2018年01月30日
「大阪が生んだ歌人、与謝野晶子」
5月23日(水)に大阪梅田の毎日文化センターで「大阪が生んだ歌人、与謝野晶子」という講座を行います。時間は10:30〜12:00。
「なにわ再発見」という5回シリーズの1回ですが、この回だけの受講もできます。詳しくは下記をご覧ください。
http://www.maibun.co.jp/wp/archives/course/35552
2018年01月29日
「塔」2018年1月号(その2)
かぼちゃ積み軽トラックは止まりたり丘のなだりに傾きながら
水越和恵
農作業には欠かせない軽トラ。「かぼちゃ」「丘のなだり」に、作者の住む北海道の風景が彷彿とする。「傾きながら」は、かぼちゃの重さのためと読んだ。
さきいかの裂かれるときのさみしさをあなたは語る さきいかを振って
長月 優
「さきいか」「裂かれる」「さみしさ」の「さ」音の頭韻がよく効いている。結句は冗談めかしたような動作だが、それがかえって本当の寂しさを感じさせる。
十字路を曲がれるバスの内輪差まざまざとみづは地に残したり
永山凌平
水たまりを通ったタイヤが乾いたアスファルトに痕を付けたのだろう。前輪と後輪の付けた曲線が二重になっている様子。まるで交通安全の図解みたいに。
「評判のパン屋が近くにあったから」二時間かけてお見舞に来る
三谷弘子
きっと本当は見舞いが主目的でパン屋の方がついでなのだ。それをパン屋が主目的であるように言ったのは、負担をかけまいとする相手の優しさである。
この町が私の体になじむまで見知らぬ道を歩き続ける
加茂直樹
普通ならば「私がこの町になじむまで」とでも言うところを反対にしたのが効いている。初めて通る道をぐるぐると歩き回って、徐々に身体になじませていく。
やうやくに寝かしつけたるその後を妻は画像の子を見て過ごす
益田克行
やっと眠りについたのだからしばらくは忘れていてもいいのに、今度は画像を見て楽しんでいる。半ば呆れつつも妻の愛情の強さを感じているのだろう。
筆跡のやうに確かな月光を額に受けて眠るをとめご
森尾みづな
何かの隙間から筋状になった月の光がくっきりと額に射している。「筆跡のやうな」という比喩が面白い。別の世界と通じ合っているような雰囲気がある。
2018年01月28日
川端康成と志賀直哉
秋が冷えるにつれて、彼の部屋の畳の上で死んでゆく虫も日毎にあったのだ。翼の堅い虫はひっくりかえると、もう起き直れなかった。蜂は少し歩いて転び、また歩いて倒れた。季節の移るように自然と亡(ほろ)びてゆく、静かな死であったけれども、近づいて見ると脚や触覚を顫(ふる)わせて悶えているのだった。それらの小さい死の場所として、八畳の畳はたいへん広いもののように眺められた。
/川端康成『雪国』
或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転っているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。
/志賀直哉『城の崎にて』
2018年01月27日
武生へ
2018年01月25日
京都平日歌会
今日は午後から事務所で京都平日歌会。
2012年に始まった歌会も、今年で7年目を迎える。
短歌は他人に読んでもらって表現の加減を知ることが大事なので、歌会には機会があれば参加した方がいい。これは多くの人が口にすることだろう。
でも、歌会に参加したからといって、自動的に歌がうまくなるわけではない。歌会で何を得られるかは、その人次第。マンネリな気分で参加していても何も得られない。
2018年01月24日
「塔」2018年1月号(その1)
「ふきもどし」とふ玩具かふ昼きても人影まばら海田の祭
大橋智恵子
「ふきもどし」は笛に丸まった紙筒が付いた昔ながらの素朴な玩具。かつてはもっと賑やかな祭だったのだ。あるいは夜には賑やかになるのかもしれない。
屋上より向かひの屋上見てゐしと 波来るたびに人流れしと
梶原さい子
東日本大震災の津波を体験した人の話。屋上に避難して、向かいの建物の屋上の人が流されるのを目撃したのだ。もちろん、どうすることもできない。
クレーンをビル屋上に置く術を知ればつまらぬ風景となる
小石 薫
仕組みを知らなかった時は不思議な光景として見えていた屋上のクレーン。いったん知ってしまうと、もうその驚きを味わうことはできなくなってしまう。
歌会を終へたる人はまた杖をつきつつ秋の駅舎へ向かふ
今西秀樹
