2015年10月31日

COMMUNITY TRAVEL GUIDE VOL.1 『海士人』


副題は「隠岐の島・海士町 人々に出会う旅」。

総勢138名の海士町の人を取り上げた観光ガイドブック。「COMMUNITY TRAVEL GUIDE」というシリーズの1冊で、人に焦点を当てたユニークな内容となっている。他にも「福井人」「三陸人」「大野人」「銚子人」などが刊行されているようだ。

5年前に隠岐の中ノ島(海士町)に旅行して以来、この町について書かれた本を見つけると読むようにしている。

島のあちこちで見かける、この町のスローガンは「ないものはない」。
この言葉には2つの意味が込められています。
一つは、「ないものはない、なくてよい」という意味。(…)
もう一つは、「ないものはない、大事なことはすべてがここにある」という意味。

こうした発想の転換が、町起こしには不可欠なのだろう。無いものねだりをするのではなく、その土地にあるものを大事にするのである。

2012年6月1日発行、英治出版、800円。

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2015年10月30日

大口玲子歌集 『桜の木にのぼる人』


2012年から2014年までの作品を収めた第5歌集。

仙台から宮崎へ移っての息子との生活が詠まれているほか、キリスト教関連の歌がかなり増えている。「きみ」「ひと」「その人」といった言い方で出てくる司祭の存在も大きい。また、原発問題などの社会的な事件を詞書に用いて自らの日常と対比させた「この世界の片隅で」など、意欲的な連作もある。

「さくら」とはまだ言へぬ子が指差してササノ、ササノと鳴きしかの春
まつげパーマ勧められをり仙台より転送されてきたる葉書に
渡されしレモン五つを二瓶のジャムにして一つきみに返しぬ
思はざる箇所に下線が引かれたる他人(ひと)の聖書を書棚に戻す
朝市のおじぎ草 子はことごとくおじぎさせゆき一つも買はず
四時間の充電終へたる自転車の〈頼れる感じ〉をわれのみが知る
象のみどりはタイ語で指示を受けながら鼻で筆を持ち「へび」と書きたり
硝子器に桃と菜の花いけられてそれぞれ違ふ沈黙をせり
粗塩はオリーブオイルにとけながらフリルレタスの上(へ)を流れたり
われわれのシュプレヒコールも街宣車に叫ぶ右翼と似てゆくならむ

2首目、仙台に住んでいた頃に通っていた美容院からの葉書。仙台と宮崎の遠い距離を思うのだ。
3首目、二瓶を一つずつ分け合うところがいい。レモンが「五つ」と奇数なのも効いていて、ジャムにしたことで共有し合えるものになった感じが出ている。
5首目、小さな子の姿が見えてくる歌。歩きながら一つずつ触れていくのだろう。
7首目、巳年のパフォーマンス。「みどり」「へび」といった日本語と、音声としてのタイ語の差が印象的で、けなげさとかすかな哀れみを感じる。
8首目、花だから当然何も言わないのだが、沈黙の質がどこか違うのである。
10首目、反原発のデモの場面。こんなふうに自らの行為を相対化する視点を持っているところが、作者の歌の良さでもあり悲しさでもある。

2015年9月8日、短歌研究社、3000円。


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2015年10月29日

久々湊盈子インタビュー集 『歌の架橋2』

久々湊盈子さんが「合歓」に連載している歌人インタビュー28名分を収めた本。
今野寿美、尾崎左永子、石田比呂志、松平盟子、高野公彦、清水房雄といった方々とともに、僕のインタビュー(2014年10月)も載っています。

http://www.sunagoya.com/shop/products/detail.php?product_id=916

皆さん、どうぞお読みください。

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現代歌人集会秋季大会

12月6日(日)に京都で、現代歌人集会秋季大会が行われます。

安田純生さんの基調講演、松平盟子さんの講演「大逆事件と明星歌人〜思想と言論をめぐる衝撃〜」、第41回現代歌人集会賞授与式(土岐友浩歌集『Bootleg』)といった内容です。

どなたでも参加できますので、皆さんぜひどうぞ。
詳しくは下のチラシをご覧ください。(クリックすると大きくなります)

   kajin-shukai 2015autumn1.jpg

懇親会もあります。

   kajin-shukai 2015autumn2.jpg

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2015年10月28日

上原善広著 『被差別のグルメ』


路地(被差別部落)の「アブラカス」、アイヌの「キトピロ」、ニブフ(北方少数民族)の「モース」、沖縄の「イラブー」、在日韓国・朝鮮人の「焼肉」など、差別されてきた人々のソウルフードでもある食べ物について描いたノンフィクション。

著者は実際に現地を訪ね歩き、さまざまな料理を食べている。その中には、アレンジを加えて一般社会に広まったものもあれば、今も地域の中で細々と食べられているものや既に食べられなくなってしまったものもある。そうした食べ物を通じて、著者は差別・被差別、民族といった問題を考えていく。

この本にはウィルタ・ニブフなど北方少数民族のことも取り上げられている。

北海道といえばアイヌが有名だが、実はさらに少数のウィルタ・ニブフという民も住んでいたことはほとんど知られていない。ウィルタとは、かつて「オロッコ」と呼ばれていた北方少数民族で、主に樺太、今のサハリン南部に住んでいた。

