作品
・「記憶について」20首(「現代短歌」1月号)
・「おとうと」30首(「短歌研究」1月号)
・題詠「惑う」5首(角川「短歌」2月号)
・「地中にふかく」8首(「弦」第38号)
・「動物について」20首(「現代短歌」4月号)
・「海と飛行機」30首(「短歌研究」4月号)
・「紫のひと」33首(「短歌往来」5月号)
・「眠りについて」20首(「現代短歌」7月号)
・「桜のからだ」30首(「短歌研究」7月号)
・「正解」7首(「現代短歌」8月号)
・「布引の滝」30首(「短歌研究」10月号)
・「花火大会」7首(「星座―歌とことば」83号)
・「パターソン」7首(「うた新聞」10月号)
・「多島海」10首(「角川短歌」12月号)
時評
・歌壇時評「方言、共同体、死者の声」(角川「短歌」1月号)
・歌壇時評「日本語文法と短歌」(角川「短歌」2月号)
・歌壇時評「歴史から今を見る視点」(角川「短歌」3月号)
・歌壇時評「短歌の読みを考える」(角川「短歌」4月号)
・歌壇時評「「ね」とレチサンス」(角川「短歌」5月号)
・歌壇時評「歳月を抱える歌」(角川「短歌」6月号)
・短歌月評「様々な顔の沖縄」(「毎日新聞」1月30日朝刊)
・短歌月評「新たな一歩」(「毎日新聞」2月27日朝刊)
・短歌月評「自他合一の精神」(「毎日新聞」3月27日朝刊)
・短歌月評「老いの中の若さ」(「毎日新聞」4月24日朝刊)
・短歌月評「真っ直ぐな子規」(「毎日新聞」5月22日朝刊)
・短歌月評「同人誌・個人誌」(「毎日新聞」6月26日朝刊)
・短歌月評「『サラダ記念日』30年」(「毎日新聞」7月24日朝刊)
・短歌月評「ミサイル問題」(「毎日新聞」8月28日朝刊)
・短歌時評「デビューのかたち」(「毎日新聞」9月25日朝刊)
・短歌月評「女性であること」(「毎日新聞」10月22日朝刊)
・短歌月評「誰のために詠むのか」(「毎日新聞」11月27日朝刊)
・2017年回顧・短歌「収穫の多い一年」(「毎日新聞」12月25日朝刊)
・年間時評「分断を超えて」(「歌壇」12月号)
評論
・常識・過去・重層性・多義性(「歌壇」9月号)
・十首でわかる短歌史 見果てぬ夢(「現代短歌」9月号)
・狂歌から短歌へ(「六花」VOL.2)
書評
・櫟原聰著『一語一会』評(「短歌往来」1月号)
・染野太朗歌集『人魚』評(「現代短歌新聞」3月号)
・細溝洋子歌集『花片』評(「うた新聞」3月号)
・斎藤諒一歌集『春暁』評(「現代短歌」6月号)
・畑谷隆子歌集『シュレーディンガーの猫』評(「好日」7月号)
・井上孝太郎歌集『サバンナを恋ふ』評(「短歌人」9月号)
・香川哲三著『佐藤佐太郎 純粋短歌の世界』評(「現代短歌新聞」10月号)
・松村英一歌集『河社』鑑賞(「国民文学」11月号)
・永田和宏歌集『黄金分割』レビュー(「角川短歌」12月号)
その他
・講演ファイル「佐藤佐太郎の火山の歌」(「現代短歌新聞」1月号)
・全国結社歌誌動向「塔」(角川「短歌」2月号)
・特集「わたしの気になる《沖ななも》」(「北冬」17号)
・「読者歌壇」選者(「現代短歌新聞」4月号〜9月号)
・座談会「バブルが短歌に与えたもの」(角川「短歌」5月号)
・講演「樺太を訪れた歌人たち」要旨(「樺連情報」第807号)
・「戦争に賛成し熱狂するだろう私たち」(角川「短歌」8月号別冊付録)
・「短歌の骨法―石田比呂志の歌の魅力」(第六回琅玕忌だより)
・鑑賞「時代を変えた近代秀歌七十首」(角川「短歌」10月号)
・全国歌人伝「清原日出夫 北海道、京都、長野」(「現代短歌新聞」11月号)
・「短歌歳時記 十二月のうた」(「現代短歌」12月号)
・平成歌壇10大ニュース「このゆるやかな曲がり角の先に」
(「角川短歌年鑑」平成30年版)
出演
・第20回「あなたを想う恋の歌」審査員
・「樺太の暮らしを“解凍”」(「京都新聞」1月25日朝刊)
・講演「短歌の骨法―石田比呂志の歌の魅力」(2月18日、第六回琅玕忌)
・講演「樺太を訪れた歌人たち」(5月16日、全国樺太連盟ワークショップ)
・講演「啄木の現代的な魅力」(10月21日、堺短歌大会)
・第10回クロストーク短歌「絵画と短歌」(12月2日、吉川宏志さんと)
・鼎談「佐藤佐太郎の歌の魅力」
(12月3日、現代歌人集会秋季大会、尾崎左永子さん、大森静佳さんと)
2017年12月31日
啄木と龍之介
誰か知らぬまに殺してくれぬであらうか! 寝てる間に!