歌会中はきっと元気で年齢を感じさせない振舞いを見せていたのだろう。でも、席を立つと急に一人の老人に戻って、覚束ない足取りで歩いていく。
ドクターも技師もとつても紳士にて失礼しますとこの胸を見る
國森久美子
乳房の手術を受ける場面。礼儀正しいのは有難いが、かえって気恥ずかしいのかもしれない。あるいは、そんなことより治してほしいという痛切な思いか。
再婚せし母の連れあひ〈おつさん〉と呼んでゐたりきあのころの友
川田伸子
まだお互いに若かった頃の思い出。新しく父になった人物を「父さん」とは呼べず「おっさん」と呼んでいた友。いろいろ悩みを聞いたりもしたのだろう。
あれはどこへ行くのだったかポケットに百円玉を固く握りて
中本久美子
大人にとって100円はわずかな金額だが、子どもにとっては大きなお金。手に握りしめていた百円玉の感触だけを今も鮮明に覚えているのである。
2018年01月23日
北野新太著 『等身の棋士』
将棋の観戦記者として活躍する著者が、2014年以降に雑誌やWEB連載に発表した文章をまとめた本。
藤井聡太、加藤一二三、羽生善治、渡辺明、木村一基、中村太地など、今話題の棋士たちの姿や発言をなまなましく描き出したノンフィクションである。
棋士(プロ)はたった160人しかいない厳しい世界。その中で互いに死力を尽くして戦っている。誰も負けようと思って将棋を指す人はいない。けれども、どちらかは必ず負ける。
棋士にとって投了を告げるのは、少しだけ死ぬことなのだ。
という言葉がはてしなく重い。
2017年12月24日、ミシマ社、1600円。
2018年01月22日
一首鑑賞とは
今日の砂子屋書房のHPの一首鑑賞「日々のクオリア」で、平岡直子が俵万智の歌を取り上げている。
「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ
石垣島に移住してゲームではなく自然の中で遊ぶようになった息子を詠んだ歌。明るく微笑ましい歌と読むのが一般的だと思うが、平岡さんは違う。「母子という関係の閉塞感やグロテスクさ」という観点でこの歌を読んでいくのだ。
これが面白い。
単なる思い付きではなく、きちんと論拠も示されている。だから、一首の鑑賞だけにとどまらず、俵万智論とも呼べる内容になっている。
歌会などでここまで読むと「深読み」と言われるに違いないし、おそらく賛否両論あるだろう。でも、作者の意図を超えて歌に滲み出ているものを巧みに捉えた鑑賞のように思った。
2018年01月20日
松村正直歌集 『風のおとうと』 を読む会
現在、26名(レポーター4名)の方からお申し込みをいただいております。
まだ席がございますので、どうぞご参加下さい。
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松村正直の第4歌集『風のおとうと』(六花書林)を読む会を、2月3日(土)に東京で行います。
15年前に第1歌集『駅へ』の批評会を真中朋久さんの『雨裂』と合同で開いて以来、歌集の批評会などは行ってきませんでしたが、今回思うところあって自分で開催することにしました。『風のおとうと』について話したい、聴きたい、語り合いたいという方は、ぜひご参加下さい。
パネラーは立てず、数名の方に15分程度のレポートを行っていただき、その後は全員で自由にディスカッションという流れを予定しています。会場の玉川学園は私が20歳まで暮らした故郷の町です。どなたでもお気軽にお越し下さい。
日時 2018年2月3日(土)13:30〜17:00(13時開場)
場所 玉川学園コミュニティセンター 第2・第3会議室
*小田急線「玉川学園前」駅から徒歩2分
会費 500円(レポーターを担当して下さる方は無料)
申込み 松村正直まで メール masanao-m@m7.dion.ne.jp
定員(約30名)に達しましたら、申込みを締め切らせていただきます。レポーターも募集しておりますので、参加申込みの際にお知らせ下さい。
皆さんとお会いできるのを楽しみにしております。
2018年01月19日
実力と評価
「自分は歌人としてもっと評価されるべきだ」「現在の評価は自分の実力に見合っていない」と考えている人が多い気がする。文章や会話の端々にそういう意識が透けて見える。さらには「あの人は贔屓されている」とか「歌壇にはヒエラルキーがあって」といった声も聞く。
もちろん、「評価=実力」とは限らないから、自分の「実力>評価」と感じる人がいるのは不思議ではない。一方で、「実力<評価」と思っている人はほとんどいない。「自分は割を食っている」「正当な評価を受けていない」という声だけが存在する。