彼らの食を探し求めて、著者はサハリンも訪れている。そうした地道な姿勢を私は信頼する。

ノンフィクションを読む時に、こうした「著者に対する信頼感」というのはけっこう大事なものだ。短歌はノンフィクションではないけれど、やはり「作者に対する信頼感」が大事な点では共通しているように思う。

2015年10月20日、新潮新書、740円。

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2015年10月27日

行ってみたいところ

20代の頃に、岡山、金沢、函館、福島、大分と移り住んだので、生まれ育った東京や現在住む京都を含めて、国内はかなりあちこち出掛けたことがある。それでも、まだ行ったことがない場所はたくさんあって、思い付くままに挙げてみよう。

根室(北海道)、角館(秋田)、館山(千葉)、八丈島(東京)、中津川(岐阜)、伊良湖岬(愛知)、伊勢神宮(三重)、新宮(和歌山)、太地(和歌山)、篠山(兵庫)、対馬(長崎)、五島列島(長崎)、柳川(福岡)、大牟田(福岡)、水俣(熊本)、種子島(鹿児島)、石垣島(沖縄)

う〜ん、まずは近いところからかな。

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2015年10月26日

『思川の岸辺』のつづき

後半から。

みづからの臍をしみじみ見ることあり臍にあらはるる老いといふもの
きみがつかひし小さき茶碗に飯くへば梅干しなども恋しかりけり
シロップの中に幾とせねむりゐし桃の缶詰いま開けられつ
飛行船向きをかへたる空の下墓地分譲中ののぼりはためく
あぶらげを甘く煮てゐるひとときやお昼のきつねうどんのために
二歳半の孫が来たりておづおづと「猫さん」にさはる三度四度と
かばんの中にあるおにぎりを胃の中にふたつ移して昼の食をはる
食後飲む薬六錠歯のくすり目のくすりあはれこころのくすり
かぎりなく眠れる母の胸元へつけてやりたり紫綬褒章を
日だまりの中にたばこを吸ひてゐる十年のちのわれのごとくに

1首目、臍に老いが現れるというところに実感がある。顔や手などと違って他人からは見えないところ。
2首目、亡き妻の茶碗でご飯を食べているのだ。それが何とも悲しい。
3首目、「ねむりゐし」がいい。よく「擬人法は良くない」と言う人がいるが、ここが「ひたりゐし」だったらつまらない。要はその歌にとって良いかどうかだ。
6首目、孫は猫のことを「猫さん」と呼んでいるのだろう。ここが「猫にさはる」では全くダメになってしまう。
7首目、おにぎりを二つ食べたということも歌になる。簡素な昼食。
8首目、「こころのくすり」に胸が痛む。精神安定剤のようなものだろう。
9首目、2013年春に作者は紫綬褒章を受章した。100歳を過ぎてほぼ寝たきりとなっている母の胸に、その勲章を付けているのだ。

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2015年10月25日

小池光歌集 『思川の岸辺』


2010年から2013年までの作品542首を収めた第9歌集。

近年、ベテラン歌人は歌集の刊行頻度が高く、若手は第一歌集を出すのが早く、待望の歌集ということがあまりないのだが、小池光は私にとって数少ない「待ちに待った歌集」を出してくれる歌人である。

今回の歌集では、妻の死が大きなテーマとなっている。
普段は歌集を読んで泣くことなどないのだが、この歌集は途中で泣いてしまった。

まずは前半から。

トリニダード「三位一体」而(しこう)してトバゴは「たばこ」 夕陽が赤い
ウエディング・ドレスまとひて志野が来るこの現実をなんとおもはむ
四十九個の疣(いぼ)の一つをわれ押してはなれたところのテレビを消しつ
かなしみの原型としてゆたんぽはゆたんぽ自身を暖めてをり
屋根瓦屋根にならべてゆく仕事 ひとの仕事は楽しげに見ゆ
わが妻のどこにもあらぬこれの世をただよふごとく自転車を漕ぐ
短歌人編集人たりし二十五年ただ黙々ときみあればこそ
50mサランラップが唐突にをはりを迎へ心棒のこる
着物だつて持つてゐたのに着ることのなかりしきみの一生(ひとよ)をおもふ
原発事故は人災といふその「人」は誰かわれらみづからにあらずや

1首目、カリブ海にあるトリニダード・トバコ共和国の名前の由来。キリスト教の概念と煙草の落差がおもしろい。
2首目、癌を病む母のために結婚式を急いだ娘。かつて〈「座敷童子(わらし)はひとを食ふか」とかれ訊くに「くふ」と応ふればかなしむごとし〉〈大きくなつたら石鹼になるといふ志野のこころはわれは分らず〉と詠まれた志野である。この1首だけを読んでいるというよりは、読者の側のそういう思い入れも含めて読んでいることになるのだろう。
4首目、ゆたんぽの中のお湯は、まず、ゆたんぽ自身を暖めるのだ。
5首目、他人の仕事は楽しそうに見える。もちろん、当人にとっては楽しいことばかりではない。
6、7、9首目は、亡くなった妻への挽歌。こういう歌を読むと、短歌は究極のところ、人間の生老病死が詠めればそれで十分なのだという気さえする。
10首目、近年しばしば「人災」という言葉が他人事のように使われるが、その「人」には私たち自身も入っているのではないかという問い掛けが重い。

