2010年から2012年までの作品497首を収めた第16歌集。
全体が3章に分かれていて、さらに「欧羅巴一〇〇首」「欧羅巴五〇首」が入っている。
春の雨に一夜濡れたる石垣のほとりに「登ってはいけません」の札
バイオリンを弾く人ときに目を開けてまた目を閉じる水の中のように
息子とは見るものが違い朝雲のバックミラーを俺は動かす
掌(て)の上に川をながして小さなる筏の行方見ている目つき
釈放されVサインする中国人船長が映る肥えたる妻と
東京湾の底を流るる川のこと言いつつ握る旬の穴子を
二子玉川駅舎をするり低く飛び燕(つばくら)は人の貌を吊り上ぐ
スープ皿の韮のみどりの鮮しさ みどりは動く雷(らい)のひびきに
大いなる氷河をゆったりと抱く力 山のエロスが主語としてある
マルセイユの地下鉄駅の壁の絵の地下鉄 地下鉄が来ればみえない
1首目には「松山城にて」という詞書が付いている。古い石垣と現代的な注意書きの取り合わせ。
3首目は、息子さんと同じ車を運転しているのだろう。バックミラーの角度を調節し直しているところ。
4首目は「終点までケータイを押し・・・」という歌が次にあるので、おそらく携帯電話を詠んだ歌なのだろう。でも、それがわからなくても十分に味わいのある歌だ。
7首目は結句の「貌を吊り上ぐ」で歌が決まった。燕の動きに引っ張られるように視線を上げる人々。
9首目はモンブランの麓にある町「シャモニー」での歌。大柄な詠いぶりが魅力的だ。
あとがきに「この歌集ぐらいから、私の短歌には、自然体、あるがままの表現が多くなったように感じる」とある通り、あまり技巧を凝らさない素直な歌が多い。作者の代名詞でもあった「男歌」らしさも、随分と薄れたように思う。それは年齢のせいなのか、時代のせいなのか、あるいは何らかの短歌観の変化があったのか。そのあたりを知りたい。
2014年12月5日、砂子屋書房、3000円。