2016年01月31日

森井マスミ歌集 『まるで世界の終りみたいな』


2009年から2014年までの作品395首を収めた第2歌集。

絵画、演劇、小説、映画などを踏まえて詠まれた意欲的な連作が多い。また、イラク日本人外交官射殺事件、インドのバス集団強姦事件、岡崎市の冷凍乳児遺体遺棄事件などに取材した時事詠・社会詠も多い。

悪夢なら覚めればよいが 現実と夢の境を漏れ出す汚染水
死はいづれやつてくるバスのやうなもの 待つひとのないバスはからつぽ
老婆のうちに、少女は眠る 時折は、少女が目覚め老婆眠れり
もはや神はひとを裁かぬ 自動式洗浄トイレに水は渦巻く
減るだけの時間の嵩に身を寄せて ひとは逆さにできぬ砂時計

1首目、福島第一原発の汚染水。とめどなく漏れ続ける汚染水をどうすることもできない。
2首目、「からつぽ」という言葉の空虚感。いつやって来るかはわからない。
3首目、夢の中で少女の頃に戻っているのか。現実と夢が入り混じり、どちらがどちらかわからなくなる。
4首目、詞書に「かつて洪水は神の裁きだつた」とある。「神」と「自動式洗浄トイレ」の取り合わせの面白さ。
5首目、時間は一方向に進み、人は永遠に若返ることはない。

2015年10月25日、角川文化振興財団、1800円。

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2016年01月30日

服部文祥著 『ツンドラ・サバイバル』


『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』に続くシリーズ(?)の3冊目。

サバイバル登山とは装備を最小限にして、食料を現地調達しながら長期間おこなう登山である。

鹿、岩魚、ヌメリスギタケモドキ(茸)、ヌメリイグチ(茸)、ヤマブドウ、エゾライチョウ、エゾ鹿、ブルーベリー、ハリウス(カワヒメマス)、カリブーなどを食べながら、著者は登山や縦走をしていく。

この本に収められているのは

 ・奥多摩、奥秩父、冬期サバイバル登山
 ・南アルプス、夏期サバイバル登山
 ・南会津、夏期サバイバル登山
 ・知床半島秋期サバイバル継続溯下降
 ・四国、剣山山系、冬期サバイバル登山

そして、ロシアの北東端、チュコト半島にあるエル・ギギトギン湖への旅である。

中でもチュクチ族のトナカイ遊牧民ミーシャとの出会いは、著者に大きな刺激を与えたようだ。

 ミーシャは本物だ。猟師として完成している。(…)生まれもった自然児としての才能。その上に、いったいどれだけの試行錯誤をくり返し、どれだけの経験を積み重ねて、ミーシャは今の深みに達したのだろう。
 いや、おそらくミーシャだけじゃない。私が知らないだけで世界中にそんな猟師がたくさんいる。(…)猟師だけにとどまらない。木こり、漁師、遊牧民、罠師、なんでもいい。世界中にミーシャがいる。

旅の記録と様々な思索が一体となって、著者の文章は深い味わいを醸し出す。「この世界に対してゲストではありたくない」という信条が、ぐいぐいと伝わってくる一冊だ。

2015年6月25日、みすず書房、2400円。

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2016年01月29日

異例の若さ

山田航編著『桜前線開架宣言』を読んでいて、気になった箇所がある。

「京大短歌」出身で、異例の若さで短歌結社「塔」の主宰となった吉川宏志(一九六九〜)も、若手への影響力が大きい歌人である。

さらっと読み過ごしてしまいそうな文章である。結社の主宰というと年配の方が多いので、確かに「異例の若さ」という気もする。でも、本当にそうだろうか?

まず、「塔」について、生年と主宰になった年を見てみると

高安国世 1913年、1954年(41歳)
永田和宏 1947年、1993年(46歳)
吉川宏志 1969年、2015年(46歳)

となって、別に「異例の若さ」ではないことがわかる。
他の結社はどうだろうか。

近藤芳美(未来)  1913年、1951年(38歳)
宮柊二(コスモス) 1912年、1953年(41歳)
馬場あき子(かりん)1928年、1977年(49歳)
春日井建(中部短歌)1938年、1979年(41歳)
三枝昂之(りとむ)  1944年、1992年(48歳)
大塚寅彦(中部短歌)1961年、2004年(43歳)

など、40歳代で結社の主宰になるというのは、ごく普通のことなのである。

このことに限らず、何でも書かれていることを鵜呑みにするのではなく、自分なりに考えながら読むことが大事だろう。

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2016年01月28日

「短歌人」2016年2月号

編集室雁信(編集後記に当たるところ)に発行人の川田由布子さんが次のように書いていて、身につまされた。

●昨年十二月号に平成二十七年度の会計報告を掲載したが、残念ながらマイナスの収支であった。今後の会計の事情を考えると誌面の見直しが必要となり、まず三月号から作品の掲載数を減らすこととした。最大掲載数は同人は七首、会員1は六首、会員2は五首とする。一年かけて誌面を全面的に見直すことにしましたので皆様のご理解とご協力をお願いします。

どの結社も会計事情は似たようなものだろう。「塔」もまた会費収入だけでは足りずに、寄付や多くのボランティアによってかろうじて会計を支えている。

雑誌を定期刊行するというのは、非常にお金のかかることなのだ。

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2016年01月27日

千種創一歌集 『砂丘律』

著者 : 千種創一
青磁社
発売日 : 2015-12-10

マグカップ落ちてゆくのを見てる人、それは僕で、すでにさびしい顔をしている
海底に夕立ふらず鮃やらドラム缶やら黄昏れている
溶けかけのソーダの飴をわたすとき城ヶ浜まであと12Km
手に負えない白馬のような感情がそっちへ駆けていった、すまない
どら焼きに指を沈めた、その窪み、世界の新たな空間として
窓際の秋のパスタはくるくると金のフォークが光をかえす
正しさって遠い響きだ ムニエルは切れる、フォークの銀の重さに
骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな
卓袱台に茶色い影が伸びてゆくグラスへとCoca-Cola注げば
煙草すうように指先持ってきてくちびるの皮むく春の駅
爪が食い込むとシーツは湖でそこにするどく漣がくる
偶然と故意のあいだの暗がりに水牛がいる、白く息吐き

410首を収めた第1歌集。

1首目、マグカップを落とした時の自分の姿がスローモーションで再生されるような不思議な感覚。
2首目、「海底に夕立ふらず」に発見がある。
3首目、ドライブしているところか。「城ヶ浜まであと12Km」という道路標識の言葉が、そのまま歌に入ってくる面白さ。
5首目、手に持つまでは存在しなかった空間が、この世に出現する。
7首目、初二句と三句以下がかすかに響き合う。力を入れずに切れる柔らかなムニエルと硬いフォークの感触。
9首目、「卓袱台」と「Coca-Cola」の取り合わせがいい。
11首目、性愛の場面を美しく詠んだ歌。映像的でもある。
12首目、偶然と故意とは明確に区別できるものではないのだろう。水牛の存在感がなまなましい。

句読点を多く用いた多様な韻律や文体によって、口語短歌がまた一段と深化した印象を受ける。中東在住の作者で、シリア内戦などに取材した作品もある。

2015年12月7日、青磁社、1400円。

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2016年01月26日

鯖江・武生(その4)

武生の町は駅の西側に大きく広がっている。
せっかくだから反対の東側にも行ってみる。

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雪景色の日野川と遠くに見える日野山(越前富士)。
大きな川が流れている町というのはいいものだ。

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駅の東西をつなぐ地下道。
「一般歩行者用」「老人用」という区分が珍しい。
老人用の方は傾斜が緩やかになっていた。

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武生駅前の「大江戸本店」で食べたボルガライス(900円)。
同じボルガライスでも店によって随分と見た目や味は違うようだ。

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2016年01月25日

鯖江・武生(その3)

かつての武生(たけふ)市は、2005年に今立町と合併して現在は越前町となっている。今回、武生に来るまで知らなかった。

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武生駅から西に歩いてすぐ、越前市役所前に立つ「越府城(越前府中城)址」の碑。前田利家が建てた城だが何も残ってはいない。

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駅前の通りの突き当たりにある「ヨコガワ分店」で食べたボルガライス(930円)。
武生のB級グルメで、オムライスの上にトンカツをのせてソースをかけたもの。

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いわさきちひろの生まれた家。

教員であった母の赴任先が武生だった関係で、大正7年にここで生まれたそうだ。受付の方が展示品について丁寧に説明して下さった。

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2016年01月24日

鯖江・武生(その2)

三六町から南へ一駅分歩いて福井鉄道の水落駅付近にやって来る。
ここには嶺北忠霊場、かつての鯖江陸軍墓地だったところがある。

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雪の中に立ちならぶ兵の墓。

数多くの兵の墓の他に、日露戦争の戦死病歿合葬碑、上海事件陣歿者合葬碑、満州事変陣歿者合葬碑なども立っている。

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昭和16年建立の忠霊塔。
扉の中には日中戦争以降の遺骨2万5千柱あまりが納められているとのこと。

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福井県平和祈念館。
2007年に建てられたもので、鯖江市水落児童館と一緒の建物に入っている。

