2015年03月31日

『鑑賞・現代短歌四 佐藤佐太郎』の続き

著者の秋葉四郎は1966年に「歩道」入会。
佐藤佐太郎の中期以降の弟子ということになる。
そのため、100首選のバランスが後半に大きく偏っているのが、本書の特徴と言っていいだろう。

『軽風』   2首
『歩道』   6首
『しろたへ』 4首
『立房』   3首
『帰潮』   7首
『地表』   5首
『群丘』   8首
『冬木』   8首
『形影』  10首
『開冬』  10首
『天眼』  12首
『星宿』  14首
『黄月』  11首

これはまた、

佐太郎の作歌は「純粋短歌」の、覚醒から自覚、確立、進展、拡充、円熟、完成といった確実な軌跡を年輪と共に進んだのであった。

という捉え方の結果でもある。死ぬまで歌人として成長を続けていったという見方は、弟子の気持ちとしてはよくわかるのだが、当然異論も出る部分であろう。

もう一つ。

たまきはる内の涙をさそふまでこのみたま等の献げたるもの
            特別攻撃隊讃歌 『しろたへ』

この歌について著者は「太平洋戦争もいよいよ切実な状態になった昭和十七年の作で」と述べている。けれども、昭和十七年と言えばまだ戦争の初期の段階であり、「いよいよ切実な状態」という鑑賞には違和感がある。「特別攻撃隊」を昭和十九年以降の神風特別攻撃隊と混同しているのではないだろうか。

この歌は、同じ一連に〈真珠湾に敵を屠りてみづからもその轟のなかに終りき〉〈九つのみたまの永久(とは)のいさをしを心にもちて吾はしぬばむ〉といった歌があることからもわかるように、真珠湾攻撃における特殊潜航艇の攻撃と9名の戦死者(九軍神)を詠んだものである。

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2015年03月30日

秋葉四郎著 『鑑賞・現代短歌四 佐藤佐太郎』


佐藤佐太郎の秀歌100首を選んで鑑賞文を付したもの。
あらためて良い歌が多いことに感じ入る。

山葵田(わさびだ)をやしなふ水は一谷(ひとたに)にさわがしきまで音ぞきこゆる
音たてて流るるみづに茂りたる山葵の葉群(はむら)やまず動きぬ
植ゑつけしばかりの山葵二株づつ石に敷かれて水になびかふ
山葵田のふる雨に人働きてわさびの香するところ過ぎゆく
白々と見ゆるわさびの長茎(ながくき)を背に負ひながら帰りゆく人

第3歌集『しろたへ』の「山葵田」15首より。

1首目の歌について、著者は

深閑と静まりかえった谷間の山葵田。そこには、山葵を養う清流が、「さわがしきまで」響くのだ。その音を言って、青々と茂った山葵田のいくつもをめぐる静寂と清澄な空気とを感じさせる。

と述べているが、まさにその通りだろう。
「やしなふ」という動詞の選びが良く、また「やしなふ水は」の「は」の使い方も絶妙だ。「山葵田をやしなふ水の音ぞきこゆる」とつながってしまってはダメなのだ。

著者が「山葵田」の一連を最初に読んだ時の感想として「こんなに清冽な世界が短歌によってかもし出されていることに感動した」と記しているのも、よくわかる。

1991年5月30日初版、2003年4月30日四刷、本阿弥書店、2000円。

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2015年03月29日

古い「アララギ」

京都府立図書館に行って古い「アララギ」を読む。
調べものがあったのだが、そちらは残念ながら見つからず、代りにこんなのを見つけた。

「アララギ」大正9年8月号の土屋文明選歌欄。
全部で42名が載っている。

「信濃 篠原逸也」「久留米 今井志加子」など、現在の結社誌と同じく「地名+氏名」が作品と一緒に載るのだが、時々、地名を書いていない人がいる。

そんな時、文明は作品の後に小さな字でコメントを記す。
それが全部で3人いる。

・岡崎真一  国名を書いて下さい
・田畑よしへ 国名を書くこと
・松浦路   何故国名を書かぬか

最初は丁寧にコメントしていたのが、だんだん腹が立ってきたのだろう。言葉がきつくなっていく。そんな文明の様子が見えてくるようで、何だか微笑ましい。松浦さんには申し訳ないけれど。

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2015年03月28日

西牟田靖著 『本で床は抜けるのか』


ウェブ・マガジン「マガジン航」に2012年4月から7月にかけて連載された文章を加筆・再構成したもの。

著者は『僕の見た「大日本帝国」』『ニッポンの穴紀行』などの書著があるノンフィクション作家。同じ年齢ということもあって親近感を持っている。

木造アパートの2階の部屋に大量の本を置いた著者が「床抜け」の不安を覚えるところから話は始まる。著者は実際に「床抜け」した人の話を聞きに行き、さらには蔵書を大量に処分した人や、蔵書を電子化した人、大きな書庫を建てた人など、蔵書をめぐる様々なドラマを追っていく。