結局は「評価≒実力」ということなのではないか。短歌の世界はお金儲けができるわけでもなく、強大な権威や権力が存在しているわけでもない。だから、他の世界と比べれば公平・公正なのであって、評価と実力の差は少ないと考えた方がいい。
自分が現在置かれている状況を嘆いたり、僻んだり、あるいは他人を羨んだり、妬んだりしてみても仕方がない。まずは現状を素直に認めて、こつこつ努力を続けていくしかない。
大事なことなので、自戒も込めて書いておく。
2018年01月18日
酒井順子著 『裏が、幸せ。』
2015年3月に小学館から刊行された単行本の文庫化。
「民藝」「演歌」「仏教」「美人」「流刑」「文学」「田中角栄」「鉄道」「原発」など、様々な切り口から「裏日本」(日本海側)について考察した本。軽いエッセイと思って読み始めたのだが、実はかなり本格的な日本文化論であった。
日本において資本主義が形成されていく時に、裏日本という概念もつくられていったと言えましょう。
演歌における日本海もまた、歌枕的役割を果たしています。
千年もの長きにわたって帝がいた日本の中心ということで、京都は「表」の街であると思われがちです。しかし京都は、表と裏とが強いコントラストで同居する街。
なるほど、と思わされる指摘ばかり。
著者の考えは、表と裏を上下関係として見るのではなく、補い合い引き立て合う関係として捉えるという点で一貫している。表の方が良いという価値観は、もういい加減終わりにした方が良いのだろう。
「北前船、ローカル線、北陸新幹線」に関する話の中で、地図学者の今尾恵介さんの「たとえば能登も、海運の時代は交通の要衝だったわけですよ。半島というのは、船の場合は便利な地なのだけれど、しかし陸路となると僻地になってしまう」という言葉が紹介されている。
まさにルビンの壺のように図と地が反転してしまったわけだ。こうした見方を知るだけでも、随分と日本の見え方が違ってくるように思う。
2018年1月9日、小学館文庫、600円。
2018年01月17日
出頭寛一さん
出頭寛一さんが1月12日に亡くなった。
74歳。
短歌って思っていたより退屈な夢だった おおい、眠っていいか
眠ろうとすればますます痛む胸 そうか、肺だってきっと寂しい
五十キロに落ちてしまいし体重のどこまでが骨量、どこから愛惜
「塔」2017年11月号
出頭さんの思い出はいくつかあるのだが、一番よく覚えているのは茨城県の高萩で行われた歌会で初めてお会いした時のこと。最初は何だか怖そうな人だなあと思った。顔も声もいかつい感じで、近寄りがたい雰囲気があった。
でも、実は気さくでシャイな一面も持った方で、親子ほど歳の離れている僕に短歌のことをいろいろと教えて下さった。
古い歌会記を調べてみると、それは1999年5月16日のことである。高萩ビーチホテルで開催された歌会には「山岸、花山、小林、佐藤、進藤、小石、高安、辻井、原、渡辺、大塚、青木、出頭、岡、松村、尾崎、中村光子、出奈津子、加藤希央」の19名が参加したと記されている。当時、僕は福島に住んでいた。
歌会記が載っている「塔」1999年7月号を見ると、当時、出頭さんがいかに活躍されていたかがよくわかる。評論「歌壇の明日、歌人たちの明日」を書き、誌面時評を書き、さらに出頭さんの歌集『寂しい鷗』の書評も掲載されている。
ご冥福をお祈りします。
2018年01月15日
長浜功著 『石川啄木という生き方』
副題は「二十六歳と二ヶ月の生涯」。
1886(明治19)年2月に生まれ、1912(明治45)年4月に亡くなった啄木の一生はわずか26年2か月であったことに、あらためて驚かされる。
教育学者である著者は、近年、石川啄木に関する著書を相次いで刊行している。本書はその最初の一冊で、啄木の誕生から死までを数多くの資料に基づいてたどっている。
しばしば、啄木の人生を薄倖とか窮乏の連続として憐憫の情で覆ってしまう傾向が後を絶たないが、二十六歳の生涯のうち二十年は経済的には何一つ不自由せず豊かな生活を送っていたという事実を忘れてはなるまい。
こうした指摘は大事なことだろう。
また、朝日新聞社の校正係が月給三十円であったことについても、
例えば当時の小学校教員と巡査の初任給が十二円、大卒の銀行員が二十円、都内の3LDK長屋家賃が三円だから三十円あれば家賃を払って家族五人はなんとか養ってゆける時代であった。
と、具体的な数字を挙げて記している。