2015年9月25日、角川書店、3000円。

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2015年10月24日

大久保潤・篠原章著 『沖縄の不都合な真実』


帯には「政治家、建設会社、知識人、公務員、地元とメディア……利権とタブーを炙り出す」と大きく書かれている。基地問題の背景にある沖縄の支配階級の利権や振興予算の問題点を指摘した本。

辺野古移設問題を「善良な県民の総意を無視して強引に移設を進める政府の悪行」といったシンプルな勧善懲悪の視点から捉えるのを好むジャーナリズムが、ほとんど触れてこなかったことばかりです。

という内容である。タイトルや帯文が週刊誌のように煽情的だし、ところどころデータの扱い方も恣意的で、「米国で勤務経験がある保健師さんは・・・」「先の労組幹部は・・・」「沖縄のある大学教授は・・・」といった匿名の発言の引用が多かったりと、気になる点もある。その一方で、なるほどと納得する部分も多かった。

「日本vs.沖縄」「悪vs.善」「加害者vs.被害者」といった見方で解くことができるのであれば、問題はとうの昔に決着していたでしょう。

これは、まさにその通りという気がする。そんなに単純な話ではないからこそ、解決に長い時間がかかっているのだ。

10月21日の新聞に「沖縄振興強化で一致 島尻沖縄相、翁長知事と会談 辺野古触れず」という記事が載っていた。基地問題で激しく対立していることを思えば、政府と沖縄知事とが和やかに会談しているのが不思議な気もする。けれども、

二〇一四年一一月に初当選した翁長雄志知事は、那覇市長時代に「振興策なんかいらない」と言ったことがあります。これを知事としても言い続けることができるかどうか。県民ならずとも注視していくべきでしょう。

という本書の「あとがき」は、1年前に既にそうした事態を予言していたと言っていいだろう。

2015年1月20日、新潮新書、740円。


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2015年10月23日

松島泰勝著 『琉球独立宣言』


文庫書き下ろし。

辺野古移設問題で揺れる沖縄の独立に向けた道筋を示した本。1609年の島津藩の侵攻に始まり、1879年の琉球処分、沖縄戦、アメリカによる統治、そして現在も残る多くの米軍基地といった歴史を踏まえ、沖縄に対する差別を解消するために、「琉球人の琉球人による琉球人のための独立」を説く。

著者の視点は沖縄だけでなく、スコットランドの独立運動や島嶼国パラオの政治、あるいは国際法にも及び、独立のための具体的な方策を探っていく。

琉球は日本固有の領土ではありません。琉球はかつて国であり、琉球併合は国際法上でも違法なのです。

これは、明治期に日本が台湾や朝鮮を植民地化していった流れの発端に琉球併合があるとの見方である。その根拠として、琉米修好条約(1854年)、琉仏修好条約(1855年)、琉蘭修好条約(1859年)の締結という事実が挙げられており、その主張には合理性がある。

独立に向けた著者の意気込みはよくわかるし、共感する部分もあるのだが、全体にやや精神論に傾き過ぎている点が気になった。同じ主張の繰り返しも多い。

日本政府がこのまま辺野古新基地建設を進めていくと、琉球は「独立」というカードを切って自らの道を進もうとするでしょう。

「独立」が交渉におけるカードとして捉えられている限り、それはまだ現実的な話ではないと言えるのかもしれない。

2015年9月15日、講談社文庫、690円。

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2015年10月22日

皆藤きみ子歌集 『仏桑華』 から (その7)

今日よりは吾子にしたしき校門ぞ積み雪はいまだなかば埋めつ
身につけしものみな重しこの国の新入生よ汝があはれなり
六キロの雪道とほし今日よりは汝(なれ)が通はむこのみち遠し
父母を離(か)れて幾日も経(た)たなくにものいふことも学童さびて
道くさをけさ戒めて行かせたる子がポケットより石あまた出づ

「長男入学」13首より。

1首目、長男の国民学校初等科(小学校)の入学式。4月になってもまだ校門は雪に埋もれている。
2首目、「いまだ防寒具着けてあれば」と注がある。厳しい寒さの中で学校に通う子ども。「この国」は樺太を指している。
3首目、自宅から学校まで6キロの道を通う。親としては心配だろう。
4首目、親の心配をよそに、子どもは学校にも慣れて、しっかりしてきたのだ。
5首目、石をたくさん拾って帰って来る子。このあたり70年前も今も変らない。

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2015年10月21日

公開講座「短歌の世界にようこそ」

10月30日に公開講座「短歌の世界にようこそ」を行います。
初心者の方向けに、短歌の楽しさや奥深さを伝える内容です。

「ちょっと興味があるのだけど」という方、「短歌を始めてみようかな」という方、「一人で作っているのだけれど」という方、「短歌がもっと上手になりたい」という方、皆さんどうぞご参加下さい。

日時 10月30日(金)11:00〜12:30
場所 朝日カルチャーセンター芦屋教室
     (JR芦屋駅北口すぐのラポルテ本館4階)

詳細は→https://www.asahiculture.jp/ashiya/course/bb8d0e8b-c2dc-b1e8-4b59-55d6d9e7b778


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本を買うたびに思うこと

いつの頃からだろうか。書店で何冊か本を買うとポリ袋に入れてくれるようになった。

 P1040917.JPG

ポリ袋に本を入れたあと、店員さんは必ず持ち手の穴の下をテープで留める。
それも外しやすいように、わざわざ片側を折り畳んで貼っている。
それなら最初から留めなければいいのに、なぜここを留めるのか。