石川啄木「明治四十一年日誌」 6月27日
誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?
芥川龍之介『歯車』(1927年)
松平修文歌集 『トゥオネラ』
2007年から2016年までの作品485首を収めた第5歌集。
作者は今年11月23日に亡くなった。
尻穴からあぶく出しをり、数知れぬ卵が混じるあぶく出しをり
同じやうな歌ひ手が、同じやうな歌を、同じやうな声でうたふ 同じやうに振付けられて
コンテナに収納されて運ばれてゆくものは、象牙でも珊瑚でもなく僕の高く売れない古本ですよ
鍵の束を提げて老女が明けがたに湖底への石階(きざはし)を下(お)りゆく
眠りに堕ちてゆき たどりつく湖底美術館の、壁面は静寂を展示す
図鑑にきみが出てゐたよ、と捕虫網からその蝶を取り出すときに言ふ
髪に手に霧はざらつき丘の上につづく薄荷の畑のぼりゆく
彼は彼女を知らない 彼女は彼を知らない 同じ都市(まち)の住人だが、擦れ違ふ事さへもない
病者、老者、貧者を救ふ法案を審議してゐる 子供議会は
霧を固めて作つた菓子のひと切れをすすめられをり 深更(よは)の茶房に
灰色の飯に灰色の湯をかけて食ふ くたくたになり帰つた僕は
犯人が来て去り、刑事らが来て去り、少女が来て去り、ゆふぐれて、雑貨店閉づ
一読して、何かとんでもないものを読んでしまったという感じのする歌集だ。美しさと不気味さ、そして死の影が交錯する。
沼のイメージ、物語的な場面設定、リフレインの多用、大幅な字余りや破調など、分析すればいろいろとあるのだが、そんな批評は到底及ばない世界。作者渾身の、一回限りの歌集と言っていいだろう。
2017年6月23日、ながらみ書房、2600円。
2017年12月30日
山梨へ(その2)
車に乗って観光も少し。
明治9年に建てられた「𣇃米(つきよね)学校」。
後に増穂尋常小学校(明治21年〜)、増穂村役場(大正9年〜)、増穂町民俗資料館(昭和49年〜)となり、現在は富士川町民俗資料館(平成22年〜)となっている。
館内には昔の教室の様子が復元された部屋や、教科書や遊び道具が展示された部屋などがある。
太鼓堂と呼ばれる三階の望楼部分へ続く螺旋階段。
係の方が一つ一つ丁寧に説明しながら案内して下さった。
太鼓堂は六角形をしていて六面に窓がある。窓からの眺めは素晴らしく、周囲の町や山なみが一望できる。ここに置かれた太鼓を打って昔は時刻を知らせていたのだと言う。もっと新しい建物なら時計台になっていたのだろう。
建物の入口わきに立つ二宮金次郎像。
台座には「勤勉力行」と刻まれている。
2017年12月29日
山梨へ(その1)
2017年12月26日
宇田川寛之歌集 『そらみみ』
2000年から2015年までの作品415首を収めた第1歌集。
春の花交互にあげる遊びせむクリーニング屋へゆく道すがら
馬のにほひの漂ふごときゆふやみを宅配ピザのバイクはゆくも
トリミングしたき記憶のいちまいを取り出す合歓の花ひらくころ
転居通知を投函せしが〈転居先不明〉と戻りきたるいちまい
返信を投函せぬまま終はりたる会ありて会のにぎはひおもふ
歌をやめてしまひし人と酌む酒よ戻つて来いとわれは言はずも
口論と議論の差異をおもふ日の百葉箱に雪は積もりぬ
公園に夜のしほさゐを聞きたれば赤き浴衣の子の手をひきぬ
てのひらのうへに落ちたるはなびらを見つめるひとが風景となる
少年のわれは煙草を売りたりき背伸びをせずにただ淡々と
1首目、恋人といる時の明るく健康的な気分が満ちている。
2首目、「馬」と「宅配ピザのバイク」の取り合わせがおもしろい。
3首目、合歓の花の時期になると思い出してしまう記憶なのだろう。
4首目、相手は転居したのに知らせてくれなかったわけだ。
5首目、「返信を投函せぬまま」に何らかの屈折した感情が滲んでいる。
6首目、短歌を続ける人生とやめる人生、どちらが幸せかはわからない。
7首目、上句の情と下句の景がうまく合っている。百葉箱の白と雪の白。
8首目、急に子がいなくなってしまうような不安を感じたのだろう。「しほさゐ」は幻の音かもしれない。
9首目、花びらを一心に見ている姿が、どこか遠い人のように思われる。
10首目、作者の実家は煙草屋。下句の大人ぶらない感じがいい。
作者と私は同じ1970年生まれ。会社を辞めて自分で出版社(六花書林)を立ち上げて十数年になる。仕事の苦労や中年男性の哀感の滲む歌が多く、身に沁みた。
アコースティックギター爪弾く街角の少女は髪に六花(りくくわ)をまとひ
「六花」(りっか)とは雪のこと。美しい光景であると同時に六花書林へのエールでもある一首だろう。
2017年12月15日、いりの舎、2500円。
2017年12月25日
毎日新聞校閲グループ著 『校閲記者の目』
副題は「あらゆるミスを見逃さないプロの技術」。
「舟を編む」が映画になったり「校閲ガール」がテレビドラマになったりと、最近言葉に関する興味が高まっているように感じる。
本書は毎日新聞の校閲グループのメンバーがWEB「毎日ことば」やTwitterで発信した内容を書籍化したもの。よく売れているようで3か月で5刷となっている。
最初にダミー紙面を使った練習問題があるのだが、これが難しい。半分も見つけられなかった。間違い探しのクイズと違って、間違いが何か所あるかもわからない世界。
たとえ、99カ所直すことができても、一生懸命調べて大きな誤りを直したとしても、たった1カ所見逃して、たった1カ所誤りかおかしな表現が紙面化され、それが読者の目に触れることになれば……それは99点ではなく、0点です。
例として挙がっている誤りは
×建国記念日→〇建国記念の日
×2017年のえと「酉」の置物→〇2017年のえと「酉」にちなんだ置物
×万歩計→〇歩数計
などなど。
最後に「現役校閲記者の短歌」として、澤村斉美さんの歌集『galley(ガレー)』の歌が紹介されている。
遺は死より若干の人らしさありといふ意見がありて「遺体」と記す
人の死を伝へる記事に朱を入れる仕事 くるくるペンを回して
死者の数を知りて死体を知らぬ日々ガラスの内で校正つづく
校閲記者の仕事の大変さとやりがいが、よく伝わってくる一冊であった。
2017年9月5日第1刷、2017年12月10日第5刷。
毎日新聞出版、1400円。
2017年12月24日
川野里子歌集 『硝子の島』
2010年から2016年までの作品を収めた第5歌集。
太平洋といふ海ぬつとあらはれぬ嘉永六年黒船の背後
老い老いて次第に軽くなる母が一反木綿となりて覆ひ来
あの一機いまに飛ぶべし拍動のおほきくなりゆく飛行機があり
滑り台、ぶらんこ、砂場 一日(ひとひ)かけ老人見てをり形見のやうに
ブロンズ像にされし河童は不安なり細き手足をつぶさに晒し
コンビニの光につよく照らされて殺菌処理され夫出でて来ぬ
露草の青失せやすく空の色抜けながら女たたずむ浮世絵
湯治場に兎飼はれてをりしこと癒やしのやうに行き止まりのやうに
入居者様「様」をもらひて母がゆくリノリウムの照りながき廊下を
家族なりし時間よりながき時かけてひとつの家族ほろびゆくなり
1首目、ペリー来航によって初めて意識された太平洋という海。
2首目、ゆらゆらと空を飛ぶ妖怪。身体は軽いが気持ちの上では重い。
3首目、エンジンの唸りが次第に高くなってゆくのを擬人化して詠んだ歌。
4首目、「形見のやうに」は、見納めのようにという感じだろう。
5首目、普段は水中に潜んでいる生き物なので、全身をさらしていると落ち着かないのだ。
6首目、「殺菌処理」がおもしろい。コンビニの明るさがうまく描かれている。
7首目、春信の浮世絵には露草から取られた青色が使われていた。
8首目、元気になって復帰する人もいれば、もう治らず終点となる人もいる。
9首目、施設に入居した母の後ろ姿を見送っているところ。
10首目、家族であった時間は20年くらい。その後の時間の方が長い。
川野の歌は日常身辺のことにとどまらず、社会や世界に向かっていくところに特徴がある。でも、読んで心ひかれるのは年老いた母を詠んだ歌が多い。
2017年11月10日、短歌研究社、2800円。
2017年12月23日
落花生と息子
夕食後に殻付きの落花生を食べていると、横から息子が覗き込んで「一つ、ちょうだい」と言う。殻を割ったのをあげると、パクっと食べて「けっこうウマいな」と言う。
息子「柿ピーのピーみたいだな」
私 「ピーナッツのこと?」
息子「そう、これピーナッツに似てるわ」
私 「似てるって、落花生だもん。ピーナッツだよ」
息子「えっ?」
私 「えっ?」
息子「落花生ってピーナッツなの?」
私 「当り前じゃん」
息子「マジ?」
私 「マジ」
息子「落花生ってピーナッツだったの!」
私 「知らなかったの?」
息子「うわー、ありえねえー」
私 「何が?」
息子「落花生がピーナッツって、猫が犬がみたいなもんじゃん」
私 「??」
息子「猫ってのは犬の小さな時期の呼び方だよって言われた気分」
高校1年の息子との会話は、いつもスリリングだ。
プレ大掃除
週末を利用したプレ大掃除として、本の部屋の短歌雑誌を整理する。総合誌を5誌(角川短歌、短歌研究、歌壇、短歌往来、現代短歌)定期購読しているので、あっと言う間に本棚から溢れてしまう。
とりあえず、前回整理して以降の9年分、約500冊をダンボール箱に詰めて、妻の実家へ運ぶことにする。箱詰めだけでも大変だが、それを車に載せて、運搬して、車から降ろして二階へ持って上がるという作業になるので、ほぼ一日がかりである。
あわせて、「塔」のダブっている分(夫婦で会員なので)約50冊、お歳暮でもらったビール、借りていたタッパーなども運ぶ。
今日は天気が良くて何より。
2017年12月22日
佐藤雅彦著 『新しい分かり方』
NHK教育テレビの「ピタゴラスイッチ」を息子と見ていてすっかり好きになって以来、佐藤雅彦の活動に注目してきた。今回の本は
この書籍には、「こんなことが自分には分かるんだ」とか「人間はこんな分かり方をしてしまうのか」というようなことを分かるための機会をたくさん入れようと構想しました。
というもので、全部で60の作品と6篇のエッセイが収められている。
ものごとの理解の仕方や伝え方、コミュニケーションのあり方など、様々なことを考えさせられる内容で、実に刺激的な一冊である。この本自体が、「分かること」「伝えること」の格好の実例になっていると言ってもいいかもしれない。
「わかる歌」「わからない歌」といった議論が繰り返される短歌の世界にとっても、ヒントになることがたくさん書いてあると思う。
2017年9月25日、中央公論新社、1900円。
2017年12月21日
歌会行脚
京都の歌会以外に、「塔」のあちこちの歌会に参加することがよくある。
試しに今年4月から来年3月までの一年間を見てみると
4月 横浜
5月 北陸(富山)
6月 北海道
8月 郡山(全国大会)
9月 岡山
10月 東海(名古屋)
12月 滋賀
1月 和歌山
2月 横浜
3月 宮崎、鹿児島
となっていて、北海道から九州まで、全国各地の歌会に参加している。
普段参加している歌会も楽しいが、初めて参加する歌会や久しぶりに参加する歌会も、緊張感や刺激があって楽しい。
2017年12月20日
山田富士郎歌集 『商品とゆめ』
第2歌集『羚羊譚』以来、実に17年ぶりの第3歌集。
たちまちに雨は湖面をわたりきてわれわれはただ一度だけ死ぬ
一族の写真のなかに農耕馬うつり鼻面なでられてをり
渡り鳥のごとく消えたりホテルセブン・エイトの老いたるフロントマンは
荒波のよせたる芥にひろひたる胡桃いづくの谷にか落ちし
桜咲きひゆるゆふべの窓ちかく小鳥のこゑは銀貨をちらす
円いポストの底にしやがんでゐる子供子供のころは空想せりき
山かげの火薬庫あとにであひたるかもしかわかくおそれをしらず
伝良寛筆の書わがいへに伝はれり正しくはわが家にもつたはる
飲みのこす珈琲ぱさと河にすて似顔絵書きは絵筆とりたり
桐の樹のかたへに立てる十分はあたたかし朴との十分よりも
1首目、上句の光景と下句の感慨の取り合わせ。誰にでも一度きりの死がやって来る。
2首目、古い写真を見ているのだろう。馬も家族の一員なのだ。
3首目、場末の古びたホテルをイメージして読んだ。映画の一場面のよう。
4首目、山→谷→川→海→浜という長い旅路に思いを馳せている。
5首目、花冷えの時期の小鳥の美しいさえずり。「銀貨をちらす」がいい。
6首目、ちょうどそれくらいの大きさということか。面白い空想。
7首目、下句のひらがな表記が印象的。恐れを知らない若さは人間も同じか。
8首目、良寛の書と言われるものが無数にあるのだ。もちろん本物はほんの一握り。
9首目、お客さんが来たので仕事に取り掛かるところか。「ぱさと」がいい。
10首目、桐と朴の雰囲気の違い。河野裕子さんの〈傍に居て 男のからだは暖かい見た目よりはずつと桐の木〉を思い出した。
作者は新潟県新発田市在住。新発田は作者の故郷かと思っていたのだが、そうではなかった。あとがきに
三十年前にUターンして住みついたのは郷里の新潟市ではなく、東へ三十キロほどの新発田市である。近いといえば近いが、二つの町はいろいろと違う。
とある。自らの住む土地に対する愛憎半ばする思いは、この歌集の大事なテーマと言っていい。
2017年11月15日、砂子屋書房、3000円。
2017年12月19日
カルチャーセンター
大阪、芦屋、京都でカルチャー講座を担当しています。
短歌に興味のある方は、どうぞご参加下さい。
◎毎日文化センター梅田教室 06−6346−8700
「短歌実作」 毎月第2土曜日
A組 10:30〜12:30
B組 13:00〜15:00
*奇数月を松村が担当しています。
◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
「はじめてよむ短歌」
毎月第1金曜日 10:30〜12:30
◎朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
「短歌実作(A)」 毎月第3金曜日 11:00〜13:00
「短歌実作(B)」 毎月第3金曜日 13:30〜15:30
*偶数月を松村が担当しています。
◎JEUGIAカルチャーセンターイオンタウン豊中緑丘 06−4865−3530
「はじめての短歌」
毎月第3月曜日 13:00〜15:00
◎JEUGIAカルチャーセンター京都 de Basic. 075−254−2835
「はじめての短歌」
毎月第3水曜日 10:00〜12:00
◎JEUGIAカルチャーセンターMOMOテラス 075−623−5371
「はじめての短歌」
毎月第1火曜日 10:30〜12:30
◎醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
「初めてでも大丈夫 短歌教室」
毎月第2月曜日 13:00〜15:00
2017年12月18日
ジブリの立体建造物展
あべのハルカス美術館で開催中の「ジブリの立体建造物展」へ。
「風の谷のナウシカ」から「思い出のマーニー」まで約20作品の制作資料約450点が展示されている。中でも、「魔女の宅急便」のグーチョキパン店や「千と千尋の神隠し」の油屋、「となりのトトロ」のサツキとメイの家、「天空の城ラピュタ」のスラッグ渓谷の鉱山などの立体模型は見応えがある。
美術館に行って初めて知ったのだが、この展覧会は藤森照信氏が監修をしていて、建築史的観点から詳しい解説を加えている。ジブリ好きで藤森ファンでもある私にとっては非常に嬉しい内容であった。
アニメは二次元の世界であるが、三次元の立体になっても齟齬を来たすことがないように、細かな点にまで隠れた配慮が行き届いている。そのことに改めて感心した。
アニメの世界は“虚構”の世界だが、その中心にあるのは“リアリズム”であらねばならないと私は思っている。 /宮崎駿
刺激的な演出ではなく人々の日常の暮らしの中にこそ、発見に値するものがある。 /高畑勲
2017年12月16日
「六花」vol.2 の続き
大松達知さんが「見せ消ちの光―『風のおとうと』を例に」という文章を書いている。短歌に出てくる否定表現をもとに『風のおとうと』を分析したもので、短歌全般に通じるすぐれた内容となっている。
歌集を読むことには、点滅する幻の光をつぎつぎに追うような感覚がある。現実の生活とは異なる定型のリズムに一瞬入り込み、すぐに出る。そしてまた次の歌のリズムに入り、すぐに出てゆく。その繰り返し。直前の光の残像はありながら、一瞬一瞬、消えてまた灯る光を見つづけるのが歌集の読み方だろう。
短歌における否定表現については、永田さんの見せ消ち理論(?)のほかに、真中さんの歌からもだいぶ学んだように思う。
前号に続いて僕も文章を書いている。タイトルは「狂歌から短歌へ」。
短歌史を考える際には、「和歌から短歌」という一本の流れだけでなく、「狂歌から短歌」というもう一つの流れを視野に入れておく必要がある。
というのが結論。文中にも引いているが、これは安田純生さんと吉岡生夫さんの文章や講演から学んだ部分が多い。特に口語短歌の歴史を考える際に、狂歌は無視できない存在だろうと思っている。
2017年12月14日
「六花」vol.2
「とっておきの詩歌」というテーマで歌人・俳人20名が文章を寄せている。いずれも書き手の熱意が伝わってくる文章ばかりで、読み応えがある。時流に全く乗っていない感じがまたいい。
取り上げられている詩歌をいくつかご紹介しよう。
いづくにか潜みてゐたるわれの泡からだ沈むるときに離れ来
二宮冬鳥
雪原と柱時計が暮れはじむ 松村禎三
白に就て
松林の中には魚の骨が落ちてゐる
(私はそれを三度も見たことがある)
尾形亀之助
ふれあえば消えてしまうと思うほどつがいの蝶のもつれて淡し
筒井富栄
編集後記によれば、六花書林は創業十二周年を迎えて十三年目に入ったと言う。「創業の直前に生まれた子が来春には小学校を卒業する」とあって、しみじみとした気分になった。
2017年12月5日、六花書林、700円。
吉田勝次著 『素晴らしき洞窟探検の世界』
洞窟探検家として国内外1000以上の洞窟に入ってきた著者が、洞窟探検の方法や魅力について記した本。
岐阜県の霧穴、沖永良部島の銀水洞、ハワイのカズムラ洞窟、イランの3N洞窟、オーストリアのアイスコーゲル洞窟、メキシコのゴロンドリナス洞窟、ヴェトナムのソンドン洞窟、中国の万丈坑など、形も種類も大きさも様々な洞窟が紹介されている。
怖がりで高い所も狭い所も苦手と言う著者であるが、まだ誰も足を踏み入れたことのない世界を見たいという一心で洞窟探検にのめり込む。探検は冒険とは違う。慎重に準備をして、訓練や装備にも万全を期す。それでも予期せぬ危険や絶体絶命のピンチに遭遇することがしばしばあり、それが本書の読みどころともなっている。
「洞窟探検を、死ぬまでずっと続けたい」という言葉を読むと、人生には本当に好きなことが一つあれば十分なのだということがよくわかる。
2017年10月10日、ちくま新書、920円。
2017年12月13日
松村正直歌集『風のおとうと』を読む会
(前回のご案内の際に申込先のメールアドレスに不備があり、送信エラーになるとのご指摘をいただきました。すみません。修正しました。)
==============================
松村正直の第4歌集『風のおとうと』(六花書林)を読む会を、来年2月3日(土)に東京で行います。
15年前に第1歌集『駅へ』の批評会を真中朋久さんの『雨裂』と合同で開いて以来、歌集の批評会などは行ってきませんでしたが、今回思うところあって自分で開催することにしました。『風のおとうと』について話したい、聴きたい、語り合いたいという方は、ぜひご参加下さい。
パネラーは立てず、数名の方に15分程度のレポートを行っていただき、その後は全員で自由にディスカッションという流れを予定しています。会場の玉川学園は私が20歳まで暮らした故郷の町です。どなたでもお気軽にお越し下さい。
日時 2018年2月3日(土)13:30〜17:00(13時開場)
場所 玉川学園コミュニティセンター 第2・第3会議室
*小田急線「玉川学園前」駅から徒歩2分
会費 500円(レポーターを担当して下さる方は無料)
申込み 松村正直まで メール masanao-m@m7.dion.ne.jp
定員(約30名)に達しましたら、申込みを締め切らせていただきます。レポーターも募集しておりますので、参加申込みの際にお知らせ下さい。
皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。
2017年12月12日
作品発表の数
今年は短歌総合誌からの原稿依頼が多く、作品257首、時評19本、書評9本、評論3篇などを発表した。他にも「塔」や歌会に出した歌もあるので、1年で360首くらい発表したことになる。
これまでの作品発表の数(総合誌等からの依頼分)を見てみると
2009年 19首
2010年 67首
2011年 25首
2012年 10首
2013年 30首
2014年 55首
2015年 135首
2016年 127首
2017年 257首
となっている。文章の依頼ばかりで作品の依頼がほとんど来なかった時期が長く、2012年などわずかに連作一つを発表しただけである。その頃に詠んでいた歌は『風のおとうと』に入っているが、特にレベルが低かったわけではないと思う。たまたま(?)原稿依頼が来なかっただけのことだ。
だから、他人から認められようが認められまいが、諦めず、腐らず、こつこつと詠み続けていくしかない。短歌を始めて20年になるが、そのことを一番強く感じている。
2017年12月11日
鶴田伊津歌集 『夜のボート』
2007年から2017年までの作品366首を収めた第2歌集。
2歳から12歳へと成長していく子を詠んだ歌が多い。
渡されし安全ピンの安全をはかりつつ子の胸にとめたり
一通り叱りし後も止められず怒りは昨日の子にまで及ぶ
子のなかにちいさな鈴が鳴りているわたしが叱るたびに鳴りたり
子を叱りきみに怒りてまだ足りず鰯の頭とん、と落とせり
七年を過ごしし部屋を去らんとす床の二箇所の傷を埋めて
些細なる嘘ほど人を苛立たすこと知らぬがに重ぬるひとは
福砂屋のカステラ届くしっとりと刃を受け止めるカステラ届く
旅人算ノートに途中まで解かれ地球のどこかが凍えておりぬ
思いやりその「やり」にある鈍感をくだいてくだいてトイレに流す
ゆびさきのよろこびゆびはくりかえし味わうポン・デ・リングちぎりて
1首目、子の胸に名札を付けているのだろう。服に刺す時はけっこう気を遣う。
2首目、前日の出来事にも怒りの矛先が向かう。「昨日の子にまで」がいい。
3首目、子を叱る時の親の痛み。叱りつけた後にはいつも後悔するのだろう。
4首目、下句に怒りの余韻が漂っていて、何とも怖い。
5首目、「七年」「二箇所」という具体の良さ。荷物を運び出した部屋から、生活の痕跡が消えていく。
6首目、些細な嘘は罪がないと思うのは嘘をつく方の理屈であって、聞く方はそうではないのだ。
7首目、カステラの名店「福砂屋」。「カステラ届く」の繰り返しに高級感がある。
8首目、問題の中の旅人は、きっとどこかに行方不明になっているのだろう。
9首目、「思いやり」という言葉に、他人事のような感じや上から目線な態度を感じ取ったのだと思う。
10首目、8つの玉がつながったような形状をしているドーナツ。それをちぎりながら食べる楽しさ。
2017年12月15日、六花書林、2400円。
2017年12月09日
松村正直歌集 『風のおとうと』 を読む会
松村正直の第4歌集『風のおとうと』(六花書林)を読む会を、来年2月3日(土)に東京で行います。
15年前に第1歌集『駅へ』の批評会を真中朋久さんの『雨裂』と合同で開いて以来、歌集の批評会などは行ってきませんでしたが、今回思うところあって自分で開催することにしました。『風のおとうと』について話したい、聴きたい、語り合いたいという方は、ぜひご参加下さい。
パネラーは立てず、数名の方に15分程度のレポートを行っていただき、その後は全員で自由にディスカッションという流れを予定しています。会場の玉川学園は私が20歳まで暮らした故郷の町です。どなたでもお気軽にお越し下さい。
日時 2018年2月3日(土)13:30〜17:00(13時開場)
場所 玉川学園コミュニティセンター 第2・第3会議室
*小田急線「玉川学園前」駅から徒歩2分
会費 500円(レポーターを担当して下さる方は無料)
申込み 松村正直まで メール masanao-m@m7.dion.ne.jp
定員(約30名)に達しましたら、申込みを締め切らせていただきます。レポーターも募集しておりますので、参加申込みの際にお知らせ下さい。
皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。
2017年12月08日
「黒日傘」第8号
高島裕さんの個人誌。
特集は「父」、ゲストは岡井隆。
毎回テーマとゲストの選びがいい。
小さきひとの足持ち上げて尻を拭く。この喜びはいづくより湧く
哺乳瓶の剛(つよ)さを深く信じつつ熱湯注ぎ氷に浸ける
高島裕「百日の空」
「この春に長女が生まれた」という作者の子育ての歌。第1歌集『旧制度(アンシャン・レジーム』(1999年)から読み続けているので、読者としても感慨深いものがある。1首目はおむつを替えているところ。「小さきひと」がいい。2首目は粉ミルクを作りながら哺乳瓶の耐久性に注目しているのが面白い。
茂吉歌集に父が書き入れし言(こと)の葉(は)をさむき雨降る夕ぐれに
読む
傷がないのに痛いつてことがある。父は居ないのに日向(ひなた)だけ
ある 岡井隆「父、三十首」
1首目、岡井の父は斎藤茂吉門下の歌人であった。その父の書いた文字を読みながらもの思いに耽っている。2首目、亡くなった後も父の存在感がどこかに残り続けているのだ。
昭和六十二年製造の天ぷら粉、母の冷蔵庫の隅にひそみゐき
川のやうになりて危険さへ覚ゆるに古書研究会のアナウンス長閑
(のどか) 高島裕「甲午拾遺」
