佐藤佐太郎の中期以降の弟子ということになる。
そのため、100首選のバランスが後半に大きく偏っているのが、本書の特徴と言っていいだろう。
『軽風』 2首
『歩道』 6首
『しろたへ』 4首
『立房』 3首
『帰潮』 7首
『地表』 5首
『群丘』 8首
『冬木』 8首
『形影』 10首
『開冬』 10首
『天眼』 12首
『星宿』 14首
『黄月』 11首
これはまた、
佐太郎の作歌は「純粋短歌」の、覚醒から自覚、確立、進展、拡充、円熟、完成といった確実な軌跡を年輪と共に進んだのであった。
という捉え方の結果でもある。死ぬまで歌人として成長を続けていったという見方は、弟子の気持ちとしてはよくわかるのだが、当然異論も出る部分であろう。
もう一つ。
たまきはる内の涙をさそふまでこのみたま等の献げたるもの
特別攻撃隊讃歌 『しろたへ』
この歌について著者は「太平洋戦争もいよいよ切実な状態になった昭和十七年の作で」と述べている。けれども、昭和十七年と言えばまだ戦争の初期の段階であり、「いよいよ切実な状態」という鑑賞には違和感がある。「特別攻撃隊」を昭和十九年以降の神風特別攻撃隊と混同しているのではないだろうか。
この歌は、同じ一連に〈真珠湾に敵を屠りてみづからもその轟のなかに終りき〉〈九つのみたまの永久(とは)のいさをしを心にもちて吾はしぬばむ〉といった歌があることからもわかるように、真珠湾攻撃における特殊潜航艇の攻撃と9名の戦死者(九軍神)を詠んだものである。