戦中から戦後にかけての茂吉の様々な苦労や、晩年の肉体的な衰えなどがよく伝わってきて、しんみりとした気分になる。
終わりの方にある昭和26年9月1日の記録。
私は新刊の「短歌入門ノオト」と「長塚節全歌集」とをさしあげた。先生は一冊ずつ手にとって開いたが、単に開いたというだけ。若夫人が飲物をもって来て、父は頭がぼんやりしているから何か要事があるなら私たちが聞くという。私には要事はなかった。
「私には要事はなかった」が何とも悲しい。もともと何の用事があるわけではないのだ。晩年は主に師の話相手になったり身体を揉んだりするために通っていたのである。
後記には
晩年になって、先生の健康が徐々におとろえ、頭脳が徐々におとろえてゆくのを見るのはいたいたしかった。(…)これ以上私などが先生を見てはならない。それは先生をけがすというものだ。そう思って昭和二十七年のある日をもって記録をうちきったのであった。
と記されている。
これは、後に秋葉四郎が『短歌清話 佐藤佐太郎随聞』の最後の記録(昭和61年12月28日)に
先生がじみじみと話すとき、言語があいまいになり、ほとんど理解できない。江畑氏が脳軟化症の特色だと後に言ったが、ひどくさびしい。病む先生をただ見守るのみの自身が殊更虚しい。もう私は歌人佐藤佐太郎の言行を記録してはならない。
と記して、記録を打ち切ったことへと遠くつながっている。
歴史は繰り返すと言うべきか、誰もが通る道と言うべきか。師弟関係の最も深い部分を見たような気がして、厳粛な気持ちになった。
1973年5月20日、角川書店、2400円。