見学には事前の連絡が必要で、当日の急な連絡だったにも関わらず館長の岩堀修一さん(鯖江市遺族連合会会長)が対応をして下さった。父親を戦争で亡くして大変な苦労をされた方である。

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館内の展示は非常に充実している。軍服や水筒、軍隊手帳などの備品、出征兵士に贈られた寄せ書きの日の丸、当時の写真など、実物がたくさん保存されている。戦争と平和を考えるには恰好な場所だろう。

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町で見かけた緑のスコップ。

「みどりのスコップひとかき運動」「信号待ちの時間、歩道の除雪に御協力をお願いします。」と書かれている。雪国ならではの光景だ。

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2016年01月23日

鯖江・武生(その1)

「万葉の里 あなたを想う恋の歌」の選考会のため、福井県の越前市へ。
時間があったので、まずは鯖江市に寄る。

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福井鉄道(越前武生〜福井駅前〜田原町)に乗って、鯖江市の神明駅で降りる。駅から歩いてすぐの所に「三六史跡公園」がある。かつて歩兵第三十六連隊があった場所。神明駅も戦前は兵営駅という名前であった。

わが家の近くに京阪電鉄の藤森という駅があるが、ここも戦前は師団前駅という名前であった。深草の第十六師団の最寄り駅だったからだ。

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三十六連隊営門。
兵営の敷地面積は約16ヘクタールで1500〜2000人が駐屯していた。

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鯖江聯隊史蹟碑。

この他にも、「鯖江聯隊兵営跡」「鯖江聯隊の歌」「皇太子殿下行啓記念碑」「軍旗一〇〇年記念碑」「迫撃第三聯隊記念碑」など、多くの碑が立っている。

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「三六史跡公園」の少し南の「三六公園」にある昭和11年当時の鯖江歩兵第三六連隊兵営図。この公園も兵営の跡地である。現在の地図も表示されていて、兵営の範囲がどこまでだったのかよくわかる。

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この付近一帯には「三六町」という町名が付いている。

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公立丹南病院の前にある「三六酒店」。
丹南病院(旧国立鯖江病院)のルーツも、戦前の「鯖江衛戍病院」まで遡ることができる。

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2016年01月21日

天王寺動物園吟行

5月11日(水)にJEUGIAカルチャーセンター主催で、「新緑の天王寺動物園で
短歌を詠む」という吟行をおこないます。

http://culture.jeugia.co.jp/lesson_detail_17-23431.html?PHPSESSID=cebb3ftboih2fpn46nsh4auq33

定員は20名、申込締切は5月1日です。
どうぞ、ご参加下さい。

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2016年01月20日

岡本太郎著 『神秘日本』


1964年に中央公論社から出た単行本の文庫化。

日本にある神秘的なもの、芸術の根源となるものを探して、恐山のイタコ・川倉の地蔵堂(青森)、出羽三山(山形)、壬生の花田植(広島)、熊野(和歌山)、高野山(和歌山)、神護寺(京都)を訪ね歩いたエッセイ。

単なる物見遊山の記録ではなく、信仰とは何か、芸術とはどうあるべきか、といった考察が随所にあり、民俗学的な視点も含まれている。

イタコは神おろしの時にだけ、みんなが言うことを聞き、尊敬するけれども、ふだんは全然知らん顔して、むしろ軽蔑している。
信仰の素朴な根はいわゆる神社、お寺などの重たい形式・儀式で、厚くおおわれており、われわれは生れた時から、そういう出来上ったパッケージングしか見ないし、見せられていない。
受け入れられなければならない、と同時に絶対に受け入れさしてはいけないのだ。その矛盾した強力な意志が、それぞれの方向に働く。よく私が芸術は好かれてはいけない、と象徴的にいうのは、まったくその意味なのだ。

岡本の日本文化に寄せる情熱的な関心は、伝統重視やナショナリズムによるものではない。

はじめ、私は「日本人」であるよりも、「世界人」であればよいのではないかと考えた。青春の十年以上もパリに住み、世界のあらゆる文化圏に通ずる場所で、世界人になりきろうと努力し、実践した。

その上で彼は「日本人としての存在を徹底してつかまないかぎり、世界を正しく見わたすことはできない」と考えたのである。50年以上前に書かれた文章であるが、グローバリゼーションが叫ばれる現在にも十分に当て嵌まる問題であろう。

2015年7月25日、角川ソフィア文庫、1000円。

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2016年01月19日

歌集歌書の在庫

第1歌集『駅へ』(2001年、ながらみ書房)は、出版社にも手元にも在庫がありません。http://matsutanka.seesaa.net/article/387138852.html