全体としては、資料に基づく事実と著者の想像・推量とが混じる部分のあるところが気になった。もちろん、資料のない部分は想像で補うしかないわけだが、その区別はもっと厳密にしてほしいと思う。
2009年10月15日、社会評論社、2700円。
2018年01月13日
ニフレル吟行
5月9日(水)に JEUGIA カルチャーセンターイオンタウン豊中緑丘主催で、〈「生きているミュージアム」ニフレルで短歌を詠む〉という吟行を開催します。
万博公園 EXPOCITY 内にある新しいタイプの水族館・動物園「ニフレル」を見学して短歌を詠み、その後に昼食を食べてから歌の批評を行うという内容です。
ご興味のある方は、下記のページをご覧ください。
ご参加お待ちしております。
http://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_17-15703.html
2018年01月12日
労働
労働は、寒い。 つかのま有線の安室をなぞるくちびるを見た
高島裕『旧制度』
労働は石のごとくに冷たかりいきなり風邪をひくこともある
宇田川寛之『そらみみ』
宇田川さんの歌を読んで思い出したのが高島さんの歌。
労働が「つらい」だったら普通だが、それぞれ「寒い」「冷たかり」と言っているところが印象的だ。安室奈美恵も引退してしまったが。
2018年01月11日
荒井利子著 『日本を愛した植民地』
副題は「南洋パラオの真実」。
パラオには一度行ってみたいという思いがあって、手に取った本。
タイトルを見ると、昨今流行りの「日本はスゴイ」「日本は悪くない」系の本かと思ってしまうが、中身はそこまで偏ってはいない。戦前は日本の委任統治領だった南洋群島、特にパラオの歴史について、現地の方々からの聞き取りをもとにまとめている。
現地に住む日本人の数について、こんな記述がある。
パラオに南洋庁が設立された大正十一年(一九二二)以降は、五年ごとに倍増していったといってもいいだろう。昭和五年(一九三〇)には約二万人、昭和十年(一九三五)には約五万人、昭和十五年(一九四〇)までには七万七千人に膨れ上がり、第二次世界大戦の終戦時の昭和二十年(一九四五)には十万人にまで達していたと推定される。
十万人・・・。
樺太の四十万人にも驚いたが、南洋群島(サイパン、パラオ、ヤップ、トラック、ポナペ、ヤルート)にも十万人もの日本人が暮らしていたのだ。
引き続き、南洋群島関連の本を読んでいきたい。
2015年9月20日、新潮新書、780円。
2018年01月10日
『日本の文化ナショナリズム』 のつづき
この本は和歌から短歌への流れを考える上でも参考になる点が多い。短歌史も(当然のことながら)日本の歴史やナショナリズムの歴史と深い関わりを持っているからだ。
まずは、江戸時代の日本語の文体についての話の中で、次のような指摘が出てくる。
(江戸時代)後期の「漢詩」には、中国清代の性霊派の影響を受けて、当代のことばによる個人の感性の自然な流露を尊ぶ表現が流行した。その影響は和歌にも及んで、香川景樹を開祖とする桂園派の流れをつくった。
「性霊派」という言葉を聞くのも初めてだし、香川景樹がその影響を受けていたというのも初耳である。
また、佐佐木信綱が1890年に父弘綱とともに『日本歌学全書』を編纂したことは有名であるが、その背景には以下のような時代の流れがあったのだと言う。
同じ年、『日本歌学全書』全十巻、『日本文学全書』全二十四巻が博文館から刊行開始された。先にもふれたが、『歌学全書』は和歌の、『文学全書』は散文のアンソロジーで、あわせると日本で最初の「日本文学全集」となる。こうして「日本文学(史)」という観念が形づくられ、定着してゆく。
これも『日本歌学全書』だけ見ていても気が付かない観点と言っていいだろう。
さらに、もう一つ。「一九一〇年代から二〇年代にかけての日本では、実にさまざまな生命主義が開花した」という文脈で、徳冨蘆花のエッセイや有島武郎の『生れ出づる悩み』、萩原朔太郎の『青猫』とともに挙げられているのが、何と斎藤茂吉の「短歌における写生の説」(一九二〇)なのである。
このように、短歌史という枠組みの中では見えないことが、同時代の文化の流れとあわせて見ることでわかってくるのだ。そこが新鮮で、すこぶる面白い。
2018年01月08日
鈴木貞美著 『日本の文化ナショナリズム』
「民族主義」「国民主義」「国家主義」など、文脈によって様々に使い分けられているナショナリズム。明治以降の日本のナショナリズムの歴史を振り返りつつ、今後の進むべき道を考察する内容となっている。
