手の届く限りはアララギ一冊にて「雪裡紅(しゆりほん)」の文におのづから
寄る 高安国世『真実』
1947年の作品。「病間録」と題する一連に入っており、「三月末急性肺炎。妻の母も軽い脳溢血にて静臥。やがて三人の子供も次々にはしかを病む」との詞書が付いている。家中が病人ばかりという状況にあって、作者は病床に臥せりつつ「アララギ」に手を伸ばす。
「雪裡紅」は、中国北部で産出するアブラナ科アブラナ属の野菜。からし菜の仲間である。中国では春の訪れを告げる食材として重宝されているらしい。
高安の手にしている「アララギ」は昭和22年3月号。そこには高安の師である土屋文明の「雪裡紅」という文章が載っている。当時、文明が連載していた「日本紀行」の14回目である。
今年は幸に寒気がゆるやかであるが、私の小さい菜圃はもう二月も雪が消えない。私は温い日がつづくと雪の上に緑の葉さきをのぞかせる雪裡紅を見にゆく。雪裡紅は次の雪が来れば又雪の下になつて行く。
川戸で自給自足に近い生活を送っていた文明は、雪裡紅を育てていたのである。病床の高安は、雪裡紅の持つたくましい生命力に励まされたに違いない。けれども、「おのづから寄る」と詠んでいるのは、そのためだけではない。「雪裡紅」には当時盛んだった第二芸術論への反論が記されているのだ。
短歌や俳句の様な古典が今に生きてゐる事は誰にも遠慮する必要のない事だ。それどころか貧しい日本の文化の中では自ら安んじてさへよい事であらう。
(…)島国の百姓の様なしみつたれた批評家と称する者が、彼等の芸術学とかにも文芸学とか言ふものにも当てはまらない短歌や俳句を抜き去らうとかかつて来るならば先づ彼等を排撃するのは我々の当面の責任だ。
短歌に寄せるこうした文明の熱い思いが、戦後の苦しい時期の高安の心を強く引きつけていたのである。