下記の歌集歌書は在庫があります。

・第2歌集『やさしい鮫』(2006年、ながらみ書房、2800円)
・評論集『短歌は記憶する』(2010年、六花書林、2200円)
・評伝『高安国世の手紙』(2013年、六花書林、3000円)
・第3歌集『午前3時を過ぎて』(2014年、六花書林、2500円)

お読みになりたい方は、出版社または松村までご注文下さい。

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2016年01月17日

高安国世 三都物語ツアー

高安国世ゆかりの地を訪ね歩くツアーをします。
ご興味のある方は、ぜひ。
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2016年01月16日

明石(その2)

天文科学館から道を南へ下って行くと、源平の合戦ゆかりの場所がある。
馬塚(平経正の馬が葬られたところ)、両馬川(平忠度と岡部忠澄が戦ったところ)の石碑を過ぎる。

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これは、忠度の右腕を埋めたと伝えられる腕塚神社。
近くには忠度の亡骸を埋葬した忠度塚もある。

何か食べようと思って、駅の南側にある魚の棚(うおんたな)商店街へ。
アーケードの天井から色とりどりの大漁旗が垂れ下がり、地元の方や観光客で賑わっている。魚屋さんが多い。

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せっかくなので明石名物の玉子焼(明石焼)をいただく。
出汁につけて食べるとろとろのたこ焼きだ。
年季の入った木の板に載せられていて、実においしい。

少し歩いてみただけでも、古代から中世、現代に至るまで、歴史を感じさせるスポットに次々と出会う。海と山に挟まれて町の輪郭もはっきりしていて気持ちいい。

こんな町に住んだら、きっと楽しいだろうな。

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2016年01月15日

明石(その1)

調べものがあって、兵庫県立図書館へ。
神戸にあるのかと思ったらそうではなく、明石にある。

駅から見える明石城の跡地に、野球場や球技場などがあり、さらに兵庫県立図書館と明石市立図書館が向かい合って立っている。

1時間ほど調べものをして、収穫あり。
考えていた通りのものが見つかって嬉しい。遠征してきた甲斐があった。

その後、天気も良いのでぶらぶらと街歩きをする。

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柿本人麻呂を祀った柿本神社(人丸神社)。
歌がうまくなりますようにと祈る。

神社は人丸山という小高い場所にあって、門前からは瀬戸内海を行き交う船と明石大橋を見渡すことができる。まさに、

ほのぼのと明石の浦のあさ霧に島がくれゆく舟をしぞ思ふ
          (古今和歌集・よみ人知らず)

という光景だ。

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近くには東経135度の日本標準時子午線の標識が立っている。
そのすぐ下が明石市立天文科学館。

少し南へ歩いて行くと「天文町」という地名表示を見かける。
そう言えば、明石は稲垣足穂が子ども時代を過ごした町でもあった。

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2016年01月14日

吉田信行著 『金魚はすごい』


文政2(1819)年創業の「金魚の吉田」(東京都葛飾区)の社長で日本観賞魚振興事業協同組合会長でもある著者が、金魚の歴史や種類、魅力、飼い方などを書いた本。

組合認定の31品種を中心に様々な金魚を写真入りで紹介しているので楽しい。和金、琉金、ランチュウ、和蘭獅子頭(おらんだししがしら)、東錦、土佐金、キャリコ、出目金、朱文金、桜錦、コメット、竜眼、丹頂、頂天眼、ピンポンパールなど。

近年は「アートアクアリウム」に金魚が使われたり、東京スカイツリータウンの「すみだ水族館」で金魚が展示されたりと、新たな人気も呼んでいるらしい。

金魚が飼ってみたくなった。

2015年9月17日、講談社+α新書、840円。

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2016年01月13日

「りとむ」2016年1月号

編集後記に今野寿美さんが「出づ」「出ず」の問題について書いている。

●文語「出づ」の新かな遣い表記は「出ず」と初歩の頃に教わった。そうすると「出(い)ず」なのか「出(で)ず」なのか紛らわしい例があるため、ある全国紙の歌壇では、これのみ新かな遣いでも「出づ」を許容していると聞いた。(・・・)広辞苑の場合、見出し語の下に(イヅ)【出づ】とあるが、(イヅ)は旧かな遣いを【出づ】はその漢字表記を示しているとみることができる。ということは「片づける」「基づく」などと同じく、「出づ」も発音表記は「いず」だが新・旧かな遣いともに「出づ」(ダ行)が適正だろう。

これまで新かなは「出ず」、旧かなは「出づ」と考えていたものを、新旧ともに「出づ」とするという考えであり、なるほどと思って読んだ。

「出づ」「出ず」問題は、結社誌の校正などをしていても頭を悩ませることが多い。有島武郎の名著にしても、岩波文庫では『生れ出ずる悩み』、新潮文庫や集英社文庫では『生れ出づる悩み』と表記が分かれている。