本がどのぐらいあるか、玄関に本があるかどうかがひとつの基準となります。玄関が本で占拠され、中に入るのが困難な状況であれば、多いとみて間違いありません。

これは蔵書整理を手掛けている古書店主の発言。
これを読むと、わが家はまだ大丈夫だと安心する。

最初は本をめぐるドタバタを描いた軽い本だと思って読んでいたのだが、次第に話はシリアスになり、最後はじんとしてしまった。何とも身につまされる内容で、とても他人ごとではない。

2015年3月10日、本の雑誌社、1600円。

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2015年03月27日

角川「短歌」2015年4月号

島田幸典さんの評論「論じられた佐藤佐太郎(1)―戦後短歌史の鏡像として」が良かった。前衛短歌運動が盛り上がっていた昭和30年代に、佐太郎がどのように論じられてきたかをたどることで、戦後の短歌史を再検討しようというもの。

前衛短歌運動が主題・方法・私性の全面的「拡大」に革新の行方を見出そうとしていたとき、「純粋短歌論」はまさに対極的方向に活路を求めた。

佐太郎の立言は、一面において戦後の短歌が志向したものとの対照性を際立たせる。だが、同時に方法意識の鋭さ・強さという点で佐太郎は紛れもなく現代的であり(…)

時代・社会を詠えという強い圧力のもとで、純粋短歌論は孤独であった。

近代短歌が前衛短歌を経て現代短歌になったという従来の短歌史観では、佐太郎の歌業をうまく位置付けることができない。そういう意味でも、佐太郎に焦点を当てて戦後短歌史を捉え直そうというのは良い着眼点だと思う。この後どのように話が展開していくのか、次号が楽しみだ。

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2015年03月26日

山本寛太歌集 『北緯49°』から(その3)

大根(おほね)あまた売りし空地に風とほす板小屋立てて凍て魚を並ぶ
箕(み)の中ゆ開くかますに凍て魚のいま移さるとかたき音をたつ
土間の上にぶちまけられしうろくづのうごめきにつつ凍てゆくらむか
凍て河を時折よぎる犬橇にスケートをやめわれは佇ち見つ
氷下魚(こまい)つめし俵を人は凍て河の岸辺に運び来ては積みあぐ

「氷下魚」14首より。

1首目、大根を売っていた場所に小屋を立てて、冬場は魚を売っている。
2首目、「かます」は魚のカマスではなく、藁むしろの袋のこと。床に並んでいる魚を掬って袋に入れている場面だろう。
3首目、獲ってきた魚を土間に放り出すと、生きたまま凍ってしまう寒さなのだ。
4首目に出てくる「凍て河」は幌内川のことだろう。ソ連領から南下して敷香へと流れている川。氷の上を移動する犬橇や作者がやっているスケートなど、冬の樺太ならではの光景である。
5首目、氷に穴を開けて釣った魚を俵に詰めて川岸に積み上げているところ。

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2015年03月25日

掲載情報

現在発売中の「現代短歌」4月号で阿木津英さんと対談をしました。
「短歌と人間」というテーマで17ページにわたって話をしています。
どうぞ、お読みください。

また、毎日新聞に月に一回連載している「短歌月評」も丸一年になりました。
これまでに書いたもののタイトル、取り上げた歌集等は下記の通りです。

 ・「小高賢の言葉」(2014年4月21日朝刊)
    『シリーズ牧水賞の歌人たち 小高賢』
 ・「ジェンダーと選考」(5月19日朝刊)
    「本郷短歌」第三号
 ・「イクメンのいま」(6月16日朝刊)
    大松達知歌集『ゆりかごのうた』
 ・「以前と以後」(7月21日朝刊)
    梶原さい子歌集『リアス/椿』
 ・「決まり文句を使う」(8月18日朝刊)
    吉岡太朗、栗原夢子、辻井竜一
 ・「軍歌をめぐって」(9月22日朝刊)
    「佐佐木信綱研究」第二号、辻田真佐憲著『日本の軍歌』
 ・「渡辺松男とは誰か」(10月20日朝刊)
    渡辺松男歌集『きなげつの魚』、角川「短歌」10月号
 ・「文語と口語の新局面」(11月17日朝刊)
    安田純生、大辻隆弘、斉藤斎藤
 ・「新しい流れと結社」(12月14日朝刊)
    佐伯紺、石井僚一、谷川電話、吉岡太朗、楠誓英、服部真里子
 ・「玉石混淆の中から」(2015年1月26日朝刊)
    千種創一、平岡直子、小原奈実、七戸雅人、安田茜
 ・「御製と政治」(2月23日朝刊)
    松澤俊二著『「よむ」ことの近代』、平山周吉著『昭和天皇「よもの海」の謎』
 ・「身体と自然」(3月23日朝刊)
    小谷奈央「花を踏む」「鮑春来」

