2015年01月31日

木下こう歌集『体温と雨』批評会

13:30から大阪市中央区民センターにて開催。
パネリスト:大森静佳、黒瀬珂瀾、吉川宏志。司会:横井典子。
東京や大分からも参加者があり、盛況であった。

たて笛に遠すぎる穴があつたでせう さういふ感じに何かがとほい
昏れやすきあなたの部屋の絵の中にすこし下がるとわたしが映る
北の木のただいつぽんの佇みに質量のなき手をそへてゐし
てのひらにみづひびかせて水筒に透明な鳥とぢこめてゆく
やまももがうつそり甘いもうすこし風がとほるといいのだけれど

あらためて良い歌が多い歌集だと思う。
パネリストの意見や会場発言を聞いて、自分なりにいろいろと気づくことがあった。

17:00終了。
その後、近くの居酒屋で懇親会。
久しぶりに会う人も多く、楽しく、また刺激を受けた一日だった。

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2015年01月30日

松澤俊二著 『「よむ」ことの近代』


「越境する近代」シリーズの11冊目。
副題は「和歌・短歌の政治学」。

明治期の国民国家の形成に和歌や短歌がどのように関わり、天皇と人々をどのように政治的に結び付けていったのかというテーマのもと、序章+10章の論文が収められている。

天皇巡幸、御製、大日本歌道奨励会、心理学、題詠、和歌革新、自己表現、愛国百人一首、ヒロシマなど、取り上げている内容は幅広いが、大きな流れのもとにまとまっているので、著者の関心や主張はわかりやすい。

本書は「新」「旧」両派の断絶よりも、それらがネイション・ビルディングに果たした役割に注目し、その連続性に留意して記述している。

というスタンスは、私の興味ともつながっていて、教えられることがたくさんあった。特に御歌所長の高崎正風の果たした役割の大きさや旧派和歌のその後について知ることができたのは良かった。また、福沢諭吉『学問のすすめ』や坪内逍遥『小説神髄』に和歌・短歌否定論が含まれていることも、和歌革新の前提として踏まえておくべき事実であろう。

歌人と研究者との交流は現在あまり活発ではないが、今後深まっていく必要がある。そのためにも、多くの歌人にこの本を読んでほしいと思う。単に過去のことを論じている本ではない。まさに現在の短歌の問題に深く関わってくる内容なのである。

2014年12月26日、青弓社、3400円。

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2015年01月29日

日高堯子歌集 『振りむく人』

2009年から2014年5月までの490首を収めた第8歌集。

影絵のやうに老父母うごく晩秋の日ざししづけしわれも入りゆく
頭(づ)の中に少女の自分がゐるらしきふしぎな顔の今日の母なり
蝶は昼 草間の水をのみながらするどく光る尿を放てり
うす張りの夏の昼月しらじらと昼寝(ひるい)の父の眉毛はながし
屏風ヶ浦にならびて風をまはしゐる風車はさびし白鳥よりも
蜂蜜漬け胡桃の瓶にしづもれる万の翅音をふかぶかと舐む
水琴窟のやうなる音が胸たたくあなたなのかと問へばまた消ゆ
新米の炊きたてご飯のきらきらをむすべどむすべど昔はむかし
なつかしいものみな失せぬとわらふ母秋の日ことばあそびをすれば
わが貼りしバンドエイド腕につけしまま父はこの世を離(か)れゆきにけり

90歳になる母、100歳になる父を詠んだ歌が歌集の中心となっており、また2011年の東日本大震災も大きく扱われている。全体にゆったりとした時間が流れている歌集だ。

1首目、年老いた両親の静かでゆっくりとした動き。時間の流れる早さが家の外とは違う。
3首目は蝶の尿を詠んだ何とも繊細な歌。きらきら光っている。
5首目は牧水の「白鳥は哀しからずや」を踏まえるか。
6首目、蜂蜜に「万の翅音」を感じ取っているところが良い。
7首目、胸に澄んだ音を立てては消える音。そこに「あなた」の姿を思い浮かべている。
10首目、「バンドエイド」が寂しさでもあり、わずかな救いでもあるようだ。

2014年9月23日、砂子屋書房、3000円。

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2015年01月28日

公開講座「出口王仁三郎の短歌」

7月15日(水)に現代歌人協会の公開講座「出口王仁三郎の短歌」にパネリストとして参加します。メインパネリストは笹公人さん、司会は渡英子さん。

会場:学士会館
時間:午後6時〜8時(受付開始5時30分)
聴講料:前売り6回通し=6000円(3月末締切)

お申込みは聴講料を添え(現金書留または郵便為替)、3月末日までに下記宛てにご郵送でお申込ください。1回毎の聴講をご希望の方は当日受付となります。(1500円)

*現代歌人協会会員は無料

〒170-0003 東京都豊島区駒込1-35-4-502
            現代歌人協会 公開講座係

詳細は→こちら

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2015年01月27日

加賀谷哲朗著 『沢田マンションの冒険』


副題は「驚嘆!セルフビルド建築」。

書店で何気なく新刊コーナーを眺めていたら、この表紙が目に飛び込んできた。その瞬間、「あの建物だ!」とすぐにわかった。都築響一著『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行 西日本編』に紹介されていた高知の自作マンションである。

いつか訪れてみたいなと思ってから十数年、すっかり忘れていたのだが、表紙の絵を見た瞬間に思い出した。それだけ強烈な印象を受けた建物だったのだ。

著者は大学の修士論文でこの沢田マンションについて書いて以来、毎年のように訪れているらしい。建築家の視点から、その特徴やユニークな点を分析し、さらにはセルフビルド建築や新しいコミュニティ作りの可能性へと話を進めている。

建物を突き抜けてスロープが通り、屋上には水田や自作クレーン、5階には庭園や製材所、4階には鯉の泳ぐ池まである沢田マンション。ぜひ、いつか訪れてみたい。

2015年1月10日、ちくま文庫、1100円。

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2015年01月26日

映画 「小さいおうち」

監督:山田洋次
出演:松たか子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子ほか。
原作:中島京子

昨年公開時に見ようと思っていて見逃してしまった映画を、「字幕・副音声付き」の上映会で見た。視覚・聴覚に障害のある方々が大勢見に来られていた。

副音声は視覚障害の方のためのもので、「画面いっぱいの富士山、松竹映画」から始まって、画面に映っている風景や人物の動き、状況などを細かく説明していく。初めて体験したのだが、すごいものだと感心した。バリアフリー上映を行っている京都リップルという団体についても初めて知った。

映画は昭和十年代の東京や日本の様子が丁寧に描かれていて良かった。ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を受賞した黒木華の演技も魅力的。

ただ、最後の方はやや蛇足に感じられて、そこまで説明しなくてもという気がした。これは短歌的な見方が身体にしみついているからかもしれない。

ハートピア京都、136分。

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2015年01月25日

佐佐木幸綱歌集 『ほろほろとろとろ』

2010年から2012年までの作品497首を収めた第16歌集。
全体が3章に分かれていて、さらに「欧羅巴一〇〇首」「欧羅巴五〇首」が入っている。

春の雨に一夜濡れたる石垣のほとりに「登ってはいけません」の札
バイオリンを弾く人ときに目を開けてまた目を閉じる水の中のように
息子とは見るものが違い朝雲のバックミラーを俺は動かす
掌(て)の上に川をながして小さなる筏の行方見ている目つき
釈放されVサインする中国人船長が映る肥えたる妻と
東京湾の底を流るる川のこと言いつつ握る旬の穴子を
二子玉川駅舎をするり低く飛び燕(つばくら)は人の貌を吊り上ぐ
スープ皿の韮のみどりの鮮しさ みどりは動く雷(らい)のひびきに
大いなる氷河をゆったりと抱く力 山のエロスが主語としてある
マルセイユの地下鉄駅の壁の絵の地下鉄 地下鉄が来ればみえない

1首目には「松山城にて」という詞書が付いている。古い石垣と現代的な注意書きの取り合わせ。
3首目は、息子さんと同じ車を運転しているのだろう。バックミラーの角度を調節し直しているところ。
4首目は「終点までケータイを押し・・・」という歌が次にあるので、おそらく携帯電話を詠んだ歌なのだろう。でも、それがわからなくても十分に味わいのある歌だ。
7首目は結句の「貌を吊り上ぐ」で歌が決まった。燕の動きに引っ張られるように視線を上げる人々。
9首目はモンブランの麓にある町「シャモニー」での歌。大柄な詠いぶりが魅力的だ。

あとがきに「この歌集ぐらいから、私の短歌には、自然体、あるがままの表現が多くなったように感じる」とある通り、あまり技巧を凝らさない素直な歌が多い。作者の代名詞でもあった「男歌」らしさも、随分と薄れたように思う。それは年齢のせいなのか、時代のせいなのか、あるいは何らかの短歌観の変化があったのか。そのあたりを知りたい。

2014年12月5日、砂子屋書房、3000円。

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2015年01月24日

ラグビーの歌

おとといの歌会の後のお茶の席でスポーツの話が出て、中学・高校時代はラグビーをしていたという話をした。

家に帰って砂子屋書房のHPに連載されている「一首鑑賞 日々のクオリア」を見たところ、こちらもたまたまラグビーの歌だった。
http://www.sunagoya.com/tanka/?p=12993

球を中に一つに動くルーズ・スクラムこの時の間を心張り来る
            松村英一『初霜』(1936年)

という歌を取り上げて、さいかちさんが鑑賞を書いている。

「ラグビー試合」と題する5首が引かれているのだが、どれもラグビーの様子が臨場感あふれる表現で描かれていて良かった。初めて読む歌である。自分がやったことのあるスポーツだと、歌の味わいも一層増すように感じられる。

さいかちさんは「スクラムの時は、フォワードの選手が組み合って押し合い、試合がゆっくりと再開される時間帯だ」と書いているのだが、この「ルーズ・スクラム」は現在で言うラックのことであって、スクラム(セット・スクラム)のことではない。プレーが中断した後に再開するスクラムとは違い、プレーの流れの中で起きるもの。

まあ、細かいことですが・・・。

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2015年01月23日

川本三郎著 『小説を、映画を、鉄道が走る』


初出は「すばる」2009年6月号〜2010年9月号。
「本を読んでも映画を見ても、そこに鉄道が出てくるとそれだけでわくわくしてしまう」という著者が、該博な知識と自らの体験を元に小説や映画、さらにはミステリ、エッセイ、マンガに登場する懐かしい鉄道風景を綴っている。

取り上げられている作品は、松本清張「張込み」、林芙美子「放浪記」、つげ義春「海辺の叙景」、島田荘司「奇想、天を動かす」、堀江敏幸「いつか王子駅で」、吉田秋生「海街diary」など、とにかく幅広い。

昭和三十年代のなかばごろまでの北海道は漁業、石炭、製紙、製鉄などが好調で活況を呈していた。本土に比べて戦争の被害が少なかったことも幸いした。札幌など空襲に遭っていない。

これなどは、戦後の北海道を考える上で外せない大切な観点だろう。
宮本百合子の随筆「田端の汽車そのほか」(1947年)には、こんな描写がある。

貨車ばかり黙って並んでいるところへガシャンといって汽罐車がつくと、その反動が頭の方から尻尾の方までガシャン、ガシャンとつたわってゆく面白さ。

おお、これなど、まさに佐藤佐太郎の〈連結を終りし貨車はつぎつぎに伝はりてゆく連結の音〉ではないか。当時は日常的に見られた光景だったのだろう。

2014年10月25日、集英社文庫、640円。

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2015年01月21日

沙羅みなみ歌集 『日時計』

ご紹介がすっかり遅くなってしまいましたが。

ほんとうはどちらが少し正しいの?羊の柩/柩の羊
月かげに蒼く照らされ横たわるわたしのいない私の体
銀色の一日に倦んだ貴婦人の巻き毛のようなパスタを茹でる
急速にかたむいてゆく傾きのかたむくままに傾かせつつ
揺らされているというより揺れている枝だと気づくゆりの木の下
話さないけど話してたでも今は話すけど何も話していない
本当はわたくしだったかもしれぬ子どもに出会うこども外来
ゆるやかに時間の影は延びゆきてゆりのき通りを西へと下る
断りの手紙を綴り終わりたり日の入りにまだ少し早くて
いつもいつも正しく帰りくる鳩に「迷っておいで」と耳打ちをせり

肯定と否定、右と左の間を詠むような心理詠が多く、非常に個性的な作風。逆説的な表現や箴言風の言い回しがしばしば用いられている。

語彙の面では、「消える」「忘れる」「失う」「なくす」「去る」といった動詞や「これ」「その」「そんな」「あの」「この」「そこ」「あちら」などの指示語が多い。巻頭と巻末の歌の対応が鮮やかであった。

2014年1月17日、青磁社、2500円。

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2015年01月20日

「合歓」第67号

「合歓」第67号(2015年1月)に、インタビュー「松村正直さんに聞く―短歌と時代、過去から現在へ」が掲載されました。聞き手は久々湊盈子さんです。

お読みになりたい方は、松村までご連絡ください。
コピーをお送りします。

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2015年01月19日

三上延著 『ビブリア古書堂の事件手帖6』


副題は「栞子さんと巡るさだめ」。
人気シリーズの第6弾。完結するまで読み続けるしかない。

3章に分かれているが、全体が一つの長編のような構成になっている。
取り上げられている作品は、太宰治の『走れメロス』『駈込み訴へ』『晩年』。
太宰の本を読み返してみたくなった。

2014年12月25日、メディアワークス文庫、570円。

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2015年01月18日

「中東短歌3」

中東をテーマに掲げた同人誌の第3号で、終刊号。
コンパクトなサイズの冊子ながら、短歌、評論、アラブ小説、対談、エッセイ、書評と盛り沢山な内容になっている。

サハラとは砂漠の意味とこの子には教えるだろう遠い春の日
                    柴田 瞳
偶然と故意のあいだの暗がりに水牛がいる、白く息吐き
                    千種創一

1首目、「この子」は妊娠中のわが子のこと。やがて生まれてくる子との会話を想像している。
2首目、抽象的な歌であるが、「水牛」になまなましい存在感がある。偶然とも故意ともはっきりしない出来事に対する疑いのような思い。

イブラヒーム・サムーイールの小説「このとき」(町川匙訳)は、サキの短編小説のような味わいがある。この作者と齋藤芳生の対談も面白かった。

サム (…)読書の味覚というのは、訓練なのです。良い作品を読めば、味覚もまた良くなるのです。そして「弱い」作品を大量に読むと、味覚も「弱く」なります。

中東情勢がますます混迷を深めていくなか、この同人誌がこれで終ってしまうのが残念でならない。

2014年10月10日、700円。

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2015年01月15日

「八雁」「未来」2014年1月号

「八雁」1月号で島田幸典さんが、「塔」60周年記念号掲載の座談会「編集部、この十年」に触れて下さった。結社の歌会について論じる中で

 松村 「選歌から学べ」とも言いますけど、普段まったく歌会に出ていないと、何をどう学べばいいのか、自分一人ではなかなか難しいですしね。

という発言も引用していただいた。
「未来」1月号では、黒瀬珂瀾さんの歌にこんな一首があった。

  「やさしい鮫」と「こわい鮫」とに区別して子の言うやさしい鮫とはイルカ 松村正直
 「やさしいバイクきた」と指さす土手をゆくカブが明日へと児をいざなへり

子どもの発想や言葉遣いは本当に自由だ。
島田さん、黒瀬さん、ありがとうございました。

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2015年01月13日

想像の味

子どもの頃、本の中に知らない食べ物が出てくるとワクワクしたものだ。書かれた言葉だけから想像する味は、何とも魅力的なものであった。

そんな思い出のベスト3は、『大どろぼうホッツェンプロッツ』のザワークラウト、『チョコレート戦争』のエクレール(エクレア)、『燃えながら飛んだよ』の焼きリンゴ。

どれもいまだに名前を聞いただけでワクワクしてしまう。と言っても、別に実際の「ザワークラウト」や「エクレア」や「焼きリンゴ」が好きなわけではない。あくまで想像の味が好きなのである。

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2015年01月11日

内田樹・釈徹宗著 『日本霊性論』


全体が二部構成となっていて、第一部「なぜ霊性を呼び覚まさなければならないか」は内田樹の3回にわたる連続講義で、第二部「「日本的」霊性と現代のスピリチュアリティ」は釈徹宗の3回の講義となっている。

印象に残った箇所をいくつか。

自分が今していることの意味は今はわからない。(…)自分が今していることの意味は事後的に振り返った瞬間にわかる。 (内田)
教育の受益者は子供自身ではありません。子供たちを含む共同体全体です。 (内田)
五感も、アナログに広がっている脳内部位を恣意的に切り分けて「だいたい五感くらい」ということで分節しているだけの話で、そうしたければ、六感に切り分けても七感に切り分けてもいいわけです。 (内田)

いつもながら内田の論理展開は鮮やかで、マジックを見ているようでもある。

地に足を着けて田畑を耕したり、その地域にしがみつき苦悩しながら生き抜く、そこに霊性が育まれる。 (釈) 《鈴木大拙『日本的霊性』の要約》
初めて死生観という言葉を使ったのは、加藤咄堂という人です。一九〇四(明治三七)年に出した『死生観』という本が、最初の使用例だったようです。 (釈)

今ではごく普通に使われている「死生観」という言葉は、意外と新しいものであったのだ。その「最初の使用例」までわかっているとは。

300ページを超す分量だが、最後まで楽しく読める。

2014年8月10日、NHK出版新書、860円。

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2015年01月10日

お詫び

体調不良のため、今日と明日の外出予定はすべてキャンセルしました。
皆さんにご迷惑をお掛けして申し訳ありません。
月曜日から復帰します。

今日・明日は家でおとなしく寝ていよう・・・と思ったら、「塔」の初校ゲラの取りまとめ作業があったのでした。まずは、全力でそれを終わらせます。

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2015年01月08日

小野田滋著 『関西鉄道遺産』


副題は「私鉄と国鉄が競った技術史」。

「駅と建築」「橋梁」「高架橋」「トンネル」の4つの分野から計27か所が取り上げられている。私の住む京都市伏見区にある「澱川橋梁」や「伏見第一・第二高架橋」も含め、全体の半数くらいは目にしたことのあるものであり、読んでいて親しみが湧く。

ランドマークは奇抜なデザインの構造物や巨大な構造物ばかりではなく、ごく平凡で見慣れた風景の中にもさりげなく存在している。そうした意味も含めて、本書では関西地方ならではの景観を演出している構造物を中心に紹介した。

という著者の姿勢にも共感する。

戦前の外地の鉄道橋に「ダブルワーレントラス」という頑丈な形式が用いられたのは、爆撃や爆破にあって「万一部材が損傷しても構造系を維持し、致命的な崩壊や落橋に至りにくい橋梁形式として選択された」という話など、実になまなましい。

鉄道とは関係のない部分でも教えられることの多い内容であった。

現在も京都駅の烏丸口に聳えている関西電力京都支店は、京都電燈本社として一九三七(昭和一二)年に関西建築界の大御所であった武田五一(一八七二〜一九三一)の設計により完成した近代建築の精華である。

以前から「関西電力京都支店」の建物としては立派すぎると思っていたのだが、そういう由来のある建物だったのだ。

2014年10月20日、講談社ブルーバックス、1000円。

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2015年01月07日

小高賢歌集 『秋の茱萸坂』

昨年2月に亡くなった作者の第9歌集。2010年から14年までの作品660首を収める。小高が生前に構成を終えていた4章484首に、その後の176首を加えて一冊としたもの。

咲くときは一緒になどと息ひそめ待っているらしさくらの姉妹
浜ちゃん顔と寅さん顔が並びあい日暮里すぎて浜ちゃん降りる
ショートケーキ慰問袋のようにもち「ご無沙汰」と子が居間に入り来る
気色ばむごとなくなりて唐紙をしずかに閉めてわれは出でゆく
ガス室にいもうと三人運ばれてカフカ一家の血はそこに絶ゆ
段ボール箱に入ればうれしくてたちまち眠るこの三歳児
こういう日は奈良にゆきたしひとすじに菊の香のぼる秋日和なり
さまざまな一生(ひとよ)のひとつガラス越しの永久保存という焉り方
清流のごとく日は入り乳飲み子はふと微笑みぬ秋の車内に
敵を置き味方をなげく二分法ながく戦後の脊梁として

1首目は冬の桜の可愛らしい蕾を詠んだ歌。
2首目は「釣りバカ日誌」の浜ちゃん(西田敏行)と「男はつらいよ」の寅さん(渥美清)。
5首目、カフカの三人の妹はナチスの強制収容所で亡くなっている。カフカも長生きしていれば同じ運命をたどったかもしれない。
6首目、狭い箱などに入る猫の話はよく聞くが、これは人間の三歳児。
8首目はレーニンや毛沢東の遺体のことだろう。保存処理が施されて今も残っている。
9首目、何でもないけれど好きな歌。「秋の」がよく効いている。

2014年11月10日、砂子屋書房、3000円。

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2015年01月06日

白輪剛史著 『動物の値段 満員御礼』


2010年にロコモーションパブリッシングより刊行された『動物の値段と売買の謎』を改題し、加筆・修正して文庫化したもの。

20年以上にわたって動物輸入卸商をしている著者が、さまざまな動物の売買に関する話を面白く書いている。前著『動物の値段』の続編に当るのだが、それを知らずに先に読んでしまった。それでも別に問題はない。

本書を読んで、生物学における「収斂」という概念を初めて知った。

地理的に大きく隔たった地域に生息する、まったく関係のない似た者同士のことを「収斂」という。

例えば、旧世界(ユーラシア、アフリカ)と新世界(北アメリカ、南アメリカ)で見ると、

 ヒョウ ⇔ ジャガー
 オナガザル科、類人猿 ⇔ オマキザル科、キヌザル科
 センザンコウ ⇔ アルマジロ、アリクイ
 ヤマアラシ科 ⇔ アメリカヤマアラシ科

といった対応になるのだそうだ。面白い。

ワシントン条約や自然保護に関する話も随所に出てきて、人間と野生動物との関わりについて考えさせられる。

2014年12月25日、角川文庫、600円。

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2015年01月05日

『現代秀歌』を読む会のお知らせ

永田和宏著『現代秀歌』(岩波新書)を読む会を始めます。2015年1月から、毎回1章ずつ読み進めていきます。会の内容は、参加者が順番に声を出して読み、全員で感想や意見を語り合うというものです。事前の申し込みなどの必要はありません。「塔」会員以外の方も参加できますので、どうぞお気軽にご参加下さい。

日 時 毎月第4火曜日 午後1時〜4時
      1月27日(火)第一章 恋・愛
      2月24日(火)第二章 青春
      3月24日(火)第三章 新しい表現を求めて
      4月28日(火)第四章 家族・友人
      5月26日(火)第五章 日常
      6月23日(火)第六章 社会・文化
      7月28日(火)第七章 旅
      8月25日(火)第八章 四季・自然
     10月27日(火)第九章 孤の思い
     11月24日(火)第十章 病と死

場 所 塔短歌会事務所
     〒604-0973 京都市中京区柳馬場通竹屋町下る五丁目228
           「碇ビル」2階西側
     http://www.toutankakai.com/officemap.gif

参加費 一回500円
問合せ 松村正直まで

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2015年01月04日

永田和宏著 『現代秀歌』


2013年に刊行された『近代秀歌』の姉妹篇。
「『近代秀歌』でとりあげた以降」の「一九七〇年までの生まれ」の100名の歌人の100首を取り上げて解説・鑑賞をしている。

全体が「青春」「新しい表現を求めて」「旅」「病と死」など10章に分かれているが、各章の歌のならびはランダムではなく、ゆるやかな流れに沿って読めるようになっている。例えば、

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや
                    山中智恵子
まつぶさに眺めてかなし月こそは全(また)き裸身と思ひいたりぬ
                    水原紫苑
なべてものの生まるるときのなまぐささに月はのぼりくる麦畑のうへ
                    真鍋美恵子

といった感じである。読み物としても楽しめるように工夫された構成だ。
また、歌の鑑賞だけではなく、永田の短歌観や短歌論が随所に表れているのも本書の読みどころだろう。

ようやく梅内たちの世代になって、第二芸術論の呪縛から解き放たれ、歌を作っていることを堂々と言えるような風潮のなかで作歌が可能になったのかもしれない。
思い出は常に、日常の〈具体〉とリンクして顕ち現われる。
歌は意味が通っていることも大切だが、意味だけで終ってしまっては、詩としての味わいも、奥行きも、幅もすべて失われてしまうものだ。
歌を読むとはそういうことである。一首の歌を読むことによって、それまでとは違った自然との向かい合いが生まれるのである。

ただし、前著『近代秀歌』に比べると、文章はやや伸びやかさに欠けるような印象を受ける。『近代秀歌』が故人を対象としていたのに対して、『現代秀歌』は約半数が存命の歌人なので、好き放題に書くわけにもいかなかったのかもしれない。

2014年10月21日、岩波新書、840円。

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2015年01月02日

カルチャーセンター

京都は雪のお正月になりました。

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今年も下記のカルチャーセンターで短歌講座を行います。
興味のある方は、ぜひご参加下さい。

◎毎日文化センター梅田教室
  (06−6346−8700)
 「短歌実作」 毎月第2土曜日
   A組 10:30〜12:30
   B組 13:00〜15:00
    *奇数月を松村正直が担当しています。

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室
  (0797−38−2666)
 「はじめてよむ短歌」
   毎月第1金曜日 10:30〜12:30

◎朝日カルチャーセンター芦屋教室
  (0797−38−2666)
 「短歌実作」 毎月第3金曜日
   A組 11:00〜13:00
   B組 13:30〜15:30
    *偶数月を松村正直が担当しています。

◎JEUGIAカルチャーセンター千里セルシ―
  (06−6835−7400)
 「はじめての短歌」
   毎月第3月曜日 13:00〜15:00

◎JEUGIAカルチャーセンターKYOTO
  (075−254−2835)
 「はじめての短歌」
   毎月第3水曜日 10:00〜12:00

◎JEUGIAカルチャーセンターMOMO
  (075−623−5371)
 「はじめての短歌」
   毎月第1火曜日 10:30〜12:30

◎醍醐カルチャーセンター
  (075−573−5911)
 「初めてでも大丈夫 短歌教室」
   毎月第2月曜日 13:00〜15:00

posted by 松村正直 at 10:37| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月01日

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。

年末年始は山梨県身延町の母の家に行ってました。
車窓から富士山を見て、今日は富士川の冷たい水に触りました。

   P1040363.JPG

今年もよろしくお願いします。

posted by 松村正直 at 21:25| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする