カルチャーセンター芦屋教室
 https://www.asahiculture.jp/ashiya/


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2018年04月06日

『消えゆく太平洋戦争の戦跡』




海外23地域と硫黄島・沖縄など日本国内に残る太平洋戦争の戦争遺跡を400点に及ぶ写真とともに紹介・解説した本。海外も含めてこれだけ網羅的に扱った本は初めてではないだろうか。

戦争当時のことだけでなく、戦後の経緯や現状など、知らないことがたくさんあった。

「ラバウル航空隊」がその名を馳せた日本軍の要衝は、戦後もニューブリテン島最大の都市として栄えていたが、平成に入ってから度々火山の噴火に見舞われた。そのため、都市機能も一旦放棄され、現在は回復半ばである。
ブーゲンビル島は、現在パプアニューギニアの自治州となっている。(・・・)戦後、大規模な内戦が起こり治安が不安定なため、戦没者の慰霊に訪れることも難しい地域が多い。
日本軍守備隊と連合軍の間で激しい市街戦が起こった首都マニラは第2次世界大戦でワルシャワに次いで徹底的に破壊された都市といわれ、(・・・)

巻頭の「太平洋戦争の戦場」という地図を見ると、太平洋の島々、東南アジア、中国、満州と実に広い範囲にわたって戦争が繰り広げられたことがよくわかる。

そう遠くない将来、戦争体験者たちはいなくなるだろう。(・・・)そう考えると、戦争の実態を伝える遺構や遺跡の価値は高まってゆくことが分かるだろう。
沖縄の米軍基地問題から分かる通り、昭和二〇年に終わった戦争は現代の日本をも規定している。戦争抜きに日本の近現代史は理解できないのだ。

帯には「戦争遺跡のレッドデータブック」という文言もある。年々失われていく戦争遺跡をどのように保存、活用していくべきか。今後の課題は多い。

2017年7月10日、山川出版社、1800円。

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2018年04月05日

『新潮日本文学アルバム24 与謝野晶子』




懐かしい「新潮日本文学アルバム」シリーズの一冊。
数多くの写真をまじえつつ、64年の晶子の人生を5つの時期に分けてたどっている。

 ・鉄幹との出会い(明治11年〜明治32年)
 ・『みだれ髪』(明治33年〜明治36年)
 ・「君死にたまふことなかれ」(明治37年〜明治44年)
 ・欧州旅行と『源氏物語』(明治45年〜昭和元年)
 ・「明星」終刊後(昭和2年〜昭和17年)

与謝野晶子の写真は代表的な数枚しか知らなかったのだが、この本には何十枚も載っていて晶子の印象がだいぶ変わった。他にも原稿やノート、書簡なども多数あって、晶子の姿を身近に感じることができた。

1985年11月25日、新潮社、980円。


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2018年04月04日

花見


このところ良い天気が続いている。
先日、京都の原谷苑と平野神社へ花見に行ってきた。


P1060243.JPG

原谷苑の桜はまだ満開ではなく5分咲きとのこと。


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桜だけでなく、連翹、ユキヤナギ、木瓜、吉野つつじ、シャクナゲ、三椏など色とりどりの花が咲いていて、まさに春爛漫といった感じ。


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平野神社には「衣笠」「胡蝶」「一葉」「御衣黄」など、様々な品種の桜が植えられている。これもその一つ。名前は忘れた。


P1060252.JPG

平野神社のソメイヨシノと菜の花。


posted by 松村正直 at 00:04| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月03日

藤原勇次歌集 『草色の手帳』


2000年から2008年までの作品473首を収めた第1歌集。
十年前の歌で終っているのが珍しい。

居酒屋は客も主も死者どちにしたしく呑みつふとき指もて
夫婦にて古書を商ふエイス書房は店を閉めたり大学移転に
分骨をするかのやうにコピーする地下閲覧室の遺稿集の句
托鉢の僧侶の草鞋にふる雪は足指あかく染めぬきてをり
寒漁の川をかづきてうく鳰を三次(みよし)の漁師はヒョウスケと呼ぶ
あすは首にメスいれらるる君と来つ韮の花さく馬洗川べり
病みゐても白樺の木を切らさるるマイナス8℉のラーゲリの冬
病室に米寿の父をとりかこむ十八人と大きな真鯛
銭湯は酒房となりつ座りゐるここは男湯、富士ゑがかれて
夜の授業を終へたる生徒のトラックが大根のせて神戸にむかふ

1首目、亡くなった人の話をしながら酒を酌み交わしている場面。
2首目、学生や教員の客が多かったのだろう。
3首目、遺稿集だからこそ「分骨」という比喩が効いている。
4首目、裸足の指が寒さで赤くなっているのだ。
5首目、「ヒョウスケ」が軽妙で面白い。風土性と生活感がある。
6首目、妻の手術前の様子。下句の明るさが印象的だ。
7首目、シベリアに抑留された父が体験した出来事。摂氏に換算するとマイナス22℃。
8首目、入院中の父の米寿祝いに親族一同が集まったところ。
9首目、銭湯であった時の雰囲気が随所に残っている。
10首目、作者は定時制高校の教員。生徒の姿がよく見えてくる歌だ。

2018年3月1日、青磁社、2500円。

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2018年04月02日

羽衣の松


草田照子さんの歌集『旅のかばん』の中に、こんな歌があった。

 羽衣の松は六百五十余歳 片腕枯れてもげる寸前
                   草田照子

「羽衣の松」と言えば、先日立派な枝ぶりを見てきたばかりだが、あれは3代目の木で、この歌に詠まれているのは2代目の「羽衣の松」。

新聞記事によれば、2010年に2代目の「羽衣の松」が古くなったため、若い3代目を新たな「羽衣の松」と認定したらしい。2代目はその後2013年に枯死したため伐採され、現在は切り株だけが残っている。
http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20130703000460

「羽衣の松」が世代交代していくというのも何だか不思議な話である。もちろん、天女が羽衣を掛けた話はもともと伝説だから、別に木が代っても構わないのだけれど。

posted by 松村正直 at 06:20| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月01日

井上ひさし著『泣き虫なまいき石川啄木』




舞台は明治42年から45年にかけての本郷の「喜之床」二階。
そこで繰り広げられた啄木一家の暮らしと人間模様を描いた戯曲である。
初演は「こまつ座」第7回公演(1986年6月)。

登場人物は、啄木、節子(妻)、一禎(父)、カツ(母)、光子(妹)、金田一京助の6人だけ。彼らのやり取りだけで啄木の晩年の3年間を見事に描き出していて、井上ひさしの才能をまざまざと感じる。

どこかで上演される機会があれば、ぜひ見に行きたい。

1986年6月15日、新潮社、780円。

posted by 松村正直 at 18:25| Comment(0) | 石川啄木 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする