原発事故、特定秘密保護法、集団的自衛権、沖縄の基地問題など、時代の変化に危機感を持って積極的に行動し、歌にも詠んでいる。
磔刑の縦長の絵を覆いたるガラスに顔はしろく映りぬ
陽と月の交合のあと目くらみてどくだみの咲く路をあゆめり
ヘッドライトに照らし出されて赤黒く立ち上がりたり曼珠沙華の花
読み終えし本は水面(みなも)のしずけさのもうすこしだけ机に置かむ
石段の深きところは濡らさずに雨は過ぎたり夕山の雨
春雨は広場のなかに吹き入りて吹奏楽の金銀ぬらす
ほほえみが顔となりつつ原発の案内をする若き女人は
ときどきは白き狐の貌をするむすめが千円くださいと言う
よく見てほしいと言う人がそばにいて泥の覆える家跡を見る
破られてまたつながれて展示さるる手紙に淡き恋は残りぬ
まずは前半から。
1首目、「縦長の」がいい。キリストの磔刑図は構図的にやはり縦長になることが多いのだろう。
2首目は日蝕の歌。空を見上げていた目を転じて、薄暗い路地を歩いて行く。
3首目、花自体はもちろん動かないのだが、ライトに照らされてあたかも立ち上がるように目に入ってくる。
4首目、読書を終えてしばらく余韻にひたりたい気分。
5首目、石段の段の奥の方は濡れなかったのだ。夕方にさっと降った雨の感じがよく出ている。
6首目、普通だったら「楽器をぬらす」とするところ。「金銀」としたことでフルートやトロンボーンのきらめきが見えてくる。
7首目、原発のPR館のようなところだろう。顔が先にあるのではなく、ほほえみが先にあるのだ。
8首目、男親にとっての娘は謎に満ちている。民話の一場面のようでもある。
9首目、東日本大震災の津波被害の跡。そばにいるのはおそらく地元の方。しっかり見なくてはいけないという苦しさも感じる。
10首目、長塚節の生家を訪れた際の歌。一度は破り捨てた手紙だったのだろう。背後の物語を感じさせる。
2016年8月1日、本阿弥書店、2700円。