1首目、施設に入った母の家で見つけた天ぷら粉。「昭和六十二年」と言えば今から30年も前だ。2首目は大雨となった京都の古本まつりの光景。何となく古書店ならではという感じがする。
2017年11月30日、TOY、600円。
2017年12月07日
「柊と南天」第0号
「塔」の昭和48年〜49年生まれの会員5名による同人誌。
でもたぶんぽかんと明るいこの窓が失うことにもっとも近い
山里に蛙の声をききながら夜の広さを確かめている
乙部真実
1首目、明るさと喪失感はどこか通じ合うものがある。「でも」という入り方と平仮名の多さが印象的。2首目、あちこちから聞こえる蛙の鳴き声に空間の広がりを感じている。
くさむらに足踏みいればぬかるみはきのうの雨をあふれさせたり
中田明子
「きのうの雨」という表現がいい。ぬかるみから滲み出る水は、作者の心にある何かの感情のようでもある。
芽キャベツのひとつひとつを湯に落としつつさよならを受け入れてゆく
池田行謙
芽キャベツを茎からもいで湯がいているところ。「落とし/つつ」の句跨りに、自分を納得させるまでの逡巡が滲む。
画のなかの森の小道の明るさよ秋になりても実をつけぬ森
画のなかの風を感じて吾が身体(からだ)粗き点描にほどけてゆけり
加茂直樹
絵の中の世界と現実の世界が交錯する歌。1首目、「実をつけぬ」と言うことによって、反対に実を付けるイメージが立ち上がる。2首目、絵を見ているうちに私が絵の一部になっていくような感覚。
健闘と呼ばるる勝ちはなしひたひたと蛇口を落つる水滴の冴ゆ
永田 淳
「健闘」は、負けたけどよく頑張ったという時に使う言葉。でも、負けは負けなので素直には喜べない複雑な感じがするのだろう。
淳さんが「創刊の辞」に
一九七〇年生まれの塔会員、つまり松村正直、荻原伸、梶原さい子、芦田美香がやたらと仲良しイメージを演出していることに対抗したかった
と書いている。
いえいえ、そんなことはないですって。(笑)
2017年12月06日
映画「探偵はBARにいる3」
監督:吉田照幸、原作:東直己、脚本:古沢良太。
出演:大泉洋、松田龍平、北川景子、リリー・フランキー、前田敦子ほか。
札幌の歓楽街ススキノを舞台にしたシリーズの3作目。
探偵と相棒の軽妙なやり取りや追手との乱闘シーン、北海道の雪景色など、前2作に続いて楽しめる内容であった。
2011年、2013年、2017年と続いたこのシリーズ。
4作目も作られるのだろうか。期待したい。
Tジョイ京都、122分。
2017年12月04日
補足情報
一昨日のクロストーク「絵画と短歌」では絵画を詠んだ自作の歌についても話をしたのだが、僕が絵を詠んだ歌が他にもあるのを参加者の方が見つけて下さった。
手の指にも足の指にも表情があること、しろく横たわる裸婦
その画家のそばにはいつも猫がいて気が向けば入る絵の中にまで
「塔」2016年11月号
兵庫県立美術館で「藤田嗣治展 東と西を結ぶ絵画」を見に行った時の歌である。
http://matsutanka.seesaa.net/article/440777913.html
また、昨日の鼎談「佐藤佐太郎の歌の魅力」の中で、尾崎左永子さんが
箱根なる強羅公園にみとめたる菊科の花いはば無害先端技術(昭60)
佐藤佐太郎『黄月』
を引いて「茂吉の歌を踏まえている」とおっしゃっていたのだが、今日それを見つけた。
大石のうへに草生ふるころとなり菊科の花が一つにほへる
斎藤茂吉『つきかげ』
昭和24年、茂吉67歳の歌である。
この歌は佐太郎の『茂吉秀歌 下巻』にも取り上げられている。
これも箱根の作。強羅公園などで大きな石を見ているのだろう。石のひだのようなところに土がたまり、そこに草が生え、夏も末になって花が咲きはじめたところである。状景が簡素であり、歌も簡素である。花は野菊などだろうと思うが、それを「菊科の花が一つにほへる」といったのがいい。(以下略)
なるほど、「菊科の花」という言い方はここから取られているのだ。
佐太郎の歌は昭和60年、75歳の時のもの。
茂吉は死の4年前、佐太郎は死の2年前。
いずれも最晩年の作である。
2017年12月03日
御礼
昨日は大阪で吉川宏志さんとクロストーク「絵画と短歌」、今日は京都で尾崎左永子さんを招いて現代歌人集会秋季大会でした。
ご来場くださった皆さん、ありがとうございました。
多くの方とお話しできて楽しい二日間でした。