ベランダで育てている朝顔が、今年初めて咲いた。
朝起きて花を見るのは、なかなかいいものだ。
今日で6月も終わり。
今年も半分が過ぎることになる。
しっぽといえども背骨に連なる骨がある。一見、すぱすぱと簡単に切っているように見えるが、刃を入れる場所を数ミリでも間違えれば、絶対(!)切れないのであった。
豚のおちんちんは股の間ではなくて、お腹の真ん中近くにある。食用の豚は、柔らかく味良くするために去勢してあるため、タマはないし、おちんちんもまるで出ベソみたいだ。
どこのイスラム国でも、都市部は肉屋が家庭に呼ばれて肉を捌くのが一般的だ。この日の肉屋は、まるでお盆の坊さんのように各家庭をはしごして回り、屠畜料をもらう。
見学したのは、テキサスの4大ランチのひとつ、ピッチフォークランチ。17万エーカー(687.9平方キロメートル)の面積を誇る。山手線の内側約11個分だ。
母校という言葉が嫌いだと言えば子を産んでいないからだと言わる
白水麻衣
「電話にて弱気を叱る」病状を解らず書きしわれの字を見る
安永 明
ルビ多き『阿部一族』はエアコンの風量〈しずか〉に切り替えて読む
中澤百合子
夫をらぬ夜に柿ピーの柿ばかり残りゆくなり黄金(こがね)の色の
広瀬明子
本といふ字が真ん中できつぱりと割れて書店の自動ドア開く
清水良郎
イソップの北風でなく太陽になればと娘(こ)にいふ なれない我が
一宮雅子
息継ぎが上手くできないわたくしは春の光の中で溺れる
中山悦子
きれいごと言ふ人苦手さはあれど我の折々言ふきれいごと
岩野伸子
マスクしてマスクの医者に診てもらふどちらも言語不明瞭なり
上田善朗
毀しゆく明治の煉瓦そのなかの「五百枚目」の墨書きに遭ふ
尾形 貢
人形に餡は充ちたり断面があらわれるとき見つめてしまう
相原かろ
風貌を問われナミヘイさんと言い いや良い人と付け加えたり
澁谷義人
金色のオイルの瓶に子鰯の死につつ並び光をかへす
村田弘子
花の名をわれよりも知る父となり男岳に立ちて女岳をほめる
山下裕美
国民生活
九つのわが女(め)の童(わらは)、その母に語るをきけば、第一に尊きものは、かしこしや天皇陛下、第二には神蔵(かみくら)校長、第三は亀岡先生、第四はといひたゆたひつ、護国寺の交番の巡査、第五には我家(わぎへ)の父か、何とはなけれど。
素朴なるよろこび
正月の三(み)日といふ今日(けふ)、三人子(みたりご)を連れて家いで、神楽坂(かぐらざか)の洋食屋にて、いささかの物を食はしぬ、十八となれる兄の子、大人(おとな)びてフオークを執れば、八つとなれる末(をと)の暴(あば)れ子、取り澄まし顔よごし食ひ、十三となれる中の子、少女(をとめ)さびナイフ扱ふ、さりげなくそを見つつ食ふ、この肉の味のうまさよ、うまきやと問へばうなづく、三人子(みたりご)におのづと笑まれ、マチ摺(す)りてつくる煙草(たばこ)の、ほのかにも口にしかをる、いざ行きてまじりはすべし、今日(けふ)の大路(おほぢ)に。
継子(ままこ)なる我ら四人が引き取らぬ母なり老いて家を去りたり
縁(えにし)ありて母となりたる人のまだ熱(ほめ)く胸骨を箸もてつまむ
絶筆にあれども読めぬ 麻痺の手に父が書きたる葉書一葉
古九谷の皿の中ゆく赤き雉三百年経てまだ皿を出ず
スモーキングエリアの中のうすけむり透かして耳のいくひらが見ゆ
黙祷をするは人間のみにして蟬は鳴き継ぐその一分を
夜のうちに遥かな海を航海し夜明けに庭に戻る紫陽花
工事場の囲いに細き隙間あり子供と犬は必ず覗く
背中より腕より椅子より幼な子はずり落ちやすし秋の一日(ひとひ)を
流れゆく霧にわが身は冷えながら屋嶋の城の石垣に寄る
もしかして我でありたるかも知れず砂漠で頸を刎ねられたるは
さはあれど刎ねられたるはわが頸にあらねば朝の味噌汁啜る
一秒前の姿を示す月面の光に揺らぐビーカーの水
採卵鶏のケージのごとし教師らが職員室に昼飯を喰う
五限目のチャイムが鳴って作業着の少女の群れが日を浴びている
魚屋の魚はいまだ新鮮で商う人が年を経ている
まひるまの家に白菜きざむ音 見知らぬ女が母だと名乗る
キッチンにセルリの青き匂いして君を待つ夜にスープ煮ており
公園の遊具の一つの新幹線動くことなく春雨のなか
アントシアン色素を含む葉を刻み夕餉の皿に乗せて並べつ
山峡を列車とろとろ進み行き化粧を直す女を運ぶ
鳥類に産まれることもできたのだ我が子の背なの産毛に触れる
獣肉はスーパーで売っている肉とは完全に別物だ。畜産肉は飼育期間が短く若いうちに処理される。
それに比べると野生肉は(・・・)雌雄、年齢による個体差は大きく、それが肉質に影響するのだ。いつどこで買っても差のないスーパーの肉とはここが決定的に違うのである。
ジビエ料理の背景には物語があると私は思っている。肉となった獣それぞれの人生(獣生?)、それを仕留めた猟師、そして料理をした人の哲学が混ざり合うのがジビエ料理ではないだろうか。
夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで
仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』
昭和5年、大阪の北新地に、女給とキスができる接吻カフェ「ベニア」が登場。たちまち大評判になり、雨後のタケノコのように次々と同種の店が誕生した。
自転車の製造は、フレーム部など鉄砲と共通する技術が多かった。そのため、鉄砲鍛冶たちは自転車が普及しはじめると、まず修理業をはじめ、そのうち自ら自転車を製造するようになったのである。
松坂屋は関東大震災の復興を機に、畳敷きの売り場をやめて、土足のまま入ることのできるフロアに改装したのである。それまでの日本のデパートや小売店は、玄関先で履物を脱ぎ、中に入ることになっていた。
国境を越えて放射性物質がやってくる冬、耳をすませば
学校で習わぬ単位、シーベルト、ラド、レム、グレイ、キュリー、レントゲン
流れざる北上川の水のなか燃料棒は神のごと立つ
原発から二十キロ弱のわが家かな帰りきて灯を消して眠りにつけり
放射能汚染のリスクについて、自分の中にある基準をうまく説明できなくて、両親とこの問題について話すことはありません。私がいちばん深刻に考えている問題について、夫や両親とさえ対話することが難しい状況にあると思っています。
捨つべしとある日は思ふ われが見捨てられるかもしれない東北を
『東北』
許可車両のみの高速道路からわれが捨ててゆく東北を見つ
『トリサンナイタ』
当用漢字という制度は、一つの思想であった。漢字を制限し、日本語を一般民衆にとって覚えやすく使いやすいものに作り変えていくことは、民主主義のために必要だ、という思想である。
「当用漢字字体表」は、たしかに漢字の字体の基準を示している。その基準が、極端に厳密に求められるようになったのである。それは、漢字に関する「基準を求める心」が、受験戦争と結び付いた結果であった。
教育の平等が行きわたれば行きわたるほど、当用漢字の存在価値は、軽くなっていく。(・・・)その結果、あらわになってくるのは、自己表現の手段としての漢字の自由の拡大である。
「病む人のこころはわからぬものだから」誰の上(かみ)の句ひよんと口出づ 小池光 『思川の岸辺』
病む心はついに判らぬものだからただ置きて去る冬の花束
岡井隆 『斉唱』
〈二人のひとを愛してしまへり〉の上の句はなんだつたつけ 新雪を踏む 大口玲子 『ひたかみ』
陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり
河野裕子 『森のやうに獣のやうに』
東京から中央高速道を走り、大月ジャンクションを経て河口湖方面に向かうと、都留市を通るあたりで、天候に恵まれればフロント・ウィンドウ正面前方に富士山がその姿を現す。
道の角度のせいか、山の姿が唐突に視界に登場する光景に対する驚きは、繰り返しこの道を往復していても慣れて薄れることがない。裾野が雲に覆われていても予想を超えた高いところに頂きがあって、雲間に顔を出していることがある。
しばらく時間が経てば自体は平穏を取り戻し、社会は結局、何も変わらなかった。
現実を前にして私たちは物語、つまり出来事を解釈する枠組みを求める。世界を、ただ事実の偶然の連なりとしてではなく、意味の連関を持った統一体として見たい、そんな欲望は抗いがたい。それは世界をひとつの「風景」として見ようとする欲望に通じる。
アスペクトの表現には、表現者である話し手がその事態をどのように観察しているかということが反映される。
テンスは、非過去形と過去形という述語の形態によって表し分けられるので、非過去形・過去形の対立をもたない述語には、テンスがない。
動き動詞の非過去形には、目の前で展開している動きを観察して述べる用法がある。
過去形を用いると、話し手が何らかの形で直接体験したようなニュアンスが生じるのに対し、非過去形にはそのようなニュアンスはないという違いがある。
否定文は、現象をそのまま述べる文よりも、話し手の判断を述べる文で用いられやすい。
どの婦人も耳が一つで口二つありて姦し昼の車内は
一人なる夕餉を終へて俎板の使はなかつた裏も洗へり
漱石といふ宝石がてのひらに在る思ひして「文鳥」読めり
ケースワーカー、ケアマネージャー、ホームヘルパー会ふこともなし妻逝きてより
桜島山体膨張説あれどふもとに実るデコポンうまし
見ることのありて触れたることのなき虹、さるをがせ、白き耳たぶ
女人らの髪はたはたす地下鉄がトンネルの丸き空気押し来て
国々に酒(しゆ)と肴(かう)ありて白ワイン旨からしむるにしんのマリネ
三十で被爆し〈原爆ドーム〉として立ち続け今年百歳の翁(をう)
富有柿手に持ちがたきほど熟れて頽(くづ)るるを口で啜りつつ食ふ
平成も四半世紀を過ぎたぞな国ぢゆう須藤真帆が行くぞな