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2015年03月24日

『短歌清話 佐藤佐太郎随聞 下』の続き

印象に残った佐太郎の言葉をいくつか引く。

あなたたちの歌は皆上手いが、優等生の作文のようなところがあるんだな。何か一つ欠けているところがある。(…)それは何であるか。自分のことに裏打ちされた何かが一首一首の歌に入っていることが必要ですね。

あなた達も、私がやったように、自分で考えて自分で努力することが大事ですよ。自分で考えるという努力さえすれば、教えるという立場の側には不足はないんです。

私たちは事実を大切に思っているが、事実だからただ大事だと言って終わっていたらつまらんですよ。その中に何かがなくてはね。

斎藤茂吉はしきりに即席の歌会をした。時代も変わって、つまらないように思うかも知れないが、われわれは歌が好きなんだから、暇があったら、こういう歌会をした方がいい。

実際に、佐太郎はしばしば即席の歌会をしている。旅先での昼食後やバスでの移動の間など、少し時間があると何人かで歌会をしている。

世間ではよく老成といって年をとった方がだんだんよくなるように言うが、私はこの頃違うと思うようになった。あるところまでは伸びるが、それ以後はもう下り坂だ。

これに続いて「私なんかもう下り坂だ」と述べる佐太郎の姿は痛ましい。当時、佐太郎は74歳。常に向上を目指して努力してきた佐太郎の言葉であるだけに重く響く。

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2015年03月23日

秋葉四郎著 『短歌清話 佐藤佐太郎随聞 下』


上下巻あわせて1050ページにのぼる本を読み終えてしまった。
もう佐太郎の声を聞くことができないと思うと寂しい限り。

下巻は昭和53年から昭和61年まで。

翌62年8月に佐太郎は亡くなるのだが、61年12月に入院中の佐太郎を見舞った際に「もう私は歌人佐藤佐太郎の言行を記録してはならない」と決断して、この随聞を終えている。

下巻のハイライトは、やはり昭和58年の連帯退会事件であろうか。この年、「歩道」の古い会員であった長澤一作、菅原峻、川島喜代詩、山内照夫、田中子之吉の5名が「歩道」を退会して新雑誌「運河」を創刊した。当初は「世間ではよくあること」と言って淡々と対応していた佐太郎であったが、やがて激怒することになる。

このあたりの経緯については、双方の言い分を聞いてみないと実際のところはわからない。著者も片方の当事者なので、すべて信用するわけにもいかないだろう。

ちょうど「現代短歌」4月号に「運河」の山谷英雄が長澤一作について書いている文章があったので、あわせて読んでみる。

長澤一作の短歌における最も大きな事件は、先ず師の佐藤佐太郎を得たことであり、また次にはその師と別れなければならなかったことである。

山谷はこのように記した上で、長澤が「終生師を敬い歌と歌論に学び続けた」と結論づけている。このあたり、自分なりにもう少し調べて考えてみたいところだ。

2009年9月27日、角川書店、2857円。

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2015年03月22日

内藤正典著 『イスラム戦争』


副題は「中東崩壊と欧米の敗北」。

現在の中東情勢を過去に遡って分析し、イスラム報道の問題点や欧米の確立した中東秩序の限界を論じた本。日本の集団的自衛権容認のはらむ問題にも踏み込んでいる。

そもそも、ムスリムに「原理主義」と言っても何のことだか理解できません。なぜなら「イスラム原理主義」というのはアメリカにおける造語だからです。

「カイダ」とは、ベース、拠点を意味します。「アル」は冠詞ですから、“The Base”という意味でしかありません。アラビア語では野球のことを「アルカイダのボール」と言います。

こんな小さなことを知るだけでも、中東問題の見方が少し違ってくる気がする。

また、本書は「イスラムの一夫多妻は野蛮か?」「イスラムは女子教育を否定しているのか?」「イスラム主義者は話が通じないか?」「奴隷制復活は不可避か?」「イスラムの刑罰は残虐か?」など、私たちがふだん疑問に感じていることにも丁寧に答えている。

グローバル化が叫ばれるなか、アメリカのスタンダードにすり寄ることが大事だと信じている人もいれば、ひたすら反米で世界を見ようとする人もいます。問題は、どっちに偏っても、戦争の犠牲になる人々を減らすには、まったく役に立たないということです。

自分の主義主張に合わせて世界を見ようとしないこと。「偏らない」ためにも、イスラムに対する理解を少しずつでも深めていく必要がある。

2015年1月21日、集英社新書、760円。

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2015年03月21日

山本寛太歌集 『北緯49°』から(その2)

国境に向ひ出でゆく街道を自動車はどろのなか泳ぎゆく
国境にわだかまり立つ山肌の雨後の鮮けき色は見え来ぬ
黒々と山火はしりし焼け山の肌(はだへ)に沿うて雲うつりゆく
この山を迂回しのぼる路すらも砲車ゆくべき勾配につくる
国境標の石刷りの布壁にはりてたしかに踏破して来しを思ふ