広辞苑の漢字表記は確かに【出づ】なのだが、こうした例は他にも【閉づ】【撫づ】【恥づ】【愛づ】などがあって、これらの新かな表記はどうするかという問題にも派生していく。

この4つの動詞にしても一様ではない。「撫ず」「愛ず」という表記には「出ず」と同じ違和感を覚える。それに対して「閉ず」「恥ず」は、(私の場合)あまり違和感がない。これは、日常使っている口語新かなで「撫でる」「愛でる」とダ行であるか、「閉じる」「恥じる」とザ行であるかという点が関係しているのだろう。

結局どうすればいいのか、結論を出すのは難しい。

私自身について言えば、「出ず」「撫ず」「愛ず」という表記はたぶん使わない。「出る」「撫でる」「愛でる」と口語を使うことによって回避できる問題であるからだ。

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2016年01月12日

井上たかひこ著 『水中考古学』


副題は「クレオパトラ宮殿から元寇船、タイタニックまで」。

テキサスA&M大学大学院文化人類学部で水中考古学の学位を取得し、現在は日本水中考古学調査会会長を務める著者が、日本ではまだあまり知られていない水中考古学についてわかりやすく記した一冊。

取り上げられている船は、ウル・ブルン船(トルコ)、メアリー・ローズ号(イギリス)、バーサ号(スウェーデン)、元寇船(佐賀)、アーヴォンド・ステレ号(スリランカ)、サン・フランシスコ号(千葉)、エルトゥールル号(和歌山)、タイタニック号(大西洋)、宋代海船(中国)、新安沖商船(韓国)、ハーマン号(千葉)など。

海の底からタイムマシンのように引き揚げられた遺物から、歴史の新たな事実が見つかることも多い。

ウル・ブルン船が発掘される以前は、もっぱら古文書やエジプトの壁画を頼りとして交易物資の内容が予想されていた。当時の交易品の主力のひとつが銅であったが、ウル・ブルン船はその交易の様子を伝えてくれる具体的事例となった。
バーサ号の発見によって、一七世紀の軍艦の構造をめぐる激しい論争が終わりをつげている。
(「てつはう」は)当初は元軍が撤退する時の目くらましとみられていたが、X線調査によると、内部に一辺が二〜三センチ、厚さ一センチほどの小さな鉄片が詰まったものが発見されており、殺傷能力の高い散弾式武器と判明し、これまでの定説をくつがえしている。

「世界の海にはまだ三〇〇万隻もの沈没船が眠っている」そうだ。島国日本にとって水中考古学は、今後の発展が楽しみな分野と言っていいだろう。

2015年10月25日、中公新書、800円。

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2016年01月11日

尾崎左永子歌集 『薔薇断章』


第13歌集。
長年連れ添った夫に続いて、この歌集で作者は一人娘を亡くす。
しみじみとした寂しさが歌集全体から伝わってくる。

八幡宮の公孫樹仆れて果(み)の熟るるごとき残香が永く匂ひぬ
午後となりて暑熱厳しき室の内に過去の雫のごとくわが坐す
つばさの影さして過ぎゆく鳶のありつばさの影は若葉をわたる
書き進み書き澄みて無心となる折を神の訪れと思ひつつ待つ
蟬声(せんせい)をききわけて山に棲みをれば蟬の生にも長短のあり
日が差せばものの翳濃き雪の街たしかなるもの持たぬ吾が往く
いつしかに好みてぞ飲む鎌倉館のキナコチーノとよぶ珈琲を
今日なすべきことのいくつかを数へゐてすでに事了へしごとき安堵感
涙流すこと恥として生きて来し世代ゆゑのみこむ涙が熱し
お前はもう充分堪へた吾娘(あこ)の死を褒めつつその髪撫でゐたりけり


1首目、「果の熟るるごとき残香」が印象的。倒れてもなお残る生命力。
2首目、「過去の雫のごとく」に何とも言えない寂しさがある。
4首目、文章を書きながら、徐々に雑念が消えていく感じ。
5首目、蝉も一匹一匹声が違うのだ。それを聴き分けているのがいい。
7首目、きな粉入りのカプチーノだろうか。最初は「何これ?」と思っていたのが、今ではお気に入りになっている。
9首目、10首目は亡くなった娘への挽歌。思い切り泣きたいのに涙を堪えてしまう性はどうすることもできない。「もう充分堪へた」は癌で亡くなった娘にかける最後の言葉である。

「遂に全く孤りになってしまった私の一首の力綱ともなった短歌」という言葉が、実によく感じられる一冊であった。

2015年10月6日、短歌研究社、3000円。

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2016年01月10日

駅のホームのベンチ

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JR芦屋駅へ行ったら、ホームのベンチが線路に平行ではなく垂直に設置されていた。新しく改修されたもののようで、背もたれの裏側に線路への転落防止のためと書かれている。

酔った人などがベンチから立ってふらふらと前へ歩いて行き、線路に転落することがあるらしい。それを防ぐために向きを変えたのである。調べてみるとJR西日本では既に何か所もこうした改修を行っているようだが、今回初めて目にした。

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2016年01月09日

井上亮著 『忘れられた島々「南洋群島」の現代史』


西太平洋に点在するマリアナ諸島(グアムを除く)、カロリン諸島、マーシャル諸島など、ミクロネシアと呼ばれる地域は、ヴェルサイユ条約により日本の委任統治領となり、1945年の敗戦まで「南洋群島」と呼ばれる実質的な日本の領土であった。

昨年4月の天皇、皇后によるパラオ訪問により再び注目を集め始めているこれらの地域の歴史を、丁寧かつコンパクトにまとめた一冊。

戦前の南洋群島が日本にとって大きな意味を持っていたことが随所に述べられている。それは「陸軍、北進論、満州、南満州鉄道株式会社」に対する「海軍、南進論、南洋群島、南洋興発株式会社」という図式になるだろう。

著者は「沖縄戦が国内で住民を巻き込んだ唯一の地上戦」といった言い方に異を唱え、「住民を巻き込んだ最初の地上戦は一九四四(昭和一九)年六月からのサイパン戦」であると述べる。これは非常に重要な指摘だろう。

私たちは、つい現在の国境線で国内を捉えてしまいがちだ。けれども、それは戦前の実態とは違う。これは、戦後日本領ではなくなった樺太についても同じことが言える。

タラワ、マキン、ルオット、クェゼリン、サイパン、テニアン、ペリリュー、アンガウルと続く激しい戦闘や、サイパン、テニアンの飛行場から飛び立ったB29による空襲、原爆投下のあたりの記述は読むのが辛い。けれども、そうした歴史を忘れることなく、記憶に刻んでおくことが大事なのだろう。

なぜなら、こうした島々の地政学的、戦略的な価値は、昔も今も変わらないからである。例えば現在の沖縄の米軍基地問題を考える際にも、そうした視点は必要になるに違いない。

2015年8月11日、平凡社新書、760円。

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2016年01月08日

石川澄水歌集 『宗谷海峡』 から (その6)

年祝ぐとうから華やぐ夜の卓にくばられて来し採用通知
昭和十九年一月一日と墨匂ふ辞令大きくいただきてわれは
増産をめざす現場は勢ひ居む電話絶ゆるなし原木課製材課の卓
朝開く二号金庫の冷え切りて静かに音するその重量感
暗号電話ひねもすせはし事務の窓こころ落ちつけて札数へゐぬ

「新職場」20首より。
「樺太製材株式会社就職」と注がある。

作者は昭和14年に子供の教育のために樺太日日新聞社を退社し、真岡から豊原へ転居。樺太医薬品配給統制株式会社を経て、樺太木材株式会社に就職した。

1首目、新年の祝いの場に採用通知が届いて、何ともめでたい正月となった。
2首目、「大きく」に新たな仕事に取り組む意気込みが感じられる。
3首目、戦時中ということで、樺太での木材の供給も急ピッチで進められている。
4首目、作者は出納主任を経て用度課長となった。お金を扱うことが多かったのだろう。
5首目、「暗号電話」というところに、仕事が戦争に直結している緊迫感が滲む。


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2016年01月07日

梯久美子著 『廃線紀行』


副題は「もうひとつの鉄道旅」。

2010年から2014年まで、読売新聞の土曜夕刊に連載された「梯久美子の廃線紀行」から50本を選んでまとめたもの。北は北海道の国鉄根北線(こんぽくせん)、南は鹿児島の鹿児島交通南薩線まで、全国各地の廃線跡を訪ね歩いている。

一か所につき4ページとコンパクトであるが、地図とカラー写真も入っているので、実際に廃線跡を訪ねる際のガイドブックとしても使える。また、随所に著者の鋭くも温かな考察が記されている点も見逃せない。

根北線は、大正時代からの誘致活動がやっと実って開通した路線だった。鉄道が、明るい将来の象徴だった時代が確かにあったのだ。(根北線)
いまではさびれてしまった御坊の町だが、古い商家や木材協同組合の建物などが残り、かつての賑わいをしのばせる。日高川の堤防に立って太平洋を眺めると、この海を越えて大都会とつながろうとした、昭和初期の人々の思いが伝わってくる気がした。(紀州鉄道)
鉄道には人や物を運ぶだけでなく駅を中心とした生活圏を作る役割がある。それがなくなることは、地域の暮らしの拠点が失われてしまうことなのだと気づかされた。(大分交通耶馬渓線)

『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』などの著作で知られるノンフィクション作家と廃線探訪の取り合わせは少し意外な気もするが、歴史をたどるという点では共通するものがあるのだろう。

地面の上を水平方向に移動するのは地理的な旅であるが、廃線歩きにはこれに、過去に向かって垂直方向にさかのぼる歴史の旅が加わる。
土地は歴史を記憶する―(…)そこへ行き、自分の足で地面を踏みしめることで、過去への回路が開かれるのだ。

「おわりに」に書かれたこうした文章に、非常に共感を覚えた。

2015年7月25日、中公新書、1000円。

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2016年01月06日

吉川宏志著 『読みと他者』


副題は「短歌時評集二〇〇九―二〇一四年」。

2011年4月から2014年3月まで3年間にわたって共同通信に連載された時評「短歌はいま」を中心に、時評的な文章や鼎談などを収めた時評集。

「短歌はいま」以外の文章は既に総合誌などで読んだものなのだが、構成・配列が良く、全体が一つのつながりとして読めるように工夫されている。

短歌の読みとは、自他のあわいに新しいものを創造する行為なのではないか。

という主張が、この本を貫く大きな柱となっている。これは「はじめに」に記されている言葉であるが、「はじめに」の部分は書き下ろしなので、最初からこの結論があったわけではなく、本書に収められている文章を記していく中で著者がたどり着いた結論ということなのだ。

本来、別物であるはずの作者と読者の間に何かが生まれるためには「身体的なものが非常に重要になってくる」と著者は述べる。

「手」とか「耳」とか「乳房」とかいった身体の部位を歌に詠むから身体性があらわれてくるのではない。 (河野裕子論 声と身体)

では、身体性は一体どこから生まれてくるのか。

短歌において身体性を生み出すのは、定型が生み出すリズムであると言っていい。

というのが著者の主張である。

定型に合わせて読むということは、作者と読者が同じリズムを体験するということであり、作者と読者のあいだに、身体的な交感を生じさせることになる。

短歌の韻律の魅力というのは古くから言われていることだが、それを「身体的な交感」という観点から捉えているところに新しさがあるように思う。

また、「読者としての自分が、固定したものであってはならない」とも著者は言う。

他者に触れることでさまざまに変化してゆく、柔軟な自己であろうとすることが大切なのである。

これは、歌集を読む時や歌会に参加する時に、常に心掛けておくべきことだ。

本書には東日本大震災や、特に原発事故に関する文章が多く収められている。著者は昨年9月に京都で行われたシンポジウム「時代の危機に抵抗する短歌」を企画し、12月に東京で行われたシンポジウム「時代の危機に向き合う短歌」にも参加した。こうした活動の原動力となっているものを知るためには、この本を読んでおく必要があるだろう。

2015年11月15日、いりの舎、2700円。

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2016年01月05日

箱根駅伝

正月にテレビ放送される箱根駅伝は、関東学生陸上競技連盟主催ということからもわかるように、関東の大学しか出場できない。東京に住んでいた頃は、あれが駅伝の全国大会のように思っていたのだが、そうではないのだ。

そのため、関西に住んでいるとそれほど箱根駅伝は話題にのぼらない。テレビの視聴率を見ても、往路は関東28.0%に対して関西17.5%。復路は関東27.8%に対して関西15.4%と大きな開きがある。

当り前と言えば当り前の話なのだが、これも東京に住み続けていたら気づかなかったことかもしれない。

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2016年01月04日

米川千嘉子歌集 『吹雪の水族館』


2012年から2014年までの作品409首を収めた第8歌集。

亡き人を語りて書きてそののちにもつと本当のことを思ひ出す
細くかたく鋭いこんな革靴で一生歩いてゆくのか息子
江戸切り子赤いボンボン入れのなか母の心臓のくすりかがやく
階段をのぼれぬゆゑに母はもう使ふなしこのふるさとの駅
すごいねえとみんなが坂を降りゆけばまたひとり記念館の芙美子は
藤咲けば蜂は朝(あした)の六時からからだぢーんと震はせて来る
ばんえい競馬われの賭けたるアバレンボーもホンインボウも坂を上らず
夕すぎて海暗むとき船虫の体色あはくなることあはれ
熱気球一つあがりてまだ青い秋野にうすい痣はうごきぬ
いつまでの子の手のひらを知りゐしか革手袋を送りたけれど

1首目、追悼の文章を書いたり話したりする時の、どこか実際とはずれてしまう感じがよく表れている。
2首目、就職活動をしている息子に寄せる思い。もう見守ることしかできない。
4首目、健康な人にとっては何でもない階段が、のぼれない人にとっては決定的な障害となる。
6首目、どこからか匂いを嗅ぎつけてやって来る勤勉な蜂の姿。
7首目、「暴れん坊」に「本因坊」だろうか。名前がおもしろい。
9首目、「うすい痣」は地面に落ちる影のことだろう。普通なら「うすい影」としてしまうところ。

時事詠、社会詠、旅行詠など、何かに取材した歌が多く、いわゆる日常詠は少ない。作者の作歌意識が強く感じられる一冊と言っていいだろう。

2015年11月1日、角川文化振興財団、2600円。

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2016年01月03日

石川澄水歌集 『宗谷海峡』 から (その5)

川尻を立つ白鳥の羽ばたきや冬日に白く漣(なみ)かへすなり
中野川さして群立つ白鳥の羽耀ふやとほき冬日に
冬空を群立つ羽のおほらかに白鳥はまさに風に光れり
冬日なか靄立つ山の裾とほく風に乗りゆく白鳥の群
群立ちて白鳥は陽にかがやけり遠去りゆくに声のかなしさ

「白鳥の賦」14首より。

1首目、河口付近から飛び立ってゆく白鳥の群れ。さざ波が立っている。
2首目、「中野川」は豊原と真岡の間の山中を流れている川。やがて留多加川となって亜庭湾に注いでいる。ここでは河口から上流の方へと移動していくのだろう。本州などで越冬を終えて樺太経由でシベリアへ渡っていく途中なのかもしれない。
3首目、ゆったりと羽を光らしながら飛んでいく白鳥の姿。
4首目、海岸から山の方へ風に乗って進む白鳥を見送っているところ。
5首目、遠ざかっていく白鳥の鳴き声が聞こえる。

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2016年01月02日

石川澄水歌集 『宗谷海峡』 から (その4)

夕じりが身におそひ来る岩壁に浚渫船は汐噴き揚ぐる
蝦夷千入鳴きたつこゑの稚きが朝靄くらき崎山にして
戦日日にけはしき世なりひねもすを思ひ歯がゆく事務急ぎゐつ
〇〇ケーブルの工事は急げ門畑の稔りは捨てて何悔ゆるなし
この島の夏は短かきプールにて日焼の子らがしぶきを上ぐる

「港街に居て」14首より。
昭和14年夏の樺太西海岸の真岡の様子が詠まれている。

1首目、「夕じり」は夕方に発生する海霧のこと。「海霧(じり)」は俳句では夏の季語。その中で船が港の土砂を浚う作業をしている。
2首目、「蝦夷千入(エゾセンニュウ)」は鳥の名前。夏季にシベリア、サハリン、北海道などで繁殖する。「稚き」とあるので雛の声だろうか。
3首目、昭和12年に始まった日中戦争が拡大し、この年には「国民徴用令」が施行され、生活必需品の配給統制も始まっている。
4首目、「〇〇」は伏字。おそらく「海底ケーブル」だろう。昭和9年に樺太と北海道の間に電話用の海底ケーブルがつながっているが、それが真岡まで伸びたのではないか。
5首目、樺太の短い夏を楽しもうとプールで遊ぶ子どもたちの姿である。

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2016年01月01日

籔内佐斗司著 『壊れた仏像の声を聴く』


副題は「文化財の保存と修復」。

平城遷都1300年祭の公式キャラクター「せんとくん」の生みの親である著者は、彫刻家であるとともに、東京藝術大学大学院の文化財保存学の教授でもある。

本書では、文化財保護に関する一般的な知識や日本の仏像彫刻の歴史、さらに実際の修復例の様子などが記されている。

芸術は、機械や科学技術のように一方向には進化しないことがわかります。芸術表現は、変容はしても、進化はしないのです。

というのが、著者の基本的な考え方である。仏像の修復は修復だけが目的ではなく、修復を通じて古典技法を研究・取得するという意義があるのだ。

「彫刻でも絵画でも、写真で大きく見えるものは傑作と相場がきまっています」という指摘や、平重衡による南都(奈良)焼き討ちが、結果的に「慶派というすばらしい仏師集団の活躍の場を提供し、わが国の彫刻ルネッサンスともいえる鎌倉彫刻の傑作が造り出された」という事実など、興味深い話がたくさんあった。

2015年7月25日、角川選書、1600円。

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謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 2016年元旦  松村正直

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