2010年から2013年までの作品542首を収めた第9歌集。
近年、ベテラン歌人は歌集の刊行頻度が高く、若手は第一歌集を出すのが早く、待望の歌集ということがあまりないのだが、小池光は私にとって数少ない「待ちに待った歌集」を出してくれる歌人である。
今回の歌集では、妻の死が大きなテーマとなっている。
普段は歌集を読んで泣くことなどないのだが、この歌集は途中で泣いてしまった。
まずは前半から。
トリニダード「三位一体」而(しこう)してトバゴは「たばこ」 夕陽が赤い
ウエディング・ドレスまとひて志野が来るこの現実をなんとおもはむ
四十九個の疣(いぼ)の一つをわれ押してはなれたところのテレビを消しつ
かなしみの原型としてゆたんぽはゆたんぽ自身を暖めてをり
屋根瓦屋根にならべてゆく仕事 ひとの仕事は楽しげに見ゆ
わが妻のどこにもあらぬこれの世をただよふごとく自転車を漕ぐ
短歌人編集人たりし二十五年ただ黙々ときみあればこそ
50mサランラップが唐突にをはりを迎へ心棒のこる
着物だつて持つてゐたのに着ることのなかりしきみの一生(ひとよ)をおもふ
原発事故は人災といふその「人」は誰かわれらみづからにあらずや
1首目、カリブ海にあるトリニダード・トバコ共和国の名前の由来。キリスト教の概念と煙草の落差がおもしろい。
2首目、癌を病む母のために結婚式を急いだ娘。かつて〈「座敷童子(わらし)はひとを食ふか」とかれ訊くに「くふ」と応ふればかなしむごとし〉〈大きくなつたら石鹼になるといふ志野のこころはわれは分らず〉と詠まれた志野である。この1首だけを読んでいるというよりは、読者の側のそういう思い入れも含めて読んでいることになるのだろう。
4首目、ゆたんぽの中のお湯は、まず、ゆたんぽ自身を暖めるのだ。
5首目、他人の仕事は楽しそうに見える。もちろん、当人にとっては楽しいことばかりではない。
6、7、9首目は、亡くなった妻への挽歌。こういう歌を読むと、短歌は究極のところ、人間の生老病死が詠めればそれで十分なのだという気さえする。
10首目、近年しばしば「人災」という言葉が他人事のように使われるが、その「人」には私たち自身も入っているのではないかという問い掛けが重い。
2015年9月25日、角川書店、3000円。