袋に入れた商品が落ちないようにといった親切ではなく、未清算の品を入れないようにということだろう。わかりやすく言えば万引き防止である。

以前、書店で働いていたこともあるので、書店にとって万引き被害がどれだけ深刻なことかは知っているつもりだ。でも、商品を買った客に対して、そういう扱いはないだろうと、いつも疑問に思う。

posted by 松村正直 at 06:23| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月20日

皆藤きみ子歌集 『仏桑華』から(その6)

枯れ草の秀さへ埋めし雪の原氷採取の橇道つづく
朝光にさだまる原や橇を曳く馬の太腹蒸気(いき)たちのぼる
馬さへや深ゆきに馴れて雪洞の中にことなくまぐさ食みゐる
室内に襁褓を干してこの国に子を育つると我が一途なる
ストーブの上に襁褓を掛け並べ乳児(ちご)を育つるみ冬のながき

「朝光」12首より。

1首目、冬の雪の積もった野原を、氷を採るための橇が行き来する。
2首目、下句に臨場感がある。厳しい寒さの中で仕事をする馬の身体から湯気が立ちのぼるのだ。
3首目、深い積雪にも慣れて、どうということもなく餌を食べている馬の様子。
4首目、作者は樺太に来て4人目の子を出産している。「この国」は日本ではなく、樺太のことを指しているのだろう。
5首目、長い冬が続く土地で小さな子を育てる作者。心細さと母としての覚悟が伝わってくる。

posted by 松村正直 at 08:22| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

校正の楽しみ

昨日、「塔」11月号の校正をしていて、

あまりうまさに文書くことぞ忘れつる心あるごとな思ひ吾師
                 正岡子規

という歌が問題になった。永田和宏さんが全国大会の講演で引いた歌である。

これは子規が天田愚庵から柿をもらった礼状を出し忘れていたことを詫びた歌で、「な思ひ吾師」は「思わないで下さい先生」といった意味なのだが、「な・・・そ」という禁止の形になっていない。引用が間違っているのではないか、という話になったのだ。

結論を言えば、この形で正しかった。
「な・・・そ」以外に、副詞の「な」だけで禁止を意味する用法があるのだった。

さらなる発見がもう一つ。この歌はおそらく

他辞(ひとごと)を繁(しげ)み言痛(こちた)み逢はざりき心あるごとな思ひわが背子(せこ)    高田女王(万葉集巻四―537)


を踏まえていることに気がついた。

「人のうわさが多くてわずらわしいのでお会いすることを避けていました。恋をあきらめるように考えたためと思って下さるな、あなた」(久松潜一『万葉秀歌』)という内容であるが、下句が子規の歌にそっくりである。

子規はこの歌を踏まえて、「あまりのうまさに手紙を書くのを忘れてしまいました。他心があるように思わないで下さい先生」と詠んだわけである。

講演においては日常的な手紙のやり取りの歌として取り上げられた一首であるが、そんな中にも万葉歌の本歌取りが入っているあたりに、当時の人たちの教養の深さを感じたのであった。

posted by 松村正直 at 20:46| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月18日

永田和宏著『現代秀歌』を読む会

永田和宏著『現代秀歌』を読む会も、いよいよ残り2回となりました。会の内容は、参加者が順番に声を出して読み、全員で感想や意見を語り合うというものです。

事前の申し込みの必要はありません。1回だけの参加でも大丈夫です。「塔」会員以外の方も参加できますので、どうぞお気軽にご参加下さい。今後の日程は下記の通りです。

日時 10月27日(火)1時〜4時 「第九章 孤の思い」
    11月24日(火)1時〜4時 「第十章 病と死」

場所 塔短歌会事務所(地下鉄丸太町駅から徒歩7分)
      〒604-0973 京都市中京区柳馬場通竹屋町下る五丁目228
                「碇ビル」2階西側
参加費 一回500円


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2015年10月17日

木山捷平著 『新編 日本の旅あちこち』


昭和42年に永田書房から刊行された『日本の旅あちこち』に、その後の作品などを加え再編集し、文庫化したもの。紀行文27篇と詩2篇を収録。

昭和30年代後半から、43年に亡くなる少し前まで、ノサップ岬、秋田、粟島、伊豆、伊良湖岬、城崎、天理、長門湯本温泉、佐世保など、全国各地を旅して味わいのある文章を残している。

「それはタラバガニです。北海道では大体カニが三種類とれますが、タラバは人妻の味、ケガニは女房の味、ハナサキガニは生娘の味ということになっております」

これは、根室の人に教わった少々きわどい話を書き留めたもの。

再び自動車の人となって、三里(約十二キロ)の道をぶっとばして渥美町折立の杉浦明平氏宅の前に車を止めた。

伊良湖岬へ行った際には、杉浦明平の家を訪れている。

私の郷里地方で、最も大衆的に発達しているのは、マゼメシである。マゼメシはつまりマゼズシ、標準語的にいえば、五目ずしのことである。

ふるさと岡山の料理について述べた文章である。ここに出てくる「マゼメシ」というのは、今で言う「ばら寿司」のことだろう。

この晩は鹿児島泊まりで、夜は城山のてっぺんにある観光ホテルで、県知事と市長の歓迎レセプションがあった。

これは今年の夏に行った城山観光ホテルではないか。調べてみると、ホテルの開業は昭和38年。木山が訪れたのは昭和42年のことなので、まだ出来たばかりという感じの頃である。

2015年4月10日発行、講談社文芸文庫、1600円。

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2015年10月16日

岡本信明・川田洋之助著 『金魚』


日本の伝統文化を伝える「ジャパノロジー・コレクション」シリーズの1冊。
先日、大和郡山へ行って金魚田や金魚資料館を見て来たので、その関連で。

豊富なカラー写真を載せ、「金魚物語」「金魚の基礎知識」「金魚の粋」「金魚水族館」「金魚と暮らす」の5章にわたって、金魚の魅力を多面的に描き出している。

「朱文金」「コメット」「三色琉金」「東錦」「らんちゅう」「頂天眼」など、様々な品種があり、眺めているだけでも楽しい。長年にわたって品種改良とその維持を続けてきた人々の努力に感嘆するとともに、自然界では生きられそうもない畸形を生み出し珍重することに対するちょっとした怖さも感じた。

2015年7月25日、角川ソフィア文庫、920円。

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2015年10月15日

「歌壇」2015年11月号

現在発売中の「歌壇」11月号に、「サハリンの息」30首を発表しました。
夏に1週間ほどサハリンを訪れた時のことを詠んだものです。
どうぞ、お読みください。

posted by 松村正直 at 07:26| Comment(0) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月14日

武富純一歌集 『鯨の祖先』

著者 : 武富純一
ながらみ書房
発売日 : 2014-10-23

帰るなり自室に入る長男とまず居間へ寄る次男とがいる
人間が田んぼを突っ切らないように魚には魚の通り道あり
一枚のレモン浮かべて休日の午後の光は淡くなりけり
紀伊國屋書店に消えし女あり表紙となりて我を見上ぐる
磨り減りし龍あらわれて尾も四肢も溶け込んでいるスープ飲み干す
東京に体は着けどしばらくは心が着かぬままに歩めり
あかさたなはまやらわとは浜風に赤く咲きたるハマナスの花
水のなき溝に入りゆく白猫の立てる尻尾が流れて消える
道祖神のごとく寄り添い微笑みてパックに収まる白きエリンギ
土下座せし過去いう声のぽつぽつと我にもかつて一度いや二度

「心の花」に所属する作者の第一歌集。
のびのびとした明るさとユーモアが特徴的。

1首目、長男と次男の性格の違いを端的に表している。
2首目は釣りをしている場面。上句の比喩になるほどと納得させられる。
5首目、中華料理店でよく見かける丼のマーク。消えた部分はどこへ行ったのか考えると、ちょっとこわい。
6首目、新幹線で東京へ行くと、確かにこんな感じがする。
8首目、道端の側溝はしばしば猫の通り道になっている。尻尾だけ見えているのが面白い。
9首目、「エリンギ」を「道祖神」に喩えたのが秀逸。何となく微笑ましい姿である。

風号と名づくスリムな自転車はいくらしたかは妻には内緒

この歌は、歌集の解説を書いている伊藤一彦の

おぼれゐる月光見に来つ海号(うみがう)とひそかに名づけゐる自転車に
                    『海号の歌』

を踏まえたものだろう。

箸立てに十本あれば足りるのに十四五本はいつもありたり

という歌も、正岡子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」を想起させる。

2014年10月23日、ながらみ書房、2500円。

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2015年10月13日

益岡隆志著 『24週日本語文法ツアー』


全24回にわたって、「補足語」「ヴォイス」「テンスとアスペクト」「ムード」「主題」「副文」「品詞」など、日本語文法の見どころと面白さを記した本。『基礎日本語文法―改訂版―』とあわせて読むと良い。

紹介の場面を文で表現しようとすれば、どのような言い方になるでしょうか。文の中心は、「紹介する」という動詞ですね。(…)「紹介した。」と言うだけで、「誰かが誰かを誰かに紹介した。」といった内容の文であることが了解されるはずです。

日本語文法においては、文の構造を「主語―述語」とは見なさない。文の中心は「述語」であって、それが「補足語」を伴うという考え方である。例えば「紹介する」という述語は「ガ格」「ヲ格」「ニ格」を必要とする。そこでは、従来主語と呼ばれていた部分(「ガ格」)は「ヲ格」や「ニ格」と同じ補足語に過ぎない。

テンスは、過去・現在・未来という時間の流れに関係すると言いましたが、日本語の述語の表現は、基本形とタ形という2つの形を区別するだけです。時間そのものには過去・現在・未来という3つの区別が考えられても、述語の表現は2つの区別しかないわけです。

「テンス」(「今」を基準として出来事の時を位置づける述語の形式)と「アスペクト」(動きの時間的展開の段階を表す形式)の話も大切だ。口語短歌や文語短歌の「時制」の話をする時も、「テンス」と「アスペクト」をきちんと区別して考える必要があるだろう。

その他、「限定的(制限的)な修飾」と「非限定的(非制限的)な修飾」の違いや、「連用形並列」と「テ形並列」の違いなど、短歌を読んだり作ったりする上で示唆に富む話がいくつも出てくる。

短歌を読んだり作ったりする上で文語文法を学ぶことは大切だが、現代の日本語文法を知ることも、それに劣らず大事なことであるに違いない。

1993年10月31日 第1刷、2014年5月8日 第13刷。
くろしお出版、2200円。

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2015年10月12日

菅野匡夫著 『短歌で読む昭和感情史』


副題は「日本人は戦争をどう生きたのか」。

『昭和萬葉集』(講談社、20巻+別巻1)の編纂を担当した著者が、短歌を通じて昭和の戦前期に生きた人々の心の動きを読み解いた本。歌人だけでなく一般の人の歌が数多く引かれている。

この本の大きな特徴は、すべての歌にきちんと解釈が添えられていることだろう。その上で、状況や時代背景が詳しく説明されており、通常の歴史では描き切れない個人と社会の関わりが見事に描かれている。

印象に残った歌をいくつか引こう。
まずは空母「蒼龍」の乗組員として真珠湾攻撃に参加した佐藤完一の歌。

東経百八十度今宵過ぐてふ日暮時海霧(ガス)は立ち来る壁の如くに
防水区画今は全し我が部署に空気の通ふ孔(あな)二つだけ
攻撃機還りたるらし通風筒に耳あてて聞く遠き爆音
戦闘部署十三時間に及ぶこと耳鳴りを感じまた水を飲む

現場の人ならではの迫力と臨場感のある歌である。
こうした歌が残されていることの意義は決して小さくない。

続いて、戦時中の食糧増産のために作られた家庭菜園を詠んだ歌。

妻よ見よ蒔きたる小豆日を吸ひて芽立ちきそへり死なずともよし
               内藤濯

素朴な歌の中にあって「死なずともよし」が強く響く。
内藤濯が『星の王子さま』の翻訳で有名なフランス文学者であることを思うと、胸に迫るものがある。調べてみると、内藤は学生時代から短歌を詠んでいて、昭和46年には宮中歌会始の召人も務めている。

最後に、敗戦後の子どもたちの姿を詠んだ歌。

玉音に泣き伏しゐしが時ありて児らは東京へ帰る日を問ふ
               永山嘉之

学童疎開の子どもたちは、敗戦のショックも束の間のこと、早く東京の親元へ帰りたくてたまらないのだ。その切り替えの早さに、戦後へ向けた明るさを感じる。

こうした心の動きも、歴史の教科書には載っていないことだろう。

あとがきに「寿命が許せば、父母と私たちの時代「戦後」も書いてみたいと思っている」と記す著者の次作にも期待したい。

2011年12月15日、平凡社新書、800円。

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2015年10月11日

皆藤きみ子歌集 『仏桑華』 から (その5)

海霧は嶋山こめて今宵ふかし鰊の群来(くき)を人ら語れり
鰊漁場に男女(をとこをみな)も出稼ぎて街に人手なき鰊季に入る
貧しくてあれば日やとひ七円の収入(みいり)羨しむをあはれと思ひつ
身欠鰊(みがきにしん)つくると魚をさきてゐる婢(をんな)は仕事たのしむらしき
頭並めて藁に下げたる鰊より血潮したたる魚鮮(あた)らしき

「鰊季」7首より。

北海道の各地に残る鰊御殿は往時の鰊漁の賑わいを物語るが、樺太においても西海岸や亜庭湾で鰊漁が盛んに行われた。

1首目、春のいわゆる「鰊曇り」の夜に、鰊が産卵のために沿岸へとやって来る。
2首目、街に住む人もこの時期ばかりは漁にたずさわる。内地からも多くの出稼ぎ労働者が樺太に渡って来たらしい。
3首目、1日に「七円」というのは、今で言えばどれくらいの収入なのだろう。
4首目、内臓を取り除いて鰊の干物を作る場面。京都名物の「にしんそば」に乗っているアレだ。大量の鰊を捌く軽快な動きが見えてくる。
5首目、藁縄につないだ鰊を浜に干しているところ。「頭並めて」とあるので、頭は付いたままの状態である。

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2015年10月10日

皆藤きみ子歌集 『仏桑華』 から (その4)

ビートビンに合図のベルは鳴り渡り凍る夜頃を人動く見ゆ
もろもろの気鑵どよみつつ工場をつつむ蒸気は西風(にし)なびきをり
新進の圧搾機械が吐く蒸気もり上りつつ夜をなびく見ゆ
事業家と農民のこころ相容れぬけはしき事も利にかかはりぬ
一年に三月の操業やうやくにビート完収をつげてきにけり

「製糖期」5首より。

1首目、「ビートビンは原料のビートを貨車より降し、工場よりの合図によりて流送溝に掻き降す露天作業場」という詞書がある。秋から冬にかけての寒い時期、それも夜の屋外の作業である。
2首目、ボイラー(気鑵)から音を立てて盛んに蒸気が立ち昇っている。
3首目、夜空に白い蒸気がなびいている光景。
4首目、「ビートは隔年作なれば農家は耕作を心よしとせず、ビート不足のため製糖は三ヵ月にて完了せんとす」と詞書にある。ビートを栽培する「農民」と製糖会社の「事業家」との思惑にズレがあったようだ。
5首目、ビートの収穫が終わり、工場の稼働も三か月で終わりを迎える。

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2015年10月09日

東京へ(その2)

続いて、青山脳病院・茂吉自宅の跡へ。
茂吉の墓から徒歩15分くらいである。

現在は「王子グリーンヒル」というマンションが建っていて、その駐車場の入口に茂吉の歌碑と説明板がある。

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碑に彫られているのは『あらたま』に載る代表作。

あかあかと一本の道通りたり
霊剋るわが命なりけり

「霊剋る」と書いて「たまきはる」。

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説明板の文字がだいぶ傷んでいるのが悲しい。

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歌碑の最後には「童馬山房跡」「昭和丁巳 霜月」とある。
「丁巳」を調べてみると、この碑が建てられたのは昭和52年(1977年)のことだとわかる。