一般に明治以降の日本の「近代化」=「西洋化」と考えられているが、著者はそれに異議を唱える。決して「西洋化」一辺倒だったわけではなく、それと反対に新たな「伝統」が生み出されたり、「アジア主義」への傾斜が起きたりしたと言うのである。
例えば、漢文が古文と並んで現在も「国語」の中に位置付けられている理由もそこにある。
幕末から明治初期にかけて、英学の隆盛にともない、一時期、漢学者が嘆くほど、「漢文」学習は廃れた。しかし、一八八〇年代には「漢文」学習が、日本古典の学習とともに、エリート層に復活する。(・・・)日本「漢詩」の専門家たちは、歴史上、明治期が質量ともに、その最高の時期だったといっている。
明治期に漢文学習が盛んであったという(意外な)事実は、はたして何を意味しているのか。
「西洋化」と「伝統」「アジア主義」の二つの方向に引き裂かれた日本のナショナリズムは、その後、アジア・太平洋戦争における敗戦という形でその矛盾を露呈することになる。けれども、そこで話は終ったわけではなく、現在もそうした状況は続いていると言って良いのだろう。
2005年12月9日、平凡社新書、860円。
2018年01月07日
カルチャーセンター
大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
短歌に興味のある方は、どうぞご参加下さい。
◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
「短歌実作」 毎月第2土曜日
A組 10:30〜12:30
B組 13:00〜15:00
*奇数月を松村が担当しています。
◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
「はじめてよむ短歌」
毎月第1金曜日 10:30〜12:30
◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
「短歌実作(A)」 毎月第3金曜日 11:00〜13:00
「短歌実作(B)」 毎月第3金曜日 13:30〜15:30
*偶数月を松村が担当しています。
◎JEUGIAカルチャーセンターイオンタウン豊中緑丘 06−4865−3530
「はじめての短歌」
毎月第3月曜日 13:00〜15:00
◎JEUGIAカルチャーセンター京都 de Basic. 075−254−2835
「はじめての短歌」
毎月第3水曜日 10:00〜12:00
◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
「はじめての短歌」
毎月第1火曜日 10:30〜12:30
◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
「初めてでも大丈夫 短歌教室」
毎月第2月曜日 13:00〜15:00
2018年01月05日
松村正直歌集『風のおとうと』を読む会
現在、21名(レポーター3名)の方からお申し込みをいただいております。
まだ席がございますので、どうぞご参加下さい。
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松村正直の第4歌集『風のおとうと』(六花書林)を読む会を、2月3日(土)に東京で行います。
15年前に第1歌集『駅へ』の批評会を真中朋久さんの『雨裂』と合同で開いて以来、歌集の批評会などは行ってきませんでしたが、今回思うところあって自分で開催することにしました。『風のおとうと』について話したい、聴きたい、語り合いたいという方は、ぜひご参加下さい。
パネラーは立てず、数名の方に15分程度のレポートを行っていただき、その後は全員で自由にディスカッションという流れを予定しています。会場の玉川学園は私が20歳まで暮らした故郷の町です。どなたでもお気軽にお越し下さい。
日時 2018年2月3日(土)13:30〜17:00(13時開場)
場所 玉川学園コミュニティセンター 第2・第3会議室
*小田急線「玉川学園前」駅から徒歩2分
会費 500円(レポーターを担当して下さる方は無料)
申込み 松村正直まで メール masanao-m@m7.dion.ne.jp
定員(約30名)に達しましたら、申込みを締め切らせていただきます。レポーターも募集しておりますので、参加申込みの際にお知らせ下さい。
皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。
2018年01月04日
北村薫著 『太宰治の辞書』
2015年に新潮社から出た単行本にエッセイ2編と短編を新たに収録して文庫化したもの。
円紫さんシリーズを読むのは十数年ぶり。主人公の「私」も四十代半ばとなり中学生の息子がいる。計算すると、私(松村)と同じくらいの年齢のようだ。
取り上げられる作品は、芥川龍之介「花火」、太宰治「女生徒」「二十世紀旗手」、萩原朔太郎「夜汽車」など。
小説は書かれることによっては完成しない。読まれることによって完成するのだ。ひとつの小説は、決して《ひとつ》ではない。
一人称の告白らしい形をとった時よりも、作家は虚構の中でこそ自己を語るものだ。
短歌を題材に、こうした「日常の謎」系の本を書いてみたいなと思う。
2017年10月13日、創元推理文庫、700円。
2018年01月03日
「塔」2017年12月号(その2)
この道を行きも帰りも低き陽に右の半身を灼かれつつゆく
益田克行
南北に通っている道で、南側に自宅、北側に駅などがあるのだろう。地図を見るような構図が面白い。出勤時は東からの朝日を浴び、帰りは西日を浴びる。
テトリスが形をそろえ消えていく愛しているのでいつかそうなる
中村ユキ
テトリスはブロックの凹凸を合わせるゲーム。男女の性愛のイメージとして読んだ。でも、気持ちが満たされるというよりは、むしろ寂しさが伝わってくる。
一分は百秒じゃないのと八歳は身体ぐねぐねさせ尋ねくる
矢澤麻子
八歳と言えば小学校2年生くらい。「身体ぐねぐねさせ」がいい。気恥ずかしい様子で聞いてきたのだろう。そんなことも知らなかったのかという驚き。
気にしつつ足の向かざる義姉(あね)のもとに白ゆり送る兄の新盆
柳田主於美
独り暮らしとなった義姉を案じつつも、わざわざ訪ねたりするのは気が重い。「兄の新盆」を契機にまたつながりが持てたことにほっとしているのだろう。
素麺を茹でる速さで夏は過ぎ少し老いたるわたしが残る
田宮智美
上句の比喩が面白い。夏の食べ物の定番である素麺は、茹で上がるのも早い。気が付けば夏も終わって、また少しだけ年を取った自分の人生を思う。
一歳になるまで二年かかればいい妻がつぶやく小さき手をとり
内海誠二
まだ一歳にならない赤子を育てている夫婦。可愛くて仕方がないのだろう。一度大きくなってしまえば元には戻らないので、今を十分に味わいたいのだ。
死にたるを知らず目瞑りいる君よ「二時二分です」声がして去る
みぎて左手
君の死に立ち会った場面。その場にいる人の中で君だけが自分の死を知ることがない。臨終の時刻を告げる医師の声が、死を確認するかのように響く。
2018年01月02日
「塔」2017年12月号(その1)
いつしんに母のぬりゑの続きをり音なくすべる秒針の下
干田智子
施設に入っている母が塗り絵をしている姿。「音なくすべる秒針」がいい。外界とは別の時間が流れ、母と自分はもう別の世界にいるという寂しさを感じる。
前の席にノースリーブの腕が出てブラインドおろす特急かもめ
寺田裕子
「ノースリーブの腕」だけが一瞬見えたのだ。それまでは座席に隠れてどんな人が座っているかわからなかったのだが、きっと若い女性だったのだろう。
帰宅せぬ父の里芋をラップにて包めば滴で見えなくなりぬ
北辻千展
おそらく仕事などで遅くなる父の夕食にラップを掛けているところ。「滴で見えなくなりぬ」という描写がいい。まだ温かいので、内側に湯気がこもるのだ。
旧姓に呼ばるることはどちらかと言へば苦しきことと知りたり
吉澤ゆう子
学生時代の友人など独身の頃からの親しい相手との関係。「どちらかと言へば苦しき」に、嬉しさよりもわずかに苦しさが上回る複雑な胸のうちが滲む。
かき氷に白味噌かけて食べし日の祖父母の家の畳広かりき
山下裕美
色鮮やかなシロップでなく白味噌をかけるというのが珍しい。祖父母の家ならではの食べ方だったのだろう。家の様子とともに懐かしく思い出している。
「お若いわ」と言われる程に年齢(とし)重ね 無人駅にくずの花匂う
古林保子
確かに実際に若い人に向かっては言わない言葉だ。年齢より若く見られることを喜びつつも、もう若くない自分を感じている。下句との取り合わせもいい。
それぞれにこころは遠くありながらひとつしかない夕餉の卓は
澄田広枝
一緒に夕食を食べながらも心では別々のことを考えている家族。食卓がかろうじて家族を一つに繋ぎ止めているようでもある。ひらがなの多用が効果的。