「日ソ国境」5首から。

1首目、敷香から北緯50度の国境線までは約100キロ。「どろのなか」とあるので、未舗装の道路を走って行ったのだろう。
2首目、国境近くの山の姿である。西樺太山脈に連なる半田山か。
3首目、「山火」=山火事は樺太名物と言われるほどしばしば発生していた。
4首目、もしソ連と戦争になった際には「砲車」を最前線まで運べるように道が作られているのだ。このあたり、やはり国境近くならではの緊迫感がある。
5首目、国境線には標石が設置されている。その拓本を記念にとってきたわけだ。当時よく行われていたことなのかもしれない。

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2015年03月20日

山本寛太歌集 『北緯49°』から(その1)

山本寛太(1909年生まれ)は「青垣」の歌人で、昭和2年から15年まで教員として樺太に住んだ。タイトルは、著者が樺太で8年間暮らした敷香(しすか、しくか)の緯度を表している。当時、北緯50度が日本とソ連の国境線であった。

ちなみに稚内は北緯45度、京都は四条通りに北緯35度の碑が立っている。

冬枯れのあら野の中へひらけゆく新市街建築の音ぞきこゆる
にごり水かぐろに逆巻き多来加のツンドラ湖の近くなりにし
雪まじるあら風うけて湖にはれる薄氷(うすらひ)のきしみ岸につたはる
言通はぬ土人ふたりと夕くらむ砂浜の上を歩みゆくなる
橇の馬うまやに曳くらしきしみきしみひづめの音す宿のまはりに

「冬枯れ」11首から。
1首目、樺太北部の中心地であった敷香の発展ぶりがよくわかる歌。戦前は約3万人がここに住んでいた。
2首目、多来加(たらいか)湖は敷香北東の海沿いにある湖で、当時、琵琶湖・八郎潟に次いで日本で3番目に大きな湖であった。
3首目、多来加湖に張った氷のきしむ音が岸まで響いている。
4首目、「土人」とあるのは、ウィルタやニヴフなどの先住民族である。彼らに案内をしてもらったのだろう。敷香の近くには「オタスの杜」と呼ばれる先住民指定居住地があった。
5首目、雪道の移動には馬橇が使われる。その馬が厩へと曳かれていく音。

1957年10月10日、青垣発行所、200円。

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2015年03月19日

光嶋裕介著 『みんなの家。』


副題は「建築家一年生の初仕事」。
著者の名前は「こうしま・ゆうすけ」。

ベルリンの建築設計事務所で4年弱働いて、日本で事務所を開いたばかりの著者が、内田樹の自宅兼道場「凱風館」を建てるまでの出来事を記した本。先月読んだ内田樹著『ぼくの住まい論』と対になるような内容で、巻末には井上雄彦(漫画家)×内田樹×著者の鼎談も載っている。

1979年生まれの著者は建築現場では最年少なのだが、施工者(工務店)、構造設計事務所、大工、左官、瓦職人、テキスタイル・デザイン・コーディネーター、画家といった人々と打合せを重ねつつ、全体を指揮していく。

その明るさを持った前向きな姿勢が清々しく気持ちいい。
建築に対する著者の志がひしひしと伝わってくる本である。

2012年7月20日、アルテスパブリッシング、1800円。

posted by 松村正直 at 07:22| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月18日

『噴水塔』の続き

いい日だぜ「ぜ」をあやつって若枝のわが二十代とおく輝く

これは、加藤治郎の第1歌集『サニー・サイド・アップ』に収められている

マガジンをまるめて歩くいい日だぜ ときおりぽんと股(もも)で鳴らして

を踏まえた一首。軽やかな口語を駆使して明るい歌を詠んでいた若き日を振り返っているのだ。この二首の間に約30年の歳月の隔たりがある。

歌集には他にも先行する作品を踏まえたと思われる歌がいくつかある。

青茄子の四、五本朽ちて居たりけりこの路を行く昭和の男
                   『噴水塔』
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり
                   斎藤茂吉
平凡にインフルエンザに罹りけりたのみのつなのタミフル十錠
                   『噴水塔』
歌人おおほかた虚空にあそぶ青葉どきたのみの綱の佐佐木幸綱
                   塚本邦雄
代々木野の五輪会場うす闇に馬のまなこはきらめきにけり
                   『噴水塔』
しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬の眼はまたたきにけり
                   斎藤茂吉

こんなふうに連想しながら読んでいくのも愉しい。

posted by 松村正直 at 21:50| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月17日

加藤治郎歌集 『噴水塔』

著者 : 加藤治郎
KADOKAWA/角川学芸出版
発売日 : 2015-02-28

第9歌集。2012年から14年までの作品350首を収める。

滝の水、音を離れて落ちにけり飛沫をあびるこの天地(あめつち)に
年齢差は縮まらないということをランプシェードの埃が落ちる
水仙のひややかにしてまよなかのひかりのなかにあなたはひらく
暗い緑の路面電車がやって来る寺山修司七十八歳
黒犬は舌をたらして居たりけり最終バスの発車のあとに
荒野には一本の道あらあらと3七銀は猟犬のごとし
濡れた髪きりきり絞るゆびさきの静かな冬よゆりかもめ飛ぶ
夜よりも朝は甘くてささやきの羽根はふたりの耳を行き交う
ゆるされてあなたの肌を舐めているときおり跳ねるあなたの肌を
腕時計つけて寝ていたちちのみの父の歳月ゆるやかに去る

2首目、上句の思いと下句の景の取り合わせに味がある。
3首目、「ひややか」「ひかり」「ひらく」の「ひ」の音、「ひややか」「まよなか」「なか」の「か」の音、「まよなか」「なか」「あなた」の「な」の音が響き合う。
6首目は将棋の矢倉3七銀戦法を踏まえた歌。
8首目は一夜をともにした男女の朝の様子で、「ささやきの羽根」が美しい。
10首目、父の挽歌の中の一首。「腕時計つけて寝ていた」に父の性格がよく表れている。

2015年1月28日、角川学芸出版、2500円。

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2015年03月16日

短歌講座の写真

朝日新聞の夕刊にNHK学園の大きなカラー広告が載っている。

その中に「はじめての短歌」の広告もあるのだが、その写真がどうもいただけない。中高年の男女(夫婦?)が片手に短冊、片手に筆を持っている写真なのだ。

実際は、こんな場面はもう日常的にはほとんど見られない。

短歌をやらない方が短歌に対してこういうイメージを持っているのは仕方がないとしても、短歌講座を行う側がそれでは困るだろう。間違ったイメージを広げてしまうだけではないか。

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2015年03月15日

『現代秀歌』を読む会のお知らせ

永田和宏著『現代秀歌』(岩波新書)を読む会を月に1度行っています。
今年1月から毎回1章ずつ読み進めていて、次回3月24日(火)は第三章を読みます。

会の内容は、参加者が順番に声を出して読み、全員で感想や意見を語り合うというものです。事前の申し込みの必要はありません。「塔」会員以外の方も参加できますので、どうぞお気軽にご参加下さい。

日 時 毎月第4火曜日 午後1時〜4時
      3月24日(火)第三章 新しい表現を求めて
      4月28日(火)第四章 家族・友人
      5月26日(火)第五章 日常
      6月23日(火)第六章 社会・文化
      7月28日(火)第七章 旅
      8月25日(火)第八章 四季・自然
     10月27日(火)第九章 孤の思い
     11月24日(火)第十章 病と死

場 所 塔短歌会事務所
     〒604-0973 京都市中京区柳馬場通竹屋町下る五丁目228
           「碇ビル」2階西側
     http://www.toutankakai.com/officemap.gif

参加費 一回500円
問合せ 松村正直まで

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2015年03月14日

本橋信宏著 『東京最後の異界 鶯谷』


鶯谷(東京都台東区根岸周辺)の歴史やそこに生きる人々の姿を追ったドキュメンタリー。

先月、子規庵を訪れた際にJR山手線の鶯谷駅で降りた。鶯谷駅は山手線の全29駅の中で、一日の乗降客数が最も少ない駅なのだそうだ。

鶯谷駅ホームに立つと、二つの異界が眺望できる。
山手線の外側―池袋方向から山手線外回り、時計方向に進行し下車して左手に広がるのは、乱立するラブホテル群である。
対してホームの反対側は、上野寛永寺の霊園が広がる。

まさに、この通りの景色が広がっていた。「明治期までは、風情ある鶯の鳴き声で満たされる田んぼと渓谷の土地柄」であった鶯谷は、現在ではラブホテルの林立する地区となっている。

そう言えば、花山多佳子さんにも子規庵を訪れた時の歌があった。

鶯谷の駅の通路に描かれてただにつたなき梅と鶯
「このへんはなぜラブホテルが多いの」夫が訊いてをり子規庵の人に
                花山多佳子『胡瓜草』

2015年2月19日、宝島SUGOI文庫、780円。

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2015年03月13日

『短歌清話 佐藤佐太郎随聞 上』の続き

本書の一番の読みどころは、やはり短歌に関して佐太郎が語っているところだろう。印象に残る言葉がたくさんある。

歌の批評には敬語を一切使わないのがいい。内容をずばずば批評し合うのがいいね、歌を批評し合う会なのだから。

道徳的でないことを仮にするとする。人間だからあり得る。その人がそういう歌を作っても、歌として良くさえあればいい。

よい歌が選ばれず、悪い歌が採られるようであれば結社の歌は駄目になる。

人生をいきてゆく間には実際、苦しいことも悲しいこともある。しかし、短歌を作ることによってそういう苦しみ、悲しみも一つの味わいとして受けとることができる。

歌は君、言い方だからね。どう言うかで決まる。見たところはみな同じなんだから。

一つ一つ、なるほどと頷きながら読んだ。

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2015年03月12日

秋葉四郎著 『短歌清話 佐藤佐太郎随聞 上』


秋葉四郎さんが、師の佐藤佐太郎の言行について日録風に記したもの。上巻は昭和45年から52年まで。

上下巻各500ページにも及ぶ分厚い本だが、すこぶる面白い。夢中になって読んでしまう。もっとも、佐太郎に興味がない人には少しも面白くないに違いない。

佐太郎が斎藤茂吉について『童馬山房随聞』を記したように、かつては弟子が師に付き随って、その言行を書き止めておくというスタイルがよく見られた。「随聞」という言葉を調べると、古くは鎌倉時代に懐奘が師の道元について記した『正法眼蔵随聞記』にまで行き着く。

そう言えば、「論語」にしても「聖書」にしても「コーラン」にしても、孔子やイエスやムハンマドが直接書いたわけではなく、弟子たちが師の言行を書き残したものだ。つまり、こうしたスタイルは時代を超えて普遍的な意味を持っているのだろう。

本書を読んで驚かされるのは、師弟の関わりの濃密さである。月に何度も佐太郎の家に通っては、部屋の整理や庭木の手入れ、車の運転、孫の勉強の相手など、様々な用事をしている。もちろん短歌の指導も受けているのだが、感覚としては「内弟子」に近い。

そうした関係は時代遅れだと思う一方で、その濃密さを羨ましく思ったりもする。

2009年9月27日、角川書店、2857円。

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2015年03月11日

「佐佐木信綱研究」第3號

第2号の「校歌・軍歌特集」に続いて、第3号は「新体詩特集」。
信綱の幅広いジャンルにわたる活動を視野に収めようという意図がよく伝わってくる内容だ。

座談会「新体詩とは何か?」の中で研究者の勝原晴希氏がいくつも興味深い論点を提示している。

(新体詩は)黙って読むと退屈なんだけれども、歌うと、あるいは歌っているのを聞くと、そんなに退屈でもない。

歌人たちは和歌を革新したというよりは、長歌を革新した。別の言い方をすると、歌人たちの和歌革新は、長歌の革新(改良)から始まったのではないでしょうか。

だいたい近代詩は藤村からというのが普通ですね。ただ現代詩になると、朔太郎からだと言う人と、昭和のモダニズムからだと言う人とちがってくるんです。現代詩の出発はどこからかというのは、まだはっきりとしてないですね。

誌面には明治26年の「國民之友」に発表された信綱の新体詩「長柄川」が掲載されている。五七調で385句も続く長い詩で、この年の8月に長良川の洪水により多数の死者が出た出来事を詠んでいる。声に出して読んでみると、なかなかいい。

編集後記には「和歌と短歌、短歌と歌、江戸と明治をつなぐ物として、新体詩の姿が浮かび上がってきた」とある。和歌と短歌、江戸と明治を「切断」ではなく「連続」として見る観点は、今後ますます大事になってくるに違いない。

2014年12月2日、佐佐木信綱研究会、1500円。

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2015年03月10日

塔・未来合同全国大会(その2)

1965年に京都の「花の家」で行われた塔・未来合同歌会は、どんな内容だったのだろうか。大会の概要は下記の通りである。

8月21日(土)
17:00 集合、入浴、夕食
19:00 討論会「文明研究」(司会:岡井隆)
       ・黒住嘉輝「作品よりみた文明の幼児体験」
       ・大島史洋「文明の口語歌について」
       ・山上岩男「文明の連作論と連作」
       ・吉田 漱「文明短歌の生産」
       ・本郷義武「文明短歌への疑問」
22:00 就寝

8月22日(日)
 7:00 起床、朝食
 9:00 講話
       ・近藤芳美「正岡子規論」
       ・高安国世「近代ニヒリズムと詩精神」
10:30 歌会(途中昼食を挟む)
16:00 終了
18:00 懇親会

となっている。
近藤芳美も高安国世も土屋文明門下なので、初日の「文明研究」は順当なところだろう。豪華メンバーが揃っていて、参加してみたくなる。

ちなみに参加費は「2泊・懇親会出席」で2700円という時代である。
今から50年も前の話だ。

参加者は「未来」から、近藤芳美、大島史洋、岡井隆、石田比呂志、金井秋彦、松村あや、山埜井喜美枝、吉田漱、河村盛明、我妻泰、浅尾充子、米田律子など42名。

「塔」からは高安国世、田中栄、古賀泰子、藤重直彦、諏訪雅子、藤井マサミ、栗山繁、本郷義武、黒住光、黒住嘉輝、澤辺元一など31名であった。

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2015年03月09日

塔・未来合同全国大会(その1)

「八雁」3月号を読んでいたら、阿木津さんの連載「続 欅の木の下で」の中に、田井安曇さんが「綱手」2011年4月号に書いた文章が載っていた。

だが恥ずかしながら一番印象に残っているのは、近藤芳美氏が仕事で長期海外旅行に出掛けた留守中の、京都嵐山は公務員保養施設「花の家」での高安国世ほか「塔」一門との合同夏期大会だ。芸のない私と石田比呂志はここの大広間で相撲を取り、見掛けはちっとも強そうでない私が一番勝ち、次は用心した彼が引き分けに持ち込んだことである。

「大広間で相撲を取り」というのが、何とも楽しい。
今ではこういう光景はあまり見られないだろう。

ここで気になるのが「近藤芳美氏が仕事で長期海外旅行に出掛けた留守中の」という部分。1965年に京都「花の家」で行われた塔・未来合同全国大会には近藤芳美も参加している。「塔」1965年10月号の記録に残っているので間違いない。

実は「塔」と「未来」の合同大会は1962年に長野県諏訪市の「湖泉荘」でも行われており、田井の記憶はそれと混同しているのではないか。

未来短歌会編『「未来」と現代短歌』には、この大会の写真が載っている。
キャプションには

昭和37年8月12日 諏訪大会 下諏訪にて 8月 近藤芳美シベリア、ヨーロッパへ旅行。

とあって、田井の文章と辻褄が合う。
写真に近藤は写っておらず、前列中央には高安国世が座っている。

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2015年03月08日

中田考著 『イスラーム 生と死と聖戦』


イスラム法の専門家で、自身もムスリムである著者が、イスラーム法、死後の世界、イスラームの世界、カリフ制などについて論じている。

途中、神についての宗教的な内容や哲学的な問題も述べられていて多少難しいのだが、イスラームに関する理解を深めるには必要な部分なのだろう。

印象に残った箇所をいくつか引く。

イスラームとは政治にほかなりません。宗教としてのイスラームと、政治としてのイスラームは別のものではないのです。

自由という概念は、いまの私と五分後の私が同じ人間であるという前提があって初めて成り立つものです。

玄関を右足から出た世界と左足から出た世界とでは、ほんのわずかな違いではあっても違う世界です。

善も悪も選びうるからこそ、善を選ぶことに意味があるのです。

「カリフ制再興による領域国民国家システムの廃止」といった著者の主張は、現在の日本では夢想的な理想論としか思えない。けれども、その信念に嘘がないことはよくわかる。

人間による支配を否定して、国家の運営する「国民健康保険」にも入らないと述べる著者は、世間的に見ればかなりの変人であろう。でも、その話から学ぶことは多い。

2015年2月22日、集英社新書、760円。

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2015年03月07日

「りとむ」2015年3月号

中村昌子さんという方が「原点」というエッセイに樺太のことを書いている。

私は昭和十七年三月、父の実家である函館で生まれた。その頃父は応召されていて、満洲を転戦していたと言う。食糧事情の悪化は母乳を止め、生まれたばかりの私の空腹を満たす事が出来ず、母は止むなく実家の樺太行きを決断した。まだ雪の残る真岡郡野田町の北、久良志という海辺の地に落ち着いた。漁家の食卓は貧しいながらも豊かだったと、生前母も祖母も語っていた。

エッセイの最後は「私の原点は樺太にあり、第一の故郷との想いは強い」と締め括られている。

樺太はかすみて見えず望郷の丘に無韻の〈氷雪の門〉
            中村昌子

「氷雪の門」は樺太で亡くなった人のための慰霊碑で、昭和38年に稚内公園に建てられた。天気の良い日にはそこからサハリンの島影が望めるそうだ。

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2015年03月06日

後藤惠之輔・坂本道徳著 『軍艦島の遺産』


副題は「風化する近代日本の象徴」。

長崎大学大学院教授で工学博士の後藤とNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」理事長で元島民の坂元の共著。日本の石炭産業の歴史、端島(軍艦島)炭鉱の歴史、端島の生活、今後の保存活用などが記されている。

「緑なき島」と呼ばれた端島では、屋上に「青空農園」が作られていたそうだ。

キュウリ、トマト、ナス、大豆、サツマイモなどが植えられ、驚くことに水田も張られてコメ作りもなされた。

こうした端島の生活の細部が、今後さらに明らかになっていくといい。現在では無人の廃墟となっているが、かつてそこに5000人を超える人々の暮らしがあったことを忘れてはならない。

端島に住んでいた私たちにとって、この島は「軍艦島」ではない。私はいま「軍艦島を世界遺産にする会」を主宰しているが、これはあくまでも外側からこの島を見たときの表現である。

「軍艦島を世界遺産に」という思いは、内側、外側の視点をも考えてのことである。「端島」として眺めたときには気づかなかったものが、また逆に「軍艦島」として眺めたときには見えなかったものが見えてくるのである。

こうした二つの観点がうまく交差することによって、貴重な近代化遺産の保存や活用が図られるといいなと思う。7月には長崎に行く予定があるので、その時に軍艦島も訪れてみたい。

2005年4月12日、長崎新聞新書、952円。

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2015年03月05日

『新・百人一首』の続き

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
               河野裕子『桜森』

について、解説で穂村弘は

「近江」とは琵琶湖を指す。

と記している。ここは解釈の割れるところで、河野自身は

この歌で私は、「近江」を、ひらがなで「あふみ」とは書きたくなかった。必ず「近江」でなければならなかった。「近江」を琵琶湖と読まれたくなかったからである。(『どこでもないところで』)

と述べている。「あふみ」と書くと「淡海=琵琶湖」をイメージさせてしまう。それを避けて、「真水」=琵琶湖、「昏き器」=近江(旧・滋賀県)という意図で詠んだということだ。近江という土地や風土に対する心寄せの歌である。

もちろん作者の自注に随う必要はない。『現代秀歌』の中で永田和宏は

文字通り読めば、近江という器が琵琶湖の水を抱えていると読むべきなのだろうが、イメージとして「昏き器」を琵琶湖と読んでしまうのもわからなくはない。作者自身は、先の読みにこだわっていたが、いまや器=琵琶湖の読みも許しておいていいような気がする。

と書く。たぶん、それで良いのだろう。

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2015年03月04日

岡井隆・馬場あき子・永田和宏・穂村弘選 『新・百人一首』


副題は「近現代短歌ベスト100」。

明治天皇、落合直文、伊藤左千夫から俵万智、穂村弘にいたるまで、近現代の歌人100名の歌が生年順に収められている。初出は「文藝春秋」2013年1月号。その時も読んだのだが、あらためて読む。

かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は真実を生きたかりけり
             高安国世『Vorfruhling』

について、解説で岡井隆は

作者は進学志望を医師から文科(ドイツ文学)へと変えた時の心理が背景にあるというが、それはこの一首にとってどうでもよい。

と書いている。「どうでもよい」と言い切るのはすごいなあ、と思って読む。この歌は歌集では長い詞書が付いているので作歌の背景は明確なのだが、そうした個別の事情を超えたところに普遍性を獲得しているということだろう。

2013年3月20日、文春新書、880円。

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2015年03月03日

『新田寛全歌集 蝦夷山家』から(その6)

春浅き夕べを来りオーロラの顕ちし噂など人のして行く
春あはき感傷揺りてオーロラの顕ちし噂はひろごりにけり
春の夜のこころあどなく見のがししオロラのひかり想ひ見にけり
寒さいま極むとするか書棚(ふみだな)の玻璃にこごりて氷花(ひばな)きらめく
この海の氷上荷役とふは今もありや我が行きて見ざること久し

昭和13年の「うつそみ」8首より。

1首目、「オーロラ」と言えばアラスカ、カナダ、北欧などをイメージするが、樺太でも見られることがあったのだろう。もっとも噂になるくらいだから、ごく稀なことだったのだ。
2首目、早春の感傷的な気分とオーロラのゆらめきが響き合う。
3首目、「あどなく」は「あどけなく」と同じ。見られなかったオーロラに想いを馳せている。
4首目、「氷花」は空気中の水分が氷結したもの。部屋の中でもこれなのだから、厳しい寒さが想像される。
5首目、「氷上荷役」は氷の張った海の上で、船に荷物の積み下ろしをすること。冬の樺太の名物だったようで、よく絵葉書などになっている。

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2015年03月02日

『どこでもないところで』の続き

「この世のほか」という短い文章がある。

この世とあの世ということを年来考えている。数年前、松村正直に「あの世ってあるんやろうか」と振り向いて訊くと「あると思いたいんじゃないでしょうか」とまことに明快に答えた。その通りだとわたしも思う。あの世は無いと思う。

このやり取りのことはよく覚えている。
河野さんの癌の再発前の話だ。

「あの世は無いと思う」と本当に思っているならば、「あの世ってあるんやろうか」と訊くはずもない。あの時、もっと違う答え方はできなかったんだろうかと、時々考えることがある。

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2015年03月01日

河野裕子著 『どこでもないところで』


河野裕子エッセイ・コレクション3。

軽いエッセイのほかに、正岡子規、与謝野晶子、岡本かの子、馬場あき子、西行などを論じた評論も収められている。

印象に残るのは、河野さんの歌作りに関する話。

原稿依頼があった時、依頼された歌数の十倍の歌を作ることを自分に課している。
歌は理屈で作るものではなく、気合いで作るものだという一面があって、そういう時は、勢い、身体の方が先にことばをつかんでしまう。
歌を作りつづけているあいだに、自分のなかにあった、自分でも気がつかなかったものが現れてきて、驚くことがしばしばある。

河野さんの文章は、生身の河野さんの息遣いを強く感じさせる。

2014年10月25日、中央公論新社、1850円。

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