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2015年10月08日

東京へ(その1)

1泊2日で東京へ行ったついでに、前から行きたいと思っていた場所を訪れた。
まずは青山霊園にある斎藤茂吉の墓である。

地下鉄「外苑前」駅から歩いて10分ほど。
広々とした霊園の中を番地(1種イ2号13側15番)を頼りに探すと、割と簡単に見つかった。

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表には「茂吉之墓」とだけ刻まれた小ぶりな墓である。

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墓誌には「斎藤茂吉」「斎藤てる子」が仲良く(?)並んでいる。
(斎藤輝子の本名は「てる子」)

茂吉の墓と言えば、石田比呂志の「シンジケート非申込者の弁」(「現代短歌雁」21号)を思い出す。「穂村弘の歌集『シンジケート』に私は何の感興も湧かない」という一文から始まる文章の中に、

もしこの歌集に代表されるようなバブル短歌(俵万智以後の異常現象)が、新時代の正風として世を覆うとしたら(…)本当にそういうことになったとしたら、私は、まっ先に東京は青山の茂吉墓前に駆けつけ、腹かっさばいて殉死するしかあるまい。

という有名な一節がある。
まさに石田比呂志の面目躍如といった感じだ。
今、こんなことを言う人はもういないだろう。

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茂吉の墓のすぐ近くには、大久保利通の墓もある。
この霊園には有名人の墓がごろごろあって、眺めているだけで楽しい。

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2015年10月07日

皆藤きみ子歌集 『仏桑華』 から (その3)

焼死木くろく残れる裾野原蝦夷りんどうは茜さしつつ
岩が根をつたひ踏みのぼる登山道かそけきものか清水湧きつつ
鈴谷嶽の三峰のなだり寄るところ渓水合し滝と落つるも
頂上とおもふに霧の深くして二つ巨岩はいづ方ならむ
手をふれてほろほろと落つるフレップの小粒赤実は霧しづくして

「鈴谷嶽登山」11首より。

鈴谷嶽は標高1021メートル。栄浜―大泊間に南北に通る鈴谷山脈の主峰で、豊原から近いこともあって、登山客が多かったようだ。現在はチェーホフ山と呼ばれている。

1首目、山火事の跡が広がる裾野を歩いて行く。エゾリンドウは青紫の花なので、「茜さしつつ」は日に照らされている様子だろう。
2首目、岩の多い登山道の途中に見つけた湧き水。けっこう険しい道のようだ。
3首目、渓を流れる水が合流して、滝となって落ちているのである。
4首目、霧が立ち込めていて山頂に着いたかどうかはっきりと確認できない。二つの巨岩が頂上の目印だったのだろう。
5首目、「フレップ」(こけもも)は樺太の名物。これを採ってジャムや果実酒を作った。

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2015年10月06日

皆藤きみ子歌集 『仏桑華』 から (その2)

新聞も賀状も着かず迎へたる新春三日凍(い)てきはまれり
夫と吾とかたみに曳ける橇の上に稚児(こ)のやすけさようつつねむれり
自が息の眉にまつ毛に凍りつつ身内にこもるこの生命はや
手をとりてぬがせやる子の手袋に凍りし雪は解けてしづくす
室に置くキャベツ凍りて庖丁の刃さきとほらず零下三十度

「新春」11首より。

樺太で初めて迎えた冬の歌である。
台湾から転居して来ただけに、冬の寒さはいっそう応えただろう。

1首目、新聞も年賀状も届かない正月。雪による遅配だろうか。
2首目、小さな子を橇に乗せて雪道を歩いている場面。気持ちよさそうに子は眠っている。
3首目、厳しい寒さのために、吐いた息が眉やまつ毛に触れて凍ってしまう。それはまた、自分が生きていて熱を持っていることの証でもある。
4首目、自力では脱げない手袋を脱がせてやっているのだろう。部屋の中でたちまち溶けていく雪。
5首目、「零下三十度」とあるので、相当な冷え込みである。土間などに置いておいたキャベツが、かちかちに凍っているのだ。

これは歌集全体に言えることだが、子育ての歌に印象的なものが多い。
作者は3人の子を連れて樺太に移り住み、樺太で4人目の子を産むことになる。

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2015年10月05日

皆藤きみ子歌集 『仏桑華』 から (その1)

『仏桑華』は昭和40年に明日香社から刊行された歌集。
1026首を収めており、全体が下記の4編に分かれている。

台湾編(昭和8年8月〜昭和10年8月)
樺太編(昭和10年10月〜昭和18年2月)
上海編(昭和18年2月〜昭和19年10月)
戦後編(昭和20年2月〜昭和38年4月)

皆藤の夫は製糖会社に勤務する技術者であり、その仕事の関係で台湾、樺太、上海という外地暮らしが長く続いたようだ。

幾貨車のビートは山と積まれつつ初製糖の日は近づけり
農作に恵まれぬ嶋の農民が希望をかけしビート耕作
国はての凍土曠野にかにかくに大き創業は成しとげられつ
洗滌機に吸はれて入りし甜菜の輸送筒にして刻まれてをり
工場の玻璃窓に燃えし没りつ陽がソ聯の方(かた)に夕映のこす

「製糖工場」11首より。

台湾編の終わりに「樺太開発の案成りて製糖工場建設のため突如、樺太転勤の辞令を受く」とある。亜熱帯の地から亜寒帯の地への転居であった。

1首目、台湾ではサトウキビが原料であったが、樺太ではビート(甜菜、砂糖大根)が原料である。多くの貨車によって運ばれてきたビートが工場の稼働を待っている。
2首目、樺太は寒冷な気候のために、稲作には不向きであった。農民はたびたび米作りに挑戦しては失敗している。そんな彼らが期待をかけたのがビート栽培だったのだろう。
3首目、「官民合同の樺太製糖」という注が付いている。台湾製糖と同様に、産業振興を目的とした半官半民の会社であったようだ。国土の北の果てに新たな産業を興そうという熱意が感じられる。
4首目、稼働する工場の様子を詠んだ歌。洗われた甜菜が輸送管を通りつつ刻まれていく。
5首目、工場は豊原にあったようなので、ここで言う「ソ聯」とは樺太の北緯50度以北ではなく、間宮海峡を隔てた大陸側を指しているのではないか。西空に広がる夕焼けである。

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2015年10月04日

熊本へ

週末は1泊2日で熊本へ。
熊本市内を訪れるのは十数年ぶりのこと。

3日(土)は少し早く着いたので、熊本城を見に行く。

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天気が良くて10月とは思えない暖かさ。
外国人の観光客も多く、非常に賑わっている。

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天守閣からの眺め。

13:00から、熊日生涯学習プラザで「塔」の熊本歌会。参加者14名。
よく知っている方も初めてお会いする方もいて、楽しい歌会だった。

その後、老舗の中華レストラン「紅蘭亭」で懇親会。
熊本名物の太平燕(たいぴーえん、春雨を使った麺料理)もいただく。

4日(日)は、江津湖の湖畔を散策して、その後、夏目漱石内坪井旧居を見学。
お昼に山水亭で熊本ラーメンを食べて、帰って来た。
新幹線に乗ると熊本から新大阪まで3時間弱。かなり近い。

posted by 松村正直 at 19:56| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

『京都ぎらい』のつづき

筆者が繰り返し述べるのは、嵯峨や宇治は「京都」ではないということだ。

嵯峨でそだち宇治にくらす私のことを、洛中の人なら、まず京都人とはみなすまい。だが、東京をはじめとする他地方の人々は、ちがう。私の経歴を聞いたうえで、それでも私のことを京都人よばわりする人が、ずいぶんいる。こまった人たちだなと思う。

「京都」と一口に言っても、「洛中」と「京都市」、さらに「京都府」では、全然ニュアンスが違うのである。

私は今、京都市伏見区に住んでいるのだが、そこはどんな位置付けかと言うと、

伏見区は、京都市にくみこまれている。行政的には京都市内の一区をなしていると、そう言わざるをえない区域である。しかし、洛中の京都人たちは、伏見区を京都の一部だと考えない。彼らは、あのあたりを洛南、つまり洛外にあたるところとして位置づける。だから、京都人をよそおう伏見の人がいれば、それを思いあがっているとうけとめる。

ということになる。

まあ、「京都」と言われて一般にイメージされる碁盤目の通りも、神社仏閣も、比叡山も鴨川も、私の住む周囲にはないので、京都という感じがほとんどしないのは確かだ。

こうした居心地の悪さ(?)は、私が自分の出身地を答える時にも感じる。私は「東京出身」であるが、「東京」と言って一般にイメージされる高層ビルや人混みや繁華街とは無縁の場所で育った。だから、必ず、「東京と言っても、町田市と言って神奈川県との県境のところで・・・」と慌てて言い訳のように付け足すことになるのである。

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2015年10月01日

井上章一著 『京都ぎらい』


京都郊外の嵯峨に生まれ、現在は宇治に住む著者が、京都人(洛中に住む人)の洛外に対する差別意識や、外からは見えない京都の裏話を記した本。

「まえがき」から京都あるあるネタの続出で、何度も笑ってしまった。京都について辛辣に書いていて相当に毒のある内容なのだが、その底には京都愛が滲んでいる。きっと、この本は京都の人がむしろ好んで読むのだろう。

別にお笑い目的の本ではなく、京都の歴史や文化に関する深い考察が随所にある。あまり知られていない事実も多く、京都の見方が変わりそうだ。

ちなみに、世間ではうやまわれる回峰行も、比叡山ではそれほど重んじられていない。立派だと思われてはいるが、ある種体育会系的な業績としても、位置づけられている。
くりかえすが、室町時代の京都では、武将たちの一行をうけいれる寺が、ふえだした。人目をよろこばせる庭が、寺でいとなまれるようになったのは、そのせいだろう。
いずれにせよ、江戸時代の堂塔や庭園は、京都の主だった観光資源になっている。多くの観光客が見ているのは、江戸幕府がささえた京都の姿にほかならない。

杉本秀太郎(フランス文学者、エッセイスト)や梅棹忠夫(民族学者、国立民族学博物館名誉教授)といった京都人のエピソードも実名で紹介されている。いやはや、おそるべし、京都人。

2015年9月30日、朝日新書、760円。

posted by 松村正直 at 11:21| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする